梗 概
忘れるべき温泉郷
A県N市で奇妙な地震が発生した。津波も人的被害もなし。
ただ1箇所の地盤の隆起を除いては。
国からの依頼で近辺を調査している先輩のミサトからの連絡を受けたヤマガタは実態を確認するべく能代に向かった。
現地に着いてすぐに見せられたのが、3mも隆起している逆断層の上盤だった。崖には2m四方の人一人通れる穴が開いていて、その先には緩やかな傾斜が続いている。ヤマガタが到着するまでにミサトは入口の調査を済ませてくれていた。現在せり出している岩盤は固く、内部の調査も問題なさそうだった。
「万が一内部が崩落する可能性も否定できない。老い先の短い自分たちが調査してくる。」
もっともらしい理屈で若いスタッフを黙らせて、2人は地下へ続く回廊に足を踏み入れた。
7月の地下回廊は地上と違って暑すぎず寒すぎず、調査にはもってこいの環境だった。地面や周囲の壁をハンマーで叩き、サンプルを取りながら歩を進めたが、この構造物についての情報はそれほど得られなかった。
そんな中、今まで直線だった道が緩やかにカーブし始めた。振り返れば後ろに見えていた地上の光が消え、進行方向に光が見えるようになった。
勾配4度、1時間ほど歩いているのでおよそ5㎞進んだとして、地下深度約400m、おそるおそる向かった先に、開けた土地と町があった。現時刻は昼過ぎ。踏み入ったその空間は、太陽もないのに地上と同じくらいの明るさだった。体感で35度、湿度は65%くらいだろうか。突然の環境の変異は2人の眼鏡を曇らせた。歩みを止めた体は、背中、顔、腕、足と汗腺を広げていき、砂粒大の汗を吐き出す。
2人を見つけた現地の女性が大声で騒ぎながら長老を連れてきてくれた。カタコトではあるが日本語を話すことができた。この土地の暮らしぶりについて、ある程度必要な情報を聞き終えたヤマガタは、この土地の空の明るさについて質問をすると、長老は2人をこの集落で一番重要な場所に案内してくれた。どこからどう見ても温泉だった。
長老曰く、温泉に住まう循環の女神がこの地で暮らす人々の一日に起きたいいこと悪いことを明るい時間と暗い時間に分けて巡らせてくれているらしい。湯につかるだけで女神への参詣になるというので、汗だくの2人は喜んで湯に浸かった。長老が目を瞑ったのを合図に、方法がわからないなりに女神に挨拶をした。
そろそろ上せる頃合いで、眼前にこぶし大の石が降ってきた。上空には何もない。
手ごろなサンプルだが、持ち帰ってはいけない物らしく、その場での観察のみが許された。ハンマーで叩き壊した断面の特徴的な断面は宝石のようだった。
こぶし大の宝石なんて持ち帰ったら大騒ぎになるし、なによりもこの集落の平和を奪ってしまうことになりかねなかった。ミサトが少し渋ったが、2人は自分たちが歩いてきた通路をふさぐ方法を長老に聞いた。
その方法はいたってシンプルで、地上からこぶし大の宝石を地下に投げ入れ、循環の女神に地中を循環させてもらうというものだった。大仰な儀式ではなくて安堵した2人は、長老からの聞き取りメモを破り捨て、倍の時間をかけて地上に戻った。
打ち上げもそこそこに、2人は地上から通路に向かって石を投げた。明け方、微細な振動ののち不思議な入口は消え、見知った湿地が横たわっていた。
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内容に関するアピール
河森正治EXPOに行き、ロボットや歌姫で熱さを目指したものの全くアイデアが出ず、学生時代専門にしていた地理学に関するものから熱いものを選びました。
断層から流れ出た溶岩が川になる話と、温泉と地熱の話の2択で迷っていたら、いつの間にか断層の活動の結果、現れた温泉の話になっていました。
ハンマーを使ってサンプルを取る。いかにもフィールドワークをしている風に書きましたが、卒論も仕事の内容もデータをこねくり回すのがメインで、現場の経験はほぼありません。
自分が携わったシステムがどんな風に使われるのかを、タブレット端末のテストも兼ねて現場を車で回って貰ったとき、はしゃぎ過ぎて転んで膝を擦りむきスーツに穴をあけたのはいい思い出です。
主人公コンビは仕事でお世話になった大学の先生方をモデルにしました。どうかご本人にばれませんように。
参考書籍:活断層詳細デジタルマップ[新編]
赤と青の3Dアナグリフで地表面が飛び出して見える面白い本です。
文字数:422