小惑星サラ

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梗 概

小惑星サラ

幻獣たちが棲む小惑星サラで事件は起こった。地球人が足を踏み入れたのである。それも、幻獣たちを生け捕りにするために。無抵抗で、か弱い幻獣たちが宇宙船のシェルターに収容されてゆく中、ユニコーンだけが力の限り抗った。大勢の地球人は必死に捕まえようとしたのだが、あまりの怪力に対抗できなかった。

そこでピエタが登場する。ピエタは地球上での格闘技世界チャンピオンで、一度も負けたことがないほどの猛者だった。さっそく対峙するユニコーンとピエタ。思いのほか苦戦を強いられたピエタだったが、途中で空高く飛び跳ねて、ユニコーンの角を掴み力を込める。すると角が根元から音を立ててもげたのだった。角が最大の弱点だったユニコーンは力の限り叫び、その場に倒れた。
ユニコーンの角は地球上にあるどんな宝物よりも美しく、輝いていた。人間たちは、幻獣たちとユニコーンの角を地球に持ち帰って高値で売ろうと企てる。彼らが宇宙船に乗り込んだその時だった。突然ユニコーンの角が爆発したのだ。爆発によって宇宙船は完全に故障し動かなくなってしまい、幻獣たちも人間たちも命を落とした。しかし、少し離れた場所にいたピエタだけは運良く命拾いした。

それからというもの、ピエタは食料や水を求めて放浪した。砂漠が続く中で、ようやくオアシスを発見する。駆け寄って行き、浴びるように水を飲んでいると、幻獣・ケルベロスと出くわした。三つの犬の頭を持つ恐ろしい幻獣の容貌を見たピエタは恐る恐る水を差し出す。するとケルベロスは意外にもピエタに懐いた。オアシスには果物があり、食事には困らなかった。心の優しかったピエタはケルベロスをぞんぶんに可愛がった。

ある日のことだった。地球人への復讐をするために、ユニコーンの群れがピエタめがけて襲いかかってきたのだ。数十頭ものユニコーン相手では流石のピエタも手の打ちようがなく、観念した。と、その時、ケルベロスがピエタの前に立ち塞がった。ケルベロスはユニコーンたちに、ピエタの擁護をすべく幻獣世界の言葉で話しはじめる。結果、ユニコーンの群れは引き返した。ピエタはケルベロスの優しさに感動する。

翌朝、とある地球人のハンターがオアシスに現れる。ハンターはケルベロスを見るや否やライフルを構え、引き金を引こうとする。その瞬間、ピエタはケルベロスを守ろうと突き飛ばした。胸に銃弾が当たったピエタはその場に倒れる。ケルベロスは怒り狂い、ハンターを噛み殺した。
 
やがて、小惑星サラの砂漠の上にピエタの墓が立った。ケルベロスは水や果物を供え、悲しそうに吠えた。それ以来、多くの幻獣たちの間でピエタは特別な存在となる。地球でいう聖書のような特別な書物にピエタに関する記述が刻まれた。

『異星人ピエタ、我々の永遠なる英雄となる』

一方、地球では新たな格闘技世界チャンピオンが誕生し、ピエタの存在は時間と共に忘れ去られてゆくのであった。

文字数:1190

内容に関するアピール

ひねった箇所は、以下の二箇所です。

①獰猛なケルベロスが、いとも簡単に地球人のピエタに懐いた。

②ピエタは、小惑星サラでは英雄になったが、地球では存在が風化し、忘れ去られてしまった。

幻獣が好きです。参考文献に、ボルヘスの『幻獣辞典』を用意しました。ユニコーンの設定に関しては完全にオリジナルですが、弱点である角は、爆弾としても機能します。要は追い詰められた時に爆発する厄介なやつです。ケルベロスの設定はデフォルトです。SF×ファンタジーのアプローチで実作を書きたいと思います。

文字数:236

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小惑星サラ

砂を巻きあげる風の音に混じって遠吠えが聞こえてくる。
 此処、小惑星サラは酸素量も重力も地球とほぼ同じであり、生物——地球でいうところの幻獣——が生息するには十分すぎるほどの環境だった。幻獣、とは言っても彼らは比較的穏やかな性格であり、サラは治安の良い小惑星として成り立っていた。全体の八割は砂漠に覆われており、残る二割は謎のヴェールに包まれていた。時折吹く風は優しくなびき、地面の砂を微かに揺らしてゆく。雨は滅多に降らず、干ばつになることもあったが、幻獣たちの強き生命力にとっては何ら問題がなかった。真に危険なのは自然災害などではなく、サラを侵略しようとする異星人の存在だった。その時ばかりは、元来大人しいはずの幻獣たちも牙を剥き、力に対し力で対抗していた。異星人に最も恐れられていたのはユニコーンの存在である。幻獣たちのリーダー的存在だったユニコーンは、時々やってくる異星人を悉く追い返すほどの強さを誇っていた。一度怒らせると酷く獰猛になり、生け捕りにするのはほぼ不可能だった。
 様々な異星人がサラに近づくのをやめた時期のことだった。長年の天体観測を続けてきた地球人がついにサラを発見したのである。そのうえアメリカと日本が共同で研究を続けた結果、世にも珍しい生物が存在することが分かった。地球人は彼らを生け捕りにして金儲けをしようと企てる。
 チームの統率をしていた日本人のササキが、
「油断は禁物だ。なかにはどんな生物がいるか分からない。いざという時のために武器だけではなく格闘技の世界チャンピオンも同行させたいと思う。異論はないか?」
 と言うと、一同無言で頷いた。
 早速、世界チャンピオンのピエタに連絡を取り、計画は順調に進んでいった。ササキがピエタに嘘をついたのは、「計画の目的は金儲けのためではなく、地球人と未知なる生物との親睦を深めるため」という点である。ササキはピエタの性格を見抜いていた。腕っぷしはいいが、純粋で心優しく、裏を返せばお人好しで騙されやすいという性格を。
 宇宙飛行士は六名となった。ササキ含め日本人三名、アメリカ人二名、そしてイタリア人のピエタ。宇宙船が動き出すと、皆、緊張した面持ちとなってサラへの到着を待った。

 月日が流れた或る日のこと。サラに棲む幻獣たちは一斉に空を見上げた。ある飛行物体が近づいてきたからである。ここしばらく異星人の来訪はなかったはずなのに、また面倒なことになる——と幻獣たちは困惑した。
 いよいよササキたちを乗せた宇宙船はサラに降り立った。
「ササキ様、サラに到着しました」
「うむ。思ったよりも生物が多いようだな。見たところによると小動物ばかりなので何とかなるだろう。では始めるぞ」
 宇宙船の扉が開き、宇宙飛行士たちは武器を片手に幻獣たちを捕獲してゆく。今までは抗っていたはずの幻獣たちだが、地球人の使う麻酔銃には抵抗できず、眠らせられ、どんどんと宇宙船のシェルターに収容されていった。
 おおよそ二十頭もの幻獣が収容されたその時だった。遠くから物凄い速度で走ってくる生き物がいた。胴体は白馬のようだったが、額の真中から黄金に輝く角が突き出ており、他の幻獣たちと比べても圧倒的に巨大な身体をしていた。伝説の幻獣ユニコーンである。
「皆の者! 撃て!」
 ササキの命令によって地球人たちはユニコーンめがけて麻酔銃を撃った。しかし、鋼鉄の胴体は弾丸を全てはね返す。
「ちっ、化け物め」
 地球人たちはユニコーンに恐れをなし、宇宙船の中に逃げ込んでゆく——ピエタ一人を除いては。ピエタは麻酔銃を地面に置いて戦う体勢を取った。他の者たちはピエタに声援を送る。
 ユニコーンは凄い勢いで、ピエタに駆け寄ってゆく。
「来い!」
 ピエタは臆することなく、ユニコーンの顔面にカウンターで蹴りを浴びせた。が、ダメージは全くないようで、ビクともしない。それでも怯まず、ピエタは攻撃を続ける。次にユニコーンが突進して来たので、ピエタは身をかわし、背中に飛び乗った。ふるい落とそうと激しく動くユニコーン。ピエタは背に乗ったまま額にある角を強く握った。するとユニコーンは大きな雄叫びをあげた。角が弱点だと分かったピエタは全身全霊で角を握る両手に力を込める。次なる瞬間、角は根元から折れた。ユニコーンはさっきよりも大きな叫び声をあげ、その場に倒れる。
 宇宙船から皆が駆け寄ってきた。地面に佇んでいるのは虫の息と思われるユニコーンと、もがれた金色の角。
「よくやったな。ご苦労だった、ピエタ」ササキはピエタの肩に手をやる。
 隊員たちはユニコーンの角をまじまじと眺めて目を輝かせた。「こんな美しい角、いや、宝物は見たことがない。地球上のどんなものよりも価値があるぞ。売れば億万長者になれるかもしれない」
 ピエタが横ばいになったユニコーンを心配そうに見つめている間、他の者たちは角を大事そうに抱えて宇宙船へと戻っていった。
「おーい、地球に戻るぞ、ピエタ」ササキは宇宙船の入口付近から声を掛けた。
「船の中で待っていてください。ユニコーンがちゃんと立ち上がれるまで様子を見ます」
 隊員たちは宇宙船の中で、ユニコーンの角を分析しはじめた。各々手袋をはめて、高機能カメラを使い、様々な角度から拡大してゆく。
「やはり見たこともない成分からできてますね」
「そうだな。——ん? なんだこの臭いは?」
 突如、角から煙が立ち込めはじめた。
「みんな逃げろ!」
 角が光った、と思うと同時に激しい爆発音が鳴り響いた。宇宙船全体に業火は広がって、乗っていたあらゆる人間、幻獣たちは焼かれてゆく。一度のみならず二度三度、爆発音は続き、地獄絵図は展開されていった。
 誰もが死亡したと思われた中で、生き残った人物がいた。宇宙船から少し離れた位置で伏せていたピエタである。その隣には角を失ったユニコーンが手足を微かに動かしながら、目を閉ざしていた。
 ピエタは激しく燃えさかる宇宙船に向かって心の限り叫んだ。しかし、反応は全くない。あまりに突然の出来事だったため、何もかもよくわからないままピエタは瞳を濡らす。
「みんな……」
 ピエタは轟々と燃えゆく宇宙船を呆然と眺め、砂漠にしゃがみ込んだ。救助しに行きたかったが、見るも無残な焼け跡を見ていると、無力感に苛まれ、一歩も動けない状態となっていた。
 ふと傍らで荒い呼吸を繰り返しているユニコーンに目をやると、ピエタはどうすることもできず、いよいよ自分のしたことを後悔し始めた。
「すまなかったな……」
 拝むように手を合わせる中、ユニコーンの呼吸は電池の切れかけた時計の秒針のように徐々に遅くなり、ついには止まったのだった。

 小惑星サラは、太陽から離れているにもかかわらず、靴底にまで熱が伝わってくるほど暑かった。そんな中ピエタは途方に暮れながら、砂漠の上をひたすら彷徨い続けた。全身から噴き出した汗は火照った身体を若干冷やしてはくれたが、何しろ数時間、水分を摂っていないないことからピエタは脱水症状になる寸前であった。視界が大きく歪んだ時、近いうち自身がここで餓死することを案じていた。
 意識が朦朧とし、倒れそうになったその瞬間、遠方に見慣れない景色を発見した。まさか——と思いきや、絵に描いたようなオアシスが視界に飛び込んできた。瑞々しい植物の香りが風に乗って運ばれてくるので間違いない。ピエタは目を輝かせながら走った。
 地球でいうところの南米ペルーの砂漠を彷彿させるそのオアシスは青々しい湖と、それを囲む緑の木々で構成されていた。ピエタは衣服を脱ぎ捨てて湖に飛び込む。全身の熱は引き、喉の渇きもあっという間に潤すことができた。そのまま平泳ぎをして、畔へと戻る。
 見渡す限り、植物以外の生物は存在しない。ピエタは安堵し、汗を大量に吸い込んだ衣服を湖で洗い、木の枝にかけて乾かした。時間の感覚が地球と違って分からなかったので空を見上げると、いつの間にか薄暗くなっていた。
 オアシスを見つけて喜んだのも束の間、今度は空腹感に襲われた。直後、どすっと音が鳴った。どうやら近くの木から林檎のような果実が落ちてきた様子。ピエタは一目散に果実にしゃぶりつき、芯に歯が触れるまで凄い勢いで食べ尽くした。辺りに同じ果実が落ちていたので満腹になるまで胃袋の中へと放り込んだ。もはや孤独への恐怖や、未来への不安など忘却していたピエタは湖畔で大の字になる。今を生きることに必死になるあまり、未来のことなど二の次になっていた。

 何処からか、唸り声が聞こえてくる。犬、もしくは狼のような声。ピエタはすぐさま起き上がり周囲を見渡す。すると木々の陰に影が見えたような気がした。
「誰かいるのか」
 叫んでみると、唸り声はいっそう大きくなった。ピエタがもう一度叫ぶと影の正体はついに姿を現わした。胴体は犬のようだが、三つの頭を持つ幻獣だった。
「もしかして——」ピエタは何処かで見たことのある幻獣をじっくりと眺める。「ケルベロス、か?」
 幻獣は心なしか頷いたように見えた。
「どうやら当たりのようだな」ピエタは言った。「俺はもう故郷の星に帰ることができない。頼むから危害は加えないでくれ」
 ケルベロスはゆっくりとピエタの方へと歩いてきて、六つの瞳をちらつかせた。ピエタは思わず目を瞑った。いくら腹が満たされたからといって、長きに渡る放浪の疲れが残っており、戦う気力など残されていなかった。
 気配がすぐ傍に感じられた時、ピエタは目を瞑り、ぐっと眉間に皺を寄せた。
 ——殺られる……
 そう思った時、ケルベロスの気配が遠ざかってゆくのを感じ取った。ピエタが薄目を開けると、ケルベロスが湖の水をぴちゃぴちゃと音を立てて飲んでいる姿が映った。何しろ三つの舌がそれぞれ独立して動いているのだから、世にも奇妙な光景だった。
 それにしても凶暴な容姿とは裏腹に、なんて愛らしい仕草なのだろう。ピエタは安堵したと同時に、傍らに置いていた果実をそっと差し出した。ケルベロスは水を飲むのをやめて、傍に置かれた果実に目をやった。三つの鼻をそれぞれ近づけては匂いを嗅いでいる。ピエタが祈るような仕草で様子を見守る中、ケルベロスは果実を一目散に食べはじめた。やがて芯まで飲み込むと、満足そうな顔をしてピエタに歩み寄った。
 さっきまで凶暴そのものだった六つの瞳が優し気なものへと変わるのをピエタは見過ごさなかった。
「美味かったか」ピエタは囁くように言った。
 意外なことが起こった。ケルベロスがピエタに身体を摺り寄せてきたのである。しかも子犬のように可愛らしい瞳で。直後、温かい風が吹いた。まるで今の平和なる光景に花を添えるかのように。悪魔が天使に変わる儀式が執り行われたといえよう。ピエタはケルベロスの頭を撫でた——三つそれぞれを、慎重に。
 するとケルベロスは尻尾を振ってピエタの顔を舐めた。
 奇跡だった。
 獰猛な悪魔的幻獣が、たったさっき知り合ったばかりの人間に懐くなんて。ピエタは驚きながらも胸を撫でおろしていた。
 太陽が沈み、猛暑が溶けてゆく頃、ピエタとケルベロスは湖畔で横になり、同じ景色を見ていた。言語が通じなくとも何処か分かり合える、そんな感じだった。実のところ、地球に帰る術を失ったピエタにとってケルベロスの存在は大きかった。何しろ、絶望的なまでの孤独感を埋めてくれたのだから。目を瞑ると、隣に命がある。それだけで満たされてゆくピエタの心。それはケルベロスに取っても同じだった。
「ありがとな、おまえのおかげで俺は正気を保てているんだ。本当にありがとな」ピエタはケルベロスの背中を撫でながら言った。「俺はユニコーンを死に追いやってしまった。はっきり言って後悔している。仲間たちのように、他の命を奪おうとすると天罰がくだるのかもしれん。俺も利用されていたのかもしれんが、もう二度と侵略や争いごとはしないとここに誓う」
 ケルベロスは一瞬微笑んだような表情を見せた。
「さてと、そろそろ寝るとするか」
 
 ピエタは夢の中で無数の蹄の音を聴いていた。音は次第に大きくなってゆき、途中で止まった。
 ——人間の匂いがする。此処か。
 はっきりと聴こえてきた声に目を覚ますと、オアシスの周りにはかつて見たことのある幻獣たちが軍隊のように群れをなしていた。これは夢ではない、と悟ったピエタ。取り囲んでいたのはユニコーンたちだった。
 彼らの瞳には平常心などなく、今にも襲い掛かってきそうな怒りを宿していた。この時ピエタは感じ取った。彼らが復讐心に燃えているということを。
「言葉がわかるとは思えないが、これだけは言っておく! ユニコーンの命を奪ったのはこの俺だ! 罪の償いとして一思いに殺してくれ!」
 ピエタの叫び声が響き渡った。そのまま、項垂れたような姿勢で棒立ちになる。
 ユニコーンたちはまるで言葉を理解したかのように、ピエタに向かって突進し始めた。
 ピエタが目を瞑り観念したその時だった。再び静寂が訪れたのである。何事かと、ピエタが薄目を開けると、ケルベロスが庇うようにして目の前に立ち塞がっていた。三つの頭はそれぞれ険しい表情でユニコーンの群れを睨みつけている。
「ケルベロス、なにを——」
 ケルベロスは一瞬ピエタの方を振り返り首を横に振った。今度は一番近くにいたユニコーンに近づいてゆく。
「obcueafknuvhurabdacbnnidmmokonamhfrr」
「vdamncolplxkmbanmx,coacc」
「udvcnofpakobaofmfnirioeyctaij」
 どうやら幻獣たちにしか分からない言語でやり取りをしているようだった。ピエタは固唾を呑んで見守っている。すると、次第にユニコーンが穏やかな表情に変わってゆくのが分かった。
「hncieaomcnieodkoeoaoencuieideia」
 ケルベロスの言葉が終わると、ユニコーンは深く頷き、背を向けた。何が起こったのか分からないままピエタが放心していると、ユニコーンたちは砂漠に向かって引き返していった。ピエタは、もしかしたらケルベロスは自分を擁護してくれたのではないか、と考えた。視界の中、小さくなってゆくユニコーンたちの群れを尻目に、ピエタはケルベロスに抱きついた。そして、繰り返す。ありがとう、ありがとう、と。

 月日は流れ、サラに季節の変化が訪れた。地球でいうところの秋だろうか。風に吹かれる葉のざわめきが耳に心地よい音を奏でる。空は深い青から琥珀色へと変わり、夕焼けをキャンバスに描いたような美しさを演出していた。もちろん地表の殆どは砂漠で覆われているので、全体の変化は乏しかったのだが、ピエタたちのいるオアシスは以前にも増して過ごしやすくなっていた。涼しい気候。尽きない食料と水。通じ合う心と心。
 故郷を失くしたピエタにとって、ケルベロスはもはや家族のような存在になっていた。時にはじゃれ合って遊び、時には互いの言語を教え合おうと語り合っていた。時間というものはまさに便利なもので、両者の距離をどんどんと縮めてゆくのであった。
 或る夜、ピエタは地球にいた頃の武勇伝をジェスチャーを交えて話した。その伝え方が面白かったからか、ケルベロスは声をあげて笑った。
 その時である。銃声が辺り一面に鳴り響いた。
 ケルベロスは顔をしかめる。どうやら前脚に銃弾が当たった様子。
「大丈夫か!」
 ピエタは駆け寄っていく。するともう一度、銃声が鳴る。
「惜しかったな。もうちょっとで化け物を仕留められたんだが」と木々の陰から声がした。
「誰だ!」叫ぶピエタ。
 がさごそと音がすると、全身黒ずくめの男が現れた。右手には巨大なライフル銃を抱えている。
「まさか——地球人か?」
 とピエタが訊ねると、男は、
「その通り。地球では一流のハンターとして通っている。お前はもしかして格闘技世界チャンピオンのピエタだよな。なんで化け物なんぞと一緒に暮らしてるんだよ」
「化け物なんかじゃない。こいつはケルベロスといってとてもいい奴なんだ。今すぐその銃を捨てろ。ここには水も食料もなんでもある。気が済むまで飲み食いしていけ」
「興味がない。そんなもんは俺の船にいくらでもある。俺はただその化け物を撃ち殺して楽しみたいだけさ。邪魔するならお前も一緒にあの世行きにしてやる」男は再び銃を構えた。照準はケルベロスに合わせている。「死ね!」
「やめろおお!」
 男が引き金を引いた瞬間、ピエタはケルベロスを突き飛ばした。銃弾は——ピエタの胸を貫いた。
「おっと、大馬鹿野郎のほうに当たったようだな。あはは! 次こそは化け物だ!」
 倒れたピエタを見たケルベロスは顔色を変える。次なる瞬間、凄まじい速さで男に駆け寄っていき、三つの顎で男の腕に噛みついた。男は叫び声をあげてライフル銃を落とす。
 ケルベロスの眼にはもはや穏やかさなど消え失せていた。野性のライオンのように、男を喰らいつくす。あっという間に男は血まみれの死体となった。上半身の肉はほとんど残っておらず、骨が見えるほどの痕跡となっている。赤く染まった牙を剥き出しにしながら、ケルベロスの表情は悲しそうなものへと変わった。
 ピエタは、微かに笑みを浮かべたまま横たわっている。
「ケル……ベロス……」
「……」
「……楽しかったぞ……友よ……」
「ピエタ……」
「……天国で……また逢おう……」
 そこまで言うと、ピエタは大量の血を吐き、白目を剥いた。
ケルベロスは瞳を濡らしながら遠吠えをした。悲しみを帯びた風がその場を吹き抜けていった。

 オアシスのすぐ傍の砂漠に、ピエタの墓は建てられた。
此処、サラには幻獣のみならず、二足歩行をする幻獣人が存在していた。ケルベロスは彼らにピエタとの思い出を全て語り、文字に起こしてほしいと頼んだ。最初、幻獣人たちは驚いた。なぜなら過去に訪れた異星人は邪心ばかりが目立っていたが故に、ピエタのような存在はいなかったからだ。ケルベロスはピエタの使う言語の一部を何となく理解していたので、彼がユニコーンの命を悪戯に奪ったのではないということ、とても優しく綺麗な心の持ち主だということ、そして自分を庇って命を落としたということを心に刻んでいた。その噂は瞬く間に幻獣、幻獣人たちに伝わって伝説となったのである。
 幻獣人たちはサラに棲む者たちのバイブル——地球でいうところの聖書のようなもの——にこう書き記した。
『我々の永遠なる盟友ピエタ、サラに眠る』と。
 新たに改稿されたバイブルは言葉の分かる幻獣、幻獣人たち全員に配られた。一部ではピエタが神格化され、救世主などと誇張されることもあった。彼らはバイブルから多くを学んだ。異星人同士でも心が通じ合うこと、孤独とはお互いという存在があってはじめて埋められるということ、時には自らの命を捨てて他の命を守る心を大切にすることを。

一方、地球では未だ連絡の取れないササキたちの宇宙船の行方を追っていた関係者がいたのだが、多忙を極めたことから捜査を打ち切ってしまった。彼らはまさか、ピエタが小惑星サラの伝説となったことなど考えもせず、格闘技の世界には異星で消息不明になったと伝えた。ピエタを失ったファンたちは残念がったが、すぐに新手のチャンピオンが現れると、そっちに目が行ってしまい、ピエタの存在など誰もが忘れてゆくのであった。
 しかし、ピエタの家族は毎日空を眺めては、溜め息をつき、時には泣きながら彼の帰りを待った。妻のアデリーナは毎日ピエタの写真を眺めては呟いた。「愛してる……」
 アデリーナがピエタと出逢ったのは今から十年も前。総合格闘技の試合を見たアデリーナがピエタのファンになり、熱烈なラブコールを送るようになってから交際が始まった。
 それから結婚し、男児をもうけ、家族三人で暮らす平和な日々が始まった。〈あの日〉が来るまでは——。

 最初はピエタが熱いオファーによって引き受けた仕事だった。占い師でもあったアデリーナは事前にピエタの未来を占うことにした。すると、小惑星サラへの派遣に関する事柄は凶と出たのである。ただ、凶とは言っても、いつもとは違う出方だった。別な角度から見れば、吉、総体的に見ると、凶といった具合に。大まかな占い方では埒が明かないと思ったアデリーナはタロットカードを使うことにした。すると未来に、〈死神〉と〈運命の輪〉の二枚が出たのだった。前者は、事故や怪我、或いはそのまま死を意味する。後者は、幸運、成功、宿命など。やはり矛盾していた。まるで、良いことと悪いことが同時に起こると教えられているように。ピエタがサラに旅立つ一ヶ月前、アデリーナはこの占いの結果を告げた。
「あなた、やっぱり行かないで。私の占いでは複雑な未来が示唆されているの。こんなことって数少ないことよ。何しろ死神と運命の輪という相反する二枚があなたの未来に出ているから、心配で……」
 するとピエタはアデリーナを抱き寄せて、優しげに言った。「大丈夫。アデリーナの占いは当たるかもしれない。でも今回のプロジェクトには俺が今まで積み重ねてきた全てを賭けたいんだ。指揮官を務める日本人もいい人さ。だから心配しないでくれ。占いよりも俺のこの目を信じてくれ」
 アデリーナは泣きながらピエタを見つめた。内心で、これでは何を言っても止められないかもしれない、と案じながら。
「どうしても行くの? ヴァンニも心配してるよ……」
「そういやヴァンニは何処だ?」
「二階よ」
 四歳の息子ヴァンニは母親似で、少々内気な性格だった。部屋に閉じ籠っては積み木遊びを繰り返してばかりの毎日を送っていた。
「おーい、ヴァンニ。パパと遊ばないか」
 はーい、と微かに声が聞こえてきたと同時にヴァンニは階段を駆け下りてきた。
「何して遊んでくれるの」
「そうだな。庭でサッカーをしよう」
「わーい」無邪気に喜ぶヴァンニ。「あれ? ママどうして泣いてるの?」
 アデリーナは慌てて袖で涙を拭いた。「来月パパが遠いお星さまに行くから寂しくて泣いてたのよ」
「え? パパどこのお星さまに行っちゃうの?」
 ピエタは一瞬、考え込んだが、覚悟を決めて言った。「パパはね、サラっていう星に行って不思議な生き物たちを地球に連れてくるんだ」
「連れてきてどうするの?」ヴァンニはきょとんとした表情になる。
「みんなで手を繋いで笑い合うんだ。いいかい、どんな生き物にも神様のような素晴らしさが宿っているんだ。時々俺たちは魚とか肉を食べるだろう。でもそれは、お互いがお互いの命を助け合うために神様が与えてくれたギフトなんだ。パパは遠くの星でそれを確かめてくる。だからいい子にして待っているんだぞ」
「お互いが、お互いを——」そこまで言いかけたヴァンニはにっこりと笑った。「うん、わかった! パパかっこいい!」
 父と子はこうして分かり合い、庭でサッカーボールを蹴り始めた。その様子を見たアデリーナは複雑な表情でもう一度瞳を濡らした。机の上には広げたままのタロットカード。
アデリーナはカードを入念にシャッフルしてケースに戻した。
 
 二十年もの月日が流れた。ヴァンニは名門の大学を出て恋人もできたが、時々思い出すことがあった。それは父ピエタと語り合ったあの日のことである。一時期はピエタの後を継いで、格闘技の世界に進もうと考えたが、勉学の方が楽しいため断念した。
長きに渡って、ヴァンニは母アデリーナと共にピエタの行方を追っていたのだが、やはり通信が途絶えたままとなっているらしく、これといった情報は掴めなかった。そんな中、ヴァンニが長い年月にわたり、着々と準備をしてきた計画がある。それは、自ら小惑星サラに赴いて、万にひとつ生きているかもしれない父を捜索することだった。
 アデリーナはヴァンニがそのような計画を立てていることを知っていたが、あえて止めなかった。なぜなら、心に引っ掛かっていたしこりのようなものを取り除きたかったからだ。最初はアデリーナも同行したいと申し出たのだが、健康診断において、持病の喘息が酷くなっているのを医師に発見され、ドクターストップがかかった。
 アデリーナはヴァンニの旅路について占うことにした。ヴァンニを目の前に座らせて、タロットカードを入念にシャッフルする。深呼吸してから机上に数枚並べていくと、近い未来に〈運命の輪〉が出た。あの時、出た片方のカードと同じである。
「ヴァンニは小惑星サラで、長い人生の中でも凄く貴重な経験をするわ。必ず」
「貴重な経験って?」ヴァンニは興味深そうに訊ねる。
「具体的には視えてこない。だけど、ぼんやりと浮かぶの。お父さんの姿が」
「お父さん、生きてるの?」
「それはわからない。ただ、あなたがサラに行くことは必ずいい結果を生む。応援してるから行ってらっしゃい」
「はい!」

 十月の初めだった。ヴァンニは瞑想をする習慣をつけていた。ところが、微かな不安と父への想いが募るばかりで、集中できない時も多々あった。それ以外では、小惑星サラに生息していると言われている幻獣の研究をしていた。仲間とはぐれて孤独の渦中に追いやられた時のために、安楽死できる処方薬を渡された瞬間は恐怖におののいてしまったが、そんな時は瞑想をし、無理矢理心を鎮めていった。
 ヴァンニは恋人には恵まれていたが、母親譲りの内向的な性格からか、孤独について考えることが多かった。地上に存在する様々な宗教を勉強したのだが——決して組織に属することはなかったが——なかなか孤独というものの正体が分からなかった。それもそのはず。地球上にある多くの宗教は形骸化しており、本来あったはずの真理と言える教えが薄まっていたのだ。
 何が真実か、嘘か分からないまま、知識欲だけが肥大化し、ヴァンニはますます悩みを増やしていった。特に読み漁った書物は、コーラン、聖書、仏典、バガヴァッド・ギーターである。一定の距離を置いていたのはスピリチュアルの類だった。それらの多くは一見、さも良さげなことを謳っているが、ヴァンニにとっては中身が薄っぺらく感じられた。聡明なヴァンニは徹底的に良いものと良くないものの分別をし、必要だと思った部分だけを取り入れることにした。
 複雑だったのは、母アデリーナの行っている占いに対する想いだった。息子という立場から批判することなどできなかったが、占いには——特にタロットカード占い——魔の力も働いており、結果が当たるとしても、術者は体力、気力と共に消耗する危険な面が宿っていることを見抜いていた。
 庭の木々から葉っぱが大量に落ちた朝。ついにヴァンニがサラへと出発する日となった。
「ヴァンニ、もしお父さんを見つけたら無線ですぐに知らせるのよ」
「うん、わかった」
「お前まで帰ってこなくなったら私はひとりになるんだからね。絶対に無事に帰ってきなさい」
「必ず帰ってくるよ。お母さんもお元気で」
 見送りに来た母と恋人にハグをして、ヴァンニは宇宙船に乗り込んだ。
 
 数えきれないほどの時を積み重ね、ヴァンニを乗せた宇宙船はサラに到着しようとしていた。パイロットとヴァンニを含めた四人の宇宙飛行士は、各々緊張を胸に着陸の瞬間を待った。ヴァンニ以外はただの観光目的だったようだが、散々聞かされていた幻獣たちの危険性を念頭に置き、必要な武器や防具をしっかりと装備していた。宇宙船の中でも孤独について考えていたヴァンニは瞑想を決してやめなかった。宇宙船が大きく揺れると同時に、ヴァンニはようやく目を覚ました。
 いよいよである。
 宇宙船の扉が開くと、見渡す限りの砂漠が広がっていた。環境的にも地球と大差なかったので宇宙飛行士たちは感動しながら砂の上を歩き回る。ヴァンニは右手に父ピエタの写真をしっかり握り締めていた。左手には生命探索装置。いわゆるレーダーのようなもので、近くに生物の反応があると、赤く点滅する仕様になっていた。もちろん同行している宇宙飛行士たちの生命エネルギーには働かないようインプットされている。
「ヴァンニ、お父さんの手掛かりが掴めるといいな」と仲間のデヴィッドが言った。
「ありがとう。生きてるにしても、死んでるにしても、何かひとつでも父の痕跡を見つけたいんだ」
「協力するよ」
 ヴァンニはデヴィッドと握手をして、微笑んだ。
 生暖かい風が強く吹き抜けていった。砂は微かに巻きあげられ、踊るように動く。
 ヴァンニたちは向かい風に逆らいながら、必死に歩いた。時々レーダーを見ながら一歩、二歩と着実に。ある程度のところまで来ると、砂漠に何者かの足跡がついているのを発見した。ヴァンニはすぐさまレーダーを見る。しかし反応は無い。一同は足跡を辿って歩いていった。途中から足跡が二種類に増えて分岐していた。どちらも大きさは人間の足に近いサイズだった。
「みんな、二手に別れよう。俺とデヴィッドはこっちの足跡を辿る。何かあったらすぐに知らせてほしい」ヴァンニは先導するように言った。
「了解。危険な生物と遭遇したら、すぐにライフルを構えること」
「でも——」ヴァンニは遠くを見つめながら言った。「よほどのことがない限り殺しちゃだめだ」
 風がだんだん強くなってきた。ヴァンニはデヴィッドとふたりで砂漠を歩いてゆく。
 三十分ほどが経過した。足跡は真っすぐ伸びたままで、追えば追うほど好奇心がくすぐられる。恐怖心もあった。何しろ未知なる生物が数多く生息しているのは承知の上なので、いつ、どんな危険が迫ってくるか分からない。
「なかなかレーダーが反応しないな」とデヴィッド。
「そうだな、しかも風が強いわりには足跡が消えないというのも不思議っちゃあ不思議だ」
「俺たちの足跡もな」
 振り返ると確かに自分たちの歩んできた跡もはっきりと残っている。
「もう少し歩いて何も反応しなかったら休憩しよう」ヴァンニが地平線を睨みつけて言ったその時だった。突然、レーダーが赤く点滅し始めたのだ。
「反応があった! ヴァンニのは?」
「同じく。急ごう」
 そこから更に歩くこと五分。レーダーの反応はさっきよりも強くなり、止まる気配を見せない。足跡の先を眺めると、遠くに人影が見えた。
「デヴィッド。慎重に行こう。くれぐれもすぐにライフルを見せたりしたらだめだからな」
「わかった」
 ふたりは人影に向かってゆっくりと歩いていった。目を凝らしてみると、人影は二足歩行をする生物だということが分かった。ヴァンニとデヴィッドが警戒しながら近づくと、ようやく実態が見えた。頭に角を生やし、青い民族衣装のような服を着たその生物は、地球人ではないことは明らかであった。肌は緑がかっており、膨らんだ胸と体型から、女性であることが判別できた。
「一応、英語で話しかけてみよう」デヴィッドが小声で囁く。
「ハロー」ヴァンニは手を振る。
 しかし反応はなかった。女はうっすらと微笑んでいる。まるでふたりを好意的に迎え入れるように。  ヴァンニは恐る恐るピエタの写真を見せた。
「ピエタ!」
 女は目を見開いて叫んだ。
「わかるのかい?」
 ヴァンニは驚いた顔で訊ねる。
 女はその質問には何も反応しなかった。どうやら〈ピエタ〉という言葉だけが分かるらしい。やはり女はピエタのことを知っている。ヴァンニはもう一度写真を見せ、身振り手振りで、自分がピエタの家族であることを示した。最初、女は不思議そうな顔で見つめていたが、段々表情が明るくなり、緑色の指先で遠くを示した。そして、くるりと背中を向けて歩き出す。
「ついてこい、ってことかな」とデヴィッド。
「だと思う。よし、行こう」
 ヴァンニは自らの心臓の音が高鳴っていることに気づいた。こんなに興奮し、緊張したのは生まれてはじめてと言っても過言ではなかった。それもそうだろう。もしかしたら自分の父親に再会できるかもしれないのだから。
 太陽はやや小さな姿で辺り一面を照らしている。思ったよりも暑さは感じられなかったので長時間の歩行にも差し支えなかった。
「どこまで歩くんだろう」とデヴィッドが呟く。
「信じよう。きっと大丈夫さ」
 ヴァンニは時々後ろを振り返って、砂に足跡がついているのを確かめていた。いざという時に宇宙船に戻れるように。
 十分ほど歩くと、遠くに民家のような建物が見えてきた。その周りには小さな川や、木々が存在し、奥の方に集落のような家々が立ち並んでいる。
「まさか、こんな文明が——」
 デヴィッドは口を開けたまま放心している。
「そのまさかだ」ヴァンニは微笑む。
 女がポケットから取り出した笛のようなものを吹くと、それぞれの民家から人々が顔を出した。十五人ほどだろうか。皆、女と同じく頭から角を生やし、派手な民族衣装を着ている。肌の色は緑がかっている者もいれば、ヴァンニたちのように白い者もいた。年恰好は老若男女さまざまである。
「気をつけろ、ヴァンニ」
「大丈夫だろう、悪い奴らには思えない」ヴァンニはピエタの写真を彼らに見せて「ピエタ」と叫ぶ。
 すると彼らはぞろぞろと歩いてきて、右手を差し出してきた。警戒しながらも、ヴァンニはゆっくりと握手を交わす。皆は満面の笑みとなって、ハグをしてきた。デヴィッドもヴァンニも何が何だか分からないまま、ひとりひとりと抱き合う。まるで旧友と再会したかのように。ヴァンニの心の中である変化が訪れた。今まで心の隅に存在していた大いなる孤独というものが穴だとしたら、そこに水が注がれて、すっかり満たされたのだ。それは地球での様々な経験においてもなかなか埋まることのなかった感覚だった。何より、彼ら——幻獣人たち——は背中にライフル銃を携えたヴァンニたちに全く警戒することもなくハグをしてきたのだ。きっと愛という名の宗教が広まっているに違いない。ヴァンニはそう思った。
 全員とハグを交わすと、小さな子供が集落の奥の方を指差した。皆も頷いて、その方向へと足を進める。ヴァンニとデヴィッドは一瞬、顔を見合わせたが、黙ってついていくことにした。がやがやと騒ぎながら一同は目的地に向かって歩いてゆく。広場の中心に何か銅像のようなものが立っている。歩けば歩くほどその銅像の正体は浮き彫りになっていく。
 途中、ヴァンニは足を止めた。眼前には父ピエタの像が立ちはだかっていたのだ。幻獣人たちは皆、ピエタの像の前で手を合わせ祈りを捧げている。
「お父さん……」
 ヴァンニはその場にしゃがみ込み、しゃくりあげるようにして泣いた。

 

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