梗 概
那由多の面
美大の保存修復研究室に在籍する飛鳥は、母と離婚して別居した能面師の父が亡くなったと知る。母は十数年前に病死し、飛鳥は母方の祖母に育てられた。飛鳥は、父の工房に残る未完成の霊女の能面に母の面影を感じ、完成させたいと思う。
面を使う予定だったのは、能楽師の時雨だったが、飛鳥が今までに手掛けた面を見た時雨は、父には及ばないと告げる。
そんな時、大学の先端芸術科の博士課程の友人、大和路が協力を申し出る。大和路は、人間の情動研究用コンピュータ「ペルソナ」を使っており、アーティストの身体データを分析する研究をしているので、時雨を被験者にすれば面制作のヒントになるのではと言う。時雨も面の完成を望んでおり、ペルソナ装着に承諾した。
ペルソナはプロンプトで回答を出し、学習を積み重ねることで、身体データだけではなく、数値や画像を通じてペルソナなりの(人と異なる)「主観的な経験」を持つようになる。
飛鳥は、演技中の時雨を計測することで、面に必要とされる、喜怒哀楽のどれにも寄せない「中間表情」を得ようとする。しかし喜怒哀楽のバランスをとった表情は凡庸でしかない。
当てが外れた飛鳥は、(舞台に出る前の)鏡の間で見せた時雨の表情とペルソナの数値を確認し、全ての表情になりうるのは、全てを含むのではなく、感情が発露する直前の「虚」(空)の表情だと考える。その状態を自分の中に再現して打つと、時雨は面を認めた。
公演の演目は、二人の男に求められて自害する女性が主人公の『求塚』だ。飛鳥は演ずる時雨を見て、飛鳥の母と父と時雨は、『求塚』同様の三角関係にあったが、父は感情のもつれを面に昇華して打ったのだと知る。また母は『求塚』とは異なり、生き抜いて飛鳥を残したのだと理解する。
時雨は地獄の場を演じ終えると、倒れて病院に搬送される。駆けつけた飛鳥に、大和路がペルソナを見せる。時雨には死の予感があり、万一の時はデバイスを接続するよう大和路に伝えていた。
ペルソナは、臨死の時雨は情動が微弱で測定できないと言う。飛鳥は、時雨を計測してきたペルソナだから分かることがあるはずだと告げる。するとペルソナは、自らが身体を持たない「虚」であるからこそ、肉体を離れて「虚」になりつつある時雨と自身を紐づけ、時雨の感覚を増幅させて飛鳥に同期させた。
飛鳥は、時雨の意識が、感情が発露する前より更に前、自我が発露する前の状態で、『求塚』の世界で舞っていると知る。それは、舞台が彼岸への橋である能の演者が、体感として知る「虚」構世界の感覚で、時雨は恍惚の中にいた。
その状態を体感した飛鳥は、凄惨な地獄でも芸の場にいたいと願う時雨に共感し、創作欲に駆られる。夢現の中、飛鳥は時雨の顔を記憶に焼き付け、貌形を面の材料にうつした。
葬儀の日、飛鳥は霊女の面を棺に入れる。そして、今後もペルソナと共に無数の面を打ちながら、時雨の面を人生かけて完成させると誓う。
文字数:1200
内容に関するアピール
企画展を行った知人に、能面の選択基準を聞いたところ、「あらゆる感情が発露する直前の顔」と聞き、この話に結びつきました。「中間表情」の意味は、能楽協会の定義「喜怒哀楽のどれかに寄せていない」を採用しました。
話の見せ場としては
・ペルソナによって「虚」の表情を知り、時雨のための能面を打つシーン
・時雨の演技で、(父と)母の思いに気づくシーン
・ペルソナによって臨死の時雨に同期し、時雨の死に顔の面をうつすシーン
を想定しています。
時雨の最期は、絵画等においても、天国より地獄の描写の方が目を惹く傾向にあるので、創作者が地獄に魅了されるのは説得力があるかなと思っています。
人間個人では計測しえない(し難い)感覚(というか思念?)を、コンピュータとの共闘で(何とか)掴まえて、面(=芸術)という形にする、という道筋を書こうと思います。
問題点や懸念点、ネーミングがイマイチなど、なんでもご指摘いただけたら嬉しいです。
文字数:400