梗 概
カオダシたちの神隠し
己の悪癖に失望し、自殺を考えていた。
そうして森に来たら箱庭世界に迷い込んでしまうのだから、ラックとは興味深く運命的だ。
【世界観】
1.箱庭世界の中心には巨大カジノ施設ラマ(*1)があり、その周りを居住地が囲う。更にその周りは森で、その先は無い。
2.巨大建造物ラマは西のラスベガス地区と東のマカオ地区に分かれている。両地名は現実世界には存在しない。
3.狂乱と混沌の箱庭世界ではカジノのランクこそが絶対。
4.ラマではポーカーフェイスになると身体の透けた黒い影、カオナシ(*2)と化す。その者達は己の強く望む妖力を1つだけ得る。
5.それに抗う者達はエンターテイナー、カオダシと呼ばれている。
「俺は〈実名〉。なぜか身体が透け、妖力を得たのに、黒い影にならないんだが」
「稀な症状だ。黒い影にならず身体の透けた者はいずれ消滅する(*3)。元に戻る実体化の方法は人によって異なり、己の手で見付け出すしかない」
これは実体化を己の手で掴むウィントムと〈実名〉の物語。
〈実名〉はファントムウィナー、通称ウィントム(*4)を名乗り、カオダシとしてカジノで勝ち続け、最高ランクに上り詰め、ある大会の出場権を得る。
物語はその大会の決勝、巨大建造物ラマのラスベガス地区とマカオ地区が左右に割れて、その中央からステージが出現するところから幕を開ける。
そのステージに立ったウィントムは見事優勝を収めた。
優勝者には1つだけ要求を行う権利が与えられる。彼はその権利でカジノの若き女性オーナー、湯銭(*5)との面会を求める。
面会が実現すると、ウィントムは湯銭に実体化のための協力を仰ぐ。
「ゲーム(*6)に勝ったら協力する、但し負ければ妖力を頂く」
湯銭が箱庭世界を創った目的は、多くのカオナシ達を創り出し、その妖力を奪うためだった。
ウィントムはゲームに勝利すると、懐からナイフを取り出し湯銭を刺した。
すると湯銭は湯と銭に分裂した。彼の妖力は斬撃を与えた対象を分裂させる力だった。
目的を達成した彼は至高の快楽を得る。
だが予想に反し――「実体化しない」
一方の湯と銭はウィントムが現実世界で殺人鬼だったことを推理してラマ中に放送する。
「認める、俺は殺人鬼だ。だが理性では殺しを拒む俺は、箱庭世界に来る直前、自殺を考えていた。そんな俺を、人を刺しても死なないこの妖力は救ってくれた」
そう放送で明かすと――「実体化した」
「俺はカジノではカオダシだったが、日常ではカオナシだった。だから透けても黒い影にはならなかったと今更気付いた」
だが湯銭が分裂したことで妖力が乱れ、箱庭世界の崩壊が始まる。
湯と銭は箱庭世界を現実世界へ転移させることを決める。
そのために「元に戻せ」と迫るが、ウィントムは斬った対象を分裂させられても元には戻せなかった。
ならば逆転の発想、箱庭世界を分裂させればいい。それなら湯と銭の状態でも転移可能だ。
だが対象が大きすぎて斬ることができない。
ウィントムは賭けに出る。大会の決勝で使われた巨大建造物ラマを左右に割るボタン、それをナイフで刺すように押した。
その割れる画がまるで斬撃で、妖力の発動条件を満たし、箱庭世界は分裂した。
その後ラスベガスはネバダ州のモハーベ砂漠に、マカオは珠江河口を挟んだ香港の対岸にそれぞれ出現した。
文字数:1318
参考文献:宮崎駿『千と千尋の神隠し』スタジオジブリ
*1:元ネタの油屋に準えた舞台。但し元ネタは箱庭世界ではない。
*2:元ネタでは身体の透けた黒い影の一人がカオナシ。この話では身体の透けた黒い影の総称をカオナシと呼ぶ。カオダシはオリジナル。
*3:元ネタでも千尋が同様の状態に陥った。但し妖力を得ることはなく、実体化の方法も異なる。
*4:元ネタでも千尋は千という別名を名乗っている。ウィントムという人物自体はオリジナル。実名は明かさない予定。
*5:元ネタの湯婆婆と銭婆の若かりし頃を想定した人物。実は元ネタの作中でも元は1人だったと読み取れるような発言をしている。
*6:元ネタの10匹の豚から両親を当てるゲームに準える予定。
そうして森に来たら箱庭世界に迷い込んでしまうのだから、ラックとは興味深く運命的だ。
【世界観】
1.箱庭世界の中心には巨大カジノ施設ラマ(*1)があり、その周りを居住地が囲う。更にその周りは森で、その先は無い。
2.巨大建造物ラマは西のラスベガス地区と東のマカオ地区に分かれている。両地名は現実世界には存在しない。
3.狂乱と混沌の箱庭世界ではカジノのランクこそが絶対。
4.ラマではポーカーフェイスになると身体の透けた黒い影、カオナシ(*2)と化す。その者達は己の強く望む妖力を1つだけ得る。
5.それに抗う者達はエンターテイナー、カオダシと呼ばれている。
「俺は〈実名〉。なぜか身体が透け、妖力を得たのに、黒い影にならないんだが」
「稀な症状だ。黒い影にならず身体の透けた者はいずれ消滅する(*3)。元に戻る実体化の方法は人によって異なり、己の手で見付け出すしかない」
これは実体化を己の手で掴むウィントムと〈実名〉の物語。
〈実名〉はファントムウィナー、通称ウィントム(*4)を名乗り、カオダシとしてカジノで勝ち続け、最高ランクに上り詰め、ある大会の出場権を得る。
物語はその大会の決勝、巨大建造物ラマのラスベガス地区とマカオ地区が左右に割れて、その中央からステージが出現するところから幕を開ける。
そのステージに立ったウィントムは見事優勝を収めた。
優勝者には1つだけ要求を行う権利が与えられる。彼はその権利でカジノの若き女性オーナー、湯銭(*5)との面会を求める。
面会が実現すると、ウィントムは湯銭に実体化のための協力を仰ぐ。
「ゲーム(*6)に勝ったら協力する、但し負ければ妖力を頂く」
湯銭が箱庭世界を創った目的は、多くのカオナシ達を創り出し、その妖力を奪うためだった。
ウィントムはゲームに勝利すると、懐からナイフを取り出し湯銭を刺した。
すると湯銭は湯と銭に分裂した。彼の妖力は斬撃を与えた対象を分裂させる力だった。
目的を達成した彼は至高の快楽を得る。
だが予想に反し――「実体化しない」
一方の湯と銭はウィントムが現実世界で殺人鬼だったことを推理してラマ中に放送する。
「認める、俺は殺人鬼だ。だが理性では殺しを拒む俺は、箱庭世界に来る直前、自殺を考えていた。そんな俺を、人を刺しても死なないこの妖力は救ってくれた」
そう放送で明かすと――「実体化した」
「俺はカジノではカオダシだったが、日常ではカオナシだった。だから透けても黒い影にはならなかったと今更気付いた」
だが湯銭が分裂したことで妖力が乱れ、箱庭世界の崩壊が始まる。
湯と銭は箱庭世界を現実世界へ転移させることを決める。
そのために「元に戻せ」と迫るが、ウィントムは斬った対象を分裂させられても元には戻せなかった。
ならば逆転の発想、箱庭世界を分裂させればいい。それなら湯と銭の状態でも転移可能だ。
だが対象が大きすぎて斬ることができない。
ウィントムは賭けに出る。大会の決勝で使われた巨大建造物ラマを左右に割るボタン、それをナイフで刺すように押した。
その割れる画がまるで斬撃で、妖力の発動条件を満たし、箱庭世界は分裂した。
その後ラスベガスはネバダ州のモハーベ砂漠に、マカオは珠江河口を挟んだ香港の対岸にそれぞれ出現した。
文字数:1318
参考文献:宮崎駿『千と千尋の神隠し』スタジオジブリ
*1:元ネタの油屋に準えた舞台。但し元ネタは箱庭世界ではない。
*2:元ネタでは身体の透けた黒い影の一人がカオナシ。この話では身体の透けた黒い影の総称をカオナシと呼ぶ。カオダシはオリジナル。
*3:元ネタでも千尋が同様の状態に陥った。但し妖力を得ることはなく、実体化の方法も異なる。
*4:元ネタでも千尋は千という別名を名乗っている。ウィントムという人物自体はオリジナル。実名は明かさない予定。
*5:元ネタの湯婆婆と銭婆の若かりし頃を想定した人物。実は元ネタの作中でも元は1人だったと読み取れるような発言をしている。
*6:元ネタの10匹の豚から両親を当てるゲームに準える予定。
文字数:1682
内容に関するアピール
小川さんが講義で語った方程式を参考に、興行収入上位のあの名作をオマージュしてみました。
なぜ分裂ものにしたかといえば、それは逆説的に初めは接触していたといえるからです。(ラスベガスとマカオは初めは接触していてラマだった、湯婆婆と銭婆は初めは接触していて湯銭だった等)
つまりファーストコンタクトの定義自体を書き換えました。
話の内容もカオナシ=ポーカーフェイスに着地したのを機に色々固まり始めました。
構成自体はラスボスと戦って倒すだけのシンプルな話です。それでも「なぜ黒い影にならず透けたのか」等のちょっとしたミステリーも入れて話を盛り上げます。この話は理性と本能のファーストコンタクトでもあります。
初めは接触しているのは創作も同じで、結局は文脈の派生です。その理屈を利用して「なぜあえてオマージュなのか」も納得してもらえる物語にしようと思います。
元ネタをリスペクトしつつ、独自性も打ち出せればと思います。
なぜ分裂ものにしたかといえば、それは逆説的に初めは接触していたといえるからです。(ラスベガスとマカオは初めは接触していてラマだった、湯婆婆と銭婆は初めは接触していて湯銭だった等)
つまりファーストコンタクトの定義自体を書き換えました。
話の内容もカオナシ=ポーカーフェイスに着地したのを機に色々固まり始めました。
構成自体はラスボスと戦って倒すだけのシンプルな話です。それでも「なぜ黒い影にならず透けたのか」等のちょっとしたミステリーも入れて話を盛り上げます。この話は理性と本能のファーストコンタクトでもあります。
初めは接触しているのは創作も同じで、結局は文脈の派生です。その理屈を利用して「なぜあえてオマージュなのか」も納得してもらえる物語にしようと思います。
元ネタをリスペクトしつつ、独自性も打ち出せればと思います。
文字数:400
カオダシたちの神隠し
Semifinal Game
遂にここまで来た、と考えるのはこれで何度目か。
目の前に敷かれた長いレッドカーペット、その先の俺の向かうべき場所が、今から出現する。今はまだ巨大建造物ラマが壁となって道を隔てているが、そこから舞台が出現することを彼は理解している。何せ今までずっとそこを目指してきたのだから。
地が震え地鳴りが響くのに前触れはなかった。突如唸り始めた巨大建造物ラマは、壁伝いに縦の線光を放ち始める。それはすぐに建物自体の発光ではなく、切り通しの背後から漏れ出た光だと認知できた。逆光となっている巨大建造物から差し込むその光は強烈なコントラストを作り、まるで彼の出場を称えるかのように瞳を刺激してくる。切り通しの隙間は徐々に広がっていき、学校のグラウンド程の間隔に達した辺りで図ったように停止し地鳴りをやめた。
直後にやっと赤い絨毯の歩行許可が下りる。今いるこの暗い舞台裏は俺の居場所には相応しくない、そんな思いで外に出て観客達に姿を見せると、真っ先に彼らの呼び声が耳に届く。
「ウィントム、ウィントム」
ああ、皆が俺の名を呼んでいる。
一直線に敷かれた道を歩く内に光に目が慣れてくると、赤道の左右にいる観客達の熱気に狂う表情が目に入る。その思いに応えつつ次いで正面に視線を向けると、そこには分離した巨大建造物ラマの間から出現したステージと、そこへ集う俺以外の強者達の姿が見えた。今丁度3人目が着席したところで、残る空席はウィントムの椅子だけとなる。
なに、少しくらい遅刻しても誰にも怒られはしない。ウィントムは最後まで歩くペースを崩さなかった。そうしてやっと着いたかと思えば、今度は席の背凭れに片手を置いて最後にもう一度熱気に応える。観客達はステージの周囲だけでなく、切り通しを作り分離した一対の建物、西のラスベガス地区と東のマカオ地区の断面の窓からもそれぞれ顔を覗かせている。それらを確認したところで漸くしてウィントムも着席した。
今このステージ上でテーブルを囲っているのはウィントムを入れて計4人。他の者はウィントムよりも少し若い男女が1人ずつと、ウィントムよりも年配の男性が1人。
4人は今からあるゲームを始めようとしていた、それも大会決勝の。ここはそのためだけに用意されたステージだ。それにしたって随分と大掛かりな演出だ、とここを訪れたばかりの者は口を揃えて皆そう言う。だがこの世界ではそれが普通、この箱庭世界ではカジノが全て、この巨大カジノ施設ラマの勝者こそが絶対。
だからこそ、ある目的のために、俺はこのゲームで勝たねばならない。
「さて、早速だが話したいことがある」
「自己紹介はいいのか?」
「お互いのことは当然皆知ってるだろう?」
程なくして年配の男性が意気揚々と雑談を始め出し、それに対して若い男性が口を挟んだ。若い男性の言い分は尤もだが、とはいえ年配の男性の言う通り、今ここにいる者達のことをお互い知らぬ筈がない。現にウィントムも3人のことはよく知っている。年配の男性がCドラ、若い男性がネイビー、若い女性が積乱だ。
「それで話したいことってのはだなあ、俺も遂に見たんだよ、霊を」
他の3人の様子を覗いつつ、改めて雑談を始めるCドラ。だがその内容を聞いたネイビーは、わざとらしく大袈裟なため息をつく。
「なんだ、期待させといてそれかよ。んなもんみんなとっくに見てるって。お前らも見ただろ?」
ネイビーが場外に向かって質問を投げると、その中から「見た」だの何だの掛け声を飛ばしてくる者がちらほらいた。それに納得のいかない様子を見せるCドラもまた場外に向かって言い返す。
「おいお前ら言っとくが両方だぞ。両方見たのか?」
すると今度は場外から「両方見た」と掛け声が返ってきた。その反応を耳にしたCドラは「まじかよ」と言っておちゃらけてみせると、会場全体がいつものように笑いに包まれた。
……巷では今、2種類の霊がよく目撃されている。
一つは殺人鬼の霊。
そしてもう一つは自分自身の霊。
それも遭遇する順番までちゃんとある。初めに出会うのは殺人鬼の霊で、そいつを目撃した者は皆、奴の手に握られたナイフの餌食になるという。といっても相手は霊なので物理的なダメージはない。それでも刺された者は本当に刺されたように意識を失う。ただそれも一時的で暫くすれば何の不調もなく起き上がる……のだが、起き上がった者達は皆口を揃えて言うのだ、自分の霊を見たと。
「で、どうだったよ、見た感想は」
「……まあこの俺にかかれば大したことはないさ。だがこれで最高ランクの奴は全員霊を見たことになる」
「厳密にはカジノのオーナーも俺達と同じランクだけど、まだあいつは見てないらしいぞ」
「そりゃあ当然あいつは例外だ」
とそこでネイビーとCドラとのやり取りに割って入るかたちで初めて積乱が口を開く。
「いやいやほら、まだそこに1人」
その視線は明らかにこちらへと向けられている。まあ別に隠すことではないからいいのだが。
「ええ、彼女の言う通り俺もまだ見たことがない」
「あー、あんたも例外だ。だってあんた――透けてるし」
Cドラの言う通り、ウィントムの身にはこの箱庭世界の中でも特異なことが起こっていた。文字通り身体が透けているのだ。だが今はそのことさえも利用しよう、そう考えて彼は言った。
「そりゃあ俺はウィントムだからな。名前の由来くらい知っているだろう、ファントムウィナーだ。だがそのことと霊の件とは別に関係ないと思うが」
「黒い影にならずに透けてるのはお前くらいだ。それが原因で霊が現れないって考えも普通にあり得るんじゃないか?」
すると今度はネイビーが口を挟んできた。その言い分は筋が通っているが、そもそもこの話を続けても仕方がないと考えたウィントムは話の流れを変えてみた。
「まあ次に刺されるとしたら俺だろうから、数日後には分かるかもしれないな。しかしせっかくだ、心の準備として経験者にアドバイスを頂きたい」
「あぁ、別に痛みはないし死ぬこともないからそんなに心配いらない」
「でも刺された時の記憶は曖昧になるから、本当は凄く痛かった可能性はあるかも」
「おぉ、それは軽くホラーだ」
ネイビーと積乱からアドバイスを聞いたウィントムは、ややわざとらしい表情を作りそう答えた。
その時、鐘のような電子音が会場全体に号鐘を鳴らした。同時に場の空気が少し変化し、舞台上の雑談も止まった。
それからややあって4人に正方形の枠が3つ書かれた用紙が配られる。そこには漢字を1文字ずつ書くことになっていた。ウィントムはその内の一つに迷わず「怖」の文字を書き入れ、他は判断がつかなかったので適当に書いた。全員が書き終えたタイミングで用紙が回収されると、また手持ち無沙汰になる。
だがそんな時間もすぐに終わり、急に会場から歓喜の声が上がり始める。彼らの視線の先には分離した一対の建物の断面。ウィントムもその気配を察知して視線を向けると、そこにはプロジェクションマッピングのようにある情報が映し出され、こう書かれてあった。
「Winner ウィントム」
……勝った、ウィントムはこのゲームに勝利した。
そう、ついさっきまで4人はゲームをしていて、勝敗は既に決していた。やっていたのは古今南北、4人の要望も加味されて選ばれたゲームだった。だが彼らのパフォーマンスがあまりにも卓犖不羈で、何も知らない人から見たら、本当にただ雑談をしているだけにしか見えなかったかもしれない。けれど彼らはゲーム終了の鐘が鳴るまで本気で戦っていたのだ。
そして今丁度、具体的な結果が画面に映し出された。
「
お題:巷で噂の霊の話(言わせたら+2点、言ったら-1点、■を当てたら+2点)
[最、死、透、■、■、■](言わせた+8点、言った-1点、■を当てた+2点、計9点)ウィントム
[最、■、■、殺、怖、■](言わせた+2点、言った-3点、■を当てた+2点、計1点)ネイビー
[■、死、■、殺、■、通](言わせた+6点、言った-2点、■を当てた+4点、計8点)Cドラ
[■、■、透、■、怖、通](言わせた+8点、言った-0点、■を当てた+0点、計8点)積乱
」
念のため少しだけ画面の見方を解説すると、漢字が相手に言わせるワードで、黒塗りの「■」が言ってはいけないワードだ。例えば「死」の付くワードをネイビーが発言した場合、ネイビーに-1点が入り、ウィントムとCドラに+2点が入る。だがネイビーにゲーム開始時に与えられる情報は「お題:巷で噂の霊の話[最、■、■、殺、怖、■]」だけなので、言ってはいけないワードは本人には分からない。ちなみに言わせるワードを自分で言ってしまった場合は失格となる。そして今回のゲームをもろもろ計算した結果、括弧内の得点が弾き出された。
とはいえウィントムにとって細かい得点の配分なんて別にどうでもよかった。この戦いの勝者はウィントム、それさえ分かれば。そしてその思いは会場の皆も同じ。気付けば会場は熱気の渦に包まれ、上がる歓声は永遠に鳴りやまぬのではないかと錯覚しそうになる。
こうしてはいられまいとウィントムはすかさず席を立ち、ステージ中央のテーブルをぐるりと周るように歩きつつ、周囲の観客達へ向けて手を掲げそれに応え始める。
しかし名残惜しいがずっとこのままの訳にもいかない。この熱狂を鎮めるのもまた勝者であるウィントムの役割。掲げている手を顔の前に出す動作を何回か繰り返していると、その意味に気付いた観客から順番に歓声は鳴りやんでいった。
「えー皆さん、応援ありがとう。俺は見ての通り身体が透けている。だがそんな俺にも他人より透けてないものが一つだけある。何だと思う?」
観客達に考えさせる時間を与え――「手の内」
その一言は静まり返った歓声をまた一時的に復活させた。それが自然と鳴り止むのを見計らって、今度は少し別の角度から攻める。
「さて、敗者の皆さんも何かコメントはあるかい?」
「おぉウィントム、俺はあるぞ、コメント大ありだ」
そう食いついてきたのは予想通りCドラだった。彼は敗者の自覚はあるようで、ウィントムのように席を立つことはしなかったが、それでも発言には遠慮がない。
「全く、若造がいきりやがって。だがな、俺にも他人より上回るものが一つだけある」
「笑いだろう?」「おい先に言うんじゃねえ」
Cドラがすかさず言い返すと場外から笑いが巻き起こる。確かに皆を笑わせる能力でこの人物に勝利するのは難しいだろう。思わず勝負がゲームでよかったとほっとしてしまう。
「でも黒塗りを2つも当てたのは純粋に凄いと思うよ」
積乱がわざとらしくCドラを褒めると、彼は再び得意気に語り始める。
「あぁ、あれはネイビーが露骨に俺に感想を求めてきたから気付いたんだよ。こいつは俺に「怖かった」って言わせようとしてるってな。だからわざと嘘をついたんだ。……ああそうさ、本当はめっちゃ怖かった」
そう言うと場外からまたしても笑いが起こる。だが彼はそれに満足せず続けた。
「でもってもう一つの方が分かったのもやっぱりネイビーが原因だ」「全部俺のせいかよ」
今度はネイビーの一言によって場外から笑いが起こる。
「ああそうだ。あんたは最高ランクのことを「俺達と同じランク」なんて妙な言い回しをした。だから枠を2つ使って書いてやったのさ。ひゅう、「最」っ「高」ってな」
すると今までで一番大きな笑いと拍手が巻き起こった。それが終わると言いたいことは全部言った、どうぞとさりげなくジェスチャーがあったので、ウィントムは再び発言権を自身に戻した。
「俺もゲーム終了間際に「怖い」って言わされそうになって危なかった。だが相手の手の内が分かってしまえばそれを得点に替えられる、それがこのゲームの醍醐味でありカタルシス。皆さんの熱狂と同じくらい、俺自身もこのゲームに熱く狂えた」
つい先程までの笑いのインパクトが強すぎたせいか、中々歓声が上がり辛くなってしまった。ならばそろそろ話題をあれに移そう。
「さて、そろそろ〈要求〉を明かそうと思うが、その前にどうだろう、まず敗者のする筈だった〈要求〉でも晒してみないかい?」
「それが〈要求〉なら言ってもいいけど」
積乱が皮肉を込めて否定の意を示すと、場外から小さく笑いが零れた。何ということだ、俺以外の皆が会場から笑いを起こしてしまった。
……といったところで、ウィントムはステージ上をうろつく足を止めて姿勢を改める。
「では……勝者に与えられる〈要求〉の権利、それを行使させて頂こう」
先程から飛び交う耳慣れない言葉。だが忘れてはならない、ここが狂乱と混沌に満ち満ちた箱庭世界であることを。この大会の勝者には一つだけどんな願いでも叶えられる〈要求〉の権利が与えられる。叶えられるものなら富でも名誉でも何でもいい。それがこの箱庭世界のやり方だ。
そんな中でウィントムの望んだ〈要求〉は――
「この巨大カジノ施設ラマ、そのオーナー、湯銭に会わせてもらおうか」
First Game
なぜ彼がラマのオーナーとの面会を求めているのか、その理由を紐解くには過去に遡る必要がある。
ウィントムがこの箱庭世界を訪れたのは約2年前。正確に言えば自分の意思で訪れた訳ではない。あの日俺は自宅から少し離れた山林を彷徨っていた。己の悪癖に失望してどうしようもなかったからだ。
つまるところ、あの日俺は自殺しようとしていた。
けれど運命のいたずらは俺を弄んだ。あの体験を言葉で表現するのは難しいが、いうなれば視覚トリックのようなものだろうか。目の前に映るものを認識する度に、まるで映像が塗り替えられるような変な違和感があった。初めは自殺を目前にして幻覚でも見ているのかと思ったが、それにしては妙な生々しさがあって不気味だった。子供じみたことを言うようだが、あれは神隠しと表現するのが適切だと今では思う。何せ気付いた時には未知の空間に迷い込んでいたのだから。
とはいえ初めはウィントムも当然そんなこととは思いもせず、引き続き山林を彷徨い続けていた、その道中で木々の隙間から覗き見えたあれを瞳に映すまでは。
「何だあの建物、でか」
それは遠目から見ても全長が500mあるかどうか、それくらい大きいと判別できる巨大な建物が遠方に聳え立っていた。周囲には家々があるので山中にぽつんと建物がある訳でもなさそうだ。だが重要なのはそんな明らかに目立つ巨大な建物はウィントムの訪れた山林の付近にはない、その事実だ。
そんなものを見てしまったせいか、いつの間にか自殺の決心は揺らいでいた。なに、自殺なんていつでもできる、そう考えてウィントムはあの巨大な建物を目指し始める。ややあって深い森を抜けると、先程よりも草丈の短い手入れの行き届いた広く見通しの良い直線の道に変わった。そこを少し歩くと、いよいよ街らしきところが見えてきた。
そのまま街へ入り周囲を見渡すと、何てことのない一軒家が整然と立ち並んでいた。それらは圧迫感と異彩を放つあの巨大な建物と比べるとどれも至って普通の民家だった。どの家もきちんとした外装で、窓にはカーテンが掛けられていて生活感がある。一方でその街並みに覚えはなかった。
「おいあんた、ここへ来るのは初めてかい」
あまりにも挙動が迷子のそれだったからなのか、不意に通りすがりの人から声を掛けられる。だがどうにも違和感というか、妙な引っかかりを覚える。
「ええ多分そうですが……どうして?」
「どうしてってそりゃあ、森の方から来るのが見えたからさ」
その返答を聞いてますます疑義が深まる。なぜ森の方から来たらここへ来るのが初めてだと思うのだろうか。……と考えたところで、そもそもここへどうやって来たかを思い出す。だから単刀直入に訊いた。
「ここは一体何なんですか」
「現実とは切り離された世界だよ。箱庭世界って呼ばれてるとこさ」
その真顔の返答に当然ながらウィントムの理解は追い付かなかった。そして置いてきぼりのまま、今度は誰かと通話を始め出す。内容からして自身のことを話しているようだが、具体的な内容までは読み取れない。結局説明を聞けたのは通話を終えた後だった。
「あの巨大な建物に務めてる人を呼んだんだよ。そいつからそこまで案内してもらうといい」
どうやらここで待っていればじきに担当の者が来るらしい……のだが、どうも雲行きが怪しい。あの巨大な建物に行きたいと言った覚えはないし、そもそも何で巨大な建物に行かなければならないのか。だがそんなことはお構いなしに、通りすがりの人はここを動かないように念を押すと、用が済んだとばかりに満足気な表情を浮かべてどこかへ行ってしまった。
そこで考える、この場を離れるなら今しかないと。そう結論付けるや否や踵を返して来た道を戻り始めた。だがそれから十数分程歩いた辺りで異常に気付く。あの視覚トリックのような感覚に陥った場所より前に戻れず、ほぼ一直線に進んでいるのに、まるでぐるぐると同じところを歩き続けているような感覚があった。これ以上の山行は危険と考え、やむなく先程の街に再び進路を翻すと、驚くことに行きに費やした半分以下の時間で戻ることができた。
そこには先程まではいなかったフォーマルな衣服を身に着けている人物が立っていた。その様子は明らかに誰かを待っているそれで、通りすがりの人が呼んだ人物だとすぐに分かった。戻れない以上どうしようもないので、仕方なくその人物に接近を試みると、傍に寄るよりも早く相手もこちらを認識してくれた。
「探しているのは私ですか?」
「その様子だと元の場所へ帰ろうとしたんですね。残念ながら一度ここを訪れてしまうと引き返すことはできないんです」
できることなら聞きたくなかった事実をその人物は平然と言い放つ。認めたくもないが今までの異常が全力でそれを肯定してくる。そんな思いでいることを知ってか知らずか、その人物は更に説明を続ける。
「ですからここへ来た者は必ず迎え入れるようにしているんです、あの巨大カジノ施設、ラマにね」
それからその人物、案内人の乗ってきた車に同乗させてもらってカジノを目指した。
だがその途中窓から妙なものが見えた……というよりも、あえてこちらから探さなくても至るところからそれは目に入ってきた。その対象をどう表現すればいいか分からないが、事実に基づいていえばあれは身体の透けた黒い影としか言いようがない。どうにも気になって仕方がないので質問してみると、案内人はこともなげにすぐに答えてくれた。
「あれはカオナシですよ。害はありませんのでご安心ください」
そのカオナシが何なのかもう一度質問しようと思ったが、それよりも早く目的地に到着した。
それぞれの担当があるようで、そこで案内人とは別れて担当が別の案内人に変わった。その案内人に連れられて早速入場してみると、中は予想以上に華やかで、思わず今置かれている状況を忘れかける。
入場口から少し歩いて受付のようなところに着くと、今度は担当をその受付の人に回された。随分とたらい回しにされているようであまり良い気はしない。そう考えていると受付の人は説明を始めた。
「ここでラマのID登録と住民登録をしてもらいます」
「うーむ、ラマはともかく住民登録とは?」
「恐らく既に担当の方から聞かれたかと思いますが、残念ながら元の世界へ帰ることはできません。ですからあなたは今後ここで生活することになります」
薄々勘付いてはいたが、いざストレートに言われると結構くるものがある。だが考えてもみれば俺は元々人生を捨てたんだ、いい加減この異常な現実を受け入れなければならないだろう。そう腹を括ったウィントムは書類に向かって手を動かし始めた。
それから何日か生活をしていく内に段々とこの世界への理解も進んでいった。
まずどうやらここは現実世界ではなく、箱庭世界という小さな面積からなる隔離された世界らしい。
そんな箱庭世界の中心にラマはあり、その周りを埋め尽くすように居住地が囲っている。更にその周囲には山林があり、そこからこの箱庭世界へ迷い込む者は後を絶たない。ちなみに山林より先には何もなく、そもそも行くことができない。
またラマは西のラスベガス地区と東のマカオ地区とに分かれていて、両地区は上下関係のない対等の存在だ。当然ながらそれらは現実世界では聞いたこともない地名だった。
だが何も中心なのは地理だけでなく、いうなれば全てがそうだった。狂乱と混沌に満ちたこの箱庭世界ではカジノの勝者こそが絶対。カジノのランクや勝率等、あらゆる結果は厳正に算出され、それが各々の生活水準に直結する。文字通り富も名誉も全てがカジノで決まってしまう。中でもランクの影響は絶大で、最高ランクにまで上り詰めれば、箱庭世界のほぼ全ての権限が解放され、例えばカジノ内での居住等、あらゆる優遇を受けられる。他にもランクによる権限はカジノ内のどこへ立ち入れるかや、どのゲームに参加できるか等細かく指定されている。
だからこそこの箱庭世界に住まう者は皆カジノで上を目指す。だがそんな美味い話がある筈もなく、皆始めはビギナーランクからスタートするが、その中から最高ランクへ到達できるのは僅か1パーセント未満の限られた者だけ。当然そこへ到達できない者が大半で、到達できる者でもそれは1年や2年で辿り着けるようなものではない。
そしてそんなラマを束ねているのが若き女性オーナーの湯銭だ。だが彼女の経歴はそれだけに留まらず、なんとこの箱庭世界を創り出した張本人でもあった。湯銭は人並外れた力を有しているらしく、真偽は不明だが風の噂によれば彼女の正体は魔女だとも言われている。一方でその力は箱庭世界の維持にも使われていて、生活面でも食料を創り出す等して、最低限の暮らしを保証するベーシックインカムを確立させている。それ故湯銭はこの箱庭世界で絶対的な地位を築き上げている。
以上がこの巨大カジノ施設、ラマに関する一通りの情報だ。
……だがもう一つ気になることがある、あの身体の透けた黒い影、カオナシに関してだ。結論からいえば彼らは皆元は人間で、あるトリガーによって身体の透けた黒い影になったらしい。というか変化した後も特段意識に変化はなく、人間としての生活を続けている。つまるところ彼らは普通にこの箱庭世界の住民であり、このカジノのユーザーだ。そして驚くことにカオナシの比率は全体の3分の2以上を締めていた。
そして今俺はそんな彼らとカジノで渡り合っている。
「さて皆さん、そろそろゲームも大詰めですが、敗戦の弁を述べる者はいませんか?」
そう語り掛けてみてもやはり反応はなく、代わりにウィントムを除く対戦相手の5人の中で唯一カオナシではない参加者が言った。
「やめとけって、こいつらはエンターテイナーにこれっぽっちも価値を見出しちゃいない奴らだ」
「ああ知ってる。彼らにとってこのカジノは勝つことが全てなんだろ? だが事実、皆俺に負けてるじゃないか」
「それはあんたが新星のエンターテイナーだからだ。普通そう上手くはいかねえ。ポーカーフェイスには敵わないんだよ」
このゲームは開始から一貫してウィントム優先で進んでいた。この最終セットで他の参加者が逆転できる可能性はほぼなく、ウィントムの勝利は確定同然。一方でウィントムに釘を刺したカオナシではない参加者は終始後ろをうろついていた。
そんな彼の言う通り、カオナシのカジノでのプレイ姿勢は共通して皆ポーカーフェイス……というよりも順序が逆で、どういう訳かこのラマでは、勝つことだけしか考えないポーカーフェイスになると、身体の透けた黒い影になってしまう。
そして実はもう一つ彼らには特徴があり、カオナシになった者は己の強く望む妖力を1つだけ得る。それも厄介なことに、彼らの中にはその妖力を利用してイカサマをする輩もいる。つい先程……というかこのゲーム中にも触れたものの文字を書き換える妖力を使った奴がいた。そのイカサマをウィントムが何とか見抜いたおかげでそいつは退場となったが、そんなことにまでリソースを割かなければいけないのだから気も休まらない。
「俺はあんな姿にもイカサマ師にもなりたくねえからポーカーフェイスじゃないってだけだ。それもいつまで持つか分かんねぇけど」
「そんな姿勢では駄目だ、抗うからには抗い抜け。それがカオナシではない我々に課せられた使命だ」
「……あんたは熱くてクールだよ」
「そりゃそうだ、俺はエンターテイナー、カオダシだからな」
ラマの中はポーカーフェイス、カオナシになることに抗う者達がいて、その者達のことはエンターテイナー、カオダシと呼ばれている。そんなカオダシとなることをウィントムは選んだ。
それから間もなくしてウィントムのそのゲームでの勝利が確定した。
……とそんな感じでここでの生活にも慣れ始めてきた頃、いつものように朝起きて鏡を見ると――
「おいまさかこれ……透けてないか?」
ある朝ウィントムが肌の感じに違和感を覚えたかと思えば、その日の午後には透けていると明確に判別できるようになり、数日後には完全に身体が透けてしまった。身体が透けることによる身体能力の低下や不調等の症状はないものの、それまでの日常が色と共に失われていくような物悲しさは隠せなかった。それでもここでは皆そうなるのだと思えば割り切れる……筈だったが、一つだけ他の誰にもない症状がウィントムにはあった。そのことを詳しい人に尋ねてみた。
「なぜか身体が透けて妖力を得たにも拘わらず黒い影にならないんですが」
「本来なら身体が透けるのと同時に黒い影になるものです。しかし稀に身体が透けるだけの人もいるんですよ。そういう人はグレーと呼ばれています。訊きますがあなたはポーカーフェイスではないのでしょう?」
「ええ、それどころか観客を刺激するエンターテイナー、カオダシを自負してますよ」
「そこが矛盾しています。本来カオナシには勝つことだけしか考えないポーカーフェイスの者しかならない筈なんです」
……そしてこうも言われた。
「それと言い辛いんですが、黒い影にならずに透けた者はいずれ消滅してしまうんです。消滅した者がどうなるかは我々にも分かりません。つまり……それは死と同義かもしれません」
あまりにも突然の余命宣告にウィントムは動揺を隠せなかった。頭が真っ白になりかけながらも、するべき質問をした。
「消滅せずに済む方法はあるんですか」
「消滅を回避するには元に戻る実体化の方法を探す必要があります。しかしその方法は人によって異なり、己の手で見付け出すしかありません。同じ症状になった者の中には消滅せずに再び実体化した者も何人かいると聞いています。といっても黒い影にならずに透ける症状自体が稀なので、中々明確なことは言えないんですが」
実体化する方法を己の手で見付け出す。それは身体の透けたウィントムに強制的に課せられたミッションだった。それを放棄すればいずれこの世から消滅する。だからやるしかなかった。
そして同時に誕生した、透ける勝者ファントムウィナー、通称ウィントムが。
Final Game
気持ちの昂ぶりからか、この箱庭世界へ来てからのことを思い起こしてしまっていた。
「あとはもう彼女だけだ」
ウィントムの大会優勝の〈要求〉は無事叶い、遂に今日が湯銭との面会の日。実際に彼女と接触してみて、それでも身体が実体化しなければもうお手上げ、そんな覚悟でこの日を迎えた。
ウィントムは今地図で指定された場所へと向かっていた。ある朝ポストに投函されていた地図、そこに面会日と面会場所が書き記されていた。それを便りに広大な巨大カジノ施設ラマを歩くこと十数分、指定された部屋の前に到着。
扉をノックしてみると、中から「どうぞ」と湯銭と思しき声が聞こえてきたので、意を決して「失礼します」と入室を試みる。その動作と並行して室内を確認してみると、正面にテーブルがあり、その奥の側に湯銭が椅子に腰掛けてこちらに不敵な睨みを利かせていた。
「今大会を征したカオダシ、ウィントムです」
「前置きはいい、さっさと座れ。でもって用件を言え」
彼女は気が強い、臆すれば負ける、そう己に言い聞かせつつウィントムは彼女の正面の椅子に腰掛け、いつものようにパフォーマンスを開始させた。
「見ての通り俺は身体が透けてます。しかし黒い影にはならず所謂グレーになってしまった。そうなった者の多くがどんな末路を辿るかも勿論知っています。ですから、ラマのオーナーであるあなたに協力を仰ぎたい」
「私からすりゃグレーなんてただのカオナシ同然、そんな奴を何で私が助けなきゃならない」
「それは先程も言った通り、大会優勝の権利でそれを〈要求〉したからですよ」
「生憎あんたを実体化させる方法は私にも分からない。私には人をカオナシにする力はあっても、それを治す力はないのさ」
「心配には及びません、既に治す方法は分かっています。厳密には治るかもしれない方法ですが。いずれにせよその方法にはあなたの協力が必要でした」
それを聞いた湯銭は暫く黙り込み、考えるような素振りを見せた後、言った。
「それじゃあまあ、ゲームでもしようか。あんたが勝ったら協力してやる。但し私が勝ったらあんたは今後このラマでカオナシ扱いされる。どうだい?」
突飛な提案だが、湯銭相手に丸く収まるなどとははなから思っていなかった。随分とリスキーな賭けだが、この流れに拒否権はないのだろう。ならば――
「ええ、いいですね。で、一体どんなゲームを?」
すると湯銭は「まあ見てな」と得意気な表情を見せつつ、手を伸ばしてテーブルに立て掛けてあった杖を掴み持った。一呼吸置いてその穂先を床に打ち付ける動作をすると、突然風もなく複数のカードが宙を舞い始めた。呆気に取られる間にそれらは収束していき、その内の一部が両者の座るテーブル中央に置かれ始めた。全部で1、2、3……10枚。
「こりゃ凄い、それがオーナーの妖力ですか?」
「いやこれは私の妖力じゃない。奪ったんだよ、カオナシからね。この箱庭世界だってそのために私が創ったのさ。そうそう、フェアのために言っておくが、あんたの妖力が何かは既に把握済みだ」
湯銭はそう言いながら今度はおもむろに腕を挙げると、まるで図ったように1枚のカードがその手中にすうっと収まった。
「私はこれにする」
湯銭はそう言って机にカードを表向きに置くと、そこにはクローバーの3が描かれていた。どうやらカードの正体はトランプのようだ。となるとこのゲームは――
「カジノウォーさ」
カジノウォー、そのルールは至ってシンプルで、相手よりも大きい数字のトランプを引いた方が勝ち。ちなみに最強はAで最弱は2だ。……だとしたら湯銭の引いたトランプはかなり弱いことになるが。
「引き分け以上であんたに協力してやる」
彼女は低い数字を引いたにも拘わらず、顔色一つ変えることなくそう挑発した。それを言葉通りに受け取ればウィントムは2以外のトランプを引けば勝利が確定する。これはほぼ無条件で協力すると受け取るべきだろうか。……いや、彼女に限ってそれはあり得ないだろう。何かがおかしい。そもそもなぜこのゲームが始まったのかと考え――そこで気付いた。
「湯銭さん、これはある意味ゲームではありません。ですよね?」
「ほう、じゃあ何だってんだ」
「これは俺をカオナシ扱いするためだけに用意されたもの。つまり俺が負けた場合、俺にカオダシとしての素質がないと証明されるギミックが仕込まれている。わざわざ俺の妖力を知っていることに言及したのもそのため。どうですか?」
すると湯銭の表情が変わり、ギャンブラーの顔になった。
「ああ当たりだよ。だがそれが分かったところであんたの勝ちじゃない」
「ええ、これはカジノウォー。あくまで大きい数字を、つまり今回の場合3以上を引いて初めて勝利となる。ですがこれらのトランプの中に本当に当たりはあるんでしょうか」
「何が言いたい」
「つまりここに置かれているトランプは全て2だ」
「仮にそうだったとして……じゃあどうする」
その言葉を待っていたかのようにウィントムは懐からナイフを取り出す。これは普段己の妖力を発動させるために使っているナイフだ。だがウィントムは自身がカオダシであることを証明するためにあえてこう言った。
「妖力を使わずに――これらを切断します」
その宣言とほぼ同時に、並べられていた10枚のトランプは次々と刃の餌食となっていく。ウィントムが銀の線を描く度にトランプは分断され、そうして全てのトランプが真っ二つになった。
「あなたは肯定しました、これがある意味ゲームではないと。ですから俺はここにあるトランプの数字を全て2分の2、Aだと言い張ります」
それを確認した湯銭が再び杖を床に打ち付けると、切断された10枚……いや20枚のトランプが一斉に宙を舞い、そして表となってまた着地した。そしてそれらに書かれていたものは――
「……全てA、あんたの勝ちだ」
ウィントムは遂にラマのオーナー、湯銭に勝利した。
「さて、約束は約束だ。あんたの言う実体化とやらに協力させてもらおうか」
「実はそのことで先程話しそびれたことがありまして、実行のためにはそう――あなたを刺さなければならない」
普通なら警察沙汰のその発言も、ここが狂乱と混沌のラマで、相手が絶大な力を持つオーナー、そして刺すのが俺となれば話は変わる。
「……いいだろう、刺せ」
快い了承を得たウィントムは、早速10枚のトランプを切ったあのナイフを懐から取り出し、椅子から立ち上がり、テーブルを挟んだ湯銭の側へと回り込む。それを確認した湯銭もまた立ち上がり、テーブルと椅子から少し距離をとって銀の刃を握るウィントムへと身体を向ける。両者向かい合った状態のまま暫く何も起こらない無音の時間が経過した。
その静寂をウィントムの一歩を踏み出す音が破る。その直後、ナイフは湯銭の鳩尾辺りへとすうっと挿入されていった。
「おぉ、本当に痛くないんだねえ」
ナイフが刺さっているにも関わらず表情一つ変えない湯銭はやけに不気味に感じられたが、それを上回る感情がウィントムの頭の中を渦巻いた。ウィントムは彼女の身体へ押し付けていたナイフを今度はゆっくりと引っこ抜く。そうして気付けば湯銭は――分裂していた。
そうこれこそがウィントムの得た力、斬撃を与えた対象を分裂させる妖力だった。
「「で、これで分裂完了って訳かい」」
分裂した一対の湯銭は見事に同じことを同じタイミングで言っている。更に動作も鏡のように同じで、それに気付いた両者はその方向を全く同じ動作とタイミングで振り向き、瓜二つの自身を見合った。その光景は傍から見たら少し滑稽かもしれない。
だがウィントムは今、そんなことに気が向かない程に興奮の中にいた。
「あぁ……これで終わった、望みが叶った」
その言葉に分裂した両者はお互いから視線を逸らし、訝し気な表情でウィントムに視線を移した。
「おぉすみません、つい興奮していたもので。……それとできれば順番に発言してもらえるとありがたいのですが」
その要望を聞いた2人はお互いを指で指し合ったり、自分を指で指し合ったりし始めた。それを続けていると片方に2人の指が集中する瞬間が訪れる。2人が黙って頷くと、その指で指された方が発言を始めた。
「……よしこれでいいな。それと名前なんだが、こっちが湯で、私が銭だ。それで、これをすれば実体化できるといっていたが、見たところ変化がないようだが」
興奮のあまり意識が向いていなかったが、その事実を指摘されて一転して青ざめた。だがそんな衝撃に浸る間もなく今度は湯が言った。
「それと実際に刺されてみて分かったが、本来刺された者はその直後の記憶が曖昧になるんじゃないかい? ……だとすれば、分かったことがある」
ウィントムは驚きに驚きを重ね、質問に答えられずにいると、今度は2人同時に続きを言い放った。
「「最近巷で噂の霊の騒動、あれは全てあんたが仕組んだことだ」」
それを突き付けられたウィントムは少しの間押し黙ったが、観念した。
「ええそうです。この世界は俺に快楽を与えてくれた。それを利用しない手はなかった。だから俺は最高ランクの者全員を刺すことを目標にした。そしてあなたがその最後の標的だった」
分裂した両者は揃って不敵な笑みを浮かべ、そして銭が口を開いた。
「……だとすればもう一つ疑問も自動的に解消する。あんたどうして自分だけ黒い影にならずに透けたと思う?」
「さあ、それに関してはお手上げです」
すると今度は湯が続きを語り始める。どうやら概ね交互に話す流れができつつあるようだ。というか最早どちらが話しているかもどうでもよくなりつつあった。
「まず身体の透けた黒い影になる条件は今更考えるまでもなくポーカーフェイスだ。そしてそうなると妖力を1つだけ得るが、どんな妖力を授かるかはそいつ次第。具体的には己の強く望む妖力を得る」
「だがだとすればおかしくないか? なぜってあんたはその妖力を得たことで快楽を見出したと言ったが、そもそも妖力を持つ前の人間がそんな非日常的な方法の快楽を想像して強く望むだろうか」
「一体何が言いたいんです?」
「つまりあんたはカジノ以外の日常でポーカーフェイスになる必要があった、例えあんたがこのラマでどれだけ優れたエンターテイナーだったとしてもね。……回りくどい言い方はよそうか」
「「つまりあんたはこのラマへ来る前から既に人を刺し、快楽を見出していた」」
2人の推理を突き付けられたウィントムは、長い沈黙を得て白状した。
「そうだ、認めるよ。初めは殺すつもりなんてなかった。だが一度やってしまったら最後、もう抑えられなくなった。それでも理性ではずっと殺しを拒み続けた。そんな矛盾と葛藤した末、いっそ自殺してしまおうとあの日山林を歩いていた。皮肉にもそれがこの箱庭世界へ迷い込んでしまった日となった」
「それと言わなかったが今の会話は全てラマ中に放送されてるから」
その事実を知ったウィントムは反射的に四方八方を見渡してみるが、どこにもそれらしい撮影器機は見当たらない。だが彼女のことだ、恐らくカオナシから奪った妖力を使ってきっちりと放送しているのだろう。
「立場を考えろ、いくらこの箱庭世界が常識外れだからって、殺人鬼を野放しにする訳にはいかないだろう?」
「待ってくれ、俺はここへ来てから一度も殺しはしていない。妖力を手にする前も含めてそうだ」
「せいぜい喚くといいさ。ちなみに今も放送は続いてる。あとは好きに演出しな」
その一言で気付く、これは湯と銭の仕掛ける最終ゲームだと。それも先程のゲーム以上にカオダシとしての資質が試されていると。ならばやるしかない。
「皆さん、聞こえますか?」
すると「聞こえてるぞ」とか急に色々な言葉が聞こえ始めた。湯と銭の方をちらりと見ると銭が言った。
「一方通行じゃ対話にならないだろう?」
つまりこの放送は今双方向、それを理解したウィントムは視線を戻し、続けた。
「俺が過去に多くの人を殺したのは事実だ。そしてその罪はどんな世界に住もうとも、どんな地位に就こうとも消えることはない。もし皆の意思が俺を許さないのなら、今度こそ俺は死を迎えるだろう。だがそれでも一つだけ皆に頼みがある、例え俺が死んでも俺をカオダシでいさせてくれ」
すると「勿論だ」とか「あんたは最高のカオダシだ」といった言葉が聞こえてきた。勿論否定的な言葉を投げかけてくる者もいる。それでも俺は例え死んでもカオダシでいられるような、そんな気がした。
その時だった。
「身体が、実体化した……?」
気付けばウィントムの身体は完全に実体化していた。身体が透ける時以上のあっという間の変化に驚いたが、それを上回る喜びが込み上げる。そんな彼に湯と銭は一言ずつ声を掛ける。
「やったじゃないか。言ったろ、カオナシにはポーカーフェイスがなるもんだ。あんたは確かにカジノではエンターテイナーだった。だが日常ではずっとポーカーフェイスだった。だから透けるだけで黒い影にはならなかったんだろうねえ」
「つまり実体化の条件は皆に殺人鬼だと正直に明かすことだったのさ」
そして今この瞬間、彼は名実共にカオダシとなった。
結果的に予定とは全く違う方法だったが、生存を賭けたミッションは無事達成された。
暫くどこからともなく届く放送の歓声を聞きながら感無量に浸っていると、それに飽きたのだろう、銭か湯のどちらかが放送を切ると、室内は再び静寂を取り戻した。
「さて、ゲームは終わりだ。さっさと帰んな……と言いたいところだが、その前にこの身体を元に戻してもらおうか」
歓声を浴びる心地良さから一転、その要求を突き付けられたウィントムは困り果て、その理由を恐る恐る口にしてみる。
「それが人間を分裂させた場合、本来なら分裂した者同士がお互いを見合うことで、自然と元に戻る筈なんですが……」
「おいまさか、戻せないなんて言うんじゃないだろうな」
「ええつまり……そのまさかです」「「ふざけるな!」」
その事実に2人は当然の如くご立腹の感情を顕にする。相当機嫌を損ねてしまったようで、このままでは今にも何をされるか分からず、せっかくの努力が水の泡となる勢いだ。
だがその時、突然何か揺れというか、いびつな気配のような、とにかく変な感覚がした。
「すみません、こんな時に何ですが今何か感じませんでしたか」
気になりそう尋ねてみるも、2人からの反応はない。まさかまた何か企んでいるのかと覚悟していると、事態は急変した。
「おい、本当に何とかして今すぐ元に戻せ」
「いえ、ですからそれは出来――」「「このままだと箱庭世界が崩壊する!」」
2人がそう発した瞬間、今度は大きな揺れが部屋を襲った。そこに至って今彼女の発した言葉の意味が頭の中で整理されていき、顔を青くさせるに至った。
「……一つ尋ねます。仮に崩壊したとしましょう。この箱庭世界の住民はどうなりますか?」
「死ぬ」
「分裂を元に戻す以外でそれを崩壊を止める方法は?」
「こうなっちまえばもう崩壊は止まらない。私達にできることがあるとすりゃ、この箱庭世界を現実世界に転移させることだ。だがその転移にしたって私達が分裂した状態じゃあ難しいから困ってんだ。大体これはあんたが蒔いた種だろ、少しはどうすればいいか自分でも考えたらどうだ」
考えろと言われても、これ程の力を持つ湯と銭ですらお手上げで一体どうしろというのか。分裂を元に戻すことは残念ながら本当にできない。ならば俺にやれることなんて――
……やれること?
「一つ、提案があります」
慌ただしくしていた湯と銭がこちらへ向き直るのを確認して、ウィントムは残された望みを口にした。
「あなた方を分裂させたように、この箱庭世界を分裂させるんです。そうすればあなた方と箱庭世界との力関係は元に戻る」
それがウィントムの考え付いた唯一無二の方法。勿論他に妙案があればこの案は取り下げるが、なければ試す価値はあるだろう。
「おいおいちょっと待て、いくらあんたに分裂の妖力があるからって、そんな巨大なものを分裂させられる訳がないだろう」
「ええ、ですからそこはあなた方の補助を借りて何とか――」「「そんな都合の良い妖力はない!」」
当てが外れた。肝心なところで万能な力を発揮してくれない。だがこの巨大カジノを分裂させること自体は否定していないようだ。それを遂行できる方法は本当にないのだろうか。
……と考えたところで閃いてしまった、カオダシらしいあっと驚く鮮烈な方法を。それがおかしくてつい笑みを表に出すと、2人に訝しがられる。だがそんなことはお構いなしに言う。
「一つ尋ねます、制御室はどこにありますか」
「……時間がない、付いてきな」
2人もすぐにその言葉の意味を察したようで、そう言うと一目散に部屋を飛び出た。ウィントムも急いで部屋を出てその後を追った。
部屋の外は限られた者しか立ち入れない場所柄か人の気配はなく、3人のやや硬質な駆ける足音が廊下中に澄んで響いた。
崩壊はいよいよ目に見えるかたちで危機を警告を始めていた。まるで地震のように建物内は揺れているし、外は妙に薄暗く風も強い。こんなことはこの箱庭世界に来てから一度もなかったことだ。
「あそこだ!」
叫ぶ彼女らが見ているであろう視線の先には、突き当たりに佇む一つの扉。遠目からプレートを読んでみれば、そこには確かに制御室の文字。そうしている間に辿り着き、湯と銭のどちらかが扉を開けた。
全容が明らかになった室内を一通り見渡してみると、そこには所狭しとはいかないまでも、多くの器機が音や光を放って稼働していた。器機には何に使うものかも丁寧に書かれてあるようだ。
「この部屋のどこかにお目当てのものがある筈だ。生憎私は普段こんなとこには来ないんで、あとは自分で探しな」
「ありがとうございます。それと2人はラスベガス地区とマカオ地区とに分かれた方がいい」
せっかく箱庭世界の分裂に成功しても、彼女らが同じ方に偏っていたら元も子もない。そのことをすぐに理解した湯と銭は急いでそれぞれがどちらかの地区へと向かっていった。それを見届けたウィントムも早速この器機の山から目的の装置を探し始める。
「おっと、ここでラックを発揮するか」
その作業に手間取るかと思っていたが、目的の装置は予想外にすぐに見付かった。すかさず懐から再びあのナイフを取り出す。
「今度こそ、最終ゲームだ」
何度最終ゲームをしているのかとも思ったが、これが本当に最後だろう。ウィントムは様々な思いを胸に抱きつつ――装置を刺した。
いや装置のボタンを刺すように押した。
その瞬間、ラマが揺れた。
だがそれは崩壊が起こす地震ではなく、無機質な揺れだった。そしてこれは他でもないウィントムが起こしたもの。それもこの揺れの感覚は、まだ昨日のことのように記憶に残っている。
彼が刺したもの、それはウィントムの優勝したあの大会の決勝でも使われていた装置。つまりこの巨大カジノ施設ラマ、それを左右に分離させるための装置だ。その分離する画がまるで斬撃で、それが妖力の発動条件に当てはまることに彼は賭けたのだ。
「さて、と」
これでやるべきことは全て終えた。俺も早いとこ、ここから脱出しなければ。そう考えてウィントムは制御室を去った。
……それからラマはどうなったか。
結論からいえばラマは無事に西のラスベガス地区と東のマカオ地区とに分裂した。そして湯と銭はそれぞれの地区を現実世界に転移させることに成功した。その後ラスベガスはネバダ州のモハーベ砂漠に、マカオは珠江河口を挟んだ香港の対岸にそれぞれ出現した。
そしてカオダシ達は今も尚、現実世界のどこかで活躍し続けている。
遂にここまで来た、と考えるのはこれで何度目か。
目の前に敷かれた長いレッドカーペット、その先の俺の向かうべき場所が、今から出現する。今はまだ巨大建造物ラマが壁となって道を隔てているが、そこから舞台が出現することを彼は理解している。何せ今までずっとそこを目指してきたのだから。
地が震え地鳴りが響くのに前触れはなかった。突如唸り始めた巨大建造物ラマは、壁伝いに縦の線光を放ち始める。それはすぐに建物自体の発光ではなく、切り通しの背後から漏れ出た光だと認知できた。逆光となっている巨大建造物から差し込むその光は強烈なコントラストを作り、まるで彼の出場を称えるかのように瞳を刺激してくる。切り通しの隙間は徐々に広がっていき、学校のグラウンド程の間隔に達した辺りで図ったように停止し地鳴りをやめた。
直後にやっと赤い絨毯の歩行許可が下りる。今いるこの暗い舞台裏は俺の居場所には相応しくない、そんな思いで外に出て観客達に姿を見せると、真っ先に彼らの呼び声が耳に届く。
「ウィントム、ウィントム」
ああ、皆が俺の名を呼んでいる。
一直線に敷かれた道を歩く内に光に目が慣れてくると、赤道の左右にいる観客達の熱気に狂う表情が目に入る。その思いに応えつつ次いで正面に視線を向けると、そこには分離した巨大建造物ラマの間から出現したステージと、そこへ集う俺以外の強者達の姿が見えた。今丁度3人目が着席したところで、残る空席はウィントムの椅子だけとなる。
なに、少しくらい遅刻しても誰にも怒られはしない。ウィントムは最後まで歩くペースを崩さなかった。そうしてやっと着いたかと思えば、今度は席の背凭れに片手を置いて最後にもう一度熱気に応える。観客達はステージの周囲だけでなく、切り通しを作り分離した一対の建物、西のラスベガス地区と東のマカオ地区の断面の窓からもそれぞれ顔を覗かせている。それらを確認したところで漸くしてウィントムも着席した。
今このステージ上でテーブルを囲っているのはウィントムを入れて計4人。他の者はウィントムよりも少し若い男女が1人ずつと、ウィントムよりも年配の男性が1人。
4人は今からあるゲームを始めようとしていた、それも大会決勝の。ここはそのためだけに用意されたステージだ。それにしたって随分と大掛かりな演出だ、とここを訪れたばかりの者は口を揃えて皆そう言う。だがこの世界ではそれが普通、この箱庭世界ではカジノが全て、この巨大カジノ施設ラマの勝者こそが絶対。
だからこそ、ある目的のために、俺はこのゲームで勝たねばならない。
「さて、早速だが話したいことがある」
「自己紹介はいいのか?」
「お互いのことは当然皆知ってるだろう?」
程なくして年配の男性が意気揚々と雑談を始め出し、それに対して若い男性が口を挟んだ。若い男性の言い分は尤もだが、とはいえ年配の男性の言う通り、今ここにいる者達のことをお互い知らぬ筈がない。現にウィントムも3人のことはよく知っている。年配の男性がCドラ、若い男性がネイビー、若い女性が積乱だ。
「それで話したいことってのはだなあ、俺も遂に見たんだよ、霊を」
他の3人の様子を覗いつつ、改めて雑談を始めるCドラ。だがその内容を聞いたネイビーは、わざとらしく大袈裟なため息をつく。
「なんだ、期待させといてそれかよ。んなもんみんなとっくに見てるって。お前らも見ただろ?」
ネイビーが場外に向かって質問を投げると、その中から「見た」だの何だの掛け声を飛ばしてくる者がちらほらいた。それに納得のいかない様子を見せるCドラもまた場外に向かって言い返す。
「おいお前ら言っとくが両方だぞ。両方見たのか?」
すると今度は場外から「両方見た」と掛け声が返ってきた。その反応を耳にしたCドラは「まじかよ」と言っておちゃらけてみせると、会場全体がいつものように笑いに包まれた。
……巷では今、2種類の霊がよく目撃されている。
一つは殺人鬼の霊。
そしてもう一つは自分自身の霊。
それも遭遇する順番までちゃんとある。初めに出会うのは殺人鬼の霊で、そいつを目撃した者は皆、奴の手に握られたナイフの餌食になるという。といっても相手は霊なので物理的なダメージはない。それでも刺された者は本当に刺されたように意識を失う。ただそれも一時的で暫くすれば何の不調もなく起き上がる……のだが、起き上がった者達は皆口を揃えて言うのだ、自分の霊を見たと。
「で、どうだったよ、見た感想は」
「……まあこの俺にかかれば大したことはないさ。だがこれで最高ランクの奴は全員霊を見たことになる」
「厳密にはカジノのオーナーも俺達と同じランクだけど、まだあいつは見てないらしいぞ」
「そりゃあ当然あいつは例外だ」
とそこでネイビーとCドラとのやり取りに割って入るかたちで初めて積乱が口を開く。
「いやいやほら、まだそこに1人」
その視線は明らかにこちらへと向けられている。まあ別に隠すことではないからいいのだが。
「ええ、彼女の言う通り俺もまだ見たことがない」
「あー、あんたも例外だ。だってあんた――透けてるし」
Cドラの言う通り、ウィントムの身にはこの箱庭世界の中でも特異なことが起こっていた。文字通り身体が透けているのだ。だが今はそのことさえも利用しよう、そう考えて彼は言った。
「そりゃあ俺はウィントムだからな。名前の由来くらい知っているだろう、ファントムウィナーだ。だがそのことと霊の件とは別に関係ないと思うが」
「黒い影にならずに透けてるのはお前くらいだ。それが原因で霊が現れないって考えも普通にあり得るんじゃないか?」
すると今度はネイビーが口を挟んできた。その言い分は筋が通っているが、そもそもこの話を続けても仕方がないと考えたウィントムは話の流れを変えてみた。
「まあ次に刺されるとしたら俺だろうから、数日後には分かるかもしれないな。しかしせっかくだ、心の準備として経験者にアドバイスを頂きたい」
「あぁ、別に痛みはないし死ぬこともないからそんなに心配いらない」
「でも刺された時の記憶は曖昧になるから、本当は凄く痛かった可能性はあるかも」
「おぉ、それは軽くホラーだ」
ネイビーと積乱からアドバイスを聞いたウィントムは、ややわざとらしい表情を作りそう答えた。
その時、鐘のような電子音が会場全体に号鐘を鳴らした。同時に場の空気が少し変化し、舞台上の雑談も止まった。
それからややあって4人に正方形の枠が3つ書かれた用紙が配られる。そこには漢字を1文字ずつ書くことになっていた。ウィントムはその内の一つに迷わず「怖」の文字を書き入れ、他は判断がつかなかったので適当に書いた。全員が書き終えたタイミングで用紙が回収されると、また手持ち無沙汰になる。
だがそんな時間もすぐに終わり、急に会場から歓喜の声が上がり始める。彼らの視線の先には分離した一対の建物の断面。ウィントムもその気配を察知して視線を向けると、そこにはプロジェクションマッピングのようにある情報が映し出され、こう書かれてあった。
「Winner ウィントム」
……勝った、ウィントムはこのゲームに勝利した。
そう、ついさっきまで4人はゲームをしていて、勝敗は既に決していた。やっていたのは古今南北、4人の要望も加味されて選ばれたゲームだった。だが彼らのパフォーマンスがあまりにも卓犖不羈で、何も知らない人から見たら、本当にただ雑談をしているだけにしか見えなかったかもしれない。けれど彼らはゲーム終了の鐘が鳴るまで本気で戦っていたのだ。
そして今丁度、具体的な結果が画面に映し出された。
「
お題:巷で噂の霊の話(言わせたら+2点、言ったら-1点、■を当てたら+2点)
[最、死、透、■、■、■](言わせた+8点、言った-1点、■を当てた+2点、計9点)ウィントム
[最、■、■、殺、怖、■](言わせた+2点、言った-3点、■を当てた+2点、計1点)ネイビー
[■、死、■、殺、■、通](言わせた+6点、言った-2点、■を当てた+4点、計8点)Cドラ
[■、■、透、■、怖、通](言わせた+8点、言った-0点、■を当てた+0点、計8点)積乱
」
念のため少しだけ画面の見方を解説すると、漢字が相手に言わせるワードで、黒塗りの「■」が言ってはいけないワードだ。例えば「死」の付くワードをネイビーが発言した場合、ネイビーに-1点が入り、ウィントムとCドラに+2点が入る。だがネイビーにゲーム開始時に与えられる情報は「お題:巷で噂の霊の話[最、■、■、殺、怖、■]」だけなので、言ってはいけないワードは本人には分からない。ちなみに言わせるワードを自分で言ってしまった場合は失格となる。そして今回のゲームをもろもろ計算した結果、括弧内の得点が弾き出された。
とはいえウィントムにとって細かい得点の配分なんて別にどうでもよかった。この戦いの勝者はウィントム、それさえ分かれば。そしてその思いは会場の皆も同じ。気付けば会場は熱気の渦に包まれ、上がる歓声は永遠に鳴りやまぬのではないかと錯覚しそうになる。
こうしてはいられまいとウィントムはすかさず席を立ち、ステージ中央のテーブルをぐるりと周るように歩きつつ、周囲の観客達へ向けて手を掲げそれに応え始める。
しかし名残惜しいがずっとこのままの訳にもいかない。この熱狂を鎮めるのもまた勝者であるウィントムの役割。掲げている手を顔の前に出す動作を何回か繰り返していると、その意味に気付いた観客から順番に歓声は鳴りやんでいった。
「えー皆さん、応援ありがとう。俺は見ての通り身体が透けている。だがそんな俺にも他人より透けてないものが一つだけある。何だと思う?」
観客達に考えさせる時間を与え――「手の内」
その一言は静まり返った歓声をまた一時的に復活させた。それが自然と鳴り止むのを見計らって、今度は少し別の角度から攻める。
「さて、敗者の皆さんも何かコメントはあるかい?」
「おぉウィントム、俺はあるぞ、コメント大ありだ」
そう食いついてきたのは予想通りCドラだった。彼は敗者の自覚はあるようで、ウィントムのように席を立つことはしなかったが、それでも発言には遠慮がない。
「全く、若造がいきりやがって。だがな、俺にも他人より上回るものが一つだけある」
「笑いだろう?」「おい先に言うんじゃねえ」
Cドラがすかさず言い返すと場外から笑いが巻き起こる。確かに皆を笑わせる能力でこの人物に勝利するのは難しいだろう。思わず勝負がゲームでよかったとほっとしてしまう。
「でも黒塗りを2つも当てたのは純粋に凄いと思うよ」
積乱がわざとらしくCドラを褒めると、彼は再び得意気に語り始める。
「あぁ、あれはネイビーが露骨に俺に感想を求めてきたから気付いたんだよ。こいつは俺に「怖かった」って言わせようとしてるってな。だからわざと嘘をついたんだ。……ああそうさ、本当はめっちゃ怖かった」
そう言うと場外からまたしても笑いが起こる。だが彼はそれに満足せず続けた。
「でもってもう一つの方が分かったのもやっぱりネイビーが原因だ」「全部俺のせいかよ」
今度はネイビーの一言によって場外から笑いが起こる。
「ああそうだ。あんたは最高ランクのことを「俺達と同じランク」なんて妙な言い回しをした。だから枠を2つ使って書いてやったのさ。ひゅう、「最」っ「高」ってな」
すると今までで一番大きな笑いと拍手が巻き起こった。それが終わると言いたいことは全部言った、どうぞとさりげなくジェスチャーがあったので、ウィントムは再び発言権を自身に戻した。
「俺もゲーム終了間際に「怖い」って言わされそうになって危なかった。だが相手の手の内が分かってしまえばそれを得点に替えられる、それがこのゲームの醍醐味でありカタルシス。皆さんの熱狂と同じくらい、俺自身もこのゲームに熱く狂えた」
つい先程までの笑いのインパクトが強すぎたせいか、中々歓声が上がり辛くなってしまった。ならばそろそろ話題をあれに移そう。
「さて、そろそろ〈要求〉を明かそうと思うが、その前にどうだろう、まず敗者のする筈だった〈要求〉でも晒してみないかい?」
「それが〈要求〉なら言ってもいいけど」
積乱が皮肉を込めて否定の意を示すと、場外から小さく笑いが零れた。何ということだ、俺以外の皆が会場から笑いを起こしてしまった。
……といったところで、ウィントムはステージ上をうろつく足を止めて姿勢を改める。
「では……勝者に与えられる〈要求〉の権利、それを行使させて頂こう」
先程から飛び交う耳慣れない言葉。だが忘れてはならない、ここが狂乱と混沌に満ち満ちた箱庭世界であることを。この大会の勝者には一つだけどんな願いでも叶えられる〈要求〉の権利が与えられる。叶えられるものなら富でも名誉でも何でもいい。それがこの箱庭世界のやり方だ。
そんな中でウィントムの望んだ〈要求〉は――
「この巨大カジノ施設ラマ、そのオーナー、湯銭に会わせてもらおうか」
First Game
なぜ彼がラマのオーナーとの面会を求めているのか、その理由を紐解くには過去に遡る必要がある。
ウィントムがこの箱庭世界を訪れたのは約2年前。正確に言えば自分の意思で訪れた訳ではない。あの日俺は自宅から少し離れた山林を彷徨っていた。己の悪癖に失望してどうしようもなかったからだ。
つまるところ、あの日俺は自殺しようとしていた。
けれど運命のいたずらは俺を弄んだ。あの体験を言葉で表現するのは難しいが、いうなれば視覚トリックのようなものだろうか。目の前に映るものを認識する度に、まるで映像が塗り替えられるような変な違和感があった。初めは自殺を目前にして幻覚でも見ているのかと思ったが、それにしては妙な生々しさがあって不気味だった。子供じみたことを言うようだが、あれは神隠しと表現するのが適切だと今では思う。何せ気付いた時には未知の空間に迷い込んでいたのだから。
とはいえ初めはウィントムも当然そんなこととは思いもせず、引き続き山林を彷徨い続けていた、その道中で木々の隙間から覗き見えたあれを瞳に映すまでは。
「何だあの建物、でか」
それは遠目から見ても全長が500mあるかどうか、それくらい大きいと判別できる巨大な建物が遠方に聳え立っていた。周囲には家々があるので山中にぽつんと建物がある訳でもなさそうだ。だが重要なのはそんな明らかに目立つ巨大な建物はウィントムの訪れた山林の付近にはない、その事実だ。
そんなものを見てしまったせいか、いつの間にか自殺の決心は揺らいでいた。なに、自殺なんていつでもできる、そう考えてウィントムはあの巨大な建物を目指し始める。ややあって深い森を抜けると、先程よりも草丈の短い手入れの行き届いた広く見通しの良い直線の道に変わった。そこを少し歩くと、いよいよ街らしきところが見えてきた。
そのまま街へ入り周囲を見渡すと、何てことのない一軒家が整然と立ち並んでいた。それらは圧迫感と異彩を放つあの巨大な建物と比べるとどれも至って普通の民家だった。どの家もきちんとした外装で、窓にはカーテンが掛けられていて生活感がある。一方でその街並みに覚えはなかった。
「おいあんた、ここへ来るのは初めてかい」
あまりにも挙動が迷子のそれだったからなのか、不意に通りすがりの人から声を掛けられる。だがどうにも違和感というか、妙な引っかかりを覚える。
「ええ多分そうですが……どうして?」
「どうしてってそりゃあ、森の方から来るのが見えたからさ」
その返答を聞いてますます疑義が深まる。なぜ森の方から来たらここへ来るのが初めてだと思うのだろうか。……と考えたところで、そもそもここへどうやって来たかを思い出す。だから単刀直入に訊いた。
「ここは一体何なんですか」
「現実とは切り離された世界だよ。箱庭世界って呼ばれてるとこさ」
その真顔の返答に当然ながらウィントムの理解は追い付かなかった。そして置いてきぼりのまま、今度は誰かと通話を始め出す。内容からして自身のことを話しているようだが、具体的な内容までは読み取れない。結局説明を聞けたのは通話を終えた後だった。
「あの巨大な建物に務めてる人を呼んだんだよ。そいつからそこまで案内してもらうといい」
どうやらここで待っていればじきに担当の者が来るらしい……のだが、どうも雲行きが怪しい。あの巨大な建物に行きたいと言った覚えはないし、そもそも何で巨大な建物に行かなければならないのか。だがそんなことはお構いなしに、通りすがりの人はここを動かないように念を押すと、用が済んだとばかりに満足気な表情を浮かべてどこかへ行ってしまった。
そこで考える、この場を離れるなら今しかないと。そう結論付けるや否や踵を返して来た道を戻り始めた。だがそれから十数分程歩いた辺りで異常に気付く。あの視覚トリックのような感覚に陥った場所より前に戻れず、ほぼ一直線に進んでいるのに、まるでぐるぐると同じところを歩き続けているような感覚があった。これ以上の山行は危険と考え、やむなく先程の街に再び進路を翻すと、驚くことに行きに費やした半分以下の時間で戻ることができた。
そこには先程まではいなかったフォーマルな衣服を身に着けている人物が立っていた。その様子は明らかに誰かを待っているそれで、通りすがりの人が呼んだ人物だとすぐに分かった。戻れない以上どうしようもないので、仕方なくその人物に接近を試みると、傍に寄るよりも早く相手もこちらを認識してくれた。
「探しているのは私ですか?」
「その様子だと元の場所へ帰ろうとしたんですね。残念ながら一度ここを訪れてしまうと引き返すことはできないんです」
できることなら聞きたくなかった事実をその人物は平然と言い放つ。認めたくもないが今までの異常が全力でそれを肯定してくる。そんな思いでいることを知ってか知らずか、その人物は更に説明を続ける。
「ですからここへ来た者は必ず迎え入れるようにしているんです、あの巨大カジノ施設、ラマにね」
それからその人物、案内人の乗ってきた車に同乗させてもらってカジノを目指した。
だがその途中窓から妙なものが見えた……というよりも、あえてこちらから探さなくても至るところからそれは目に入ってきた。その対象をどう表現すればいいか分からないが、事実に基づいていえばあれは身体の透けた黒い影としか言いようがない。どうにも気になって仕方がないので質問してみると、案内人はこともなげにすぐに答えてくれた。
「あれはカオナシですよ。害はありませんのでご安心ください」
そのカオナシが何なのかもう一度質問しようと思ったが、それよりも早く目的地に到着した。
それぞれの担当があるようで、そこで案内人とは別れて担当が別の案内人に変わった。その案内人に連れられて早速入場してみると、中は予想以上に華やかで、思わず今置かれている状況を忘れかける。
入場口から少し歩いて受付のようなところに着くと、今度は担当をその受付の人に回された。随分とたらい回しにされているようであまり良い気はしない。そう考えていると受付の人は説明を始めた。
「ここでラマのID登録と住民登録をしてもらいます」
「うーむ、ラマはともかく住民登録とは?」
「恐らく既に担当の方から聞かれたかと思いますが、残念ながら元の世界へ帰ることはできません。ですからあなたは今後ここで生活することになります」
薄々勘付いてはいたが、いざストレートに言われると結構くるものがある。だが考えてもみれば俺は元々人生を捨てたんだ、いい加減この異常な現実を受け入れなければならないだろう。そう腹を括ったウィントムは書類に向かって手を動かし始めた。
それから何日か生活をしていく内に段々とこの世界への理解も進んでいった。
まずどうやらここは現実世界ではなく、箱庭世界という小さな面積からなる隔離された世界らしい。
そんな箱庭世界の中心にラマはあり、その周りを埋め尽くすように居住地が囲っている。更にその周囲には山林があり、そこからこの箱庭世界へ迷い込む者は後を絶たない。ちなみに山林より先には何もなく、そもそも行くことができない。
またラマは西のラスベガス地区と東のマカオ地区とに分かれていて、両地区は上下関係のない対等の存在だ。当然ながらそれらは現実世界では聞いたこともない地名だった。
だが何も中心なのは地理だけでなく、いうなれば全てがそうだった。狂乱と混沌に満ちたこの箱庭世界ではカジノの勝者こそが絶対。カジノのランクや勝率等、あらゆる結果は厳正に算出され、それが各々の生活水準に直結する。文字通り富も名誉も全てがカジノで決まってしまう。中でもランクの影響は絶大で、最高ランクにまで上り詰めれば、箱庭世界のほぼ全ての権限が解放され、例えばカジノ内での居住等、あらゆる優遇を受けられる。他にもランクによる権限はカジノ内のどこへ立ち入れるかや、どのゲームに参加できるか等細かく指定されている。
だからこそこの箱庭世界に住まう者は皆カジノで上を目指す。だがそんな美味い話がある筈もなく、皆始めはビギナーランクからスタートするが、その中から最高ランクへ到達できるのは僅か1パーセント未満の限られた者だけ。当然そこへ到達できない者が大半で、到達できる者でもそれは1年や2年で辿り着けるようなものではない。
そしてそんなラマを束ねているのが若き女性オーナーの湯銭だ。だが彼女の経歴はそれだけに留まらず、なんとこの箱庭世界を創り出した張本人でもあった。湯銭は人並外れた力を有しているらしく、真偽は不明だが風の噂によれば彼女の正体は魔女だとも言われている。一方でその力は箱庭世界の維持にも使われていて、生活面でも食料を創り出す等して、最低限の暮らしを保証するベーシックインカムを確立させている。それ故湯銭はこの箱庭世界で絶対的な地位を築き上げている。
以上がこの巨大カジノ施設、ラマに関する一通りの情報だ。
……だがもう一つ気になることがある、あの身体の透けた黒い影、カオナシに関してだ。結論からいえば彼らは皆元は人間で、あるトリガーによって身体の透けた黒い影になったらしい。というか変化した後も特段意識に変化はなく、人間としての生活を続けている。つまるところ彼らは普通にこの箱庭世界の住民であり、このカジノのユーザーだ。そして驚くことにカオナシの比率は全体の3分の2以上を締めていた。
そして今俺はそんな彼らとカジノで渡り合っている。
「さて皆さん、そろそろゲームも大詰めですが、敗戦の弁を述べる者はいませんか?」
そう語り掛けてみてもやはり反応はなく、代わりにウィントムを除く対戦相手の5人の中で唯一カオナシではない参加者が言った。
「やめとけって、こいつらはエンターテイナーにこれっぽっちも価値を見出しちゃいない奴らだ」
「ああ知ってる。彼らにとってこのカジノは勝つことが全てなんだろ? だが事実、皆俺に負けてるじゃないか」
「それはあんたが新星のエンターテイナーだからだ。普通そう上手くはいかねえ。ポーカーフェイスには敵わないんだよ」
このゲームは開始から一貫してウィントム優先で進んでいた。この最終セットで他の参加者が逆転できる可能性はほぼなく、ウィントムの勝利は確定同然。一方でウィントムに釘を刺したカオナシではない参加者は終始後ろをうろついていた。
そんな彼の言う通り、カオナシのカジノでのプレイ姿勢は共通して皆ポーカーフェイス……というよりも順序が逆で、どういう訳かこのラマでは、勝つことだけしか考えないポーカーフェイスになると、身体の透けた黒い影になってしまう。
そして実はもう一つ彼らには特徴があり、カオナシになった者は己の強く望む妖力を1つだけ得る。それも厄介なことに、彼らの中にはその妖力を利用してイカサマをする輩もいる。つい先程……というかこのゲーム中にも触れたものの文字を書き換える妖力を使った奴がいた。そのイカサマをウィントムが何とか見抜いたおかげでそいつは退場となったが、そんなことにまでリソースを割かなければいけないのだから気も休まらない。
「俺はあんな姿にもイカサマ師にもなりたくねえからポーカーフェイスじゃないってだけだ。それもいつまで持つか分かんねぇけど」
「そんな姿勢では駄目だ、抗うからには抗い抜け。それがカオナシではない我々に課せられた使命だ」
「……あんたは熱くてクールだよ」
「そりゃそうだ、俺はエンターテイナー、カオダシだからな」
ラマの中はポーカーフェイス、カオナシになることに抗う者達がいて、その者達のことはエンターテイナー、カオダシと呼ばれている。そんなカオダシとなることをウィントムは選んだ。
それから間もなくしてウィントムのそのゲームでの勝利が確定した。
……とそんな感じでここでの生活にも慣れ始めてきた頃、いつものように朝起きて鏡を見ると――
「おいまさかこれ……透けてないか?」
ある朝ウィントムが肌の感じに違和感を覚えたかと思えば、その日の午後には透けていると明確に判別できるようになり、数日後には完全に身体が透けてしまった。身体が透けることによる身体能力の低下や不調等の症状はないものの、それまでの日常が色と共に失われていくような物悲しさは隠せなかった。それでもここでは皆そうなるのだと思えば割り切れる……筈だったが、一つだけ他の誰にもない症状がウィントムにはあった。そのことを詳しい人に尋ねてみた。
「なぜか身体が透けて妖力を得たにも拘わらず黒い影にならないんですが」
「本来なら身体が透けるのと同時に黒い影になるものです。しかし稀に身体が透けるだけの人もいるんですよ。そういう人はグレーと呼ばれています。訊きますがあなたはポーカーフェイスではないのでしょう?」
「ええ、それどころか観客を刺激するエンターテイナー、カオダシを自負してますよ」
「そこが矛盾しています。本来カオナシには勝つことだけしか考えないポーカーフェイスの者しかならない筈なんです」
……そしてこうも言われた。
「それと言い辛いんですが、黒い影にならずに透けた者はいずれ消滅してしまうんです。消滅した者がどうなるかは我々にも分かりません。つまり……それは死と同義かもしれません」
あまりにも突然の余命宣告にウィントムは動揺を隠せなかった。頭が真っ白になりかけながらも、するべき質問をした。
「消滅せずに済む方法はあるんですか」
「消滅を回避するには元に戻る実体化の方法を探す必要があります。しかしその方法は人によって異なり、己の手で見付け出すしかありません。同じ症状になった者の中には消滅せずに再び実体化した者も何人かいると聞いています。といっても黒い影にならずに透ける症状自体が稀なので、中々明確なことは言えないんですが」
実体化する方法を己の手で見付け出す。それは身体の透けたウィントムに強制的に課せられたミッションだった。それを放棄すればいずれこの世から消滅する。だからやるしかなかった。
そして同時に誕生した、透ける勝者ファントムウィナー、通称ウィントムが。
Final Game
気持ちの昂ぶりからか、この箱庭世界へ来てからのことを思い起こしてしまっていた。
「あとはもう彼女だけだ」
ウィントムの大会優勝の〈要求〉は無事叶い、遂に今日が湯銭との面会の日。実際に彼女と接触してみて、それでも身体が実体化しなければもうお手上げ、そんな覚悟でこの日を迎えた。
ウィントムは今地図で指定された場所へと向かっていた。ある朝ポストに投函されていた地図、そこに面会日と面会場所が書き記されていた。それを便りに広大な巨大カジノ施設ラマを歩くこと十数分、指定された部屋の前に到着。
扉をノックしてみると、中から「どうぞ」と湯銭と思しき声が聞こえてきたので、意を決して「失礼します」と入室を試みる。その動作と並行して室内を確認してみると、正面にテーブルがあり、その奥の側に湯銭が椅子に腰掛けてこちらに不敵な睨みを利かせていた。
「今大会を征したカオダシ、ウィントムです」
「前置きはいい、さっさと座れ。でもって用件を言え」
彼女は気が強い、臆すれば負ける、そう己に言い聞かせつつウィントムは彼女の正面の椅子に腰掛け、いつものようにパフォーマンスを開始させた。
「見ての通り俺は身体が透けてます。しかし黒い影にはならず所謂グレーになってしまった。そうなった者の多くがどんな末路を辿るかも勿論知っています。ですから、ラマのオーナーであるあなたに協力を仰ぎたい」
「私からすりゃグレーなんてただのカオナシ同然、そんな奴を何で私が助けなきゃならない」
「それは先程も言った通り、大会優勝の権利でそれを〈要求〉したからですよ」
「生憎あんたを実体化させる方法は私にも分からない。私には人をカオナシにする力はあっても、それを治す力はないのさ」
「心配には及びません、既に治す方法は分かっています。厳密には治るかもしれない方法ですが。いずれにせよその方法にはあなたの協力が必要でした」
それを聞いた湯銭は暫く黙り込み、考えるような素振りを見せた後、言った。
「それじゃあまあ、ゲームでもしようか。あんたが勝ったら協力してやる。但し私が勝ったらあんたは今後このラマでカオナシ扱いされる。どうだい?」
突飛な提案だが、湯銭相手に丸く収まるなどとははなから思っていなかった。随分とリスキーな賭けだが、この流れに拒否権はないのだろう。ならば――
「ええ、いいですね。で、一体どんなゲームを?」
すると湯銭は「まあ見てな」と得意気な表情を見せつつ、手を伸ばしてテーブルに立て掛けてあった杖を掴み持った。一呼吸置いてその穂先を床に打ち付ける動作をすると、突然風もなく複数のカードが宙を舞い始めた。呆気に取られる間にそれらは収束していき、その内の一部が両者の座るテーブル中央に置かれ始めた。全部で1、2、3……10枚。
「こりゃ凄い、それがオーナーの妖力ですか?」
「いやこれは私の妖力じゃない。奪ったんだよ、カオナシからね。この箱庭世界だってそのために私が創ったのさ。そうそう、フェアのために言っておくが、あんたの妖力が何かは既に把握済みだ」
湯銭はそう言いながら今度はおもむろに腕を挙げると、まるで図ったように1枚のカードがその手中にすうっと収まった。
「私はこれにする」
湯銭はそう言って机にカードを表向きに置くと、そこにはクローバーの3が描かれていた。どうやらカードの正体はトランプのようだ。となるとこのゲームは――
「カジノウォーさ」
カジノウォー、そのルールは至ってシンプルで、相手よりも大きい数字のトランプを引いた方が勝ち。ちなみに最強はAで最弱は2だ。……だとしたら湯銭の引いたトランプはかなり弱いことになるが。
「引き分け以上であんたに協力してやる」
彼女は低い数字を引いたにも拘わらず、顔色一つ変えることなくそう挑発した。それを言葉通りに受け取ればウィントムは2以外のトランプを引けば勝利が確定する。これはほぼ無条件で協力すると受け取るべきだろうか。……いや、彼女に限ってそれはあり得ないだろう。何かがおかしい。そもそもなぜこのゲームが始まったのかと考え――そこで気付いた。
「湯銭さん、これはある意味ゲームではありません。ですよね?」
「ほう、じゃあ何だってんだ」
「これは俺をカオナシ扱いするためだけに用意されたもの。つまり俺が負けた場合、俺にカオダシとしての素質がないと証明されるギミックが仕込まれている。わざわざ俺の妖力を知っていることに言及したのもそのため。どうですか?」
すると湯銭の表情が変わり、ギャンブラーの顔になった。
「ああ当たりだよ。だがそれが分かったところであんたの勝ちじゃない」
「ええ、これはカジノウォー。あくまで大きい数字を、つまり今回の場合3以上を引いて初めて勝利となる。ですがこれらのトランプの中に本当に当たりはあるんでしょうか」
「何が言いたい」
「つまりここに置かれているトランプは全て2だ」
「仮にそうだったとして……じゃあどうする」
その言葉を待っていたかのようにウィントムは懐からナイフを取り出す。これは普段己の妖力を発動させるために使っているナイフだ。だがウィントムは自身がカオダシであることを証明するためにあえてこう言った。
「妖力を使わずに――これらを切断します」
その宣言とほぼ同時に、並べられていた10枚のトランプは次々と刃の餌食となっていく。ウィントムが銀の線を描く度にトランプは分断され、そうして全てのトランプが真っ二つになった。
「あなたは肯定しました、これがある意味ゲームではないと。ですから俺はここにあるトランプの数字を全て2分の2、Aだと言い張ります」
それを確認した湯銭が再び杖を床に打ち付けると、切断された10枚……いや20枚のトランプが一斉に宙を舞い、そして表となってまた着地した。そしてそれらに書かれていたものは――
「……全てA、あんたの勝ちだ」
ウィントムは遂にラマのオーナー、湯銭に勝利した。
「さて、約束は約束だ。あんたの言う実体化とやらに協力させてもらおうか」
「実はそのことで先程話しそびれたことがありまして、実行のためにはそう――あなたを刺さなければならない」
普通なら警察沙汰のその発言も、ここが狂乱と混沌のラマで、相手が絶大な力を持つオーナー、そして刺すのが俺となれば話は変わる。
「……いいだろう、刺せ」
快い了承を得たウィントムは、早速10枚のトランプを切ったあのナイフを懐から取り出し、椅子から立ち上がり、テーブルを挟んだ湯銭の側へと回り込む。それを確認した湯銭もまた立ち上がり、テーブルと椅子から少し距離をとって銀の刃を握るウィントムへと身体を向ける。両者向かい合った状態のまま暫く何も起こらない無音の時間が経過した。
その静寂をウィントムの一歩を踏み出す音が破る。その直後、ナイフは湯銭の鳩尾辺りへとすうっと挿入されていった。
「おぉ、本当に痛くないんだねえ」
ナイフが刺さっているにも関わらず表情一つ変えない湯銭はやけに不気味に感じられたが、それを上回る感情がウィントムの頭の中を渦巻いた。ウィントムは彼女の身体へ押し付けていたナイフを今度はゆっくりと引っこ抜く。そうして気付けば湯銭は――分裂していた。
そうこれこそがウィントムの得た力、斬撃を与えた対象を分裂させる妖力だった。
「「で、これで分裂完了って訳かい」」
分裂した一対の湯銭は見事に同じことを同じタイミングで言っている。更に動作も鏡のように同じで、それに気付いた両者はその方向を全く同じ動作とタイミングで振り向き、瓜二つの自身を見合った。その光景は傍から見たら少し滑稽かもしれない。
だがウィントムは今、そんなことに気が向かない程に興奮の中にいた。
「あぁ……これで終わった、望みが叶った」
その言葉に分裂した両者はお互いから視線を逸らし、訝し気な表情でウィントムに視線を移した。
「おぉすみません、つい興奮していたもので。……それとできれば順番に発言してもらえるとありがたいのですが」
その要望を聞いた2人はお互いを指で指し合ったり、自分を指で指し合ったりし始めた。それを続けていると片方に2人の指が集中する瞬間が訪れる。2人が黙って頷くと、その指で指された方が発言を始めた。
「……よしこれでいいな。それと名前なんだが、こっちが湯で、私が銭だ。それで、これをすれば実体化できるといっていたが、見たところ変化がないようだが」
興奮のあまり意識が向いていなかったが、その事実を指摘されて一転して青ざめた。だがそんな衝撃に浸る間もなく今度は湯が言った。
「それと実際に刺されてみて分かったが、本来刺された者はその直後の記憶が曖昧になるんじゃないかい? ……だとすれば、分かったことがある」
ウィントムは驚きに驚きを重ね、質問に答えられずにいると、今度は2人同時に続きを言い放った。
「「最近巷で噂の霊の騒動、あれは全てあんたが仕組んだことだ」」
それを突き付けられたウィントムは少しの間押し黙ったが、観念した。
「ええそうです。この世界は俺に快楽を与えてくれた。それを利用しない手はなかった。だから俺は最高ランクの者全員を刺すことを目標にした。そしてあなたがその最後の標的だった」
分裂した両者は揃って不敵な笑みを浮かべ、そして銭が口を開いた。
「……だとすればもう一つ疑問も自動的に解消する。あんたどうして自分だけ黒い影にならずに透けたと思う?」
「さあ、それに関してはお手上げです」
すると今度は湯が続きを語り始める。どうやら概ね交互に話す流れができつつあるようだ。というか最早どちらが話しているかもどうでもよくなりつつあった。
「まず身体の透けた黒い影になる条件は今更考えるまでもなくポーカーフェイスだ。そしてそうなると妖力を1つだけ得るが、どんな妖力を授かるかはそいつ次第。具体的には己の強く望む妖力を得る」
「だがだとすればおかしくないか? なぜってあんたはその妖力を得たことで快楽を見出したと言ったが、そもそも妖力を持つ前の人間がそんな非日常的な方法の快楽を想像して強く望むだろうか」
「一体何が言いたいんです?」
「つまりあんたはカジノ以外の日常でポーカーフェイスになる必要があった、例えあんたがこのラマでどれだけ優れたエンターテイナーだったとしてもね。……回りくどい言い方はよそうか」
「「つまりあんたはこのラマへ来る前から既に人を刺し、快楽を見出していた」」
2人の推理を突き付けられたウィントムは、長い沈黙を得て白状した。
「そうだ、認めるよ。初めは殺すつもりなんてなかった。だが一度やってしまったら最後、もう抑えられなくなった。それでも理性ではずっと殺しを拒み続けた。そんな矛盾と葛藤した末、いっそ自殺してしまおうとあの日山林を歩いていた。皮肉にもそれがこの箱庭世界へ迷い込んでしまった日となった」
「それと言わなかったが今の会話は全てラマ中に放送されてるから」
その事実を知ったウィントムは反射的に四方八方を見渡してみるが、どこにもそれらしい撮影器機は見当たらない。だが彼女のことだ、恐らくカオナシから奪った妖力を使ってきっちりと放送しているのだろう。
「立場を考えろ、いくらこの箱庭世界が常識外れだからって、殺人鬼を野放しにする訳にはいかないだろう?」
「待ってくれ、俺はここへ来てから一度も殺しはしていない。妖力を手にする前も含めてそうだ」
「せいぜい喚くといいさ。ちなみに今も放送は続いてる。あとは好きに演出しな」
その一言で気付く、これは湯と銭の仕掛ける最終ゲームだと。それも先程のゲーム以上にカオダシとしての資質が試されていると。ならばやるしかない。
「皆さん、聞こえますか?」
すると「聞こえてるぞ」とか急に色々な言葉が聞こえ始めた。湯と銭の方をちらりと見ると銭が言った。
「一方通行じゃ対話にならないだろう?」
つまりこの放送は今双方向、それを理解したウィントムは視線を戻し、続けた。
「俺が過去に多くの人を殺したのは事実だ。そしてその罪はどんな世界に住もうとも、どんな地位に就こうとも消えることはない。もし皆の意思が俺を許さないのなら、今度こそ俺は死を迎えるだろう。だがそれでも一つだけ皆に頼みがある、例え俺が死んでも俺をカオダシでいさせてくれ」
すると「勿論だ」とか「あんたは最高のカオダシだ」といった言葉が聞こえてきた。勿論否定的な言葉を投げかけてくる者もいる。それでも俺は例え死んでもカオダシでいられるような、そんな気がした。
その時だった。
「身体が、実体化した……?」
気付けばウィントムの身体は完全に実体化していた。身体が透ける時以上のあっという間の変化に驚いたが、それを上回る喜びが込み上げる。そんな彼に湯と銭は一言ずつ声を掛ける。
「やったじゃないか。言ったろ、カオナシにはポーカーフェイスがなるもんだ。あんたは確かにカジノではエンターテイナーだった。だが日常ではずっとポーカーフェイスだった。だから透けるだけで黒い影にはならなかったんだろうねえ」
「つまり実体化の条件は皆に殺人鬼だと正直に明かすことだったのさ」
そして今この瞬間、彼は名実共にカオダシとなった。
結果的に予定とは全く違う方法だったが、生存を賭けたミッションは無事達成された。
暫くどこからともなく届く放送の歓声を聞きながら感無量に浸っていると、それに飽きたのだろう、銭か湯のどちらかが放送を切ると、室内は再び静寂を取り戻した。
「さて、ゲームは終わりだ。さっさと帰んな……と言いたいところだが、その前にこの身体を元に戻してもらおうか」
歓声を浴びる心地良さから一転、その要求を突き付けられたウィントムは困り果て、その理由を恐る恐る口にしてみる。
「それが人間を分裂させた場合、本来なら分裂した者同士がお互いを見合うことで、自然と元に戻る筈なんですが……」
「おいまさか、戻せないなんて言うんじゃないだろうな」
「ええつまり……そのまさかです」「「ふざけるな!」」
その事実に2人は当然の如くご立腹の感情を顕にする。相当機嫌を損ねてしまったようで、このままでは今にも何をされるか分からず、せっかくの努力が水の泡となる勢いだ。
だがその時、突然何か揺れというか、いびつな気配のような、とにかく変な感覚がした。
「すみません、こんな時に何ですが今何か感じませんでしたか」
気になりそう尋ねてみるも、2人からの反応はない。まさかまた何か企んでいるのかと覚悟していると、事態は急変した。
「おい、本当に何とかして今すぐ元に戻せ」
「いえ、ですからそれは出来――」「「このままだと箱庭世界が崩壊する!」」
2人がそう発した瞬間、今度は大きな揺れが部屋を襲った。そこに至って今彼女の発した言葉の意味が頭の中で整理されていき、顔を青くさせるに至った。
「……一つ尋ねます。仮に崩壊したとしましょう。この箱庭世界の住民はどうなりますか?」
「死ぬ」
「分裂を元に戻す以外でそれを崩壊を止める方法は?」
「こうなっちまえばもう崩壊は止まらない。私達にできることがあるとすりゃ、この箱庭世界を現実世界に転移させることだ。だがその転移にしたって私達が分裂した状態じゃあ難しいから困ってんだ。大体これはあんたが蒔いた種だろ、少しはどうすればいいか自分でも考えたらどうだ」
考えろと言われても、これ程の力を持つ湯と銭ですらお手上げで一体どうしろというのか。分裂を元に戻すことは残念ながら本当にできない。ならば俺にやれることなんて――
……やれること?
「一つ、提案があります」
慌ただしくしていた湯と銭がこちらへ向き直るのを確認して、ウィントムは残された望みを口にした。
「あなた方を分裂させたように、この箱庭世界を分裂させるんです。そうすればあなた方と箱庭世界との力関係は元に戻る」
それがウィントムの考え付いた唯一無二の方法。勿論他に妙案があればこの案は取り下げるが、なければ試す価値はあるだろう。
「おいおいちょっと待て、いくらあんたに分裂の妖力があるからって、そんな巨大なものを分裂させられる訳がないだろう」
「ええ、ですからそこはあなた方の補助を借りて何とか――」「「そんな都合の良い妖力はない!」」
当てが外れた。肝心なところで万能な力を発揮してくれない。だがこの巨大カジノを分裂させること自体は否定していないようだ。それを遂行できる方法は本当にないのだろうか。
……と考えたところで閃いてしまった、カオダシらしいあっと驚く鮮烈な方法を。それがおかしくてつい笑みを表に出すと、2人に訝しがられる。だがそんなことはお構いなしに言う。
「一つ尋ねます、制御室はどこにありますか」
「……時間がない、付いてきな」
2人もすぐにその言葉の意味を察したようで、そう言うと一目散に部屋を飛び出た。ウィントムも急いで部屋を出てその後を追った。
部屋の外は限られた者しか立ち入れない場所柄か人の気配はなく、3人のやや硬質な駆ける足音が廊下中に澄んで響いた。
崩壊はいよいよ目に見えるかたちで危機を警告を始めていた。まるで地震のように建物内は揺れているし、外は妙に薄暗く風も強い。こんなことはこの箱庭世界に来てから一度もなかったことだ。
「あそこだ!」
叫ぶ彼女らが見ているであろう視線の先には、突き当たりに佇む一つの扉。遠目からプレートを読んでみれば、そこには確かに制御室の文字。そうしている間に辿り着き、湯と銭のどちらかが扉を開けた。
全容が明らかになった室内を一通り見渡してみると、そこには所狭しとはいかないまでも、多くの器機が音や光を放って稼働していた。器機には何に使うものかも丁寧に書かれてあるようだ。
「この部屋のどこかにお目当てのものがある筈だ。生憎私は普段こんなとこには来ないんで、あとは自分で探しな」
「ありがとうございます。それと2人はラスベガス地区とマカオ地区とに分かれた方がいい」
せっかく箱庭世界の分裂に成功しても、彼女らが同じ方に偏っていたら元も子もない。そのことをすぐに理解した湯と銭は急いでそれぞれがどちらかの地区へと向かっていった。それを見届けたウィントムも早速この器機の山から目的の装置を探し始める。
「おっと、ここでラックを発揮するか」
その作業に手間取るかと思っていたが、目的の装置は予想外にすぐに見付かった。すかさず懐から再びあのナイフを取り出す。
「今度こそ、最終ゲームだ」
何度最終ゲームをしているのかとも思ったが、これが本当に最後だろう。ウィントムは様々な思いを胸に抱きつつ――装置を刺した。
いや装置のボタンを刺すように押した。
その瞬間、ラマが揺れた。
だがそれは崩壊が起こす地震ではなく、無機質な揺れだった。そしてこれは他でもないウィントムが起こしたもの。それもこの揺れの感覚は、まだ昨日のことのように記憶に残っている。
彼が刺したもの、それはウィントムの優勝したあの大会の決勝でも使われていた装置。つまりこの巨大カジノ施設ラマ、それを左右に分離させるための装置だ。その分離する画がまるで斬撃で、それが妖力の発動条件に当てはまることに彼は賭けたのだ。
「さて、と」
これでやるべきことは全て終えた。俺も早いとこ、ここから脱出しなければ。そう考えてウィントムは制御室を去った。
……それからラマはどうなったか。
結論からいえばラマは無事に西のラスベガス地区と東のマカオ地区とに分裂した。そして湯と銭はそれぞれの地区を現実世界に転移させることに成功した。その後ラスベガスはネバダ州のモハーベ砂漠に、マカオは珠江河口を挟んだ香港の対岸にそれぞれ出現した。
そしてカオダシ達は今も尚、現実世界のどこかで活躍し続けている。
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