粘菌の原

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粘菌の原

 B8は、ゆっくり歩いていた。
 母船と彼女らはそれを呼んでいた。その周辺、すべての地形は知り尽くしているはずだったが、地表面を覆う緑色の粘菌の状態はよくかわる。ところによっては分厚く、ところによっては薄くなる。
 彼女の体の調整がすんだら、その都度、母船の外に出ては、状況をチェックしなければならない。母船のすぐまわりだけは、地面は岩肌が露出している。そこから、粘菌の平面の上に踏み出していく。
 がっしりして、すこし下腹に余裕も出てきた褐色の体に、縮れた髪をまとめた頭を出せるよう孔をあけた袋をかぶって、腰のあたりで縛っている。裸足でも、粘菌を踏むのには支障はない。
 踏まれるのを察知して、その部分だけ粘菌は固くなる。
 母船のすぐそばの丘を回り込む、全体が緩い斜面になっていて、あちこちに丘や、谷がある。その見渡す限りが、粘菌に覆われている。
 遠くはもやがかかってみえない。空気は湿っている。
 オレンジ色の太陽が、やはり、もやになかば遮られて、空に浮いている。
 丘の、母船の見えない側に回り込みながら、B8は、ちらっと、母船の、おもてがわのシールドを見た。鏡面になっていて中は見えない。
彼女はいつも、外に出ては、まずそれを使って自分の見かけを確認していた。
 なかには、ほかのクルーたち、2体の、彼女の同型であるBシリーズ、いま1体しかないAシリーズ、がいるはずだが、いつものことだからこちらを見てはいないだろう。すべて女性体である。
 そのさらに奥には、「ママ」が寝ているはずである。
 この惑星にきてもう150年相当が経過している。母船はもう飛ぶことはできない。
 そして、B8自身は、この母船で生まれたものだから、この、粘菌の大地しか知らない。生物年齢としては30代なかばにあたる。
 Bシリーズは、20年ごとにあらたに、人工子宮から生まれることになっている。その卵細胞は、地球で採取され冷凍保存されていきたものだ
 10代半ばのB9、50代なかばにあたるB7 が、いま、母船の中にいる。まだいないが、B10 が出生し同様に動けるようになれば、B7 は処分されることになる。
 B9が稼働できるようになって、B6が処分されたばかりなのである。70代なかば、体の動きも悪くなっていたB6は、それまでの、この星でうみだされた個体たち同様に、粘菌の原の、適当な窪みに横たえられた。
 この星の一部になることで、この星に私たちが拡がっていけるように、と、20年おきに繰り返される言葉が終わると、B7からB9の3人は母船へ去る。
B8にとっては、この儀式は、自分がクルーになってはじめてだった。B8が育児室から出たときには、入れ替わりの筈の B5はもういなかったのである。どこかで足をとられて、それきり帰ってこれなかったんだろう、と教えられていた。それまでにも、帰ってこれなかったものはいたらしい。
A4’にしても、本来お互いのバックアップとして A4 がいたのだが、A4は、ずいぶん前に熱を出し咳をしながら死んだ。
 B8の褐色の肌をときに揶揄する高齢のB6が、B8はあまり好きではなかった。B6をおいたあたりで、粘菌がうずたかく盛り上がっているのを見て、B6を見ずにすむのでほっとした。
A4のほうは、かなり長い間、うっすらと表面に粘菌が張り付くだけで、地表面に、眠るように横たわっていたのだったが、場所や、粘菌や、処分される個体によって状況は変わるようだった。
 なまぬるい大気を呼吸しながら、B8 は丘の向こうにまわって、斜面をおりていく。
 もともとは、地球からこの惑星に移住すべくやってきたのであるが、いまだに、母船から出られない生活をしている。移住できるか、周囲の環境を確認するのも、ただの散歩になってしまった。
 この星の大気はそのままでは呼吸できない。Bシリーズは、卵細胞の状態で遺伝子注入をうけて、血色素の構造を変異させることで呼吸可能とされた変異体である。
 そのうえで、全身皮膚の細菌フローラを定期的に調整することで、粘菌に対する抗性をつくりあげ、外界での活動が可能になった。「ママ」がこれを完成させるのに、この星で数十年かかったのである。
 その「ママ」と、Bシリーズは、直接あうことはできない。「ママ」の呼吸する地球型大気では、Bシリーズは呼吸困難になるのである。
 それ以上の変異体をつくりあげられる時間はもう「ママ」にはなかった。彼女は高齢化し、ほぼ冬眠状態になっている。
 ママの代わりにシステムを維持するのが、Bシリーズより前につくられたAシリーズになる。より変異のない個体で、40年ごとに人工子宮から生まれるのだが、Bシリーズほど外環境に適応できていない。地球型大気でも大丈夫、「ママ」と直接やりとりできるが、この惑星の大気の中にそれほど長時間いることはできない。
 この星の環境に適合させられた体のB8は、ときどき、こうやって母船の外を歩き回るのが好きであった。
 広々としたところが好きだし、大きな声を出したり、はげしく体をうごかしたりできるのもよかった。軽く汗が浮く。バンダナにした不織布の端でそれを押さえながら、張りのある胸や尻を振り、調整の合間に母船の居間で耳にしていた、自分の知らない地球の音楽を、彼女は口で奏でた。
 居間にいるあいだ、交代で、地球からもってこられた映像も見る。ドラマや映画、アニメもあった。B8は、登場人物が陽の当たる丘で歌う映画を思いだし、その歌を大きな声で歌いながら、体もやはりその場面のように回し、ステップを踏んだ。
そのまま、丘を一回りし、B6の上に貼りついた粘菌をもう一度眺めて、彼女は母船に戻った。 
 母船の、こちら側には、鏡面シールドが一面にあって、中からみられているはずである。歌いながら、その鏡面に写り込んだ自分を見る。自分だけ肌の色が濃いのは気にしていなかった。その横の、B6は気密ハッチの前に立った。
 ハッチはすっと開き、彼女は素早く中に入った。

 A4’は、壁のコントロールパネルを眺めていたが、B8が戻ったのに気づいて振り返った。
 B8は、すぐの気密ブロックの、ちいさなシャワーブースのような空間を抜けて、そのまま居間に入ってきた。シールドから入る光に、奥にわずかに点光源がある。エネルギー節約のためほかに灯りはない。きれいに拭き上げることもままならず、内装は黒ずみ、ほとんど洞窟のようになっている。本人たちは気づいていないが、匂いもきつい。
 鏡面シールドの裏側からは、外がよく見える。10m四方の空間には、古びた器械端末が中央に設置され、ブースからシールドの裏を通ってむこうに、「ママ」の寝室へのハッチがあった。
「もう見えなくなってた」
 B8の声に、A4’ は返事もせず、左手を挙げた。
 居間には全員いた。今の奥の床にべったり座り込むB9は、頭からヘッドディスプレイをかぶって体をこきざみに動かし、B7は鏡面シールドのそばで、ぼんやり外を見ていた。袋をかぶって腕と頭を出した格好はみな同じであったが、中肉中背のA4’ の肌は白くてそばかすが多く、瞳は緑で髪は赤毛、B7は小太りで背は高く肌は赤っぽく髪は金色、10代半ばにあたるB9はまだ華奢で白っぽい滑らかな肌の黒髪で、切れ長の目をしていた。
 この「居間」は、この船のほぼ唯一の居住空間であった。船の大部分を占める駆動機関はエネルギー産生機関に振り替えられ、のこりの部分は、地球から運ばれた各種資料、自立用のプラント、人工子宮と育児ユニットである。それぞれの入り口が奥にあるが、資料ユニットの体積のほとんどは、地球生物の凍結受精卵であり、「ヴァヴィロフ倉庫」と、「ママ」が呼んでいた。これは、コードを入れなければあけられないときいている。コードは「ママ」本人とA4’しか知らない。
 ただし、映像をふくむ地球の文化資料アーカイブは、ほぼ無制限に居間で楽しむことができた。
 B8よりずっと若いB9は、ヘッドディスプレイをかぶったまま楽しそうに揺れ、無声音でなにかを口ずさんでいる。B8は、疲れたていのB7に、
「ずいぶん早く順番回したんだね」
「もう、見てるとつかれて、頭が痛くなんだよ」
「老眼よ、言ったでしょ」
A4’ がこちらも見ずに言う。B7は、
「あたしがクルーになった時は、この部屋のまんなかに映像立てて楽しんだのにねえ」
「回路が焼けたのよ、直せなくはないけど、リソースは大切にしないと。だから、もともと通信用のヘッドディスプレイをこっちに流用したのよ、どうせもう連絡なんてとれないんだし、ここであたらしい生活を一から作り上げるプロジェクトが、ぜんぜん始まりもしないんだから。おたがいにみたものがごちゃごちゃにならないよう使用者自動認識をそのままつけたんだからありがたく思って、それだってちょっとは電気食うのよ」
 B7は、ため息をついた。プロジェクトなんてどうせダメなのはわかっているとは、口に出せない。B8は、
「外に出たらいいじゃない」
「あんたは外が好きだね、私はなんだかひりひりするよ」
「調整には早いんじゃない」
「調整の問題じゃないような気がするね」
 B7は首を振った。
「あちこち痛いんだよ、寝起きは特にね。ベッドもマットもなにもないんだからね」
映像で、住んだことのない地球の生活を知ることができても、そこに当たり前のようにあるものは、ここにはなかった。
「見過ぎよ」
 B8は、短く言い切った。B8は、明るく歌い踊るものがすきで、踊りや歌の映像を見てはそれをまねて外に出て回ることが多かったが、B7はひたすらこもって、順番に、蓄積された資料をみてきたから、出発前の地球であつめられた映像の知識は積み上げられていた。
 それらは、地球の文明そのものの資料として、「ママ」がこの船に積み込んだものだった。そして、その生活もなにも、決してB7の手の届かないものだった。
 A4’は、壁の一部に向かって、
「ママ、B6はもう見えなくなったそうよ」
「祝福がありますよう」
平面スピーカが揺れた。
 「ママ」の言動パターンを、この星についてからずっと学習させたAiが、いかにも「ママ」のいいそうな反応をみせるのである。本当の「ママ」がずっと冬眠状態でも、ほとんどの応答はママAiがこなすことができた。最終的には本人の決定に導くのであるが。
 A4’は、また、コントロールパネルのそばのモニターに没頭した。資料アーカイブを掘り出しては、いまの状況から、この星を居住可能にする方法を考え出そうというのである。これが、A4’に至るまでのAシリーズが、「ママ」が自分であれこれできなくなってから代わりにやろうとしてきたことであった。
「A4’あなた」
平面スピーカから、ママAiの声が、
「ここのところ、地球からと思われる電波がまた強くなってるのは、わかってるのね」
 はっと、A4’はスピーカをみた。無言が続き、やがて、スピーカからため息のような声がした。
「24年前の微弱電波だけど、気をつけなきゃだめよ」
 A4’は、唇をかんだ。そして、部屋の中央の操作パネルに向かった。3つほどバーを動かしたところで、 B9が変な声を出した。誰も何も言わず、そのまま B9も静かになった。
「あのまま滅びると思ったのにね」
 ママAiのつぶやくような声が、部屋に流れる。
「ごめん、ママ、読み取れるところまでいかないの、アンテナが向かないのよ」
「仕方ないわね、気をつけておいて、すべては目の前の現実からはじまるんだからまずそれを受け入れることよ」
 スピーカは黙り込み、A4’は、天井の隅から部屋を広角で捉える受光素子をちらっと見た。そして、コントロールパネルのわきのモニターの前に戻った。

 若いB9は、ずっと、ゲームをしていたのである。クルーとしてあつかわれるようになって、定期的に船外をチェックする。しかし、そのほかの時間は、ヘッドディスプレイが回ってくる機会はのがさず、次々とゲームに没頭した。
 資料アーカイブには、2次元的な古典から大量のゲームが蓄積されていた。通信用ヘッドディスプレイでできるゲームに限っても膨大な数にのぼった。たまに、電力供給が足りなくて続けられないこともあったが、表示スペックを下げてでも続けようとあれこれし続けていた。
 単純なもののほうが楽しかった。
 構成するピクセルの少ない、限られた空間の中を探しものをしたり、ものを追って左右へキャラクターが動きながら点数を稼いでいったりしては、ゲームが終わるのが残念でならなかった。もちろん繰り返すのだが。
 体感すべてを再現できる仕組みが、この船にはなかった。ヘッドディスプレイをかぶるだけである。だから、仮想現実の中で動き回るゲームは、視覚聴覚の一部でしか楽しめない。無声音でときどきコマンドを入れながら、体を揺らした。
 それは、何度もコンプリートしたゲームで、要求されたタスクを、いつもと違う方面から終了し、鍵を得て、目の前にあらわれた古風な扉をあけようとしたときである。いきなり声が響いた。
「ちょっと違う結末はみたくないかい」
 動画やゲームの中でしか聞いたことのない太い低い、この船にはいない「男」の声である。こんなルートがあるのかと、B9は、
「これ、音声入力対応型だったの?」
「このゲームがそうだというんじゃない、私がそうなんだ」
 B9は、そのまま、鍵で扉を開けた。前にもみたプレーンが広がっている。
「違う、そうじゃない、私はゲームの中にいない」
 B9は、ヘッドディスプレイをいきなり外した。居間を見回す。白い顔のA4’はあいかわらずモニターにへばりついている。褐色のB8は疲れたのか床にころがっている。赤っぽい顔でB7は、
「終わった?」
 B9は黙って首を振り、またディスプレイをかぶった。
「ゲームじゃなく、ママでもないの?」
無声音で訊く。
「驚かせたか、しかし、あなたはゲームが上手いね」
ふたたびヘッドディスプレイを外したが、すこし悪い目付になったB7に気づいてすぐにまたそれをかぶる。
「あなたは何?」
「それはゆっくり説明するよ、あなたはバレーフォージにいるんだね」
「たぶんそれがここの名前よ、ママが言ったことがある」
「また君と話がしたい」
 声がすっと消えた。B9は、扉をあけたところにセーブポイントを作って終了し、ヘッドディスプレイをB7に渡した。
 B7が没頭するところをB9はじっとみていたが、ふだんと違うところはなにもなかった。

 B9が定期の外回りに出たまま戻ってこなかった。
 A4’は、何度歩き回っても、なにもみつからないとB8からきいて、
「冗談でしょ、戻ってこないなんて、B5からこっち、面倒なことはおこらなかったのに」
「動き回ればリスクは上がるわ」
 スピーカからママAiの突込みが入った。
「この間から、頻度も滞外時間も上がってたからね」
「群を抜いて外にいるB8はぜんぜんなにもないのよママ」
「B9は若いからね、B8とは経験が違うわね」
 ママAiの声に、A4’が、じろっとB8を見る。
「私は外に出られないんだけど、あなたちゃんと教えたの?」
 私にあたらないでよ思いながら、B8は、どこかの映像で見た、目を伏せて肩をすくめるしぐさをした。
 ママAiが壁からなだめるように、
「A4’、あまりいわないことよ、それが結果なら受け入れなさいね」
「ママにそんなこと言われたら私はどうしたらいいのよ、もう2年もしたらB10をつくらなくちゃいけないし、そもそもA5世代だってはやく用意しないと、私にはバックアップがないのよ」
「エネルギー貯めてるんだからもうちょっとお待ち」
「いつまでたってもここから出ていけないのよ、そのうち私もバトンタッチなんだから」
「人間の命は短いわね」
 ママAiは、生きているもののようにため息をついた。
「その時に実証されたレベルの生体改良ラボシステムを積み込んで、200年は使いまわしできるよう機材もそろえて、主要な動物植物の卵細胞に種子まで積み込んで、脱出したんだけどね、あのときはもう地球はもうだめだと思ったんだけど」
「そんなの、地球から電波がくるといったって、どんなことになってるかわからないわ」
 A4‘は、神経質に言い返した。この船のシステムを維持するために、適当な卵細胞から育てられては代替わりしてきた自分には、そこに意味がなかったとは考えるのもおぞましかった。
「もう地球のことなんか考えないで頂戴、いまさらそんなこといわれたら、私までのA1からA3、B1からこないだ処分されたB6に、行方不明のB9まで、何やってきたかわからなくなる、いい?」
 最後は怒鳴るようであった。
「とにかくここで、やっていける最小限のクルーでこの星を何とかしようとしてるんじゃないの」
 なんとかしようとしてるのはあなただけよ、と、B8は思ったが口に出さない。
「私、もう一度外に回ってくる」
 それだけ言って出て行った。A4‘はそちらに目も向けず、壁にむかって話し続けた。
「エネルギーレベルが戻ったら、もう一度、群落として増えていける植物を試すところからはじめないと」
「ここの粘菌は強いからね、、、個体を短期間守るレベルで細菌フローラの表面加工はできても、それを伸ばす方法がないんだから。あてにしてた分泌腺アプローチはずっとうまく行ってないんだけど、ほかに方法論がないんだから物質で試すしかないのよ、Aiの私には、新しいアイデアというものはないの、あなたが考えてくれないといけないわね」
「「ママ」は起きられないの?」
「今はまだその時期じゃないと考えるよ」
 深く息をして、A4‘はママAiとの話を切り上げた、そして、
「B7はもう調整終わったんじゃないの、あなたも見て回ってくれないと」
 「ママ」の部屋へのハッチのわきの壁にもたれて、ヘッドディスプレイをかぶりっぱなしのB7にも、A4‘の視線は飛んだ。B7は、目の前の映画に集中するふりをしていた。応えのないB7から、A4’はまた壁のモニターに目をやった。
 B7は、ここのところどんどん目が疲れるようになっていて、平面的でくっきりした映像の方が楽だった。そのために、B7のみるものは、どんどん古くなっていった。最近は、色もついていないものが増えた。
 古くなればなるほど、あらわれる映像は、偏ったものになっていく。新しいものは、B8のように肌の褐色なものが楽しく暮らす話が多かった。しかし、古いものは、登場人物の女性は外見がB7やA4’のような、肌の白いものが多かった。
 今見ているものも、B7に似た顔立ちで、背がもっと高い女性が、豪邸を歩き、「飛行船」なる楕円の大きな乗り物にのって空を飛び、仮面をかぶって男たちとやりとりしていた。
 映像でしかみない男という生き物はともかく、古い話になるほど、都合よく楽しく感情移入できるのだった。これは単に、映像アーカイブの一部解凍のときの、「ママ」の好みによるものだったのだが。
 飛行船から脱出して海に投げ出されたあたりで、仮面をかぶった男がこちらを見た。
 この展開は、もともとなかったはずである。
 ファイルが違ったか、とB7は映像を見続ける。画面全体がへんに揺れた。
 男はこちらをみて、違う声で話し始めた。
「そこにいるのはB7だね」
 これは双方向ゲームだったっけ。B7は訝る。
「これは内緒だ、いいかい」
 これは古い映画の筈だし、見たこともない展開である。画面は、どこかの屋敷の部屋に移った。長椅子に座る、肩の出るドレスを着た女性の前に、黒っぽい上下をきれいに身に着けた男がいた。そのまま画面全体が凍って、男がまたこちらを向いた。
「驚かせてすまない、地球からつながっているといったら驚くかい」
 大声をあげてのけぞり、ヘッドディスプレイが背後の壁に当たった。また画面が揺れた。
「どうしたのB7」
 A4‘が声をかけるのがわかった。B7は、もとの姿勢に戻り、何でもないというしぐさで右手をあげた。地球の人の話なんかA4‘にするわけにいかない。
 時間がたち、ヘッドディスプレイをはずしたB7に、A4’は
「ちょっと長かったわね、老眼大丈夫なの」
「疲れたわ」
 興奮を見せないよう、眼を閉じて、床に横になった。
いま話しかけてきた地球の人、名乗りもしなかったが、映像のなかのひとりのようにふるまうだけで、どんな人かもわからなかった。地球の話をもっとしてくれるといって切れた。また話ができるだろうか、地球の話がききたい。ずっと、アーカイブばかりみていたけれど、本当の話がしたい。
「加齢は避けがたいし、いろんな因子をいじくって問題でないようにしても、なにかおこるときはおこるのよね、、それにしてもB8は元気ね、肌の色が濃い個体は強いわ、、」
まったくかかわりなく、A4‘は話し続ける。
B7は思っていた。
 画面を見続けた後、こんなに疲れるのは、肌の色が濃くないからか、そもそも自分は若いころから、あんなに元気じゃなかった。
 最近の映画はもう白黒ばかりなのだが、その中では、B8のような肌の者たちは、男も女も元気に働き、自分のような肌の白いものを、楽させている。新しくなると、それが楽しそうでなかったり、同等にたいへんな目にあったりしているが、もともとの形は、古いものにあるんじゃないんだろうか。
 B7はしかし、口には出さなかった。

 B7が、体が痛いといってはあまり動かず、ずっとヘッドディスプレイばかりかぶるようになり、B8がもっぱら粘菌の原を歩くようになった。
 彼女は、体を動かすのが好きだったし、ヘッドディスプレイももともと、いまはいないB6が彼女にあまり貸そうとしなかったので、それで楽しむ習慣もあまりついていなかった。
 B6がいなくなって、B7が疲れるのでよく手放すところで、B9がよこからさらっていくのが習慣化しつつあったのが、B9がいなくなったのでいい機会なのである。しかし、いつでもできると思うと、まあいいや、とむしろ思ってしまうのだった。
 調整のおわった体で動くと、粘菌の原は、居心地がよかった。粘菌たちはつねに動き、地形はいつも変わったので、その下に何がある筈なのか考えながら動かねばならなかった。
 いつものように丘を回り、処分された「姉」たち、である、Aシリーズ、Bシリーズの置かれたところを回る。上にはりついた粘菌は薄くなったり厚くなったりし、薄いときは、生前のすがたそのままで見える。
 B9はどこに行ったのだろうと思いながら、咳をしながら動かなくなって処分されたA4のそばを過ぎ、好きではなかったB6のところにいく。
 分厚かった粘菌の山は薄くなり、その下に、B6がうっすらと横になっていた。こういうときは、処分されたものたちが、まるで生きているようにみえるのである。
 じっさい、みるたびに、粘菌の下で姿勢のかわる「姉」の姿勢のかわることがあった。これは、あくまでも、Bシリーズに限られることだった。
 今日も、B6は、まえと違ったようにすこし手を拡げた姿勢をとっている。
「B6、話も聞こえるの?」
 もちろん応答はないのだが、そのとき、太い声が聞こえた。
「君はここの人かい」
 ありえないことだった。声は重ねて、
「きこえるかな、いま僕は迷彩で見えないようになってる、驚かないで」
 これはどこの映画の場面だろう、似たようなものがあったかもしれない、そんなものばかり見ているB7ならこれが何なのか教えてくれるかもしれない。現実感なくそのあたりを見回していると、B6のそばに、空間がゆらめいて、やがて人影があらわれた。
 それは、B8よりも背の高い、薄い銀色のぴったりした服を着た、男、だった。男であることは、B8にもわかった。映像でみたような、がっしりした体をしていた。首から上はそのままむき出しで、頭にやはり銀の帽子をかぶり、肌はやや赤らんで白く、口の周りに髭を生やしていた。B8には男の年齢はわからないのだが、生物年齢としてはB8より上であろう。
「驚かないでくれると嬉しい」
「あなた、地球の人?」
 男は驚いたように、
「なぜわかるんだ」
「このあいだからA4‘が、地球の電波がどうしたっていってたし、言葉も通じるんだし、それでいままでここにいなかったんだから、地球のひとにきまってるじゃない」
 男は、すこし笑って、
「話が早くて助かる」
「ママは、地球はめちゃくちゃになったって言ってたけど」
「それはまあそうだったんだ、その話がききたいかい」
「ききたいわ、でもまず、あなたはどうして、どうやって、ここにいるのか知りたい」
 そりゃそうだな、と男はつぶやいた。
「僕の名はハリムというんだ」
「私はB8と呼ばれてるわ」
 そうか、ありがとう、と、ハリムはこたえた。
「君たちの船はほんとうに地球が危ないときに、地球を出たんだ。そういうことは聞いているかい」
「詳しいことはきいてないの。聞いてもしかたないからさ」
「そのころ、おなじようなふうにして、地球を出た船がいくつもあってね、みなそれぞれに、残しておきたい地球のいろんな資産だな、生物だの種だのを積み込んで、そのときにいくつか見つかっていた居住可能条件のそろった星にでていったんだ。その経過には、緊急のファンディングだのなんだのややこしいこともいっぱいあって、出て行った船はいまだにある人達の資産扱いになってる」
 なんのことだかわからなかった。
「地球もおちついてきたんだけど、半分焼き払われた状態なんでね、失われた生物資産を中心に、地球に戻して再開発しようということになって、こうやって探して回っている」
「それよりあなたは、どうして外に出られるの?」
 B8の問いに、ハリムは目をみひらいた。
「ずっと上空に船を置いて、ここには実はちょっと前からきていたんだよ、来てから環境がわかったんで、呼吸できるよう、呼吸器系に特異遺伝子発現システムで一時変異をおこし、粘菌に負けないよう皮膚も表面加工した」
 B8はおかしくなった。「ママ」が苦労し、A4‘が必死に維持するシステムが、そんなに簡単に再現されるなんて。
「姿を隠して、何度も、君が、埋葬、なんだよな、されたひとたちのところを回るのも見た。こんなところで、大変だね」
「大変、なのかしら」
 B8は、いきなり、いままでの船にいた自分たち以外の話し相手がいることに気づいて、胸が詰まった。
「そうね」
 なにも考えられなくなったB8に、ハリムは、
「君の船のことを教えてくれないか」
 ゆっくりハリムを見上げ、地球と口にするだけで機嫌の悪くなるA4‘にこの話はなかなかできない、どうしたらいいだろうと思いながら、
「私にも、地球の話をしてくれない」
と、B8は言った。

ママAiが、A4‘に話しかけた。
「また地球からの電波が強くなったわ、確認した方がいいんじゃないかな」
 A4’は、むっとした顔で答えない。
 シールドの外は、あいかわらずもやっている。B7は、ヘッドディスプレイを外して外を眺めていたが、A4‘に向かって、
「A4’はそんなに地球がきらい?」
「何言ってるの、いまさら地球のことなんて考えさせないで、ずっとみんなここでやってきたのよ」
 B7は、無駄な努力というものがあるのになあとは言えず、黙って首を振った。
 そこへ、B8が戻ってきた。ブースを通り抜けたB8にA4‘は、
「まだB9はみつからないの」
「無茶いわないで」
 最近、B8は、平然と言い返すようになっていた。
「気になるくぼみがあったら覗いてはいるけど、そもそもどこまでいったかもわからないのに」
 ふたの開け閉めのあやふやになった出庫棚から、定時の栄養補給として、奥の隔離されたユニットで作られる、固められた苔と昆虫起源タンパクをつまみあげる。ともに閉鎖ユニットで生産されるのである。がりがりかじって、これも外気から抽出される水を、何度も継ぎなおしたホースで口に注いだ。
「ねえ、A4‘、この船、いつまでもつの」
 A4’は、きこえないふりをしている。
「ねえ」
「それまでに、外で暮らせるようになるわよ」
「あたしは今だって暮らせるのよ、表皮調整だけしてくれたらね」
「外に出て何食べるのよ」
「A4’よりは大丈夫ってこと。ここを地球にすることもできないし、私たちの体も完全にかえられないなら、地球の電波もきいてみたらいいんじゃないの」
「なんてことを」
 A4‘は大声を上げた。
「地球がめちゃくちゃになって、地球をなんとかしようとがんばってたママがいっぱいの人に襲われて、ママはお父さんが大金持ちなもんだからありとあらゆる資源をまとめて、ロケットつくってここまで逃げてきたのよ。追い出されたようなものじゃないの。ここでやってきたことだって大変だったんだから、いまさら地球のことなんか考えないで」
「どうなの、ママ」
 B8はママAiに話しかけた。壁面スピーカが、
「A4‘は、なんとかするといってるんだけどね、この船もずいぶん古くなって、時間ももうあんまりないと考えた方がいいね」
 むっとしたように、A4’が黙り込んだ。
 なにをいってもいまはちゃんと反応してくれそうもないが、そのうち、
「あなたたち、そんなに地球の電波が気になる?」
 B7にもB8にも、ちょっとその反応には間があった。それから、口々に、もちろんよ、と言った。
 地球からの電波は音声で、すこし勇ましい音楽をバックに、元気な女性の声が、
「地球は困難を乗り越えて今、新しい時代を迎えようとしています、信じられないあの災厄を、私たちは乗り越えました、宇宙へ避難された皆さん、もう心配はありません、地球はあなたを必要としています。地球にはいま、さらに進んだ科学があり、宇宙からの同胞を受け入れて、あらたな地上の楽園をつくるべく、公正に選ばれた指導者の下一丸となって進むのです。地球は困難を乗り越えて今、新しい時代を」
 これをずっと繰り返した。
 5回ほど繰り返したところで、A4‘はチャンネルを切断した。
「帰れと言われたって、どうするのよ私たち、身動きもとれないのよ」
 なぜか勝ち誇ったようにA4‘は、B7とB8を、操作盤前から見渡した。
「こちらからも電波を出して、迎えに来てもらったら」
 小さな声でB7がつぶやいた。
「教えてあげる、それがむこうに届くまでに、あなたは処分されてるわよ、そんな先の話を、あなたが考える必要ないじゃない、これは、ママと、ママの仕事をひきついだ私が考えることよ、そして私は決めてるの、なにも渡さないわ」
「ママはどう判断するの?」
 B8は、また、ママAiに語りかけた。
「今までのところ、A4‘の権限に介入する段階じゃないわね、でも、これ以上話し合いたいなら、一度リアルに「ママ」を起こしてちょうだい」
 「ママ」の部屋へのハッチの向こうには、空気交換ブースを超えて、地球型の空気が満たされ、その中にポッドがあり、「ママ」が冬眠している。「ママ」に直接語り掛けられるのは、その空気でも生きられるAシリーズだけである。その、A4‘は、
「私は嫌。冬眠から覚醒するたびに、ママは傷んでいくのよ」
 B7はまたヘッドディスプレイをかぶり、B8は、A4‘と話しながら腕をこすってつくった垢玉を口に放り込んだ。

調整が終わって、B8はひさしぶりに、粘菌の原の、やや遠くのでっぱりの裏で、ハリムと話をしていた。並んで座るのにちょうどよい粘菌だまりがあったのである。
 地球からの電波音声をきいたという話をしたら、何十年も前のやつで、いまは違うバージョンになってるけど、喋り方は一緒だ、と、その威勢のいい喋り方を真似して見せ、B8は笑った。
「そう、きこうと思ってたんだけど、うちのクルーがひとりどこかにはまって戻ってこれなくなったみたいなの、見たことない?」
「わからないな」
と、ハリムは即答した。
「空からみて、そんなものの覚えはないけれど、ずっとみてた訳じゃない」
「あなたって、空の上に、やっぱり船があるんでしょ、そこからどうやっておりてきているの」
「やっぱり迷彩してるんだよ、あなたの話を訊くと、A4‘にみられるリスクは避けた方がよさそうだ、地球がすごく嫌いなんだろう、地球からきたものがいるなんてわかったらなにがおこるか」
「そのまま私たちをつれていけないの」
「独自に操作された個体だからね、君たちを地球で生存させるにはいろいろしなくちゃいけないだろう、それに、貴重な資料は人類の宝だ、A4‘がそれを握ってるんだから慎重にしないとね、あなたには本当のことをいうんだよ」
 ハリムは、すこしむこうを指さした。
「あそこに、僕の乗ってきた連絡艇があるんだけど、迷彩されてる。わかるかい」
 見渡す限り、粘菌が広がるだけである。
「わからないわ」
 ハリムは笑った。
「君たちの話をききたい、B7という人もいるんだね」
「そう、いつもなんか観てる、疲れたとか言ってすぐに休むのよ」
「君は疲れないのかい」
「大丈夫よ、背中がちょっとつまるけど」
「どうだろう」
 ハリムは、B8をむこうに向け、B8のかぶった袋の上から、肩甲骨の内側を押した。
 そこから、ペッティングがはじまるまで、それほど間はなかった。
 ハリムはいつのまにか手袋を外し、袋の内側に手を入れて、筋肉質でやや骨も太い、ややたるみも出てきた体を、あちこち触った。乳首を触り、股間にも手を入れた。B8は、頭がぼうっとして、されるままだった。
 もちろんキスもはじめてだったのだが、触られるすべての感覚に満たされ、B8の、体の匂いのきつさにハリムが見えないところで顔をしかめることには気づかなかった。ハリムは、唇と指だけでB8の相手をした。
 ハリムが動きをやめ、B8は徐々に元に戻った。
「、、、地球では、こういうことをするの?」
「そう、もっといろんなこともする、知りたいかい」
「わからないわ、あなたにもっと触ってほしいのだけわかる」
 ふうん、というように、ハリムは首を傾げ、B8を抱き寄せた。二人は服を着たまましばらく抱き合っていた。ハリムは囁いた。
「君の船にある、とくに生物の卵は、いま地球から失われたものも含まれるはずなんだよ、それをもって一緒に地球に帰らないか」
「ヴァヴィロフ倉庫のこと?あれ、ママとA4‘にしかあけられないのよ、あたらしい子供をつくるときだけあけるの」
「それはいつなんだろう」
「いつもなら、まだ5年くらいは先の筈よ」
 それから、ふと気づいた。
「それまで待つなら、それまでずっとこうしてられるの、私は、ここにいるのは嫌じゃないのよ」
B8は、それほどこの星から地球に移りたいとは思っていなかった。たまに見る映像は完全に別世界で、感情移入もしていなかったのである。世界はこんなものだとおもっている彼女は、いまの状況におわりがくると考える方が、現実感がなかった。
頭の半分がしびれたまま、B8は、船に戻っていった。立ち上がったときに、股間から小便とは違うものが太腿をつたい、バンダナを外してそれを拭きながら、彼女は歩いた。
 このようなことが、B8が外に出るたびに何度も繰り返された。
 そして、あるとき、ハリムは言った。
「手伝ってくれないか、これを、A4‘の背中につけてほしいんだ」
 頭からかぶる布とほとんど区別のつかない、薄い小さな薄膜を、ハリムはB8に手渡した。
「これは大切なんだよ、こちらをはがせばくっつくようになっている」

 B7は、いつものようにヘッドディスプレイをかぶっていた。一時期目がつらいといっていたのに、最近はまた長くかぶっている、大丈夫になったのかしら、と、A4‘は、めずらしく気になった。
 声をかけようかと思ったが、やめた。
やや高齢のB7は、若いB9がいなくなってからというもの、ディスプレイをかぶったまま無声音で何か話しては笑う。かぶっていないときにA4‘とやりとりするときも、それまでとはずいぶんかわって、胸をはって大きな声で話すようになっていた。
 みるコンテンツでそんなにかわるんだろうか、とA4‘は思った。かっては、皆で同じものをみていた。あれをかぶって、ひとりひとり違うものをみるようになって、話も通じなくなったような気がする。体が痛いといって、余り外にも出ない。調整ちゃんとしてるんだろうか。
 少し上気し、へんな匂いをさせて、B8が帰ってきた。
B8は、ここのところ、よく出て行っては、上の空で帰ってくる。生物年齢としてはほぼ同じでも、ずっと居間にいるA4’には、自分の体を弄ぶ習慣はなかったので、なにがB8におこっているかも全くの想像外だった。。
 そもそも母船の外がどんなものなのかも、よくわからなかったので、そこでの過ごし方自体わからない。
 無声音でつぶやき続けていたB7は、ヘッドディスプレイを頭から外した。
「気になるのよ」
 立ち上がって、A4‘に向かって言う。
「A4がいなくなって、B9もいなくなって、いま私たちちょっときついんじゃないの、時間を待たずにさっさと次をつくらないと、もたないわよ」
 いきなりいわれて、A4‘は、さっと頭に血が上った。B7の体をすこし心配したのも悔しかった。
「それは私が考えることよ、あなたたちは外で仕事するんだから、中のことは任せて頂戴」
「私とB8にかかわることよ、ちょっとでも早い方がいいわ」
 いちいち指図されるのも忌々しかった。そこに、おずおずと、B8が口を出した。
「地球、はどうなのかしら」
「まだいうの?私たちはここで新しい世界をつくるのよ」
 B8を見上げて、眉を寄せて、顎の前から人差し指を前後させるA4‘に、B7は、
「できるならとっくにできてるわ、このまま、私たちがつぶれていってどうするの」
「それはあなたが考えなくていい」
 B8は、
「本当に、電波だすだけで、それが届くのに24年かかるかしら」
「そうよ」
 いきなり、B7がこの話を引き継いだ。
「私思うのよ、たぶんもっと近いところまで来てるんじゃないかって、一度くらい呼んでみたらどうなの」
 B8はB7を、まじまじと見た。A4‘は、
「嫌よ、却下するわ」
「これはとても大きい話よ、ママに相談するべきよ、そうよね。ママ」
 B7はママAiに呼びかける。
「いまの筆頭権限はA4‘にあるのだから、ママを起こすかどうかは、A4’が決めるのよ」
 やさしく、ママAiが壁面スピーカから声を出した。
「だったら、却下よ、ママを起こしたくない」
「だったら私ももう何も手伝わないわ」
「なにもやってないじゃないの」
「あなたがなにもいわないからよ」
 やや姿勢の悪いB7は、20歳年下にあたる背の低いA4’に、かぶさるようにして、言った。
「いざというときになにかできるというなら、あなた、私と一緒に外に出てごらんよ、あそこのところを開けっ放しにするだけで、あなた、もたないのよ」
 A4‘の目に脅えが走った。
「この船がもたなきゃ、あなただってもたないわ」
「どうせ処分されるんじゃない、粘菌に埋もれて気持ちよく寝るわ、どうせ私には先はないのよ」
 B7は鼻で笑った。A4‘は、背後から、肩の後ろにB8が手をやるのを感じた。このとき、B8はハリムの薄膜を右肩の下に貼ろうとしていたのだが、
「B8はどう思うの」
 いきなりA4‘はB8に向き合った。ちゃんと薄膜が着いたのかB8にはわからなかった。
「何の話よ」
「次世代を早めに作る話は考えるわ、でも、地球の話なんかなんで急に気にするの」
 この話はA4’が嫌いなのは知っていたが、言わねばならない。
「地球のひとと、やりとりしてみたらいいんじゃないかしら」
「だから24年かかるのよ」
「私は、会ってるのよ」
「何に」
「地球の人と」
「あなた、おかしいんじゃないの」
 A4’は鼻で笑ったが、B7は、驚いた顔も見せずにじっとB8を見続けている。しばらく笑い続けて、B8やB7が表情を変えないのを見て、A4’も笑うのをやめた。
「本気?」
「そう、とてもいい人なのよ」
「何よそれ」
「ハリムという人でね、いろいろ地球の話をしてくれるわ」
「ほら、もう来てるんじゃないの」
 B7が、こんどはA4‘のうしろから、両手で両肩を包むようにした。B8は目を見張った。ハリムの薄膜を、掌でしっかり張り付けるようなしぐさだったからである。
 A4‘は、声を上げた。
「ママ」
「今度こそ、ママに訊いた方がいいんじゃないかい」
 やさしく、ママAiが答えた。A4‘は、
「あんたたち、そこにいるのよ、ママを起こして、話をするわ」
「ママの話を、私たちにもきかせてよ、私たちも話がしたいわ」
 B7がいう。ママAiが、
「これは正当な申し出だから、音声をこちらの部屋と双方向にしておくわ」
 A4‘は険しい顔で、何も言わず、彼女だけがもつコントローラーリングを操作して、「ママ」の覚醒手順を開始した。
 数時間して、A4‘は、ハッチを開け、「ママの」部屋に入っていった。
 居間の空気は「ママ」に有害で、「ママ」の部屋の地球型大気はBたちには有害なのである。B7にもB8にも、「ママ」は手の届かない存在だった。
「ママ、どう思うかしらね」
 ヘッドディスプレイを手にして、すこししわがれた声で、B7はB8に囁いた。
「私も、地球に行きたいのよ」
 B8は、はっと、B7の顔を眺めた。B8は、訳知りのように眉を挙げ、B8に頷いてみせた、まるで古い映画のようだった。
 スピーカから声が流れる。
「ママ」
 A4‘である。しばらくして、前にお前と話して何年たったのかい、いま、クルーはどうなってるんだね、という、低い声が聞こえた。ママAi の、意識レベル清明度Iという判定が流れた。
 A4’が状況を説明した。ママは、
「こないだからずっと同じね、移住はやっぱり、うまく行ってないんだね」
「条件をかえようとしてるんだけど」
「私がここについてもう150年はたってる」
「148年に相当するのよ、ママ、まだ、もつわ」
「そうかい」
 こちらの部屋から、B7が声を上げた。
「ママ、私はB7よ」
「会ったことはないけれど、あんたらのことはみんな知ってるよ、こんな星で、今までよくやってきたわ」
 A4‘が不満げに鼻を鳴らすのが聞こえた。
「地球と、今更やりとりなんて、ありえるの?」
「してごらんよ」
「こっちの場所がわかってしまうじゃない」
「もう、来てるんだろう、でもあんたの前には出てこないで、B8とは会ってるんだね、B8は外に出るからね、直接会って話した方が、話はすすむもんだね」
 話だけではないことを思い出し、B8は震えた。
「ハリムは、この母船に、地球にはないものがあるといってるの、ほしいといってるのよ、地球のために」
「地球のため、か、それはどうだかねえ、ほしい人がいる、程度の話なんだろうけど、ここでいつか腐ってしまうよりどうだろうね」
「ママ」
 A4‘が、傷ついたような声を出した。そこへ、B7が、たたみかけるように叫んだ。 
「地球のひとが、ヴァヴィロフ倉庫を欲しがってるの、もう地球にはないんだって、コードがわかれば持っていけるんだけどって」
「なんなのそれ、あなたがどうしてそんなこと知ってるのよ」
「地球の人は、通信通してもうずっと私は話してたの」
「黙っていったい、あなた方なにしてるのよ」
 A4’は大声で二人を詰った。
「私は絶対認めないわ、いままでみんながずっとしてきたことが」
「いいんじゃないかねえ」
 「ママ」の言葉に、A4’は黙り込んだ。
「どうにもならないよたぶん、この船がもたなくなる前にさっさと渡して、あんたらも一緒に連れて行ってもらいなさい、今まで本当にありがとう」
「私は認めないわ」
 A4‘は叫んだ。
「ぜったいにコードなんか教えない、間違ったコード入れたら電源止まってぜんぶおわりよ」
「ママ、コードはなんなの」
 B7の問いかけに、「ママ」は、数字を口に出し始めた。B7は、手にしたヘッドディスプレイを、スピーカのほうに向けた。
A4‘は短く声を上げて、音声が途切れた。
 すぐに、ハッチが開いた。A4‘が、
「そんなの絶対認めないわ、あなたたちも私、認めないわ」
 換気ブースのこちらも奥も開きっぱなしである。B8は、
「ママにこの空気はダメよ」
「だから開けてるのよ、B6もB7も見てわかった、歳がいくとろくなことを言わない、私たちを追い出した地球にいまさらなにをしようというの。私が、これからママのかわりに全部決める」
 平面スピーカの上の方にあった、薄い、緑のランプが赤に変わって、点滅した。
「何があったの」
 平然と、ママAiが答えた。
「ママの機能が停止したわ、こうなってももう仕方ないんでしょうね、あとは、A4‘が、ちゃんと決めなさい」
 会ったこともない「ママ」が、見えないところでなにかなっても、まったく実感はわかない。ただ、すべてをA4‘に決められるのは嫌だとぼんやり思いながらB8は、突っ立っていた。すぐに、ママの部屋からの空気が出てきているのか、息が苦しくなってきた。B8よりもママの部屋の近くにいたB7が、出口に向かおうとして動けず、喉を押さえ、片膝をついて、声を絞り出した。
「ちょっと、あたしたちにもあの空気はダメなの、わかってるの」
「わかってるわよ、ひとりで一からやり直すわ、ママみたいに」
 シールドの外が急に暗くなった。そのままシールドが内側に割れて、大きな影と、外気が入り込んできた。
 この船の、シールドにひとつの角の先端を突っ込んで、黄褐色の、ひらたい三角形のものが浮いていた。外の部分は、この母船よりでかいかもしれない。先端は、中央のコンソールも倒してしまった。壁際のB9も、「ママ」の部屋のハッチの近くに座り込むB7も、身動きもできずそれを見守った。
 一気に外気に巻かれて、A4‘は座り込んだ。
 入り込んだ先端が上下にあいた。中から、銀色の服を着たものが2人出てきた。
「ハリム、、」
 B8は彼に目をとられた。ハリムは、そのままもう一人と、倉庫ハッチの前まで行って、もう一人に、
「チェックしたコードを、入れてくれ」
「わかったわ」
 「B9」
 B7はもう一人をみて声を上げた。
 B9は、コードを手際よく入力し、ハリムは、
「上手いぞ」
と声をかけた。
 コードが入ると、扉を開け、
「ここから先は直続作業で行けるはず」
といいながら、腕のコントローラを触った。倉庫ハッチの周囲がこちらに開く。
 二人の出てきたところから、今度は4つのアームがでてきた。倉庫のこちら側の面の4隅に結合し、そのまま音をあげて、倉庫は、三角形の奥に引き込まれていった。
「背中につけてくれたマイクでなんとかなったよ、ありがとう」
 A4‘は、すでに悶絶して倒れ、反応はない。ハリムは、二人に向いて、
「やっぱり、ここで君たちは最後まで勤めを果たした方がいい、倉庫は、ママのいうとおりにいただいていくから」
 B7は、声も出せずにあえいでいる。ママの部屋の空気にかなりやられたらしい。B8は、かすれた声で、
「私は、どうなるの」
「君はここにいるのが嫌じゃないんだろう、僕も、黒い色のおばさんより、色の白いわかいコのほうがいいんだ、彼女ひとりで、権利移譲はクリアできるんだよ、じゃあ」
 B9は、倉庫のあとからあるいてきて、ちらっと、居間のなかをみて、黙って三角のなかに乗り込んだ。ハリムもそのあとをついて引っ込み、三角の角は閉まった。
 そのまま三角は離れていく。迷彩をかける必要ももうない。
 粘菌の原のむこうに機影は消えた。

 母船は、それでも機能は残っていた。
「B8だけになってしまったのね」
と、ママAiは、どういう機能が残っているのか列挙し続けた。
 なんとか居間の外に引き出したB7は、苦しそうに息をしながら、短い罵言を繰り返しつぶやいていたが、調整を怠っていたせいか、すぐに粘菌に包まれ始め、そのうち、静かになった。
 そのそばで、B8は、粘菌の上に座り込み、ずっと遠くを見ていた。
 なにがおこったのか、考える気にならなかった。もうハリムに会えず、触ってもらうことももうないだろうということが、ただただ悲しかった。

文字数:19397

内容に関するアピール

これは、講義の間、実作化できなかったものを、あらためて実作にしたものです。積み残すのが嫌だったのでつくりました。
イメージとしては、戦争で、ダメなところに入り込んだ小隊が、全滅する話です。
敵方の行動パターンは、女たらしのホストを考えたのですが、そういう人は知らないのでぜんぜん違うかもしれません。
とにかくダメだった、という話にしたかったのです。
私はもともと短いものがすきなもので、どうやら息が切れて、長くてせいぜい50枚という本性がでてしまいました。これがだらだら長くてもという素材と思いますので、よろしくお願いします。

文字数:259

課題提出者一覧