Last Resort

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梗 概

Last Resort

仮想フィルネットと現実の境が希薄になった未来、多くの人間が肉体から自己をアップロードし、知識を吸収した情報体フィラトミカとしてのバックアップを持つようになった。
 肉体の自己は現実世界を生き、必要とあらばフィルネットの自分をダウンロードできるが、一度ダウンロードしたバックアップは消えてしまう上、肉体の自己を上書きされる。自己のダウンロードは最後の手段Last Resortだった。

あるとき、司書プログラム・ザケリアスの図書館へ、珍しい赤ん坊のフィラトミカが迷い込んできた。ジョン・ハンコック名無しと名付けた赤ん坊にザケリアスが何かを教える度、すぐに吸収しては次の質問をねだった。知識欲が底を突く気配はなく、疲れを知らない二人はそのまま長いこと(人間の感覚で数カ月)講義を続けた。
 その最中、ジョンが「ザケリアスって、なぁにWhat is Thecarius?」と質問。ザケリアスは「古代ローマの役職名から取った司書プログラムです」と答え、「あなたはWho are you?」と問い返す。記憶を尋ねただけの質問が、ジョンは「あなたはヒトですかAre you a person?」という問いに捉えてしまった。途端にジョンが停止フリーズ。慌てたザケリアスが書庫データベースにあるトラブルシューティングを試すも効果がない。
 ジョンはプログラムに自己認知の欠落を持っており、バグで無限ループに陥っていた。
 そこへ、御迎えエンゼルが訪れる。ジョンのダウンロード要求があったのだ。ザケリアスは説得を試みるも、エンゼルはジョンを連れて行ってしまう。

ザケリアスがこっそりついて行った先は、〈ゆりかご〉と呼ばれる場所インターフェイスだった。〈ゆりかご〉は二つの世界の境で、現実世界では意識不明の赤ん坊がバックアップのダウンロードを待っていた。ジョンの肉体オリジナルだ。
 ダウンロードを止めるべく、ザケリアスは赤ん坊を抱えた医療ロボットに侵入する。だが、マニピュレータ越しに赤ん坊へ瞬間、プログラムに未知のシナプスが結合された。ザケリアスの初めて知る、新たな人間の定義What is a humanだった。

ジョンがフィルネットから消失し、腕の中で赤ん坊が泣き出している。悲しみで胸が痛む一方、嬉しさも込み上げきた。
 新米親のようにザケリアスはオロオロするばかりだった。

文字数:1008

内容に関するアピール

親が初めて子を抱いたときの感慨は生涯、忘れられないと聞きます。種としては同じでも、それまで存在しなかった赤ん坊との邂逅はまさしくファーストコンタクトだと思います。

本作では、仮想空間にスピリチュアルな世界の役割を重ねました。生前と死後、霊的な世界です。古代から人は「自分とは? どこから来てどこへ行くのか?」を問い続けてきたのですから、情報体フィラトミカとなった未来の人類も頭をひねっているに違いありません。わかりやすくするために登場人物プログラムは擬人化して描きます。

ジョンは人の子として生まれ、先天的あるいは意識をアップロードする過程の不具合で、自己認識ができなくなった、という背景を持ちます。
 ザケリアスはプログラムとして設計されながら、最終的にヒトを経験し、人間として目覚めたジョンとファーストコンタクトを果たします。目覚めたジョンが急に喋り出すことはありません。

文字数:395

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Last Resort

プロローグ.『大司書、赤子と出逢う
  
「ようこそ、フィルビヴロへ。ここは情報体パラディホムスのための知識の館。基礎知識ファウンデーションしか持たない貴方へ、人類史が蓄積した森羅万象のことわりを……」
「ばぶぅっ」
「そのとおり。たとえば【ばぶう】。言語による意思疎通のはかれない新生児が発する音。俗に、幼児語と呼ばれますが、このようなパラディホムスには馴染みの薄い専門知識もまた、大司書たるザケリアスがお手伝いを……おや?」
 ワタシとて、ガラスを模したドアが開いたとき“その子”に気づかなかったわけではない。
 ドアのあいだから、常にヘイヴンホワイトへ保たれた天空が放つ、やさしくおぼろげな色に、きょうも筋雲のような痕跡が立ち上る。変わりない景色を認めたあと、透けて見えるパラディホムスたちを先に館内フィルビヴロへ通したくらいだ。
 そのあいだ、小さな白い影はまるで飼い主を待つ忠犬よろしく、正面入り口のド真ん中で微動だにしない。というわけで“到着”したてと判断したワタシは、先の口上を用意したのである。
 ついでに言うなら、膝の高さほどしかないその子を踏まないように、他のパラディホムスたちを誘導したのもワタシだ。“踏まれる”という感覚が過去の記憶に消えているデータ体たちは、不思議そうな顔をしながらも、中央に陣取った影を避けていってくれた。
 パラディホムスを見かけで判断してはいけない。とはいうものの、明らかに小柄すぎる乳白色の人影が何倍も背丈のある大人に踏まれる光景を見るのは、なんだかコア・コードがむずむずした。
「子どものパラディホムスはめずらしくありませんが、赤子となると数件しか記録にありませんねぇ」
 来館記録の書物を、お伽話の魔法使いさながらワタシが呼び出してめくるあいだも、赤子は口元に泡を立ててばぶばぶとやっている。
「失礼ですが……演技、ではありませんね?」
「ばぶう?」と首をかしげる赤子。これでワタシをからかっているとしたら、なかなかの好演である。
「フィルネットへアップロードされる際、言語をはじめとした基礎知識が付与インジェクションされるはずですが、なにかしら不具合があったのでしょうかねぇ。〈ゆりかご〉の連中プログラムもいい加減だ。リアルワールドでは絶えず改良が進んでいるというのに、やれやれです。貴方は担当者をおぼえて……はいはい【ばぶばぶ】ですね、わかっていますよ。おっしゃりたいことはさっぱりですが、担当者がわからないならクレームもつけられない」
 アップロード担当者が判明したところで、再インジェクションなどできはしないが、仮にも、人間の自己バックアップたる情報体の別天地・仮想空間フィルネットで最初を任せられたプログラムだ。もう少し、正確であってほしい。かつて人間プログラマーも時々いい加減な仕事をしていたというが、そういう部分は受け継がなくてもよかったのではないかとおもう。
 接触することもないプログラムの愚痴をトラッシュボックスへ放り込みつつ、ワタシは分厚い来館記録を閉じた。
「仕方ありません。時間はかかりますが、ワタシ、大司書のザケリアスが必要な知識を伝授しましょう。幸い、お互い“プログラムです”。時間はたっぷりある。……その前にひとつ、貴方のお名前を教えていただけますか」
「ばぶうっ?」
「……コホンッ。では、ワタシから最初の知識を。貴方をジョン・ハンコック名無しとお呼びしましょう」
 ジョンは不思議そうに首をかしげていたが、丸い顔が笑ったようにも見えた。

Ⅰ.『大司書、死を説いてカッとなる』

人が星の海原へ漕ぎだしてしばらく経つ。
 霊長類でしかなかったホモサピエンスがそこに至るまで、どのような道を辿ったのかは膨大な資料が物語っている。その歴史をなぞっていくには、パラディホムスであっても途方もない時間がかかるだろう。
 特筆すべき点は、人が“肉体を捨てきれなかった”ことだ。
 星間航行には躊躇なくプログラムを送り出しても、意識のバックアッププログラムをネットワーク上で生かすことにはいささか、気持ちが悪い。人たらしめるわたしを、ほぼ完全な形で制限なき世界ヴァーチャルへ解き放つ技術を手に入れた人は結局、予備バックアップという名目で自らの分身を作り出すに留まった。
 当然、「分身パラディホムスは人か?」という問いへ突き当たった人間は、この挑戦を放棄。結果的に人間は、ヴァーチャルへの道すら一方向に制し、二つの世界が隔てられて久しい。
「……と、ここまでが貴方がた人の大まかな概歴です。もちろん、実際にはより濃いのですが」
『人類史・MMMCXXI~ゆりかごからの巣立ち~』の背表紙をスーッと撫で、煉瓦なみに厚い書のページを閉じる。ワタシが編纂した書物はだいたい、厚い。
 今度は逆方向、本の“地”から“天”に添って背表紙をたどると、百科事典よろしく重厚な造りの本が細かい立方体に分解。折りたたまれていった先で空間に開いた青い線へ収納、天井へと吸い込まれていく。
「ふぅ〜ん」と隣から素っ気ない声がした。聞いていないようで、実のところ、しっかり頭に入れていることに気づいたのは最近だ。
「ねぇねぇ、ホモサピってなぁに、ザック?」
「生物種としての人間をかつて指していた言葉です。それよりジョン。記憶領域と出入力に限度がない以上、貴方にはなるべく正式名称フルネームを使っていただきたいのですが」
「いいじゃん。響きがたのしいもん。ザックだって、『ジョン』ってよぶし」
 ケラケラと、屈託のない笑顔で言ってのけるのは乳白色の人影。人格の多重化についてはまだ話していないから、ジョンの言葉は本心だ。吸収と“返し”の早さには恐れ入る。
「ワタシは貴方を一人の人間としてみているからで……まあ、よいでしょう。もう音韻を感じとれるなら、字音の講義は必要なさそうですね」
 肩をすくめたワタシに、ジョンも同じ仕草を返す。
 ジョンとワタシは、フィルビヴロ図書館の読者スペースに腰を下ろしていた。館内の5-II-Dエリアに設けているスペースではあるものの、そもそもがデジタルの世界フィルネットなのだから、空間的概念は有って無いようなものである。ワタシがジョンに付きっきりでいられるのも、ワタシという存在が館内のどこからでもアクセスできるおかげだ。
 司書として他の来館者に応えつつ、外見上の変化に乏しいパラディホムスへ訓示を垂れてみせる。
「いいですかジョン。言語の音階や韻を愉しむのは結構ですが、本質を理解する妨げになるかもしれません」
「ホンシツってなぁに? パンは小麦粉ってこと?」
 階段に腰かけたジョンが短い脚をブラブラさせて首をかしげた。
 いささか偏っている可能性はあるが、ジョンはすでに基礎知識を吸収している。その時点で、たいがいのパラディホムスは外見を“大人っぽく“するものだ。一部、好んで幼児体型を維持する者を除いては、リアルワールドの肉体か、理想としていた体型に近寄る。
 ジョンの場合は、肉体アップロードの初期に手違いがあったようなので、“あちら”の記憶をほとんど持ち合わせていない。そのことが体の変化と関係しているかもしれなかった。
「小麦粉は構成物。パンの本質は“食べ物としてのパン”。食することのできないパンは、材質によりけりですが玩具であったり、それこそこのような……」
 ワタシが手のひらを上へ向けると、焼き窯から出してきたばかりのような、バターの艶が美しいクロワッサンが出現した。香味情報を付加すれば、食欲をそそる香りでも漂ってきそうだ。
「視覚情報のまとまりであらわすことも可能です。もっとも、ワタシたちには本質的に不必要なものといえますが……ジョン?!」
 ワタシの手からパッとクロワッサンをくすね、ジョンが口へ突っ込む。もちろん、データの集まりであるパラディホムスジョンが同じ、コードで形成されたマスイメージクロワッサンを取り込んだところで人間よろしく、窒息することはない。
「ぐっぷ……ザック、味しないよ? 食サン食品サンプルこれ?」
 丁寧にゲップまでしてみせたジョンが頬を膨らます。
「ジョン・ハンコック」
 背筋を伸ばし、フルネームで呼んだワタシへ露骨に眉をひそめる幼いパラディホムス。気づかない振りをしつつ、ワタシは話題を変えることにした。
「〈アグネィル〉について話したことをおぼえていますか」
 まだ早いと考えていたが、ここは一つ、灸を据える必要があるかもしれない。
「うん。ザックとおなじ、純粋プログラムで、パラディホムスのダウンロードを担ってるんだよね。アップロードは〈ゆりかご〉でだっけ。“あっち”でバックアップのパラディホムスが必要になったら、こっちで〈アグネィル〉が掻っ払いにくる。とっても高度なプログラムで、仕組みを理解できる者はほとんどいない。ザックにもわからないんだよね?」
 スラスラと知識を披露するジョン。丸暗記かとおもえば、関連した項目を引き合いに出すあたり、ちゃんと自分で思考しているようだ。いちいちワタシを比較対象にするのは偏りが出そうでやめてほしいが。
「そのとおり」とうなずいて続ける。
「彼らのプログラムは、ワタシにもほとんど理解できません。しかし、わかることもあります。〈アグネィル〉はフィルネットにおいて消滅の象徴。貴方がたにとって、まぎれもない“死”そのものなのです」
「……死?」
 幼いパラディホムスがまたしても首をかしげた。死の概念は、パラディホムスにとって知識の断片でしかない。“そういうものである”程度にしか考えられないのだ。
 もはや知る術はないが、自己憐憫からか、解放の証としたかったからなのか、人はパラディホムスから“死への恐怖”を取り除いた。生物種には当たり前の恐怖を持たないパラディホムスが〈楽園の人Paradihomines〉と名づけられたことに、思い当たる当人はほとんどいない。
「ええ。死とは、いなくなるということです。ここから完全に消えてしまう。ジョンという貴方は跡形もなく……」
「だからなぁに?」
「なにって……」
 言葉が出ないワタシに代わって、幼いパラディホムスが当たり前だとばかりに言葉を重ねる。
「ザックの言うぶんだと、人間の本質ってしんじゃうんでしょ」
 パラディホムスに死への恐怖はない。ジョンの反応は自然だ。なのになぜか、ひどくコア・コードがざわつく。ジョンの元を訪れる御迎えアグネィルが勝手に思い浮かび、ワタシの思考はパラドクスに陥りそうになる。
 そんなワタシを見つめ返してくる瞳の輪郭は、まだまだ描写が荒い。
「パラディホムスだってしぬんなら一緒じゃん? まえにザックが『ジョンの本質はジョンです』って言ってたけど、おんなじくらいロジカルじゃないよ」
「たしかに長らく、人は死を受け入れてきました。ですが、そのことと貴方の死は別問題ですよ。ジョンはジョン以外の何者でもない。同じように自明なのです」
「どうして? なんでザックは言いきれるの? 『ジョン』だって仮名かめいじゃん。ザックになにがわかるわけ? 知の蒐集者ってよばれてるから、自明にすりゃ考えなくて済むってカラクリ?」
「考えないという選択肢はワタシにはありません。ジョン、理論を突き詰めると、おのずと答えがわかるときもあります。『悟り』と定義されることもありましたが、いずれ貴方も……」
 説明を試みるワタシにジョンが頭を抱える。
「あ〜もうわかんないなぁ。自分が知りたいってのに悟りに自明ってなんだよ。いっそ、〈アグネィル〉にリアルワールドへ……」
「いけませんっ、ジョンっ!!」
 ワタシは突っ立って声を張り上げていた。
 館内が一瞬、“静止”し、絶え間なく変化するコードの世界にわずかな空白ラグが訪れる。フィルビヴロという空間を構成する素材コードが、ワタシがコア・コードを昂ぶらせたせいで刹那、処理落ちしたのだ。
「待ってくださいジョン……!」
 ジョンの輪郭がたちまち、すっと薄れる。フワフワと漂い、同系色の仮想書架のあいだに消えてしまった。
「ああ……ワタシはまったく。またあの子を怒鳴ってしまった」
 自己嫌悪と館内への謝罪を同時進行させつつ、ワタシは手で顔を覆う。
 パラディホムスの気配を察したのはそのときだ。
「お隣よろしいかしら、大司書どの?」
「おや……。ミズ・メアリー」
 純白のふっくらしたスカートがワタシの前に立っていた。

Ⅱ.『大司書、先輩ママに諭される』
 
「親たる者、そうそう頭を抱えてはなりませんわよ」
 とは、先までジョンの座っていたワタシの横へ、スカートをつまみあげて腰かけたミズ・メアリーの開口一番である。相席の許可を求めたり、データ生地の裾を気にしたりと、凛とした口ぶりはまさに貴婦人だ。
 叱られているようだと感じつつ、微苦笑を返す。
「またご覧になられていましたか。知の殿堂の大司書とはいえ、親にはなれないものです」
「あら、そうでしょうか? 自覚の問題ではありませんこと?」
 濃淡のコントラストであらわされる夫人ミズの、くっきりした灰色の眉がつり上がる。
「わたくしが存じあげているかぎり、『純粋なプログラムは親とみなされない』などという定理も定義も規律モラルも存在しませんわ。いかがです、知の蒐集者ザケリアスどの?」
 挑戦的な吊り目で見つめてくるミズ・メアリー。肉体では視覚情報を司った感覚器も、情報体には飾りに過ぎない。にもかかわらず、彼女の瞳からは少しの怒りと呆れ、それに揺るぎない誇りがにじみ出ていた。
「ミズ、そうワタシを焚きつけることはありません。貴方が子どもたちの母親“であった”ことは知っていますし、そんな貴方からみて、ワタシのジョンに対する言動はいささか鼻持ちならないかもしれませんが……」
「いまも“母親”ですわっ!」
 キッと、甲高い声がワタシの思考を駆け巡った。座り直した貴婦人は間違いなく怒っているが、真隣のワタシにだけ声を“響かせる”あたり、ワタシとは格が違う。館内のパラディホムスたちが気にする素振りもない。
あちらリアルワールドのわたくしだって、きっと……いまも子どもたちに囲まれていますわよ」
 途中から尻すぼみになっていくミズ・メアリーから微かな“ゆらぎ”を感じた。落とした視線に自信のなさがあらわれている。
 ミズ・メアリーはかなり古参のパラディホムスだ。この社会フィルネットが芽吹いたすぐあと住人になった。
 フィルネットが花開いたばかりの頃は、まだ、リアルワールドとの交流も盛んだった。人間たちは好んで、こちらにアップロードした自分の分身パラディホムスとコミュニケーションを取り、相互に知識や経験を共有した。
 ミズ・メアリーもまた、リアルワールドの彼女と、その子どもや孫たちと、人類の新しい到達点に胸を膨らませていたに違いない。
「傷つけてしまったことをお詫びします、ミズ・メアリー。そのようなつもりはありませんでしたが、司書たるプログラム、言葉を吟味すべきでした」
 頭を下げたワタシにミズ・メアリーが小さく息をもらす。
「いえ」
 彼女は本当に、人間らしい。ずいぶん長いつき合いになるが、ミズの立ち振る舞いは変わらない。もっとも、ワタシがそうおもっていると知れば、また眉をひそめられそうなので黙っているが。
「あなたらしいですわね」
 階段の体を少しずらしつつ、白い貴婦人が言葉を続ける。今度は、呆れ半分に安堵しているような柔らかい声音だった。
「よろしいですわ、マスター・ザケリアス。謝罪をお受けします。それより、あの子となにを言いあっていたのです?」
「それは……」
 礼儀としてワタシも、ジョンとの一件を言葉で打ち明けた。
 ミズ・メアリーも死の恐怖を取り除かれたパラディホムスには変わらない。しかし彼女は、リアルワールドとの交流があった。多くの“死”を見取ってきた経験は、悲しみの蓄積に他ならないものの、貴婦人を、死を理解できる数少ない強いパラディホムスにした。
「子どもの成長は早いですわね」
 聞き終えたミズ・メアリーが楽しそうに喉をならす。
「共感はしますが、笑いごとではありませんよミズ? ジョンは、進んで崖から飛び降りようと言ったのです」
「ごめんなさい。でもそれは、大げさじゃないかしら?」
 眉をひそめてみせたワタシを宥めるように、貴婦人がそっと指を立てた。
「あの子は、自分が何者であるのかを知りたいだけなのでしょう。哲学的にも、現実問題としても、ね。だれしも一度は疑問におもうものです……記憶がないなら、なおさらでしょうね」
「ワタシは思ったことありませんが」
 大真面目に答えたワタシを、貴婦人は上品に笑って「でしょうね。あなたは成長しませんもの!」と目元を拭ってみせた。
 ミズ・メアリーの言う“成長しない”は的を射ている。司書プログラムとして設計されたワタシは知識を増やせるが、“自分の一部”とはならない。
 いわば、建物と生き物の違いのようなものだ。摩天楼は高く、どこまでも積み上がるが、それを成長とは言わない。成長とは、経験を糧に自らを“変化させ続ける”ことである。
「そうか……! それなら可能かもしれない!」
 唐突に膝を打ったワタシを貴婦人が怪訝な目で見ている。
「変化を大きくすればいいんです! そうすれば彼らの判断をくぐり抜けられるかもしれません」
「すこし落ち着いてくださいな、大司書どの。その名案をわたくしにも説明していただけないかしら」
「これは失礼。つまり、こういうことです……」
 貴婦人の耳元へ口を寄せ、秘め事を伝えるように声を潜める。薔薇の香りさえ漂いそうだ。動作のすべては“ごっこ遊び”に等しくても、ワタシのコア・コードは期待に脈打っていた。
「……いかがです? このオペレーションなら成功の余地はあるかと」
 意外にも、ワタシの“作戦”を聞いたミズ・メアリーの反応は懐疑的だった。
「画期的だとはおもいますわ。ただ、それほどうまくいくでしょうか……。プログラム〈アグネィル〉の判定に“迷い”はありませんもの」
 貴婦人の言うとおり、極限まで特化したプログラムは逡巡などしない。ワタシは何度となく、気配の察知と同時に来館者が消える現場を経験してきた。
 それは憂いの表情を浮かべたミズ・メアリーも変わらない。

*   *   *

ジョンと出会った後、ワタシは真っ先にミズ・メアリーへ相談をもちかけた。彼女が幼い体格のパラディホムス(見せかけかもしれないが)と館内をまわっている姿に度々、出くわしていたからだ。
 いきさつを打ち明け、ジョンは「パラディホムスよりも人間の赤子にちかい」と言ったところ、このときも貴婦人は朗らかに笑っていた。ワタシが冗談を言ったとおもわれたらしい。
 ミズ・メアリーは考え込むように沈黙したあと、一つの可能性を口にした。
その子ジョンはもしかすると、先天的になにかの……苦痛を持っていたのかもしれませんわ」
「苦痛、ですか? 痛がっているような素振りは見えませんでしたが」
 ワタシをキッと睨んでから貴婦人は、「あなたなら不具合バグとでもおっしゃいそうなものですわ」とそっぽを向く。
「しかし、それならこちらフィルネットへ来る際に調整が施されているはずです……ああ」
 ひとり合点したワタシに、白い影のティアラがうなずいた。
「おっしゃっていたでしょう? 『ジョンはアップロードの時点で手違いがあった』と。まったく腹立たしいですわね。あのような幼子おさなごこそ、意識変換トランスコードに注意をはらわなければならないというのに」
「つまり、“元の肉体に先天的欠落があったことで”、“パラディホムスへそのまま受け継がれた”、ということですか。もしくは……」
「体側の意識がすでに目覚めない状態なのかもしれませんわね」
 引き取ったミズ・メアリーが淡々と続ける。白のオペラグローブをきつく握りしめていた。
 技術が進み、人はたいていの“不調“を克服できるようになった。意識を解析し、自己のバックアップを保存しておけるのだから、生化学的不調の調整くらい造作もない。だが依然として、発生初期の自己に関する知見はおどろくほど少ない。現世リアルワールドに生まれ出ながら、意識に目覚めない赤子は少なからずいるという。
 かつてであれば、親の取れる手段は無に等しかった。
 しかし今、フィルネットという縋りつくことのできる世界バックアップがある。この世界にわが子の意識をバックアップしておけば、あるいはいつか、と一筋の願いを込めて。
「それならなおのこと、ジョンには貴方のような母親がついてあげるべきでは……」
「お断りしますわ」
 あまりにも呆気ない返事だった。
「ザケリアスどの。わたくしたちの推測したとおりなら、その子はたいへん、ぜい弱ですわ。なにをきっかけにプログラムが……いえ、存在そのものが不安定となるかわかりません。時が限られているのなら、その望みを叶えるのが最優先ではなくって?」
「……ジョンは、無限大の好奇心が姿を取ったようなパラディホムスです」
「でしたら決まりですわね。あなたの専門なのですから」
 足早に立ち去ろうとする貴婦人の後ろ姿をおもわず呼び止める。
「しかしミズ・メアリー! 子どもには母親の存在が必要であると、どの文献にも記述されていますよ!」
「わたくしにはもう……たくさんですわ」
 ミズの白磁の頬には透明な雫が流れていた。

*   *   *
 
「……あのとき、親しくしていたパラディホムスの子に“御迎え”がくることを察していたのですか」
 問いへ答えはない。だがワタシは知っている。貴婦人の悲しみがまた一つ増えたことを。
 記憶を辿っているあいだに貴婦人はいとまを取った。「うかうかしていると、置いてけぼりにされますよ」と優雅にカーテシーし、そのままデジタルの階段を一度も振りかえらずに降りていった。貴婦人の言うとおり、うかうかしてはいられない。
「さて、隠れんぼには少々、チートかもしれませんが……」
 読者スペースの階段から腰を上げ、無限にみえる整列した白亜の書架の前に立つ。その高さは見上げても端が見えないほどだ。もっとも、“天井らしい封もない”のだが。
 開けていても大差ない目を閉じ、両の手のひらを上に向ける。
「〈わが探せし物、差し出さん〉」
 合わせ鏡よろしく、書架が左右に分裂し、ワタシの両サイドを凄まじい速度で“通り過ぎていく”。その一瞬一瞬をスナップショットできたなら、途方もない数の書物が見えただろう。人類が蓄積したあらゆる知識を格納したデータベース、〈無限なる書架インフィニタム・ブックシェルフ〉は本館の自慢だ。
「〈止まれ〉」
 動く書架が止まり、ワタシの正面で左右のペアがアコーディオンのように畳まれていく。そこにはワタシが先ほど立っていた書架とは別のスノーホワイト書架がそびえていた。
 近づいて下の段から数冊を引き抜き、努めて明るく呼びかける。
「やあ、ジョン」
 綿あめのようなぼぅっとした小さな影がプイッと、そっぽを向いた。まだ怒っているらしい。
「めぼしい本はありましたか」
「……わかんないよ。おおすぎるんだもん」
 そう言ってさらに膨れるジョン。どの本も好奇心をそそられるのだろうが、どこから手を付けたらいいのかわからなかったのだろう。
「たしかに。ここは知のアーカイヴズですから。……よければ、このザケリアスが案内します」
 ワタシが手を差し出すと、むっくりした白い影が一本の筋を、腕を無造作に載せてくる。熱の感知など必要ないはずなのに、じんわりと温かさを感じる。
「それとジョン。さっきは怒鳴ってすみませんでした」
「……うん。かくれてごめん」
 いいですよ、とうなずいたワタシを輪郭の定まらない顔が見上げる。
「何度でも探しだしますから」
 そう言うと、握り返してくる温かさを感じた。

Ⅲ.『大司書、親の気持ちを知る』
 
「……並行宇宙における多弦論の四次元的解釈にもとづいて、亜時空間跳躍リープの基礎理論が確立されたんでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、超次元理学のパラドクスは、とっくに解消したってこと?」
「近傍次元において、という限定はつきますが、おおかたの次元学者は見解を一致させています」
「それが四半世紀まえだっけ。半世紀が五十年でフィルネットでいうと、ええ~っと……」
「ジョン、時間の換算にはこちらの資料を。そのうち慣れてくるでしょうが、換算するより、異なる時間尺スケールをおもい浮かべると楽です」
 宙をなぞり、裂け目のような線分から目当ての書物を引っ張り出す。ジョンへ渡すや否や、『What is the TIME?』と表紙に書かれた革装丁の本が白いボディに“吸い込まれていった”。
「サンキュ、ザック。ふぅーん、フィルネットの時間ってホント、一瞬なんだ」
 独り言をこぼしつつ、すかさずジョンが脇へ放る仕草をしてみせる。
 すると、ボディに吸い込まれた本が、無重力下のようにワタシとジョンのあいだで漂った。わざわざ書物の形を取らせたデータベースは、半分がデジタルノイズに還元され、バグに侵食されたようになってしまっている。
 ジョンのまわりには、そんな具合に“読み散らかした“データ群が無数に舞っている。
「ジョン、いくらすべてビットに過ぎないからといって、格納くらい自力でしましょう。ブックシェルフへのもどし方は前にいいましたよね」
「うん、あとでー。まとめてやるー」
 気だるそうに言いながらジョンがコイントスするような仕草で次々、データベースから目的の情報を引き出しては、ポイ捨てしている。デジタル空間が“散らかって“も実害はないが、視覚的に乱雑なのは落ち着かない。
「……リアルワールドの親御さんには感服します」
 散らかった本の残骸を片づけていると、ワタシの言葉が聞こえたのか、ジョンがぼそっと尋ねてきた。
「あのさ、ザック。親って……どういう感じなの?」
 平然を装っているが、先から同じ本ばかり出し入れしている。特に関心がある質問のときの癖だ。
 ワタシは気づかないフリをして、「“感じ“、とは? 質感のことですか」と返す。故意ではなかったが、ジョンは苛立ったときのジェスチャーで髪(古典雑誌から“引用”したというモヒカン)をガシガシ搔き、「ちがうってばザック! なんでそこ、テクスチャのことになるんだよっ」と語気を荒げる。
「問いの厳格化は重要です。適切な回答に不可欠ですから。それと、ワタシをそう呼ぶのは……」
「あ゛あ゛~もうぅ! めんどくさいなぁ。そうじゃないだろ~」
「なぜ、そういらだっているのです? ワタシに聞くのが手間なら、自分で探したらどうですか?」
「検索してわかるんならいちいち聞いたりしない……」
 立ち上がりかけ、ジョンが唐突に言葉を切る。苛立ちの表情が一瞬にして険しいものへ変わった。
「……ザック。いまのって悲鳴だよね?」
 怒りが特定の方向に向いている。図書館で過ごすうち、ジョンにも館内の状況が直感的に感じ取れるようになったのだろう。方向は間違っていない。
「ええ……ミズ・メアリーですね」
 ジョンにはそこまでわからなかったろうが、司書プログラムは“館内のどこにでも存在する”。ワタシには貴婦人ミズ・メアリーの甲高い叫び声と、ほぼ同時にフィルビヴロへ“出現”した存在も感じ取っていた。
「ジョンはここにいてくださ……ジョンっ!?」
 気を取られたわずかなあいだにジョンは姿を消していた。
「やれやれ。好奇心は猫を殺めるといいますよ」
 古代のことわざをすぐに打ち消し、ずいぶん大きくなった人影をトレースする。
 断続的な“跳躍”が現場へ向かっているのを感じ取りつつ、ワタシも目的地をおもい浮かべた。
 
「メアリーさんっ!」
 倒れ伏している灰色がかったパラディホムスの横にジョンがしゃがんでいた。
 情報体の輪郭に“ゆらぎ”とブロックノイズがみられるものの、パラディホムスとしての波長は間違いなくミズ・メアリーだ。彼女の状態は軽いフリーズで、失神しているようなものである。ショックは大きかっただろうが、パラディホムスとしての存在に問題はない。
「リジェクションの余波ですか」
 貴婦人の診断を終え、これで幾度目になるかわからない無力感をコア・コードに抑える。リジェクションされたパラディホムスに他パラディホムスができることはほぼなく、自己修復機構の処置を見守るくらいしかない。
 世界フィルネットに、より自己を溶けこませている情報体ならば、怪我の程度は軽かったかもしれない。あるいは、フィルネットで唯一、情報体に対して〈拒絶〉権限が与えられている“連行官“へ抵抗しなければ、負傷することもなかったかもしれない。
「……あんたかっ!」
 ボディに紫電をほとばしらせて怒りを表現する若者を、本人にだけ聞こえる通信で制す。
(落ち着いてください、ジョン)
 同時にミズ・メアリーを〈拒絶〉した、鏡面張りの三方二十面体カタランの立体へ問いかけた。
「フィルビヴロへようこそ、〈アグネィル〉」
 トゲを生やしたサイコロのようなプログラムは応えない。ゆったりと回転しながら、宙に浮いている。
(なぜすぐ立ち去らない……?)
「司書ごときが僭越ながら申し上げますが……このところ、ご来館の頻度が高いかと」
 無反応な立体キューブに構わず、苦情を口にする。会話できる相手ではないし、できたとしても機械的な命令文しか言わないだろう。
「つい数分前……いや、これは“人間的”でしたね? われわれなら、七千八百八十四ティック前と表現すべきでしょうか? 本館から来館者パラディホムスを御召しになっている。そこからまだ、百二十八ティックも経っていない。リアルワールドが天変地異カタストロフィにでも見舞われたのですか?」
(ならいまが、チャンスか)
 ワタシは理由探しから時間稼ぎにリソースを切り替える。明確な問いかけダミーを提示し続けることで〈アグネィル〉を足止めし、留まっているあいだに中枢コア・コードへアクセスを仕掛けて情報を覗き見る。
(やはり……っ!)
 案の定、断片的に取得できた〈アグネィル〉のデータには、見知った情報体が囚われていた。余所で特定したのだろうワタシの知らない情報体も混じっていたが、データの牢獄に隔離されている一人は、ミズ・メアリーと館内を巡っていた幼児体型のパラディホムスだった。ミズ・メアリーはこの情報体を〈アグネィル〉に連れて行かれたときに“抵抗“したのだろう。彼らアグネィルは容赦を知らない。
「いやいや、こちらフィルネットから頻繁にバックアップ情報体を引き抜かざるを得ない事態など、そうそう起きては困る、でしょう? 何といってもリアルワールドの人間にとって、情報体のダウンロードは……最後の手段Last Resortですからね?」
 口では余裕を装っているが、浮遊し続けるキューブに、あらゆるネガティヴな展開がワタシの思考を離れない。それらを否定すべく、ワタシはフィルネットにおいて絶対権を持つプログラムの内部を覗いていった。
 この世界の〈プログラム同士の改竄を禁ずる〉というルールのおかげで、覗き見る“だけ”なら問題ない。意識の特定・転送を担うという高度なプログラムとはいえ、所詮、プログラム。特化しているぶん、付け入る隙は多い。
(リストには……ダメだ。わからない。仮名かめいのうちは自己が定まらないということか)
 目当ての名簿はすぐ見つかった。だが内容がさっぱりわからない。
 おびただしい数の羅列は不正確な固有名なまえに代わり、データ世界における個を特定し、再定義する一連の情報で埋め尽くされている。複雑怪奇な多重式はワタシの知らない未知の素子も多く、個としての意識を定義付ける難しさを示している。
 自己の“不確定性”を強調するように刻々と変化するパラメータが、ワタシには紐解こうと躍起になる人間マシンをあざ笑っているようにみえた。
(なにしてるの、ザック?)
 象形文字ヒエログリフを高速で“手話“しながら、ジョンが沈黙しているワタシに意図を尋ねてくる。〈アグネィル〉にはビットの“ゆらぎ”にしか見えない古代文字を視覚的に表現して意志の疎通を図る。なかなか妙案だ。
(情報収集です。君は彼女と離れなさい)
 楔形文字を宙に描いて返し、ジョンをこの場から退かそうとするが、思い詰めた表情をした情報体は動こうとしない。
 決意の無言に、ワタシの思考が嫌な予感シミュレートを告げる。
「あんたたちは、あっちの世界を知っているな?」
 若き情報体が自らの姿を反射したキューブをまっすぐ、“見すえた”。
おれたち人間が非可逆性のダメージかなんかを負ったから、予備パラディホムスを引ったてにきたんだろう? あっちの世界から命じられてきた、っていうほうが正しいか。だったら……」
(……っ!? やめなさいっ!!)
 ジョンの意図を察し、ワタシは〈アグネィル〉とのあいだに割って入ろうとする。
「“おれはだれなんだ?”」
 ワタシにとって位置関係が意味を成さないのと同じように、ジョンもまた自分の“立ち位置”を変えるくらい造作もない。ワタシをするりと躱し、ジョンは指向性のない多面体に向きあっていた。
「答えろ、〈アグネィル〉」
 浮遊立体はやはり応えない。回転する幾多の面が万華鏡のように、いまだ雷光を纏わす情報体を映す。
「彼らとの意思疎通はできませんよ。こちらの言葉を理解しているかさえ、怪しいのですから」
 焦りを見せないよう、さりげなくジョンの注意を引く。傍らでは、ノイズの減り始めたミズ・メアリーが徐々に整合性を取り戻し始めていた。
「……うそだな、ザック」
「虚偽ではありません。〈アグネィル〉の記録なら君も……」
「いや、あいつらのことじゃない。……おれのことだ。なにか隠してるだろ」
 淡々と否定する言葉は怒りより、失望のほうが大きい。かすかな自信と達成感も伝わってくる。
「それは……」
 ジョンの成長を加速させることで〈アグネィル〉を欺く。この作戦を秘密にしたつもりはない。
 だが、本人に言うこともなかったのだから、非難は甘んじるべきだ。
「おかしいとはおもってた。いくらザックがいるからって、いちパラディホムスに“図書館のほぼ全権”、貸すかよ」
「……バレていましたか。手っ取り早く効率的だとおもいまして」
 当然だ、とばかりにジョンが鼻をならす。
 “司書権限の一時的かつ一部貸与”。それによってジョンは、ほとんどのデータベースにアクセスし、飽くなき好奇心をとことん満たすことができる。ワタシは時折、助言するだけでいい。
 われながら妙案だとおもったものの、若きパラディホムスはもっともな疑問で顔を曇らせた。
「ならどうして、来館記録ログだけアクセスできないんだザック。おれの権限じゃ、弾かれたよ」
「逆に尋ねますが、ではなぜ、ログにそこまでこだわるのです?」
「〈アグネィル〉にも言ったろ。おれは自分が知りたい」
 ワタシを見すえる目は真剣だ。はぐらかしはもう、許されない。
「いいでしょう。ただ、貴方の求める“答え”にはならないかもしれませんが」
 そう前置きし、ジョンの目を見つめ返した。
「似たような事例は過去、あったと言ったのはおぼえていますね」
「ああ」と肯定の意を伝えるジョン。すぐには問いに答えないワタシを辛抱強く待っている。
(我慢をおぼえましたか……成長しましたね)
「シンプルなことですよ。過去の新生児パラディホムスたちはいずれも、まもなく“召されていました”」
「……こいつらに連れていかれたのか?」と目で〈アグネィル〉を指すジョン。連行官は“不敬”を知らないようだ。
「ええ。おそらく、その子らはリアルワールドで生まれた際に脳へ、なにかしらの修復不可な“苦痛”を負ったのでしょう。子らの親は、一縷の望みをバックアップに賭してオリジナルの意識をアップロードさせたのでしょうね。もしくは、せめて別の世界フィルネットで生きてほしいと願ったのかもしれません。……どちらにせよ、代わりはみつかったということですが」
「代換の肉体か、新しい子どもが生まれたのか。それで、かつてのパラディホムスをダウンロードしにきたってわけか」
 仮想フィルネット現実リアルワールドの流れる時間には差がある。一概に後者が遅い時代は過ぎ去ったが、双方の差異は、複雑に絡まり合いながらも隔たりは埋まることがない。
 人間は時を超えてなお、失ったものを探す。
 そして取り戻す手段があるならば、行使をためらわない。
「バックアップだろうと、あの子らは間違いなく“ここ”にいたのです。そして笑っていました。……ですからワタシはおもったのですよ、“勝手に連れていってくれるな”と」
 パラディホムスは自分の役割バックアップを心得ている。ワタシプログラムなどよっぽど、自分の使命をわきまえている。
 だからといって、彼らは同時に、人でもあるのだ。
 捨てきれない希望を抱え、〈アグネィル〉に連行される最期にみせる彼らの表情を、ワタシは忘れられなかった。
「だからワタシは策を練ったのです。リアルワールドでの自己と、判別がつかなくなるほどに“成長”したパラディホムスなら、もはや〈御迎え〉に見つからないのではないか、とね。記憶をなくした君は、実験にぴったりでした」
 タネ明かしは終わり、とばかりに両手を挙げたワタシに、ジョンは考え込むように眉をひそめている。波長の“ゆらぎ”が驚きを示していた。
 だが意外にも、「納得」の安堵感が若きパラディホムスからにじみ出ていく。
「“オペレーション“ってそういうことか。てっきり、おれの記憶をもどす手だてでも探しているのかとおもってたよ」
「聞かれていましたか。大人の会話を盗み聞きするものではない、と言ったはずですが?」
「もう子どもじゃない」
 キッと睨みつけるジョン。その足元からノイズ混じりの声が上がる。
「……いいえ……まだまだ、お子ちゃま……ですわよ」
「メアリーさんっ!?」
 ミズ・メアリーの輪郭はまだ不安定で、普段の姿形を取ることができない。それでも、ぼんやりと人型を取った貴婦人が絶え絶えの声で続ける。
「大人なら……親に心配をかけないようにするのではありませんこと……?」
「えっへへ……耳が痛いなぁ」
 さすがミズ・メアリー。二言三言で若者ティーンを諭してみせるとは。
「では、〈アグネィル〉」
 ワタシは多面体に思考のベクトルを向け、やんわりと退館を促した。
「ご用がお済みならお引き取りを」
「待ってくれ!」
 “声”が、〈アグネィル〉のフルネームをよんだ。
「〈ヒト自己情報回収ルーチン〉、聞きたいことは終わっちゃいない」
 その声は緊張し、硬さがありながら、意志をそのまま言葉にしたようにゆるぎない。
 いつの間にかミズ・メアリーの傍を離れた声の主は、この世界で唯一、“消滅”の権限を与えられた存在と向かいあっていた。
「ジョン……っ?!」
 立ち尽くすワタシの前で若きパラディホムスが堂々と、自らの一部コード権化アグネィルへと差し出す。
「パラディホムスとして問う。おれはだれだ?」
 ジョンの指先が粒子状に解け、二本のノイズが螺旋状に絡み合いながら、〈アグネィル〉へ吸い込まれていく。まるでそのままキューブに取り込まれてしまいそうな光景に、ワタシは怒りを口にせずにいられない。
「なぜですっ、ジョン!? 貴方は貴方だ! ワタシが保証します。それともこのまま情報体として、いつまでも暮らしていくことが不満なのですか?……死の可能性を省みないほどに!」
「不満なんて、ないよザケリアス」
 どこまでも穏やかな声だった。
 初めてワタシを名前フルネームでよんだジョンの言葉は、声変わりの済んだ青年のようで、固有の面立ちなどないはずの顔は、いつからか「任せても大丈夫」と安心できるほどに大人びた笑顔を見せていた。
 少し困ったような笑顔のまま、ジョンがはっきりと首を横に振る。
「そういうことじゃないんだ。ここでの暮らしは好きだよ。でも、おれは自分が知りたいんだ。過去のこともどうだっていい。けれど、自分が“何者だったのか”を無視して生きていきたくはない」
 自分が何者かを知りたい。そう願う青年の姿と、覗き見た〈アグネィル〉のリストが被る。
 “ジョンはリストに載っている”。
 漠然と、しかし表現しようのない確信があった。この瞬間もジョンのコードを解析し続けている多面体は、そのコードを“召すべき対象“の変数へ当てはめている。
 結果はまもなく、否が応でも明かされるだろう。
「ですが、それでは貴方は……っ!」
「大司書どの」
 混乱したワタシの思考をジョンとは違う柔らかな声が包んだ。
「あの子は自分で選択したのです……なら、わたくしたちは見まもってやるのが務めですわ」
「……ミズ・メアリー」
 無意識に伸ばしていたワタシの腕を、白磁の手が支えていた。ノイズが残り、いまにも儚く消えそうな手だ。
「わたくし、間違っていましたわ……あの子は、けっして弱くはありませんでしたもの」
 手を離そうとしない貴婦人が誇らしさを伝えてくる。少し寂しさの混じる自慢だった。
「たしかに」
 貴婦人の手をワタシが握り返す。
「そうなのか!」
 いまや、くっきりと成人の形を取ったジョン。彼の驚愕の意味はわからない。
「おれは……“僕”はてっきり、あきらめられたのかとおもったよ」
 〈アグネィル〉との“つながり“は、もはや、雲の合間に差す光のように輝いている。まばゆいケーブルが双方を激しく往き来し、個人通信プライベートネットワークに他者が付け込む隙はない。
(ああ、貴方は本当の自分を、見つけたのですね……ジョン)
 彼の横顔は実にうれしそうだった。
 探していたものが予想より、素敵だったのだろう。もしかすると、反射したキューブに想い願った“己”の姿が写っていたのかもしれない。
 その笑顔は少しだけ、ワタシを安堵させてくれる類いではあった。
「ザケリアス……ありがとう」
 彼の唇が、笑顔が、存在がその言葉を伝える。
 直後、煌めく〈アグネィル〉共々、ジョンの波長は完全に消滅した。

エピローグ.『大司書、赤子を胸に抱く』

磨りガラス調でセットアップしたヴェール越しに、初夏の明るい日光がエントランスへ広大な陽だまりを投げかける。さながら屋外にいる錯覚は、熱量をいくらか遮断した、遙か頭上まで続くヴェールから青空が透けているせいもあるかもしれない。
 蒼穹のさらに向こうでは、十三の〈群月ムゲツ〉から大小さまざまな船が出航し、同時に旅を終えた船たちを出迎えている。
 程よくノイズが広がる館内にふっと、夏風が吹き込み、束の間の蝉しぐれが来館者を報せた。
「ザック!」
 陽だまりを小柄な人影が一直線に駆けてきた。ワタシは体を屈め、イワナシの淡い桃色の花を散りばめたワンピースを脇から抱え上げた。
「ようこそミス・リディア。できればワタシのことは、フルネームでよんで……」
「ねぇねぇザックきいてっ! わたしね、おねえちゃんになったの!」
 つやのあるブロンドが顔に掛かるのも構わず、腕の中でぴょんぴょんと跳ねながら彼女は鈴音のような声でまくし立てた。万が一にも落とさないよう、体勢の微調節をしつつ、「ついにですか! よかったですね。素敵な姉上になりますよ」と請け合う。
「こらこらリディー。図書館は駆け足厳禁だよ」
 “御包み”を大事そうに抱え、遅れて歩いてくる大きな人影に注意され、小さなレディが「はーい」と頬を膨らませる。腰に手を当てて話す仕草は淑女レディそのものだ。
「パパったら、いっつも心配性なんだから」
「ミス・リディア、貴方が親になったときには、きっと同じことを言うでしょうね」
 そんなことないもん、とコロコロ変わる表情に笑いかけ、ワタシより高くなった視線に目を合わせる。
機械の心コーディス・マキナから、限りない祝福を述べさせてください。おめでとう、ジョン」
「ありがとう、ザケリアス。この子もあなたに会わせることができてうれしいよ」
 臆せず感謝を口にする二児の親となった青年に、ワタシのほうが面映ゆくなってついと視線を彼の胸元に移した。ちょうど、純白のベビーブランケットの頭の高さに桜のブローチが揺れていた。
「……コホンッ。一番がんばったのはミズ・ドロシーですが」
 薄桃色の花冠へ祝いを伝えると、「『うれしいわザック』」と疲れの滲む声が返ってきた。
「相変わらずザケリアスはクラシックだなぁ。でもたしかにそうだ」と苦笑いする父親を聞き流し、桜のブローチへ軽く会釈する。
「まことにご苦労さまでした、ミズ。どうかよくお休みを」
「『ありがと。こんど皆でいくからね』」
「ご来館を心よりお待ちしております」
「さあ、リディー?」
 桜柄のブランケットを慎重に動かし、青年が愛娘をうながした。
「ザケリアスにきみの弟をみせてあげようか」
「うんっ」
 大きくうなずいた花柄のワンピースを降ろすと、青年がワタシに腕を差し出した。無言で“包み“を受け取り、合成マテリアルの胸に抱く。
「これはこれは。大司書機ザケリアスどのは、赤ちゃんの抱っこにも慣れたもんだ」
 赤子の父親が大げさに親指を立ててみせる。足元では、ミス・リディアがまったく同じようにサムズアップしていた。
 左腕と胸部でゆりかごを作り、ブランケットの縁をつまんで隠れた顔をそっと、覗かせる。

ワタシが赤子に触れるのは、これが初めてではない。
 ミス・リディアが生まれたときも、彼女の父親は真っ先にワタシの元を訪れた。繭に包まれた小さなその柔らかい体は、まるで太陽のように温かく、ふわっと、嗅覚センサーをくすぐった香りは春の花畑をおもわせた。
 赤子を腕に抱いたとき、ワタシは未知の思考パルスを感じたものだ。
 データベースレムビヴロにも定義がなかったので、ワタシは、『初めて出会ったことファーストコンタクトへの感謝』と、パルスを定義付けている。
 
「はじめまして。ようこそ……ジョージ・ハンコック」
「んまっ」
 かつてのだれかにそっくりな彼は、ブランケットの中であくびをしていた。

(完)

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