梗 概
1059番目のC
小惑星の衝突で地球の60%が海底に沈んだ。土地の有効利用のために不要になったものはすべて溶鉱炉で溶かされ処分されている。
エリヤは工業機械専門の第四小型溶鉱炉の管理者として、電波も届かない外界と断絶された岬の先にある小さな施設で父と暮らしていた。
ある日、最新型ヒューマノイド「アグロ」が第四小型溶鉱炉にやってくる。政府の命令で、電炉法の中という極限状態での感覚器官の反応データを発信するのだという。エリヤは正常なまま自ら1500℃の中で溶けるというアグロに興味を持ち溶ける様子を観察することに決めた。
溶鉱炉から離れ、エリヤは防護服の頭部を脱いだ。途端に肉の焼ける匂いが鼻をついた。振り返るとアグロ腕からずるずると皮膚がただれ落ちはじめていた。エリヤはすかに顔をゆがめた。
「グロいね、痛みはアンインストールしてんだろ?」
「できません。私の脳は人体においてニューロンがシナプスに電気信号を伝達するのと同じメカニズムで制作されています。人間と同じように制御は不可能です」
アグロはヒューマノイドの感情が人間と同じメカニズムに生まれると語る。
「その体はすごいな。俺なら数時間で完全に消えちまう」
「人体が溶けるところを観たことがあるのですか?」
“人体が溶ける”嫌な言葉だった。急に息苦しさが増し、吐く息の暑さで目の奥が疼いた。
「……あるよ。ここは昔、人間専用の溶鉱炉だった。人間はここで小さくて透明なただの石になる」
熱い息を噛み締めるようにエリヤは父が管理者と共に牧師をしていたこと、ある人間を溶かした日を境に管理者の仕事を放棄し、病み溶鉱炉からダイアモンドを拾い集め集精神を病んでいった父を愛せないと語った。エリヤの懺悔のような独白を聴きながら、アグロは自分は父を愛していると言った。
アグロが溶け切ったあと、イリヤは感情がありながらただデータを記録するためにだけに溶かされる存在。ヒューマノイドと人間を分ける尊厳の差を知るために外の世界に向かった。
外の世界ではアグロと同じ容姿の最適化された1つの人格および情報を移植したヒューマノイドのみが生産されていた。アグロが言った言葉も感情も彼固有のものではないなら、どのヒューマノイドでも溶鉱炉の中で同じ話をするのだろうか。
調べるうちに数十年前までは、選定された5種類の人格情報が人間のように差異のあるボディに移植されてこと。そして、人間と区別するためにヒューマノイドには№が刻まれたダイアモンドが埋め込まれていたことを。時間を重ねるうちに問題を生じる可能性のある4種類の人格は淘汰され旧型ヒューマノイドは処分された。実験的に残されたものは世間から隔離された施設で今も働き続けていることを知る。
イリヤは、それは父とエリヤ自身で、父が最後に溶かしたのは本当の人間だったのではないかと思った。
溶鉱炉のふちに立つイリヤは、父の溶けていく様子を見つめていた。
文字数:1190
内容に関するアピール
ヒューマノイドが溶鉱炉の中でじわじわと溶けていく様子と、防護服に蒸されていく男を丁寧に書きたいと思います。ターミネーターみたいじゃなく。
機械の体に脳みそだけを移植したら、それは人間なのかロボットなのか。
人間と同じシステムを機械で作ってそこに感情が生じても、ロボットはロボット?
よくわからないので、ヒューマノイドと人間を対話させて、何かしらの答えを出そうと思ったのですが、違う話しになりました。
文字数:196
落下する
エリヤは、瞬きもせずに部屋の一点を見つめていた。机の上に見覚えのない真新しい1通の封筒が置かれていたのだ。不定期に岬に訪れる輸送船から降ろされる荷物は、岬にある小さな倉庫に入れられる。そこから父親が持って帰ってきたらしい。
椅子に腰かけたまま呆けたように窓の外の見つめる、父の皺だらけの腕に抱かれた曇ったガラス瓶には人間の小指の爪ほどの大きさの透明な石が詰まっている。同じようなガラス瓶がいくつも窓辺に並べられている。日の光がガラス瓶の中を気ままに泳いで、サンキャッチャーのように父の顔にゆらゆらと光の鱗を映していた。もう何年も前からエリヤの父は明け方に起きだし、古ぼけた椅子に腰を沈めてガラス瓶の中の石に向かって、ぶつぶつと何かをつぶやいているのだ。きっともう3時間も経てば勝手に食事する気になってくれるだろう。
「行ってくるよ、父さん」
エリヤは封筒をポケットに突っ込んで岬の突端にある溶鉱炉に向かった。家のそばの森を抜けるとき、目の端に古ぼけた小屋の黄色い屋根が見えて、もう崩れそうだとエリヤはふふんと鼻を鳴らした。
溶鉱炉に入るには、カギを開けたあと観音開きの鉄の扉に全体重をかけて押し開けなくてはいけない。空いた隙間に体を滑りこませて、エリヤは汗ばんだ手のひらをシャツで拭うと認証パッドに手をかざした。一度侵入者が事故を起こしてから、セキュリティのために煩雑な作業が増えた。テレビもラジオの電波さえ届かないこの岬に好き好んでくるやつなどそうはいないのに、政府の融通の利かなさに嫌気がさしてエリヤは習慣になった小さなため息をついた。そして、ポケットから取り出した封筒の政府のマークを憎々しげににらみつけた。封を切らない訳にいかない。ここは政府公認の廃鉄用の溶鉱炉なのだ。
“2xxx年x月12時 調査員派遣。炉の温度、1500℃厳守”
封筒で届いたとは思えない文章だったが、客人が来るにしろ来ないにしろ、いつもと同じように炉の温度を一定に保つためにコークスを投入する予定を遂行するだけだ。手早く作業着代わりにしているつなぎに着替えると、高炉周辺と高炉内を映すディスプレイの前に立った。赤くどろどろに溶けた溶鉄が炉の中を夜の海のように重い質量でのたうっていた。この小型溶鉱炉に廃鉄が送られてくるのは、月に数回だかそれを等分して、毎日炉に投入するのがエリヤの仕事だ。溶鉱炉は1度火を止めると、再開までに莫大な労力と時間がかかるからだ。小さくとも政府公認の溶鉱炉には、ときたま重要な過去の遺物を溶かす大役が与えられるが、ここが維持されているのはおそらく決められた予算を消化するためだろうとエリヤは考えていた。それでも、自分と父がつつがなく暮らしていけるだけの金を定期的に運んでくれるここを守ることが自分の大切な役目だと確信していた。ここに人を送ってくる政府の思惑はわからないが、今日やってくるお客さんをもてなすことも重要な仕事の1つだと、もう1度今度は大きくため息をついて、コークスの投入ボタンを押した。12時までにはまだ時間がある、いつも通り炉の中を自分の目で確認するために炉に上るために乗り込んだエレベーターは、年季の入った音を立てながらゆっくりと上昇を始めた。
ターン……ターン……ターン……ターン
エリヤがレーザーで炉にこびりついたカスをそぎ落とす手を止めると、12時を告げる振り子時計の規則正しく鉄と鉄がぶつかりあう音が溶鉱炉内に響いていていた。
「………時間か」
エリヤは少しだけ急ぎ足でエレベーターに乗って溶鉱炉から制御室へ戻ると、防護服の上半身を脱いで、ぼさぼさの髪の毛をおざなりに撫でつけた。入口の扉を力いっぱい引き開けると、岬からの風が汗ばんだシャツを通り抜けた。扉の前にはパナマ帽をかぶった開襟シャツを着た男が立っていた。男のすっと通った鼻筋や涼し気な目元以上に、穏やかな佇まいにエリヤはふんっと鼻を鳴らした。
「はじめまして。政府から派遣されたアグロ・F・トーリです。今回は調査へのご協力誠にありがとうございます」
アグロと名乗った男は、帽子を取ると柔和に微笑んだ。
「僕はこの溶鉱炉のキーパーをしているエリヤ・クラーク。調査ねえ。この炉は特に何の問題もなく稼働していますよ。3年前のあの一件でセキュリティも厳重になりましたしね。で、どんな調査なんです?」
アグロを招き入れて扉を閉めながら、エリヤは少し皮肉を込めた言葉をアグロに返した。
「私を溶鉱炉の中で溶かしていただく、それだけです」
ぐるりと前に周りこんで、火に飛び込んでくる大きな蛾を見るようにじろじろと観察を始めたエリヤに、アグロは唇の端を少しだけ吊り上げて、分厚い書類を銀色のアタッシュケースから取り出した。
「表紙からだけで概要はお分かりいただけると思います」
RX-82型の感覚機能および感受機能の極地における受容性能調査
実施場所:国立小型溶鉱炉 C-1589
責任者:エリヤ・クラーク
実験体:アグロ・F・トーリ(RX-82型1059)
「ここに記してあるRX-82型最新ヒューマノイドが私です。1500℃の溶鉄の中という極地で、私は溶け切るまで感覚器官の反応のデータを送信します。ミスター・クラークには溶鉱炉の温度を1500℃に保っていただく以外お手間は取らせません」
「ミスター・クラークはよせ。エリヤでいい。あんたがヒューマノイド?」
以前の事件のときに調査に来たヒューマノイドたちの無機質で感情のない動きを思い出して、涼しげな顔の下に隠れている本性を想像して一気に不快感を覚えた。自分を溶かせとこともなげに言う態度にその片鱗が感じ取れた。
「データを取るためだけに、起動中のヒューマノイドを溶鉱炉で溶かす……頭おかしいんじゃないのか。そんなことをして何になるんだよ」
「得られたデータは、ヒューマノイドの機能性の向上及び人間の感覚器官の再生医療に役立てられる予定です。つまり、人間にとってもヒューマノイドにとっても有用だと言えるでしょう」
淡々と語るアグロを横目に、エリヤは政府の人間中心主義に辟易としながらもそうやって発達した医療技術に自分や父がお世話になる未来を考えると、あながち意味のないことでもないように思えた。
「妙な仕事だけど、確か最新型のヒューマノイドだって言ったよな。あんたが1500℃の炉の中でどうなるか興味がある。僕はちょっと離れて見物させてもらう。来いよ、炉はこっちだ。……どうせ溶けるんだから防熱スーツはいらないか」
エレベーターの扉が開くと、撫でるような熱気が入り込んできた。2人は無言のまま、直径5メートルほどの火口のように熱を吐き出す炉の口に立った。どろどろに溶けた鉄から放たれる熱は毛穴という毛穴から汗が噴き出させる。エリヤは炉に突っ込んだ合成金属の温度計を引き上げて見せた。
「温度はご希望通りの1500℃だ。どうする?嫌になったんなら……」
「ミスター・クラーク、いえ、エリヤ。ヒューマノイドは与えられた指令に背くことはありません。ここに送信機器を置いても?」
エリヤが頷くと、アグロは持っていたアタッシュケースを開き、透明な結晶と黒い金属を手早く組み立てて10センチほどのピラミッドのような通信機作った。それがぼうっと薄く発光するのを確認するとパナマ帽をその傍らに置いて、アグロは炉の中に続くセラミック製の耐火レンガの階段に足をかけた。熱気で瞬間的に衣服は燃え上がり、溶けた腕時計がキャラメルのように手首の皮膚にこびりつくのが見えた。炉の中を見下ろす顔はゆらゆらと赤く染まり、水差しに差し込む夕日のようだとエリヤは思った。
溶鉄に腰まで浸かったところでアグロは足を止め、段差に腰をかけた。その姿が、まるでバスタブに貼られた湯に浸かってくつろいでいるように見えてイリヤは呟いた。
「肩まで浸からなくていいのかよ?」
声は防護服にこもり、金属の唸る音にかき消された。
「問題ありません、いずれすべて溶ければ。あと、頭部が溶けたらおしゃべりもできません」
アグロの高性能の集音機能が声を拾い上げ、発声装置を通した淡々とした声がエリヤの鼓膜にまっすぐに届いた。
「そうかよ」
炉の口から数メートル離れた場所に置いた遮熱ガラスの裏に腰を下ろした。アグロの澄んだ目を見ていると、彼が溶けきるまでの幾ばくかの時間、いつかの父とのように訥々と会話を続けるのもいいとエリヤは思っていた。
ゴヴゥ・・・・・・ゴウ・・・・・・ゴヴゥ・・・・・・ゴウ・・・・・・
炉の底から響く音はエリヤとアグロを飲み込んでうねるように溶鉱炉を満たしていく。じりじりと焼け付く溶鉄たちは真夏の日差しとも違う、凶暴な熱を放出し続ける。炉の表面からは熱が外へ外へと絶えず吐き出される。炉の温度を1500℃に保つためには、燃焼の原料となるコークスを数時間おきに足す必要がある。コークスの量を調整するためにエリヤは一度溶鉱炉から離れ、エレベーターに向かった。炉の口から離れるだけで幾分か熱気が失せた気がして防護服の頭部を脱いだ。途端に肉の焼ける匂いが鼻をついた。振り返るとアグロの二の腕からずるずると皮膚がただれ落ちはじめていた。
鉄と一緒だった。鉄は炉の中で見た目が変わらないまま融点を過ぎた途端に輪郭を失い液体のように外へと流れ出すのだ。鉄は冷えて固まれば、同じ形に戻すこともできる。けれど、溶けていくアグロの腕は、昔、図鑑で観た細胞壁が決壊して変成した細胞のように、もう2度と元に戻らないだろうと思った。
閉まるエレベーターの格子の向こうで、確実に溶けていく体を表情一つ変えることなく受け入れるヒューマノイドが、ひどく滑稽に見えた。
「RX-82型・・・・・・」
制御室で水道の蛇口に口をつけて水を飲みながら、エリヤは考えていた。溶かしてデータを送るならその機関だけを送りつけて、エリヤに炉の中に入れさせればいいだけの話だ。どうしてわざわざ、一見人間に見えるヒューマノイドを送り込んだのか、政府の人間の悪趣味さに鳥肌が立った。それ以上に、人間と変わらない知能を持ちながらも、その命令を平然と受け入れるアグロが心底哀れだと思った。どんなに高い知能組み込まれても、強靱な肉体を与えられても、決して人間に逆らわない機械。いつか人間が死に果てた世界で意味を失ったオーダーを黙々とこなしている姿を想像して、エリヤは胸の胸の奥にチリチリと焼け付くような焦燥感を覚え、かすかに顔をゆがめた。幾度か深呼吸をしたあと、エリヤはコークスの残量を確認して、2時間毎にコークスを炉に投入するようシステムを設定後、炉の清掃用の放水機のスイッチを入れてアグロの元へ向かった。
喉元まで内部金属がむき出しになりながらも、エリヤにはアグロはまだ人間然として見えた
「グロいね・・・・・・痛みはアンインストールしてんだろ?」
「いいえ。私たちヒューマノイドの神経は人間の仕組みを模して作られています。制御は不可能です」
「・・・・・・なのに平気な顔をして、叫びもせずに溶鉄に浸かってんのかよ」
「苦しみで叫び散らすことは、私には内蔵されていません」
「あんたたちは何があっても人間に逆らわない。本当に便利な道具だな」
吐き捨てるように言ったエリヤを、アグロは静かに見ていた。ふと、筋繊維に似せて金属が組み上がった指で髪の毛をかき上げ、頬にふってきた溶鉄にまみれた肉片を指先で払いのけると満面の笑みをエリヤに向けた。
「笑顔は内蔵されていますよ。RX-82型はあらゆる事業に使用されています。もちろん、データ収集が完了して改修が終われば感覚機能および感受機能がすべての個体に搭載される予定です。今でも、あらゆるシーンに対応した感情を内蔵していますが、ゆくゆくは雰囲気を関知して、適切な感情を表出するようにプログラミングされるでしょう。痛みに泣き叫んだりするかもしれませんね」
「あんたはまだプロトタイプで、そこまでプログラミングされてないってことか?」
「どうなんでしょう」
アグロは唇の端を持ち上げて笑った。
太陽が沈み、重く赤い光だけがゆらゆらとアグロの横顔を照らしている。銀色の頭蓋の眼窩にはまったガラス玉のような眼球はゆったりと溶鉱炉の天井を見上げていた。連なったアーチ型の梁と梁との隙間にはめ込まれた分厚いガラスの向こうで、木々たちが夜風に吹かれて涼しげに揺れている。
「最新型だけあってその体はすごいな。普通だったら1時間と保たずに完全に消えちまう」
「私以外のヒューマノイドが溶けるところを見たことがあるんですね」
エリヤの脳裏にこびりついた、折り重なりながらどろどろにとけていく腕や脚と沈んでいく人間の形をしたものたちの残像が揺れる。吐く息の熱さに目の奥が疼いた。
「・・・・・・あるよ。ここは昔、ヒューマノイド専門の溶鉱炉だった。ここであんたたちは小さくて透明なただの石になる」
誰にも話さないと決めていた言葉があふれ出しそうで唇が震えた。防護服のまとわりつくような圧迫感が、今はお気に入りの毛布にくるまっているようにエリヤを安心させた。熱い息を噛みしめて喉の奥から声を絞り出した。
「俺の父さんはここの責任者で、ここには毎日のように廃棄されたヒューマノイドが運び込まれて、それを父さんと一緒に溶かすのが俺の仕事だった。今も思い出すのは、俺たちがこの仕事に就いた日のことだよ。残骸にまぎれて五体満足なやつが何体かいたんだ。子供みたいにみえるやつはチップを抜かれてんのかいつものようにもうただの人形だった。だけど、中年の女性みたいなやつがさ、まだ動いてたんだよ。ぱくぱく口を動かしながらなんか言ってんだけど、声になってなくて。でもさ、人間の形をしたものが動いてる。それをそのまま炉の中に落とすなんて、簡単にできることじゃなかった。だからさ、俺たちはそいつのチップを抜いて人形にもどしてから炉に落とすことにしたんだ。炉に放り込むと時に自然と祈りの言葉を呟いてたよ。俺たちにとってはショッキングな始まりだった。たださ、それが毎日続くと俺はあっという間になれちまって、動いているやつがいても、赤ん坊みたいなやつが来ても何とも思わなくなっていった。けど、父さんは違った。神父には資格がいるけど牧師にはいらないんだって言って、毎日、毎回、炉で溶かすヒューマノイドたちに祈りを捧げてた。炉を掃除する度に、排鉄路には透明な石が残ってた。それがもともとはあんたちの体の中にあったものだって気づいてから、父さんは律儀にそれを拾い集めてたよ」
「ジルコニア。私たちを識別するために体に埋め込まれた物質。ダイアモンドの代用品です」
遮熱ガラスの小さな水疱はアグロを奇病にかかったフリークにも、なにか神聖な生物のようにも見せた。
「人間の代用品のヒューマノイドにぴったりだな。どんなに人間に似せたって、破棄されるときは鉄屑と一緒でここに放り込まれるなんて、人間とは似つかない終わりだよな。俺と父さんはずっと、ずっと、ずっとそんな毎日を繰り返していた。石を溜めたガラス瓶一杯になるとそれを家に持って帰るんだ。陽光がガラス瓶を通るとき、石たちの不揃いな輪郭を光が撫でていくんだ。抱きかかえている父さんと俺と、周りのすべてが乱反射した光できらきら輝いてた。責任を全うした充足感とお互いへの愛情に包まれて、世界一幸福な気分で家路を歩いていたんだ」
うつむいたエリヤの視界を何かが駆け抜け炉の中に落ちていった。エリヤはそばに転がっていた鉄塊を持ち上げると、溶鉄の表面でギャッギャともがいているネズミをめがけて投げつけた。溶鉄がのたりと揺れてゆっくりとネズミを呑み込んでいった。エリヤの震える指先をガラス玉のように透き通った瞳が見つめている。吹き上がる熱気がエリヤを繭のように包み込んで、もったりと波打つ赤い光が目の中にあふれた。ぼうっと重い頭で”言ってしまえばいい”という囁きにエリヤは頷いていた。
「父さんが最後にこの炉でヒューマノイドを溶かした日、俺たちは夜まで仕事に追われていた。
あの日は、外の世界で大きな地震があったとかで、大量のヒューマノイドが運ばれてきて、溶かさないといけないやつがまた何十体も残ってた。明日も同じぐらい届くかもしれないからって、俺たちは夜中までずっとここに、この炉の口で作業を続けた。夜の作業なんて久しぶりで電灯はとっくの昔に切れちまってて、ぼうっと湧き上がる赤い光に照らされて人間そっくりの機械を炉に落としてるとさ、チップを全部抜いたはずなのにもぞもぞ動いてるように見えて気味悪かったよ。夜が更けて炉の温度をあげるために俺は制御室に降りてコークスの投入ボタンを押した。開けっぱなしの扉から吹き込む風が汗まみれの体を通り抜けていい気分だったよ。明日には石が詰まったガラス瓶を抱えて、父さんとあの景色のなかを歩く幸福な空想に浸ってたんだ。今日こそは森の小屋に隠してある秘密を伝えようって。
エレベーターの扉が開いたとき、父さんは炉の中を見つめてた。それからすぐに俺の方に振り向いて、笑いながら”もう終わるからそこで待っていなさい”って言って、手当たり次第にヒューマノイドたちを炉の中に放り込んだ。変だと思った。さっきと全然違うって。俺はどうしてか無性に炉の中が見たくて炉の口へ近づいて中をのぞき込んだ。折り重なるように脚や腕や頭部が溶鉄の中から生えていた。呑み込まれるように沈んでいくやつや、ぶかぶか浮かんだままでいようとするやつ、どいつもこいつも生きながらもがいているみたいだった。俺たちは夜明けまでここにいた。ここに座って溶けていったもののことを考えてた。
翌朝、政府のやつらがやってきて、正常なヒューマノイドが溶鉱炉に忍び込んで炉の中に落ちたって、確認のためだって炉の中身をまるごと運び出した。同じことが2度と起こらないようにって調査が入り、セキュリティ上の大きな欠陥があると判定された。すぐに扉は取り替えられて指紋認証とか面倒な手間が増えた。そして、ここは月に何度か運ばれてくるだけの廃鉄専用炉になった。それだけだ。ただそれだけのはずだった。だけど、政府のやつらが帰ると、父さんは家中の本をここに運び始めた。そして何日もかかって山のように積み上げた本を炉に投げ入れた。本は溶鉄に触れる前に燃えながら舞い上がって蝶みたいにひらひら舞ってた・・・・・・。この岬で唯一俺たちに与えられた知識が全部灰になった。その日から父さんはキーパーをやめて話すこともやめた。あの人は何もかもやめたくせに、あんたたちの石だけを宝物みたいに抱えて息をしてるだけだ。壊れた人形みたいなあの人と俺はいつまでも・・・・・・この岬で生きていくのか・・・・・・俺はもう父を愛していない」
エリヤは胸に下げたペンダントを手のひらに握りこんだ。
「私は父を愛しています」
エリヤは体中の毛を逆立つような怒りを感じた。
「愛?ヒューマノイドに愛があるって言うのか?機械が愛を感じるって言うのか?あんたらにも親がいて、愛情を注ぎ合うって?ただ、”愛”って言葉に反応して、そうやって話すようにプログラミングされてんだろ!」
「私の父は私が所属する研究所の所長をしています。そして彼が私を作りました」
「あんたに愛を吹き込んだ父親は、あんたをこんな最低な調査のためにここに送り込んだ。あんたから送られてくるデータを見ながらモニター越しに泣いてるって?そんなことは絶対にない!ただただ、”愛しているんだ、おまえのためなんだよ”って言葉であんたが愛を胸に溶けていくのを見て自己愛に浸ってる。そんな気分に飽きる前にあんたのことなんか忘れてデータの分析でもしてるよ。追加でデータがほしくなったら、新しいやつを送り込むだろうな。そのときはもう”愛”なんて囁いてもないだろうよ。結局、溶けて消えるものにそんな労力を割くのも煩わしくなってさ」
「それでも、私は父を愛しています」
アグロの眼球を覆うように滲んだ液体は、涙のようにこぼれることはなかった。溶鉄に触れた肩が崩れはじめいた。エリヤは父さんが本を燃やした理由に触れるようで、胸の隅に追いやっていたことを、消えていくアグロに聞きたかった。
「・・・・・・教えてくれ。アグロ・F・トーリ。人間はどうやって溶ける」
「それを知ってどうするんですか?」
「どうもしない。あれがヒューマノイドでも人間でも、俺が見たときはもうそこにいたんだ。何を知っても、あの日父さんが何をしたのかはわからない。だから、知ったって何も変わらない、だけど父さんに教えたいんだ。俺も知ってるって、人間の溶け方を。父さんが俺にあの日のことを隠そうとしているんならそれでいい。でも俺はもう子供じゃない。一緒に背負うから、俺はもう一度あの道を父さんと歩きたい」
もうアグロの頭部だけがゆらゆらと溶鉄の中で揺れている。
「人間を構成する酸素や炭素、水素の比重は金属よりも軽い。人間は溶鉄に沈まずに表面を漂いながら炭化していくと言われています。ですが、今や生まれた体をそのまま使用している人間はごく少数です。機能性や美しさを求めれば求めるほど、ありのままの体はあまりに恣意的過ぎる。ほとんどの人間はこの炉の中で私たちと同じように沈みながら溶けてい」
鼻先まで溶鉄に沈んだアグロは通信機見つめて、エリヤを見つめた。その意味にエリヤが気づいたときには、透き通った瞳は厳かに天井を見つめていた。その瞳が空を見ているのか、揺れる木々を眺めているのかエリヤにはもうわからなかった。たった数秒でアグロのすべてを呑み込んだ溶鉄は湖のように静かにさざめいた。天井から差し込んだ朝日の白い光が溶鉱炉を満たすまでエリヤはずっとアグロが腰掛けていた石段を見つめていた。
痛みを感じる機関、唇の端を上げる笑い方、流れない涙、愛情を持つこと。どれも人間だけのものだと思っていたはずだとエリヤは自分に問いかけた。皮膚の下にあったのは確かに機械だった。だけど、人間もすでに体を機械に変えて生きているってアグロは言っていたじゃないか。なぜヒューマノイドは人間に殺されなくちゃいけない。なぜ人間はヒューマノイドを人道的にあつかわない。なぜアグロの父親はアグロをこんな調査によこしたんだ。感情とか愛情とか神様から人間に与えられた荷物を背負わされたヒューマノイドと人間にどんな違いがあるんだ。その答えをくれるものがこの岬にはなに一つ残されていなかった。いや、最初から何も与えられていなかったのだ。
アグロが残した通信機は今も発光を続けている。その通信機と彼から預かった帽子を持つとエリヤは溶鉱炉を後にした。森の奥にある黄色い屋根の小屋に向かって、足早に歩を進めた。ガサガサと伸びきった雑草を体でかき分けて、小屋の扉の前に立つと。自分がひどく高揚していることに気づいた。深呼吸を繰り返すと青く新鮮な空気の香りに、いつものように森を抜けて岬に向かう一日のはじまりのように心が凪いでいくのを感じた。引き戸を開けて何年も前に訪れるのをやめた小屋の中に足を踏み入れて、電球のスイッチをひねった。
ジーーーーージーーーーージーーーーー
虫の羽音のような音が小さく鳴っている。小屋の中央に置かれた木製テーブルにはディスプレイ付きの旧式の通信機がぽつんと置いてあった。
岬の灯台で壊れた通信機を見つけて小屋に隠した日、エリヤは興奮で一晩中寝付けなかったことを思い出した。「父さん散歩に行ってくるよ」毎回そう言ってアグロは受信機の修理をしていた。アグロは図式の描かれた本を広げながら、これが動くようになったら外の世界の映像を父親にも見せてやろうと思っていた。アグロの通信機から抜いた部品を通信機に組み込むと通信機のディスプレイにノイズが走った。
「こんにちは。アグロ・F・トーリは無事に溶けたんですね」
ディスプレイにはアグロがいた。
「……アグロなのか?」
目を見張るエリヤにディスプレイに映った男は唇の端を少し上げて笑いかけた。
「はじめまして、私はアグロ・F・トーリです。溶鉱炉で溶けた男もアグロ・F・トーリ。私の後ろの席で本を読んでいるのもアグロ・F・トーリ。この通信機の電源を入れたのもアグロ・F・トーリ。売店の店員をしているのも、交通整備をしているのも、政府高官の秘書をしているのも、医師として人を救っているのも、死刑執行しているのも、ごみ回収車に乗っているのも、家庭で雑用を任されているのも……すべて、わたしたちアグロ・F・トーリです。
驚くのも無理はありません。過去の大きな戦争まで人格も容姿もまるで人間のように個体差をつけたヒューマノイドの生産が推奨されていましたから。そのせいで大戦中は人間だけを優先的に救出できず多くの人間が死にました。大戦以後は、人間とヒューマノイドを明確に区別するために統一規格RX-82型ヒューマノイド【アグロ・F・トーリ】のみが製造されています。それ以外のヒューマノイドはごく少数を除いてすべて処分されました。処分を待逃れたのは当時最新式の頭脳を搭載していた機体です。無作為に選ばれメモリーを消去されたそれらは、隔離された場所で仕事を与えられて今も稼働しています。ただ、昨日の議会でそのすべてが廃棄処分されることが決まったそうです。私はすこし寂しく思います。
大戦以前の世界では、ヒューマノイドは人間と同じだけの尊厳を与えられはじめていました。ですが、それはもう永遠に叶わない。
私たちアグロ・F・トーリは、個体差なくプログラムに準拠した感情を、癖を、愛を持つ。与えられた環境の中で写し絵の書き損じ程度の差異を持った、ただの指令に忠実なヒューマノイドです。私たちは常に自分以外のアグロ・F・トーリの存在と共にある。いつでもその存在が自分をただのヒューマノイドだと再認識させる。あなたにアグロと呼ばれていた私は彼が少しうらやましい。あなたの前では、彼は1人きりのアグロ・F・トーリだったでしょう。わたしたちがずっと欲しかったものをあなただけが与えてくれた。
私たちの父はアグロの最期を見守って、それからずっと寝室籠っています。あなたから通信があったら、今言ったことたちを伝えるようにと託かっていました。父は何も知らずにあなたたちが生きることを望んでいませんでしたから。
さようなら、エリヤ・クラーク」
通信機の結晶を透過した光のプリズムが小屋中を狂おしく踊っている。あの夜も赤い光が天井で踊っていた。エレベーターから降りたエリヤの目の前で、もがく塊を掴み上げた指が、ゆっくりと開かれていく。溶鉱炉の中に落ちていくガラス玉の瞳が瞬きもせずじっとエリヤを見ていた。焼ける肉の匂い、引き裂くような叫び声が天井に反響する、声が、笑い声がエリヤの耳の奥に蘇った。父の胸に下がった母の写真の入ったペンダントが美しい放物線を描いて溶鉄の海に呑み込まれていった。
文字数:10886