梗 概
考古学ロボットペムペルの樹木記憶収集記 〜ババ焼き松〜
《木には記憶がある。朽ち果てるまで映像と音をその内に留めている。》
壊滅的な異常気象の末、人類は数百年前に火星に脱出し、ロボットだけが地球で暮らしている。考古学ロボット・ペムペルは失われた人類の歴史を調査すべく、日夜、樹木記憶を収集していた。
ペムペルは一本の松の木の前に立っている。〈ババ焼き松〉とだけ言い伝えられた樹齢数千年の古木。ペムペルは指先の電子ニードルを松の木に刺し、〈ババ焼き松〉の樹木記憶をインストールし始めた。
*
〈政治ごときがなんでうちの恋路を邪魔するのんよ〉
最初に聞こえてきたのは若い女の声だった。そこから映像が立ち上がり、物語が始まった。
時は鎌倉時代。但馬国(北近畿)の松岡村で幸姫は一本の松の木の下に腰かけている。京を出発してからすでに1ヶ月が経っていた。雅成親王(姫の夫)が配流された高屋村(但馬国北部)へ向かう冬の旅である。親王に会いたい、という恋心でここまで歩を進めてきた。生後3ヶ月の赤ん坊を胸に抱き、そばには付き人の富蔵(但馬国出身)がいる。今夜は近くにある富蔵の家で宿をとる予定だ。
そこに川で洗濯を終えた一人の老婆が現れた。富蔵の母だ。20年ぶりの息子との再会に母は相好を崩した。幸姫は母にここから高屋までの道程を訪ねた。母は、少しでも息子と一緒にいたい、ここで冬を越してほしい、との思いから、「この先の山は雪も深く、人が歩けるような道ではございません。峠には人を獲って食う山賊もいます」とおどろおどろしい嘘を言ってしまう。
その夜、母の家で皆が寝静まる中、絶望した姫は赤ん坊に別れを告げ、家から抜け出した。
〈もう辿り着くなんてできひん。風になって会いにいこう〉
姫は松の木に語りかけ、向かいの土手から川に身を投げ、自殺した。
夜中、姫がいないことに気づいた富蔵は急いで村人を集め、一斉捜索を始める。しばらくして姫の死体が川辺でうちあがる。事の重大さに恐れをなした村人たちは逆上して富蔵の母をリンチする。さらに「ババアを焼き殺せ」「祟りが起きるどぉ!」と松の木の枝に逆さ吊りし、髪の毛に松明の火をつけた。一気に顔が燃え、体中に火が回る。母は焼け焦げながら息絶えた。
翌朝、富蔵は赤ん坊を背負い、松の木にすがりつき泣いている。打ちひしがれながらも〈何日かかっても親王にこの赤ん坊を届けるんや〉と意を決し、立ち上がった。
*
ペムペルが松の記憶をインストールし終えると、強い雨が降り始めた。空には紫色の雲が渦を巻き、稲光が閃く。ペムペルは自身の避雷針モードをオンにして廃墟で雨宿りをした。その時近くで雷が落ちた。
〈まさか…!〉
ペムペルは急いで外に出た。
松が黒く焼け焦げ、炎をあげている。
〈なんで…〉
呆然としつつも後ろを振り返ると、富蔵が最後に駆けていった方角から垂直の虹が出ている。
ペムペルは新しい樹木記憶を探るべく、土砂降りの雨の中、虹の方角へ歩みを進めた。
文字数:1200
内容に関するアピール
私の地元、但馬地方に実際に「婆焼き松」という伝承があります。但馬の高屋村に配流された後鳥羽上皇の第三子・雅成親王を追いかけて、妻の幸姫が京から旅をします。松岡村で婆にこの先の道のりを聞くと、「とても人の行く道ではない」と意地悪な嘘をつかれ、悲観した姫は入水自殺をし、婆はその責めを負われ村人に焼き殺されるという話です。その土地では今でも年に一度、「婆焼き祭り」というお焚き上げをしており、あつい物語というテーマを頂いた時にこの話をどうにか活かしたいと思いました。富蔵というキャラクターと焼き殺されるオババを富蔵の母に設定したのは私の創作です。
姫の死、オババの死を見届けた松の木。その松の木の苦しい記憶を未来の世界で聞く者があり、その痛みが和らいだ時に、松の木に一生を終えてほしい。それが私の、ババ焼き松への祈りでもあります。松の木の痛みに耳を澄ましながら、実作できればと思います。
文字数:400