梗 概
落下日和、白い羽
熱圏に取り残された男がいる。男は軌道管理人として働いていたが、事故により居住モジュールの集合体(通称、房)から切り離され、単独モジュール(船外活動機兼用。四メートル角の立方体。)で漂っている。怪我はなく、大気維持装置も3D生成装置も稼働しているが、軌道に捕らわれ規則的に周回するしかない。男は助けを待っている。
男は事故の瞬間を思い返していた。単独で巡回点検していたときだった。衛星機が行き交う交差点で、鳥を見た、気がした。ロケットの直線軌道上にいたように錯覚した。「危ない!」衝突を避けるため咄嗟に男は自らのモジュールを高速で走らせた。結果、房と単独モジュールを繋いでいたケーブルは外れ、軌道上を漂う羽目になった。思い返せば鳥など飛んでいるはずがない。男が居るのは熱圏だ。男は自分の行動を嘆いた。
ある日、男は髪の毛が白髪を帯びてきたことに気付く。数日が経ち、もみあげ部分は真っ白になった。身体の異常が次々に現れる。全身の体毛が濃くなり、慢性的な発熱が続く。特に背中の体毛が異常に伸び、白く変化していく。肉体は痩せていき、反対に背中の体毛は体積を増していく。いつの間にか羽と呼べるくらいに大きくなった。この頃になると、男の意思とは関係なしに動き始める。これは病気ではない。生き物だ。生き物が身体に棲みついたのだ。房にいるときならば大発見だろうが、死を待つ身としては絶望を感じる他ない。取り込まれて死ぬのと、モジュール毎落下するのと、どちらが先だろう。男の不安を他所に肉体は変化を続ける。熱を与えると羽は逆立ち、握ると霧散する。火照る身体に慣れてしまうと、羽の変化が好ましく感じる。変わらない状況と景色の中で、唯一の変わりゆくものであるからだ。たとえそれが自らの死を招くとしても。羽と共に呼吸し、羽が弱らないよう意識的に栄養を摂り、話しかける。あるときは硬直し、あるときは変色し、あるときは放熱する。その変化に、男は一喜一憂した。
数か月が経ち、モジュール内は羽で埋め尽くされた。男の身体は、最早骨と皮のみ。虫の息だ。モジュールはいよいよ落ちていく。表面が剥がれ、溶ける。モジュールは火の玉になって燃え尽き、羽に包まれた男は大気に投げ出される。羽も炎に包まれる。地表まであと少しというところで、羽は開き、形を変え、水平に伸び、ただ一振り羽ばたいた。男は長く続く道の途中にゆっくりと横たわる。
男は地表で生きている。仰向けの男の目には、雲が流れるのと一緒に羽が飛んでいくのが映る。上空へ去っていく羽の群れの後ろ姿に既視感を覚える。
「はは、…見間違いじゃなかったか」
数か月を共にした〝彼ら〟と別れ、男は身体が軽くなるのを感じたが、それ以上に淋しかった。救助され、肉体が回復しても髪は白いままだった。人に白髪を指摘されると、男はその度ニヤリと笑い、懐かしそうに目を細め、昔話を語り始めるのだった。
文字数:1197
内容に関するアピール
身体に棲みついた生き物を育てる物語です。
もし、人生の中で鶴を助ける機会があったとして、もし、恩返しを受けることがあるのなら、空を飛んでみたい、というぼんやりとした願いを下敷きにしています。
「育てる」行為が持つ、可能性の大きさに慄いています。
物語の終わりに、育つ・育てられるふたりの間に何がしかが育まれる展開に持っていきたいです。
文字数:164