梗 概
三十人三十通り殺人事件
二〇三八年二月、住人の生体情報をリアルタイムで読み取り環境が身体に合わせ続ける生体連動型マンション「レジデンス・ホライズン」で全三十戸の住人が死亡した。前夜二十三時から翌朝五時の間。死因は心不全、低体温、敗血症など三十人すべて異なり、共通の殺害手段が存在しない。
探偵・帳まほろが解くのは謎ではなく、謎を生んでいる常識のほうだ。常識外を生業とするまほろは三十人が死んだマンションに泊まり込むと当たり前のように決めた。記録係の綴つむぎに拒否権はない。
警察では設計者・眠宮想の容疑が濃厚とされていた。重病者を選んで入居させ生体データを監視し、投資家宛書簡に「三年で結果が出る」の一文があった。壁面電極で神経に作用する隠し機能「環境処方」も発覚し捜査本部は計画的犯行と断じた。滞在五日目、つむぎの慢性腰痛が消えている。数日で身体が変わる——現場がまだ生きている。住人の既往症の数値も入居後に改善していた。回復は本物だった。マンションでは年一回の法定点検でAIを停止する。一年目は何事もなかった。二年目の停止の夜に数名が体調不良を訴えたがAI復旧で回復し問題視されなかった。三年目の停止の夜が事件だった。
つむぎが仮説を立てる。環境処方は微弱電流で症状を抑え込んでいただけで治癒はしていない。AI停止で抑制が外れ疾患が噴出した。捜査本部もこの線で眠宮犯行を固めにかかる。だが環境処方を拒否していた住人も死んでいる。つむぎの仮説が崩れる。
まほろが一つだけ訊く。つむぎの腰痛を消したのは何だ。つむぎは環境処方を受けていない。殺したのは攻撃ではない。環境処方を外しても空調・湿度・腸内細菌叢管理・代謝補助は全戸共通だ。つむぎが既往症以外の全生体記録を遡る。自律神経・免疫応答・体温調節——病とは無関係の基礎機能が入居後一年ごとに低下していた。環境が恒常性を代行し使われない機能が退化した。病は治った。しかし病と闘う力ごと失われていた。退化は三年で不可逆点を超え、停止の夜に各人最も脆弱な系統から破綻した。世話そのものが凶器だった。死因が三十通りに分かれた必然があった。
令状で眠宮宅に踏み込む。生活から仕事までAIが代行する居住実験の最終形だった。その中心で眠宮が死んでいた。死後一年。AIは停止していなかった。死因はあっけないただの心臓発作。環境がどれほど完全でも心臓を代わりに動かすことはできない。彼の家は死後も業務を処理し、存在を代行していた。環境にすべてを預ける彼の信念は本物だったが、環境は預けたものを返すことはなかった。
真相に犯人はいない。まほろの報告書は前例となり、以後スマートホームの死亡事案で環境代行による機能退化が考慮されることになった。常識がまた一つ書き換わった。
つむぎが帰宅するとキッチンが腸内フローラに合わせた夕食を提案してくる。三十人を殺した仕組みを知っている。知っていて断れない自分がいた。
文字数:1200
内容に関するアピール
SFならではのエンタメとは何だろうと考えたとき、自分の中では「読者の価値基準が変容する体験」だという答えが出ました。本作では「世話が人を殺す」という認識の転換を、ミステリの推理構造を使って読者に体験してもらうことを目指しています。前回の講座で学んだミステリの技法を活かしつつ、SFの道具立てで構築しました。 帳まほろと綴つむぎはシリーズ化を前提に拡張性のある世界観を設定しています。
技術が常識を追い越すたびに不可能状況は生まれるので、二人の事件簿はテクノロジーが進む限り続きます。梗概では物語の骨格を優先しましたが、実作では二人のキャラクター性を表現するのに挑戦したいです。常識の外側に平然と立つ異質な探偵と、振り回されながらも記録者の矜持で真相に食らいつく助手。この二人の関係性こそが、読者にシリーズを追いたいと思ってもらえる核になると考えています。
文字数:375




