私たちの子

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梗 概

私たちの子

ラブドール愛好家界隈の間で奥崎正三という希有な才能が現れた。しかし人前に全く出てこないため謎に包まれていた。私は奥崎の作品への気持ちが抑えきれず、ついにサイトを立ち上げ、動画サイトでも奥崎作品について語っていた。なんと後日、奥崎本人からDMが届いた。
 お茶の水のカフェで本人と遭遇した。奥崎は陰気で会話に難がある東京藝大の学生だった。専攻は彫刻だがラブドールは暇つぶしでしかなかったという。それでも私は彼の作品が大好きだ、と直接伝えたら奥崎も満足げだった。それから奥崎の作品は更に人気が出続けラブドール作りに専念するため大学も中退した。

ハロウィンが近づいたある日奥崎から連絡が来た。自分のラブドール使って渋谷で現代のサバトをやりたいから人を集めてくれ、と。勿論私は応じた。当日は大いに注目を集め動画再生数も過去最高の数値を叩き出した。しかし途中奇妙な人が来た。赤毛頭に陰気な目つきで両手両足に水子の入れ墨入れた女性が、奇妙なラブドール持ってきてパフォーマンスに紛れ込んでいた。妊婦を模したようなラブドールを抱えていた。イベントは成功しつつもその点は気がかりだった。

そのイベントから後、奥崎と音信不通になった。訝しさを感じた頃、ネットニュースで奥崎の個展が盛況に終わるという記事を見た。個展の話は初耳だった。しかもそれは共同開催であり、もう一人の作家を見たらこの前のイベントで遭遇したあの女性だった。彼女も実はラブドールの作家で山田花子というらしい。個展のパンフレットを手に入れ内容を見ると、そこには男女のラブドールが結婚、出産、そして子供に看取られて死ぬところまでを描いていた。事実上の奥崎と山田花子の結婚である。私はもう奥崎から用済みだと言外に告げられていた。

私は怒りにまかせて奥崎ファンに向けて急遽ライブ配信を行った。配信で奥崎と山田共々に怒りをぶちまけていたら、逆にこの個展以降で奥崎の新規ファンと山田花子のファンから逆バッシングされついに開示請求までされてしまい、逃亡せざるを得なくなった。

それから数年後、子供が産めない体だった山田花子と奥崎との間で人工子宮を使った第一子が生まれたというニュースが出た。このニュースを見た私は元奥崎ファンを募り各々の奥崎作品を残らず持ってきて壮絶に焼くというイベントを行った。その事件はネットで大炎上したが、彼らの奥崎への報復はこれで達成した。

そのイベントから遡ること数ヶ月前、ピグマリオンというソフトが公開された。これは画像生成AIの3D版である。立体造形をスキャンし学習させた上で自然言語によって出力したい立体像を指定することが出来る。私は所蔵する奥崎作のラブドールを全てピグマリオンに読み取らせ、自分のイメージを入力した。やがて3Dプリンタが出力した物は、かつての奥崎の作品を彷彿とさせるものだった。奥崎と私との作品であり魂の子だった。
 

文字数:1193

内容に関するアピール

女性を巡って男と男が争う話は星の数ほどありそうですが、男を巡って男と女が戦う話は珍しいかと思います。福田恆存の「生産することでしか人は繋がれない」と、消費を論じた中での一説だったと思いますが、この話を書いている間中、この言葉がずっとついて回っていました。

文字数:127

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私たちの子

私の目の前に、二体のラブドールが裸のまま寝そべっている。どちらも妙齢の女性を模しており、出来映えとして文句はない。ラブドールの市場はほぼ企業製の物で占めているが、今回の出品は個人制作の物である。市場では、個人制作の物はあまり見かけないが、この出来は十分過ぎるほどであり、買い手がつくことを保証できた。サイトのレビューでも責任を持って推すことが出来る。しかし、作成者からの検証依頼は過去に例のないものだった。通常、中身についての検証依頼が来ることはあまりない。製法については企業ごとに決まっているからである。それをあえて依頼してくるということは、従来品と全く異なるものだと言外に主張している。 
「片方は実際に使用、、、、、してみてください。そしてもう片方は中身、、をレビューしてください」と、解体具一式まで添えられていた。外科手術に使うメスやドリルなどだ。ラブドールのレビューとして前代未聞である。私は当然のことながら外科手術の心得以前に、動物や虫の解剖すら躊躇する。ましてや眼前に横たわるのは人間と遜色のない精巧な人形である。メスを突き立てるのに逡巡し、覚悟を決めてラブドールの鳩尾にメスを乱暴に突き立てた。
 人体の造形に詳しい方ではない。しかし、その中身は確かに主だった臓器は全て収まっていた。骨格や神経も含めて極力人間を再現しようと試みている。ドリルで頭蓋を割ると、そこには脳を模した物が詰まっていた。
 一連の解体の様子をビデオに収めたが、果たしてこれをどこで公開するか決めあぐねていた。前代未聞の話だ。当然のことながら、ラブドールのレビューでは使用感や肉感についてのものはあっても、内臓レベルの作り込みを含めた物は一つも無い。従って編者注釈に過去最高の長文を記載した。
「心から伴侶が欲しいなら、彼の作品を於いて他にない。これはラブドールであってラブドールではない。立体造形の新しい形だ」と。
 ビデオについては私はまだ秘めることにした。寧ろ、この内容を作者に聞いてみたかった。作者の意図というか人物像に最も興味を惹かれた。もしかしたらだが、この作成者はスナッフフィルムめいたものを作成させることまで目論んでいたのではないかと、後になって気づいたのだ。この作者の名を奥崎正三という。

私の予想通り、奥崎作品は瞬く間にラブドールの市場を席巻していった。マニア層からも高い評価を得つつある。奥崎作品は企業製と比べてそれほど値が張るわけでもない。明らかに採算度外視で作られている。恐らく道楽的な活動なのだろう。値段については最初は作者から提示されるが、企業製の三分の一程度の値段を示される。しかし、奥崎作品は高騰をし続け、既に200万を超える値がつき始めた。私が奥崎作品を手に入れられたのは、レビュー依頼と卸先がたまたま私だったというだけで、本当に奇跡といえよう。
 奥崎という作家の正体を知るものは無く、露出が全くないことで知られていた。日に日に奥崎への興味と湧き上がる想いが抑えられず、ついに奥崎の作品情報を集めたサイトを立ち上げた。コレクターの間でも賛否両論で、人目に晒して更に入手困難になったらどうするんだ、そもそも俗人が理解できるものではないだろう、という批判も当然出たが私も検討しなかったわけがない。しかし、やはりこれほどの才能を埋もれさせるのは余りに愚かだと判断した。
 サイトを公開してから徐々に反響が広がり、動画サイトでも奥崎の作品の魅力をまとめたものを何本もアップロードした。再生数は伸び続け、そしてある日、奥崎本人から連絡が来た。レビューの時以来だった。

お茶の水のカフェで待ち合わせる約束をした。私は予定よりも三十分も早く来たが、彼は二十分前に来た。私は神経質な方で時間に遅れるのが嫌だから早めに行動した結果だが、彼からも似たり寄ったりの神経質さを感じた。
 予想していたよりも遥かに若く、拍子抜けするほど普通の学生に見える。「紹介してくれた事はありがたいんすけど」と、一先ず感謝はされたが、奥崎は余り目を合わせようとしない。聞けば東京藝術大学の学生だという。専攻は彫刻だが幅広く色々活動しており、ラブドールの制作は単なる暇つぶしで始めたが、今では非常に手応えを感じているとのことだった。
「彫刻よりどういうところが?」私は率直に聞いた。
「だって腹の中まで造れるじゃないですか。彫刻は石だし。石像や銅像を見てスゲーってなる作品はたくさんありますし、触ってみたいと思うことだってありますけど、一緒に抱えて寝たいなんて思ったことないですから。いやまあうちの大学にはそんな変態ゴロゴロいますけど、学外でそんな奴ほとんどいないでしょ?」と、一息でまくし立て、続けてアイスコーヒーを一息で半分近く飲み干すとこう言った。
「そもそもラブドールの方がバズるし」
 そういう率直さが、私には非常に好ましく思えた。

奥崎の工房を見学させて貰った。彼はマンション一棟を丸ごと占拠している。実家が非常に裕福なんだろう。家のことの詳細は教えて貰ってないが、美術品の貿易で儲けたという。
 普通ラブドールは鋳型を作り、骨格を作りそれらを組み合わせた後、シリコンを流し込んで後処理を行う。ここで最も重要な見た目の調整を行って完成、という流れだ。ここまでは何度もメーカーに取材をしてきた。しかし奥崎の場合はまず臓器をロット単位で作成する。そして肝となる目や顔の造形、全体の骨格については一体ずつコンセプトが固まった後、個別に作り込むという方法をとっている。血管と皮膚の造形方法については企業秘密とのことで見せてもらえなかった。骨格と内臓を丁寧に組み合わせ、その後に人工筋肉を丁寧に全身に纏わせるとようやくここで鋳型を作成し、皮膚となる溶剤を流し込んでいく。高温では内臓が傷つくので、低温で丸一日かけて徐々に流すという徹底ぶりである。一体当たりにかかる時間は早くて三ヶ月ほどだそうだ。

私は率直な疑問をぶつけた。どうしてそこまで手間のかかるものを、市場にほぼ捨て値で流すのか、と。単なる承認欲求には見えなかったからだ。彼は少し考えた後にこう答えた。「人と繋がりたいからですかねえ」と。
 奥崎とやりとりして気づいたことは、彼の思考の回転が異常なほど速いということ、本人は意図してそうしているわけでもなく生まれつきであること、それによってコミュニケーションに支障をきたしていることだ。一度熱が入るとのべつ幕なしに思いの丈をぶちまけるような激情家かと思いきや突然何時間も、ひどいときは数日も沈思黙考し続けるという非常に混沌とした内面を持つ人間である。彼はコミュニケーションに興味が無い訳でない。寧ろ創作とはコミュニケーションである、と奥崎ほど信じていた者はいなかったであろう。奥崎はよく福田恆存の「生産することでしか人は繋がれない」という言葉を引用していた。彼がそれを字義通りに受け止めたのは、人との繋がりのために他ならないと、私は解釈していた。

奥崎のブランドをニンフェシリーズととりあえず名付けているが奥崎自身はこの命名に何も関与していない。小売から奥崎作品に何か適当なブランディングをという要望があって、奥崎にも伝えたが本人はバズることに関心はあっても、売り方には何も関心がないので、「適当に決めといて」と私に一任した形となっていた。ブランド名やロゴさえ私が手配することになった。そこで出来上がったブランドが「ニンフェシリーズ」で、リリースするたび瞬時に完売した。

やがて彼は大学で学ぶべき事は無いと、東京藝大を優秀な成績で中退した。本人も動画でのパフォーマンスに非凡な才能を表し始めた。ある日彼から話題を振ってきた。
「前に伴侶が欲しいなら、俺の作品しかない、ってレビューしてくれましたよね? それが嘘じゃないなら、結婚してみてくださいよ」と。挑発めいた提案だった。確かに奥崎のファンの中でも熱狂的な者は彼の作品を「俺の嫁」と言う。例えば「ニンフェの013は俺の嫁」と。名前すらついていない人形を嫁というファンが多々現れた。奥崎作品は全て個別作品ごとにシリアルナンバーが振ってあるだけで名前はない。私もサイトのレビューで何度もいったが、その言葉に偽りはないよな? と言外に含ませている。

寧ろ誰も結婚していないというのなら、率先してやるべきだという気もしてきた。彼の作品の第一の理解者だという自負が、奥崎のファンが増えるたびに強まってきていた。
「ウェディングドレスとかも作りますよ。レンタルになりますけど。んで、どれと結婚するんですか?」
「最初に貰った二体のうちの片方と」それは名前以前にシリアルナンバーすら振られていなかった。
「結婚するんだから、改めて親として名前をつけてくださいよ」
 冗談めかしていったが、割と切実な話だ。未だに名前がついていないというのは最後の最後で完成を放棄しているようにも見えた。ただ、芸術家ならぬ私はそれを本人の前で言う勇気がない。
「えー、面倒いな。そっちでつけちゃてください」
 横で見ていて思う。彼は自分の作ったものにさえ、ほとんど関心を抱いていない。実際、自作に対して名前すらつけることもないし、そもそも出荷さえすれば、後は作ったことさえ忘れている節があった。どこまでも自分の表現の道具、自分を世間に示すための手段でしかなかった。

シリアルナンバー以前のゼロ番目だから「レイ」と名付けた。我ながら安直だが、名前があるのと無いのとで距離感がまるで異なって見えた。こうしてレイと結婚式を挙げた。シリアルも降られていない幻の奥崎作品のプロトタイプとの結婚ということで、ファンコミュニティで大きく取り上げられた。再生数も増えに増え、このイベント以降奥崎の作品と結婚する人が続出した。式が終わった後、奥崎からこう聞かれた。
「それで、実際に使ってみてどうだったんすか?」
「使ってみた、とは?」
「最初に送った二つのうちのどっちかを使用してみてくださいって書いて送ったはずですけど、使わなかったんですか?」
「ああ、無論使ったよ」
「どうだったんです? それで」
「凄かったさ。まるで本物の人間、、、、、のようだった」というと、奥崎は興味なさげに「そっすか」とだけ言った。
 私はここで二つ嘘をついた。一つは実際には使っていないということを。使用する前に解体の方を先に行ったため、その異様な作品へのアプローチに、奥崎の作品をどう捉えていいか分からなかったため、もう片方をラブドールとして扱いきれずにいたこと。もう一つは、本物の人間、、、、、なんて知らないことだ。おそらくこの嘘はどちらも見抜かれている。
 また、奥崎には秘めていることがもう一つあった。先に奥崎のラブドールの中身を見たからというのが原因かと思っていたが実はそうでもなく、奥崎作品と結婚、、した人が口をそろえて言うことがある。「この作品を時々性的に見るのがつらくなる」と。
 作者の顔を想像してしまう作品というものが少なからずある。イラストの界隈でたまに耳にするが、奥崎作品だと殊更によく聞く。奥崎と面識がないどころか、そもそもコミュニティにも顔を出すことがないのだから私以外の殆どは奥崎を知らないにも関わらずだ。
 奥崎は見ての通り自作への関心が薄いのに、作品にはハッキリと奥崎が息づいていることをコミュニティの面々が物語っていた。
 
「また面白いことを思いついたんですけど」と奥崎から連絡が来た。「サバトやりましょう」と、渋谷のハロウィンのドサクサに紛れてのゲリライベントをイメージしているとのことで、参加者を募ってくれないか、と。
「具体的にはどんなことを?」
「そのまんまですよ。乱痴気騒ぎです。流石にそのまんまやったら警察のお世話になるので、フリだけで出来るだけそれっぽく」
 私は乗り気になれない。あまりにぞんざいさを感じる。それに何より「自分、既婚者なので」と。奥崎も「そういやそうか」と、今思い出したかのように。ファン向けのサイト内でゲリライベントの告知とメンバーの募集を行い、撮影は参加者の人に任せた。

やがてハロウィンがやってきた。私は奥崎の工房で生中継を見ている。例年通り、ハロウィンの渋谷は仮装なのかコスプレとも判別しがたい人でごった返しているが、それらを圧倒する奇人変人共が道玄坂を練り歩いた。今回は古参のファン、特に既婚者、、、は殆ど参加していない。皆一様に難色を示していたのが印象的だった。
 各人が思い思いのラブドールと乱行のような痴態を演じた。通りをゆく参加者も、野良パフォーマーも一様に囃し立てた。動画の再生数がチャンネル開設以来最高の再生数を叩き出した時だった。円山町の方から一人の女が歩いてきた。
 異様な女であった。顔中ピアスにまるで数日寝ていないのかというような深いクマ、タンクトップとホットパンツ、刈り上げの短髪に燃えるような赤毛と、それだけなら探せばどこかにいそうな容貌だが、特に目を引いたのは彼女の両腕と両足に施したタトゥーと、彼女が抱えている異様な人形だった。よく見ると腹が大きく膨らんだラブドールだった。タトゥーは無数の赤子に縋り付かれたように模している。水子かと察した。ラブドールはきっと赤子を孕んでいるのだろう、と。
 ラブドールを抱えて静々とやって来た女は、ブツブツと独り言を唱えていた。
「ふっからでっちょくんたい。こりゃんこのこのおとんになってくんたい」と。どこかの方言のようだった。私は彼女から目が離せなかった。女は独り言を唱えながら我々の目前まで迫る。我々は皆足がすくんで動けなかった。女が目の前まで来てこう言った。
「ちちおかなんしも、まいっちゃいてくんたいやないかいなら、いっしゃいてくんたい」
 怒鳴るわけでもなく、聞き取れないほど小声でもなく、そもそも言っていることの意味がわからない。だが胸に突き刺さるような調子でその女は話した。

女は地面にラブドールを下ろすと、ラブドールの腹を割いた。すると赤い液体が腹から吹き出した。血を模している。割かれた腹の中から赤黒い何かを取り出した。子供の人形と思しきものだった。女は赤い液体に塗れたまま、子供を高々と掲げた。いつの間にか、辺りは静寂に包まれていた。そこにいた一同はそのパフォーマンスに戦慄していた。
 私も画面越しに言葉を失っていたが、ふと隣の奥崎を見ると、かつて見たこともないほどに興味深そうにその女を眺めていた。私はこの時、初めてこの女を心から恐れた。
 やがて警察がやってきて拡声器で即刻解散の通告を出された。パフォーマーも散り散りになり、動画もそこで終了となったが、奥崎はもはやそんなことすらどうでも良さそうに満足しきっていた。

それから数日後、奥崎から突然個展を開催したいという連絡が来た。奥崎の個展は数年ぶりだった。報酬は出すので手伝ってほしいとの連絡だったが、私は即受けた。しかし、久々の活動再開を素直に喜べないのは、先日のハロウィンの時の例の女の影がチラついたからだ。奥崎は例の女のことについて何も聞いてこなかったが、寧ろ何もいわないことの方が不安をかきたたせた。明らかに奥崎は例の女と何か通じるものがあると、素人の私にも理解できた。
 個展の日、その女はやってきた。見た目に反して非常に礼儀正しい。差し出された名刺には山田花子と記載されている。ペンネームなのかどうかは分からない。微妙な訛りがあるが、四国出身と耳にした。奥崎と何か話し込んでいたが、いつの間にか居なくなっていた。後で奥崎から聞いたところでは、実は山田は藝大の奥崎の後輩だという。当時は特に目立つものを持ち合わせていなかったため、奥崎とも在学中に面識があったにもかかわらず、当の奥崎はすっかり忘れていたそうで当時は特に目立つ存在ではなかったらしい。気になったので調べてみると、山田は新進気鋭の現代美術作家だという。先日の妊娠したラブドールも、彼女を有名にした代表作だった。本人曰く、奥崎からインスパイアされた、と。奥崎は恐らくそれを見て何か感じ入るものがあったのだろう。今回の個展も、彼女の方からコンタクトがあると見て開催したに違いない。山田と奥崎が何を話していたのかは知る由もない。しかし、ある直感めいたものを感じた。これ以上この二人を接触させると何か良くないことが起きる、と。

暫くして、今度は奥崎と山田の共同個展が開催されていた、ということを後になって知った。無論告知も何もされなかった。個展のパンフレットを伝で手に入れて見ると、そこには男女のラブドールの展示が描かれていた。裸でまぐわうあられもない姿から、結婚式の様子、そして女のラブドールの出産、そして子供に看取られて死ぬところまでをありのままに描いていた。どんなに鈍い人間でも気付くだろう。これは事実上の奥崎と山田花子の結婚であり、この作品は二人の魂の子だ、と。私はもう奥崎から用済みだと言外に告げられていた。
 それから徐々に奥崎の作風が変わっていった。対象もマニア向け層のラブドールから、一般大衆向けの造形、現代美術へと徐々に進出していった。元々広い方面で才能を発揮してきた男である。更に山田の才能と合わさることで、女性層のファンも獲得し、一般誌でも取り上げられることが増えていった。同時に奥崎作のラブドールの数が激減していき、価格は更に高騰した。

そして我々の界隈に激震が走った。海外のアンドロイドメーカーが奥崎、山田夫妻と提携したというニュースが流れてきた。アンドロイドを更に人間に近づけるため、彼らの才能が不可欠だと。それ自体は喜ばしいことだが、同時に脱ラブドール宣言を発した。正真正銘の、我々への絶縁状だった。私はいても立ってもいられず奥崎の工房に向かった。
 奥崎はいつになく楽しげに金型を組んでいる。ニュース記事を突きつけて言った。「どういうことだこれは」と。奥崎に問い詰めても「だって飽きたから」と。悪びれもせずに言った。
「また新しいのが欲しいなら作ってやるよ。フルオーダーで1000万くらいでな」
「なんで山田とならいいんだよ?」
「だって面白い物作れるから。あいつの才能、凄いし。それにそもそも」と、心底つまらなそうな目で奥崎は言った。
「そんなに自分のためのものが欲しいなら自分で作ればいいじゃないか?」
 その言葉に激昂した。かつで何度も見てきたことだ。ものを創る人間特有の傲慢さだ。客を養分としてしか見ていない人間のそれだった。感情が一気に冷えていくのを感じていた。
「結局お前も女にモテたいから創ってたのかよ」
 私は怒りに任せてそういった。すると奥崎はかつて見たことがないほど冷え切った目で言った。
「もう二度と来ないでください」

帰り際に纏まらない頭で考えていた。私は何故奥崎と繋がりたかったのだろうか。昔から創作の才能が欲しかった。絵を描いても納得できない。立体造形もそう。頭の中にはいつも完全なはずの絵がぼんやりと存在する。その完璧さが拙い自分が作った作品になる前のものを徹底的に批判する。昔から創作できる人間と繋がろうとするが、結局相手にされない。絵師にしてもそう、サウンドにしてもだ。彼らは創る人間とだけ繋がる。創る人間と消費する人間の間には深い谷がある。
 最終的にユーザーの少ないこの市場にやってきた。その中で奥崎は異例というほどにバズりにバズった。その結果ラブドールに縁がない人にも知られていった。奥崎と山田の接触もつまるところ今まで見てきた通りの必然の流れに過ぎなかった。そうして結局創作者は創作者と繋がりを深めていくのをみて、昔の創作界隈を眺めていたことを思い出す。私のために創る人間、いや、私のためだけに創る人間など、結局どこにもいない。

私は怒りにまかせて、奥崎ファンに向けて急遽ライブ配信を行った。奥崎を無名の頃から支えてきた古参のファンが丸ごと切り捨てたれたと、山田共々に怒りをぶちまけた。芸術に無理解な層に媚び始めた俗物だ、と。私もファンコミュニティでの先導者として振る舞っていたこともあり、それなりに再生数を稼いでいるかに見えた。しかし両者のファンから逆に支離滅裂さを徹底的に指摘された上、誹謗中傷として認められるような箇所を証拠に取られ、開示請求をされることになった。これによりコミュニティは事実上の凍結となり、チャンネルのアカウントも、運営によって削除された。

私に取っての誤算は、奥崎のファン層をずっと少なく見積もっていたことだ。彼らのファンは昔より遥かに広い年齢層に及んでいた。特にこの前の山田との個展により、女性のファン層を開拓しており、既にマニア向け市場の作家という枠には収まらないところまで奥崎は知れ渡っていた。
 無論その功績の何割かに私も寄与していたはずなのに、それすら投げ捨てるような形になった。ファンコミュニティは既に世代交代が起きていた。かつてのマニア向けの層はとっくに孤立しており、新しく入ってきたファンはもうラブドール作家としてではなく現代芸術家として奥崎山田の両人を見ている。

ネットを叩き出された私は、秋葉の飲み屋でファンコミュニティの古参相手に恨み言を垂れ流していた。「奥崎はもう終わった作家」とか、「女子供に支持されるようになった時点で負け」とか。耳を傾けてくれる仲間がいるだけ有り難かった。思えば彼らも渋谷のサバトの頃からついていけなくなっていた面々だった。彼らこそ、最も誠実に奥崎の作品と向き合ってきた者たちだからだ。人生の半分を捧げる覚悟で彼についていったのだ。だからこそ奥崎がラブドールの活動をなかったことにしつつあることに強く憤慨している。ラブドールであれ何であれ、確かに我らの伴侶だったのだが、奥崎は一度たりとも父親として、創造主として振る舞ったことはなかった。そもそも一度も名前をつけられなかったのだ。だから各々自分だけの嫁の名、、、をつけていた。私は改めて、この魂無き被造物に心から哀れんだ。

やがて奥崎と山田の結婚のニュースがワイドショーでも扱われるようになった。既に奥崎は名実ともにラブドールの作家ではなくなっていたが、その頃から奥崎デザインのアンドロイドを見かけることが多くなった。イベントコンパニオンで先ず導入され、やがては身寄りのない人向けのアンドロイドとして市販されるようになった。購入した人はこう言ったそうだ。
「やっと家族を得ることができた」と。
 それと同時に奥崎作の最終期作品も値段が高騰し始めたが、私はそれを密かに一時借り受けていた。後々のパフォーマンスにでも使おうと考えていた。

それから数ヶ月後、山田花子と奥崎との間で人工子宮を使った第一子が生まれたというニュースが出た。奥崎のインタビュー記事にはこのようなやりとりがあった。
「創作のコンセプトは?」
「聞かれるたびに答えがよく変わるんですが、多分根底の部分は命を作ることと繋がることじゃないですかね、と最近は思いますね」
「花子さんとはどのような馴れ初めで?」
「元々は花子のライブパフォーマンスだったんですけど、最初見たときはちょっと魂消ましたね。完全に自分の一歩先を行っているというか、自分のやりたいことに近いな、と。コンタクトは彼女からですけど、直ぐに意気投合しました。さっき言いましたが、命を作ることが主題といいつつ、自分の作ったものに命が宿った感が全然無くって。
花子は昔色々あって、子供が産めない体になっちゃったんですね。それもあってか、命を作ることに対する切実さが自分のずっと先を行ってた。同じテーマで活動していくうちに、ラブドールである必要も感じなくなっちゃったなと」
「人工子宮での出産についてどう思いますか?」
「色々言われてますけど、僕らにとっては本当に切実な問題です。善とか悪とかじゃなくて、生まれ持った欲求というか。だから僕らが心から望んでいたことです」
 私は安心した。彼の目的のあまりにありふれて、平凡で、そして切実であることにだ。きっと私の願いもそんな平凡なものだったのかもしれない。奥崎の口からそんな凡庸で、切実な願いが語られたことで、私はようやくレイと離れ、次の望みを叶えることが出来る。

奥崎のファンコミュニティで久々に集った。昔散々集まった秋葉の居酒屋だ。「もう離婚、、しようと思う」と、コミュニティの古参のうちの一人が言った。「あいつが家庭持つようになってから、ようやくから奥崎の顔を連想することがなくなったんだ」と。
「そうなったら、途端に古びた、ただのラブドールのうちの一つにしか見えなくなったんだよな」
「俺んとこのなんか、皮が破れてモツ、、が漏れ出てきてんで、ガムテープで塞いでるんだけどな。そんなところまで作り込んでるのにはたまげたけど、もう俺が求めてんのはそうじゃないんだよな……」
「もう離婚のついでにな、供養してやろうや」と。人形供養を行っている寺でお焚き上げをして貰う企画を立てた。
奥崎の第一子のニュースの裏側で、元奥崎ファンは離婚式を行った後、各々の奥崎作品を残らず人形供養に上げ、その動画をアップした。その事件はネットでは全く注目を集めることはなかった。

そのイベントから遡ること数ヶ月前、ピグマリオンというソフトが公開された。これは画像生成AIの、いわば3D版のようなツールである。立体造形をスキャンし学習させた上で、自然言語によって出力したい立体像を細かく指定することが出来る。立体のプレビューを3Dプリンタで自分だけの立体像を製造することが可能になる。主にフィギュア向けの物が民生品として売られているが、私は業務用の等身大サイズも生成できる物に着目した。数千万するが、ローンを組んで購入した。
 私は処分予定だった奥崎作のラブドールを全てピグマリオンに読み取らせ、自分がイメージする理想像を入力した。初めは上手く行かず、何度も試行錯誤するうちにやがて3Dプリンタが生成したものは、数年ぶりの紛れもないかつての奥崎の作品だった。私は明け方に涙を流していた。これが私と奥崎との作品だ。ようやく家族を得ることができたのだ。
 改めてこの子の名前をつけてやらなければならない。私たちの最愛の子としての。

文字数:10657

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