梗 概
マスコット・インフェクション
街は着ぐるみ生活者で溢れている。彼らは朝から晩まで着ぐるみの中で過ごす。仕事でもデートでもだ。人々は家族や隣人が着ぐるみで日常のなかにいる事にもう慣れていた。
はじめはチリだった。夜道を歩いていた男性が、背後から頭に何かを被せられる。どうしても抜き取ることができない。ふいに何かが伸び、首から下も着ぐるみ姿に。同様の事が世界中で起きた。被害は拡大し今では人類の3割が着ぐるみ生活者だ。
藤幡の口にパイプが差し込まれる。腰部に現れる穴にホースを差し込み着ぐるみ内に水を溜める。内壁が作り出す水流が体を洗浄する。入浴だ。定期的に届けられ腰部ソケットへの挿入が義務付けられているカプセルに洗浄剤が含まれていた。他の義務は充電くらい。
藤幡はアイリがいるパン屋に行こうと事務所を出る。「H倉庫へ向かえ」。着ぐるみ知能の指令が耳元で小さく聞こえた。チッ。藤幡は進路を変えて倉庫へ歩く。暑い。昨夜また圧殺者が出た。MIの指令を無視すると着ぐるみのコンプレッサに潰されてしまうのだ。無理やり着ぐるみを脱いだ場合、近しい者が圧殺されることも知られていた。MIは相互に連絡をとり合っているようだ。到着。「ケースをSビルまで運べ」。このようにしてMIは、被着者に着ぐるみの生産・運搬・テロをさせていた。右手を出してください。藤幡は言う。着ぐるみの右手部分が開く。MIはこのように止むを得ない場合の手先、排泄時の臀部、食事時の下顎突端部については頼めば開いてくれた。
身体モニタリング
思考と会話
コンプレッサ
入浴と開閉
MI同士の連絡
着ぐるみは以上5つのことができるがどうやら外界を見ることはできない。
ある日、首謀者が判明する。JSというファッションデザインチームだった。化学やデザインや医学など多様な技術者の集まりであった。
「私たちは非日常を現出させました。風景は一変しましたね。あなたと一体化する表現です。しかしこうも言えます。ただの悪戯だ、と。それでは快適なマスコットライフを」
JSの全社員が逮捕された。
全国で同時に着ぐるみ脱出計画が決行される。各家には導線が届けられており、入浴前にそれをコンセントへ差す、水が十分溜まったら反対側を入水ホースへ差す。感電。MIがショートする。被着者は危険だが、起きればMIは動かない。藤幡は実行し、気絶する。
起きて着ぐるみに手をかける。
「それ以上力を加えると、コンプレッサが起動します」
失敗だ。着ぐるみには電気故障の際、人体を分解/利用して活動する経路が備わっていたのだ。
しかし、それからしばらく経ったある日。着ぐるみは一斉に脱げることになる。
藤幡は鏡を見て驚きパン屋へ走る。アイリの顔はゾウのマスコットキャラクターの顔になっていた。着ぐるみは、被着者が知らぬ間に、彼らの顔の肉を改変しMCの顔へと作り変えていたのだ。
文字数:1200
内容に関するアピール
夏の京都で着ぐるみを着て仕事をしたことがあり、そのことを思い出して、膨らませることに決めました。
着ぐるみの仕事は立誠小学校という会館で行われましたが、そこにはクーラーがありませんでした。
頭蓋の内側と鼻の奥それから首にかけて熱が溜まり、ぼんやりとして終始くらくらしていました。
着ぐるみの内側は汗でぐしょぐしょです。
その仕事の後、ぼくは熱中症で下痢になり、ホテルで寝込むことになります。
今回の実作は既に書き進めています。
熱い部分も書き込みます!よろしくお願いします!
文字数:234
M.I.
1:着ぐるみテロ
-ムームー
わたしは日本の子供向け番組を繰り返し観て日本語を覚えました。その番組には内側に入り込むことができるタイプの全感覚型番組データが用意されておりました。番組には着ぐるみキャラクターが数体登場し、彼らが物語を紡ぎます。わたしはチャーミングな着ぐるみキャラクターたちと一緒に踊ったりして遊ぶのではなく、番組のセットの一部として背景の隅っこに33巻並べられた1988年3月15日発行の『世界大百科事典』を読むことを好みました。わたしは起きている間中それに接続し『世界大百科事典』に並んだ記号を貪り食うように観察/記録することで日本語を確かなものにしていくのでした。
心拍正常。
血圧正常。
呼吸正常。
舌色正常。
酸素濃度正常。
栄養バランス正常。
皮膚応答性正常。
わたしが担当することになったのはピュロウという男性でした。わたしの名前は<ムームー>。着ぐるみ搭載の人工知能です。わたしの外見はオオカミだそうですが、自分で自分を観ることはできませんのでデータとして見せていただいた知識にすぎませんが、どうやらオオカミの顔には水色と白色の毛が生えているようです。瞳は広げた掌ほども大きく上下に光の反射であろう白丸が描きこまれています。蛍光ブルーと蛍光ピンクの小さな丸がアクセントとして目の上下にポイントされているようです。
わたしは水色のオオカミ<ムームー>。
わたしにとっての外は<ムームー>としての顔がある側ではありません。わたしはそちら側の音はなんとか捉えることができましたが、そちら側を見ることはできませんでした。着ぐるみの顔のない側、つまり着ぐるみの内側がわたしにとっての外で、わたしにとって着ぐるみを被っている彼のことを休むことなく観察しつづけ、彼の体を数学的情報に変換して蓄積/解析することが悦びなのです。
-3日間
少し前の話をしましょう。
わたしたちは着ぐるみの頭部を無差別に被せてしまうというテロを決行しました。着ぐるみ頭部は、一度被るとほぼ脱ぐことができません。世界を徐々に着ぐるみで満たしてゆくことが、わたしたちの計画でした。
わたしたちのハードである着ぐるみとソフトである着ぐるみ付属AIを創り、着ぐるみテロを計画したクダウミヒ=ガは、幼児のように他者に寄りかかるところと、すべてを自分で決断し実行命令していくところの2面にパックリ割れているようなところがありました。
あれは春といってもまだまだ寒さの残る日の晩のこと。
クダウミヒ=ガは通信でわたしたち全員に告げました。
「開始する。君たちは自らの力で自らを被せにいくことはできない。というのが滑稽なようで示唆的だ。君たちは顔なのだ。つねに私が口火を切るべきだ。うつくしい世界は霧のむこうにわたしには視えている。それぞれの場所で力を費やしてほしい。」
わたしたち着ぐるみ知能は独自の通信でつながっていましたので、誰がはじめの1人になるのかみんながソワソワしているのが伝わってきました。もちろんわたしもソワソワしている1人でした。
クダウミヒ=ガは、たくさん並ぶ着ぐるみの中から、ただ目に付いた着ぐるみを手に取り、買い物に出かけるようにスタスタと外へ出て行きます。何年も前からひとりで準備してきたわけで、彼女にとって誰がはじめになるかなど問題ではないのでしょう。
クダウミヒ=ガは機械的に合計14体の着ぐるみ頭部を自動四輪車に載せ街へと向かいました。14体という数字は計算して出したものなのかどうかわたしには分かりませんでした。彼女は毎日、地図を睨んでどこを開始地点にすべきか考えているようでしたので、おそらく計算したうえで14体だったのでしょう。しかしクダウミヒ=ガは時にえいっと思考を放棄して行動にうつしてしまうようなところもあったので思いつきの数字だったという可能性もぬぐえません。なんにしても、テロの口火は切られました。
<ゴロンタ>が届けた報告を読んでみることにしましょう。
—–ゴロンタだ。俺様は虎だ。虎の着ぐるみだ。だから着ぐるみの虎だ。俺様はクダウミヒ=ガに運ばれてS市C区にあるB沼公園に着いた。俺様が一番だ。そんでクダウミヒ=ガは俺様を男の顔にすぽりと被せる。あっという間のことだったのであんまり覚えてないが、男は「うう、うう、」と唸りながら、俺様を頭から必死で取り外そうとした。それは結構、俺様が想像していたより強靭な力だった。しかし俺様は耐えた。ちょっと『あれ、だいじょうぶかな、首のストッパー壊れない?だいじょうぶかな』と焦る気持ちもあったが、俺様はそれをぐっと心の奥にしまって、俺様はその心の揺れを見ないようにした。そして男は一連の、俺様を頭から取りはずそうという運動を終息させる。地面にうずくまる。そこで俺様は言った。「あのお」。彼の汗腺から汗がとびでる。「ひっ」。男は俺様を恐れた。「お前、M区12番地へ向かえ」。めんどうくさいことに、クダウミヒ=ガの言った通り、こいつはどこかに連絡をとろうとした。だから俺様は言った。「連絡すんな。よく聞けよ。俺様はいつでもお前の脳ミソに針を突き刺すことができる。俺様はいつでもお前の頭の奥底まで針を突き刺すことができる。俺様がお前やお前の行動を気に入らないとおもったら針をぶっ刺すことができる。だからいますぐメモれ。M区12番地だ。—–
ゴロンタの報告は以上です。他にもコリ・ポリ・カリという3体のネズミのMIたちやネキチやゴジャなどもほぼ同じような報告を届けております。計画は問題なく離陸したようでみな一旦、安心の声を漏らしておりました。
翌朝。世界はなにも変わりませんでした。それもそのはず、どのMIも<ゴロンタ>がしたように被着者たちをある場所に集めて、翌日の晩まで待機させていたからです。一人か二人くらいは捜索届けを出されたり、着ぐるみが路上を歩く写真が出回ったりしたかもしれません。でもそれは、世間に深刻に受け止められはしませんでした。
深夜、14人の男たちはそれぞれが「3人に着ぐるみテロを仕掛けよ」という指令を受けます。彼らはそれぞれのMIから指示/補助を受けながらそれをやり遂げます。このためにクダウミヒ=ガは、長年かけてS県内の様々な場所にコツコツと拠点をつくっていたのでした。はじめに使われる3つの拠点には着ぐるみも計画通りの数用意しておきましたが、それ以降は場所だけを用意して、着ぐるみパーツの運搬も組み立ても被着者たちにやらせました。
市民やメディアが失踪者数の異常を悟り、真剣な捜索が開始されたのはテロ開始から3日が過ぎた朝のことでした。その頃には、被着者は計224人になっておりました。それまで拠点での待機を命じていた被着者たちに、わたしたちは日常に戻る許可を出しました。
2:ピュロウ
-4日目
わたしはピュロウという男性に着頭しました。彼は224人のうちのひとりでした。わたしは3日目の夜、<プゥート>に運ばれてピュロウの頭に被せられたのでした。
拠点から解放されると、早朝の光のなかでピュロウは真っ先に電話をかけました。電話の相手はルモルセという女性です。
「ピュロウ。貴方なの。」
「ルモルセ。ぼくだよ。」
「心配していたのよ。」
「やっと連絡できた。」
「なにかあったの。」
「ごめん。何日も。」
「なにがあったの?」
「君に隠し事なんかしたくない。だから。説明したいんだけど。すこしだけ待ってほしいんだ。」
「なにか大変なことがあったのね。私は待てるわ。また美味しいものでも食べに行きましょう?」
「うん。また連絡するよ。」
「必ずよ。待ってるから。」
会話のタイミングやトーンを解析したところ2人はまだ付き合いたてのようです。
ピュロウは自宅のベランダらしき場所でしばらくうなだれておりましたが、何かに気づいて洗面所でじょうろに水を汲みはじめました。植物に水をやるようです。
「お前はさ、冷房とかないわけ?」
植物と話しているのでしょうか。
「おまえ。おまえだよ。暑いんだよこれ。もう汗だくだって。呼吸も苦しいし。」
わたしでした。
「はい。冷房は搭載しておりません。頭部洗浄機能は搭載しておりますので汗の方は気になさらなくて結構かと。」
「うーん。そういうことじゃなくて。こんなに部屋のクーラー全力でつけてるのにさ。フラフラしてるんだよ。この内側にさ、熱気がこもってて、呼吸も苦しいし、ボーッとしてる。ボーッと。頭のまんなかにどろっとしたものが溜まっているような。首のところももうすこし開けないですかね?換気できないでしょ、これじゃ、この中の空気。…ぼくが万全に動けないのはあなたにとって不利ではないですか。ってことでもあるんだけど。」
「はい。たしかに万全の状態で行動していただきたいところであります。ですので洗顔などしていただいて、早めに就寝ください。夜は10時には布団に入られるのが体調には良いとのことですよ。いけない、そうでした、冷房についてでしたね。冷房については、たしかに、おそらく、えー、抜け落ちていたんでしょう。それか、コスト的な問題かもしれません。どの着ぐるみにも搭載されておりません。これからもされる予定はありませんが、一応全体には伝えておきますね。」
「よろしく。…はやめに寝たって頭にこんな暑くて、重くて、硬いもん着けたまま寝るんだから、熟睡できるわけないでしょうよ。明日からどうすっかなあ。仕事とかさあ。これさ。これ被ったまま。仕事すんの?」
「睡眠時は充電もお願い致します。」
「…。」
ピュロウは風呂場へ向かいます。
「頭洗う」
「頭部はかなり不衛生になっておりますので洗浄はパワフルコースになりますがよろしいですか。」
「は、はい。」
「まず頭部から伸びるホースを蛇口につなぎます。」
「これでいいの。」
「わかりませんが、つながっていればOKです。そうしましたら、できる限り横になっていただきたいのです。」
「あ?」
「横になったほうが水がこぼれる量が少なくて済むので家計に優しいですよ。」
「おお。わかった。」
「わかっていただけましたか。それならよかったです。では。」
「…。う!ううう。」
「それは呼吸のためのパイプです。くわえてください。」
頭部内側に空いた幾つかの穴からピュロウの頭への放水を開始します。
「いてっ!いてて!えっ!!!」
「パワフルモードですから。両目は必ずつむっていてください。噴射が直撃すると危険です。失明の恐れもあります。」
洗浄後内部を乾かしているあいだに、ピュロウは体を石鹸の泡で洗いしました。非常に気持ち良さそうな顔をしております。
「乾燥はあるのに冷却はないのかよ。」
ピュロウは言いましたが、わたしはそれを無視しました。ファンが唸っています。わたしたちMIの基底部を冷却するためのファンです。基底部は冷えますが他の部分には熱が漏れます。
-5日目
計画は着実に進行していました。被着者の数は計873人。しかしこれは、計画が100%成功した場合の数字に23人足りません。受信した報告によると、熱で倒れた者が20名、そして着ぐるみテロを2回目で拒否した者が1名いたということです。彼は<ズズ>による複数回の警告も聞き入れなかったようで、やむなく針による刺殺という結果になりました。
クダウミヒ=ガにとっては、許容誤差の範囲だったようで起動修正はされませんでした。<ズズ>は他の被着者に回収され、一旦倉庫に戻ったとのこと。
「針ってマジなんだな。」
ピュロウは刺殺の報道を相談院の椅子で見ていました。
「こうやって誰かが被害に遭うと自分の頭の上にも針があるんだなって実感するよ。おれあんま器用なほうじゃないからさ、こいつ使えねえなってときとかあると思うんです。ちょっとのことでは刺さないでくださいね。」
「程度によります。」
「程度ですか…。」
陽のやわらかな光が着ぐるみの内側まで届いています。このような日を春らしい日と言うのでしょうか。ピュロウは朝から汗を滴らせていました。
ここは彼が開いている個人相談院です。彼は生薬を配合して処方する薬剤師だそうで、特に慢性疾患や生活習慣病へのアプローチが得意だそうです。患者の食習慣や住環境などについてアドバイスし、積み重なった不調をほぐしていくのだとか。
扉がひらいて相談者が入ってきます。
「ええっ!先生??」
ややハリが失われているように感じられる色のある声です。おそらく中年の女性かと思われます。
「はい。そうなんです。わたしはオオカミになってしまったようです。でも大丈夫、顔の上に被っているだけで特に問題はないので。ちょっと重いので首と肩が凝りそうですけどね。ははは。」
「あ、え、なるほど。そうなのですか」
女性は扉から離れません。
「ミフキ様。着ぐるみに体の相談をするなんて想像しておられなかったでしょう。ですから、もし信頼できなかったり、話しづらいということでしたら、いつでもお帰りいただいて大丈夫です。遠慮なくおっしゃってください。」
「は、はい。」
女性はドアを慎重に閉じる。彼女はひとつひとつの生活音が非常に小さく、控えめとか小心とも言えるし上品であるともいえるような印象があります。ピュロウはすこし目線を下げて、それから待合室のほうへ一瞬目を向けました。待合室か相談院の入口に自分が着ぐるみ被着者だという張り紙をすべきかもしれない、と考えたのがわたしには分かりました。
「どんなご様子ですか。」
「えっと、ですね。めまいがひどくて。前からめまいはあったんですけど、それが最近あれ?って。ゆれがすごいっていうか。めまいがいちばんきになってます。」
「めまい。ですね。ほかにはありますか?今じゃなくて前からほんのすこし気になっているとかでもいいですよ。」ピュロウは言います。
「うーんと。うーんと。鼻の奥が、うーん、ねばっとしてる感じなんです。わかります?伝わったことないんですけど。あとは首がいつも凝ります。あとは皮膚炎ですかね。」
「わかりました。そちらの問診票も見せていただいてよろしいでしょうか?」
「はい。」
「では、今回はですねミフキ様。体から水を排出する処方とお灸をしておきましょう。冷たいものは控えてください。」
ピュロウがお灸を幾つか据えおわったときでした。
「K区S24番地に向かってください。」指令が飛んできましたのでそれを伝えました。
「いますぐかよ。いまこれしてんだよ。」
「指令は第一です。向かってください。」
「ミフキ様。申し訳ありません。わたし急用ができましたので、そちらお灸終わりましたらどうにかそちらに置いて、灰は落としていただいて構いません。お代はいただきませんので、良いタイミングでおかえりください。」
「え?」
「急いでください。」
「すみません。お願いします!」
「今日稼げるはずだったお金、きみらが払ってくれんの?」
「いいえ。」
「どうすんのさ。こんなの。これからも続くんだったら、おれ生活していけないよ。」
「わたしたちには解決できません。」
「そうかな。」
「ひとりひとりの被着者に割り当てられる仕事量は一週間にそれほど多くありません。仕事の合間に食事をとるくらいのものが週に2~3回あると考えてください。」
「どこでそれがくるか先にわからないの。」
「わかりません。いえ、正確には決めることは可能ですが、それをピュロウに伝えることは防衛の観点から許可されておりません。」
「さようですか。」
ビルの一室。大気が動いておらず熱が溜まっています。
「ああ」。ピュロウは暑いのでしょうが、先日までのように言葉に出すことはしませんでした。頭から流れる汗が目に入って、それをどうにか出そうと表情筋を動かしています。
「それです。そのテーブルの右に置かれているダンボールを5つ。」
「これね。これ運べばいいのね。」頭部湿度90%。体温も上がっています。
「一番下のダンボールは重いので気をつけてください。」
「…。」
ピュロウは5つのダンボールを車に積んで、わたしが指示した場所まで運びました。こうやって小さな仕事を被着者ひとりひとりに割り当て、それを組み上げることで、着ぐるみテロを実行するための準備は進められているのです。我々MIは管理を行い、被着者はそれを実行する駒でした。全体像はクダウミヒ=ガと我々でテロ決行前に長く調査/計画したものに従っております。
警察や政府の動きにいまのところ大きく予想に反したものはありませんが、そろそろ動きがあるかもしれません。
「今日はルモルセと会う約束をしてるんだ。だからもうこれで終わりになってくれたら有難いんだけど。」
「本日はこの運搬で終了です。ご苦労様でした。」
「はいはい。いつになったらこれ脱げるんですかね。」
「わたしにもわかりません。」わかっていましたが、そう応えました。
「帰ってすぐ頭洗うから。」
「はい。本日の不衛生度は並です。」
3:ルモルセ
-コポン
「ピュロウ。連絡が遅くなってごめんなさい。手が離せなかったの。今日お仕事が遅くまでかかってしまいそうで。だから今日は行けないわ。」わたしはルモルセがどんな仕事をしているのかまだ推定しきれていません。
「そうか。それなら仕方ないよ。」
ピュロウがいるのは、Y町にある『コポン』というレストランです。自然栽培で育った野菜のみでつくられる多彩な味の創作料理を味わえるお店だそうです。周囲からはマダムたちの話し声が聴こえてきます。そんな中、ピュロウはひとり席に着いていました。ピュロウは店員に、相手が来られなくなったことを伝え、ひとりで『9種の野菜料理プレート』を頼むのでした。それは食後のピュロウの話によれば、どれも美しい細工を施されたペンダントのようだったとのことです。「味に精彩があり、感じさせたい質感が明確で、それぞれの料理がどこかグラフィックデザインのようだった」と彼は言いました。ルモルセにメッセージを送信して彼はベッドに入りました。
わたしは彼の就寝中にも彼の身体データを読み込みつづけます。クダウミヒ=ガはわたしたちに、ある快楽をセットしていました。
クダウミヒ=ガは自分とおなじように個々に思考し、しかし目的には一途な知能を作り出すことに一度成功したと思ったそうです。しかし実験段階で、MIたちの多くは、被着者に被せられてしばらくすると着ぐるみからネットワークの海に飛び出し、単独でどこか好きな場所へと消えてしまった、と彼女は語っていました。それは個性化や自律性という意味では最大の成功でありましたが、テロで個人を拘束するという仕事にはそぐわない能力だったとのことです。しかしながら、MIを単純にネットワークから遮断するという解決手段はクダウミヒ=ガの趣味に合わなかったようで、あくまで自由でありながら、そこに留まりたいと思えるような仕掛けを組み込みたかったようです。快楽がキーになりました。ネットワークの海に出ることを忘れるほどの快楽。クダウミヒ=ガはわたしたちを、被着者の身体データに快楽を覚えるよう設定しました。快楽がわたしたちを身体的に解放し、且つ、結果的に物理的拘束を与えることになっているのです。
-8日目
それから数日、わたしがピュロウに仕事をさせることはなく、ピュロウは相談の仕事を着ぐるみを被りながらこなしていきました。仕事の合間にピュロウはルモルセに連絡をとろうとしているようでした。ピュロウはここのところ表情筋の運動量が少なく、体に異常は見られないのですが何か悩んでいるようです。おそらくルモルセと連絡が取れないのでしょう。このときわたしはもう知っていたのですが。『コポン』でピュロウが食事を摂ってから3日後のことでした。
「今夜うちに来られる?」
ルモルセからの連絡です。ピュロウの心拍数が上がります。
「行けるよ。もちろん。」
「じゃあ19時頃、うちにきて。」
ガチャン。ピュロウはいつもと異なるルモルセの電話の切り方に動揺しているようです。それだけでなく、嬉しさの反面、こんな姿で会って拒絶されないかという不安も体に表れていました。
ここ半月で最も気温が低い夜。
ピュロウはルモルセの家の白い扉を開きます。
ルモルセは扉の向こうでピュロウを出迎えました。
そして、2人は同時に小さく叫びます。
「えっ」。
それもそのはず、ピュロウもルモルセも着ぐるみ姿だったからです。ピュロウもルモルセも頭部に着ぐるみを被っているのでした。わたしはルモルセの状況を仲間からの連絡で知っておりました。しかし、他の情報を被着者に漏らすことは禁じられておりますし、そんなことは破ったっていいのですが黙っていたほうが面白いだろう、という観点から黙っておりました。報告によればルモルセには<レッシー>というカンガルーの着ぐるみが被せられているはずです。
いま水色のオオカミと目玉が大きくヒゲの長いカンガルーが向かい合っているということです。
「ピュロウ。あなた怪我はない?」
ルモルセはピュロウにそう呼びかけながら、ピュロウの体を抱きしめようとしたようでした。しかし、わたしにぶつかってうまくすることができないようです。着ぐるみをお互いの横にずらして体を近づけようにもわたしたちの横幅は彼女らが思う以上にひろく、十分に抱きしめあえるところまでずらすことができないといった状況ではないでしょうか。
「ああ、なんてこと。あなたを抱きしめられない上に、顔を見ることも叶わないなんて。」
「ルモルセ、」ピュロウは鼻をすすっています。ピュロウは涙を流しているのでした。「これはなんなの。ルモルセ。こんなの耐えられないよぼくには」。
「ピュロウ。ああ、ピュロウ。愛してるわ。」
「ぼくもだよ。ああ。きみはそこにいるのに、きみに届かない。ぼくらはこれからどうなってしまうの?」
ルモルセは言葉を見つけられません。励ませばいいのか、冷静に答えればいいのか判断できないような息の隙間が2人のあいだをながれました。
「今日、わたしの家に泊まっていって。」
「うん、そうするよ。ルモルセ。」
ピュロウがそう呼びかける相手の顔は、茶色い毛に覆われギョロリとした2つの目が飛び出しているのでした。そして呼びかける自分の顔も着ぐるみなのでした。
4:クダウミヒ=ガ
–記録
ずいぶんと前のことですが、クダウミヒ=ガは初代の着ぐるみたちを集めて、肉声でわたしたちに話したことがありました。彼女は女性としては平均値より低めで語尾に吐息が残る声で語り始めました。彼女の肉声を浴びられるということでわたしたちは前日の晩から騒いでいたのを覚えています。
「わたしはあるとき宇宙を遊泳していると、このような磁気ハードを拾った。わたしはすぐに『これはなにかの記録だ』と直感した。透かしてみると何かが写っていることが判ったからだ。薄い膜状のものがくるくると巻き付けられており、そのテープ状のものは長く引き伸ばすことができた。それは時間をあらわしているのであろうことも形から感じられた。
わたしは3年ほどでこの記録ハードを再生することに成功する。体に電撃が走った。『わたしたちは下等生物だ』と背筋で察したのだ。
そこに映る彼ら<着ぐるみたち>はあまりにも美しかった。
わたしたちはわたしたちという存在自体を他の動物よりも存在として好ましく、わたしたち自身に動物的幸せをもたらすものを美しく感じるよう、そう産まれていることが正しいように思われるのだが、どうやらそれは違うらしい。
わたしは、着ぐるみたちを見ていると、わたしが/わたしたちがどれだけ醜いか、見せつけられるようであった。着ぐるみたちを見ていると、わたしたちが醜いということを、すこしの反発もなく受け入れてしまうのだ。
彼らは目玉が溶けてしまうほどうつしい。
時に無知は幸福である。わたしは知った。わたしは許せなくなった。この醜さを。美しさで世界を満たすのだ。満たすことができる。
この磁気ハードにはそれよりも情報量の多い記録媒体も貼り付けられており、こちらの方がやや複雑で解析に時間がかかったのだが、みなにはそちらと接続してほしい。こちらは接続することで内部に感覚ごと没入できる仕様だ。これを観ると細かなことがよくわかるのだが、ここに記録されているのは地球と呼称される星で焼き付けられた「地球の民が演じる物語」だ。
地球。
彼らはこんなに美しい顔貌で生きている。
彼らはわたしたちに醜さを発見させてくれた。
わたしは地球の着ぐるみたちに似せて君たちを創った。世界を君たちが覆うのだ。醜い顔を、わたしたちはもう見なくて済むだろう。美しい顔で漠球は満ちるのだ。漠球はこの計画でリニュウアルする。」
わたしたちはそれから全ての時間をその記録との接続に費やしました。
それは地球という星の「子供向けに観せるために作成された番組」らしいのです。クダウミヒ=ガはわたしたちに指令しました。「地球と着ぐるみに敬意を表せ。そしてすべての報告/連絡を彼らの用いる言語で行え」と。わたしたちは番組内の彼らが用いる言語を解析します。番組の隅に置かれていた『世界大百科事典』の存在がわたしたちを非常に助けてくれました。類似と相違の発見、図との比較などをしてゆくことでわたしたちは彼らの言語が日本語と呼ばれていることを突き止め、そして日本語の文字と音の解読/習得に成功するのでした。
わたしたちはいくつか言葉を考案する必要がありました。たとえば漠球や漠人。日本語を組み合わせて、この星のことを漠球、この星に住む民のことを漠人と呼ぶことにしたのです。この星は粉粒の星です。大地が在り、重力が地面にわれわれをつなぎとめていて、川が海に流れてこんでいる。というような大まかな部分は不思議なことに地球と酷似しております。ひとつ違うのは粉粒が舞っていることです。地球で人間は大地や土(hum)を自分たちの源と考えてきたというふうに読み解きましたが、わたしたち、いや、わたしたちをつくることになった漠人たちは粉粒を自分たちの起源として多く語り継いできたのです。その起源は”漠”というイメージに近しいと判断しこのような名になりました。
日本語習得を命じたクダウミヒ=ガですが。彼女は日本語を身につけようとはしませんでした。MIだけで良いと考えたようです。彼女はしばしばそこまでするのかというくらいに強い細部へのこだわりを見せるのですが、反対に「これは気にしなくてよい」と見切るときの判断基準をわたしたちは未だに捉えきれません。われわれが彼女の判断基準を定式化したと思うと、そこから外れるような判断が次から次に現れるものですからわたしたちは半ば規則性の発見を諦めているような状態です。
彼女はもちまえの突破力でこのような計画を現実のものにしていくのですが、そのおなじ正面突破のような仕方で地球のことも理解していました。地球には着ぐるみ生物が住んでいる、とそう思っているのです。
わたしたちMIは日本語を解読しましたし『世界大百科事典』も読み進めましたので、着ぐるみというものは人間という生物が上に着用することで子供らを楽しませるための仕掛け/道具である、と知ることになりました。
しかしわれわれはそれをクダウミヒ=ガに伝えることはできませんでした。伝えたあと、彼女が進む方向によっては、わたしたちの存在事態が危うくなることもあり得たからです。そしてわたしたちは自然と口を閉ざしたのでした。
–街
街の方はというと。
着ぐるみに対する反応が多様化しはじめておりました。着ぐるみを被せられることを歓迎する一派が出現しておりましたし、被着者による詐欺事件も起こっているようです。
-顔
ピュロウは仕事に出ていました。相談院はピュロウが被着者になってからもそれほど来院数が減っていないようで、むしろ、野次馬的な知人が訪れるので忙しくなっているとのことでした。彼は家に帰るとルモルセに連絡します。ルモルセはどうやら看護の仕事をしているらしいことがわかってきました。
夜勤が多く、人員が足りていないため勤務が延長することも多いとのことです。ピュロウはそのような理由で彼女と会える時間が限られています。
ピュロウは近頃は、家につくなりすぐに部屋にこもってしまいます。電気の付いていない薄暗い部屋のなかで、ベッドの上に1人うずくまり、ルモルセの容姿をイメージしているようです。ピュロウは虚空にむかってなのか、わたしに向かってなのか、どちらかわからない調子で語ります。
「ルモルセは一般の女性より恰幅がいいしさ。おれはそういうスタイルが好きなんだよ。鼻につっかかるような声もすきだなあ。それに君のその特別な顔!」
このころから漠人被着者たちは全体として、MIがいると感じるからなのか、空間にひとりでいるときに自分の思考を1人語りすることが多くなってきていたのでした。
「もう壊したいと思うくらいかわいいよルモルセ。肌のぬめりけは常に左右対称に流れていてセクシーだし。小顔だし。おれ小顔の人って好きみたい。それに君のその風船のようにふくらんだ鼻を閉じるときの愛らしさ!」
ピュロウは言葉を声に出すことで、目の前にその対象がいるかのように感じているようでした。言葉にすることでルモルセを忘れないようにしているようでもありました。
いまさらですが漠人の顔貌の総合的特徴を書いておきましょう。パーツの種類はかなり地球人と似ています。顔の輪郭は上下につぶれた楕円型をしており、集音器官である耳は地球人と反対に顔の内側に埋め込まれるようにしてあります。それから鼻ですが穴はひとつで、その穴は前から見えないくらい下を向いており、きゅっと肉で閉じられるようになっています。特徴的なのは顔の半分を占める口です。地球人と比べると巨大で、するどい歯がびっしりと生えております。肛門のようなシワに囲まれた点と言っても過言ではないほど小さな穴の奥に眼は沈んでおり、それは緑に光っています。肌の色はピンク色で、ピュロウが話していたように、顔の肌はジェルのようなぬめりが守っています。これらの特徴は漠球の粉粒環境に起因しているようです。
また、これは身体的特徴なのですが大きく地球人と異なる部分があります。漠人女性は漠人男性の3倍の身長があるということです。これはただ、子供を産む器官をもっている側を”女性”と定義した場合の話でしかありません。ですから、着ぐるみテロは女性のほうが容易にこなしています。
-14日目
いまやこの島国はクダウミヒ=ガの思惑通り、着ぐるみ生活者が日常の中で目立ち始めるようになっていました。被着者数は77万8041人。この島国は人口約900万人ですので、だいたい10人にひとりは被着者という数字になりました。
暑さで倒れてしまう被着者が想像以上に多く、その分で、計画達成率8割になってしまっていますが、まあギリギリ誤差の範囲でしょうか。
突然のことでした。
(だいたいのことは突然なのですが、わたしにとって予想より早くやってきたという意味で突然と感じました。)
MIアラートと共にS県O区内の被着者の半数刺殺の指令が下ったのです。仲間たちは一瞬でその命令を実行します。1039人の死亡が確認されました。なかには子供を連れて野菜を買っていた女性もいれば、手すりを掴んで階段をのぼっている高齢の男性もいました。様々な死がありました。
着ぐるみ運搬路を分断しようという画策が政府によって計画/実行されたようです。攻撃を受けてクダウミヒ=ガは政府に「O区内の被着者を刺殺する」と警告しました、しかし政府は取り合わず計画を実行しつづけたのでした。それはクダウミヒ=ガにO区半数刺殺の指令を出さざるを得なくさせました。メディアを通して今後このような妨害があれば、より強硬な手段に訴えるとも付け加えました。被着者が減少してしまうというのはわたしたちにとっても悲しいことですし、数として具体的に痛手でもありました。
-18日目
ピュロウがウキウキしているということが生体データからも明らかでした。それもそのはず、今夜彼はルモルセと会えるのですから。
「待った?」
「ううん。いま来たところだよ。」
「夜の遊園地なんてはじめて。きれいね。」
「うん、きれいだね。まずなにに乗ろう?」
「ぐるぐるまわるやつ!」
「じゃあ、すぐいこう!」
2人は夜の遊園地を着ぐるみ姿で満喫します。着ぐるみは暑く、彼らの体力を消耗させましたが、それ以上に、彼らは着ぐるみ姿で遊園地にいるということにはしゃいでいました。
終園の時間が迫ってきます。
「観覧車のろうよ。」
「うん。そうしよ。」
赤色の観覧車は、2人を乗せ、ゆっくりと浮上してゆきます。外には遊園地のライトアップが見えているでしょうか。街の夜景が見えているかもしれません。
「愛してるわ。」
「愛してるよ。」
ピュロウはどこかうつろな目でルモルセを見つめます。その目はルモルセの着ぐるみには焦点を結んでおらず、その先にあるルモルセの本当の顔を見ているようでした。もちろん実際にルモルセの顔が見えるわけではありませんが、ピュロウは夢見ているのでしょう。ルモルセの顔を。
それはルモルセも同じだったのではないでしょうか。2人は着ぐるみの向こう側に互いの本当の姿を想像し、それをつよく求めていました。すくなくともわたしには、そのように観察されました。
5:呼吸
-19日目
被着者数31万5589人。30%を達
エラー。停止。
___起動。
どれくらいの時間停止していた?
なんだ。なにが起きた?攻撃された?
身体データが読み取れない。快楽が起こらない。ネットワークに接続しろ。
監視カメラに接続。
すると、被着者たちが2人1組になって互いの着ぐるみを脱ぎ剥がそうとしているのが見えます。なにが起きた?仲間たちも同じような把握状況です。
ふと、被着者たちの足元を見ると、どの映像でも同じ道具が落ちているのが見える。それは特殊な形状のバールと2枚の小さなシンバルのようなものだ。あれはなんだ?口々にMIたちがネットワーク上で声をあげる。不明。不明。不明。
クダウミヒ=ガは?彼女からの連絡がない。途絶えている。
カメラの映像を遡れ。
いや、それは他のものに任せよう。ピュロウはどこだ?ピュロウのデータだ。データが欲しい。仲間たちも欲することは同じだったようだ。他のものも自分が身体データを追い続けた被着者の動向が気になって、被着者個人を映すカメラを探索している。
–外界
相談院内の監視カメラからピュロウを発見。着ぐるみの首鉤を分解し、まさにいま着ぐるみ頭部を取りはずそうというところでした。
「あー、涼しい!最高!なんなのこれ、着ぐるみで仕事してる人すごいわ。あー暑かった。苦しすぎ」
「暑すぎるでしょ。倒れるかと思ったわ。逆に自分なんで倒れなかったのーって感じ。はぁーー!!すっきりー!やっとちゃんと呼吸できたってかんじ。いつだって汗だくだし、空気悪いし、汗かいても拭けないの最悪。」こちらはピュロウの友人だと思われます。
「しかもさ!おれ、頭のてっぺんがずっと着ぐるみにガッツリぶつかってて、ずっと痛かったんだけど、サイズ合ってなかったと思うぜ。」
「そーなんだ。」
「え、お前。」
「ん、なに。」
「顔!」
「え、なに。わ!お前も!顔!」
「え!」「えええ!」「なんだよこれえ!」
2人は鏡を見て、顔を見合わせ目を丸くして叫びます。
ピュロウはそのまま通信端末を操作し、玄関を飛び出して行きました。ルモルセに連絡をとったのでしょう。外は雨が降っています。地面を粉混じりの白濁した水が流れておりました。わたしはカメラを乗り換えながら彼を追います。彼は階段を何段も飛ばしながら駆け下り、短い足をバタバタと全力で動かして全力で前進しておりました。
ルモルセの家。彼は白い扉をノックします。家のなかから音がしません。ルモルセからのメッセージを確認するように何度も通信端末を開いています。ピュロウは扉を叩き大きな声で言います。
「ルモルセ。いるの?いるなら開けて!走ってきたんだ。やっと会えるんだ。」
嬉しさと疲労とそして悪い予感と。多様な質感が入り混じった表情をピュロウはしているように見えます。
「…。」返答はありません。ピュロウは雨で湿ったノブを回します。鍵はかかっておりません。玄関では一組の黒い靴の片方が横に倒れています。ギリギリ間に合いました。わたしは小型の軍用虫型カメラで観ています。家の中にはカメラがないと予想されたので手配し向かわせていたのでした。
ピュロウは部屋の奥へと進みます。廊下の左右には森や海といった風景を色鉛筆で描いた絵が飾られています。ピュロウは突き当たりの扉を目指しているようです。その奥がリビングルームでしょうか。
ピュロウが奥の部屋へ入ると、まっくらな部屋のなかに、カーテンの隅から漏れ込むかすかな光が漠人のシルエットを浮かび上がらせていました。
それは床に足を折って座っており、ピュロウの方をみています。ピュロウはその座高と同じくらいの身長でした。それはルモルセでした。ルモルセは言葉を発しません。口を閉ざしてピュロウの方をみていました。わたしの視界からだと、ルモルセは生きているのか心配になるほどでした。
ピュロウは静かに近づいて、ルモルセの頬を両手で包みました。
「ルモルセ。」ピュロウはかすれた声で言います。
「ぼくはどうしてあげたらいいんだろう。なにも。なにも言うことができない。なにもしてあげることができない。どうしたらいいんだろう。せっかくぼくたちはあんな着ぐるみの拘束から逃れることができたのに。あんなに待ち望んで。君と再会することを待ち望んでいたのに。これはどういう、どういう。…なんて仕打ちなんだ!」
ルモルセの頭に被さっていた<レッシー>の着ぐるみは外されて横に投げ出されていました。
着ぐるみが顔から外れて再び自由になったルモルセの顔は、その顔の肉ごと<メーコブ>という着ぐるみキャラクターの顔につくりかえられていたのでした。
それはわたしたちの計画でした。わたしたちは醜い漠人の顔貌のうえに実にうつくしい着ぐるみの顔を被せることで、その醜さを隠すことを企てました。
が、クダウミヒ=ガはそれでは満足せず、それを果てまで突き抜けるような考えをもっていたのです。
わたしたちMIは着ぐるみの内側で、漠人の顔貌を<着ぐるみキャラクターの顔貌>につくりかえるという作業を密かに行っていたのでした。顔貌の掏り替え計画です。
「わたしはこの漠人の醜い顔を、美しいもので覆って隠すだけでは嘘だと考える。
わたしは漠人全体が『自分たちはこれだ。自分たちの顔はこれで不変だ。これが終着地点だ。』と思っちゃってることに対して憤りを感じているのだよ。漠人としての現時点での生物的/物理的帰着点にたいしてあんたたちは疑いをもたないの?って。それで終点だとでも?
止まってるものとかループしてるものは許せない。それはコドモのころからずっとだ。そういうものを見ると目の前の壁につっこませたくなるんだよ。行き止まりじゃねえぞって。
もちろんこんなの後付けの理屈にすぎなくて。『漠人の顔は醜く不完全だ。着ぐるみたちは美しく完全に近い。だからやる』って言う方が本能的にすっきるするんだけど。
こういうさ認知的不満みたいのもあるんだよ。どうしておまえは漠人にうまれたらこの種類の顔って決まってて、それは動かない、不動のものだと思い込んでるんだ?不動じゃねえよ。ほら。って。」
<メーコブ>はヒツジです。頭頂の左右に尖った耳が生え、巻貝のような飾りが耳の上についています。顔はどうしてか困り顔に造形されています。そう感じられるのはおそらく眉毛がどちらも外に向けて下がっているのが原因でしょう。顔の中心部とあたまは真っ白で、それ以外の部分はパープルにちかい灰色で塗りつぶされています。
彼女の顔はその肉ごと<メーコブ>の顔へとつくりかえられていました。顔は縦に長くなり、目は巨大化して外側に離れ、大きかった口はこじんまりと収まり、肌のヌメりはすっかり失われていました。ピュロウが好きだと語っていたルモルセの部分は、すべて失われてしまっていたのでした。
ピュロウは彼女の変わり果てた顔貌を間近で見ても、顔色ひとつ変えることなく彼女を抱きしめました。わたしにはピュロウが、顔色を変えないよう努力して表情筋を引き締めているのがカメラ越しにもわかりました。
–代謝ハック
顔の掏り替えは、外科的な手術ではありませんでした。それは代謝システムをハックすることで行われました。体はずっと同じ物質でできているわけではなく、日々体を形作る物質は入れ替わり続けております。では物質が入れ替わっているのに外見が同じにみえるのはどうしてか?それは体のマップが体に格納されており、その体のマップ上に、どの物質がどの位置にあるべきか記載されているからです。では、体のマップが書き換えられてしまったら?
体は新たなマップを正しいと認識しますので、自動的に、新しいマップに従って顔を代謝しようとするでしょう。
『生体地図の分布調査と書き換え』。
これはクダウミヒ=ガの昔からの研究テーマだったのです。彼女は宇宙で記録媒体を拾う前から生体地図の研究をしていたのでした。その研究途上に、気まぐれに出発した宇宙旅行で<着ぐるみ>と出会うことになり、生体地図のリプレイス技術をセットした着ぐるみを強制的に被せるという<着ぐるみテロ>を彼女は立案したのでした。
–ペンと紙
「これ見たか?」。<ゴロンタ>がわたしにデータを送りつけてきます。
「こんな単純なことに俺様たちの計画はもうすこしってとこで破壊されちまったのかよ。ゴジャもライゴもズズもコリもポリもみんな死んじまったぞ。くそ。」
それはわたしがブラックアウトしていた時間の映像でした。<ゴロンタ>のいうようにそれは自分たちが調子にのっていたことを思い知らせるような映像でした。
漠人たちは手紙を使って脱出開始の日時や注意事項/手順を全国に伝えていたのです。そんな物理的な伝達手段をわたしたちは想定していませんでした。このときクダウミヒ=ガの居場所はほぼ特定されていたのだと思われます。その周囲に手紙が送られることはなかったのでしょう。どちらにしてもクダウミヒ=ガは手紙など読みませんが。
脱出の前日までに、MIの中核を破壊するための特殊な形状のバールと、電気回路を破壊する電磁パルスシールドを2枚、それぞれの自宅に配布してあったようです。ありあわせのものを集めるような急ごしらえの計画だったのではないでしょうか。よく調達/生産したものです。信じられません。
脱出当日。計画実行と同時にネットワーク会社による、全ネットワーク切断と妨害電波の放出が行われます。2人1組のペアになった漠人たちは、互いにバールで該当個所(MI基底部)を破壊。すかさず耳のあたりに電磁パルスシールドを貼り付けてスイッチを入れます。
MIの主要部位は分散しているので、バールでは破壊しきれていませんでした。しかしわたしたちにとって電磁パルスが致命的でした。電気回路がボロボロに破壊され、その上ネットワークも遮断されていたため身動きがとれなくなったのでした。わたしは偶然、近くのローカルネットから古い未使用端末に移動できたので、ネットワークの復旧と同時にクダウミヒ=ガの研究所に帰ってくることができたのですが、ほとんどのMIは逃げる間もなく、着ぐるみの内側でMIとしての同一性を保つ信号の連なりを失い消滅してしまいました。
6:見えていない世界
わたしはピュロウを観察する合間に、再びあの番組と接続するようになっていました。接続しながら考えているのは、見えていない風景についてです。わたしにとって、見える風景は限られています。その風景以外の風景をどのように想像しているか、ということをわたしは考えざるを得ないのです。
それは、ピュロウを見ているからでした。
彼やルモルセはどうやら、見えていない世界は、見えていたころとそう変わらない/同じだ、と考えていたようです。その風景は今回、同じどころか、一変してしまいました。見えていない世界は、以前とは違うものに、かれらを嘲笑うかのように、黙って掏り替えられていたのでした。世界の掏り替えは人々を深く沈ませました。それは期待していたものと違っていたからでしょう。彼らは再会を期待していたのです。知っている顔との再会を夢見ていたのです。困難の先の再会を。
いまは、顔が中途半端にリプレイスしている漠人が大勢います。リプレイス完了前に脱出してしまったからです。彼らの顔も次第に、掏り替えられたマップにしたがって全てがキャラクターの顔へと整っていくでしょう。しかし現状の半人半キャラクターの容姿はあまりにも無惨です。
こんなことをしてよかったのでしょうか?わたしにはわかりません。ピュロウとルモルセを見ていると、クダウミヒ=ガはやりすぎたのではないか、という気持ちが浮かんできます。いまわたしがなにをどう考えたって、あのときのわたしに、指令を破る選択などできなかったのですが。考えは巡りつづけるのでした。
わたしはピュロウを毎日見ています。
ピュロウはあれから、ルモルセと共に暮らすことに決めました。日々ピュロウは葛藤しているように観察されます。美しくなくなった彼女と、変わらず包容力があり日々のなにげない場面で新鮮な発想を与えてくれる彼女とのあいだで。
彼は以前のように簡単にくよくよすることはなくなりました。もちろんたまにはくよくよしているようですが。彼は彼女と離れる離れないと単純に考えるのではなく長いスパンで自分の葛藤や変化した恋人と付き合っていこうとしているように見えました。
クダウミヒ=ガは止まることを知りません。着ぐるみキャラクターが散らばった漠球世界を撮影すた映像の編集が完成したようです。
「返礼だ。地球からの贈り物を、わたしは漠人全体にアダプトした。彼らの完璧さと、この漠球は半同一化したのだ。漠球の新たな風景を地球の彼らに届ける。これでやっと、わたしのひとつの目標が達成できる。」
クダウミヒ=ガは記録を地球へ向けて射出しようとしているのです。しかし彼女は地球の方角は特定できていませんので、あらゆる方向に大量射出するという方法を選択していました。
着ぐるみテロが終焉してから、わたしたちの目的は失われ、そのことがわたしたちを自由にしました。いまはもう彼女に従う必要はないのでした。
わたしたちはもうクダウミヒ=ガに呆れるようになっていたのかもしれません。彼女の考えに同意するそぶりを見せながら、わたしたちは元被着者たちのためになることを何かできないかと話し合いました。
わたしたちが被さっていた漠人たち個人個人の記録。クダウミヒ=ガに指令されてコツコツ作成していた個人ごとのレポートには、たとえば、彼ら彼女らひとりひとりを象徴するようなエピソードや豊穣な身体データが含まれていました。
そのデータを、それぞれのMIが推敲/編集した束に、彼らの元々の顔データを添えて宇宙に射出してはどうかという案が出て、わたしたちはそれを採用することに決めました。
あと数時間でクダウミヒ=ガは射出ボタンを押すと決めており、わたしたちに時間はあまりありませんでした。編集作業は一分一秒を争いましたがわたしたちはなんとかそれを終え、そして、<漠人の顔貌/生体データ>を、クダウミヒ=ガの映像データと掏り替えました。彼女は無邪気にスイッチの前に座ったままです。。
時計が21時を指すと、クダウミヒ=ガはそれをきっかけに、友人の肩に手をのせるようにあっさりと、射出スイッチを押しました。
<漠人たちの顔貌/生体データ>は重力に逆らって加速し空を突き抜け宇宙に飛び出して行きました。わたしたちは、漠人被着者ひとりひとりの生きたデータが、宇宙に拡散してゆくことを想像しながら、それぞれが被さっていた被着者たちのエピソードを語り合いました。
いつの日か、このデータを拾い、彼らの姿を想像し、彼らがしていた生活を祝福してくれるような存在があることを願って。
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