繁殖する文庫本のパラダイムシフト

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梗 概

繁殖する文庫本のパラダイムシフト

「買った覚えがないのにいつの間にか積読本が増えている」という、読書オタクの妄言が妄言ではないことが判明したのは21世紀も半ばのことだった。様々な観察によって、積読は文庫本の自然繁殖を促すことが確認された。

文庫本の繁殖は、購入した2冊以上の異なる本を特定の条件下で密着させておくことによってなされる。新しく生まれた文庫本には、親に当たる2冊の内容が混じった物語が描かれていたことから、面白がった人々は様々な掛け合わせで遊び始めた。空前の書店好景気、読書ブームの到来である。

文学者たちが「親にあたる小説の内容が変化している」と警鐘を鳴らしたのはその頃だった。文庫本は形而上の物語と現世とのインタフェースに過ぎず、繁殖するのはあくまでも物語どうしだ。物語の交雑は、それ自体が元の物語に影響を及ぼす。混色を作ろうと絵筆で元となる2種の絵の具をそれぞれ少しずつとっていくうちに、元の絵の具にお互いの色が混じってしまうことに近い。元となる物語が変化するのだから、本だろうが映画だろうが表出が変化するのは当然だろう。

困惑が社会を支配した。文学の価値に関する議論が各所で湧き起こり、本来無関係であるはずの図書館や書店に対するネガキャンが行われた。しかし社会の喧騒に関係ないところで、事態は進展していた。想像力がヒトの本質だとすれば、物語はヒトの存在と不可分だ。テキストを読んだヒトがそれを想像力で代謝して初めて、物語は世界を得る。そうして読書ブームの頃に誕生した多くの物語世界が飽和し、文庫本を介さずに交雑を始めたのだ。

過去に編まれた物語はみるみる内容を変え、あたかも初めからそうであったかのようにヒトの記憶を塗り替えていく。その変化は翻訳書を通じて海外へと蔓延っていく。

繁殖を続ける物語に対する議論の意義が決定的に変化したのは、物語がヒトの歴史に介入し始めた時だった。歴史とは、過ぎゆく時空間をヒトがことばを用いて記録したテキストの集積である。ラテン語圏において「歴史」と「物語」が同じ語で表されているように、本来この2つは不可分のものだ。史実と虚構が交じり合い、存在しなかった過去が幾何級数的に膨らんでいく。しがらみが勝手に生まれ、大国同士の関係は一触即発レベルにまで冷え込んだ。

これ以上物語をのさばらせていては、取り返しのつかないことになる。危機感を覚えたヒトは、物語の暴走を抑えるために物語に餌を与える行為――「想像すること」を禁止した。完全なる中央集権的合理主義社会の誕生である。それは物語に対する兵糧攻めだった。この頃にはすでに自我を得ていた物語は、自らの生みの親であるヒトが自らを滅ぼそうとしていることに絶望した。誰にも読まれない物語は、存在していないことと同じだ。物語になすすべはなかった。

ヒトの想像力が痩せ細っていくにつれて、物語も痩せ細っていった。やがて物語が死に絶えたとき、地球上に「ヒト」は残っていなかった。これ以降、新しい物語が生まれることも、新たな歴史が紡がれることもないのだろう。

文字数:1247

内容に関するアピール

ひねったポイントは
①物語どうしの交雑が元になる物語にも影響を与えることが明らかになる
②物語が歴史に介入し始める
の2点です。
「積読が溜まってるのに気づいたら本を買ってしまっている」というあるあるから、①で社会の変化、②で世界の変化へと、規模をエスカレートさせています。概念としての物語に対する考察を含めつつ、「気づいたら途方もないところに来ていた」というワイドスクリーンバロック的な面白さを出せれば、と考えています。

文字数:207

課題提出者一覧