猫の夏

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梗 概

猫の夏

ミナコはペットを飼っていた。彼女の母からもらったものである。
 外宇宙から移入されたこのペットは、ヴィゴと呼ばれていた。猫そっくりだったが、非常に寿命が長く死亡例がほとんどなく、ペットが死ぬのが嫌という人たちに重宝されていたものの、ペットとしては猫で済むので、それほど人気もなかった。その宙域とのやり取りも今はない。
 インフラの分散のコストを避けるためひとびとは集住している。居住区域は温度も湿度も完全管理されている。ミナコの住む、やや辺鄙な区域の居住地域でもそれは同様だった。
 当局はヴィゴについては、猫と同様の飼育を推奨するだけで、生態等の情報は公開しない。高温での飼育が命にかかわると強調されている。
 ミナコにヒロシという恋人ができた。彼は、ヴィゴをかわいがってどんどん太らせる。ヒロシは、ミナコの部屋に居続け状態になる。調子が悪いといっては、部屋の温度を上げる。仕事で数日部屋をあける必要があり、ヒロシに、彼女のヴィゴの世話を頼む。帰ると、彼女のヴィゴは、相当に小さくなっている。痩せたんだよとヒロシはいい、その後、君とはやっていけないのがわかったと、別れを告げる。
 当局にきき合わせると、一般的飼育状況から外れるので広報していないが、ヴィゴは変温動物で、極端な高温条件では、保温条件を改善するために個体が分裂することがあると告げられる。ヴィゴを分裂させるのが目的だったのかと彼女は怒る。
 かなりたって、冬の夜、彼女が帰宅すると、扉の前にヴィゴがいる。分裂したヴィゴなのかと思うと、そのヴィゴは、彼女を導いて、居住区域外の辺鄙な場所の倉庫にいき、事務所らしいところに入っていく。
 寒く暗い中、それを遠くからみていると、動物保護のために監視しているというハツミが話しかけてくる。自分は事務所に突入するので証人になってくれと一方的に言って、事務所に入り込む。事務所にいるヒロシは、扱いに問題がない、そもそも気温によって分裂するのはただの繁殖行動で問題がないと言う。通報しようとするヒロシをハツミは殴りつけ、ついでに事務所を破壊する。茫然としているミナコを、ヴィゴが導いて、飼育棟にいく。数十匹の小さなヴィゴがいる。部屋に入るも、電源が切れてロックインされ空調も切れて身動きが取れない。部屋はどんどん寒くなっていく。ヴィゴは彼女を中心に集まる。その中で彼女はうとうとする。気が付くとヴィゴは、寒いために合体して、彼女より少し位大きい、虎のような姿になっている。その虎は彼女のヴィゴとおなじしぐさをする。
 ヴィゴは、温度によって分裂して繁殖、合体して遺伝子と知識を共有する生き物だった。ここで合体したヴィゴは、彼女を背に載せて扉をぶちあけて外へ走り出す。
 部屋に戻ったミナコは、貯金を下ろして虎となったヴィゴに餌をやりながら部屋の温度を上げ、ふたたび分裂して数十匹となったヴィゴの引き取り先を探すのだった。

文字数:1202

内容に関するアピール

暑い、というと、ブラッドベリの「太陽の金の林檎」をこえるものを知らないし、その路線でその上をいくものを思いつかず、困りました。
生物は体積に応じた保温機能があります。暑いとサイズが小さくなります。気温に応じて、分裂や合体してサイズを変える生物を考えました。暑いと分裂します。
この生物の性質が公知されていないのは設定が詰め切れなかった部分です。分裂する状況の暑いときの人間も含む挙動がお題としてせめて重要なのだと思うのですが、それを含む状況をお話にしなければならないので、あまり暑い感じがせず、ちょっと困っています。

文字数:256

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ネコの夏と冬

ネコがふと顔を上げ、裏口のほうで物音がした。
 ミナコがネコから目を離してそちらをむくと、
「すみません」
 若い男の声である。
「ヒロシくん?開いてるよ」
 裏口ががたがたあけられて、小柄なミナコよりすこし大きい、ずんぐりした体形の作業服が、夕方も遅い薄暗がりから、入ってきた。
「すんません、おじさんにもってけといわれたんできたんだけど」
「あら、ありがとう」
 ずいぶん古い平屋、玄関から、おもての路地に平行な短い廊下をこえて狭いダイニングがあるが、ミナコはむかしふうに台所と呼んでいる。そのさらに奥に、裏口があって、ヒロシはそこに顔を出したのである。廊下には6畳ほどの部屋が道路の逆側に面して、つきあたりのこの台所の隣である彼女の作業部屋につながっている。天井は低い。
 彼女が引っ越してくるときに、家は、外見はほとんど手を入れずに断熱のみ大きく手を入れてもらった。裏口も、がたがたいうが断熱はされている。ネコがいるからである。
 ヒロシが、裏口で、
「2つ箱あるんだけど、ここでいい?」
「そこにつんどいてくれない」
 山のつづく中、川のそばに道がある。道のわき、すこしひらけたところごとに、家が並ぶ。かって限界集落といわれていたが、その後も、血縁者やそうでない人たちがやってきては住むので、なんとなく維持されている。ひとの住んでいない家も多いし、もっと奥にいくと無人化集落はいくらでもある。このあたりはどの集落も、家の後ろにすぐ山がはじまる。この、僻地には、無人化と高齢化対策として、都市部からはなれてもネットで仕事ができる40歳以下の「若年」者に優遇して家を貸すというプランがずいぶん前からある。ミナコはその何人目かはわからない。
 集落では、10軒くらい毎に「班」がつくられていて、ミナコのような形で新規移入者の面倒を見る係がいる。その班の世話人ともいっていい。
 ミナコは絵を売っている。画像データをネット上でも売るし、実物も描く。メインはデジタルで、人間化したネコのキャラクターがゲームに使われたことで、限られた層にではあるが知られるようになった。国外でもそのゲームは売れている。
 加えて、特に都市部での生活が好きでもなかったので、前に住んでいた大都市の盛り場外れから、部屋の契約更改を機にさっさと移ってきたのだった。前の秋に来て、もう半年はたっている。最近、並びの家の裏の山には、咲いた山桜が散ったところである。
「重い?玄関でもよかったのに」
「大丈夫だよ」
 川のそばの道から山に向かって狭い路地がつくられており、路地に面する家の、勝手口は山側にある。
 週に一度、定期の配達が、すこし下流の地区役場の集積場までくる。住民がネットで注文したものがそこに集められる。ほとんどの集落では、山の作業に使うキャリアカートでそれをまとめて引き上げて、じぶんらで配りまわっていた。
 自動化しきれない山での作業につかわれる器械の流用はほかにもあり、
「ああ、マナブさん、貸してくれたのね」
「うん」
 ヒロシの手足に補強装具がついている。ヒロシのおじである、ミナコの班の世話役でもあるマナブが、昼の山中の仕事に使うものである。
「つけるほうが面倒ってマナブさんいってなかったっけ」
「今日はちょっと数が多いし、つけるのに慣れるのもいいかなっておもったんです」
 30なかばのミナコに、20前半のヒロシの言葉は、丁寧になったりそれをやめたりして、不安定だった。
 ヒロシは、時々補強装具をうならせながら腰くらいまでの高さのある箱を裏口から台所の床に置く。補強装具をつかっても、すこし荒い息をしている。ふたつめの箱をヒロシが取りに行く間に、ミナコはひとつめを引き込んで、開ける。
「来たよ」
 ヒロシが来てから、奥に隠れてしまっていたネコが、台所と作業部屋のあいだにおかれたソファの下から顔を出した。ミナコは、箱からキャットフードを出して見せたが、そこにヒロシがもうひとつの箱をかかえてやってきて、ネコは姿を隠した。
「これでおわりだよ。ああ、それ、猫飼ってましたっけ、好きなんですかそれ」
「わりとね、どれでもいいわけじゃないの、面倒」
「気難しいんですね、名前聞いてましたっけ」
「ネコよ」
「そのものかあ」
 ヒロシは、汗をふき、じゃあと、裏口からでていった。
 ミナコは、裏口の摺りガラスが暗くなっているのをみて、腕の端末で錠をおろした。
 裏口は昼はほとんど錠はかかっていない。集落内はきっちり住民の移動を管理システムが把握している。集落の出入りは主要な曲がり角ごとに通過車両と乗るものを記録している。ドローンはなおさらのことである。めったに危険な人物が入り込むとも思えず、最近は夜も開け放していることがあるのだが、アキノリをみて、他人が近い世の中にもいることを思い出したのだだった。
 箱の中身をとりだす作業を続ける。虎猫のもようのネコは、ゆっくりまた現れて、ミナコのそばに寝そべった。
「ネコじゃないから、ネコってつけたのよねえ」
 ミナコはネコに話しかけ、ネコはこたえもしない。
「でも、ヒロシ君、ちょっとまずいんじゃないかな、あれ」
 ミナコは、汗かきのヒロシの残した体臭が気になった。ネコはゆっくりミナコの手に頭を擦り付け、二回ほど体を押し付けながら行き来して、そのままじっと動かなくなった。ミナコがその横に掌をおき、
「はい」
というと、ネコは、仰向いてその掌に頭をのせ、体を左右に動かして見せた。気持ちがいいときはそうするらしかった。

このネコを連れてくるときに、彼女の母親が心配した。
「そりゃあ、いつかはあんたが飼うことになるんだけどね、けっこう弱い子なんだよ、わかってるの?」
「わかってるよ、ずっといっしょにいたんだし、ちょっと調べたことだってあるもの」
 ひとり暮らしの母親の引っ越しを機会に、ミナコはネコを引き取った。
 このネコという名前を飼い主につけられた、猫にそっくりな生き物は、猫ではなかった。
 数十年前に、遠宇宙航路が流行ったのである。より安価な長距離移動方法が開発され、科学探査や資源開発ほか様々な名目でいろいろな方面に航宙船がでた。
 惑星探査も行われたが、一般から費用をつのって出されたプランも多かったのである。プランによっては、行先の惑星からのお土産がもらえる、ただし内容は探査隊のクルー次第というものもあって、もってかえってきたものの安全性の確認に、一時期航宙局かいわいと防疫局かいわいは騒然となった。
 ミナコのネコ、は、生物名としてはヴィゴと呼ばれる。非常にネコに似た生き物であるが、変温動物である。
 この手の、へんな生き物が宇宙のあちこちから当時寄せられた。地球生物に似たものが選ばれる傾向にあった。貿易局の情報ポータルには、数十の生き物のリストがある。ほか、クルーが勝手に面白がって持ち込んだものもあるようだが、環境の違う地球に数匹持ち込まれても、それでおわりだった。
かって、宇宙港のまわりには、ペンギンによく似た宇宙生物がみられたらしい、これもクルーが持ち込んだものが逃げ出したそうなのだが、数シーズンでみられなくなった。
 ヴィゴだが、個体の大きさで規定される熱容量に応じて、生存できる気温が変わる。1個体だけでの非飼育環境での生存は非常に困難、生体構成成分に毒性もなく、X線にもうつらなかった。骨のようなものは触るのだが、可塑性の強い高分子で類似骨格ができているだけで、死んでしまうと文字通り骨も残らないというのである。
 いい環境で飼えば、非常に長命であり、自然寿命は個体も少ないことから、不明である。防疫局からの情報では、温度が上がると熱容量をさげるために分裂する、小さい個体は環境の変動により弱く、寒いとすぐ死ぬ、という。
 ミナコのヴィゴは、温度管理のしっかりしたリビングで、それをじぶんの親の航宙船への出資の見返りにもらった祖母から、代々、受け継がれてきたのであった。
 そのサイズに対する適正温度では、それなりによく動いた。しかし、すぐに寝てしまう。あまりものも食わないのは、適正な食物が判明していないからかもしれなかった。
 ミナコのつくりあげたゲームのキャラクターは、ミナコのヴィゴ、つまりネコによるところが大きい。そばにいて、モデルにすることで、新しいモチーフが生まれるのである。それだけに、飼育環境には気を使った。
 この集落にきたのも、かかる金が安いので、そのぶん飼育環境を整えられると思ったからだった。裏に狭い畑があり、ちょっとしたものをつくることができる。売るのではないから出来の悪さは気にならない。
 この緯度の僻地ならどこもそうだが、要所に高効率太陽光パネルを配置、屋根にもとりつけて、公共給電のほかに蓄電を行う。彼女の家は、温度管理だけはほぼ完ぺきに行われていた。

ちなみに、遠宇宙航路であるが、遠距離ジャンプの際の欠損率が理論上5%を切らないことが判明し、一気に熱がさめてしまった。100隻行けば、確実に5隻分の人が死ぬのである。現在、無人船である程度の探査が行われているが、かってこぞって宇宙に出かたその賑わいと、結果としての犠牲者の数のせいで、いまだに、宇宙の向こうに、決して戻ることのないむかしの楽しいパーティーを思い出すような感情を持つ人は多いようだ。宇宙時代と呼ぶものもいた。

ミナコは、おもてからヒロシの気配が消えるのを確認して、手元の端末に向かって話しかけた。
「なんだいミナコさん」
 やや年輩の声がした。映像回線はつないでいない。
「ごめん、ヒロシ君だけど、なんか匂うんだけど」
「あまり母屋に寄らないからな、やってるのかもしれない、ちょっと目を離すと」
「まあ、穏便にね」
 ヒロシは、叔父のマナブのところで山の仕事をするといいだして、数か月まえに、やってきたのである。若くて、居住者の親族でもあり、移入そのものに問題はなかった。明るいが、言いっぱなしのところがある、軽い感じの若い男だった。
 大麻は禁止ではないが、栽培も使用も場所に制限がある。ヒロシは、マナブのところに来てしょっぱなに、大麻使用可能区域をこの集落で申請したいといいだして、役所の面倒さを知っているマナブに即刻却下された。
 さらに、それなら栽培申請して村おこし、といいだした。実際には以前マナブらが手を出したことがあり、栽培地の管理、やってくる業者のうさん臭さ、取引に関してまったく役所が役に立たないことなどにうんざりして、やめたのであった。だから、そんなものとっくにやったよと相手にもされなかったが、ヒロシは、マナブと山に入りながらも、自分に与えられたエリアでなにかやってるらしい。
 そして、体が匂うのだ。その匂いは、若いころミナコも何度かその手のバーで感じたものだから、わからないはずがなかった。
「勝手にやると問題になるから、ちょっとなんとかしたほうがいいかな」
 マナブは、ミナコに礼を言って、通信を切った。
 数日して、マナブから、やっぱり生やしていた、やめさせたという知らせが入った。
 翌週、荷物を届けに来たヒロシは、あいかわらず少し陽気であった。荷物を運び込むヒロシに、ミナコは
「マナブさんに怒られたって?」
「うん」
 けろっとしている。
「見つかっちゃったよ、しばらく、メロンでもつくってろといわれた、成長促進メロンの種もらったんだけど」
「出来たら味見てあげるよ」
「無料だったらあげる先も考えるよ」
 言うわね、とミナコは思ったが何も言わなかった。ヒロシは、台所に荷物を運び込み、すこし奥をのぞき込む。
「猫、いるんですか」
「隠れてるのよ」
 ヒロシは、指さされたソファのわきをのぞき込む。ネコが、じっと見返している。
「これ、猫の食い物なんだけど、やっていいかな、こないだ買ったんですよ」
 ポケットから中指ほどの長さのチューブをとりだして、先をひねった。すこし握ると中身のゼリーが頭を出す。ピンク色である。
「なにそれ」
「猫用チャーム、って売ってるんだけど、知りませんか」
 ネコの食べ物など、ずっと、考えたこともなかった。
「欲しがるかな」
「けっこう人気らしいから」
 ソファのわきに腕を入れてネコの目の前にチューブをもっていくと、迷惑そうな顔をして顔をひいたが、何度か匂いを嗅いで、チューブからはみ出たゼリーを舐めた。そしてまたチューブに顔を寄せた。
「気に入ったんじゃないかな」
 ヒロシはソファのわきから腕を引き抜いた。ネコは、すこし顔を出し、それからすたすたヒロシのところにやってきた。
「こんなネコなのか」
 チューブをもっとひねってゼリーをだすと、出した分をネコは口に入れて飲み込んだ。そそいてまたほしそうに見上げた。ミナコは目を丸くした。
「こんなに喜ぶの、はじめてよ」
「猫には人気だそうだから」
「でもこの子、猫じゃないし」
 なにをいってるんだろうと、ヒロシがミナコを見た。
「ああ、ごめんね、わからないこと言って。これ、ネコってよんでるけど、猫じゃないのよ、そっくりな生き物で」
「なんですそれ」
「ヴィゴっていうの、宇宙時代につれてこられた生き物、猫そっくりだけど猫じゃないの、だからいつもネコって呼ぶのはほんとにこのコの名前なのよ」
「猫にしか見えないな」
 チューブを食い終わったネコは、低く鳴き、さっさとミナコのほうに帰ってきた。隠れる気はなくなったらしい。ミナコのところで足のうしろに回り込んで動かなくなった。

それから、ヒロシは、来るたびにチューブを持ってきた。
 どうやらそのチューブはことのほかネコの好みに合うらしい。あまり栄養摂取しないネコが、チューブだけは見るたびに平らげた。
 ミナコもチューブを取り寄せたが、際限なく食う上に、数十年おなじサイズだったネコが太り始めたので、心配になってやめた。
 太ったネコをみていても、頭の中で、彼女つくったキャラクターが動かない。新作もあがらないうちに、暑い夏になった。
 太った虎模様のネコは、動くのもすこし大変そうで、チューブでもかざさない限りはほとんど動かない。室内は完全に空調されているが、すこし舌を出して息をしている。
 彼女は防疫局に問い合わせてみた。ここは飼育相談室じゃないんですがといいながらも、移入生物担当係に回線を回された。
「太ったんですか」
「ちょっとの間に3割くらい体重が増えて、みかけもちょっと大きくなって」
 すこし抑揚の強いしゃべり方をする係員は、
「だったら温度変えた方がいいんじゃないですか、ヴィゴはたしかサイズで適温がけっこうかわるんで、でかいなら下げた方がいいでしょう」
 ミナコは、長袖のカーディガンを羽織りながら仕事をするようになった。
 やめてくれといったのに、配達のたびにヒロシはこっそりネコにチューブをやっているようである。ネコは、さっさとヒロシのところにとんでいき、箱の向こうにかくれ、すぐに満足そうに戻っていく。ヒロシに、やめて頂戴といっても知らないというばかりである。こうして、以前の2倍近くになったネコは、たまに気が向くとミナコの邪魔をし、そうでなければ見えないところで寝ているようだった。

夏の暑さもピークを越えたころに、マナブから連絡が入る。
「オオカミ送りやるんだけど、見に来るかい」
 山林に、かって鹿が繁殖して困ることがあった。そこで、オオカミが、各種の犬や遺伝情報から再現され、最上級の天敵として放たれることになった。
 ただ、そのまま放したのでは人間を襲うことになる。そのため、オオカミのリーダーとして、各群れにオオカミの匂いと、オオカミが仲間とみなす最低限の姿を与えたロボットが与えられた。これに従うようオオカミはしつけられて離される。オオカミ同士のやりとりにパターンがあるのは知られていたが、これについても自己学習できるようになっている。位置情報を発信しながら、群れを誘導してときに鹿の群れを襲う。強烈なフェロモンによって誘導するため群れはメスのみで成っている。卵管も念のため結索されていた。リーダーロボットは、いうことをきかない群れの成員には電撃を与えることもできた。
 年に一度、リーダーロボットに電源を与え不良部分を調整する。そのとき、ヒトが群れの目の前でそれをすることで、群れに対しても、ヒトに対する上下関係を見せつけるのである。
 太ったネコをみていてもどうもアイデアがわかないミナコは、オオカミをみたらなにかあるかもそれないと思った。
ちょっとした畑に手をかける以外あまり外出しないミナコには、温度差がこたえる。ネコのために、余計に涼しくされた室内から、日焼け止めをぬりたくって、それでも山の中に入るので茶色の温度調整服に、手足はきっちり覆って大きい帽子をかぶり、蒸し暑い外にでてきたミナコは、迎えの、マナブのランドクルーザーに乗った。
「飛んで行かないのね」
「飛ぶには近すぎるよ、ちゃんと道はつくってあるんだから使わないとな」
 50歳そこそこのマナブは、外で仕事する褐色の顔に、灰色の温度調節作業服を着て、ヒロシには似ず、やや痩せている。
 川沿いに、車は上流に走る。
「これだ、これ」
 数分で、マナブが声を出した。
「これがヒロシの作業所なんだよ」
 道の山側、山裾の空き地に数十m四方の四角い建物があった。単層、窓が壁の上のほうについている。道に向いた面の右端に入口があって、そこから張り出して小部屋がある。
「あ、これだったのね」
 遠くもないので、ミナコも通りがかったことはあったが、これとは知らなかった。
「で、メロン作ってるの?」
「どうなんだろうな」
 建物の前に車をつけて、
「ちょっと見ていくよ」
 マナブに、ミナコもついていく。小部屋に入ると、涼しい中、デスクに座って通信画像をみているヒロシが、こちらを見て、
「なんだい、珍しいな」
「オオカミ送りだ、みられておくと、襲われるリスクが下がる、おまえもこないか」
「暑いからねえ、ミナコさんもいくのかい、遠いよねえ、どうせもうじき入れ替えになるってきいたんだけど」
 群れのオオカミは、数年おきに入れ替えられるのである。
「遠くないだろう、あそこは」
「1時間以上かかるもの。山の仕事ならいっしょにいくけど、今日はいいや」
「そうか、で、何やってるんだい今、忙しいのかい」
「今なにもやってないよ、片づけてしまって電源も切ってる、ロックもおちてるから、中見るんだったらオンにしてからアンロックだよ」
 マナブは黙って、位置もきかず壁のスイッチを入れ、その横のキーを回した。ヒロシの目の前に立ち上がった画像が揺れ、
「ああ、暑いんだな」
とヒロシはつぶやいた。マナブは小部屋から出て、建物の扉を開けた。近づくと、建物の中から熱気が流れ出てきた。
「オフにすると断熱もなくなるからな、たしかにここにはなにもない」
 建物の中は、天井の照明のほか、壁の上に高い窓が並び、テニスコート2面程度のひらたい床がひろがっていた。奥にプランターがいくつかとりのこされたようにちらばっている。壁のそばには小さい安物の作業車がある。外で使っていたもののようで、運転席に簡単な屋根がある。起動したばかりの空調機がごうごういっている。
「自分がここでつくれるものを探したいっていうんで、むかし俺の使っていた、苗取用の作業所貸してるんだけどな、山の仕事の合間にやってるんだが、こんなところじゃなくちゃんとした表で、ふつうにみんなのつくってるようなものつくればいいのに、変なもの生やすから油断できないよ」
「貸さなきゃいいんじゃない」
「まあ、なんとなくやる気も大切だからな、子供じゃないから、言わんのだが、暇なら一緒にくればいいのに」
 少し見ているだけで噴き出す汗を拭きながら、マナブは温度調整服を再調整して、ふたりは小部屋に戻った。
「メロンつくってたんだろう、プランターはもうのけてしまったのか」
「出来があまり良くなかったよ、欲しがる知り合いはいたから送ったけど評判は悪かったよ、また仕切りなおすよ」
 マナブは苦笑いした。
「次はなに作るんだ」
 ヒロシは、まだ決めてないよと答えた。そして、ミナコさんもオオカミ送りに行くのかいと、また訊いた。ふたりは車に戻った。やや狭い道を山に向かう。
「知り合いって、いるのね、彼」
 気づくと、前後にも車が走っていた。みな、オオカミ送りにいくのだった。

オオカミがふもとに出てくる習慣をつけないため、オオカミ送りは曲がりくねった道をあがっていった峠の、ヘリ発着場で行われる。
 峠から尾根にかけてかなり広く整地され、数十台の車がとまっている。そのうしろにねじこんであるのは、すこし遠いところからの、4人乗りドローンである。
 整地されたむこうは急斜面がおちている。その手前に、小さなステージがあって、そばに音楽装置にも見える機器類が並ぶ。技師が数人歩き回っているが、うち一人がこちらに群れるひとびとに向かい、
「そろそろいきますよ」
と声をかけた。こちらにいるのは、ほとんどが温度調整作業服の男たちだが、まばらに女もいた。年齢は高齢に寄っている。何人かが、おうよ、と、応じた。
 技師は、ロボットリーダーの位置を確認しながら、こちらからすこし甲高い音で誘導する。直接動きをコントロールしないのは、実際のあしもとがわからないからである。メスたちの位置も追跡されている。
 数十分で、やや近いところから、吠える声が聞こえてきた。
 銃を持った十人ほどが、前の方に出た。斜面のこちらの茂みが音を立てて揺れて、まず、オオカミのように見えなくもない、四つ足のロボットが飛び出てきた。ステージに乗って、茂みを振り返り、吠えた。
 ぞろぞろメスオオカミたちが出てきた。ロボットが吠えるとそこに静かに、腹ばいになった。
 ステージの上で、ロボットはメンテナンスを受ける。時々わざとらしく、技師に鼻づらをおしつけ、くんくんいってみせては、群れに向かって吠える。
 並んだ銃の後ろで、変な儀式ね、とおもいながらみている。そのあと、マウンティングがある。ひとびとが集まってきたのは見物のためではなく、ひとりひとりリーダーロボットに順位を確認して群れに見せつけるためで、時間がかかるのである。
 はやいうちにミナコの順はきた。そのあと、ステージの下から、リーダーロボットにむかう行列をみていると、ミナコの腕の端末が震えた。みると、住居管理システムから警報である。ミナコの家の、室内温度が上がっている。全体の電源がおかしいようだ。
 戻らないと、と思って周りを見るのだが、すぐにマナブはみつからない。
思い直して、集団からうしろに出て、ヒロシに連絡を入れる。
「、、、なに?」
 あわてたような声が出る。
「いまオオカミ送りなんだけど、ごめんね、うちの様子がおかしいの、みてきてくれないかな、ロックはあけるようにしとくから、あ、あくのかしら」
「何がさ」
「電源がきれて、家の温度があがってるみたいなの、ネコが心配で。でもこっちからロックはあくのかしら」
「居住型ならロックは独立してるよ、あけてくれるのかい」
「お願い、私もすぐ降りるようにするから」
 そしてまたマナブを探した。行列のうしろで見つけたので、すぐに帰りたいというと、
「俺は去年やってるからよしとしておこう、ミナコさんはおわったんだね」
車に戻った。車やドローンと、人のあいだをゆっくり抜ける。すでに帰り始める人もいて時間がかかる。山の道路を降りて行った。
 空は明るいが、すでに、ヒロシの作業所は、山の陰になっている。小部屋には誰もいないようで、行ってくれたのかとミナコはホッとする。建物本体の上の窓から、建物内の天井の明かりがついているように見えた。
 ミナコの家の前には、2人乗りコミューター車があった。ヒロシのだな、とマナブが言い、二人で玄関から入っていくと、
「建物の外のカプラーが外れてたんだ、ネコのほうはこんなんだけど、痩せたね」
 廊下から台所に入ったところにヒロシがいた。部屋はすっかり温度がさがり、あしもとに、おおもとをすこし小さくしたサイズ、太ってからにくらべると半分ほどの大きさになったトラ模様のネコが、ヒロシからもらったらしいチューブをうれしそうに噛んでいた。
「あなた、うちのネコなの?」
 ミナコはネコにきくと、ネコは、頭を低くした。その前に掌を出すと、ネコはいつものように、仰向けになって頭をのせて、体を左右にくるくる回した。

すっかりすっきりした体になったネコにあわせて、適正温度を、ミナコはしばらくのあいだ、探さねばならなかった。以前よりすこし高いところで落ち着いたのだが、ミナコにとってはすこし暑い。
「また、ちょっと太らせた方がいいのかしら」
 そう思いながら、太った有様を思い出すとチューブをどんどんやる気にならなかった。
 サイズと温度の関係が大切で、あまりずれたら命にかかわるのだと、ヒロシには強めに言って、ヒロシがついでにチューブをやることもなくなったようだ。
 なにもくれないのでネコはヒロシが来てもあまり動かなくなった。

秋になった。痩せたネコを素材にしてあたらしいキャラクターを出したら、アクリル画のオーダーもいくつかきたので、ミナコはすこし気をよくしていた。
 ヒロシは、チューブはやらないものの、荷物をもってくるたびに、
「ネコ、どうしてます」
と訊く。ネコはもう出てこない。
 裏口のむこうには、涼しい風がふいている。暮れるのもはやくなった。ヒロシは、
「ちょっと調べてみたんだけど、ネコ、あのヴィゴのこと」
「どうしたのよ」
「宇宙から何匹かつれてこられたけど、猫によく似てるとは書いてあるんだ、でも、ほんとに猫そのものだね」
「私のおばあちゃんが子供の時にもらったのよ、おばあちゃん猫好きだったから、ほかにも何匹も一緒に飼ってたといってたけどね、けっきょく本物の猫はみんな死ぬのよ、それが嫌になったって、私が覚えてる限りではもう、うちのあのネコとだけ一緒にいたわね、見てると、一緒にいたほかの猫のしぐさをいろいろ真似てくれるから、思い出して飽きないっていってたわ、ひょっとしてあのコ、猫の真似してるだけなのかもしれないね」
「猫の真似をする、死なない生き物か、、、怖くない?」
「考えたことないわね、ずっと一緒にいるんだから」
「いや実際、それで怖くなって外に放したってひとがむかしいたらしいんだよ」
「どこでそんな話聞いてくるのよ」
「防疫局だよ、おおざっぱには教えてくれるから、あとは調べるんだ」
 あの部局も大変ね、とミナコは思った。それにしてもヒロシはなんでこんなに熱心なんだろう。
「放したのってどうなったの」
「わからないよ、宇宙時代にいろんなものが入ってきたし、まわりに影響のあるものはいろいろ調べられたけど、弱いものは後回しでそれっきりになったものも多いらしいんだ。環境の変化に弱いから、単体で放したら生きていけないんじゃないかっていってた。実際逃げてそれっきりのものはあったって。寒かったらそのまま死ぬし、暑いと、、、、、ええと、やっぱりもたないし、特に小さい個体は温度変化に弱いって」
「そうね、うちでも、温度管理はうるさく言われたし、でも、小さいと死にやすいの?」
 ヒロシは、すこし目をそらした。そして、
「猫の好きなひとに配られたらしいから、ミナコさんのところと、飼育環境はどこも似たようなもんなんだろうね。売ろうとしたひともいるけど、いつ死ぬかわからなくって、というより、いつまでも生きているのがダメな人が多いんだ。いちど癖になったしぐさはなかなか忘れないのも、もらうものには不気味だって、あまり手を出す人がいなかったんだって、みんな、かわいい子猫から飼って、自分だけの猫にしたいんだね」
 ヒロシは、考えながら言っていた。
「けっこう長く飼ってるひとはほかにもいるんだけど、やりとりってあるの?」
 ヴィゴの死ぬ話は遠慮してくれたのかしら、と思いながら、
「ないなあ、困ったことは特にないし、チューブが好きって教えてあげたら喜ぶかもしれない、太るからたべちゃいけないって、というか、ちょっと暑くなるだけであんなにやせるとは思わなかったわよ」
「かなり暑かったからね、あのときは」
「涼しくなってよかったわ」
 そろそろやりとりに飽きてきたミナコは話を適当に切り上げて、ヒロシは帰って行った。
 隣からもらった野菜と、ストッカーからとりだした肉を解凍して、夕食の用意をしながら、ミナコはぼんやり考えた。なぜ、「小さい個体」の話をしたのだろう。その人はそれをどこから手に入れたのだろう。暑くて痩せるってことなのか。ミナコは、ヴィゴが分裂することを完全に忘れていた。

あたりの山はほとんどが常緑樹であるが、山裾にはススキが生えて薄茶色になり、手入れの行き届かない中下草も少なくなってきた。あまり外に出ないミナコだったが、この時期は、ゆっくり川に沿った道を歩くのが気に入っていた。
 昼下がりである。まず、上流に歩いていく。しばらくするとヒロシの作業所通る。小部屋にはだれもいない。作業所の建物には明かりがついているのが窓から見えた。中で何かしているのかと思ったが、小部屋の裏にはコミューター車もなく、何か育てているのだろうと思ってそのまま歩き続ける。
反響するので距離はわからない。伐採機が作業する、木を削ったり重ねたりする音がきこえてくる。
 ミナコは、反転した。買い物して帰ろうと思い、ヒロシの作業所を通過、集落のはずれから、自分の家に入る小路のまえを通り過ぎた。行先の、週に数回あけているパン屋のまえの、川側のスペースにヒロシのコミューター車があった。
 「こむぎや」と看板を張り付けたおもての柱に、プードルがつながれていた。
 木造家屋をやはり改装した店である。戸を開けると、そのまま少し広い土間で目の前に男の背中があった。その向こうで、中背のきゃしゃな、ヒロシとおなじくらいに若い女の子が、腰ほどの高さの、幅2mほどの陳列台にならぶパンをのぞき込んでいる。髪は長い。ワンピースらしいものの下にパンツをはいている。靴はスニーカーである。
「ねえ、これ食べたことあるの?好き?、ヒロシ君」
 背中の持ち主を見ると、ヒロシである。口角はあげても目は笑わないままで、
「それと、そっちが好きだよ、でも、なんでもおいしいから食べたらいいと思う」
「あれ、どうしたの」
「あ、ミナコさん」
 気づいたヒロシは、女の子を手で示し、
「ハツミです、こちらミナコさんな」
 ハツミは、こちらに向いて、こんにちわー、と言っては、またパンに向かった。黙って様子をみてると、いくつかパンをのぞき込みながら選びもせずに、こちらにやってきた。
「ハツミでーす」
 語尾を伸ばすのは嫌いだったが、それを正直に出すほどミナコは若くはなかった、
「あーかわいい、どうしたのヒロシ君」
「ちょっと犬のことが訊きたいって言ったら、連れて遊びにきたんです」
「前からの知り合いよ、ねえ」
「そうだね」
 どういう知り合いかは訊かないことにした。
「ここ、おいしいっていうんですけど、どれがお勧めですかあ」
ちらっと、レジの、40歳くらいの店主の生ぬるい笑顔を見る。そんなもの、どれもおいしいとしか言いようがないだろうに。
 それでもなんとか、自分の好きなパンの話をして、ミナコがアーチストだというとハツミは大騒ぎし、ふたりで仲良く買い物を選んだ。
 店の外で、ハツミはプードルの紐を柱から解いた。パンをちぎってやろうとする。犬は、うれしそうに前脚を突っ張ってはあはあいった。
「かわいいでしょう」
 パンの袋を持ったヒロシは、じゃあ、と、ハツミを車に促した。
「なんか、アートしてるんですって、また遊びに行ってもいいですかあ」
「いいけど、いつまでいるの」
「しばらくいます!」
 ミナコもパンの袋を持って、背を向けて家に歩き始めた。この場所でそんなに長居できるタイプには見えなかったし、ヒロシの表情が意外だった。なぜこの相手がそこにいて、自分は楽しそうに話さなければいけないのかという表情だった。あんな顔もするのか、と思った

暇だったのだろう、ハツミはすぐにやってきた。
「これ、見たことあります」
 語尾をやや伸ばし、できかけの絵を見ては、かわいいと大声ではしゃいで見せる。
 ミナコは、実害がない限りは、しゃべり方はともかく、とくに嫌いなタイプとは思っていなかったので、すこし説明した後、作業室を見て回るのは放っておいた。
 お茶を台所に用意する。座って、甘いものをかじるハツミに、
「じゃあ、ヒロシ君のところにいるのね」
「そうなんですよ」
 あっけらかんと言った。訊かれもしないのに、
「むかしつきあってたんだけど、あんまり相手してくれなくなってちょっと違う人にいってたんです、でも、こないだメロンおくってくれて、変な形のメロンだったけど、犬のことおしえてくれといわれて、しゃべってたらやっぱり好きだなって」
「犬ねえ、、、ここらでも飼ってる人はいくらでもいるんだけど」
「このへんの犬はみんないかつくてコワいって言ってました」
 そうかもしれない、猟犬が多いからである。プードルももともと猟犬ではあるが、鳥相手の小型犬であって大型獣を相手にするわけではないし、現状ではほとんど愛玩犬でしかない。
「うちのコはおとなしくていうことよくきくんですよ」
「今家に置いてるの?」
「ヒロシ君、仕事場につれていって遊ぶっていって、帰ってこないんです、それって仕事じゃないですよねえ」
ネコのことといい、動物が好きなんだなとあらためて思った。
「ここに来る前は、ヒロシ君なにやってたの」
「ええっと」
 ハツミはにこにこしながら、
「それ言ったら怒られるんですけど、秘密ですよ」
 軽いなと思いながら、目を見開いて興味のある顔をしてみせると、
「とりあえず売るものがなくっちゃといって、私の部屋のすみっこに自動照明保温プランタ3つくらいおいて、勝手に育てちゃ怒られるもの育て始めて」
 前からやってたのかと、ミナコはげんなりした。
「自分のところは狭すぎるとか言って、でもあれって部屋の登録主からの申請いるでしょ、あたしの親がそんなもの許すわけないから、しばらく帰ってこないあいだに電源切っておいたら枯れちゃって」
 内容が深刻なのかお気楽なのかわからなかった。
「彼、怒った?」
「なんか悲しそうな顔してました」
 ハツミは嬉しそうに言い放った。
「あいつ、あたしがほっとかれるの嫌いなの知ってて、ときどき黙ってどっか行っちゃうんですよ、だからそれくらいしてもいいですよね」
 ミナコは返事のしようもなく、ハツミは、ソファの横から顔を出したネコを見て、声を上げて喜んだ。ネコは、そのまま顔を引っ込めたが、ハツミが、肩に回す小型ポーチからチューブを取り出してキャップをあけると、ソファの下からそれをじっと見上げた。
「これ、好きなんでしょう」
「あまりやらないで、太るから」
「太るの嫌ですよねえ」
 誰の話をしているのかわからない。
「これ、ヒロシのところにあって、ここにくるのでひとつもらってきたんです、なんだかいっぱいありました」
 そんなに買っていたのか。ハツミがチューブを近づけると、ネコは顔を寄せていく。中身を絞りだすと、身を伸ばしてかじりついた。
「やっぱり、これ、好きなのよね」
「夏にはずいぶん太って暑そうにしてたって聞きましたよ。痩せたし、涼しくなってよかったですよね」
 四季はそれなりにあるからね、とミナコは思ったが、そう、ヒロシ君のおかげで助かったのと調子を合わせる。
「寒いのは大丈夫なんですか」
「寒い方が駄目みたい、変温動物なのよ、このコ」
 じゃあ雪なんか降ったら大変じゃないですか、というハツミに、一度降ると止まらなかったりするのよこのあたり、と、まだ居住歴は一年しかないのに、ミナコは教えてみせた。

野山が枯れると、深い空の色が浅くなる。
 昼下がりに、マナブから知らせがあった。
「たぶん出てこないとは思うんだけど、あまりひとりで山の方に、特に暗くなってから行かない方がいい、あ、順番に直接連絡してるから、わざわざ回さなくていいよ」
 作業室で、端末にミナコは返事する。
「行く気はないけど、子供にいうみたいね、どうしたの、マナブさん」
「オオカミのロボ、いたろ、あれが、壊れたらしくて、ついてるメスの群れも、なかなかつかまらないらしい、群れのほうは場所は遠隔でもわかるんだ、代替えがじきにくるから、それまで気をつけろとさ、マウンティングもすごくあてにはならないから」
 それは困ったね、明るいうちにちょっと買いに行こう、と、ミナコは作業モニターの相手を中断して、部屋着に厚めのプルオーバーをかぶった。モニターの前でネコはじっとしていた。
 「こむぎや」で3つほどものを選んでいると、店に、ヒロシとハツミがやってきた。ハツミは、高い声でミナコを呼び、あいかわらずのにこにこ顔で手を振った。ヒロシは、
「オオカミの話知ってます?俺はオオカミ送りにいってないんで」
 やや丁寧である。
「私にも、あまり出るなって、いってきたわ、だからいまのうちに買いに来たのよ」
戸口の横に引き込んで話をする。ハツミは陳列棚の方で品定めをしている。
「彼女もこんなところで、よく持つわね」
 小声でヒロシにささやくと、ヒロシは苦笑いをした。
「けっこうどこにでもついてくるんですよ、こないのは配達くらいで」
「仲いいのね」
「面白がってるんですか」
「それはない」
 ハツミが店長に端末から支払いを済ませ、続いてミナコが払う。挨拶して店から出ようとすると、ハツミが、
「ミナコさん、ネコの扱い方、教えてくださいよ」
「どうして」
 ヒロシが、顔をしかめてハツミの肩を押し、去ろうとするが、
「うちにいるコが元気なくて」
「プードルじゃないの」
「ネコもいるんですよ」
「ミナコさん」
 ヒロシが、思い切ったようにミナコの向かいに立った。
「ごめん、ちょっときいてほしい」

「なによこれ」
 作業所までつれてこられたミナコは、小部屋に入って、声を上げた。
 彼女のネコにそっくりな生き物が、デスクの上にいたからである。
ハツミは、
「ごめんね、ヒロシ君、でも、ちゃんといっておいたほうがいいと、あたし、思ったんだよ」
 返事はしないが、ミナコには、ヒロシがかなり嫌がっているのはわかった。
「調べたんだ」
「何をよ」
 ヴィゴである。連れ帰ったクルーは猫好きで、猫画像を航行中ずっと部屋につけていたらしいと、ヒロシは説明した。その動画は立体であったから、ヴィゴは、運ばれる間、おなじ部屋の中で走り回る猫の立体画像を見続けたことになる。
「それで思ったんだよ、こいつがほんとうにもともと猫の姿かわからないし、真似するのがうまいでしょ、いっしょにいる生き物とおなじ形になるよう出来てるんじゃないかって」
「それで、このコがなんでここにいるの、どうやってつれてきたのよ」
「ミナコさんのネコはミナコさんのところにいるよ、これはべつ、というか、同じ奴なんだけどべつなんだ」
 だまってミナコは、目の前のネコに手を出す。ゆっくり出てきたネコは、両脚を突って舌をはあはあ出して見せた。まるで犬である。
「、、、なにこれ」
「犬と一緒にずっとしてたら、しぐさは似るんだけどね、、、、姿はかわらない、、、ミナコさんのネコ太ってたろ、暑い部屋で、ふたつに分裂してたんだ、あのとき、実はミナコさんらが帰る前に、うちの一匹をこっちにつれてきてたんだよ」
 ミナコは唖然とした。
「分裂するくらいだから形状に相当自由度があるんだろ、いっしょにいる生き物とそっくりになれるならわかりやすいと思ったんだけど、ダメだったよ、姿はかわらない」
「そもそもなんでそんなこと考えたのよ」
「好きなペットがいるとするじゃない、それといっしょにしとくとそっくりになるなら、そのペットがいなくなっても大丈夫ですって、売れるじゃないか、だから増やそうと思って」
「最低でしょ」
 ハツミが口を出した。
「あたしのプーちゃん、そんなことのためにつれてこさせたのよ、こいつ」
「こいつっていうな」
 ミナコは制止した。
「じゃあ、このコは、うちのネコの複製」
「いや、おなじ個体だよ、その後こっちにいただけで。プーちゃんといっしょにすごさせたらずいぶんプーちゃんのしぐさも真似るようになった」
 たしかに、ミナコをみあげて、はあはあと舌を出し、お座りのまま細かく上下に動いて前後する仕草は、ネコのものではなかった。
「なにこれ、犬みたいじゃないの」
「そうなんだ、姿が猫だからちょっと困っていて」
 掌をデスクにおいて、ネコのほうにやると、ネコの動きは止まった、ゆっくり中指の先に鼻を近づけ、仰向けになって掌に頭をのせた。
「これ、やっぱりうちのコじゃないの」
「だからいってるじゃないか」
 デスクのわきで、ヒロシは、暑くもないのに汗をかいている。そのむこうの、戸口近くで、ハツミは神妙な顔をして目を伏せているが、ときどき上目遣いにこちらを見ていた。
「連れていっておいて、ちょっと困るから私にどうしろっていうの」
「飼わない?」
 ミナコはすこし頭にきた。
「うちのコと同じコだからって、無責任じゃないの、自分でちゃんと考えなさいよ」
「考えたんだよ」
 考えてこれならあんたはおかしいよ、といって、ミナコは戸口に向かった。
 夏、外からカプラーをいじくって家の電源をおかしくしたのも、ヒロシだったに違いない、私がロックをあけなかったらどうする気だったのか、それはそれでもっともらしいことをいって片割れをもっていく気だったのか、いきあたりばったりも過ぎる。そう思うとよけい腹が立った。

ミナコの家の裏口ががたがたいう。もう外は暗い。
「いいかい」
「マナブさん、ごめんね」
 まあ、ついでだからなと、マナブが通販の箱を、台所に持ち込む。
「どうしてもいきたくないとヒロシは言うし」
「私もあまり顔みたくないからいいのよ、でもマナブさんに悪いわ」
「空いてる時間にもってくりゃいいんだから、かまわんけどな」
 風がつよく、寒い。マナブは、温度調整作業服に長靴、首にタオルを巻いている。寒い時期のほうが、山の中では動きやすい。そのままの格好で、集積場から箱をもってきたようだ。
「彼、どうしてるの」
「離れでハツミちゃんとなんかやりあってるよ、ハツミちゃんは帰りたがってる、あの犬を毎日散歩に出すものだから、俺と顔はあわせるんだ、いろいろ、たまってるようだな」
 そりゃそうよねえ、そもそもいまだにいるのが不思議だわとミナコは思った。
「ヒロシの方は、ぐずぐず言ってるけど、もうここにきて半年以上でも、なにをするわけでもない」
 いや、いらないことをやってくれたんだけど、と心の中でミナコ。
「作業所でなにが育ったわけでもないみたいだしな」
 マナブは、ミナコに顔を向けた。
「なにがあったんだね、あいつはたしかにいい加減な男だ、調子はいいが、やりきらない、ものをもとの場所に戻さない、戸締りもいいかげんだし、へんに頭が回って手早く金になることは好きだ、おかしな仲間とつるむことがないのは救いだが、相手にされないだけかもしれん、自分の親族ではあるけれど、兄貴からちょっと多めに金つけて預けられたんじゃなきゃ放り出してる、いや、金つけられたから住ませるのがいけなのかもしれないが」
 ミナコは首を振って止めた。
「あんまりひどく言うもんじゃないわ、まあ当たってるところはあるけど」
 なにがあったか、ヴィゴのありようから説明するのは面倒だった。それより、ネコの片割れはどうしたんだろうということが気になった。マナブが、ヒロシやハツミの近くにネコがいることに気づいていれば、何も言わないはずがない。連れ帰ることはあっても、見せないようにしていたろう。もしくはもう、作業場にずっとおいているのかもしれない。
「いいのよ、相談する必要があったらするから大丈夫」
 そうなのかい、遠慮してはいけないよと、箱を運び込む。今日は雪になるかもしれないねと、マナブは出て行った。
シャワーをあびていると、窓の外は強い風の音がした。
 体を拭き上げ髪を乾かして、ジャージの上下を着る。モニターテーブルにおいた端末から、
「雪が降るので注意してください」
という自動音声がした。
 ちらちらする風花はともかく、まともな雪は今年はじめてね、と思いながら、暑い綿入れを着て、長靴をはき、ミナコは玄関から外へ出てみた。
 頭にどんどん、やや細かい雪が、降ってくる。ソープくさい顔のほてりが急に冷えていくのがわかる。
 家のある小路の入口には街灯がある。街頭の下は照らされて、雪がその中にあらわれては落ちていく。このままつもるかもね、と思いながら、ふと、ミナコはハツミを思った。
 そういえば雪の話をしたわね、帰りたいといってるみたいだし、そもそも、うちのネコのかたわれは、あのあとどうしてくれたのよ。
 作業所にいるんだろうかと気になった。ミナコはそのまま、雪の降る中を、綿入れの頭巾を頭からかぶって歩き始めた。風はやんでいる。ところどころ白い道路には街灯がぼつぼつついており、見通しはいい。
 作業所のあかりはつけっぱなしであった。やっぱりヒロシね、とおもいながら、小部屋をドアの小窓からのぞき込む。なにもいないようだ。さすがにロックはかかっている。
 作業場のあかりもついているのは、上の窓からわかった。こちらにいるのかもしれないわねと、ミナコはゆっくりドアに手をやった。
 L字型のハンドルは、抵抗なくおりた。ドアをひくのも問題ない。
 明るい作業場の光がすきまから漏れてきた。ゆっくりドアを開ける。空気が漏れる。外とくらべてかなり温度は高く設定されているようだ。
中を見て、ミナコは、固まった。
 ネコがどこにいるのだろうと思ってのぞき込んだら、作業場内のそこここ、歩くのに邪魔になるほどに、ネコが、立ったり、座ったり、うずくまったりしていたのである。ネコたちは、みなミナコをみていた。数十匹はいるように見えた。
 ミナコは作業場に入り込んだ。風が吹いて雪が入り込む。ドアを閉めて、
「なにこれ」
 つぶやくと、こちらを向いているネコたちが、いっせいに動き始めた。うち一匹は、ミナコのそばで、犬のようにがたがた体を動かし、くんくんいった。
「あんたが、こないだのコね」
 ほかのネコたちは、ミナコの足元にまとわりつき、綿入れにとびつき、おもわずミナコはしりもちをついた。そして、作業場内を見渡した。
 すみのほうに砂がつみあげられている。ヴィゴは、排せつ物のきわめてすくない生き物だったが、これだけ集まると、さすがに茶色い小さな糞粒があつまっている。壁際には、大型の自動給餌機がある。餌ははみ出している。
「そうか、こうなるまでは、たくさん買い込んだチューブをたらふく食わせたのね、ヒロシ」
 効率よくネコを分裂して増やしたのだろう、どうでもいいところで手際のいい男だった。
 ミナコがネコの山にうずもれていると、明かりが消えた。見上げていると、窓から天井に車の明かりらしいものが浮き上がり、そのまま動いて消えていった。
 真っ暗である、しばらくじっとしていると、遠くの街灯が雪にうつったあかりが、ぼんやり窓から入ってくるのに気付いた。
 明かりが消えたことには反応もなく、ネコたちはミナコに群れている。ミナコは、ゆっくり立ち上がり、ドアのあたりまで歩いて、手探りでレバーを探した。ロックがかかっている。
 彼女自身の端末は、シャワー浴びるときに外したままである。連絡の手段はない。
 何が起こったのか考えた。雪が降っている。これからぐっと寒くなるし、雪だと通る人が減るからここにいることはわかりにくくなるだろう。ここに寒くなるまま閉じ込めた、その相手は自分じゃない。
 大麻を枯らしたハツミが、今回も、寒い中でネコたちをどうにかしようとしたに違いない。電源を切って帰って行ったのだ。
「あのバカなコ」
 窓は高くて手が届かない。気づくと温度はどんどん下がってきている。暗いと手元もわからない。明るい方が動きやすいから待つとしても、明日の朝までもつだろうか。これだけネコがいれば、でもこのコたちは、ほんものの猫じゃない。哺乳動物ならかたまってあたたまることもできるのかもしれないけれど。
 ネコたちが集まってきているのを感じた。寒いのだろう。
「馬鹿な男にだまされてごめんね」
 ちょっと違うような気がした。
 顔のそばのネコに頬ずりし、手の届くところのネコをなでる。さわられたネコたちは、気持ちよさそうにゴロゴロいう。一匹だけあいかわらずばたばたハアハアいうネコがいて、犬の真似するコねと、手を伸ばしたがどのネコかはわからない。
 なまぬるい中につつまれ、そのうち眠くなった。半分寝ながらなでるうちに、手触りがなんだかなめらかになった。たくさんの小さいネコではなく、もっと大きいなにかの背中をなでる感触である。
 ミナコはぼんやり目を開けた。暗い中で、大きな生き物一匹が、ミナコを抱き込んでいた。ミナコが息をのむと、その気配に感じたその生き物は、ミナコから離れて立ち上がった。
 その影は、ネコにみえた。遠近感がおかしいように思った。虎のように大きいのに頭も大きい。そいつは、
「わん」
 ハツミの犬のような声を出し、ミナコの綿入れの胸元をぐっと噛んで、落ちないようにミナコをくわえ上げた。そのままおどりあがって、作業車の屋根を軽々と超え、窓にはめられた温室対応の透明板をぶちぬいて、雪の降る道路におりたった。
 そして、うすく雪の積もる道を、集落に向かって走り始めた。

ミナコの期待とは裏腹に、ネコはミナコの家をゆきすぎて、マナブの家の庭に入り込み、ヒロシの住む離れにそのままのたくりこんだ。場所がわかるということは、やはり、こっそりここにあの一匹を連れ込んでは、プードルと暮らさせていたのだろう。
 プードルのように、うれしそうにハアハア荒い息で前足をがたがたさせる、巨大なネコをみて、ヒロシもハツミも逃げ出した。ネコはそのまま部屋に入り込み、ミナコは空調の温度を設定上限まであげた。
 走るネコをみかけた車から、オオカミが入り込んだのではないかという連絡が入り、ヒロシとハツミがかけこんできたこともあって、母屋からマナブがやってきて、ヒロシの部屋の前に立つミナコに、なにがあったのか訊いた。巨大になったネコをうっかりプードルといっしょに部屋に閉じ込めたまま、ミナコはひたすら、
「あたたかくなるまで待って」
と言い続けた。
 オオカミの群れのシグナルは遠かったのだが、念のため銃を持つものまで動員されたところで、暗くて飛べず地上路をかけつけた警官がゆっくり戸を開けると、何十匹にも分裂したネコたちが、みな、くうんくうんとうなりながら、部屋の中からあふれ出た。

その後である。
 ハツミは、言い訳してさっさと町に帰って行った。
「ミナコさんがあんな所にいるとは思わなかったのよ、ごめんね、あたしはヒロシのかわりに戸を閉めたりスイッチ消したりばかりしてたのよ、あのときもたまたま消し忘れに気づいただけなの、だからわざわざいったの、あそこまで消す気はなかったの」
 ヒロシは、
「温度が上がれば分裂するんだから、下がれば合体することだってありうるよね、考えが及ばなかったよ。地球じゃそういう環境じゃないけれど、もといたところでは、そうやって環境に応じてサイズを変えて繁殖したり、どうやら、学習した記憶もそのときに共有するみたいだね」
などと、偉そうにミナコに説明した。ミナコは、決してヒロシは、頭は悪くないんだけどなあと、思うのである。
「理屈はいいけど、あんたこのコたちどうするのよ」
「まずは犬のクセを抜いて貰い手をさがそうかな、でも、体重を調整しながら合体と分裂を繰り返していけば、数は調整していけるんじゃないかな、うまくいけば小さな一匹にできるかもしれない」
 この調子でいままでろくなことがなかったらしいのはさておいて、そこで最後に残った一匹を、自分のネコと合体させたものなのかどうなんだろう、どうもその気になりそうもないと、ミナコは思った。

しばらくして、大勢の小さな猫キャラクターと、すっくり立ち上がった巨人のような、むしろオオカミに似たキャラクターを、ミナコはあらたに立ち上げた。好評であった。

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