梗 概
あなたが望んだぼく
令和十年。日本はイスカリ銀河人の植民地となっていた。
日本には多くのイスカリ銀河人が移住した。彼らは日本社会のなかで日本人と同様に生活し労働をした。表面的にはイスカリ銀河人は人権に理解があったが、現実社会ではさまざまな階級や差別が発生していた。
本郷司は妻に先立たれ、一人で息子の志朗を育てていた。
彼は母親の顔をほとんど覚えていない息子に、精一杯幸福になってほしいと、様々に力をつくすが、それらは人生のなかで度々裏目にでてしまう。
いい学校に息子を通わせれば、勉強についていけない息子がいじめられてしまう。誕生日にサプライズを企画すれば、事情やトラブルでそこに自分が立ち会うことができなくなる。争いと無縁な人生を歩んでいけるように社会運動に参加すれば、そのことがきっかけで争いが発生してしまう。仕事のパートナーを信じれば、逆に裏切られてしまう。
息子の志朗はそのような人生のなかで、日本人よりも宇宙人と親しくなり、彼らの文化に詳しくなっていく。
そして日本とイスカリ銀河人との間で戦争の火だねが発生したとき、司はそのときもまた、事態の収拾の判断を息子にゆだねてしまう。
「お前は世界を壊さないと信じている。でも、お前が世界を壊したときはその事実を受け入れるまでだ」
志朗は父の願いもむなしく、戦争へと状況を加速させてしまう。
それでも父と子は生き続けている。
文字数:580
内容に関するアピール
人を育てることは、良くも悪くも、期待や望みと相反する現実に直面することだと思っています。今回は、その「悪い部分」について書きたいと思っています。
主人公の司は現実に裏切られ続けられる。けれど彼は期待を捨てずに生きていく。それは愚かしいことにも見えるかと思います。しかし現実に裏切られた後も、人生は長く続いていくことのほうが多いかと思います。
宇宙人に侵略された令和の日本は、表面的には人権に配慮された社会ですが、実際には細かな差別や階級が影を落としており、日本人である司は逆移民のような社会を生きていきます。
暗い感じになりそうですが、作品のムードや読後感としては「読むんじゃなかったと同時に読んでよかった」というものを目指したいです。
文字数:319
空白・父・空白
千代田区の仕事場で翻訳の仕事をしている間に妻が亡くなって私は娘と二人家族になった。その直後の記憶は断片的で不連続だ。病院からの電話。霊安室で泣きじゃくる娘。死亡届。火葬許可申請。住民票の抹消届。葬儀屋へ連絡。葬儀。親族たち。妻の知人。火葬場で泣きじゃくる娘。炎。休憩室で飲んだお茶。少し広く感じられる蒲田の自宅。疲れて眠る娘。死は様々なものを怒涛のように引き寄せてきて、生活からなにか大きなものを奪っていき、波が引くように去っていく。死は残らない。生活に空白が生まれる。人は空白に仮の名前として死と名付けている。しかしそれは死ではない。妻でもない。空白は空白。
三歳の娘にはその空白を理解することは難しい。
私にだって難しい。
誰にだって難しいだろう。
空白を名指す言葉は空白以外にない。
そのことを娘に言葉で伝えるのは非常に困難だ。空白は翻訳不可能だ。日本語。英語。ドイツ語。フランス語。そして今ではイスカリ語をくわえた五言語を私は仕事の対象にしているが、そこに空白は含まれていない。けれど娘は空白を知りたがる。ママのカレーを食べたい、という娘の言葉はとても複雑なことを意味するようになってしまった。私は「ママのカレー」を作ることができないし、私以外の誰にもできない。人類から「ママのカレー」は失われてしまった。
別の日。
神保町の喫茶店。編集者との打ち合わせ中、そのニュースは世界を駆け巡った。まず編集者のスマホに着信が来た。編集者が通話をしながら半笑いになっていく。面白いジョークを聞いたときの彼のよく見る反応だった。次いで、店内がざわつき始めた。隣の席のカップルの会話から
「宇宙人」
という単語が聞こえた。
その言葉に返すように編集者が
「嘘だろ?」
と電話越しの相手に言うと、カップルの女が
「本当みたい」
とスマホを見つめて言った。
編集者が「ちょっと確認するから、一旦切るから」と告げて電話をやめてスマホでニュースを検索し始めた。
「本郷さん。なんかよくわからないんですけど、宇宙人が来たとかなんとかすごい話題になってるらしいですよ」
と私に向かって言う編集者の顔から半笑いが消えていた。
「木星」
と彼が呟く。
「木星のところまで来てるらしいですよ」
「何が?」
私が訊く。
「宇宙人が」
私は冷めたコーヒーを口に運んで言う。
「宇宙人ですかー」
彼の話は本当だった。
この日、社会は大した混乱もなくこのニュースを受け入れたように思えた。話が突飛過ぎて誰も実感を持って受け止めていなかったということだ。一方で私は打合せを切り上げて娘の保育園に向かい四歳となった娘を保育園から普段よりはやく引き取って家に帰った。帰宅したのは午後三時頃だったように思う。その日の仕事はすべて翌日以降に回して、私は娘と人形遊びをして過ごした。私がくまのぬいぐるみ、娘がうさぎとカエルのぬいぐるみを動かして友達ごっこをする。種族の異なる三者の関係は良好で、言語の隔たりもない。三体とも日本語で会話をしている。脳も筋肉もない彼らの代わりに、私と娘が脳と筋肉を提供して手足を動かし言葉を交わす。宇宙人も日本語を使ってくれると助かるな、と私は思ったけれど、現実には彼らの母語はイスカリ共通語だったし、地球に移民した後も彼らが学習した言語は英語のみだった。それでも地球の言語を使ってくれることはありがたかったといわざるを得ない。公式の交渉の場ではイスカリ語と英語の通訳が不可欠で、私は宇宙人――イスカリ銀河人と地球人類との通訳も仕事とすることになるわけだが、さすがにこの日の私はそこまでのことは予想していなかった。
ただのカレーを夕食に食べて、娘が寝入った後、私はネットで宇宙人のニュースをかたっぱしから検索した。宇宙人は地球とは異なる銀河系からやってきた人種族であると公言し、自分たちをイスカリ銀河人と名乗った。木星の傍に宇宙船を駐留させているのは、地球との和平交渉が失敗したときに木星を破壊するためらしい。木星がなくなれば、太陽系の他の惑星に大きな影響が出ることは間違いない。一説によれば、地球に隕石や小惑星が衝突することが少ないのは、地球にたどり着く前に木星の重力に引かれてそれらが木星に落ちているからだという。木星がなくなれば、そうした自然の防壁が消えることになる。そのようなことがネットの記事に書いてあったが、要は武力で自分たちの要求を地球側にのませるための駆け引きだろう。そもそも木星が破壊できるなら、その300分の1の質量しかもたない地球を破壊することも容易いだろう。イスカリ銀河人にはそれだけの科学力があるということだ。
しかし木星と地球の間の距離は最も近づいた時でもおよそ6億kmある。光速でも30分かかる距離だ。イスカリ銀河人に光速で通信が可能な機器があると仮定しても、地球の科学力ではその距離間で交渉を行うのは不可能だ。だとすれば実際に地球とイスカリ人の交渉は地球上で行われている可能性が高い。そしてこれだけの情報がネットのニュース記事や掲示板やSNSに漏れているということは、地球側はそれを隠蔽していないか、もしくは誰かがリークしているからに違いない。おそらくイスカリ人は過去すでに地球に潜入していて、今まさに地球上で地球人と交渉のテーブルにつき、地球側が後に引けないように民間に情報をリークしているのだ、――と、ネットの情報はそのような形でまとめられている。
まあ、私が知っている情報と突き合わせてもそれが正しいように思えた。
地球に星間戦争をやれる技術力はない。交渉はイスカリ人の要求が通るだろう。長引いても一週間ほどで決着するに違いない。この交渉で地球に切れるカードはないのだから。
ある程度の状況を把握し、時計を見ると既に深夜一時を回っていたので、私は翌日のために就寝した。翌朝のニュースでは世界各地でパニックが起きていることが報道されていたが、同時に普段と変わらずに通勤するサラリーマンの姿も多く、朝の駅前で街頭インタビューに答える人びとの姿もテレビでは映し出されていた。呑気で微笑ましい限りだ。娘の通う保育園も平常通りに運営されているようだったが、私は保育園に電話して今日は休むことを伝えた。自宅でできる作業以外の仕事の予定をすべてキャンセルし、私は今日も家で娘の相手をして過ごした。
イスカリ銀河人の木星襲来から五日後。
国連とイスカリ銀河人の間で、イスカリ銀河憲章に則った友好条約が結ばれた。
その翌日に、各地で暴動が起きたが、これをイスカリ人と各地の警察や軍が数日で鎮圧した。
ここまですべて予定されていたシナリオであることを私は知っていた。
十数年前から地球にイスカリ人の工作員が来ていたことや、その間にすでに地球との間に密約が取り交わされている。このことは一般には知られていない。
知っているのはおそらく私を含めた極々一部の人間だけで、そのなかに妻も含まれていた。というのは語弊がある表現かもしれない。なぜなら妻は地球人ではなくイスカリ人の工作員の一人だったので知っているのは当然だからだ。
私は仕事を通じて妻と知り合った。妻は仕事先の編集者で、何度か顔を合わせているうちに読書の趣味などで気が合いいつの間にか付き合う感じになっていて、英里という大切な娘も私たちの間に生まれた。
妻が妊娠していた頃、彼女はこんなことを話した。
「人類ってすごいよね」
「唐突にどうした?」
「だって考えてもみてよ? 実在するかもわからない宇宙人のことを、ああでもないこうでもないって想像しながら物語にしちゃうんだよ」
「ああ、SF小説とか、そういう話?」
「ファーストコンタクト物っていうんだよね。私、初めてそういう小説読んだときはびっくりしたなあ。まだ出会ったこともない生き物について書かれた物語を人類はたくさん書いててさぁ……」
「新鮮な驚き方だ」
「なんかね、私たちの子どものことを考えちゃった」
「え、どういうこと?」
妻は膨らんだおなかを撫でながら言う。
「この子と私たちはまだ出会ってないでしょ。でも、すごくいろんなことを今から考えちゃう。どんな顔だろう、どんな声だろう、って。こういうこと想像しちゃうのが、未知の宇宙人のことを考えるSF作家みたいだな、って。誰と友達になるんだろう、どういう仕事に就くんだろう、誰と結婚して、それからどんな子どもをこの子は産むんだろう。音楽や読書の趣味とか、甘い食べ物は好きか嫌いか、辛いものはどうだろう、酸っぱいものはどうだろう。いつおなかから出てくるんだろう。パパのことを好きになってくれるかな。嫌いになったりしないかな。私のこと、愛してくれるかな……とか」
「大丈夫だよ」
「この子、幸せになれるかな……」
「俺たちで絶対幸せにしよう」
「あのね、私ね」
「ん?」
「……ううん。なんでもない」
あの時、妻は私に自分の秘密を打ち明けようとして、やめたのだろう。当時はそこまで考えが至るわけもなかったけれど、彼女の不安は相当なものだったのだと思う。地球人とイスカリ人のハーフは、たぶん娘が史上初めてだっただろうから。
彼女が亡くなってから、あのときの会話をよく思い出す。
そして彼女の分まで、娘を幸せにしなくてはいけないと強く思う。
*
「パパなんて地獄に落ちろ! もう知らない!」
十七歳の誕生日の夜。娘はそう言い捨てて家を飛び出した。
英里、と名前を呼んで引き留めようとするが、名前を言い切る前に娘は玄関から姿を消していた。リビングにはお祝いの食事が中途半端に用意され、冷蔵庫にはケーキが控えていた。私がキッチンで料理の盛り付けをしている間に、娘は突然ソファから立ち上がって叫んで、そして出ていった。突然のことに私はすぐに動けなかったが、すぐに我に返って自分も家を飛びだそうとした。そのときリビングに置いてあったスマホが鳴り出した。着信音で相手がわかったので無視するわけにもいかず、私はリビングに戻る。
「もしもし」
電話に出ると、通話の相手がおかしそうに笑う声がした。
「地獄に落ちろ、だってさ。笑っちゃった。もしかしてアンタたちの間じゃ、誕生日に送る言葉としてポピュラーなやつなの?」
相手の女性はけらけらと笑いながらそんなことを言う。
「なあ、多佳子。わかってると思うけど、これから英里を追いかけないといけない。用件なら手短にしてくれないか」
「アンタこそわかってるでしょ。私はアンタたちを監視するのが仕事で、その私が慌ててないならあの子は危ない状況にはなってないよ。今は、自宅を出て駅とは反対側に向かってトボトボ歩いてる。別に周囲に危険はないよ」
「わかった。お前が言うならそうなんだろ。でも父親としては一刻も早く娘のところに行きたいんだ。用件を言ってくれ。どうして俺に電話を?」
「釘を刺しておこうかと思って」
「なんのことだ」
「母親のこと、あの子に話そうとしていない?」
「……バカバカしい。そんなことして、俺にも英里にもメリットがないだろ」
「父親の自己満足以上にバカバカしいものはないわよ。机の中の遺書は処分させてもらったから」
その言葉には動揺を隠しきれなかった。遺書。確かに私が書いた遺書が、書斎の机には入っている。娘宛てに認めたそれには妻の死の真相と、娘が地球人類とイスカリ人のハーフである事実が書かれている。
「お前たちは、どこまで私たち家族の生活を監視しているんだ」
「我々イスカリ銀河人は、何も地球と争いがしたいわけじゃない。静かに地球に移民できればそれでいい。それを忘れないでね」
それだけ告げると、電話は切れた。
多佳子の言葉を確かめるために書斎へ行き、机の引き出しを開ける。そこにあったはずの封筒がなくなっている。ここまでやるのか、と茫然としかけた。
妻が死んでから、私と娘はイスカリ銀河人に監視されている。
あの木星の日以前に、イスカリ銀河人が地球にやってきていたことは広く知られてはまずいからだ。地球人類とイスカリ銀河人の友好条約はあくまで交渉によって結ばれたことであり、それを侵略のように一般に認識されることを避けているのだ。妻はそれを告発する気配を見せただけで殺された。事故死ではなく、奴らによって殺されたのだ。その真相を知っている私は、事情を知る人間として通訳として雇われることになった。イスカリ銀河人に飼い殺しにされているということだ。監視つきで。それも侵略の真相を誰にも口外しないことが条件であり、誰かに告げたことが発覚すればすぐに私は消されるだろう。それでも、娘には真実を何らかの形で伝えたかった。死という空白は伝えられなくても、せめてそれに限りなく近い情報だけでも知ってもらいたい。娘の身に危険が及ばないように試行錯誤しているが、私が思っていた以上にイスカリ銀河人の監視は徹底していた。
子どもの母親が政治的戦略の結果としていなくなったという不正義が私には許せなかった。正義。不正義。それはどちらも私の父親としてのエゴが感じさせている単なる感情なのかもしれない。
娘にはよい未来を生きてほしい。
空白を出来る限り伝えたい。
書斎を出るとき、娘が高校で書いたという進路希望調査票が目に止まった。担任の教師から学校に呼び出しを受け、英里さんは真面目に進路希望を出さないのでお父様からも相談にのってあげてください、と言われた際に持ち帰ったものだ。
学年とクラス、それから氏名の欄に「本郷英里」と書いてある以外は何も書かれていない。第一希望も第二希望も第三希望も空白だった。そこに娘は何も書かなかったわけではなく、空白を書いたのではないかという気がした。それがどういうことなのか、担任の教師には伝わらなかったし、私にも伝わらない。
文字数:5588