変わったお名前ですね

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梗 概

変わったお名前ですね

長縄ながなわりつは、数年ぶりに高校時代の友人であるみね彩花あやかに連絡をとり、喫茶店で再会した。ところが、嶺彩花という人物はもう存在しないという。今は「長谷川留奈」なのだと、パスポートを見せつつ朗らかに彼女は語った。名前が変わっても中身は昔のままだった。

五年前――二〇一九年。高校二年生の嶺彩花は、自分の名前が気に入らない者たちのクラブを立ち上げた。親に珍妙な名をつけられた山口味蕾みらい、正しく読まれない倉橋明子さやこ、有名なAIアシスタントと同名の岡田アレクサが集まった。「嶺彩花なんて名前、本当の私じゃないの」と零す彩花に惹かれた律は、自分の名前に不満はないのに嘘をついてクラブに入る。
 普段は遊んでばかりの仲良しクラブだったが、ときおり改名について勉強会が開かれた。現行法でも十五歳以上なら戸籍上の名の変更を申請できるものの、改名しないと社会生活に支障が生じるような「正当な事由」がなければ認められない。他の子と違って正当な事由がないらしい彩花は、誰でも改名できるようにすべきだと主張する。それでは社会は大混乱だという反論も挙がり、毎回議論は白熱するが、いつも律は彩花の側についた。
 やがてクラブは自然消滅した。味蕾は自分の名に愛着があることに気づき、明子は親が名前に込めた思いを知り、アレクサは改名するのはAIの方だと開き直った。クラブには彩花と律だけが残された。そこで彩花は、自身の改名計画を律に打ち明ける。
 まず、協力者として別の「彩花」を見つける。その人が「鈴木彩花」ならば、嶺彩花は鈴木姓の男性を見繕って結婚し、「鈴木彩花」と改姓する。すぐに鈴木某とは離婚して、今度は協力者「鈴木彩花」と同性パートナーシップを結ぶ。身内に同姓同名の人物がいるのは、今から通称名を使いつづけるよりも確実に「正当な事由」となる。
 しかし、律はその計画を許せなかった。自分が大切に抱えていた気持ちを踏みにじられたようだった。そのまま彩花とは喧嘩別れになり、歳月は流れ、現在に至る。

喫茶店にて律は言う。
「彩花が改名したのって、もしかして長谷川ルナって人の生まれ変わりだから……だったりしないよね?」
 実は、彩花に連絡をとる前から、律は彩花の改名後の名前を人伝てに聞いていた。ネットで検索すると、偶然律たちの生まれ年に長谷川ルナという女性が事故死していたのだ。生まれ変わりは半分冗談にしても、そういった理由があれば彩花の行為を受け入れられる気がした。律は、彩花の「正当でない事由」を知りたくて連絡したのだ。
 だが、元「嶺彩花」は失望の表情を浮かべた。最初から彼女は、自分の名前を自分で決めるのに理由など要らないというスタンスだった。
「なんだ。律って、私のこと何もわかってなかったんだ」
 次は新しい名字を作るため、一旦日本国籍を捨てに行くつもり。そう言って彼女は喫茶店を去った。
(1200字)
 
【参考文献】
●戸籍法(名の変更申請)
山下敦子『第3版 戸籍の重箱 初任者のための戸籍実務のレシピ』日本加除出版,2019年.
自由法曹団編『最新くらしの法律相談ハンドブック』旬報社,2011年.
 
●命名・改名の事例
井上薫『司法のしゃべりすぎ』(新潮新書)新潮社,2005年.
中山茂『野口英世』(朝日選書)朝日新聞社,1989年.
妹尾河童『河童の手のうち幕の内』新潮社,1992年.
『クローズアップ現代+ “改名”100人~私が名前を変えたワケ~』NHK総合,2019年9月4日放送(テレビ番組).
 
●人名
大藤修『日本人の姓・苗字・名前 人名に刻まれた歴史』吉川弘文館,2012年.
岩波書店辞典編集部編『世界の名前』(岩波新書)岩波書店,2016年.
佐々木健一『タイトルの魔力 作品・人名・商品のなまえ学』(中公新書)中央公論新社,2001年.

文字数:1578

内容に関するアピール

自分の命名権は自分のものだと信じる人が、社会自体に抗えるほどの力は持っていなかったために、やむを得ず既存の仕組みを利用して自己実現する話です。彼女にとっては、名も氏も、生まれ変わり説も、本当は何か事情があるのではという勘繰りも、どれも他者によって勝手に決めつけられた「自分」であり、許容できるものではありませんでした。
 課題に対し、身の回りにありふれているものを取材対象にしたほうが面白いだろうと思い、多くの人が持っている「人名」について調べることにしました。日本では年間4000人以上の人々が何らかの理由で改名しているそうです。では理由なく改名するにはどうすればよいのかと考えて、野口英世や妹尾河童の改名エピソードも参照し、最終的に梗概のような手段になりました。
 社会通念を打ち崩そうとしたり、それゆえ社会通念に振り回されたりしている登場人物たちを描写することで、読者の固定観念を揺るがします。

文字数:398

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変わったお名前ですね

わたしが「みね彩花あやか」という名前にはじめて違和感を抱いたのは、七歳の誕生日のときだった。
 いや、正確にはその二日後だ。色とりどりの大きなフルーツケーキと誕生日プレゼントのニンテンドーDSiにはしゃぎすぎて、その反動で夜遅くに高熱を出してしまい、丸一日寝込んだあとだった。誕生日の翌々日、昼過ぎになってようやくわたしは目が覚めた。熱は下がったような気がするものの、頭はまだぼんやりしていた。そのまま自室のベッドでぼうっとしていると、お盆を持った母が部屋に入ってきて、
「彩花、起きたの?」
 そう呼びかけられて、思わずこう返したのだ。
「あやかってだれ?」
 もちろん当時のわたしは、母の呼ぶ「彩花」という名前は自分のことを指しているのだと理解していた。小学一年生なんだからそれくらい分かって当然だ。それでも、わたしは「だれ?」と母に問い返さざるをえなかったのだ。自分が彩花と呼ばれたことに、あまりに違和感が大きすぎて。
 彩花って、わたしじゃなくない?
 そんな混乱が生じていた。
 別に記憶喪失になったわけじゃない。一昨日の晩御飯の献立だって覚えていたし、「ハピバアスデーディイアヤーカー」と両親に祝われたことも覚えていた。むしろ、今まですっかり忘れていたことを急に思い出したような気分だった。
 産まれてから七年間、ずっと嶺彩花という名前で生きていたのは確かな事実だ。だけど、それと同じくらい、いやそれ以上の確かさで、わたしは嶺彩花なんて名前じゃないと思うようになっていた。
 長谷川はせがわ留奈るなだと思うようになっていた。
 小一だったから、漢字はまだ分からなくて、「みねあや花」と「はせ川るな」だったけど。
「わたし、るなだから!」
 突然そのように訴える病床の娘を見て、母は何を感じただろう。まだ熱が引いておらず意識が朦朧としているのだと心配したかもしれないし、アニメか何かのキャラクターになりきっているのだと勘違いしたかもしれない。いずれにせよ母はわたしの主張にはまったく耳を傾けず、優しくも適当な声かけとともに、昼食のおかゆをひとさじ掬ってはわたしの口に運ぶのを繰り返すのであった。わたしも、とてもお腹が空いていたので、黙々とやわらかい米を噛んだ。
「いっぱい食べて、よおく寝たら、すぐに良くなるからね」
 呪文を唱えるように母は言った。
 そう言われると、その通りになるような気がしてきた。今はちょっとだけ変になっているけど、あくまでそれは一時的なもので、母の言いつけを守ってたくさん食べて寝たら元通りに治るのだと考えていた。
 だけど、食べて寝たくらいではわたしの違和感は引っ込まなかった。すっかり平熱に戻っても、「嶺彩花」を自分の本当の名前だとは思えないままだった。この日から、わたしはいつまでも「長谷川留奈」だった。
 
 幼心の浅はかさか、小一のわたしはまず誘拐を疑った。いや、今となっては完全に黒歴史だ。なかったことにしたい過去だ。
 でも、小学生のわたしは本気でそう考えていたのだ。今のお父さんとお母さんは本当の親じゃない、わたしは小さいころに別のおうちから誘拐されてきた子なんだ、って。今は自分の名前しか思い出せないけれど、いつかは誘拐前の記憶がよみがえるんじゃないかと信じていた。どこか遠くにいるであろう長谷川夫妻、本当のお父さんとお母さんを毎夜のように夢に見た。二人の姿は不明瞭で、夢で会うたびにその顔は変わっていたけれど。
 当然、「ニセモノの両親」に対しては態度が冷たくなった。早すぎる反抗期だ。わたしはよく癇癪を起こした。普段は落ち着いているけれど、あまりに彩花彩花と呼ばれつづけると感情が爆発してしまうのだ。「あやかじゃない、わたしはるな!」「ほんとのおうちにかえして!」とよく叫んだ。母の背中をばんばんと叩き、取り押さえようとする父の腕を本気で噛んだ。
 小学校でもわたしは問題児となった。さすがに乱暴なことこそしないものの、出席をとるときに返事はしないし、授業中に「嶺さん」と当てられても無視をする。いくら先生が注意しても、プリントには「はせ川るな」と全然違う人の名前を書く始末。本当にやりたい放題だった。友達はひとりもいなかった。たまに友達になりそうになっても、わたしが自分の本当の名前について説明するとみんな引いてしまった。
 四年生になったころ、両親が離婚した。まあ、わたしが原因だろう。父はいなくなり、わたしは母と二人暮らしになった。ニセモノの両親だと信じていたわたしだったから、特に悲しいとか寂しいとかそういう気持ちにはならなかった。離婚しても母の姓は「嶺」のままで、だからわたしも「嶺彩花」のままだった。今にして思えば、母はもともと働いており、姓の変更にともなう各種手続きの煩わしさを避けるために旧姓に戻さなかったのだろうと推測できるが、当時のわたしは離婚したら必ず名字が変わるものだと思い込んでいた(同じクラスの子の名字が急に変わる、という経験が何度かあった)ので、どうしてこの人はわたしを「嶺彩花」のままにさせたがるんだろうと不思議に思っていた。
 ある日、母がわたしを病院に連れていった。たしか、離婚してから一ヶ月も経っていなかったと記憶している。以前にも無理やりカウンセリングを受けさせられることが頻繁にあった(解離性同一性障害を疑われたこともあった)のでまたかと思ったら、その日は違っていた。わたしが見せられたのは、DNA鑑定の結果だった。母は、親子三人の髪の毛を使って検査していたのだ。
 わたしは、確実に、父と母の娘だった。
 嶺家の一人娘、嶺彩花だった。
「あんたが本当に望むんなら、どんな名前だって私は構わないんだけどね」落ち着いた声で母は言った。いつからか母は私のことを、あんた、と呼ぶようになっていた。「でも、あんたが間違っているところは、こうやってはっきりさせないといけないって思ったんだよ」
 どうやらわたしの我の強さは母親譲りのようだと、そのときわたしは実感した。
 でも、それじゃあ、わたしの中の「長谷川留奈」は何譲りなの?
 
 それ以来、わたしはすっかりおとなしくなった。「どうしてわたしは『長谷川留奈』こそが本当の自分の名前だと思うのか?」という解決できない難問を前に、何もできなくなってしまったのだ。
 おとなしくなったというか、原因の追及を諦めてしまったというか。
 母に対して、今まで申し訳なかったという気持ちもあった。
 だからといって、すぐに母との関係が修復されるというわけでもなかった。どんな名前だって構わない――そう母は言ったものの、わたしのことを「留奈」と呼ぶことはなかった。わたしも、ことさら母に呼び名を無理強いしようとは思わなかった。彩花と呼ばれないだけで充分だった。
 だって、自分ではない名前のレッテルを貼られるのは、本当に苦痛なのだ。
 中学受験して、小学校の知り合いが誰もいない遠くの中高一貫校に通うことにした。定期券には「ミネアヤカ」と半角カタカナで印字されていたし、学生手帳にはわたしの顔写真の横に「嶺彩花」と記されていた。テスト用紙の名前欄には自分の手で「嶺彩花」と書く必要があったし、返ってきた点数表にも同じ名前が載っていた。新しくできた友達はわたしのことを「あやちん」とあだなで呼んだ。ひとつひとつは小さな針だったけど、それらはわたしの全身、肌という肌、爪と指先のあいだ、眼球をぷちぷちと刺していった。誰もが「長谷川留奈」というわたしの存在をうっすら否定していた。
 一度、仲の良い友達にそれとなく「ルナ」というあだなを自主提案したこともあるけど、「あやちん、厨二っぽいよ〜」と一笑に付されるだけだった。実際、そのときのわたしたちは中学二年生だったのに。
 そういうわけで中学生のわたしは、現実からSNSへと逃げ込んだ。
 SNSなら自分で好きな名前を名乗れる。むしろ、本名をハンドルネームにするのはご法度だ。わたしにとっては「嶺彩花」ではなく「長谷川留奈」こそが本名なんだけど、そんな食い違いが、かえって都合が良かった。
 わたしは「長谷川留奈」という直球のアカウント名で、個人情報が特定されない程度に、Twitterでとりとめのない日常を発信していった。特に面白い内容ではなかったのでフォロワー数は少なく、大勢の人に読まれることはなかったけど、それでもたまにリプライがきて「長谷川さん」「留奈さん」などと声をかけてもらえるのが心地よかった。気持ち悪いリプライばかり飛ばしてくるアカウントに「僕の、瑠奈ちゃん」呼ばわりされたときはかなりむかついて即座にブロックしたものの、その苛立ちが、本当にわたしは「長谷川留奈」なんだと実感させた。
 Twitterのタイムラインを眺めていると、変なアカウント名がたくさん流れてくる。みんな自分で考えた名前なんだろうけれど、いったいどういう気持ちで名乗っているんだろうと疑問に思う。その一方で、ちょっとうらやましい気持ちにもなる。
『自分の名前くらい、自分で決められたらいいのに……』
 思わずそうツイートしたら、知らない人からリプライが届く。
『もし長谷川さんが15歳以上なら、家庭裁判所で改名を申請できますよ』
 そのリプライは、わたしの人生を大きく変えることとなった。このとき、わたしははじめて、人は産まれたあとからでも自分で名前を変えられると知ったのだ。折しもそのときのわたしは中学三年生で、先月誕生日を迎えて十五歳になったばかりという絶好のタイミングだった。
 その知らない人によると、全国各地にある家庭裁判所に備え付けられている「名の変更許可申立書」を入手し、本籍や住所、改名したい理由などの必要事項を記入して、名前変更を求める理由を示す資料と戸籍謄本、八百円分の収入印紙、連絡用の郵便切手などとともに申立書を提出すれば、下の名前を改名申請できるという。十五歳未満だと親などの代理人による申請となるが、十五歳以上であれば個人で申請できるのだとか。
『戸籍謄本ってなんですか?』
 そんなわたしのバカみたいな質問にも、その人は親切に答えてくれた。センシティブな話題だと思ったのだろう、わたしが名前を変えたい理由について深く触れようとしないのもありがたかった。まくしたてるかのようなレスポンスの速さにはすこし戸惑ったけれど。
 下の名前だけとはいえ、改名できる。
 これで、書類に名前を書くときのあのやるせなさが軽減される。
 SNSだけでなく、実生活でもみんなから「留奈」と呼んでもらえる。
 それは、八年間苦しんできたわたしに降り注ぐ希望だった。
『いろいろと教えていただき、本当にありがとうございます!』
『いえいえ。良き結果になるよう祈っております』
『はい。はやく良くなりたいです』
 最寄りの家庭裁判所がどこにあるのか分かるURLを教えてくれるなど、最後まで知らない人は親切だった。でも、その人は、一番大切なことをわたしに教えてくれなかった。
 その人とのやりとりから数週間後、わたしは泣きたい思いで家庭裁判所を去ることになった。その日は申立書をもらうだけで、各種書類の準備が整ってから後日提出するつもりだった。だけど、改名したい理由を示す書類について窓口で質問したとき、その事実は判明した。現代の日本では、「正当な事由」とやらがなければ改名が認められないのだ。
 ある日突然、本当の名前に目覚めたから。
 そんな理由が、正当とみなされるはずもなかった。
 
 正当な事由って何だ。
 その説明は後回しにするとして(わたしは自分の半生を振り返りたいだけで、法律の話をしたいわけじゃない)、とにかくそのときのわたしが得た教訓は、知らない人の話を鵜呑みにせずきちんと自分で調べろ、ということだ。わたしはネットや図書館を利用して、現代の戸籍制度や改名に関する法律・制度について調べるようになった。
 それだけでなく、エスカレーター式にするっと高校に上がったわたしは、校内にクラブを作ることにした。社会行動研究部とかなんとか適当に真面目っぽいネーミングをこしらえ、部室と顧問も確保した。要は、学校の名前を使って校外でさくさく活動できる基盤がほしかったのだ。個人の名で情報収集するだけではいつか限界が来るだろうと思った。もっとも、これは後に杞憂になったのだが。
 クラブの名称こそえらく大まかではあるものの、実際に部員を集める際には「自分の名前が気に入っていないこと」「いつか改名したいと考えていること」を入部条件とした。別に、同じ志を持つメンバーで協力して調査しようと考えていたわけではない。ただクラブという基盤が欲しかっただけなので、幽霊部員で人数を揃えても良かった。ただ、似たような境遇の人が身近にいたら、すこしは実生活も苦しくなくなるかなと思ったのだ。もっと有り体に言えば、友達が欲しかった。
 部活動が成立する最低人数は五名だったが、入部希望者も、わたしを含めてちょうど五名だった。みんな高一で、わたしと同級生だ。
 一人目は山口味蕾みらい。親に珍妙な名前をつけられた女の子だ。
「ツボミって可愛いじゃない〜ってママは言うけど、でも味蕾ってベロだよ。ほんとひどいよね」 
 山口味蕾の場合、名前があまりに珍奇すぎるために社会生活上はなはだしく支障があると主張すれば「正当な事由」と認められるだろう。「珍奇な名前」を理由として改名した事例は数多く存在する。
 二人目は倉橋明子さやこ。初見ではまず正しく読まれない名前の女の子だ。
「明るくて清らかな子になるようにという思いが込められていて、それは嬉しいんです。だけど、病院とかで毎回読み間違えられるのが本当に嫌で……」
 倉橋明子の場合も、名前があまりに難読すぎるために社会生活上はなはだしく支障があると主張すれば「正当な事由」と認められるだろう。「難しくて正確に読まれない名前」を理由として改名した事例も、数多く存在する。
 三人目は岡田アレクサ。当時、すでに日本でも有名となっていたAIアシスタント「Alexa」と不運にも名前が被ってしまった女の子だ。イギリス人のお祖父ちゃんが名付け親らしい。
「『アレクサ、明日の天気は?』って訊かれるのはうんざりなんだよ。人の名前を冗談に使うな。あたしのほうが先に産まれたのに、AIにアイデンティティを奪われるって何なの? もう全部アホすぎない?」
 岡田アレクサの場合はちょっと特殊な例だ。有名人や犯罪者と同姓同名だから改名したという事例もあるので、AIアシスタントと同名であり社会生活上はなはだしく支障があるというのも「正当な事由」と認められるかもしれない。過去には「外国人と紛らわしい名前」を改名の理由とした事例もあるが、彼女の場合はお祖父ちゃんがイギリス人だし、グローバル化の進む現代においてもその理由が通るのかはわからない。
 四人目は長縄ながなわりつ。彼女は他のメンバーと比べても入部意思が非常に高かった。自分で言うのもなんだが、こんなよくわからんクラブにその熱意はいったい……と当時は不思議に思ったものだ。それだけ自分の名前が気に入らないのだろうと思われたが、自分からはあまり理由を語ろうとしなかった。こちらから訊いてみても、
「あの……、姓名判断的に、画数が悪いとか、そんなんだったり……」
 と言葉を濁していた。ときおり、ただわたしの顔をじっと見つめていることがあって、その瞳がきれいだった。
 長縄律の場合は、「正当な事由」と認められるのはかなり難しいだろう。姓名判断や信仰上の希望というだけでは、改名は許されない。
 そして五人目のわたしも、長縄律と同じだ。本当の名前は長谷川留奈だというわたしの強い思いは、現行法にとってはただの信仰だ。正当な事由とはならない。
 小学生のころクラスメイトに引かれた経験が頭をよぎったわたしは、他の四人にも本当の理由を話すことはできなかった。あくまでわたしは「自分の命名権は自分のものだ」「どんな人でも改名できるようにすべき」というスタンスであるだけで、たしかに自分の名前は気に入っていないが、特に深い理由があるわけではないのだ――そう、みんなには言い訳した。
「まあそんなことは置いといて、お菓子食べるひとー」
「は〜い」
「食べる食べるー」
「ちょうだーい」
「いただきます……」
 わたし、山口味蕾、倉橋明子、岡田アレクサ、そして長縄律。
 こうして、さまざまな理由で自分の名前が気に入らない五名が一室に集まった。基本的にだべったりお菓子を食べたり遊んだりの仲良しクラブだったが、たまに改名について勉強会を開くときもあった。そのときは部長のわたしが取り仕切っていた。
 岡田アレクサが「あたしのことはアリサと呼んで」と言うので、それに乗じておそるおそる自分も「ルナ」というあだなを自己推薦してみた。笑われるかと思ったけれどそんなことはなく、みんなすんなり受け入れてくれた。思わず泣きそうになってしまった。
 実に楽しい高校生活だった。
 その日々を、青春と名付けても差し支えなかった。
 
 あれは高一の冬だったろうか、それとも高二の春だっただろうか。ある日曜日、自分の部屋でくつろいでいると、スマホにTwitter通知がきた。ダイレクトメッセージが届いたのだ。クラブを立ち上げてからというものTwitterでの発言頻度はかなり減っていたし(友達のTikTokかミクチャを見ることのほうが多い)、ツイートとは違ってダイレクトメッセージは送信者と受信者しか見られない非公開のメッセージなので、いったい何だろうとわたしは不審に思った。
 どこか見覚えのあるアカウント名だと思ったら、中三のころに改名申請について教えてくれた人からのメッセージだった。『こんにちは。その後、無事に改名できましたか?』とだけ書いてある。懐かしい気持ちと、相手の助言に振り回された当時の苦い記憶が同時にやってきた。
 まあ、相手は善意でアドバイスしてくれたんだしと思い直して、わたしは返信した。ちょうど暇だったというのもある。相手も暇だったのか、すぐにメッセージが返ってくる。
『こんにちは。お久しぶりです。その改名申請ですが、残念ながらうまくいかなくて』
『そうでしたか。。。それは残念ですね。。。』
『いえ、その節は親切に教えていただきありがとうございます』
『長谷川さんって自分の真名に気づいてますよね』
 えっ、と声が出た。
 相手の発言は会話の流れを完全に無視したものだったけど、「真名」という文字列が目についたのだ。断言するような口調なのもこわかった。
『真名ってなんですか?』
『最初にツイートを見つけたときからそうだと思ってたんです。長谷川さん、戸籍上は全然違う名前なんでしょうけど、本気で自分の名前が長谷川留奈だと思っていますよね。ある日突然真名に目覚めましたよね。そのとき雷に打たれた感じがしませんでしたか。あるいは身体がすごく熱くなったとか。脳味噌の表面に真名が浮き上がってきたでしょう。突っ張られて痛かったですよね。あれつらいですよね。それからずっと戸籍の名前で呼ばれるのが苦しくて、でもそんなの改名する理由にならないし、誰にも理解してもらえないから困っているんですよね』
『なにをしってるんですか』
『わかるんです。私たちも長谷川さんと同じなので』
 その人は、私たちも同じ、と言った。
 
 そして翌週の日曜日、わたしは初めてオフ会というものに参加していた。ファミレスに行く道中がとても暖かったから、やっぱり高二の春の出来事だったかもしれない。その後、彼らとのオフ会には何十回も参加したので、最初の一回目がうろ覚えになってしまっている。最近はわたしが主宰することも多い。
 一回目のオフ会で出会ったのは、最初に連絡をくれた越智千春さんと、あと女性二人だったと思う。越智さんがわたしに気を遣って、参加者を女性のみにしてくれたのだ。越智さんも他の二人も、わたしと同じ悩みを抱えていた。つまり、ふとしたきっかけで、それまでに呼ばれていたのとはまったく異なる姓名を自分の本当の名前だと思うようになっていた。わたしが自分の体験を打ち明ける前からほとんど同じような話が出てくるものだから、本当にわたしと同じなのだと確信した。
 まさか自分とまったく同じ境遇の人が他にもいるなんて、考えもしなかった。
「悩みが悩みですから、なかなか仲間を見つけづらいんですよねえ……」Twitterでのまくしたてる様子とは全然違って、リアルでの越智さんはおっとりとした印象の女性だった。母よりは年下、三十代後半くらいだろうか。「だから、SNSとかでそれっぽい人を探して、こうやって声をかけているんですよ」
「そうだったんですね……」
「まあ、たいていはハズレですけどね。いやハズレなんて言ったら失礼か。僕たちとは違う理由で、それぞれ本気で悩んでいるですよね。私も子供のころはずいぶんつらい思いをしたな……」
 越智さんは目を細める。
 昔のことを思い返しているのだろうか。
「あの、すみません。質問がいくつか……」思い出に耽っているなか申し訳ないと思いつつ、わたしは切り出した。
「はい。なんでも聞いてください」
「わたしたちみたいな人って、他にはどれくらいいるんでしょうか。それと、もし知ってたらなんですけど、わたしたちって、どうしてこんなふうになってしまったんでしょうか。あと、どうすれば、わたしたちはこの悩みから解放されるんでしょうか」
「僕たちが把握している限りで、国内に五十七人」一つ目の質問について答えたのは越智さんではなく、その右隣の大学生くらいの女性だった。ルーシーという外国人のような名前だった。本当の名前にはそういうパターンもあるのかと驚いた覚えがある。
「そんなにいるんですか」
「まだまだこれから増えてくると思うよ。僕たちが見つけ出す。……二つ目の質問だけど、千春ちゃん、説明してもいい? まだ早いかな?」
「話してもいいんじゃないかな。まだ仮説にすぎないんだけど、それでも何かしら理由があるとすこし安心できるでしょう? 身体の不調に病名がつくとなぜかほっとするみたいに」
 そう、越智さんはルーシーさんに言った。「まだ早い」というのは、新入りのわたしにはまだ早いということではなく、まだ確証が取れていないという意味のようだった。ルーシーさんは、まじかよ、どこから話したものかな、と独りごちてから、わたしのほうに向き直った。わたしも姿勢を正した。
「……記憶にはいくつか種類があるって知ってる? まあ分類方法によるんだけど、いま説明したいのはエピソード記憶と意味記憶。エピソード記憶は、いつどこで誰が何をしたっていう個人が経験した出来事についての記憶で、意味記憶は知識とほぼ一緒で、『リンゴ』は赤くて甘い果物だとか、『父』の反対は『母』みたいな、言葉の示す概念やその他の知覚できる対象の意味・関係などの世の中に関する記憶。他にも手続き記憶とかいろいろあるけどまあいいや。ここまで大丈夫?」
「なんとか……」
「よし。じゃあ自分の名前は、エピソード記憶と意味記憶、どっち?」
「え? ……意味、記憶?」
「正解だよ。それで、ここからはかなりスピッってる物言いになっちゃうんだけど、僕たちは、前世の記憶のうち『自分の名前』を示す意味記憶だけが、神様か誰かのミスで浮かび上がってしまった。HDDから削除したデータを復元するみたいに。本当はリンゴの意味記憶とか父母の意味記憶とかも浮かび上がっているかもだけど、そんなの前世も今世も来世もたいして変わらない。でも、『自分の名前』だけは自我に関わってくるから特別違和感を抱いてしまう。その名前の記憶が僕たちには真名のように感じられて、だからこんな悩みを抱えているんだ……、というのが僕たちの仮説」
 急に話が飛んだ気がして、一瞬ついていけなくなる。
 前世の記憶?
「えっと……、それって、タマシイ的な話ですよね? 記憶って脳ですよね、脳と魂って一緒でしたっけ」
「まあ、あくまで仮説だから話半分に聞いておいてよ」
「輪廻転生ってことですか。わたしは長谷川留奈さんの生まれ変わりってことですか。もしわたしの前世がペットの犬だったら、ポチになってたかもってことですか」
「平たく言えばそうだけど、だからって過去の新聞記事を調べても前世の留奈ちゃんには会えないと思うよ。スクモジなんか、この世に存在しない名字なんだぜ」
巣雲島すくもじまです。以後よろしく」
 ルーシーさんにスクモジと呼ばれた三人目の女性は、このとき初めて喋った。
「だから、生まれ変わりは生まれ変わりでも、どっか別の世界の生まれ変わりなんだろうよ。この世界とほとんどそっくりな平行世界? とやらで魂が使いまわされてるってワケ」
「はあ……」
「どう、安心できた?」
 にやにやと笑うルーシーさん。
 越智さんへのあてつけのようだ。
「いや、ちょっと情報量が多すぎてなんとも……」
「だよねー。そんな留奈ちゃんに朗報だよ」ルーシーさんはここで真面目な顔になった。「三つ目の質問。どうすれば、僕たちはこの悩みから解放されるのか。一番手っ取り早いのは、やっぱり前世の名前に改名することだね。すくなくとも僕たちにとっては、それが本当の名前なんだから」
「でも、改名するには正当な事由がないと……」
「正当な事由は作れるよ」
 僕やスクモジはちょっと難しいけれど、留奈ちゃんだったら大丈夫。
 そう言って、ルーシーさんはわたしにその方法を教えてくれたのだった。
 
 以前調べたところ、改名するための正当な事由は大きく分けて七つあった。
 一つ、商家の襲名のように、営業上の目的から改名する必要がある場合。
 二つ、身内などに同姓同名の人がいて、社会生活上はなはだしく支障がある場合。
 三つ、神官や僧侶となる(出家する)、またはそれらを辞めるために改名する必要がある場合。
 四つ、珍奇な名前であり、外国人と紛らわしい名前であり、難読の名前であり、社会生活上はなはだしく支障がある場合。
 五つ、帰化した人で、日本風の名前に改める必要がある場合。
 六つ、性同一性障害である人が、自分の性別に合った名前に改名する場合。
 七つ、永年使用してきた通称名があり、戸籍上の名前を使用するとかえって社会生活上はなはだしく支障がある場合。
 ルーシーさんが「正当な事由は作れるよ」と言ったとき、わたしは七つ目のことを言っているのだと思った。今から通称名として「留奈」を名乗りつづければ、いつかは改名するに足る事由になると。でも、永年と言えるだけの使用実績にはぶれがある。一般の社会人なら五〜十年程度で、未成年なら三年程度という本もあれば、それ以上通称名を使い続けても駄目だったという事例もある。それどころか、よっぽどの著名人でもないかぎり難しいと言っているウェブサイトもあった。これではいつまで待てばいいのか分からない。改名相談を受けつけている弁護士事務所に問い合わせたら良いのかもしれないけれど……。
 ところが、ルーシーさんの教えてくれた方法は、条件さえ揃えば三年と待たず実現できるものだった。越智さんやルーシーさん、スクモジさんも、条件を満たすために協力してくれるという。この方法を聞いたとき、最初はすこしぎょっとしたけれど、でも、これで「嶺彩花」と呼ばれる苦しみが完全になくなるのなら、やってみる価値はあると思った。
 忘れもしない、六月十日。
 わたしは、この方法を長縄律さんにも教えてあげることにした。
 なぜなら、彼女もまたわたしたちと同じなのではないかと考えたからだ。
 長縄さんは他のメンバーと比べても入部意思が非常に高かった。それは改名したいという意思が強かったということだ。それなのに、彼女の語る改名理由は、姓名判断がどうだの、画数がどうなの、まるで誰かに言い訳しているみたいだった。そう、言い訳。わたしがそういうスタンスだと言い訳していたのとおんなじだ。
 長縄さんも、ある日突然本当の名前に目覚めてしまったのかもしれない。わたしたちと同じ悩みを抱えているのかもしてない。自分のことに精一杯で、そこまで考えが行き着くのに時間がかかってしまったけれど、一度行き着いてしまえば、もう居ても立ってもいられなくなってしまった。
 雨の降る校舎裏、水色の傘を差したあの子がやってくる。
 教室から走ってきたのか、その頬は赤らんでいて。
「るなちゃんどうしたの。こんなところに呼び出したりして……」
「長縄さん。結婚しよう」
「……ええっ!?」
 頬がもっと赤くなる長縄さん。
 言葉選びを間違えたなと思いつつ、わたしは改めてルーシーさんによる改名方法を説明する。また、自分の秘密――七歳のころから「嶺彩花」という名前が自分のものだと思えないこと、代わりに「長谷川留奈」が本当の名前だと感じること、自分だけじゃなく、そういう境遇の人たちが他にもたくさんいること――も打ち明ける。
 ルーシーさんの改名方法はこうだ。
 まず、協力者として別の「彩花」を見つける。仮にその人が「鈴木彩花」だとしたら、わたしは鈴木姓の男性を適当に見繕って結婚し、「鈴木彩花」と改姓する(男性が事情を知る協力者であってもよい)。すぐに鈴木某とは離婚するが、その際に旧姓「嶺」には戻さない。その後、協力者「鈴木彩花」と同性パートナーシップを結ぶ。
 これで、正当な事由の二つ目、「身内などに同姓同名の人がいて、社会生活上はなはだしく支障がある場合」が成立する。今から通称名を使い続けるよりも、より早く確実に正当な事由が作れる。
 あとは手続きに則って「留奈」に改名し、今度は「長谷川」姓の男性を探せば良い。
「――というわけ。ね! こうすれば長縄さんも改名できるよ。ミライちゃん、さやや、アリスは変わった名前だから難しいかもしれないけど、長縄さんだったら普通の名前だから改名できる。律って男の子の名前にもよくあるから、わざわざ同性パートナーシップを使わなくてもいいかもね」
 長々と喋っていたら、いつのまにか長縄さんがうつむいていた。
 どうしたんだろう、とわたしは思う。
「長縄さん?」 
「………………馬鹿じゃないの」
「……え?」
「同性パートナーシップを『使う』って、なに? 悪用?」
「いや、悪用っていうか、たしかに本来の目的とは違うと思うけど……」
「なにそれ。ふざけてる?」
「本気だよ! ……悪用なら悪用でいいよ。わたしは、わたしたちはこんなことでもしないと上手に生きられないんだよ。意味わかんない理由で苦しんで、ほとんど誰にも理解されなくて……」
「…………」
「わたしは、ひょっとすると長縄さんもわたしと同じなんじゃないかと思ったんだ。本当の名前、前世の名前、真名、なんでもいいや、とにかく不意に浮かび上がってきた名前に縛られて、苦しんでるんじゃないかって」
「……私は嶺さんとは違うよ」
「やめて! その名前で呼ばないで!」
「私は嶺彩花とは違う」長縄さんはやめなかった。か細い声なのに、雨音を切り裂くように耳に入ってきてぞっとするようだった。「それにあなたも、私の知っている嶺彩花じゃない」
「わたしは長谷川留奈だよ」
「そんなの知らない。ねえ、好きでもない人と結婚してすぐ離婚するって本当に何? 結婚制度とかどうでもいいけど、純粋にどういう感情? そこまでして名前を変えたい? その気持ちを尊重するとして、それじゃあ私の気持ちはどうなんの? 私の嶺彩花を返してよ」
 
 そのまま、わたしと長縄律は喧嘩別れとなった。クラブ内の空気も悪くなってしまったためか、山口味蕾や倉橋明子、岡田アレクサらも次第に部室に来なくなり、やがてクラブは自然消滅した。
 わたしは高校を卒業して、大学には行かず、結婚して離婚して、同性パートナーシップを結んでほどいて、もう一度結婚して、それから離婚した。そうしてわたしは「長谷川留奈」になった。
 わたしは完全に苦しみから解放された。
 七歳の誕生日から十五年、あの梅雨の日から五年が経ち――そして現在に至る。
「そりゃあ怒る人はいるでしょ。当時にしたってめちゃくちゃな方法だったんだから。一歩間違えれば炎上案件だよ。留奈ちゃんが他の人にも話してるなんて知らなかったわー」
 と、悪びれることなくルーシーさんは言う。飲み会中、ふと高校時代のことを話してみたのだった。
「あはは、すみません」
「そのナガナワさんって子もかわいそうだよ……いきなりわけわからんこと言われて困ったろうに」
「たしかにそうですね、いやあの子もあの子で変わった子でしたけど。私のミネアヤカって」
 ルーシーさんやスクモジさんはいまだ改名できていない。日本で「ルーシー」なんて名前になるのは難しいし、スクモジさんのようにまだこの世に存在しない新しい名字を作る場合は、一度外国籍を取得したあとで再帰化する必要があるらしい。それでもうまく行くかはわからないそうだけれど。
「でも、もっと仲間が集まれば、社会に訴えることができれば、いつか制度を変えられるかもしれないね。そんなことしなくても良くなる世の中になるかもね」
「そうですね……」
 わたしたちはどんどん仲間を見つけ、もうすぐ一万人の大台に乗ろうとしていた。こちら側の努力の成果か、一般の人たちも、すこしづつわたしたちを認知するようになっていた。外国とのつながりも増えてきた。
 わたしのパスポートには、ちゃんと「長谷川留奈」と書いてある。
 改名してから何年も経った今でも、ときどきじっと見入ってしまう。
「ん?」
 そのとき、メールの通知でスマホが震えた。
 確認すると、なんという偶然だろうか、あの長縄律からメールが来ていた! 機種変しても同じメールアドレスを使い続け、電話帳を移行し続けておいてよかったというべきか。
 件名を見ると、「わたしも改名しました」と信じられない文言が。
 もしかして、実は彼女も本当の名前に目覚めていたのか?
 そんな期待とともにメールを開くと、画像が添付されているだけだった。
 免許証の画像。
 そこには、当然長縄律の写真があり。
 その姿は、高校時代のわたしにどこか似ていて。
 さらにその上には、『嶺彩花』と印字されていた。

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