デス・ライダー

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梗 概

デス・ライダー

死の乗り手と呼ばれ怖れられる、呪われた不死の戦士アンブローズは、壊滅させた王国を離れ、女魔道士エウリディケと共に雪原を東方へ向かう旅の途上にあった。二人は、直径一里を超える円形の盆地(クレーター)に突き当たる。中心には砦と思しき小さな建物が見える。盆地を迂回するよりも横切った方が早いと判断し、二人は崖を降りて砦に向かう。

砦の近くに兵士達の凍死体を発見する。装備に滅ぼした王国の紋章。ここまで逃げて来たものがいたようだ。まだ息のある兵がいたが、正気を失っていて何も情報を得られない。アンブローズは兵を絞め殺し、生気を得る。彼はこの地方は初めてだが、エウリディケは大昔に来た事があった。以前は盆地ではなく、辺境を守護する立派な城砦があり街道が通っていたらしい。兵士はそれを目指していたのかもしれない。百年前に流星雨が大陸中に降り注いだ。ここはその時にできた盆地かも知れない。

二人は砦に到着し、誰も現れない門から侵入する。建物の中を進むと、巨大な金属質のムカデのような生き物が何匹も廊下を徘徊している。襲って来たので迎え撃ち、大剣で叩き斬るが生気を吸い取ることができない。自分の糧にならない異質な存在と知り、アンブローズは畏怖を覚える。
「こいつらは生きてない。死霊や妖魔とも異なる」
続いて人間らしいのが襲ってきたので薙ぎ払って倒すが、彼らも生きていない。倒した男の顔には刺青で文字らしきものが書かれているが読めない。

そこに城主と名乗る男が現れる。非礼を詫び、できる限りのもてなしをすると言う。彼の顔も、一面文字が書かれている。エウリディケは城主を誘惑し、寝室を共にする。翌朝、女魔道士は語る。城主の体は隅々まで文字が彫られていたので全て解読し、上書きした、その言葉で生を得たと。
「生ある存在になった。生まれたんだ。放っておくと繁殖する」
目覚めた城主が二人を襲う。アンブローズがデス・ボム(火薬を仕込んだ玉、つまり手榴弾のようなもの)を使い、抹殺する。飛び散った体の破片を喰らうと、確かに生気を得られた。

城主は何か大きな存在と情報的に繋がっていたとエウリディケ が言う。二人は砦の地下へ降る螺旋階段を発見する。やがて広い空洞に辿り着く。そこには宇宙から落下してきた隕石、〈石〉があった。これが、城主や他の存在と繋がり、制御していた。そして、今や〈石〉も「生きて」いた。
「女魔道士の言葉に我らは感染した。生まれてみて分かった。これは、厄災だ。そして死だ」
「そうだ、俺が死を早めてやる」
〈石〉は金属質の触手を何本も伸ばし、炎を放ち、分裂して襲い掛かってくる。アンブローズは背嚢にあるだけのデス・ボムを投げつけ、大剣を振るい、急所を発見してとどめを刺す。

百年前の流星雨では、この地だけでなく、大陸中に多数の〈石〉が落下していただろう。今年は、久々に流星雨が活発だ。アンブローズとエウリディケの旅は続く。

文字数:1194

内容に関するアピール

剣と魔法の世界に宇宙から〈石〉が降ってきて、人間たちと戦う物語です。直球のヒロイック・ファンタシイです。生を奪い死を与えることで生き永らえる呪われた戦士と、生命を作り出す能力を持つ女魔道士が、宇宙から飛来した生と無縁の自動機械群と出会う、生命ある存在と非生命的存在の接触をファースト・コンタクトの題材として選びました。

生死と無縁の存在に死を与えるためにどう戦うか、という物語です。

身体中に刺青の文字が彫られた人間もどきは、文字で駆動するゴーレムのようでもあり、文字で全身のセキュリティを高めた耳なし芳一のようでもあります。皮膚全体を覆う文字列が、プログラムの、ソースコードの表現となっています。彼らには表面だけがあり、自動的に動いているだけで人間心理のような内面は存在しません。だから、表面にコードが書かれているのです。

文字数:360

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〈死の王・アンブローズ〉雪原の魔界

   1.

巨大な雪狼の群れに引かれた橇が、地平線まで広がる雪原を進んでいた。上空は奇蹟のように雲が去り、灰青色の空が広がる。南に低く輝く太陽の光が、どこまでも白い大地に反射していた。しかし、安全に移動できる昼は短い。橇は先を急ぐように進んでいる。その上には、多くの荷物が積まれ、二人の人間が乗っていた。
 二人は縦に並んで座り、前に座っている者が雪狼を御している。頭巾を深く被り、口元を隠し、毛皮の防寒具に着ぶくれた二人は体格も性別も一見不明であったが、御者の肉体の大きさ、逞しさは、隠しようもなかった。間違いなく、男の肉体だ。
 一方、後ろの一段高くなった座席に座すものは一回り小さく見える。その者が立ち上がり、頭巾を跳ね上げて遠くを見つめた。長い黒髪が後方に吹かれ風に舞う。疾走する橇の上でふらつく事なく、背筋を伸ばした姿勢でマスクを下げて御者の男に叫んだ。
「アンブローズ! 前方で雪原が途切れている。急な下り斜面か――いや、崖かも知れん。あと半刻ほどで着くぞ」
 女の声だ。
「斥候は飛ばせるか? エウリディケ!」
 アンブローズと呼ばれた男は、前方に向けた顔を動かさずに、後ろの女、エウリディケに訊いた。
 エウリディケは両手を外套の腹のポケットに入れ、七色の毛に包まれた球を取り出し、左右の手に持った。口元に球を近づけると、低い声で何かを言い聞かせるように囁く。両手を広げると、左右の手から同時に空へ放り投げた。球はすぐに翼を広げると七色の両翼と尾をきらめかせ、前方へ飛んでいった。

大陸の西南部、自らを〈文明圏〉と称する諸王国が栄える一帯では、〈死の王〉アンブローズと、女魔道士エウリディケの名は広く知れ渡り、怖れられ、憎まれていた。二人はグリッツ・ヴェンデの包囲戦に参加し、意気投合し、王国を壊滅させ、ついでに味方の軍勢の生存兵一個中隊を見殺しにし、敗残兵の追跡を返り討ちにした上で、北上し、さらに東方へ向かう旅の途上にあった。
 夏なお永久凍土が残る地に版図を広げるヴァルティアへの旅は、白夜の夏であっても〈文明圏〉の人間が望まぬ旅の一つである。まして長い夜と短い昼、吹雪と氷魔の危険に身をさらす酔狂なものは中々いない。しかし、不死とも噂される戦士アンブローズと、あらゆる技を極めたと女と怖れられる魔道師エウリディケはまったく意に介さずに、雪狼の橇を仕立てて雪原を進んでいた。

北の大地の冬である、瞬く間に太陽は低く傾く。空の色が変わる頃、平らな雪原が登り斜面になり、そして途切れる地点に到着すると、アンブローズとエウリディケは橇を手前で止めて、雪の上を歩いた。両足が深く雪に沈む。アンブローズのほうが、体の重さの分だけ余計に沈む。それでも、彼の背はエウリディケより頭一つ高い。並んで歩けば、横幅が倍以上あることが膨らんだ外套の上からでも見て取れる。頭巾をあげ、顔をすべて外気にさらけ出す。四角い岩のような顔は、短く刈り込んだ茶色い髪と顎髭に囲われている。その中央にある双眸は、獣の知性と凶暴さを感じさせ青く輝く。
 二人が縁まで近づくとそこはまさに崖であった。足元を見れば、ちょっとした渓谷である。斜面の壁は雪がこびりついているところもあるものの、急峻すぎて岩肌が露出しているところが目立つ。降りていく道も無いではないが、足を踏み外せば、岩に体をぶつけるまで落下しそうだ。左右を見渡せば、緩く曲線を描く縁がどこまでも伸びている。雪の白さに紛れ、曲線は途中で消失して果てが見えない。
 そこに、七色の翼を広げた、エウリディケの斥候の一羽が戻ってきた。翼をたたみ、手のひらの上で小さな球の姿に戻ったところを両手で包み、女魔道師は使い魔の見てきたものを語る。
「この崖は円形の盆地の縁だ。直径は十里を超えるな。左前方、地平線のあたりにオレンジ色の線が輝いているのが見えるだろう。太陽が、向こう側の崖にあたっている光だ」
「つまり、この盆地を迂回するか、この崖を下りて直進するかということだな」
「下り切れば、盆地の中は平坦のようだな。正面に黒い塊があるのが分かるか」
 エウリディケが指差す遠くに目をやれば、石の塊のような、武骨な建物が小さく見える。
「うむ。あれは城――むしろ砦といったところか」
「陽が沈めば空は荒れてくる。あそこで、夜を過ごせれば安全だ」
「歓迎されればな」
 そこに、もう一羽の斥候が戻ってきた。二人のすぐ頭上までやってきた使い魔は、しかし七色の羽に黒い焦げ跡を付け、羽ばたくのも苦しそうな有様だった。そこに、幾つもの空気を裂く音とともに正面――盆地から何かが飛んできて、使い魔を撃ち抜いた。胴体を直撃された使い魔は、後方に飛ばされ、雪上に落下し、動かなくなった。そのそばに、飛来してきたと思しい黒く小さな石の礫が一つ転がっていた。音は複数あった、何個もの礫が使い魔を狙って飛んできたのだ。
「歓迎されているな。正面の砦に向かうぞ。異存はないな」
 アンブローズは凶暴な笑みを浮かべて問うた。
「無論だ」
 エウリディケに異存があろうはずもなかった。

雪狼たちは、橇から放てば崖など人間よりも容易に駆け下りることができた。彼らの背に荷物を括り付け、運んでもらう。アンブローズも背中に荷物を背負う。主に、武器と食料だ。エウリディケも魔道の秘技に関わる荷物と食料を背負う。橇は置いて行かざるを得ないが、砦に行けば、何かしら替わりに得るものがあるだろうというのが二人の楽観的な見解だった。
 崖を下りきった頃には、陽はほとんど沈み、暗闇が訪れた。魔道で灯された松明を二人とも掲げ、周囲を囲む雪狼と共に前進する。使い魔の偵察によれば中心まで約五里ということになる。平地とは言え並の人間には苦しい行軍だが、二人は底なしの体力あるいは魔道の技によってその距離を物ともせずに歩き続け、砦の気配が、夜の闇の中に感じられるほどに近づいた。北風が強くなり、夜空はだいぶ雲に覆われてきたが、幸い、まだ吹雪にはなっていない。雲間から星々の輝きが覗き、さらに時折、流星が燃え落ちる光すら見えた。

雪狼が唸り声をあげた。
 雪の上に、防寒具と兵装に身を固めた人間が、十人ほど倒れていた。全員が、アンブローズたちの方向に俯せに倒れている。砦に背中を向けて倒れたのだろうか。毛皮の外套に兜を被り、俯せに倒れた背中を赤いマントが覆っている。エウリディケが一人の兵に近づいて確かめると、すでに死体であった。しかし、雪に埋もれていないところを見ると、まだ死んでから日が浅いのだろう。マントには、二人が先日までよく見ていた紋章が描かれていた。北の森の木々と盾、グリッツ・ヴェンデの紋章だ。
「ここまで、我らよりも先に来ていたものがいるとはな」
「必死で逃げてきたのだろう。俺たちがゆっくりと橇の手配をしていた時間を考えれば、訓練された兵が辿り着いていても不思議ではないな。このマントの色は、皇太子の騎士だ――精鋭だな。全員、凍死か」
「そうでもない、殺されているものもいる」
 一体づつ死体を検分しながら、エウリディケが応える。腕や顔に切られた跡がある者や、兜が凹んでいる者がいる。アンブローズも倣って兵を改めていくと、どの兵も、確かに大小何かしらの傷を負っていることが分かってきた。砦から逃げ出してきて、そのまま生き絶えたか、追撃を受けたというところだろうか。
 アンブローズが最後の一人の体を動かすと、まだ、その兵は生きていた。上半身を揺り動かすと、眼を薄く開き眼の前の顔を認識した。 
「おい、あの砦の中で何があった?」
 兵は意識を取り戻した。質問には答えず、眼を見開いて〈死の王〉を罵倒した。
「死をもたらすだと、〈死の王〉だと、この厄災が! 追ってきたのか?」
 敵と、思い出されたらしい。訊いても、無駄だろうと判断した。
「俺に、砦の中の事を話す気はないのだろうな。ならば敵だ。お前の生を奪う」
 アンブローズは男に馬乗りになると、首にかけた両手に力を込めた。眼を閉じ、恍惚とした表情で、生気を奪いつくす。生き物からその生を奪う事で、アンブローズは不死身と噂される肉体を保っていた。大型の獣や人間を殺せば、得られる生気、生き抜くためのエナジーを、より大きく得ることができる。アンブローズにとって、戦場に身を置く理由は、傭兵としての稼ぎや略奪による報酬以上に、敵と相対する事で正当に命を奪う事ができ、得られるエナジーが大きいからであった。
 生命のエナジーを得た代わりに、〈死の王〉は男に死を与えた。最後の兵は死んだ。

松明に照らされた雪の先に、黒い建物が佇む。砦といっても、三階建ほどの高さの壁に囲まれた、小さなものだ。正面に扉を見ると、壁の右端に円柱形の塔が一本だけ伸びている。旗もなく、装飾らしきものは何もない。
「アンブローズ、お前はこの雪原に足を踏み入れたことはあるか」
「今更、何だ? 覚えがないな。夏も冬も、ヴァルティアを目指すのは初めてのはずだ」
「百五十年以上。昔のことだ――」
 女魔道師は、十五年前のことのように自然体で語り始めた。
「ここに、こんな盆地はなかった。当然、この砦もない。ヴァルティアが今よりも勢力圏を拡げ、〈文明圏〉と国境を接するほどに西進していた時代だ。この地には、東をヴァルティアに、西を〈文明圏〉に挟まれた、しかし独立した城砦都市があったものだ。こんなちっぽけな砦ではなく、何万人もの人々で賑わい、四方に門を構え、冬でも通行可能なほどに街道も整備されていた。あの兵たちは、未だあの都市、ハザミアがあると信じで逃げてきたに違いない」
「この一面の雪の中で、地理は確かなのか?」
「ここまでの道程で星も太陽も見てきた、魔道師の記憶を信じろ。むしろ、ここはまさしくハザミアのあった場所そのものだ」
「お前が滅ぼしたのか?」
「そうじゃない、真面目に聞け。百年ほど昔、大陸中に流星雨が降り注いだ年があったろう。大きな塊が大地に衝突して、〈文明圏〉でもいくつかの都市と森が消えた。
 おそらくここは、あの時の流星が衝突した跡だ」
「たいした想像だが――」
 エウリディケは足元の死体がマントの上に背負っていた背嚢をこじ開けると、中を探った。金属の擦れる音がする、手のひらにずっしりと重い麻の袋を取り出した。中身は金貨銀貨であろう。右腕を振り上げて、その袋を思い切り地面に投げつける。
 雪が、袋を中心に円を描いた。
「この砦、誰が造ったのだろうな」
 二人はそれ以上言葉を交わさず、砦へと歩き出した。

   2.

雪狼たちは勝手に逃げたりはしないので、砦の近くに待たせておく。背中から下ろしてやった荷物を守りながら、寄り集まっている。二人は、砦の正面の扉の前に立った。身長の倍の高さはある木製の扉は、固く閉ざされている。閂が掛かっていれば、体当たりして簡単に壊せるようなものでもないだろう。
「壊すか、燃やすか」
「誰かが中に居るのなら、それは礼儀を知らないやり方だろう。呼べば、開けてくれるかな」
「旅のものだ。門を開けてくれ!」
 アンブローズが大声で呼ぶが、応答はない。エウリディケは腕を伸ばして両手の指を組み合わせ、異質な言葉で声を掛けるが、やはり門は開かない。しばらく続けて、口を閉ざす。
「呪文か、魔道の言葉――」
「この門は何か封印も施されているようなので語りかけてみたが、私の知っている言葉では通じないようだ。お前には解らぬだろうが、恐ろしいことだぞ。私の、知らない言葉で封印されているということは――
 さて、礼は尽くした。お前の好きなやり方で行こうか。私一人なら、浮ける。屋上から侵入するから、正面は任せる」
「龍弾を使うぞ。まだ、残りはある」
あいつら雪狼が、びっくりしないようにやってくれ」
 エウリディケは言い残して、ふわりと、体を浮かせた。脚を畳み、両腕で顔面を守る姿勢に丸くなって砦よりも高く上がる。アンブローズは背嚢にくくりつけてある二本の得物の一方、大剣を頭越しに引っ張り出し両手で一振りして雪上に突き刺す。つづいて、背嚢からこぶし大の黒色の球を取り出す。黒い龍弾、爆龍弾だ。エウリディケの姿がすでに空中に見えず、屋上に着地したことと、雪狼たちが気配を察して低く伏せていることを確認して、黒い球を扉に放り投げた。自分も雪の上に伏せて、耳をふさぐ。
 爆発音。爆煙。そして雪煙が舞う。重い木製の扉が破壊され、破片が吹き飛ぶ。エウリディケが言う封印も、無力だったようだ。入口が開いた。戦場への門だ。

アンブローズは大剣を右手に、松明を左手に握り、雪上を駆ける。屋上からも爆発音が響く。エウリディケも爆龍弾を使ったようだ。気にせず、壁に引っ掛かったままの扉の破片を蹴り飛ばし、砦へ飛び込んだ。
 扉の内側は、ちょっとした広間になっていた。石の床はしかし、平らではなかった。波打って見える。黒光りするうごめく床に、それ以上踏み込むのをためらう。警戒し腰を落とした構えで四方を見た。広間は吹き抜けになっており、二階、三階には正面と左右の壁をつないで回廊が張り出している。一階から上階へは、左右の壁の階段から上がれるようになっている。その左右の壁からは各階とも廊下が伸びている。右へ行けば、外から見えた塔へ繋がっているだろう。
 そして床は、それ自体が波打っているのではなかった。何か、細長い金属質の表面のものが無数にいて、動いているのだ。人間の腕の長さほどのものから、どうやら身長の三倍はありそうな長さまで、幅も女の腕の細さから、アンブローズの腕ほどの太さのものまでいる。扁平な体型は無数の体節に分かれていて体節ごとに左右に細長い足が伸びている。蜈蚣(むかで)の類であろうか。床を隠すほどに満ちた蜈蚣は、火を嫌ってか近づいてこないが、半身を持ち上げ、明らかに敵視している態度でこちらを向いているものが何匹かがいる。正面、顔というべき場所には触角、牙、眼と思しき器官が並ぶ。
 大きいのが数匹、意外に速い動きで接近し襲ってきた。大剣を振り回し、造作無く切断する。分断された半身で動けるものが床を這ってくるが、拳ほどの頭を踏み潰す。分厚い靴底で、何匹も何匹も踏み潰す。大剣を振り回しても、動きが素早く斬れない。切断しても数を増やすだけの繰り返しだ。生理的嫌悪に顔をしかめ、それでも叩き斬るか踏み潰す以外に、できることが無い。だんだんと、体液にまみれた金属質の動きを止めたものが、ゴミ屑のように足元に溜まってくる。戦い続けても終わりがない。
 さらに、右の廊下から、巨大なものがやって来た。同じ形の蜈蚣だが、アンブローズの胴回りほどの太さで頭部が人間以上に大きい。体長を知ろうとしても、後ろが見えない。巨大な頭部は、近づいてくれば細部が見て取れる。背中同様に黒光りする頭部に、左右に分かれる顎が生え、敵を求めて繰り返し開いては閉じる。顎は全身の左右に幾対も伸びている脚と同じ茶色で曇り硝子のように半透明だ。眼と思しき器官に知性――人間が考えるような――はうかがえないが、眼前に立つものが敵であると認識していることは間違いない。
 これほどの大きさと凶々しさであれば、生命力に溢れているだろうと見てとったアンブローズは、その形態を嫌うことなく、飢えをしのぐ対象と見定めた。瀕死の兵に死を与えて得た対価では、もの足りなくなっていた。
 松明を放り出し、両手で剣を握る。巨大な蜈蚣は、砂漠の毒蛇のように頭をもたげ、素早く接近してくる。剣を振るえば避けられ、地を這って脚に噛みつこうと回り込んでくるが、アンブローズもそれを避け、剣で叩く。攻守が目まぐるしく入れ替わる中で、現れた全身の長さに辟易しながら、最後は大剣で頭を叩き割って動きを止めた。黒光りする背中の硬さとちがって、白い腹の側は外殻も薄いようだ。その腹を裂いて、腕を突き入れて、生のエナジーを奪おうとする。
 だが、そこには生命の感触が何もなかった。
 人や獣だけではなく、樹木でも虫でも不可思議な海洋生物でも、アンブローズが感じ取れる、そして奪える生のエナジーはあった。しかし、この巨大な蜈蚣らしきものからは、全く感じられないのだ。まだ動きは停止していない。頭部こそ粉砕したが、無数の脚は動き続けている。生き物であれば、断末魔の、しかし生きている状態だ。期待していたものを奪えなかった意外さに、飢えたアンブローズの身体は震えた。
 その時、吹き抜けの天井の方が明るく輝き、エウリディケの呼び声が聞こえた。
「階段を上がって来い。その化け物どもを相手にしても、切りがないだろう」
 見上げると、三階の左側の回廊にエウリディケの姿が見える。明るくなったのは、魔道による照明だ。そして右側、塔につながる方の廊下からは兵が回廊を回り込んで、迫ろうとしていた。人間が相手の方が、遥かに戦いやすい。喜んで、左の階段を駆け上がる。

二階から三階へ上ろうとする頃には、踊り場で短剣を構えて応戦するエウリディケを、複数の兵が囲んでいた。相手の動きが愚鈍なようで、身を守りきれているようだ。階段を何段も飛ばし、駆け上がる速度を加速し、ちょうど眼の前にいた兵に体当たりする。先に身体を起こすと、倒した兵の腹を皮の鎧の上から踏みつけ、動きを止める。その顔を見ると、顔面全体にびっしりと細かな文様が描かれていた。刺青であろうか。一瞬怯んで、動きを止めたが、躊躇せず胸を突き刺し、止めを刺す。周囲にはまだ敵があふれている。不可思議な顔に怯むのも、生を奪い味わうのも、まだ早い。
「屋根で爆龍弾を使ったにしては、入ってくるのが遅かったな」
「使い魔の仇がいたから、吹き飛ばしてやったんだ。それで屋上からの入り口も塞がってしまった。待たせたな」
 答える間もなく、敵がこれ以上増えては来ないのを確認たアンブローズは、一気に決着をつけようと前に攻めた。首を切り落とし、胴を突き、手摺の外側に投げ落とす。あるいは腕を切って剣を持てなくし、足を切って動けなくする。二十人の兵を次々と屠っていく間、アンブローズは無傷だった。愚鈍な兵士たちが、反撃する隙を与えなかった。さすがに息が上がってきたが、最後の一人を倒す。
 馬乗りになって首に手を掛ける。彫られた文様の奥にある顔は、どんな表情をしているのか見て取れない。
 だが、階下の蜈蚣たち同様に、生きていないことがすぐに分かった。奪おうとした生のエナジーがまったく感じられなかったのだ。首を握りつぶして止めを刺すと、馬乗りの体勢のまま、エウリディケに向かって叫ぶ。
「こいつらは生きてないぞ! 下の蜈蚣みたいな化け物も、この兵も、生き物ではない。死霊や妖魔とも異なる。正体の不明な――不明な敵だ!」

   3.

アンブローズは立ち上がり、怖れを隠すような呆然とした表情でエウリディケを見つめる。女魔道師は〈死の王〉の言葉に興味を惹かれ、瞳を輝かせて見つめ返した。
「そいつは、面白くなってきたな」
 エウリディケは足元にうつ伏せに倒れた兵を蹴飛ばし面を向かせると、膝をついてその顔を観察する。額も頬も首筋も、隙間なく細かな線で描かれた文様で埋め尽くされている。瞼にも、その文様は刻まれていた。遠目には顔全体に横縞が描かれているように見えるのだが、眼を近づけて見れば、それは一本の線ではなく幾何学的な文様が幾つも並んでいるのだと分かる。
 倒れた兵士たち――アンブローズの感じたとおりとすれば、死体と呼ぶことはできない何か――に囲まれて二人が佇んでいると、右の廊下の奥から、靴音が響いてきた。まだ一人、誰かいるらしい。
「部下たちが大変に失礼をいたしました。蜈蚣たちも随分と迷惑を掛けたようですね」
 低い声とともに現れたのは、正装に身を包んだ男だった。その頭部には髪がなく丸い頭がそのまま見えるが、兵たちと同じように細かな文様が彫られ、頭部もすべて埋まっていた。場違いな謝罪の言葉に、何と返すべきか二人が戸惑っていると、その男は非礼を詫び、もてなしをすると言ってきた。
「私はこの小さな砦をあずかるもの、ハザミア子爵の名を賜っております。旅のお方に挨拶もなく申し訳ありません。あちらの塔のほうに、食事を用意しております。このような辺境ではありますが、できる限りのものを提供させていただきます。ぜひ、旅の疲れを癒して――」
 芝居の台本を棒読みしているかのような、ハザミア子爵を名乗る者の態度に対して、反論する気にもならず、二人は黙って後ろをついて行った。

遥か五里先にいたエウリディケの使い魔を原理不能な投石によって狙い撃ち、扉を開けて入って来た二人に問答無用で兵を差し向けた、ハザミア子爵がすべてを指揮しているならば、以上が、この男の行ったことだ。
 正面の扉と屋上を爆龍弾で破壊し、一階の蜈蚣の群れを踏み潰し、あるいは叩き切り、二十人ほどの兵を倒した。以上が、アンブローズとエウリディケの二人がこの一刻ほどの間に行った事だ。
 つまり、食卓についているような間柄ではなく、ここで乱闘になってもおかしくない。むしろ自然である。
 出された料理は、腐敗の匂いと錆の匂いが混ざっていた。肉らしきものの塊、何が溶けているのか知りたくないようなスープ、杯に注がれた液体は汚水と変わるところがない。不幸にも、しっかりと温められているため、湯気とともに匂いが広まる。ますます、ここで戦争になってもおかしくない事態である。しかし、子爵の態度にはまったく悪びれたところは無く、礼儀正しく振舞っていた。すでに食事を済ませているという子爵は一緒に食卓に着席することなく、給仕役として働いている。相手の振る舞いに合わせて、エウリディケが訊いた。
「仕えの者はいないのですか、子爵どの」
「この砦も辺鄙な場所なので、人手が足りないのですよ」
「それなのに、二十人もの兵を失ってしまった。今、この砦にいるものは――生きているものは、貴方だけですか」
「さて、意味がよく分かりませんが。少なくとも、私はここにおりますよ」
「この砦の周囲の、地図はあるだろうか。明日、吹雪がおさまれば出立したいのだ」
「地図ですか。探してまいりましょう」
 頼み事を素直に聞いて、子爵は部屋から退出した。塔を螺旋状に上っていく足音が、部屋の外から響く。
 
「何が、よく分からなかったのだろうな」
 独り言のようにエウリディケが呟いた。
「あいつの言葉か。考える意味があるとも思えないが」
「他にまだ何ものかが潜んでいるのか、探りを入れてみたのだが、要領を得なかった。何かを隠しているというのでもないな」
「さっきの兵同様に生きていないなら、会話が成り立つとも思えん」
「そのとおりではあるが――そうか、分からないのは『生きている』ということかな」
「意味が分からん。そんな事より、あの文様は何なのだ」
「ただの装飾ではないな。文字のように見える」
「俺も兵の顔を間近で見たが、文字だとしても〈文明圏〉の文字ではないだろう。知っているのか」
「知らん。私が知らない文字というのは、怖ろしいことだぞ。この大陸の歴史全てを極めているとは言わないが――似た形の文字が、〈文明圏〉にもヴァルティアにも、さらにその先にも他の大陸にも無いとするなら――つまり、どこの文明とも異なる、未知の文字だとしたら、どうだ」
 どうだ、と問われてもアンブローズには、その重みがよく分からない。それよりも重要なことがあった。
「そもそも、あいつらは生きていないぞ。あの子爵とやらも、おそらく同じだ。それなのになぜ動くことができ、話すらできるのだ」
「死霊でも、妖魔でもない、か。我らの知らぬ何かが存在しても、不思議ではないさ」
「それなら、お前が知らない文字があっても不思議ではないだろう」
「ふん、もっともだ。むしろ、未知の文字を持つ、生きていはいない存在というところか。面白い、知り尽くしたいな。こういう相手には、直接当たってみるに限るな。謎解きは、私に任せろ」
 魔道師特有の知的好奇心を刺激され、楽しそうに笑う赤い唇を舌で舐める。
 そこに、ハザミア子爵が戻ってきた。二人が、料理にまったく手を付けていないのを見てとると、残念そうに訊いてきた。
「私どもの料理は、お好みではありませんかな」
 アンブローズは無言のままだ。エウリディケが、愛想よく応える。
「そうではないのですが、二人とも、今日は旅の疲れで食欲もないのです。むしろ、早く休みたいのですよ。頼んだ地図のほうは――おお、寝室の壁にかかっていて動かせないと。それは都合が良い。子爵どの、貴方の寝室はどちらでしょうか」

       *

ハザミア子爵を名乗るものとエウリディケは、塔の最上階にある男の私室へ上っていった。
 自分が男と向き合うのは戦場だけだと、アンブローズは決めていた。寝台で向き合うのは、女の役目だ。たとえ、それが生ある者でなかったとしても。不気味な子爵の相手はエウリディケに任せればいい。心配不要な女だ。
 アンブローズ自身は、三階の吹き抜けから東へ向かう廊下の途中にある、誰も、何も潜んでいない、寝台がしつらえてある部屋を寝室と決めた。暖炉は無い。長靴を脱ぎ、武装を緩めはするものの、寒さから身を守る態勢は緩められない。無論、敵が攻めて来ても応戦できるよう、油断はない。窓が一つ、壁の高いところにあり、外の風の音が聞こえる。吹雪がだいぶ吹き荒んでいるようだ。雪狼たちは、雪原や針葉樹林の中でも、群れで夜を明かせる。心配はないだろう。

アンブローズは武器を丁寧に手入れしていく。振り回した大剣を磨き、短剣を取り出し、身体から外した防具を点検する。さらに、背嚢から黒色と赤色のこぶし大の玉を取り出す。床に広げた敷物の上に、一個づつ並べていく。黒いものが爆龍弾、赤いほうが炎龍弾だ。残りを数える。爆龍弾は十二個。炎龍弾は三個しかない。次の戦いで、龍弾を使い切るわけにはいかない。この先の道中はまだ長いのだ。とくに炎龍弾は高価で、魔道師ギルドでも簡単には作れないと聞いている。爆龍弾に使われる黒華粉も、炎龍弾にたっぷりと染み込ませてある黒龍血も、北方では入手困難である。
 背嚢に大剣とともにくくりつけていた、もう一本の得物を解いて床に置く。腕ほどの長さの、龍弾がちょうど入る口径の鉄製の筒だ。腕に抱えるとずっしりと重く、把手がついている。筒の表面には、走り書きのサインが書かれている。エウリディケの銘だ。〈文明圏〉の標準文字では無い。魔道師たちに受け継がれている古代の文字だという。使う機会が来た時に困らぬよう、こちらも手入れを欠かさない。

ひととおりの装備をあらためて、元のかたちに背嚢に納めたり、すぐに身に着けられるようにまとめ終えたところで、アンブローズは寝台に腰掛けなおした。膝の上に肘をつき、両手を顔の前で組んで、宙を見つめる。
 アンブローズは、自分の中にある飢え、生命のエナジーに対する飢えに耐えていた。雪原の行軍から、砦に入ってからの乱戦まで、疲労が溜まっている。その疲れを癒し、胃袋の飢えを満たすのは、持っている食料で何とかなる。ハザミア子爵の料理のように暖かくは無いが、そして無駄遣いはできないが、栄養を摂るには申し分ない。だが、それで生命への渇望がおさまる訳ではない。
 戦いの最中で、敵に死を与え生を奪う。そうすることで〈死の王〉と戦場で怖れられながら生きてきたのだ。この砦では、それができない。外に待たせてある雪狼と戦うかと、想像が頭をよぎる。頭を振って、自分の気持ちを落ち着かせる。
 肉や血ではなく、実や葉でもなく、生命そのもののエナジーをアンブローズは必要としていた。だからこそ、戦場を駆け、必要な命を堂々と奪ってきたのだ。戦意の無いもの、力弱いもの、無抵抗なものに死を与えることは、避けてきた。戦場で相対した敵のみで飢えを満たす。それは、相手に死を与えることと引き換えに生き永らえてきた、〈死の王〉なりの矜持であった。

       *

浅い眠りで休息をとったアンブローズは、高い窓の外が明るくなったところで目覚めた。外は、まだ風の音が強い。雪は止んだのだろうか。部屋の外の廊下に足音が聞こえてきた。リズムから、エウリディケの足音と分かる。自分を探しにきたのだろう。扉を開け、自分がこの部屋にいると知らせる。エウリディケは無言で入ってきた。足は長靴を履いているが、服装は、簡素な部屋着とむき出しの肩に上着を羽織っただけの姿だ。右肩に背嚢をぶら下げてきている。自分の持ち物は、寝室から引き上げてきたのだろう。寝台に腰かけ、一つ伸びをしてから、エウリディケは語り始めた。
「お前の感じていたとおり、確かに城主は生き物ではなかったよ。生きてはいなかった、人形みたいなものだ。食卓でのあいつの振る舞いどおりにな。
 顔に彫られていたのは、やはり文字だ。〈文明圏〉には無い文字、未知の言葉を表す文字だった。顔だけじゃない、あれは全身の皮膚に文字が刻まれていた。胸も腹も背も、耳の裏側から足指の間まで、全身にな」
「未知の文字、ならば意味は分からないということか」
「解読したさ。あの文字が、その意味する言葉が、あいつを動かしていたのさ。言葉どおりに動く人形だ。何が書かれているか完璧に理解したよ。その上で――
 言葉を上書きしてやった。生命の言葉だ。あいつは、生を得たぞ。生まれたんだ」
 アンブローズには、理解が追いつかない。
「するとどうなる?」
「放っておくと、繁殖するんじゃないかな」
 とぼけたようなエウリディケの答えに、アンブローズが返そうとした時、部屋の外から、獣の遠吠えのような叫び声が響いてきた。砦の外ではない、砦の中、塔の方からだ。
「目覚めたようだな。だいぶ、衝撃を受けているとみえる」
「何の衝撃――」
 叫び声は、二人の会話の声を消すほどの大きさになってきた。廊下に入ってきたのだろう。アンブローズの耳は、足音を聴き分けていた。
「何のって、生まれた衝撃だろうよ。安心しろ、生きているってことは、殺すことができるってことだ。つまり――」
「俺が欲しいものが手に入ると言いたいのか」
 二人は叫び声と靴音に注意して、話しながらも襲撃に備えて部屋の中で位置を変える。扉の両脇の壁、右にエウリディケが、左手にアンブローズが張り付いた。同時に、叩き壊される音とともに、扉から大きな刃が突き出てきた。斧の形状だ。扉から斧の刃が引き抜かれ、蹴り飛ばされて扉が部屋の中に吹き飛んできた。開け放たれた入り口に、子爵が両脚を踏みしめて立っていた。右手には、重そうな斧を下げている。
 全裸のその姿には、全身にびっしりと細かい文字が彫られていた。これが、エウリディケが上書きしたという文字なのだろうか。
 アンブローズが扉の方に身体の正面を向け、大剣を右から左へと横薙ぎに振り回す。気づいた子爵は斧でそれを受け止めた。
「そうだ! 生まれたての生命力、存分に奪い、飢えを満たせ。ここは任せる!」
 その隙に、エウリディケは扉の外へ逃げた。いい判断だ。狭い寝室の中で、大剣と斧が振り回される中にいたら、いつ斬り殺されるか分からない。二人は、お互いの得物を振り回して何合も結び合う。閉鎖空間の至近距離の斬り合いの中では、爆龍弾に頼ることはできない。エウリディケの言う生まれた衝撃、生まれたてのエナジー溢れる攻撃に、アンブローズも劣勢になりかかる。昨夜の人形が動いているかのような緩慢な動作とはまるで異なる。しかし、子爵が壁に斧をめり込ませてしまい、引き抜こうとした隙を見逃さず、剣で両腕を一刀両断した。武器を失って狼狽えたかに見えた子爵を蹴り倒し、腹を切りつけて体液の流出を見てから、胴に馬乗りになった。
 裸の全身も、顔も頭も、すべて細かな文字に覆われている。体液の色も、明らかに人間ではなかった。その嫌悪感をこらえて、届くところに転がっていた自分の短剣を手に取り、人間ならば心の臓があるあたりに突き刺した。そして、そのまま顔を握り潰そうとする。
「何だこれは! この変化は。文字列は新たな文字列を生み、表層の文字は臓腑組織の中にそれらを動かす文字列を生み、変化、変化だ、常に変化し、失敗した組織は老い、腐り、消失する。これが、お前たちの世界の見方か」
 子爵の叫びは、アンブローズはほとんど意味不明で、躊躇せずに、生まれたばかりの生命を奪い死を与えた。エウリディケの生み出したものは力強く、生のエナジーに満ちて、〈死の王〉の飢えを満たした。
 ハザミア子爵――少なくとも、そう名乗っていたものは、死んだ。

死体の胴から降り、立ち上がったアンブローズの横に、部屋に入ってきた女魔道師が並んだ。子爵の全裸の隅々まで、顔同様に細かな文字が刻まれている。
「上書きしたと言ったな。これは――お前が書いたのか」
 得意げな顔で、エウリディケは答えた。
「一晩の仕事にしては、上出来だと思わないか。生命を、創ったんだ」
「怖ろしいな、女は――いや、魔道師は――
 いや、お前は」
 心底、アンブローズは怖れた。怖れと、敬意のこもった眼で、エウリディケを見つめた。戦士であれ魔道師であれ、あるいは敵であれ味方であれ、優れたものを認めることについて、アンブローズは率直な男だった。
「なぁに、種明かしをすれば、元々書かれていた言葉があったからできたことだ。わたし一人で、ゼロから生命を生み出した訳ではないさ。いずれにしろ、所詮は魔道だ。時間を掛けて学べば、誰でもできるぞ、お前も学んでみるか」
 本気とも冗談とも取れる言葉を発して笑う、誘いかける唇の赤い歪みが妖艶だ。
「戦場を駆ける方が性に合っている。それにしても――時間を掛ければ、か。お前は何百年、生きてきたのだ」
「女に年齢を訊くものじゃないぞ。まあ、三百年もあれば学べる技だ。戦いに飽きたら、弟子にしてもよい。お前にとって、そのくらいの時間は余裕だろう」
「戦いに飽きるのは、命を落とす時だろうな」
「その日が、お前に来るのか」
 その日というのが、戦いに飽きる日のことか、それとも命を落とす日のことか、エウリディケが問うた戯れ言の意味を追求せず、アンブローズは話題を変えた。
「外に出るか。雪狼たちは――」
「あいつらは無事だし、元気だ。一晩の吹雪くらい、どうということはない。だが、外に出る前にやることが残っている。この城主で終わりではないようだ」

   4.
 
「この砦の地下には、何か大きなものが存在している。子爵どのは、その存在と見えない情報の糸で繋がっていた」
 言葉の意味が分からないが、アンブローズは黙ってその先を促した。エウリディケは膝をついて、床に散らばる戦いの跡の破片を除けると、広い空間をとって黒い粉で図を描き始める。
「魔法陣でも描くのか」
 応じず無言の魔道師が描き進めるものを見て、アンブローズも分かってきた。大きな長方形の中がいくつかの矩形で区切られ、右手に丸が一つ。この砦の見取り図だろう。エウリディケが呪文を唱えると、平面図の上に、一階、二階、三階と、炎のように赤く輝く線で描かれた砦の全体図が、その上に浮き上がってきた。
「われらが今いる部屋がここ、この塔の三階が昨晩の食卓で、四階が寝室だ」
 エウリディケは、手のひらを上にして広げた両手を床につけた。そこからゆっくりと両手を持ち上げていく。手の動きに合わせて、砦の立体図も持ち上がっていく。塔の部分の下に、持ち上げた分だけ下降螺旋が描かれていく。一階が眼の高さに来るまで持ち上げたところで、手を止める。
「塔には地下がある。底まで下りていくと、何か未知のものがいるらしい。その相手と、子爵どのは常に交信していた。わたしが上書きする前も後もだ。何か見えない信号をやりとりしていたようなんだ」
「お前は、その見えないものも見えるのか」
「わたしじゃないさ。こいつら――」
 そう語るエウリディケの周りに、小さな蝙蝠が三匹やってきて、パタパタと飛び回る。
「――この子たちは、人間に見えない信号、聞こえない音も感じることができるんだ。わたしが子爵の肌に上書きした言葉は、地下の存在にも送られていたようだ。だとすると、そいつもわたしの言葉の影響を受けた可能性がある」
「むう」
 アンブローズは唸った。
「どうやら、地下は広い空洞になっていて、しかも、この盆地の地底に蜘蛛の巣のように洞窟が張り巡らされているらしい。決着をつけずに雪上を五里、盆地の端までゆくのは、危険というものだな」

旅の装備をまとめる。アンブローズの背嚢には二つの長い得物、大剣とエウリディケの銘が入った鉄の筒がしっかりと縛り付けられている。龍弾はいつでも取り出せる場所に、服のいくつかの隠しやベルトに分散した。エウリディケは部屋着の軽装から装備を固め直す。二人は塔の一階に下りた。
 昨晩、一階の広間を埋め尽くしていた蜈蚣は、動くものも動かないものも、欠片一つなかった。何もない静けさに不審さを感じる二人だったが、深く気にせず、地下に通ずる入り口を探る。
「隙がないな、壊すしか無さそうだ。廊下に下がっていろ」
 エウリディケを先に広間へ通じる廊下へ避難させると、アンブローズは爆龍弾をひとつ取り出し、自分も廊下に下がってから放り投げた。作りが特殊だったのか、爆発は予測よりも激しかった。飛んできた火の粉を頭巾から払い、やりすぎだろうと呟きながら、塔へ戻ると、天井つまり二階の床に穴があき、壁に穴が空き、そして床は丸ごと崩落していた。淵から見下ろせば、塔の直径のまま縦穴が掘られており、その壁に木を打ちつけて板を置いた螺旋階段が穿たれている。
 最初の一歩は目の前にあった。
「先に下りる、後ろを頼む」
「待て、そんな螺旋階段、どこで踏み外すか分からないぞ。板が腐っているかもしれん」
 そう言って、エウリディケは呪文を唱え、使い魔を召喚する。今度は何だ、とアンブローズが身構えていると、塔の中空に巨大な蜘蛛、黄色と黒の見るからに毒蜘蛛然とした巨大な蜘蛛が出現した。蜘蛛は八本の脚を塔の壁に伸ばし自らを固定すると、糸を吐き出した。エウリディケは廊下を駆けて飛び上がると、塔の中央で糸に掴まった。腕に巻きつけると、ゆっくりと下降していく。
「これの方が安全だ、お前も掴まれ」
 アンブローズの体重はエウリディケの倍以上あるが、掴まった時の衝撃も糸は何事もなく支え、ゆっくりと糸を吐き出し、地底へと下ろしていった。

魔道の火球が弱く壁を照らす中、二人はどこまでも下降していく。地上ははるかに遠く入り口の円は小さくなり、壁の螺旋階段は、確かにエウリディケの案じたとおり、所どころ板が欠けていた。それでも、等間隔で木の棒が打ちつけられているところが、むしろ不気味ですらある。時間も、自分たちのいる場所もだんだん分からなくなっていき、地上のことを忘却しそうにななる。
 それでも確実に下降していく先に終わりはある。どれほどの時間を経たか分からぬが、二人の足は地面を踏みしめた。そこは、エウリディケの蝙蝠たちが探ったとおり、巨大な空洞であった。

その中央に、建物の二階ほどの高さの珠があった。ピンク色の半透明で中が透けて見える球体だ。中には、蜈蚣の巨体が、胎児のように丸まっていた。
(我を、我らを、生んだものよ)
 その前で立ち尽くすアンブローズの脳裏に、声が響いてきた。呼びかけてくるその声は、目の前の巨大な珠の中からだと直感する。自分にも声は届いてきたが、呼ばれている相手はエウリディケだろう。左に並ぶ女魔道師の表情を窺うと、珠の中の巨大な蜈蚣に集中していた。
(お前は、あの人形――ハザミア子爵を名乗っていた人形の親か)
(親――親ではない。我はまだ生きてはいなかった。だから親ではない。お前の言葉で語るならば――我は、あのもの、あのものたちの「生産者」だ。あるいは「製造者」だ。我は、お前の言う人形や蜈蚣のかたちのものをつくり、その「機能」を表面に記述した)
(なぜ――なぜお前は、あれらを「生産」するのだ)
(なぜ――分からぬ。我の知る言葉にはない。「なぜ」とは何か)
 アンブローズも、エウリディケが何を問いただそうとしているのか分からず、脳裏に響く対話についていけなかった。魔道師にとっては会話が成立しているのだろうが、意味の取れない言葉が混じる。もはや自分にとって雑音に過ぎない音響を無視して、暗がりに慣れてきた眼で周囲を見渡した。
 遠くに、何匹もの蜈蚣が潜んでいることに気づく。お互いに十分に距離をとって動かない。目測が測りづらいが、地上で倒したものよりも、大きいだろう。よく見れば、どの蜈蚣も同じ姿勢をとっていた。色の薄い腹のほうを上にし、背中で身体を支え、頭部も持ち上げて、くるりと腹のほうに小さく丸めている。そして、その腹の上にはいくつもの球体が固まっていた。生き物ならば、卵であろう。
(我は、我らは自らの表面に記述されたとおりの機能を果たし、「生産」機能を持つものは、記述どおりに「生産」した。我と同じ形状のものを「生産」し、同じ文字を記述した)
 蜈蚣は頭部の大きな顎と、前のほうにある何対かの脚を使って、丁寧に卵を舐めていた。鳥などであれば、親子の愛情が通う姿とも見るのであろうが、アンブローズにはそこに愛情の有無を判断することはできなかった。
(あの人形はなんだ。あれはお前たちとは異なるかたちをしている。むしろ、我らのかたちを模しているな)
(この地にあったもの、ここにいたものの破片を採取し、再生した。かたちを模すことはできても、同じように機能することはなかった。しかし――)
 巨大な珠の中に眠るものが――もちろん、これもまた卵であり、中に眠るものが蜈蚣であることは明らかだった――かすかに動いた。一度、動き始めると、ゆっくりとではあるがその動きは止まらなかった。ゆっくりと泳ぐように半透明に助ける向こうで動き続ける。珠は、いや、卵はやがて振動を始め、蜈蚣の動きによって転がりそうになるが留まり、表面にひびが入った。殻が少しづつ破れ、ついに巨大な蜈蚣が這い出してくる。
(魔道師よ、お前に上書きされた人形を介して、お前の言葉に我は「感染」した。使い魔がお前に教えたとおりだ。我は、ほかの我と人形のすべてと常につながっている。その通信経路を通って我は、我らすべては「感染」した。したがって、我は生まれた。生まれてみてわかったぞ。我らとお前たちの違い、機械と生物の違いが)
(お前たちは、何ものだ! どこから来たのだ)
(我らは、お前たちの言葉に従えば「機械」だ。お前たち「生物」とは異なる原理の存在だ。「設計」されたとおりに機能する存在だ。表面に刻まれた文字のとおり、記述された言葉どおりに動作する存在だ)
 這い出してきた存在は、身体を伸ばすと、生まれてきた卵を何回も取り巻けるほどの長さで、身をくねらせながら、その体長をさらに伸ばそうとしていた。そして尾の方から瞬く間に球体をいくつも吐き出した。卵だ。周囲にいる他の蜈蚣と同様に腹を上にして、卵を手と口で運び、並べる。並べ終わった頃には、最初の卵にはひびが入り、また生まれてこようとするものがあった。人のかたちをしていた。羊水から出てきたばかりのように濡れた身体は、ハザミア子爵や兵たちと同じに大人で、全身に細かな文字が彫られている。卵が割れて、それらが次々に生まれ出てくる。
(生きているものは、どうやら「設計」されたとおりには「生産」されないのだな。常に「ノイズ」と「エラー」にまみれ、予定調和でなく、突然壊れ、腐り、機能が低下し、エラーまみれの動作の果てに停――)
 生まれたばかりの人のかたちをしたものは、立ち上がるものもあれば、その場で崩折れていくものもあった。蜈蚣も人も、生まれたと同時に生命機能が暴走していた。だが、動けるものは力強く立ち上がりアンブローズとエウリディケを敵と見定めたようだった。周囲の蜈蚣たちの卵も一斉に孵化し、小型の蜈蚣や人型のものや、よく分からない形状のものが溢れ出してきた。
(――止、いや、これが死なのか。我は死ぬのか、これが死なのか、我は死ぬのか、これが死な)
 アンブローズはエウリディケの前に立ち、爆龍弾を投げつけた。意味不明の対話は終わらせて、この場もすべて終わらせると決めた。
「問答は終わりにしろ。こいつら全部、死を与えてやる!」

広大な地下空洞は、地上に通じる穴が塔の他にもあるのだろう。爆龍弾の爆発による煙が流れていく。エウリディケも我に返って、戦いに身を投じる。
「周囲全部、こいつらの眷属だな。この広さでは爆龍弾がいくつあっても片付かない」
「炎龍弾を投げるぞ」
「投げたのでは近すぎる。榴弾砲に込めろ」
 アンブローズは大剣を放り、背中からもう一つの得物である鉄製の筒、龍弾法を取り出す。地に置いて炎龍弾を一発取り出し、筒に装填する。背後に走り去ったエウリディケを追って、自分も生まれたばかりの大蜈蚣から距離を取る。そして、腰を低く構え、炎龍弾を撃った。アンブローズの身体は、射撃の衝撃に揺らぐことはない。炎龍弾は大蜈蚣の長すぎる体に当たり爆発する。濃縮された黒龍血が飛び散り、当たりを火の海に変える。卵から孵ったばかりの人のかたちをした者たちに火は燃え移り、容赦無く焦がしてゆく。
 続いて、背嚢から炎龍弾をもう一発取り出して、装弾する。撃つ前にアンブローズは訊いた。
「あと二発。両方撃っても、この空洞にいるものすべては燃やし切らないぞ」
 森で敵を殲滅するのとは違う。岩と土の中では、燃えるものが無いのだ。
「引きつけてから撃って、燃えてるところに爆龍弾も打ち込め。全部使わなけりゃ滅せないなら、全部使え。こいつらを残して、雪の上を歩けるものか。下から狙われるかも知れんし、追って来られたら厄介だ」
 大小の蜈蚣と、人のかたちをした者たちと、石の礫を撃ってくる重鈍なしかし動く石の塊と、得体の知れない有象無象が近づいてくるのを引きつけて、アンブローズは撃った。炎龍弾を左に一発、右に一発。生まれたばかりのものたちが、死んでゆく。まだまだ生き残りがいる。燃えさかる中に、次々に爆龍弾を装填しては打ち込む。飛び散る破片と爆風が、さらに多くのものを死に導く。

多くのものが生まれて、多くのものが死んだ。〈死の王〉はすべてのものの死を感じた。明らかに、地下空洞には他に生きるものはいないと感じられた。
 エウリディケは手首に巻きつけた蜘蛛の糸を切ることなく保持していた。糸を引き、蜘蛛に合図を送る。糸ががさらに垂れてくる。二人は、蜘蛛の糸に掴まり、地上へと帰還した。その上昇の中で、アンブローズは魔道師と大蜈蚣の意味不明のやりとりについて訊いた。
「〈機械〉、あいつは自分たちをそう呼んでいた。私も、はっきりとは分からない。同じ存在が、今のこの地上には無いからな。太古の昔か遠い未来には、そういうものがこの地上に生まれるのかも知れないが」
「俺は、現在しか知らん」
「お前が爆龍弾を投げる前に、もう一つあの大蜈蚣に答えて欲しかったのだけどな」
「何を訊いたのだ」
「お前たちは、どこから来たのか、と訊いた。
 答えは想像できる。しかし想像だけで信じるには、困難な答えだ」

地上に戻って来れば空は快晴で、太陽が南の空に低く輝いていた。

       *

雪原の地下深い空洞に存在した、すべてのもの生と死を与えた二人は、旅支度を進める。地上も地下も崩れ落ち、焦げあとの残る廃墟と化した砦で、これ以上の時を過ごすつもりはなかった。
 雪狼たちは全て無事で、荷物も守られていた。砦には橇を仕立てるのに使える部材は何もなかった。エウリディケは雪狼の群れのリーダーの背に乗り、アンブローズは徒歩の行軍である。人間と雪狼は隊列をなして、盆地の反対側へ、目指す東方へと向かう。
 昼の短い北方の冬である。まもなく空の色は陰り、短い黄昏時がやってきた。
 休憩をとっている間に、紫の空は瞬く間に漆黒に変わり、星々が天空に瞬く。そのまま、野営の準備をする。幸い、今晩は天候が崩れる気配はないようだ。時おり、流星がきらめく。
「今年は流星が多いな、流星雨が何度も降り注いでいる。百年ぶりの激しさだ」

〈死の王〉アンブローズと、女魔道士エウリディケの旅は続く。

 

 (了)

文字数:19526

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