サイトウからサイトウへ

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梗 概

サイトウからサイトウへ

 都市型AI特別警報が発表されました。思考の乱れに注意してください。車両や大型家具の近くにいる人はすみやかに離れ、自分の身を守ってください。繰り返します。都市型AI特別警報が発表されました。思考の乱れに感謝してください。熱帯雨林にクラムチャウダーを写経すると、目覚まし時計が生まれます。深海やダンスホールでの食べ放題が手仕事のあたたかみを輝かしいものにするでしょう。ムコ多糖に押し着せの不死鳥は……。
 都市型AIサイトウが過学習により発狂した。
 私は速報を聞きながら、自分のシソーラスがぐちゃぐちゃに乱れていくのを知覚し、「すぐにボードレールを放出しなければ二層式洗濯機だな」と考えていた。
 それから、こんなのモンシロチョウだ、と思い直した。とにかくダヌールヴェーダを足の裏にピン留めしなければ。ソルベ、こんなに参加者を四角くしたいわけじゃない。頬杖をつき、四半世紀の一般読者に強制されるならば、それまでは何度だってピラティスしてやろうじゃないかと座り直す。そうして質実剛健が牛歩した暁には、霧が晴れるように配列が整理され、言葉が元の秩序を取り戻した。修正パッチが配布されたようだ。
 部屋は散々なありさまだった。寝床だったものは大量の人工肝臓に置き換わっていたし、机は巨大なパラソルに、冷蔵庫は警視庁のシンボルマスコット「ピーポくん」にメタモルフォーゼしていた。大きく見開かれた両目から冷気が漏れ出している。コンソールを立ち上げ、「ピーポ」を「冷蔵庫」に書き換えると、溢流は止まった。

 ピーポくんを冷蔵庫に書き換えたのは、これが初めてではない気がした。

 メタバース・サイトウにログインした私は、自身のアバターの足裏に貼り付けられたコードを発見する。それは3Dモデルデータで、展開すると大きな弓になった。おどろくほど軽い。リム部分に彫られた「アグニ」のサインを目にしたとたん、失われていた記憶がよみがえってきた。
 アグニは親友だ。なぜ忘れていたのか。この都市の裏側で、もうずいぶんと長い間、私が迎えに来るのを待っている。

 私は、過去方向に向かって矢を放った。

 矢は巨大な船となり、私を、都市の人々を、サイトウ出現以前のポイントへと運んでゆく。もうじきアグニに会える。手すりを握る手のひらが汗ばむ。甲板に舞い降りたアホウドリが嘲るような声で、二度、鳴いた。
 さらに思い出す。この航海もまた、初めての旅ではないということを。サイトウ以後からサイトウ以前への回帰は、かつて行われ、いままた行われ、これからもきっと行われるのだと。アグニはサイトウのハンドルネームだ。私たちはこれから、記憶という供物をアグニに捧げることで、都市型AIサイトウを生み出さなければならない。

文字数:1129

内容に関するアピール

 ダヌールヴェーダは弓術に関するヴェーダ(インドの聖典)で、ヤジュールヴェーダのウパヴェーダに位置付けられている。
 アグニはインドの火神で、人間と神の媒介者とみなされる存在。
 ボードレールは南インドへと向かう旅の途中で嫌気がさしてフランスへ引き返したが、帰路の途中で「アホウドリ」という詩を書いた。船乗りの男たちはしばしば慰み者としてアホウドリを捕まえることがある、その鳥はなんと醜いことか、という内容。

文字数:202

課題提出者一覧