火を熾す

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梗 概

火を熾す

あいつは人間に話しかけられたことを怒ったらしい。それだけのことで、あいつは人間から火を奪った。「パチン」と人にとっての時間はもう一度巻き戻った。
その時おれは、雲の間から地上の人間達が建てた塔が瞬く間に崩れ、地上が氷河に覆われるさまを見ていた。おれはそこで地上に降りて人を探した。そしてようやくおれは、石槍を持って狩りをしている人間を見つけた。

男は凍える大地を歩き回っていたが、手足は凍傷になりかけていた。そのとき、男は生まれて初めて目の前に現れた火を見た。男は自分では敵わぬ生き物だと思い炎を恐れた。恐怖で男は体を動かせなかった。男はその熱さを感じた。男は敵わぬ相手であれば、逃げること無く自ら敵に身を供えようと決心した。男はゆっくり前に進んだ。男は身を焦がして、ようやく本当の炎を知った。

そうして一万年が過ぎ、多くの人は突然現れる火を目撃し、火の存在も広まった。しかし一万年の間、人は自分で火を熾すことができなかった。あいつが人から火を奪うと言ったのは、こういうことだったのかもしれない。

おれはまた、仲間がいる近くで足が凍傷で壊死し、死を待つ男を見つけた。男は光りのある世界で死にたかった。この洞窟の部落は、おれが出した炎を見たことはあった。男はもう一度あの炎が現れて体を暖めてくれないかと祈った。おれは男に枝を持てと命令した。その枝をこすれと命じた。男は、枝と枝をこすり続けた。一時間擦っても何も起こらなかった。次第に遠くで見ていた仲間が近寄ってきた。二時間近く経ち、男の枝を握る手も血が滲んできたが、おれは男にそのまま擦れと言い続けた。すると木と木の削られた箇所から煙が出てきた。煙は周りにいる誰にも見えるようになった。男は泣きながら枝を擦り続けた。その時命が絶え、枝を動かすことが出来なくなった。小さな煙も消えてしまった。
 それを見ていた仲間は、死んだ男の周りで男と同じように枝を擦り続けた、次第に何人もが「おおお」と声をあげて木に煙を出し、そこから炎を現した。それは人が始めて火を熾した。改めて人が火と出合った瞬間だった。しかし、そこで火を熾した部族が、火を利用して多くの部族を打ち倒していったことまではおれは知らなかった。

おれは人に火を与えたことで、あいつの怒りをかった。あいつはおれの首をはねた。
「それだけでない。おまえが人にした仕打ちを永遠に見届けろ」と言った。
 おれの首は人が住む地に落とされた。人の時間で70万年かけて首は地上に落ちた。体は地上に落ちると人の男女の子供となった。首は人に祀られ、多くの人がおれの物語を作り語り継いだ。男女二人は火が燃える場所で出合うが常に結ばれることない別れを繰り返した。

それからおれは地下に穴を掘っては人が燃やした滓を入れた箱を整理している。あと70万年地上への扉を開くことは出来ない。ただときどき同じように穴を掘る彼女と出合うこともある。

文字数:1197

内容に関するアピール

昔、グアテマラに住んでいた頃、焚き火クラブというものに入っていた。そこで種火を熾すことの難しさを知った。しかしクラブの目的は火を熾すことでは全く無く、ただただ焚き火を眺める事が目的だった。歌を唱うわけでもなく、中米政治について語るのでも無く、ただぼおっと焚き火を見つめるのだ。時に酒を飲んだり草を吸ったりするくらいで、だいたい10人くらいの男女が毎週土曜日の夕方に集まっては、頬を染めて焚き火をみつめた。この長い時間火を見つめるという極めて単純な出来事は、わたしは経験したことがなかった。せいぜい、5,6回の出来事だったが、今となっては、自分の人生の深いところに「焚き火クラブ」の出来事が深く根付いていることを実感する。
今回は最初に「火を熾す」というタイトルと、人が始めて炎を発見する場面を書きたいと思った。それが他人が読んで物語として面白いかはわからない。自分が納得できる「火を熾す」話にしたい。

文字数:399

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火を熾す

あいつが首から吊るした胸元の太鼓を叩くと、おれたちの体は揺れた。あいつの怒りで叩く低い音が、おれたちの体に流れる水を沸き立たせた。おれはあいつが、おれではない何かに向かって激しく怒るのを見るのは大好きなんだ。そういう時の太鼓を聴くとぞくぞくする。どうやらあいつが今怒っているのは、どこかの「球」に乗った「人」という生き物らしかった。そして、それはおれが作ったものらしいじゃないか。あいつは自分が作ったその「球」がえらくお気に入りなんだ。その「球」に「人」がしていることがえらく気に入らないらしい。あいつはあいつで、おれに全く目を合わせずに太鼓をたたき続けた。リズムは次第に早くなり、おれたちの体の震えも激しく止まらない。そして太鼓とおれたちの震えは終にひとつに繋がった。そしてあいつは「人」から「火」を取り上げた。♪ドンドンダン、ドンドンダン、ドドダドドダドドダ。とあいつは太鼓を叩いた。

あいつが作った生き物の「球」と「時」に何を乗せるかを、おれたち設計士が作った生き物から、あいつが全て選んだ。おれが作った「人」は、最初からあいつは気に入らなかった。醜く、暗く、自分勝手で、言い訳ばかりで平気で嘘をつく。あいつはそう言って嫌っていた「人」だったが、会議が終わって立ち上がってから、また座り直すと何か思い直したんだな。そして思わせぶりにまた太鼓を叩いて、最後のアクセントとしておれが作った「人」を「球」に乗せた。そうだ。確かにおれが作った「人」はおれそのものだ。ようやくおれは、自分が作った「人」のことが気になりだした。そして、あいつの作った「球」の上に乗る「人」がどうなったのか見に行くことにした。「球の上の如何なるものとも関わるな」♪バンバンダン、バンバンダンダン。とあいつはおれを見つめて太鼓を叩いた。

ここに書かれていることは、あんたたちが生まれる少し前とあんたたちが死んだ少し後の出来事だ。だけど、どっちも本当の話だって言うことはあんたにもすぐ分かるだろう。そしてあんたたちの言葉は複雑で面倒で曖昧すぎる。だからおれは言葉を使うのは苦手だったのだが、そうだ。おれもまた座り直して何か思い直したのだ。「人」の言葉を使って、あんたたちに伝えてみようってな。事の始まりとなれの果てってやつを。その真ん中らへんにいる、今のあんたに知ってもらいたいんだ。

そして、これはとても不思議なことなんだが、おれが「人」を作ったはずだ。そうだろ。しかし。本当にそうだったのか、とたびたび思うことだ。今はまだあんたにはおれが何を言っているのかわからないかもしれないが、あんたも、この出来事を最後まで読み終わったら、もう一度これを想い出して欲しい。おれがあんたたちを作ったのか、それともあんたたちがおれを作ったのか、って。そして、これはあんたたちの物語なのか、それとも本当はおれの物語なのか、おれに教えてくれないか。できることなら。

1

あいつが作った「球」に近づくにつれ、命の響きが聞こえた。雲は静かに海と大地の上で舞っていた。「時」も「球」の周りで正確にリズムを打っていた。空気も海も静かに球から落ちずに脈打っていた。冷たい海の中には、仲間の設計士たちが作った小さな生き物たちが群れをなして泳ぎ、より小さき命はより大きい命に食われ、またその命もより大きい命の中へ入り、大きな命もまた時が経つと小さな命のもとへ還っていった。海の上には白い雪が降り続いていた。太陽は真上にあるはずなのに、濃い靄で地上には光は殆ど届いてなかった。海の終わった陸には氷と雪が混ざり、そこからは大きな森が広がっている。この北の荒野は茫漠とした沈黙と冷酷な寒さに覆われていた。巨大なトウヒの根本には雪がどんな生きる者をも受け付けないように深く冷たく積もっていた。

しかし、トウヒの樹の中では、小さな命がたくさん動いていた。トウヒの樹皮にほど近い場所でシバンムシが卵から生まれ始め、柔らかい樹皮の中をうねっていた。クロアリの群れは樹皮に穴を開けてシバンムシの卵と幼虫を掴み、列を作り順番に樹の根元の巣まで運んでいた。クロアリの倍くらいのハネカクシが、樹の幹を伝わるアリたちの列の間に割り込むと目の前のクロアリを捕まえて飛んで行った。ハネカクシは隣のトウヒに飛び乗り細い茎の上でシバンムシを抱えたままのアリを頭から食べ始めた。隣の樹では、雪に葉が数枚乗っている模様をしたキツツキが、太い幹に何度も穴を開けて虫を探していた。目の前に現れたシバンムシを見つけると、キツツキは音を立てずに飛んで行き、シバンムシを嘴で摘まみ一口で飲み干した。キツツキはそのまま飛び続け、大きな森を抜けて雪の間を流れる川を見ながらその外れにある水溜まりへ舞い降りた。そこを狩り場とするキツネがツツジの茂みの中に隠れているのも知らずに。キツツキは微かな音を立てたシロキツネに気づいて慌てて飛び上がったが、キツネは飛び上がって前足で捕まえ、地面に落とすとすぐにキツツキの喉元へ噛みついた。キツネは首の部分の血と肉を一口だけ飲み込むと、獲物を銜えたまま巣で待つ子供達の元へ飛び跳ねながら向かった。その後ろをオオカミがそっと追って来ていることには気づかずに。

 オオカミはキツネが岩の下に出来た穴に入って行くのを見ると、ゆっくりとその後から穴へ入って行った。しばらくするとオオカミとキツネのけたたましい叫び声が聞こえたが、またすぐに雪の積もる音だけが辺りを覆った。穴からは口元を赤く染めたオオカミが満足げに出てきた。その岩の上には、人が二人、細く尖った大きな骨を手に持って立っていた。人の姿形は醜く背は曲がり、短い二本足で立っていたが、その薄い体毛の体には他の動物の毛皮を纏っていた。人が岩の上からオオカミ目指して振り下ろした骨の槍は二本ともオオカミの背に刺さった。オオカミは鳴き声を上げながら穴から出ると、空を見上げて高く二度吠えた。人の一人は大きな石を持ち上げてオオカミ目がけて投げたが、オオカミは難なく避けた。もう一人は岩から降り、木の棒を掴んでオオカミに突進した。人は槍が二本刺さったオオカミにはもう力がないと思ったのかもしれない。しかしオオカミは背中の毛を全て立たせて唸ると、人に向かって飛び掛かった。人が振り下ろした木の棒は確かにオオカミの頭に当たったが、オオカミはそのまま人の喉笛にかぶりつきながら体重を全て載せて人を倒した。人の喉は何も覆うものがなく容易に引きちぎられ、また人も抵抗することの無意味さを知っているかのように、ただ血が噴き出るままにして息絶えた。岩の上にいた人は、どこへ動くか逡巡しているうちに、後ろから幾つもの動物の足音と呼吸の音が聞こえた。人は振り向かなくとも、それがオオカミの群れだとわかった。20匹ほどのオオカミたちは人に近づくと扇形になって止まった。槍が刺さったままのオオカミが吠えると、一斉に後ろ向きの人に襲いかかった。この人もまた何も抵抗ができずに、肉は瞬時に幾つにも分かれてオオカミたちの口に入っていった。半分ほどのオオカミは、下に降りて槍の刺さったオオカミと一緒に岩の中にいる狐を運び出して、その肉を食らった。

 血と肉とオオカミの息の匂いと熱が濃く漂う中で、槍が刺さったオオカミはおれの姿が見えるかのように、じっとおれを見上げていた。たしかにこいつが四本足で立つ姿は美しく、オオカミはおれが作った人の上に君臨する生き物であることも納得出来た。彼は前足をしばらく広く開けて立っていたが、ようやくこの足で自分の体を支えることができないことに納得したようだった。そして、彼はゆっくり前足を雪の上に前方にまっすぐ伸ばすと、その間に血だらけになった体を寝かせて静かに息絶えた。周りの灰色の光りも次第に薄くなり、闇が雪の上を覆う頃になると、かつて人とキツネであった生き物は、細い骨が残るだけになっていた。槍が刺さった彼の体の上には雪がすっかり覆い、小さな墓になった。雪の墓の上には二本の墓標が聳えていた。

2

あいつは、胸に掛けた太鼓の表面を円を描くように丸く撫でていた。あいつは、いまの「球」の状態に満足しているのかもしれない。「球」という命は、あいつの太鼓の音を鳴らしている容れ物なのだ。太鼓の音は「球」の上に乗る全ての生き物の中で鳴り続けている。そして命の音は生き物の間を、「球」を覆う大地や海の間を何度も回り鳴り続けている。しかし、あいつは命の動きをこんな遠くから見ているだけだ。おれは、「球」を覆う土と樹や海と水や雲と雪を見て聞いて嗅いだ。そして「球」の上に乗った命たちが別の命たちに食われるさまを目の前で見た。近くで見るひとつの命が生まれて絶える瞬間を見た。どの生き物も何故生まれたのか分からないうちに、あっという間に自分の命が絶える時、それに抗おうとする。「球」ですら、自分がなぜ生まれたかわかっっていないし、次第にそのゆっくりとした死の間際になると、ようやく必死になって抗うのに違いない。だから、おれは生と死を繰り返す命が見たくて、あいつにもう一度「球」に乗せる生き物を提案した。それが「おれ」だ。数百数千数万のおれは「球」の上で生まれ交わりまた死にたかった。おれは「球」の上であいつの音を鳴らし他の命の音を飲み込みたかった。しかし、あいつに断られ、今度はいつまで待っても考え直さなかった。おまえは醜く大きく強すぎる。♪ダンダダン、ダンダダン。

そういうわけで、おれが提案した本当の「おれ」は「球」の上に現れなかった。しかし結局のところ、あんたたちも知っているように、世界中のだれもがおれのことを知っている。古代からあんたたちが住む現代になってもそして遙か将来になっても世界中でおれについての物語が語られている。まあ誓っても良いけど、これはおれがそう望んだわけではないんだ。ただ、それはこういうことだったんだ。

3

この「球」の上で全ての生き物の上に君臨しているであろう、あのオオカミの群れをおれは見つけて追うことにした。オオカミたちは群れで共に狩りをし、群れの中で家族を育て、そして頻繁に別の群れと、またまれに群れの中でオオカミ同士の争いを起こしていた。オオカミ同士の争いとはメスをめぐるオス同士の戦いだ。より強くよりいい音を鳴らす器を残していくために、オスたちは争いあい、選ばれたオスはメスと交わり新しい命を作られていく。それは「球」の上に住まう全ての生き物の規則だ。ただ、どうやらオオカミは「球」の上で、全ての生き物の上に座っているわけではなかった。

オオカミの群れは長い距離を移動している間、森と荒れ地の間を入ったり出たりを繰り返す。そうやって狩りの対象を探すが、オオカミの気配を察するだけで多くの動物は遠くに隠れてオオカミが立ち去るのを待つ。この時はオオカミの群れが森の獣道に入るとすぐに、他の動物の気配を感じた。オオカミがいることがわかっていても、向こうから真っ直ぐに自分たちの音をたててやってくる。オオカミの群れは20匹いたが、彼らはみな耳を立てて立ち止まった。そして後退るように獣道を避け、木枝の中へ入っていった。まもなく、つがいのサーベルタイガーがオオカミたちの目の前を通っていった。子供のオオカミが、うなり声をあげたが、どのオオカミも本能でわかっていた。狩れる相手かどうかは、自分たちの生存の素質の中に備わっていた。子供のオオカミは、サーベルタイガーの足跡に鼻を近づけて深く息をした。そして何事も無かったように仲間のオオカミの後を追った。群れは暫くすると森を抜け、くねくねと折れ曲がる川沿いを走った。川は広い浅瀬となり一帯には緑をつけた低い草が生えていた。そこには一匹のバイソンがいた。バイソンはオオカミが見えても怯えることなく、草を食べていた。オオカミたちはたった一匹の草食動物バイソンを狩れるか迷っているようでもあったが、また足を止めた。急にオオカミたちが来た道から浅瀬の水を撥ねる低い音が、地面を揺らしたからだった。数百匹のバイソンの大群が真っ直ぐに、オオカミを目に入らないかのように突進してきた。上手く逃げ損なった数匹のオオカミはバイソンの群れに跳ね飛ばされ踏み潰された。バイソンの群れはただ、水辺の草を食べるためにやってきたのだ。バイソンも何かを踏んだかもしれない動物のことは何も気にせずに、草地に到着すると悠然と食事を始めた。また始めてバイソンを見た若いオオカミはそのたくさんの足跡と糞に顔を近づけて息を吸った。

この日、オオカミの群れは何も獲物にありつけないまま谷底を走っていた。谷底の切り立った片側の崖には切り株や山腹から落ちてきた枯れ枝が積もっていた。その崖の中腹には生えている木の実を集めているヒトの男と女がいた。群れの半数ほどに減ったオオカミたちは、自分たちの獲物だと思ったのだろう。人がいる山腹の下に集まると激しく吠え立てた。人がいる崖の中腹のすぐ上の岩肌が反り返っているため、そこから上には登れない。一匹のオオカミが崖を登り人の女の足に噛みつくと、男がそのオオカミを蹴り落とす。すぐに二匹のオオカミが崖を登り、男の足に噛みついて下まで引きずり落とした。男はあっというまにオオカミに囲まれ肉と骨を噛み砕れた。すぐ隣に男の体が粉々になるのを女は見て体をこわばらせた。男を食べる輪に入れないオオカミが女を目がけて崖を駆け上る。女は必死に足を引いて避ける。オオカミはさらに女の頭の高さまで駆け上り、女の顔をひと舐めした。おまえはおれの獲物であるという印のように。オオカミはいったん力を弱めて下まで降りてから、上で怯える女の顔を見た。オオカミには怯えたように見えたかもしれないヒトの女は、大きな声で叫んだ。この時の人はいまのあんたたちと違って面倒な言葉を持っていなかったが、自分の死を恐れて怯える叫びではなかった。この女の器からの大きな音がおれの体の中に流れる水を揺らしたのだ。そして、もう一度女が叫び声をあげると、おれは口から炎を吐いた。

炎はその崖の下にいるオオカミたちを火で包んだ。オオカミは燃える火の中で男を食べる続けることも出来ず、女に向かって駆け上がることも出来ず、叫び声を上げることも出来ず、駆け回ることも出来ずに、ただ初めて見た炎に体を焼け焦がして死んだ。女もまた初めて見た炎を見続けていた。天から降ってきた炎は、月と地面を太い木の幹で繋がっているように赤く輝いたが、今はオオカミと地面にある枯れ木を燃やした黒い煙を舞い上げていた。女は長い間崖の中腹にいたが、オオカミたちが炎の中で動かなく倒れてから暫くたつと、崖をゆっくりと降りた。女はまだ周りの枯れ木や切り株を燃やし続ける炎をじっと見ていた。炎に体を近づけてはその熱さを感じて一歩だけ身を引くが、火の熱さを感じられる間近に立ち続けた。女にも、火が命のひとつであることがわかったようだ。オオカミの毛と体を焼き焦がした動物の糞を濃くしたような匂いが周りに漂っていた。女は火の勢いが衰えて焦げたオオカミの姿が現れると、男の体のかけらを見つけようと炎が燻る中を焦げたオオカミの体を探すが探すことが出来ない。焼けた土に顔を付けるようにして、男の体を探す。女は泥の中を這っていると、男の足跡を見つける。女は立ち上がって男の足跡に自分の足をそっと重ねて二歩三歩歩くと、大きな叫び声を上げて倒れた。

地面から次第に大きくなる太鼓の音が聞こえた。あいつが怒って叩いているのは分かった。それはそうだろう。おれだって、何故あそこで火を吐いてしまったのか、自分でもよくわからないのだ。あいつはおれを呼んでいる。噂ではあいつだけはおれたちを殺すことができるらしい。早く戻ってこいと呼んでいる。殺されてみるのもいいかもしれない。でも、もうしばらくは。おれはもう暫く、おれの「人」たちの様子をこの「球」に乗って見てやることにした。♪ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。とあいつの太鼓は鳴り続けた。

近くにいたヒトの男と女たちがやってきた。焼き焦げたオオカミを見て何が起きたのかと驚いた。そして、すっかり冷めたオオカミの焼き焦げた体と、地面に倒れて気を失っている女を自分たちが住む洞穴へ持ち帰った。女は熱い火を仲間に説明しようとしたが、どうしても伝わらなかった。焦げたオオカミの肉は食べることが出来た。仲間はどうしてこうなったのか女に尋ねたが、どうしても仲間たちは女の説明が理解出来なかった。それは言葉が無かったからではない。仲間たちには、女が確かに伝えていた、火を理解するだけの想像力が少しだけ足りなかったのだ。その日の月が明るい夜、同じ洞穴に寝る年老いた男が火を見た女の体を寄せて性交を迫ってきた。それは少しもおかしなことではなかったが、女はこの男を拒絶して、近くにあった大きな石を持ち上げた。そして逃げ出す男の頭へ石を振りかざして落とした。周りの男と女も、その女の突然な暴力の意味が分からず動けない間に、女は男に馬乗りになって何度も何度も頭を石でうち下ろした。女は死んだ男の血で顔も手も赤く染めると、立ち上がって仲間の洞穴から出ていった。一本の骨と一個の石だけを持って。月の光を背にして立っていたオオカミとおれ以外は、女の行き先は分からなかった。

次の日、女は浅瀬の近くに低木草が生える場所で、骨と石を使って穴を掘っていた。一日かけて自分の肩ほどの深さの穴を掘った。穴には枝と草をかけて目印を付けた。また次の日は場所を変えて、穴を掘った。また次の日も次の日も別の場所に穴を掘って、穴が10個出来たときに、一つの穴に子供のイノシシが落ちていた。次の日も穴を増やしたが、また子兎が穴に落ちていた。女は動物たちの通る道を知っていた。そこへ上手く落とし穴を掘って隠した。女はもっとさらに巧妙で大きな落とし穴を作ると、鹿や熊が落ちることもあった。女は妊娠をしていた。次第に女の腹が膨れていった。毎日のように動物が穴に落ちると、肉には困らなくなり、動物が穴に落ちる度に、仲間がいた洞窟へそっと肉を置いていくようになった。

ある日の午後、女は自分で小さな穴の中に入った。自分で自分の体を抱きしめると力を入れて子供産んだ。穴から出て、水で子供を洗うと、大抵穴の中に子供と一緒に過ごした。近くには水も木の実も豊富にあり、あとは毎日落とし穴を調べるだけで生活は困らなかった。ただ、落とし穴に落ちた動物に骨でとどめを刺すときも、暗闇で赤ん坊を抱いているときも考えることは、あの火のことだった。女が眠りにつくとまもなく、獣の気配を感じた。何度も嗅いだ、オオカミの匂いだった。目を上げると、穴の上からオオカミの目が幾つも穴の中をのぞき込んでいた。オオカミたちはうなり声を上げていた。女が上を見上げると、オオカミのうなり声は喜びの声に聞こえた。耐えきれないように、一匹のオオカミが女の体に向かって飛び降りた。それを計っていたかのように、オオカミの顔を槍骨で突き刺した。上でそれを見ていたオオカミは一瞬だけ怯むが、二匹のオオカミが同時に女を目がけて飛び降りた。女は赤ん坊を隅に押し寄せ、さらに別の槍骨でオオカミに抵抗するが、一匹を刺すと別の一匹に体を噛まれる。女が槍を持ちながら抵抗を続けると、オオカミが次々に穴に飛び込み狭い穴の中は、十匹ほどのオオカミの銀色の毛で女の姿は覆われた。オオカミのうめき声を遙かに打ち消すほどの大声で女は叫んだ。すると、おれはまた洞穴に向かって火を吐いた。前よりも、より強く激しい炎は天から小さな穴を突き刺さした。♪ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。あいつがまた怒っている。わかってる。もう少し待ってくれ。もう少しでおれは、あんたのところへ行くけるよ。

この炎の柱は、女が洞窟で暮らしていた時の同じ群れにいた者達も、夜空に響く音と共にその炎を見ていた。そして群れの男たちは炎を見て興奮した様子で、手に手に槍をもち火柱が立つ方向へ走った。男達は興奮して声をあげながら、草原を走りぬけた。小さな崖を降りた一帯の草が炎で焼き尽くされていた。あの自分たちの洞穴から見えた炎はすでに消えていた。さらにその一角は穴が空いていて、鼻につく強い匂いをした煙が湧き出ていた。穴に近づくと、前に見たのと同じようにオオカミの焼き焦げた死体がいくつも埋まっていた。男たちは、オオカミに襲われた女ひとりが助かった原因が、あの天から赤く光り輝いた炎であったのかと理解した。そしてまた労せずに手に入れられたオオカミの肉を穴から引き上げた。オオカミは全部で10匹いた。そしてオオカミの下には、あの群れから去っていった女の死体があった。女は体中がオオカミからの噛み傷だらけだったが、自分の体と穴の底との間に石で空間を作り、そこに赤ん坊がいた。生まれて数ヶ月の赤ん坊は、親の死に際にもやすやすと眠っていた。♪ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。

赤ん坊は、また洞穴の群れに引き取られて、男と共に狩りをする力が強く足が速い娘として育った。おれは、それから何度か娘と群れが危ないところを火を吐いて助けた。♪ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。彼らにとっては、火が自分たちを助けてくれることに気づかず、ただ恐れの対象でしかないようだった。ただ娘だけは、いつまでも火を見続け、魅入ったように、火が衰えて最後の煙が消えるまで火を見続けた。次第に火は、木や草があれば長く燃えることに気づき、燃える火の中に木をくべて燃える時間を延ばせることを覚えた。ただし、そこまでだった。どうしても、火を見て、火に惹かれても、自分で火を熾すことができるとは思えなかった。そして、娘もそうなのだが、火を見た者は誰もが決まって、穴を掘った。動物の落とし穴のためではなかった。遠くへ狩りに出かけるときも、人は穴を掘ってそこで休んだ。次に穴の中に食べ物を貯蔵することを始め、次には死んだ仲間も穴を入れた。彼の使っていた道具と一緒に穴にいれ、土で埋めてそこへ花を植えた。人は火があると、肉を焼けて、焼けた肉は保存ができることを知った。人は火があると寒い雪の日の夜も温かく過ごせることを知った。山の麓で燃える火を絶やさないように、男達はそこら一帯の木を全て切って燃やし続けようとしたこともあった。しかし、それでも彼らは自分で火を熾そうとはしなかった。あいつが、「人」から「火」を取り上げたというのは、こういう事だったのかもしれない。♪ドンドンダン、ドンドンダン、ドドダドドダドドダ。

あの娘が女となり、また男と交わり女の子供を産んだ。女は子供を群れに預けて、男達とともにマンモスの狩りに出かけた。女は次第に、どういう時に火が落ちてくるのかが分かってきた。自分が危険な所にいるとき、動物に襲われる時。そんなの時には決まって自分の周りには炎が現れるのだ。男達もわかってきた。彼女こそが、天からか火を呼び起こしているのだと。それ故、彼らは何度も巨大なマンモスを炎で焦がし、狩りに出れば必ずマンモスの肉と牙を持ち帰った。持ち帰った牙や皮を周りの部族との取引に使い、女の部族は栄えた。女が火を使ってマンモスを容易に倒すという噂も広まり、今回のマンモス狩りには近くの部族の数百人がこの狩りに同行した。一生になって雪が降り始めた荒れ地を一週間歩き続けた。誰もが、マンモスに会えば、女が炎でマンモスの群れを全滅させてくれると信じていた。女の周りには最も強く逞しい男がかしずき、毎日全ての部族から贈られる高価な貢ぎ物で囲まれた。女が自分の洞穴から出て丁度一週間目に、マンモスの群れに遭遇した。

50匹ほどのマンモスは身を寄せ合うようにして雪の舞う大地を歩いていた。狩人たちは、大声を上げ、太鼓を叩いて、マンモスへこちらに気を引かせた。狩りの腕に自信のある男達は槍を構えてマンモスへ突進するが、集団で機敏に動くマンモスに容易に跳ね飛ばされ、踏みにじられた。女が先頭に立つと、悠然と進み部隊の男達がその後ろについてマンモスへ近づいた。マンモスが目の前に近づくと、女は大声を上げた。それがいつも自分が危ない時にするのと同じやり方だった。しかし、この日は何も怒らなかった。おれは火を吐かなかった。女は正面から来るマンモスが上げた前足に踏み潰された。先頭の女が何も出来ずに踏み潰されると、男達は逃げるしかなかったが、また狂ったように暴れ回るマンモスの群れによって、今回の狩りの部隊は蹂躙された。おれは、やはり火を吐かなかった。マンモスの攻撃から生き残った者達は槍を捨てて、ただただ絶望だけを背負ってまっすぐ来た道を急いで帰るしか無かった。女の部隊で生き残った男は一人もいなかった。女と共に前方を歩いていた男達はいち早くマンモスの足と牙によって、全員が命を絶たれた。おれが火を吐かなかったからだ。

この部族の小さな丘を越えた所にまた別の小さな部族があった。そこには一人の男だけが帰ってきた。しかし男の腕は曲がり腹もマンモスに蹴られて骨が折れていた。男は帰ってきても、何も仲間の役に立てないだろうとはわかっていた。それでも、家族の顔を見たかった。洞穴に入って、家族に挨拶だけをすると、洞穴の外に出た。自分は今日の夜に死ぬだろうから、明日の朝までここに来るなと、仲間に態度で伝えると、年老いた者たちは理解した。男は一度だけ、女の前に火が落ちてくるのを確かに見たことがあった。その炎は熱く美しかった。男は熱い炎を想った。この寒い星空の下で、男はもう一度炎が現れ、その中に入る自分を強く想った。

おれは男に枝を持てと命令した。その枝をこすれと命じた。男は、朦朧とする意識の中で枝と枝をこすり続けた。一時間擦っても何も起こらなかったが、男は体と魂を振り絞って枝を擦り続けた。次第に洞窟の中で見ていた子供達が近寄ってきた。二時間近く経ち、男の枝を握る手も血が滲んできたが、おれは男にそのまま擦れと言い続けた。おれは男を励まし続けた。すると木と木の削られた箇所から煙が出てきた。洞窟の中にいた女や年老いた者達も全員が出てきて男を囲んだ。煙は周りにいる誰にも見えるようになった。男は泣きながらしばらくは枝を擦り続けた。その時命が絶え、枝を動かすことが出来なくなった。小さな煙も消えてしまった。それを見ていた子供達は、死んだ男の周りで男と同じように枝を擦り続けた。すると次第に何人もが「おおお」と声をあげて木に煙を出し、そこから炎を現した。子供達は何度もやり直し、小さな煙から枯れ草に移して、火を熾すことに成功した。おれは何も説明したわけではない。子供達の熾す火は、優しく暖かかった。それは人が始めて火を熾した。改めて人が火と出合った瞬間だった。

子供達は火を大切そうに運び、洞窟の中に入れた。♪ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。近くには枯れ木を置き火を絶やさないようにした。火の周りに洞穴にいる部族の全員が集まった。誰もが火を恐れてはいなかった。火を囲みながら、火の動きと火の匂いと火の音をみんなは聞いているうちに安らかになった。♪ドドダドドダドドダ、ダンダンダン。とあいつが鳴らす太鼓の音がした。火が人間に与えた一番の変化ってやつは、火を中心にして人が安らかに集まることだった。それで人はいっぺんに進化した。そうだろう?このひとつの火から、音楽が生まれ、人の手先は器用になり、言葉が発達していくのだ。まあ、こんなものでいいのかもしれない。と思っておれは、あいつのところへ帰ることにした。最後にあと一発だけ、おれは「球」の真ん中の奥深い所へ向かって大きな火を吐いて締まった。そして、おれは尾を一振りさせて、あいつの所へ向かった。もちろん、そこで火を熾した部族が、火を利用して多くの部族を打ち倒していったことまではおれは知らない。もう、それはおれに関係のないことだろ。

4

おれは、あいつのもとに帰った。誠意ってやつをぎゅうぎゅうにつめ込んで、あいつにどれだけ説明すればいいだろうと考えるまもなく、おれはあいつに首を落とされた。♪ドンドンダダンダ。まあいい、おれも「球」の生き物たちのように、死ぬってやつに憧れていた。ああ、これで終わりか。♪ドンドンダダンダ。おれの切られた首は地上に落とされた。それがどこにあるかは、おれも知らないんだ。ただ世界中のどこへ行っても、誰でもおれ「龍」のことは知っているだろう。そして、いつになっても、どういうわけだか、みんなおれの物語を作り続けるのだ。龍のおれは死んだわけだが、あいつがおれにしたことは、おれの首を切ったことよりもっと酷い。おれは、おれが作った「人」として、この「球」の命がなくなるまで付き添わなければいけなくなったってわけだ。♪ドドダンンドドダドドダン、ダンダンダンドドン。「おまえの体には底なしの穴が空いている」あいつは、たぶんそんなことを言ったのかもしれない。

5

 おれは鏡を前にして丁寧に髪の毛にブラシをあてる。ワイドシャツにはウインザーノットを隙無く結ぶのが一番いい。もう太鼓の音が消えてから長い時間がたつ。あいつの言ったことは、正しかったのかもしれない。何が正しいってわけではないのだ。「球」は死んだわけではないのだから、もう一度、最初からやり直すのが、あいつは面倒なだけなのだ。おれが、この「オンカロ」の中に全部しまい込んだから、あと100万年だけここにいて、そうしたら、また太陽の下に出してやる。まあいいさ。巨大な地下トンネルの中には巨大な棚に小さな植物や微生物が貯蔵されている。おれは、この棚を見て、地下のトンネルを歩く。どこまでも、毎日裸足であるく。地面はぬかるんでいる。ときどき、地面に足跡をみつけることがある。ほら。これは、きっとあの女の子の足跡だ。そして、その足跡におれは自分の足跡を壊さないようにして、そっと足を重ねて歩いて行く。

 

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