ルーティーン

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梗 概

ルーティーン

男は夜しか知らない。星の住民は地球からの移民で、男は二世である。星の一日は地球時間に換算すると六十年になる。二十年前に男が生まれてから、星はずっと夜だ。住民による開拓が進められており、地殻の内側に造られた街には常に街灯が点いている。住民の暮らしは体内に埋め込まれた電波時計で管理される。地球時間で設定される〝一日〟が基地局から〝発信〟され、数字で時刻をなぞる暮らしだ。住民は暗闇の中で〝朝〟を迎え、〝昼〟を過ごし、〝夜〟眠る。

男には日課がある。就寝前の〝レター〟のやりとりだ。恋人のルシーも開拓民であり、地球の調査隊に参加している。〝レター〟は、相手へ伝えたいことを頭の中で文字や音声、絵や歌に変換し、電波時計を使って伝え合うものだ。相手との距離が離れれば離れる程に、届くまでに時間がかかり、誤差も大きくなる。時差が生じるために「今」この瞬間を共有することは叶わないが、互いを近くに感じる手段である。ルシーからのレターには、男が経験したことのない朝や昼の話、地球の自然や残された居住区を維持する試み等、様々な情報が溢れている。男が送るのは、その感想だ。

ある日、街で大規模な地崩れが起きる。基地局が土砂に呑み込まれた影響で住民の電波時計に故障が相次ぐ。レターの送受信にも障害が生じる。地球時間で一日おきに届いていたルシーからのメッセージが、三日、二週間と乱れていく。男はシステムの故障だとは思いつつ、自分への気持ちが薄れているのでは、と考えるようになる。ルシーのレターは定期便ではなくなり、気まぐれに送られてくるものに思えてしまう。それでも男は就寝前のレターを欠かさない。基地局のトラブルがあるから、自分のレターも乱れている可能性があるが、愛情を示す手段はこれしかない。男のレターはルシーへの返信ではなく、男の日常に起きたことを書き綴った日記になっていく。

4年をかけて基地局の復旧が完了したものの、再開後すぐにシステムダウンのトラブルが起きる。故障中に滞留していたデータが膨大だったためだ。さらに半年をかけて回路を拡張し、再度接続を試みる。すると、男の元にはルシーからのレターが千通以上届いた。レターが届けたのは、地球での日常やルシーが見聞きしたもの、男へ向けた愛の言葉、そして徐々に過酷になる地球環境の惨状だった。初めのうちに書かれた日記は、次第に事態の深刻さを伝えるレポートへ変化し、一度途切れ、救助要請、そしてまた、愛の言葉が連続して綴られていた。

 男は地殻内から地表へ出た。地球は肉眼では確認できないが、宙を見上げるしかない。事態を知った他の住民たちも同様だ。故郷を失い、それを「今」知って、できることはない。男は祈った。ルシーが無事でいるように、自分の送ったレターがルシーへ届いているように、と。

住民が立ち竦む中、星はゆっくりと自転を続ける。宙が白んでいく。三十年ぶりの夜明けがやってくる。

梗概文字数:1999

【参考文献】

スティーブン・W・ホーキング「ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで」林一訳,早川書房,1995年

ジェイムズ・グリック「タイムトラベル『時間』の歴史を物語る」夏目大訳,柏書房,2018年

文字数:1317

内容に関するアピール

日本との時差が8時間ある国を旅しました。日本にいる人とリアルタイムでコミュニケーションが取れる現実に驚きつつも、やはり会って会話することとのギャップは感じるし、距離感を感じる瞬間もありました。この経験について、スケールをひとまわり大きくして物語にします。時計産業の発達と雄大な自然の描写を織り込んで、旅の記憶を残せたらとも思います。そして時間と距離感について漠然と考えていたことをまとめたい。

ちなみに、現地で書いた絵葉書は送って二週間後、帰国後に自分で受け取りました。

文字数:234

課題提出者一覧