梗 概
竜骨街の子供
辺境の惑星に、太古に墜落した巨大な生体航宙艦の遺骸=廃墟に人々が住み着いて作った街があり、竜骨街と呼ばれる。少女リンはその街で孤児として育ち、旅行ガイドと廃品売買で生計を立てていた。
リンは街の奥深くで、何かの記録が刻まれた石板を発掘する。表面に浮かぶ文字や図は読み進めると更新されていく。石板が語るところによれば、艦は戦争による環境破壊からある星団の生物を救出し、それらが生きられる星を探していたという。生物を一種ずつ語る文章はつくり話めいて寓話のようだが、リンには理解不能な数式や図も記されてリアルだ。読めば生物の立体映像が浮かび、やがて実体が生まれるようになる。
十数年に一度、定期的に大型船が外の世界から竜骨街へやって来る。ガイド仕事が忙しくなり、リンは歴史好きの旅人のガイドを引き受ける。その人から、かつて戦争で開発された生物兵器が行方不明のままで、他の星には、その生物の卵がいつか孵化して滅びの日がくると信じる人々がいると教えられる。リンは石板の記録に裏の意味がある可能性を疑い始める。リンは石板の存在をうっかり伝えてしまい、石板を狙われる。旅人こそ滅びの信仰の指導者の一人で、正体は石板と航宙艦を追う軍の将校であった。二人は乱闘になり、石板から実体化した生物によって旅人は分解され、消失する。リンは旅人は墜落死したと周りに伝える。
リンは石板を恐れ、竜骨街の地下深くに埋めた。十年以上が経過した。今までどおり仕事を続けるが、石板と旅人の死と、何より嘘をついたことが忘れられない。廃品の探索中に、しばしば石板の物語を裏付ける壁画などに気づくようになった。艦の目的は、生物保存と生物兵器の輸送のどちらだったのか。石板はおそらく、今でも街のどこかで機能している生物データベースと接続していたに違いない。どこにあるのだろう、人が近づけない地底深くか。
再び大型船がやって来る時期になり、旅行者を迎えるために街は華やかになっていく。リンはかつての自分のような年齢の芸人イオに出会う。広場で芸を披露して、日銭を稼いでいる。炎や水の映像の演出を交えた弾き語りを見ていると、その中から見慣れぬ生物が現れる。よく聴くと、その語りは石板に書かれていたものと同じであり、生物も知っているものだと気づく。
深夜、広場に二人だけとなり、リンはイオに石板を持っているのかと尋ねる。そんなものは知らないとイオは答える。言葉は育ててくれた老人に口伝で習った。老人は語ることしかできなかったが、自分は生物を実体化させることができる。そういう存在なだと、言い残して老人は亡くなった。危険な生物を生み出すお前はもっとも危険だが、生き延びろと。石板は記録にすぎず、データベースもない。リンは、イオと自分自身こそが生物兵器の末裔、竜骨街の卵から生まれた子供なのだと悟る。
朝がくれば大型船の旅行客が降りて来る。二人は手を取って、それを待つ。
文字数:1200
内容に関するアピール
2回、大きなひねりを作りました。主人公のリンが、自分たちの街である竜骨街が生物たちを運ぶための船(いわばノアの方舟)だったという物語を信じていたところ、外から大型船でやって来た旅人に生物兵器を運んでいたのだと教えられ、石板の働きによって真相を知るところが「1回目のひねり」です。ここでリンは旅人の「事故死」を隠して、しばらく罪の意識とともに生きていくことになります。再び外から大型船の来訪が近づく終盤、大人になった主人公が若い同類のイオと出会い、自分たち自身が生物兵器そのものであると知るところが「2回目のひねり」です。
背景に広がる長い歴史や廃墟のような街の風景も、旅人には魅力的でも、生活する彼女たちにとっては、生き延びるための糧であり、過去の遺産です。そんな場所でさらに過去からの負債、聖痕を与えられた二人が、強く生きていこうとする物語を書きたいと思います。
文字数:389
竜骨街の子供
昔々、星々の間を生きた星船が旅していた。
戦の時代であった。一隻の星船が他の船との戦いで大破し、この星に墜落した。
船は死んだが、生き残った人々がいた。
遺骸とも廃墟とも言える船の残骸を、生き延びたものたちは街へ作り変えた。
そして砂漠の星に最初の街ができた。それがこの竜骨街である。
1.
退屈だった。
遠方からやって来る旅人のガイドと、竜骨街の奥で探し当てた廃品、骨董、遺物の取り引き。リンの仕事はだいたいこの二つだったが、どちらにもうんざりしていた。しかし竜骨街に暮らす若人が、いちおう真っ当な範囲の仕事でそれなりの金額を稼ごうと思ったらそんなに仕事は無かったし、竜骨街で育った者にしかできない仕事なのは理解していた。だからこそ、自分の仕事がこの巨大な過去の産物に寄生しているだけだと分かってしまう。日々の生活が、おそらく人生すべてがそうなのだ。何も生み出すことはない。
夜のうちに街の最上層に登って、リンは日の出を待っていた。
竜骨街は、砂漠に頂点の一つが埋まった歪な三角錐のような形をしている。船首から半分ほどがだいたい斜め30度の角度で埋まっていて、後部の巨大な構造物が地上に出ていた。その巨大さは高山のごとくで、リンがジャケットを羽織り、酸素マスクをして腰を下ろしている場所よりも、まだ上空、雲の上に頂上、もとの船尾が隠れている。今いる場所は日常的に行ける範囲の最上層部にある展望台だった。
そこより先の空間は住む者もなく、聖地とされている。正面に見える竜翼山脈――元々あった山脈が、竜骨街が墜落した時の衝撃で削られたため60度ほどの角度の扇形を竜骨街に向けた形をしていると地質学者は言う――の、もっとも高い山が聖地であるように。
この星の公転周期で12年に一度、外宇宙からひときわ巨大な星船が訪れる。それは竜骨街よりも大きく、地上の宙港に降下することはない。地上に着陸船を何隻も出すが、数十日の停泊期間のあいだ、空中に浮いたままだという。前回はリンはまだ幼子で、どんな人が降りて来たのかなどは記憶にないが、巨大な影が、西の空にずっと浮かんでいたことは覚えていた。その訪問があと7日後に迫っていた。
ふだんやって来る貿易船やクルーズ船に乗った訪問者とは規模が違う。リンの旅行ガイドの仕事はたまたま旅人が来たら引き受ける程度のものだったが、大忙しになりそうだった。
すでにその兆候はあって、前夜祭の盛り上がりは始まっているし、星船と接触する目的があるのか、。今いる東の竜翼山脈を臨む展望台から反対側へ回れば、砂漠の大地をならして拡張された宙港に停泊している、何隻もの中型、小型の宇宙船が見える。
空が、白みはじめてきた。太陽は竜翼山脈の向こうから昇ってくるから、顔を見せるまで少し時間がある。
(昔々、……)
耳を覆うイヤーマフの中で、リピート再生していた街の解説、星船来訪のニュース、そして雇い主からの呼び出し。今日は朝一番からガイドの仕事がある。無視するわけにもいかなかった。ここから下層までケーブルを伝って降りるのにも、時間はかかる。どうせ遠くにいるだろうと――おそらくは、ここに、展望台にいるだろうと思って、日の出前からコールしてきたのだ。
リンは立ち上がって展望台をあとにした。すぐには戻れないことをボスに伝える(結果的に、どこでいるかを教えたことになっているけれど)。
すぐ近くにメインシャフトのケーブルがあり、ここのリフトに乗れば、三度の乗り換えでまっすぐ地上まで降下できる。しかし、最短距離で戻るほどには真面目ではなかった。別のあまり使われていないケーブルを、リンは好む。利用者がほとんどいないからだ。リフトは一応動く。好むのは、そのラインが放置された未整理地区、危険指定地区を貫通しているからだった。傾いている床に身を預けてを滑ったり鋼鉄の梁を渡ったりしながら次のリフトに乗り継ぐことをくり返して、ゆっくりと下降する。メインシャフトが人間の体ならば脊髄や大動脈に相当していた場所だとすれば、リンが降りてゆくのは、もっと細い血管の跡のような竪穴だ。初心者ならどこかで墜落死するようなルートだが、慣れたものだ。
ゆっくりと未整理地区の中を降りるリフトに乗りながら、売れるものはないかと、周囲を観察する。未整理地区は誰も領地とはしない自由協定があり、竜骨街のすべての自治グループが署名している。街の破壊と殺人以外は特に法で縛られない。売り物になるものを探し、持ち帰る盗掘行為は破壊に当たらないかと言えば、グレーゾーンなのだが、ほぼお咎めはない。法が破壊を禁止している目的は、竜骨街の骨格に影響を与えるような行為、崩落、崩壊につながる行為の禁止だ。
殺人は禁止されているが、決闘は別だ。それにリンは今まで干からびた死体、殺されたとわかる死体を見たことがある。街の警備がここまで来ることも、見たことがない。
荒らされた形跡が見当たらない書庫に入る。ここへの道筋は最近見つけた。紙の本、巻物、キャンバス。粘土板、石板、金属板、ガラス板。それらの板は、無地のもの、幾何学模様が細密に描かれているもの、文字が彫られたもの、さまざまだ。おそらく表面に刻まれたものが全てではなく、何らかのディスプレイや端末であったのではないかとリンは推測しているけれど、どう扱って良いかわからない。好奇心と、稼ぎの期待をともに満たせる、今のリンにとってわずかな愉しみだった。
中でも、気になっている石板が一枚あった。
裏面は手触りの良い、艶のない陶器の感触。微かな曲面。滑らないので、広い板を広げた片手の上に乗せても落とさずにすむ。そして表と思っている方は、ガラス質の白地に青で細密な幾何学模様。アクセントに赤や黄色や紫や緑も使われているが、全体的には色調の異なる何色もの青。どんな塗料が使われているのか分からないし、表面を指でなぞっても不明。指先に微かな凹凸も感じられない、つるつるの平面。この室内の何かと無線で繋がっている可能性を考慮して、持ち出せずにいる。
右の手のひらを広げて、ぺたりとその面に押し当てた。
表面の幾何学模様が振動し、複雑な曲線を描く。最初の模様も色も消えて、淡く白い光で発光した。
耳元でコール。早く降りてこないと朝食の時間はないぞと、ボスが怒鳴る。石板を棚に置いて手を離すと、発光が消えて元の模様が戻ってくる。保管されていた元の場所に隠して、リンは部屋を出た。
2.
「この街から、というより墜落したこの船から、人々が拡散していった道筋だと言われています」
南に張り出した展望台で、リンはガイドを引き受けた、恋人同士と思しい旅人の二人に説明する。
ガイドの仕事はたいてい地上で旅人と合流する。朝、二人に挨拶してから周遊ルートを回り、すでに昼食を挟んで昼過ぎになっていた。
リンの案内は、他のガイドたちと特に変わるところはない。低層の広場や寺院や商業区画を案内して、それからメインシャフトのリフトで昇りながら観光用の見どころを周り、最後に南側の展望台まで案内する標準的なルートだ。竜骨街内部の空洞を高層階から見下ろしたり、古いまま保存されている古い墓や、宇宙を翔んでいた時代に使われ今は傾いているホールや、生体航宙船らしい生物的な曲線で囲まれた洞窟を巡るうちに、旅行者は方角も高さも分からなくなる。最後にやってくるのが、最上層でもっとも広く180度以上の景観が楽しめる南展望台というわけだ。
左を見れば、竜翼山脈を越えた先にある都市が、陽炎のようにゆらめいて見える。スコープを旅人に渡して、どこを見れば良いか説明する。砂漠の中を竜骨街から山脈へ、山脈の南端の峠から向こう側へ、まっすぐに乾燥地帯の平原を貫き都市まで伸びる街道が見える。
正面の南に広がる砂漠と乾燥地帯を見れば、同じように竜骨街から伸びる街道が、もしくは街道跡が確認できる。この星の歴史を示す跡も、地上からでは気づくことができない。地図を見ても今現在の時間だけを意識しているものには、整備された街道としか思えない。
そして右に視線を移せば、竜翼山脈と同じ程度の距離に宇宙港があるのが見える。かれらを運んできた船も停泊しているのだろう。ふたりは、手を伸ばして、その方角を指差して笑う。
しかし今はもっと違う話をしたかった。たとえば、
「竜骨街がまだ船だった時、それは私たちの知らない太古の時代ですが、他の星の生命を瓶に詰めて運んていたという言い伝えはあります。竜骨街から銀河じゅう希少な生命がこの星に満ちていったと」
しかし、それがボスに届いて、勝手な嘘を話すなとか怒られるのを想像したら、いつもどおりのルーチンの説明で済ませたほうがよかった。聖域に巣を作って、空に舞うオオヤマワシも、砂漠の砂に潜るサバクオオウミガメも、この船が運んで来たらしいと、知ってしまったのに、そういう話をする機会がないのはつらい。
昔々、遠い星々の間を旅する生きた星船があり、幾つもの星を巡っては、滅びの危機にある生き物の遺伝子を採取しては硝子瓶に保存していた。
単為生殖のものはその一体を、
雄と雌のある者はつがいの遺伝子を、
より複雑な生物についてはその複雑な個体の組み合わせを、
たとえば、この二人のようなつがいで、いや恋人同士で、一対の遺伝子が持ち込まれたのだろうか。そうならばいいなとも、遺伝子だけ採取されたら本人は、もとの個体のほうはどうなったのだろうとも思う。
空想を断ち切り、二人をメインシャフトで地上まで一息に降下させると、チップを貰って別れた。
その後はガイドの仕事はないので、自由の身だ。自分流のルートで書庫まで行く。
石板が語るのは、竜骨街が滅びの危機にあった種々さまざまな生命を運んできたという物語だった。文字も音声も、自分たちのものに似ているところはあるものの、理解はできなかった。代わりに旅行ガイド用の通訳ユニットが反応してリンに伝えてくれたのだ。仕事を始めるときに、外から来た貿易商が売っていたものを、地下層で発掘した石化フラクタル蔓の置物と交換したものだが、ずっと重宝している。
手のひらを広げてガラス面に触れれば、石板は表面に文字や図を表示するようになった。表面に浮かぶそれらは読み進めると更新されていく。石板が語るところによれば、船は戦争による環境破壊から、ある星団の生物をいくつもの惑星を巡って救出し、それらが生きられる星を探していたという。生物を一種ずつ語る言葉はつくり話めいて寓話のようだが、リンには理解不能な数式や図も記されてリアルだ。今生きている生物――オオヤマワシ、サバクオオウミガメ、サバクハブ、リュウヨクキツネ、リュウヨクヤマネコ――などに似た生き物も出てくるが、見知らぬ生き物も多い。文字と図、写真や音声だけでなく、立体映像も表示できた。
星船の到着まで7日を切った。到着したらガイドの仕事はしばらく忙しくなるだろう。廃品を売る相手にも困らないはずだ。
「星船が来たらいくらでも働くから」
そうボスに告げて、リンは書庫に入り浸る方を優先した。
3.
夢中になって、書庫に籠った。
竜骨街がどのような船だったのかなど、リンの生きている時代に何か意味があるのか。それは、自分でも疑問だったし、説得力のある答えなど何も思いつかなかった。ただ、理由もなく好奇心を掻き立てられたのだと考えた。旅行ガイドの役人立つとか、そんな直接的な利益は考えていなかった。
試しに石板を書庫の外に持ち出してみたが、問題なく動作した。2日目からは明け方は東の展望台で山なみを見ながら、夕暮れから夜は西の展望台で宇宙港の灯りを楽しみながら、石板を見続けた。
3日目の夜遅くに、書庫の少し傾いた床に座り込んで見ている時だった。
石板上に表示されていたキノコネズミを撫でてくるくる回していたら、それがホログラフィになった。「あ、かわいい」と思ったときには、実体化していた。
驚いて立ち上がり、こちらを見上げているキノコネズミに後ずさると、ネズミの方から去っていった。
石板から、生物を呼び寄せることができる? この船が運んでいた生物?
表示される生物はどれも知っているものとは少し異なるし、まったく見たことがない生き物もいた。滅亡から救おうとして集めたという話のとおりならば、この宇宙のどこかで過去には生きていた生物ということになる。
試してみたら、つぎつぎに現れた。「復活した」とリンは叫んだ。どのような原理になっているのかは分からないし、獰猛そうな動物や大型の動物は出現したら始末に追えないので復活させなかったが。何でも出てきそうであった。
12年周期で巨大な星船が外の世界からやって来る。とはいえ、この星の暦で何日であると定まっているわけではない。外の世界は辺境の事情には無頓着だ。宙港に隣接する天文台が、観測と通信によってその日を収束させてゆく。確定したのは、到着のおよそ60日前で、そこから準備が本格的になってきたのだった。到着まであと3日。前夜祭の盛り上がりは、もう始まっていた。
数日ぶりに下層まで降りてきたリンは、旅行ガイドのボスのところへ行き、仕事があるか訊いた。
「予約が殺到してる、いくらでもあるぞ。金払いの良さそうな、美味しそうな客を選んでくれ。そのほうが俺も儲かる」
予約リストを眺める。自分が不在の間に、ほんとうに大金を落としてくれそうな一行は、他のガイドたちに割り振られていた。残っている希望者の中で、ひとり気になる人がいた。
「最長20日間、竜骨街の奥まで見たいって、どういう人? みんな避けたってことは何かまずそう?」
「その人は、金払いは良さそうだぞ。皆が避けたのは拘束20日間の部分だな。一日中付き合えって話で、向こうが途中までで中止することはできても、こっちからは無しだ。無理難題押し付けられたりしても、逃げられないのが困るってところだな」
「逃げたら、どうなる……?」
「俺が契約違反で訴えられる。それから、逃げたやつを俺が捕まえる。家族養っている奴らは逃げないけどな」
「じゃあ、わたしが引き受けてもいいよ」
報酬額は通常のガイドの倍が提示されている、つまり20日拘束されたら40日分出る計算になる。終わったらしばらく遊んでいられそうだ。
「逃げるなよ」
「竜骨街のほかに、生きてく場所を知らない」
「竜骨街の中で、逃げ切れると思っているだろう?」
正直そのとおりで、旅行者はもちろん、ボスの前から姿を消しても生きていけると思っている。
名前を「ゾエ」と、短く名乗った旅行者は、少なくとも今すぐには自分の素性をそれ以上には話すつもりがないらしく、リンもただ「ガイドを務めるリンです」とだけ答えて、挨拶の印を切った。
何も話してもらえなくても、情報はある。外見はまだ若い大人、細身で長身、服は休暇らしく寛げるものを着ているが、生地は非常に高価。一人で辺境惑星までやってきて何十日も休みを取る。外の世界の文化は知らないけれど、ほんとうに長く休みを取れるほど裕福なのか、この星を訪れることも仕事のうちなのか、どちらかのように思えた。
ガイドとして竜骨街の様々な場所を案内し、詳しい話をしていくと、ゾエも最初の無愛想さが嘘のように、気さくな態度をとるようになった。
「この星の生き物って、元から星にいたの? それとも、この船が運んできた?」
「どちらとも言えないですね。ただ、竜骨街が運んできたという伝承はありますよ」
リンは石板で学んだことを語った。具体的にガラス瓶に入れて運ばれてきたという動物たちの名前と、今、どのあたりに住んでいるかという生態も、知っているものについて語った。
「きちんと証明された学説とかではないんですけど、そういう記録があって」
「物知りなんだ。ガイドになってもらって良かったな」
「ありがとうございます」
なんでも答えるから、なんでも聞いて欲しいという気持ちだった。
「ところでさ――」ゾエは話題を変えた。「つまり、竜骨街は生体航宙船なわけだよね」
「はい、それは昔から知られていることですね」
「もう、死んでいる?」
「いつこの星に墜落したのか分からないくらい、大昔の戦の星船です。どこかが動いたという話は聞いたことないですよ」
「それならばいいけど――私たちの世界には、こんな言い伝えがあるんだ」
かつて戦さの中で産み出された、生物兵器あり。
星を征く船の姿をした生物。
多くは沈んだが、行方不明のままの船あり。
卵を産みて、いつか孵化し、新たな船によって、滅びの日がくる。
「それって竜骨街のことですか」
怖い。旅行者だからと言って、ガイドにいきなり聞かせるような伝承なのか。
「死んでいるなら関係ないけど――でもね、この言い伝えも、信じている人々がいるんだ。いつか滅びの日が来るという信仰を信じている人々が」
「滅びを信じるって、どういう信仰……。それに、さっきのわたしの話、聞いてくださいましたよね。滅びではなく、滅亡しそうな生物を運んで、生かそうとしたのがこの船だって」
4.
何日も一緒にいると、竜骨街が山のごとく大きいと言っても、案内できる場所は無くなってくる。市民が立ち入り禁止の場所には、旅行者を連れていくことはもちろんできない。たとえ、リンが自分の庭のように行き来しているエリアでもだ。
5日目。まだ15日あるのはどうしようかと思いながら、リンは南展望台にゾエを連れてきていた。初日にも来ているから、2回目になる。
昨晩別れてから、深夜のうちに書庫まで上がって、じつは石板を持っていた。動作する事は確認している。なんなら、これを見てもらおうかと思っていた。
「リン」
名前を呼ばれて、率直に気持ちがよい。ゾエが竜骨街で生きている同士の大人なら、友人になれる。石板だって見せようと思っている。しかし、ゾエは外の人で、まだ明かしてくれない秘密を抱えていて、しかも竜骨街に対してよくない秘密と思える。気持ちの高揚が、逆に警戒を解く事を戒めた。
「なにか――」
「この上に行きたいと言ったら、同行してくれるだろうか?」
「ダメです。聖域への侵入は、わたしたちも禁止されています。まして、すみませんが外の人を入れるわけには参りません」
「無理強いをして、あなたが罰を受けることになるのは本意ではない。一人で行くとするよ」
ゾエは踵を返して、展望台から竜骨街の中へ戻った。聖域への入り口は存在し、封印されているものの、街の皆が祈りを捧げる場所になっている。
誰も来ていないのをいいことに、ゾエは封印のテープを蹴り破って侵入した。リンも仕方なく後を追う。外部の人間を聖域に侵入させたら旅行ガイドとして責任を問われるし、それ以上にゾエの考えていることが心配だった。
聖域と言っても、構造は下層の領域と同じと言えば言える。リフトこそ動いていないが、空洞が上への伸びている。金属と、生物的な丸みが混在している。
聖域を破壊されたら大変だ。前を進んでいくゾエに向かって叫ぶと、リンは石板を取り出した。
「それ以上進むなら、強制的にでも止めます。怪我くらいは、あきらめてください!」
リンはただの若人で、兵士でもなんでもない。人と本気で戦ったことなどなかった。それに対して、ゾエは暴力の世界に慣れているようだった。振り向いたゾエの笑い声が冷たく響いた。
「わたしは外世界からの訪問者の権限で、銃を所持している。あなたを撃っても、わたしは罪に問われない」
リンは石板の上に手のひらを置き、作動させた。竜骨街が――この星船が運んできた生物のリストが表示される。ゾエが行動に出ないうちに素早く操作した。
「それが、竜骨街の遺物かい」
ゾエが獲物を見つけた目で近づいてくる。リンに余裕はなかった。パッと見つけた最強の生物、リュウヨクオオカミを呼び出した。初めてだったが、実体化は成功した。
オオカミは飛びかかり、ゾエは腕に傷を負って倒れた。銃は手から落ちた。リンはゾエに近づく。
「ゾエさん!」
「リン、あなただったの? わたしを呼んだのは? 竜骨街ではなく」
「何言ってるんですか!」
「きちんと話したかったな、すまない」
立ちあがろうとしたところを、リュウヨクオオカミが飛びつき、ゾエは落下した。
5.
星の周期で12年が経過した。竜骨街の暦が一巡りする年月で、リンも一人前のガイドとなり、廃品の発掘と売買も続けていた。経験は積んだが、相変わらずの仕事だ。大きく変わるところはなかった。ただし、ボスの元は去った。
ゾエの一件は、おそらく失踪について追及してくる者が星船の中にいなかったからだろう、ボスからも特に追及されることはなかった。先に費用は受け取っていたので、ボスとしては問題無しということだ。リンには、ゾエのガイドを務めた5日分の金額を支払ってくれた。だいぶボスが得していると思うが、何も言わなかった。何も言わずにボスの元を去り、新しい働き口を見つけた。ボスの店からは距離のある、竜骨街の反対側をテリトリーにしている人の下で働いている。
石板はもとの書庫に戻した。あの一角へ侵入するルートは自分しか知らなかったはずだが、道順さえ見つけてしまえば、辿り着くのは容易な場所だった。だから、ケーブルを切断したり、扉を閉じたりして、誰も近づけないように塞いでしまった。
不可思議で恐ろしい太古の技術を、誰かが手に入れてしまわないために。
(外から星船でやって来た人が、ひとり失踪した事実を隠してしまうために)
あの書庫は封印した。けれど、廃品を売り捌く仕事は続けている。売り物を見つけるために、未整理区画に出入りすることは必要で、他のルートをいくつも開拓してきた。そこで見つけたものは、石板が語っていた伝承と同じように様々な生物を採取していく光景が描かれた壁画であったり、その生物たちが描かれたタイルであったりした。
若人のころは気づかなかっただけなのだろうか。何が描かれているのかを見つめれば、世界の姿を知ることは可能なのだ。それは石板だけではない。ゾエが物語ったことにも、真実が含まれているのかも知れなかった。
星船が生物兵器であることと、絶滅の危機にある生物を救っていることは、よく考えれば矛盾はしない。二つの事は別々の軸も事象なのだから。
記憶の片隅に過去を追いやっていたら若人から大人になり、商売の稼ぎも増え、あっという間に12年が経過した。それは、また星船が訪れる日が来ることを意味している。
到着まであと3日。前夜祭の盛り上がりは、もう始まっていた。
地上から、3階層ほどの高さに、大きな広場がある。船に元々あったスペースではなく、墜落後に星の重力に合わせて傾いていない空間として造られ、何世代にもわたって拡張してきた広場だ。10万人が詰め寄せても問題ないだけの平地である。高さも十分に取られており、祝祭の日であれば、高い天井からの照明が夜でも眩しい。
喧騒の中を、リンは一人で歩いていた。何か当てがあるわけではない。大小の見せ物の間を練り歩く。大勢で盛り上げる大道芸には、その規模にふさわしく百人ほどの見物客が取り囲む。今いるのは、竜骨街の住人か、近隣の集落から来ているものたちだ。竜翼山脈の猟師の服を着た親子、砂漠の森から果物や木の実の行商に来ている子どもたち、つなぎの作業着の胸元をはだけた、街のメンテナンス技術者のグループ、一人でその中に紛れるのは少し寂しい。二、三人のグループで小道具を使って笑わせたり、刃物の間を避けるような危険な舞を舞っている出し物を目で楽しみながら歩き続ける。
やがて、弾き語りが一人で敷物の上に胡座をかいているのを見つけた。
まだ若人だ。十二年前の自分と同じくらいの年齢に見える。何枚もの布を重ねたような服の下の、体の線は細い。黒髪が緩く波うち、広場を換気する空気の流れに揺らいでいた。
両脚の間に置かれた胴の大きさと紋様からすると竜琵琶だろうか、弦をかき鳴らす指さばきはたしかで、物悲しい調べを響かせている。歌声は高音から低音まで変幻自在。朗々と歌い上げるのは、リンがはじめて聴く歌だったが、古い叙事詩のように聴こえた。
竜琵琶は胴の響きで生の音を鳴らすだけでなく、胡座をかいた脚の前に置かれた、拳大の黒い立方体のアンプから電子的に加工されたノイズを同時に響かせている。胴から飛び出る角のような装飾は、どうやら飾りではなくノイズを変調させるツマミらしい。敷物の四隅には、若人を照らす照明が輝いている。光だけでなく熱も伝えて来る炎はしかしほんものの炎ではなく、立体映像だ。その炎の中から、見慣れぬ生き物が現れた。
名前は覚えていた。ホノオトカゲだ。じっさいに見た事はないが、石板の映像で知った獣だ。小さいが、実際に動いている。
それだけではなかった。毒の牙と尾をもつサバクサソリヘビ、6本足のうち真ん中の2本が翼に変わっているツバサウサギ、リュウヨクヤマイヌ、サバクオオウミガメ……。子供でも、危険な生き物もいる。
演奏と、生き物を出すことに集中している若人に、リンは声をかけた。
「あなた、どこからこの生き物を出しているの? あなたも石板を持っているの?」
応えがないので、目の前にしゃがみ込んで、なおも訊く。
「教えて!」
演奏を止め、若人はリンを睨んだ。
「わたしはイオ。見てのとおりの仕事。あなたは?」
「リン。旅人のガイドとか、廃品売ったり、いろいろ」
堂々と名乗ったイオに気圧されつつ、リンも答える。
「石板って、なに」
「この生き物たち、どうやって出したの」
「琵琶弾いて、出した。それぞれの歌があるから」
「歌って……」
「ゴメン、サソリヘビが逃げた。あいつの毒はまずい。笛で呼ぶから、後にして」
一方的に話を打ち切ると、イオは笛を取り出して吹き始めた。あきらめて、その場を立ち去ることにした。
「明日、また来る。ここにいて」
広場を離れて、リンは自分の住処へ帰る。イオの笛の音は良くとおり、小さくてもまだ聴こえていた。
6.
翌日の夜、リンが広場に行くと、同じ場所にイオはいた。リンが近づくと、前置き抜きでイオが訊いてきた。
「竜骨街の――船だった時の想像図って見たことある?」
「歴史博物館と言う名の、空想とガラクタを集めた館なら行ったことがあるよ」
「第三回廊の? 私も行ったことあるよ。デタラメなんだけど、意外に的を得てる」
リンも覚えていた。あの石板に記憶されていた情報どころか、それまでの廃品探しの中でリンが知っていたことすらたいして反映されていない、どこを見たのかという代物だった。でも羽虫が空撮した竜骨街の外観に肉付けした図は左右非対称で、別々の生き物を溶接したように見えた。そこだけは真実味があった。帆を膨らませたような姿だった。
「中央に亀裂のように走っている断層は、本当だと思う。見たことある?」
リンの質問に、イオは首を振る。
「わたしはそんな奥の方に行った事はないから」
「どこなら行ったことあるの」
「上のほう」
「展望台?」
「その上。……聖域? 生まれたところ。ここに来てから、上にはぜんぜん行かなくなったけど」
「生まれたって……誰も住んでないはず……」
「人は住んでないと思う、入山禁止でしょ。わたしは違うから」
イオの言葉は断片的で、しかも飛び幅が大きいからついていくのが大変だ。
「人じゃないって、言ってる?」
「うん。あなたも、でしょ? リン」
イオの瞳が、はじめて正面からリンを見つめた。
「山頂、というか船尾は星船が卵を産むところ。竜骨街は死んでいるようで、産卵機能はまだ生きてる。だから、わたしもあなたも生まれた」
リンは、親を知らない。幼児のころ育ててくれた施設はあったが、どうやってそこに引き取られたか、教えてもらった事はなかった。
リンは、12年前の出来事を、イオに語った。
石板のこと、実体化した生き物のこと、ゾエを誤って殺めたこと。イオは丁寧に聞いてくれて、曖昧なところを優しく質問して、イオが知っている事実を加えて、過去を立体的に再構築してくれた。
「星船は幼生一体だけが成長しても宇宙を飛ぶことはできない。二体の幼生がひとつになって、初めて変態するの。あなたが十二年前に出会った人は、あなたを探し求めていたんだよ、きっと」
本能に導かれて、意識に上らず、言語化できなかった衝動のままに、旅して来たのだろうか。そして、お互いにどうすれば良いか分からず、拒絶反応が先に立ってしまったのだろうか。人間的に生きてきて、自分で考え抜いた熟慮の末の行動も、条件反射のように動いてしまった行動もあるけれど、責任を放棄して、生存本能のプログラムに委ねてしまうことには抵抗があった。
「だから、あなたはわたしを見つけられたのだと思う」
でも、もう時間がない。わたしは、わたしじゃなくなるらしい。
「もう、リンはいなくなるんだ」
「うん、イオだって、いなくなる」
ふたりは、どうなるのか分かってしまった。
人の姿は仮の姿だ。認めるよ。背中が軋んでる。
でも、この身体で生きてきた――
この身体の言葉しかリンには持ち合わせがなかった。あの旅人のゾエに対しても、イオに対しても。右腕をまっすぐに伸ばし、手のひらをイオに向けた。イオもまっすぐに腕を伸ばす。広げた手の指先がふるえているのが分かった。この姿でいられるのは、この姿でいてくれるのは、今日、ここまでだ。終わりだと分かってしまった。
手を握りあい、身体の距離を縮めた。背中にまわされたイオの指先が痛かった。金属質の爪が伸びて皮膚を破り、侵襲してくる。それ以上に、背中が、臀部から首まで、まっすぐに裂けていく痛みがまさった。遺伝子のトリガー、体液の化学変化、活性化するマイクロマシン。
かさねた唇から喉へ、イオの体液が流れてくる。リンにとっては劇薬だ。化学反応で喉の奥が火傷していくのが感じられる。それは、イオの喉も同じなのだろう。食道が燃えるよう。喉が内側から崩れていく。頸椎が分解される。閉じた瞼の内側で、眼球がぐにゃりとつぶれた。もう薄目をあけてもイオは見えない。何も見えない。変態が完了した時には、また異なるセンサーで周囲を見ることができるだろう。でもその時にはイオを見ることはできない。イオも、リンも、そういう名前で独立して存在した個体はいなくなっているのだから。
若人のころから抱いていた、街に退屈していた感情は消失していた。リンとして生きてきた記憶のあらかたが、組み直されていくのだ。
ひとつになるんだ!
二人が溶け合わさった変態のすえに、新しい個体が誕生した。
わたしは、ひとつになった/生まれた/目覚めた! 喜び! 歓喜!
人間とは異なる言葉が自らを語るために必要だった。
わたしは、名前を得た! わたしの名は――――!
まだ、人間と同じ大きさを保っている。心の中を探る、リンだったものの記憶と感情。イオだったものの記憶と感情。渾然一体となっていて、やがて区別がつかなくなるのだろう。リンの記憶を探る。
ゾエの記憶は残っていた。殺めた罪の意識も残っていた。隠蔽したことの後悔も残っていた。星船が人間などよりも長生きで、強い生き物ならば、この意識はずっと抱えたまま忘れずにいたかった。痛みを抱えたまま、星空を征くのだ。
宙港の方角、つまり星船が降りてくる方角を向いた。あらゆる波長の電磁波と空気の振動を、強力なセンサーが捉える。微細な重力波の変化も検知する。
まだ若い雛――竜骨街の子供は、星船と、そこから降りてくるものたちを待った。
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