箱庭ヘテロトピア

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梗 概

箱庭ヘテロトピア

1965年 河瀬飛雄助教授がスイスのユング研究所で、ユング派分析家の資格を得る。
  1969年 アポロ12号が月から持ち帰った『月の石』に、特異な電磁気的性質が確認される。
  1972年 恒星間航行用超光速宇宙船リバティー1の打ち上げに成功、その際にアポロ12号の『月の石』の磁気的性質を使った技術が使われる。河瀬飛雄が奈良のとある遊郭を対象に動物磁気メスメリズムと精神分析についてフィールドワークを開始する。
  1973年 北海道大学の阿恵新左衛門教授が『月の石』の一つを用いて核磁気共鳴NMR信号の収集に成功。核磁気共鳴画像MRI装置の試作機が運用される。
  1975年 河瀬飛雄が遊郭でのフィールドワークの結果を論文にまとめ、京大助教授がら教授へ。北海道大学との連携で、試作機の核磁気共鳴画像MRI装置の試作機を遊郭へ持ち込む。

 河瀬教授と阿恵教授と『私』は遊郭の奥座敷で、愛と性と意識あるいは無意識──心。その関連を、法則を、この異望郷で探ろうとしていた。そして今日、精神分析を超えて脳科学的にその答えが出るはずだった。木辻、東岡、洞泉寺、の奈良三大遊郭のどれにも属さないひっそりとした場所に、三年前から通い詰めていた。それでも私たちに悪い噂が立たないのは、ここに来たことにはみな口を紡ぐからだ。男も、女も。
 それは、ここが男娼を専門とした遊郭だからでもある。『男のための男』──戦後のマチズモ的な『男の中の男』とは対をなす存在。
 陰間茶屋。江戸時代にはそう呼ばれていたらしい。男色が一般的だったかの時代から続く伝統といえば聞こえはいいが『私』からすれば、まさに異望郷ヘテロトピアと言えた。そして教授は、その嗜好が『心理療法の対象として治療すべきかどうか』を見極めるために、ここに来ていた。時世としては迷うことなく『治療すべきもの』とされていたにもかかわらず。
 座布団に正座した河瀬教授は、凪の湖面じみた風体で装置が組みあがるのを眺めていた。すでに『治療してしまった者たち』が自身の罪として立ち現れる可能性を覚悟しているようにも見えた。
 対する阿恵教授は、北海道から輸送してきた装置をどかどかと遊郭の奥座敷に組み上げていった。いかにもがさつだったがその実、畳の縁は一度たりとも踏まなかった。
 『私』は、今回の実験協力者である双子の娼妓に説明責任アカウンタビリティを果たしていた。『私』の前に座った二人──立役たちやくの『ケイ』と女形おやまの『コウ』という双子は、この遊郭での花形であり、二人ともが化粧次第で両方をこなす。そして、名前が決まっていない。彼らは、立役の時は『炯』と呼ばれ、女形のとき『昂』と呼ばれる。遊郭の中で産婆に取り上げられ、育てられた双子だった。
 彼らは救うべき対象なのか──そもそも何が救済か。河瀬教授も『私』も答えを出せずにいた。装置を組み上げ終わった阿恵教授が、ざっくばらんに言う。
「乱暴な話なんだが。例えば個々の人間が、この装置みたいに何か大きなもの──『計算機』の一部だったら、誰が誰を愛そうが、どう生きてどう死のうが、何も変わらないんじゃないのかね?」
「先生。僕たちは、死ということがわからない。演ずる人が変わっても炯は炯だし」「昂は昂だ」「誰かが僕らを求めてくれるかぎりは」
『私』は筒状の装置に炯を寝かせ、河瀬教授は装置を起動させる。
「それでも私は、その計算機と化した人間の──性と遺伝子に拘束されたヒトの、幸福を探したいのですよ。個人の心に意味があると、いのりたいのです」

1978年 遊郭での試作機運用により、世界で初めて人体でのMRI撮影が成功し、脳の神経発火から固有のパターンの連動が発見される。この世の全ての答えが出る。『42』

文字数:1562

内容に関するアピール

完全にアイデア勝負。MRIの開発史と日本の精神分析史を交差させるIF近代歴史に、四期受講生や先輩のTwitterで話題になったジェンダー論を詰め込んだが、また詰め込みすぎ。その割に、煮込めてなさすぎ。雰囲気と史実と虚構のミックス具合はいいと思うが中身がないので、これこそ論文風に横書きで全部やってもよかったのでは? 実作を書くなら参考資料を増やして、明確に『男性論』を主軸に話を展開し、日本におけるジェンダーをフィクションに落とし込んでいきたい。具体的には、炯と昴──つまりは『男のための男』として育てられた二人──と早瀬教授のやり取りをメインに、動きの少ない物語にするかと。オチは、おそらくSF界で一番有名な数字とそれが放送された年。自由意志の否定=『利己的な遺伝子』的な生殖による遺伝的多様性と代償としての死──だが、その『利己的な遺伝子』から抜け出す生殖ではない性としての同性愛、つまりは純粋に『個体の意識』として完結した性と生を書きたかったのだが、たぶん梗概では伝わらない。そもそもこれ、僕が書くよりも、もっと適した書き手が居るとおもうんだよなぁ。あともし可能であれば先輩方から1970年代の話が聴ければいいなと。

文字数:511

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