梗 概
夢じゃない世界
いままで音楽にはそこまで興味がなかった。新島ハルは軽音部の同級生から法事で行けなくなったライブのチケットを譲り受けて観に行った。
アリーナ席の後ろの方、ステージからも遠くて、バンドのメンバーは米粒くらい。左右のモニターでしか顔もわからない。いい歳したオジサンがメイクをしている。それでもくみ上げられたステージの世界観、曲やフェーズごとに変わる演出に心を奪われた。もっと近くで観たい。自分のためだけに演奏してほしい。
そんなことを考えた瞬間、バンドの中でも特に奇抜な格好をしたギタリストの後ろにいた男と目が合った。ボーカルと似たようなヒラヒラした服を着ている。ローディーという付き人みたいな人も徹底している。とにかく初めて大きな会場で観た公演に心を奪われ、帰宅してからもそのことばかり考えていた。
もうそろそろ眠ろうと横になった途端、頭上から顔が生えてきた。体を起こして確認したが、後ろは壁だった。顔は壁から飛び出している。
「なあ、あのライブってやつ。もっと楽しみたくないか?」
少し前にローディーとしてステージで仕事をしていた男がなぜかここにいる。そのことを告げると男はひゃひゃと変な声で嗤い、自らを悪魔と名乗った。壁をすり抜けてやってきたのだ。納得するしかない。
もっといいところで彼らのステージを観たい。その願いをかなえるために、悪魔がしくじって失ったという左足の感覚を少しずつ差し出すことに同意した。
それからステージをいいところで観るたびに数センチ単位で足の感覚がなくなっていった。足首から下の感覚はなくなっているのに、動かそうと思うと動く。奇妙な感覚に慣れたころ、悪魔から新しい提案があった。
「もっと音楽を感じたくないか?」
ハルは左足の骨を差し出した。悪魔が両手で握りつぶすようなしぐさをすると、彼の骨はピックになった。どういう経緯でバンドのギタリスト・アラタの手元にたどり着いたかはわからないが、彼がギターを演奏するたびに膝から上にジャカジャカとした振動が響く。耳をくっつけると骨伝導で音も聞こえた。
ギタリストのアラタは夢を見る。悪魔が少年に話しかけ、誘惑し、足の感覚を奪って、ついには骨を奪ってしまった。毎晩の展開をメモに書き留める。あまりにもリアルな夢のせいでいくら眠っても疲れが取れない。
気分転換に作業場を離れて入ったスタジオの鏡に、バンドのボーカルの衣装みたいな恰好をした男が映っている。部屋には一人で入ったはずだった。
「よォ、片割れ」
どことなくアラタに似た雰囲気の男は勝手に身の上話を始める。どうやら彼は作詞中に悪魔を呼び出してしまったらしい。眠っている間に見る夢は、悪魔との記憶の共有だったのだ。
思考共有できないのは幸いだった。夢に出てきた少年を救うべく、作詞の資料集めと称して神秘学の本を買いあさって読みふけった。悪魔は祓えないが、作詞と作曲の作業は捗った。
膝から聴こえてくるアラタのギターや歌は、オカルト的な雰囲気を増していた。次のライブもとても楽しみだ。わかりやすいフレーズがない限り何の曲かはわからない、予想をたてて会場で答え合わせをするのが最近の楽しみだった。
ここ数か月で増えたアコースティック弾き語りのコーナーでアラタが最近見ていた夢の内容を即興で歌った。
その日以降、ライブの席は近かったり遠かったり。
ハルは不思議な体験をファンレターにしたためて、感覚のない左足で歩いてポストに投函した。
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内容に関するアピール
どうやったら永遠にライブを楽しめるかを考えました。
ライブハウスに骨をうずめたら、特定のバンドだけを楽しむことができない。ならば骨からピックを作って演奏してもらえたら音楽を感じられるのではないか。と思って書きました。
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