皇国の贄

印刷

梗 概

皇国の贄

一九四二年、日本はミッドウェー海戦で大敗する。戦力復帰のため発動機(エンジン)を生産したいが、術がなく悩んでいた。日本海軍の搭乗員、山本は劣勢な戦況に焦る。病気の弟のためにも戦果を挙げる必要があったからだ。山本はある時、ラバウル基地近くの離島で二機の戦闘機を発見する。それは未知の発動機を載せた戦闘機であり、解析を技術兵に依頼する。
 
 発動機は全体がカバーで溶接され中身が確認できない構造になっていた。無理やりこじ開けると中から腐臭のする赤い液体が漏れ出てきた。発動機の中は伽藍洞で、構造的に成立していない。不思議に思う山本だが、もう片方の発動機を零戦に載せ試運転をすると、高い性能を発揮した。そして、この発動機には燃料が必要なく無限の航続力を有していることが分かった。性能に魅了された日本海軍はアメリカの発動機を奪取し、戦力強化に舵を切る。新型発動機を載せた零戦を筆頭に進軍、アメリカも同様の発動機を載せているが零戦の前では敵なしだった。回収した発動機は次々と零戦へ搭載された。
 
 水中での気密性試験中、高負荷運転を続けていた発動機が膨張。カバーが外れる事故が起きる。発動機の中では、ウゾウゾと肉塊が動き発動機を駆動させている驚愕の光景があった。山本は捕虜のアメリカ兵に尋問する。アメリカは発動機の性能や航続力の低さを問題視し、人体を掛け合わせることで無尽蔵に駆動する発動機を考案したのだった。機雷に対する消磁実験中に起きた事故がきっかけで生まれた技術だった。最高性能の発動機は命を犠牲とした兵器であることに山本たちは戦慄する。海兵たちは人間発動機の使用中止を求め、上層部は新型発動機が生産が開始したこともあり、渋々了承する。手紙で弟の病死を知る山本であったが、新型発動機を搭載して再び空を舞う。

山本は技術兵から「新型の量産が順調すぎる」と相談を受ける。嫌な予感が頭をよぎった。予備の発動機を開けると、中から赤い液体がドロリと出てきた。日本製の新型は人間発動機だったのだ。山本は上官を糾弾し、真相に迫る。実は、日本はアメリカの製造技術を入手し、極秘で人間発動機の研究していた。発動機の回収量が減り戦力拡大が伸び悩むなか、負傷兵を使用した人間発動機でこの問題を解決したのだ。
 興奮した山本に上官が告げる。
 「君の弟もそうだ。彼は君の戦闘機と一つになることで戦場に出る夢を叶えた。皇国のために喜んで犠牲をなってくれたよ」
 山本は自機の発動機が弟であることを知り、絶望する。

壊れるまで駆動され続け肉塊となった弟を開放するため、自失した山本は特攻を仕掛ける。コックピットの中で悟る。自分もまた皇国の犠牲に過ぎないと。人間発動機の運用が明るみになり、日本の士気は低下。代替の発動機も無くアメリカは劣勢から優勢に逆転する。零戦が撃墜されるたび、基地には墓標が建てられた。搭乗員と発動機、二つの墓標が――。

文字数:1197

内容に関するアピール

第二次世界大戦における歴史改変ものSFです。
 物語を作る中で二回ではなく三回、ひねりました。
 
 1. 回収した発動機の原動力は人間だった。
 2. 人間発動機の使用が中止になったが日本は極秘裏に作り続けていた。
 3. 山本の愛機に搭載されている発動機は実は弟だった。
 
 兵士たちは日本を勝利させるための生贄に過ぎず、命を使い捨てられていく悲運が物語のテーマです。
 実作では喜んで人間発動機となった弟とそれを知った山本の無念を描きたいと思います。
 また発動機が生まれた実験の背景は「フィラデルフィア計画」を元ネタにしております。
 発動機を開けると赤い液体となって中身が流れ出てしまう理由については、発動機の中身が不安定であり、密閉されている時は平衡状態を保ちますが外気に触れるとその平衡性が失われてしまいます。そのため人間発動機は堅牢なカバーで完全に覆われているという設定です。

文字数:384

印刷

皇国の贄

1940年。アメリカ、バージニア州の地下に位置する研究施設。無機質な広い一室で作業着に身を包んだ男たちが固唾を飲んで部屋の中央を見つめている。室内の大部分を占領している巨大な装置。直径二メートルほどの銀色に輝く鉄製の円柱が二本左右に並び、その上下には何本ものケーブルやパイプが接続されている。人間の血管を想像させるような複雑な配線は装置の禍々しさを際立たせていた。
 新米エンジニアのアードルフ・ホッパーは早くもこの場に居合わせてしまったことを後悔し始めていた。上官の命令でこの研究に携わることとなったが、全容は不明。詳細について何も教えてもらうことなく、まずは今日行うテストを見ろとの命令だった。そしてアードルフを不安にさせていたのは、この研究の内容は軍内でも関係者以外一切口外してはいけないという過剰なかん口令が敷かれていた。
 「それでは0022号機、実証テストを始めます。検体K-0182も安定状態。みなさん、準備はいいですか?」
 壁際でコンソールを操作していたエンジニアが装置に向かって振り返る。
 この研究を取り仕切る――アードルフに参加を命じた――初老の上官がそれを聞いて口を開く。
 「よし。始めてくれ」
 エンジニアは頷き、コンソールのスイッチを押す。装置が作動したことを感じさせる重低音が部屋中に響き渡る。バチバチと円柱の周辺に閃光が走り、薄暗い部屋を煌々と照らし始めた。
 「出力八十パーセントから百パーセントへ上げます」
 閃光はその激しさを増し、アードルフは眩しさに思わず顔をしかめ、腕で顔を覆う。しかし装置から目を逸らしていたのは自分以外誰もいない。他のエンジニアや上官は目を見開いて装置を凝視していた。その光景に、ある種の狂気に似た雰囲気がこの部屋一帯に充満しているようにアードルフは感じた。
 やがて閃光が弱まり、部屋は薄暗さを取り戻した。外見では2本の円柱には何の変化も見られない。上官が柱の近くにいるエンジニアに向かって顎で示す。それに気付いた男は反射するように背筋をピンと伸ばし敬礼し、円柱の正面に駆け寄った。円柱に設けられた扉のコックに両手をかけ、下方向に力強く回す。重厚な扉をゆっくり引くと、中には大きな銀色の塊が鎮座していた。
 R-1830。プラット・アンド・ホイットニー製のレシプロ発動機。
 現在、アメリカ海軍の主力戦闘機であるF4Fワイルドキャットに使用されている発動機だ。アードルフもこの発動機についての資料は散々読み込み、スペックや構造については熟知していた。
 14本のシリンダーには冷却フィンが施され、円形状に等間隔で配置されている。中心にはカバーの下でシリンダーとコンロッドで連結されているであろうクランクシャフトの先端が銀色に輝いている。
 アードルフは胸中の疑問を解消できずにいた。外観は従来のものと何ら変わったところはなく、新型ではない。マイナーチェンジの後継機だろうか。それに先ほど「検体」と操作していた男が口にしていたことも気がかりだった。白銀の円柱が何のための装置なのか、何の試験をしていたのか推察することができず、思わず隣のエンジニアに声をかけようとしたその時。
 「0022号機、安定しています。問題なく、成功したかと」
 コンソールの男がモニタを読み上げながら試験の経過を告げた。どうやら試験は滞りなく進んだらしい。
 「動いているところを見せろ。駆動するまではわからん」
 上官が険しい顔を崩すことなく再び、指図をする。数人のエンジニアが配管や配線を手際よく繋ぎ、発動機は一瞬にして線だらけの姿になった。
 「駆動準備完了しました。いつでもオッケーです」
 配線を終えた男たちは発動機の脇に並び、姿勢を正す。その様子を確認したコンソールの男はレバーを下に下げた。
 「0022号機、駆動開始」
 発動機がガタガタと揺れると、先端のシャフトが回転し始めた。最初は低速でゆっくりとした動きだったが、次第にその回転数は上がってゆく。アードルフもよく知るR-一八三〇の巡航回転数はおおよそ1900~2200 rpm。目の前の発動機の回転数はおおよそ、その数値に達しようとしていた。
 だが、従来の発動機とは明らかに駆動音が異なっていた。噴射されたガソリンと空気の交わった混合気がピストンにより圧縮され、爆発する燃焼音ではない。聞こえてくるのはボコボコとした生々しい不快な振動音。
 「素晴らしい。素晴らしいぞ、諸君」
 声のする方に目を向けると、上官が恍惚の表情で駆動する発動機を見つめていた。他のエンジニアたちも同様だった。まるで悪魔に魅入られたかのようにシャフトを回転させ続ける発動機を見入っている。
 アードルフは生理的な悪寒と恐怖を全身で感じた。一体なんだ。何の実験をしているのだ。目の前の、燃焼音も発しないこいつは何だ。
 ボコボコと発動機の歪な駆動音だけが実験室を支配していた。

広大な海の上、轟音と爆音が立て続けに鳴り響く。1942年、アメリカ領ミッドウェー島周辺の海は悲劇と化していた。
 航空母艦「赤城」の甲板上に整然と並んでいた爆撃機などの艦上戦闘機たちはもうほとんど残っておらず爆撃により激しく損傷していた。飛行甲板には整備員の怒号と爆発音が響き渡るなか、敵機を迎撃するため戦闘機が空へと舞い上がる。だが、無情にも敵機の襲撃を許し、赤城は絶えることのない爆撃に晒された。甲板上では機関士たちが汗だくで火災を鎮圧しようと奮闘していたが、煙と炎が続々と上昇し、艦内の爆発音が再び響いた。
 甲板士官は赤城の轟沈を悟ると防火扉を開放し、負傷者と救護班を移動させ、駆逐艦「嵐」と「野分」への移乗を誘導する。爆撃により負傷した兵士の肩を担ぎ、救助に加勢する兵士のひとりに山本勇の姿があった。
 「死ぬな。生きてここを脱出するぞ!」
 山本は新人の若い兵士を励ましながら、甲板へと移動する。兵士は被弾した足から大量の血を流し苦悶の表情を浮かべている。早く赤城から脱出しなければ。山本はこのミッドウェーで死ぬつもりなど毛頭なく、必ず生きて帰ると自らを鼓舞し続けた。
 機関室を上り、甲板へと山本たちが出た直後、赤城の前方に位置する飛行甲板から大きな爆発音が鳴った。格納庫内の魚雷と爆弾の誘爆によるもので瞬く間に甲板は火の海に包まれる。間一髪、山本たちは甲板に火の手が回りきる前に野分に移ることができ、野分の下士官兵たちに救護された。野分には山本たちのほかに約二百名ほどの乗組員たちが移乗していた。
 自力航行不可能となった赤城は飛行甲板から火柱を上げながら、動きを完全に止めていた。少しでも機関室からの脱出が遅れていたら山本は今頃、あの炎に身を焼かれていただろう。格納庫から誘爆を続ける赤城を見て、山本は悔しさと安堵が入り混じった複雑な感情を抱いていた。
 そして、周囲の情報から、空母「飛龍」「蒼龍」そして「加賀」が轟沈したことを知らされた。
 たった一度の海戦で空母4隻、航空機約300機を失い、大日本帝国はアメリカに大敗を喫することとなった。

新米兵士たちが規則的な掛け声とともにトラックを走り込む声が聞こえる。最後尾の新兵は集団のペースについていけず、2メートルほど列に隙間が空いていた。
「何だその走りは!もっと気合いを入れんか!!」
「はいっ!!」
 士官の罵声と共に新兵の臀部が竹刀で殴打される。新兵はすぐさま速度を上げ、隊列の隙間を埋めた。
 ミッドウェー海戦での大敗後、大日本帝国海軍はピリピリとした雰囲気に包まれていた。大敗の原因を作戦ではなく兵士の気合いが足らなかったと罵る上官もそう少なくはなかった。ベテランの士官やパイロットたちを失い、上官は新兵を今までより厳しく、徹底的にしごいている。
 そんな新兵たちの姿を建屋の窓から一瞥し、山本は上官である一ノ瀬英二に視線を向けた。
「赤城、加賀、飛龍、蒼龍の空母4隻。艦載機290機、死者3057名。認めたくないが、大日本帝国のかつてない大敗だ」
 一ノ瀬は被害状況をまとめた資料をパラパラとめくり、机の上に放り出して両手をばんざいする。
「この戦力の減少について、すぐにでも手を打たねばならん。山本、専任下士官としての意見を聞きたい」
 本来、一ノ瀬のような上官が山本に意見を求めることなどあり得ないことだった。一ノ瀬は山本と同じく東北の出身で、同郷のよしみから2人きりの時は一ノ瀬の方からフランクに接していた。
「はい。自分の立場から言わせて頂きますと戦闘機を被害が甚大です。他基地から来た者や自分のような生存兵はいつでも出撃可能ですが、そもそも戦闘機がなければそれも叶いません。戦闘機の増産が最優先かと」
「ふむ。やはりそうなるか。空母の建設には時間がかかる以上、早急に戦力を取り戻すにはそれが最善か。しかし、神戸の工場も専ら材料が足らず生産が滞ってるそうだ」
 一ノ瀬は腕を組み椅子にふんぞり返りながらため息をつく。
 零式艦上戦闘機二一型の主な生産は兵庫県の神戸工場で行われていたが鉄やアルミが足らず生産が遅滞していた。山本もそのことについては知り得ていたことだったが、専任下士官としても出撃可能な戦闘機の増量が何よりも戦力回復の近道だった。
「わかった。零戦の確保についてはもう一度かけ合う。下がっていいぞ」
 やり場のない無力感を抱えつつ、山本は一ノ瀬に敬礼すると部屋を後にした。

 一ノ瀬との会話から三日後のことだった。周囲を木々に囲まれたラバウル基地を歩きながら山本は倉庫で出撃を待つ零戦に前に立っていた。山本の愛機を含めてわずか十六機ほどの零戦は戦力としてはあまりに頼りなく、またそのうちすぐに出撃できる機体はさらに少ない。この愛機とていつまでも飛べるとは限らない。そうなってしまえば山本は無力なただの男だ。早急な増援が期待できない以上、壊れた零戦を修理するなど頭数だけでも増やす必要があった。
 山本が考えあぐねいていると操縦士のひとりが駆けてきた。確か彼は水上機隊の操縦士だったはずだ。
 礼儀正しい敬礼で山本の前に立つ。
「山本殿。一ノ瀬上官からのご連絡です。基地近傍の諸島にてアメリカ軍、ワイルドキャットの残骸を二機発見しました。我々、水上機隊と共に流用可能部品の回収に参加せよとのことです」
 部隊は違えど階級が上の山本に敵機の残骸回収を手伝えと頼むことに気が引けるのだろう、彼の表情からは緊張が伝わってきた。
「了解。連絡ご苦労。すぐに準備をするので待っていてくれ」
 これは朗報だ。国、機体は違えどレシプロ機という点では構造上、二一型と類似している箇所は少なくない。断る理由はなく、山本はワイルドキャットの回収作業を快く引き受け、敬礼で返した。
 基地海岸沿いに停泊している水上機の前にやってくると先ほどの操縦士とその部隊員数名が山本を待っていた。若い操縦士が大手を振って、場所を山本を迎える。
「山本殿!ご多忙のところ、感謝申し上げます。雑務のような作業を手伝わせてしまい申し訳ありません」
「かまわんよ。丁度、暇をしていたところだ。さしずめ零戦の増援が期待できないので修理できる部品を取ってこいということだろう」
 促されるままに山本は二式水上戦闘機に乗り込み、座席に身体を落ち着ける。エンジンスイッチを入れ、各種計器に異常がないことを確認すると、先導する水上機に従った。3機、1列の隊を成し一直線に目的の小島まで機を進めて行く。
 暫く水上を進んでいくと、直径五キロほどの小島が現れた。数本の木々と草が生い茂り、周辺は砂浜で囲まれている。山本たちは水上機を砂浜に停泊させ、島へと上陸した。
「上空からの偵察ではこの島に敵機の残骸があったそうです」
 草木を掻き分けながら少しばかり奥に進むと、目の前に鈍色の鉄塊が姿を見せた。
 F4Fワイルドキャット。日本を苦しめている憎き艦上戦闘機だ。零戦に機動性、速度は劣るものの防御力は高く、零戦に装備されている九七式七粍七ななみりなな固定機銃でも正確に当てなければ撃墜することが難しい。また日本と違いその生産台数も圧倒的で、数を力とするアメリカの戦い方は脅威だった。
 眼前の残骸は確かに2機あった。淡い紺色の機体が半ば地面に埋もれる形で墜落している。
 「これが墜落したやつか。見たところ片方の損壊は激しいがもう一機は損傷が少ないな」
「推察ですが、コントロールを失った1機にもう1機が衝突して巻き込まれたかと思われます」
 ワイルドキャットの残骸を色々な角度で観察していた操縦士が答える。
「山本殿、自分は生存者の有無を確認しますので、発動機が使えるかどうか見て頂けないでしょうか」
「わかった。ものは違えど、零戦と同じ星型の発動機だからな。ダメージを確認する」
 操縦士は敬礼すると残骸の操縦席へ登り中を確認し始めた。
 山本と残った若い操縦士も作業に移る。持ってきた工具を使い機体先端のエンジンカウルを取り外していく。墜落の衝撃により変形していたため、工具を差し込んで強引にこじ開ける。必要なのはカウル下の中身でありカウルそのものに用はない。エンジンカウルが外されると星型の発動機が顔を覗かせた。
「これは……。本当にワイルドキャットか?」
 零戦二一型の栄発動機と同じように円周上に配置されたシリンダー、その真ん中にクランクシャフト、プロペラという構造なはずである。だが山本の前の発動機は堅牢なカバーに覆われていた。
「防弾用のカバーでしょうか?それにしても頑丈そうなカバーですね」
「これだけ肉厚なカバーだと重量のロスも中々のものなはずだ。何か理由があるんだな。もしかしたら新型かもしれん。基地に運び込もう」
「了解です。損壊の激しい方もでしょうか?」
「ああ。二基ともだ。そっちの発動機はこの頑丈そうなカバーを外せそうか?もう少し詳しく見てみたい」
 「やってみます」
 頷くと損壊の激しい発動機に近寄り、操縦士がカバーを外そうとする。悪戦苦闘の末、バチン、という音と共にカバーが外れた落ちる音がした。
 そして、操縦士が悲鳴のような声をあげた。
 山本は慌てて駆け寄る。ふと、急な腐臭が山本の鼻をついた。予想外の悪臭に顔をしかめる。そして、操縦士は地面に尻餅をつき驚愕の表情を浮かべていた。
「どうした!?」
 指を差しながら山本の方へ振り返る。よく見るとその指先、全身が震えているのがわかった。
「や、山本殿……。あれを……」
 損壊したワイルドキャットから覗くカバーの外れた発動機からはドロドロとした赤い液体が溢れ出していた。発動機のオイルではない。見たことのない液体が発動機の中を満たしていたのだ。近づいてみると強烈な臭いを感じた。腐臭の発生源はこの発動機であり、赤い液体が原因のようだった。
「一体、こいつは何なんだ……」
 山本は呆然とその場に立ち尽くした。

 「――以上が発見した発動機の報告内容です」
 ラバウルの小島で発見したアメリカ新型の発動機。カバーを外した途端、赤い汚液が溢れ出してしまった。そして不可解なことに汚液が溢れた後の発動機の中にはシリンダーやコンロッドは無く、伽藍堂のケースにクランクシャフトが転がっているだけだった。
「こんな所で新型の情報が得られたのは幸運だが、君の報告内容を聞く限り全く理解できんな。その発動機は構造として成立していない」
 山本の報告を聞いていた一ノ瀬が口を開いた。
「同感です。基地の技術士にも確認しましたが、あの発動機の中はもぬけの殻でした。赤い液体がピストンの役割を果たしていたとはとても……」
 理解の及ばぬ技術に山本も困惑していた。あれがアメリカ軍の技術だとすると日本軍と大きく乖離している。技術士たちは損壊の免れていた方の発動機を開けたがっていたが何が起こるか分からないため、手を触れないよう命令が下っていた。
「もう一基の方は無事なんだったな。新型の性能確認については進んでいるのか?」
「はい。技術士たちがテスト用の零戦に載せ替え試運転するようです。あっという間にジョイントを作ってしまったので驚きました」
 経過報告に満足した一ノ瀬は頷く。
「わかった。試運転の結果についても報告してくれ。以上だ」
 山本が会議室を出て建屋の扉を開けると外で新型の分析をしている技術士、芳賀雄一が立っていた。20代半ばで堀の深い端正な顔立ちをしている。技術の腕は確かで、堅実な印象があった。
 芳賀は山本の姿を確認すると駆け寄る。
「山本殿。これからアメリカ、新型発動機の試運転を開始します。一ノ瀬上官にご報告されると思いましたのでお呼びしました」
 律儀に山本の元まで出向いてくれたようだ。年下の気遣いに感謝しつつ答える。
「ありがとう。さっきそのことについて話していたところだ。試験場に案内を頼む」
 芳賀の案内のもと、山本はラバウル基地の端に設けられた飛行試験場に向かった。
 簡易的ではあるがラバウル基地にも性能テストをする場所がある。呉などの開発拠点に比べるとその規模は小さいが基地には腕の良い技術士も多く、本部から送られてくる試作機の運動性能計測などが度々行われていた。
 テストする試験機の見た目は零式艦上戦闘機二一型と変化ない。ワイルドキャットから奪取した発動機は零戦先端の黒いカウルの下に取り付いている。
「山本殿、少し離れていて下さい。何があるかわかりませんので」
 芳賀は山本が零戦に近付くのを静止し、距離をとる。
「飛行試験、開始します!」
 テストを指揮する技術士の合図があると、操縦席に座っている操縦士がエンジンスイッチを入れた。機体が一瞬震えると先端のプロペラが回転し始め、徐々に回転速度を上げていく。そして、2000 rpmに達した零戦が滑走路を走り、空へと舞った。
「離陸成功ですね。このまま性能限界速度まで速度を上げる手筈となっています!!」
 大きな駆動音が芳賀の声をかき消していくが、山本の耳には何とか聞こえていた。
 前方上空の零戦は瞬く間に最高速度へと達し、空を自在に駆けていく。従来の栄発動機では考えられないほどの高速、旋回性能を発揮していた。
 これ以上出力を上げてしまうと機体が耐えられないことを考慮したのだろう、零戦は速度を落とし大きな輪を描いて巡航し始めた。
 高速で舞う零戦を見ていた隊員たちはあまりの高速に言葉を失い、アメリカの技術力に舌を巻いていた。一方で、新型発動機搭載による零式艦上戦闘機の可能性に心躍らせている技術士も少なからずいた。
「芳賀、あの発動機だが……」
 テスト機を凝視しながら山本が尋ねた。
「はい。私も気になりました。発動機としてはあまりにも駆動音に違和感があります。技術の者たちもそれを不思議がっていました」
「……だよな。発動機の加圧燃焼音が全く聞こえない。ボコボコとした音が、あの頑丈なカバー下から聞こえるのも奇妙だ」
「アメリカのあれは、一体どんな原理で動いているのですかね」
 ぐるぐると飛ぶ零戦を見つめながら、山本は得体の知れない不安と気味の悪さを感じた。ラバウルの潮風が山本の頬を撫でていく。

 テスト飛行で脅威の結果を示した新型発動機の話はすぐに海軍本部へと報告された。最高速度、旋回性能といった機動性に関する数値が現行の栄発動機を上回っていたが、中でも群を抜いていたのは航続可能距離である。
 発動機には給油口にあたる部分が無かったが、ガソリンを入れなくても駆動し続けることが可能だった。無尽蔵に永久駆動する姿は、まさに夢の発動機といえた。
 ミッドウェー海戦以降、戦力の著しい減少を問題視していた上層部は栄発動機の生産よりもアメリカ軍の新型発動機を奪取し、戦力を補充することを決定。新型を積んだ試作零戦を隊長機とする飛行部隊、三〇一飛行隊を結成した。
 三〇一飛行隊の隊長に抜擢されたのは菅野直かんのなおし、若くして圧倒的撃墜数を誇り、背面急降下による至近距離の襲撃を得意としていたことから「菅野デストロイヤー」の異名で呼ばれているエースだった。
 菅野は新型を載せた零戦を自在に操り、戦果をあげていく。元々、零戦とワイルドキャットでは機体の軽い零戦に機動性という点では部がある。その軌道が更に上がったとなれば勝敗は明らかだった。襲撃し、不時着したワイルドキャットから発動機を奪取。アメリカの新型発動機を載せた零戦が次々に製作されていった。
 その頃、山本はラバウル基地から呉基地へ転属となっていた。飛行隊の再編成により専任下士官から小隊を率いる隊長に昇格し、発動機奪取の作戦に加わった。認めたくはないが栄発動機と比べて圧倒的な機動性、航続距離を有する新型は山本も驚き、満足していた。ただボコボコとした駆動音を耳にする度、得体の知れない不気味さを拭うことはできなかった。
 
 ラバウルの基地のとは比べ物にならない大きな宿舎を見上げながら山本は芳賀と並んでいた。初期から発動機の飛行テストに携わった者として芳賀もまた本部から引き抜かれたのだ。
「呉の基地はラバウルとは比べ物になりませんね。物が足りているとは思いませんが、あの基地が如何に何も無い基地だったかがよくわかります。ただ、熟練の技術者は少ない。あそこにいた優秀な奴らも一緒に引き抜いて欲しかったですよ」
「芳賀はラバウルの方が居心地が良かったか?」
「そうですね。今の技術もラバウルの大先輩に叩き込まれたものです。技術士としての故郷みたいなもんですかね」
 苦笑いを浮かべながら、かつての基地を懐かしむように答える。
 故郷、という言葉を耳にして山本は実家のことを思い出した。東北地方の小さな村である。村の人口も少なく貧しかったかが、困ったことがあれば家族のように皆んなで手を差し伸べる温かい村だ。
 その村には病に伏せる山本の弟、稔夫としおがいる。稔夫は小さい頃から身体が弱く、病気がちだった。子供の頃はいつも山本の後ろをくっついて兄の存在を頼りにしてくれていた。
 家族からの手紙が定期的に届いていたので稔夫が無事でいることはわかっていたがやはり、兄として気掛かりだった。
 奪取作戦により脅威的な速度で戦力を補充した大日本帝国はアメリカ軍の拠点を襲撃し領土を拡大していく。だが、順調に思われた矢先、ひとつの出来事が日本海軍を大きく揺るがすこととなった。

 呉基地、性能研究室ではアメリカ軍の新型発動機を分析するため奪取したばかりの発動機が試験装置に取り付けられていた。
 海水中における気密性のテストである。海水を張った水槽に発動機を沈め、駆動させる。普通の発動機であれば水中での駆動は不可能だが、堅牢なカバーを覆われ、密閉されたこの発動機であれば耐えうるのではないか、という期待からのテストだった。
 出撃から帰ってきていた山本は芳賀に声をかけられテストの立会いに参加していた。山本自身、幾度となくこいつで出撃をしていたが未だに得体が知れない。芳賀には出撃の合間に立ち会えることがあれば呼んでほしいと声をかけていた。
 試験室の天井に取り付けられたクレーンで発動機が吊るされている。テスト担当者の合図で発動機はゆっくりと水槽に沈められた。
「エンジンスイッチ、入れます!駆動開始」
 なんと、発動機は水中でクランクシャフトを回転し始めた。回転数を上げて、地上と遜色なく駆動している。
「すごいですね。回転数を上げても発動機内に海水が入り込んでいない。気密性が非常に高いです」
 芳賀は水中で駆動し続ける目の前の発動機を手放しに褒めた。
 確かに日本軍にこれほどの気密性を有した発動機は作れないだろう。日本とアメリカの技術力に、兵器の開発力に歴然とした差が出ていることは認めなければならなかった。
「2500 rpm到達。発動機、損傷ありません。回転数、破壊回転数まで上げ切ります」
 回転上限とされている3000 rpmよりさらに回転数を上昇させる。発動機の限界性を見極める破壊試験だ。ボコボコとした駆動音の音程が高くなり激しさを増す。発動機そのものがガタガタと左右に揺れているのがわかる。水槽の海水はバシャバシャと大きく波打っていた。そしてついに発動機が許容回転数を突破し、カバーを弾き飛ばした。ボルトが弾け、一緒にカバーも吹き飛ぶ。カバーやエンジンケースは水中で威力を殺されながらアクリル製の水槽に鈍い音を立てて激突した。急な爆音に芳賀は思わず耳を塞いで、目を瞑ってしまった。
「おい。何だこれは……」
 芳賀が目を開けようとした時、驚きに満ちた山本の声が耳に届いた。
 目の前には肉。肌色と赤が入り混じった肉塊が水槽の中にあった。よく見るとその肉塊には人間の歯や茶色の髪の毛、指、目が出鱈目な位置に点々としている。
 突如カバー下から姿を現した異形の肉に芳賀は声が出ない。吐き気を抑えようと口を手で覆う。隣の隊員は実験室で吐瀉物を吐き出していたが誰もそれを気に留めない。
 発動機の中は――人間だった。
「おい!誰か!!捕虜のアメリカ兵を連れてこい!」
 発動機の解析を指揮する上級士官が声を荒げた。高性能な新型発動機と思っていたものが、まさか人間を糧とした機械であったなど信じることができない。一刻も早く、真相を確かめる必要があった。
 翌日、捕虜収容所からアメリカ人エンジニア、アードルフ・ホッパーが連れられてきた。すぐに尋問室へ連れて行かれ発動機の真相について問うた。
 アードルフは鬼のような形相で詰問する日本海兵に怯えながら最初は辿々しく答えた。彼曰く、あの発動機は最初、事故の産物だと聞いていると言う。
 一九三九年、機雷に対する消磁実験で駆逐艦エルドリッジにステルス効果を発生させようとした時、電磁装置の出力を上げ過ぎて周辺が閃光に包まれた。光が収まり周囲を見渡すと甲板に置いてあった機械と乗組員が一体化してしまっていた。その事故から人間と発動機を一体化させ、燃料の必要ない、無限の航続距離を可能とする発動機の開発に至ったのだ。頑丈なカバーで発動機が覆われているのは、ケース内を開放すると中で保たれていた平衡状態が崩れるためである。平衡状態の崩れた人間は形状を維持することがてきなくなり、液化してしまう。
「私も配属された当初はまさか人間が入っているなんて思わなかったんだ!水中でバラされたエンジンを見た時は強烈だったよ。だが軍の命令だ。研究を止めることも、辞退することも許されなかった。あんた達が人間発動機に目をつけてゼロ戦に載せ始めた時は心底驚いたよ。知ってか、知らずかとんでもない悪魔の機体を作り上げたもんだと感心したね」
 観念したように捲し立て、全てを話すアードルフの内容に士官たちは顔を青ざめていた。非人道的な、悪魔的な技術の産物にあやかっていたことを知らされ吐き気を堪える者もいた。
 アメリカ人が閉じ込められた発動機をこれ以上運用していいのか、その疑問が士官達の頭をよぎった。
「今日聞いたことは大本営へ報告し、対応を検討する。諸君、それまで決してこの内容は口外を禁ずる。既に実験室は封鎖済みだ。大本営の決断が下るまで、通常通り職務を果たせ」
 上級士官はそう言って部屋を後にした。
 床に尻餅をついていたアードルフを士官が起き上がらせ連行していく。尋問室には重く苦しい空気が漂っていた。士官たちはただただ、お互いの顔を見合わせることしかできなかった。

 そして大本営の決断は「アメリカ軍、新型発動機は継続で運用する、ただし奪取作戦については本日をもって終了する」というものだった。大日本帝国海軍は未だ予断を許さぬ状況のなか、戦力を失うことを避けアメリカ人の入った人間発動機を継続利用することにした。
 大空を飛びながら、山本は複雑な胸中で操縦桿を握る。相変わらず発動機からはボコボコと奇妙な駆動音を響かせてプロペラを回転させている。今もこうして、あの肌色の肉塊が回していると考えるとどうしても不快感を拭えなかった。だが日本製の代わりとなる発動機が支給できなければ運用を辞めることができないのも事実として理解していた。これは戦争だ。山本は自分に言い聞かせ、心を鬼にして気を引き締めた。弟のため、ここで引き返すわけにはいかなかった。山本は戦果をあげ、弟を養っていかなけばならない。

 一ヶ月後、発動機奪取作戦終了から三ヶ月が過ぎようとしていた。人間発動機を搭載した零戦はワイルドキャット、B-29、スピットファイアを凌ぐ闘いぶりだった。だがアメリカ軍は数に物を言わせ、大隊での攻略戦法に切り替え、戦況を覆そうとしていた。いくら発動機を奪取したからといっても日本の小さなか国度では資源や操縦士は以前、不足したままであり、遂には学生までもが航空兵として徴兵された。
「アメリカの奴らは群れでやってくる。我々零戦は数の上では奴らより不利だ。一人一人誘い出し、急降下による受けからの攻撃で撃墜するんだ!圧倒的な速度の零戦ならそれが可能だ」
 呉基地、海兵宿舎の講義室で山本は新人隊員たちに零戦の攻撃方法について指導していた。黒板には零戦による襲撃方法が書かれ、海兵たちはノートを取る。この頃には山本の出撃回数もかなりの数になり、大隊を率いるエースとして注目されていた。
 講義が終了し、部屋を出ると廊下には一ノ瀬の姿があった。ラバウル基地で会ったのが最後であり久しぶりの再会である。
「一ノ瀬上官!呉基地に来ていたのですね。お久しぶりです。」
「山本も元気そうだな。活躍はよく聞いている。今では大隊の隊長を務めているらしいな」
 一ノ瀬は再会を喜ぶように山本の肩を叩く。そして今度は一変して神妙な面持ちになり山本を見据えた。
「山本、実は先ほどお前の母親からここに連絡があったと聞いた。これを読んでくれ」
 白い封筒を山本に渡す。電報だった。定期便での手紙ではなく、電報ということは嫌な予感がした。
 白い封筒を開けるとそこには「トシオ、エイミン」と書かれていた。山本は目の前が真っ暗になったかと思った。何度読み返しても文字が上滑りをして、頭に入っていかない。無意識に脳が理解を拒んでいるのだ。
 数秒――山本にとっては何時間にも感じられたが――後、息を整え現実を受け入れた。電報を握りしめる手が震える。山本はゆっくり息をすると背筋を伸ばして一ノ瀬に向き合う。
「ありがとうございます。一ノ瀬上官。弟はきっと天国で元気にやっているかと思います」
「そうだな……」
 一ノ瀬は帽子を深く被り直して、廊下を歩いていった。その後ろ姿を目で追い、再び電報に目を落とす。
「……ぐっ。うぅ…………稔夫っ」
 壁に拳を叩きつけ、山本はやり場のない悔しさと怒りをぶつけた。

 芳賀は、零戦がずらりと――ゆうに五十機を超える――並ぶ基地の倉庫に立っていた。目の前の零戦たちは先端に人間を閉じ込めた発動機を乗せて出撃を今か今かと待ち構えている。今この場に自分を含め五十一以上の命があることに気味の悪さを感じた。
 しかし、不思議だ。奪取作戦が終了し人間発動機を回収しなくなったのにもかかわらず、こうも人間発動機の在庫が潤沢にあるものだろうかと訝しんだ。
 鎮座する一機の零戦に近づき、脚立を立てかける。エンジンカウルの目の前まで上ると、固定されたカウルを取り外し始めた。沈頭鋲によるリベット打ちのせいで外すのに手こずったがなんとか発動機を外身を露出されせることができた。
 鈍色の発動機を注意深く観察する。ワイルドキャットに搭載されていたR-1830だ。だが、どこか外観の仕上がりの良さを感じる。ワイルドキャットの発動機はこんなに作りが丁寧だっただろうか。小型ライトを当て、発動機奥を照らしてみる。すると、暗闇に隠れていたがカバーに刻印されたある文字が目に飛び込んできた。
 「なんだ、これは。……MSS?」
 こんな記号はテスト機には刻印されていなかった。芳賀は刻印の意味を思案する。――ふと、ひとつの恐ろしい仮説が頭をよぎった。
 取り外されたカウルも、立てかけた脚立もそのままに芳賀は倉庫を走り飛び出す。
 一刻も早く、この事実を山本殿に伝えなければ。芳賀は山本の姿を探した。ちょうど山本は出撃から帰投したところだった。愛機の発動機を新しい人間発動機に載せ替え、初の出撃だったらしい。
 「この発動機、俺と非常に相性が良いんだ。思ったとおりに飛んでくれる。気味の悪いものではあるが、戦争に勝つためなら俺はこの人間発動機を使い続けるよ」
 発動機の実態を知った当初は忌み嫌っていた山本も、今では既にこれを受け入れていた。
 芳賀は告げ難そうに、だが意を決して口を開く。
 「山本殿、話があります。実はその発動機のことなのですが、先ほど倉庫で『MSS』の刻印を見つけました。これは初期にヘルキャットから回収した発動機には無かった刻印です。しかもその発動機はアメリカ軍から回収した物とは明らかに鋳造面の仕上がりが異なっていました」
 「どういうことだ?芳賀、何が言いたい?」
 「あくまで仮説です。ですがこの仮説があっていれば全ての辻褄が合います」
 「なんだ?もったいぶらないで言ってくれ」
 「『MSS』はおそらく、かつて栄発動機を製造していた三菱製作所M S Sのこと。そしてあの鋳肌面は三菱製作所が得意としていた加圧鋳造特有の鋳肌面です。今、航空隊に支給されている人間発動機は、日本製です」
 「な、なんだと……」
 芳賀の言葉に山本は驚愕の表情を隠せないでいる。今しがた山本が出撃に使用した発動機も日本製だったということだ。
 「アメリカ兵から人間発動機の秘密を知った大本営は、その製造方法と技術を入手したのでしょう。それならば急遽、奪取作戦終了を決定したのも納得できます。なぜなら国内で製造すればよいのですから。今、倉庫に並んでいる零戦。そのすべてが日本製の発動機を積んでいます」
 芳賀の説明通り、今にして思えば奪取作戦終了の決定はあまりにも奇妙なタイミングだった。そういえば、学徒が徴兵され始めたのも同じ時期である。これ以上先を考えることは禁断の領域に足を踏み入れることと感じたが、嫌な想像は山本の意思を離れ、どんどん膨らんでいく。
 「なあ芳賀。仮に本当に日本製の人間発動機が作られていたとして、中の人間はアメリカ兵だと思うか?今、基地や戦地には若い学生も招集され始めているのだろ?」
 その言葉に今度は芳賀が目を見開く番だった。
 二人は顔を見合わせ、一ノ瀬上官のもとへと駆け出した。
 指揮官室の扉を叩き、返事も待たず飛び込むように室内へと入る。
 そこには一ノ瀬が椅子に座り、窓から外を眺めていた。
 「なんだね。山本か。騒々しい。もう一人のテスト屋も何の用だ」
 急な訪問に一ノ瀬は不機嫌をあらわにする。
 「一ノ瀬上官!ひとつ確認したいことがあります。あれは、あの倉庫にある発動機は……誰を使って製造したものですか!」
 予想外だったのだろう。一ノ瀬の眉が大きくピクリと上がる。だが、取り乱すわけでもなく市野での態度は落ち着きを払っていた。
 「その質問をするということは、凡そ見当がついているのだろ?君の想像通りだよ。あの発動機は奪取したものではない。日本で製造された、純国産の人間発動機だよ」
 「貴様ぁ!!」
 想定していた最悪の回答に山本は一ノ瀬の胸倉を掴んでいた。学生を集めて発動機と混ぜ合わせ肉塊にし、発動機が壊れるまで働かせ続ける。戦争という異常事態、国のためとはいえあまりにも非人道的な所業だった。
 「山本!君は自分の立場をわきまえているのかね。私は上官だぞ!それに徴兵された学生たちは自ら志願した者がほとんどだよ。中には身体が弱く本来であれば兵士になれない者も、この人間発動機であれば戦場で貢献できる。我らが皇国のために喜んで犠牲になってくれた」
 嬉しそうに語る一ノ瀬の顔面に山本は拳を思い切りぶつけていた。一ノ瀬は派手に椅子から転げ落ち、壁に激突する。
 一ノ瀬は口から漏れる血を拭い、山本に言い放った。
 「そうだ。良いことを教えてやろう!君の愛機に搭載されている発動機。妙に乗りやすいとは思わなかったかね?あれはまさしく君の弟、稔夫くんだよ。彼は兄と戦場に出る夢を叶えたんだ!喜びたまえ!!」
 一ノ瀬の目はもはや狂気に満ちていた。
 「あれが?稔夫だと?稔夫は病気で死んだんだろ?あんたが電報を――」
 山本はすべてを理解した。電報など嘘だったのだ。でなければ上官である一ノ瀬がわざわざ届けに来るはずがない。山本は全身から力が抜けるのを感じ、膝から崩れ落ちるのを慌てて芳賀が支えた。
 失意で頭が埋め尽くされ、山本はただ口をパクパクさせることしかできなかった。
 山芳賀が本の腕を肩に担ぎ、部屋を後にしようとする。出口で芳賀は首だけ振り返り一ノ瀬を睨む。
 「こんなことして、隊員たちが黙っていると思うなよ。あんたら上層部は必ず報いを受ける」
 「負け犬の遠吠えかね。好きに吠えたまえ」
 乱れた服装を直しながら一ノ瀬は芳賀に向かって吐き捨てた。

 芳賀に連れられ山本は愛機の、稔夫の前にまでやって来た。
 深緑の機体、先端における黒く輝くエンジンカウルの下に隠された発動機の中に稔夫は閉じ込められ、死ぬまで動かされ続ける。
 「山本少尉。なんと言ったらいいかわかりませんが、こんなこと、例え大本営の決定だとしても納得できません。日本製発動機の真実を皆に伝えましょう」
 消沈した山本を鼓舞するように芳賀は山本に語り掛ける。だが山本は呆然と虚空を見つめるばかりで、目の焦点もあっていない。亡き弟のために大隊を率いたエースの姿はもうどこにもなかった。
 零戦の足元に座り込み、山本は消え入りそうな声で芳賀に言う。
 「芳賀、すまないが、少しばかりひとりにさせてくれないか?ひとりに、なりたいんだ」
 この言葉を聞き入れてしまったら、もう二度と山本に会えなくなるのではないか?芳賀にはそんな思いがよぎったが、山本の願いを聞き入れずにはいられなかった。
 「わかりました。山本少尉。必ず、必ず迎えに行きますからね」
 山本の肩を叩き芳賀はその場を後にする。

 数時間後、芳賀は人間発動機が駆動し、零戦が飛び立つ音を耳にした。
 そして――山本勇が帰ってくることはなかった。

 日本製人間発動機の真実は芳賀の口から基地の隊員たちに伝わり、基地全体、大日本帝国海軍に衝撃が走ることとなった。
 隊員たちは人間発動機の使用を拒否、海軍内部で暴動が起こり、指揮は混乱。それと同時にアメリカ軍の大隊が上陸することとなり日本は一気に劣勢を強いられた。
 最終的には兵の士気も、発動機も失い、特攻という無謀な作戦を敢行するに至る。
 特攻の甲斐なく、大日本帝国は敗戦を迎えることとなった。

 人間発動機を搭載した零戦が撃墜されるたび、墓標には操縦士と発動機、二つの名前が連ねるのだった。

文字数:15723

課題提出者一覧