受戒

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受戒

多謝:貴州省観光協会、黔東南州民族博物館、黔東南苗族図書室、民泊と美味しいふりかけ餅米を提供してくれた黔東南ミャオ族トン族自治州、朗徳上寨のみなさま。
注:本文中の場所名は全て実在しますが、人物名に関してはおよそ架空の氏名です。

受戒

わたしたちの時間 中国貴州から来た女は、いつもこうやってわたしの耳もとで話を始めた。

婆ちゃんが母ちゃんに母ちゃんは私にわたしたちの話をした。わたしが思い出さなければわたしたちの物語にならない。今日はこの話をおまえに話すよ。
時は龍の目から落ちてくる。それは最初に樹の先に降りてくる。すると蝶がその時を受け取る。蝶は上空を一周して時に挨拶をしてから樹の幹に時を返す。次に時は樹の幹の真ん中を通り、木の中の蛀虫(キクイムシ)が時を受け取る。蛀虫は時の誕生を祝ってから樹の根本に降りる。そこでモグラが時を受け取り、時と夜を過ごす。翌朝モグラは地下に潜って白い衣の人に時を渡す。白い衣の人は地下深くに伸びた木の棒に時を入れる。白い衣の人は大勢の黒い衣の人たちを使って、時が入った四本の棒を回し始める。時はぐるぐると回り出す。

謎の棒を回す熊たち 今野亜希子は、双子の兄弟を叱ることが出来なかった。
必要な時はいつも夫の今野雄二に怒り役を頼むことにしていた。今野雄二が何やらひどく子供達を叱りつけた後に、今野亜希子はそっと子供達の前に現れて、大声で泣いてしまう下の子を左手で抱きしめ、不満顔の姉の頭を右手で撫でてやる。その時こそ、今野亜希子が双子を産んだ母親の幸せをかみ締められる時だった。今野亜希子は今野雄二が入所したあと、自分では4歳の双子を叱ることが全く出来ないことに気がついて、ようやく夫の今野雄二が自分の元を去ってしまったことに気がついた。

ある3月の土曜日の午後、今野雄二が入所した施設から初めて見舞いの許可が出た。夫の知人から貰って七五三の時に一度だけ着させた着物をいま一度双子に着させ、それぞれに描かせた父親の肖像画を握らせ、二人をピンクの自転車の前と後ろに座らせた。それから一緒に連れて行けと吠えるチャコ(雑種♀4歳)の頭を叩いて黙らせ、おにぎりとバナナを入れたリュックを背負い、ウンと気合いを入れて家から8.2キロ離れた施設へ向かって、今野亜希子はペダルを踏み出した。

施設で夫の今野雄二は以前と同じような怒り役を演じた。「何でおまえ達は、いつも父さんの言うことが聞けないのか」と怒鳴りだしてから、脈絡なく昔の子供達のいたずらを蒸し返し出した。そして、両手で二人の腕をつかむと、「またそんなことをすると、地下の部屋へ連れて行くぞ」と大声で言うと、ふらふらと体を動かしていた双子の体がぴたりと止まった。「地下室であの棒を回すぞ。ぐるぐるぐるぐる回すぞ。それから鞭で思いきり打たれるぞ」というと下の子はあっという間に泣き始めた。今野亜希子だけが状況がよくわからないなか、夫の今野雄二は下の子に向かって「泣くなよ、チャコ」と言った。また姉にも「チャコは、大きくなったな」といい、妻の今野亜希子に向かって「よく来てくれたな、チャコ」と言った。ちょうどその時、今野家の雑種犬チャコは毛布の上で涎を垂らして寝ていたが、起きることはなかった。

施設の中庭のベンチで今野亜希子が作った握り飯を双子と三人で食べながら、子供達にあの地下室とは何のことなのか訊ねた。姉が「お父さんは怒ると、暗い地下室に連れて行くの」と説明した。もちろん木造アパート一階に住む今野家に地下室などない。「そこで、足に重りを着けさせられて、四本の丸い棒をわたし達が回し続けるの。棒を回すのにはすっごく力がいるし、少しでも棒が止まるとね。鞭で打たれる。それがね。すっごおく痛いの」「二人で棒を回すの?お父さんが鞭を打つの?」「お父さんもお母さんも、棒を回しているの。だって、棒は四本だっていったでしょ。さっき、ちゃんとわたし言ったよね」「それは、ちょっとお母さんも嫌だ。じゃあ、誰が鞭でわたしたちを打つの?」「大きなクマが鞭を持っているんだ」と初めて下の子が興奮しながら説明に加わると、姉は冷静に持論を述べた。「あれはきっとキグルミよ。本物のクマの指は鞭を強く握れないもの」「そうなの?じゃあ誰がクマの中に入っているの」「中には、ボランティアの人が入ってるの」

それから10ヶ月後に今野雄二は昼食の米粒を喉に詰まらせて死んだ。施設の看護師は、今野亜希子が一人でいるときに、こっそりと今野雄二の最後の言葉を教えた。「わたしのご飯にふりかけかけてください」とご主人さんは最後に言いました」今野亜希子は看護師が何を言っているのかわからず聞き直したので、介護士はもう一度ゆっくりと言った。「わたしのご飯に、ふりかけ、かけてください。です」

それからちょうど一週間後、今野亜希子が散歩で連れていたチャコは突然道路向こうで焼き鳥の袋を持った人に連れられた雄犬を見つけて走り出し、小型タンクローリーに轢かれて死んだ。今野亜希子にとっては、ゆっくりと死んでいった夫よりも急に亡くなった飼い犬チャコの死の方が衝撃が大きかった。誰に会っても何度も「うちのチャコはお父さんに連れて行かれちゃったんだよ」と言い続け、双子の子供たちにだけは、父親の最後の言葉を何度も聞かせた。「お父さんの最後の言葉はね」首相がテレビカメラの前で重要な宣言をするように、「ご飯にふりかけかけてください。なんだって」と。そしていつも今野亜希子は涙ぐんだ。

ダニエル・ジョンストン 今野明広の双子の姉は15歳で死んだ。母親の今野亜希子は、明広が就職をした年の46歳で死んだ。その年に拾った飼い猫の定吉(さだきち)は猫認知症と言われて2019年の9月9日に15歳3ヶ月で死に、その同じ日に米国の音楽家ダニエル・ジョンストンも亡くなった。
今野明広は猫が死んでようやく知合いも好きな人もいなくなったことに気づいた。そして子供の頃から通っている医者の強い勧めで、できるだけ毎日の出来事を記録し、覚えていること、思い出せなくなっている「何か」を書き残こし始めた。すると、その記録はやはり亡くなった彼らに関わるやっかいな出来事ばかりを書き続けてしまうことになった。そうなると、父も母も姉も、さらに猫とダニエル・ジョンストンまでもが、彼の文章に異議を申し立ててきた。きみの書き方は「おれたちにとってフェアではない」と。今は亡き者達となった彼らにとってフェアかどうかなど、こちら側で生きながらえる者として考慮する必要が無かったかもしれない。しかしながら。と、今野はダニエル・ジョンストンの絵が描いてあるマグカップを持ち天井を見ながら思う。彼らの言うことももっともで、自分から見た彼らの言動や鳴き声や美しい歌声は、本来の彼らとかけ離れた見当違いだったのかもしれない。だとすれば、過去の出来事だけでなく、今日起こった事ですら事実と不整合なことかもしれない。まあいいか。と、彼はしばらく家に置いておいた猫の位牌が入った骨壺を撫でながら思う。父も姉も母も、猫やダニエル・ジョンストンさえ全く登場しない世界を、もう一度できるだけ正直に記録をしてみようと思う。こんな風に。

リンゴの欠けたところ よくいろいろな坂道の風景を思い出す。ただ、それがどこの坂道たちのことなのかは思い出せなくなった。

以前は坂の回りの景色や、坂道を登った理由を知っていたはずなのに、次第に周りの記憶はスイスチーズの穴のように欠けていった。そして今は、鏡を見て歯を磨いているとき、腰を屈めて猫の糞を掃除しているとき、どこかの坂道の風景だけが現れる。そしてその度にわたしは首をもたげ、いったいこの坂道たちの先には何があったのだろうと思う。

何年も通っている心療内科の診察時間は、今はとても短くなった。20人程度が座る待合室に先生の患者の呼ぶ声がスピーカーから聞こえると、廊下の先にある先生には聞こえないけど、みんなは「はい」と返事をして診察室へ向かう。高橋心療医院は先代の高橋先生が亡くなった後に、おそろしく顔がそっくりな娘の高橋先生が後を継いで、全く同じようなやり方で診察を進めている。わたしたちも、控え室で待つ人たちのことを考え、診察時間ができるだけ短く終わることに協力し合う。

わたしが、どこだかわからない坂道の話をすると、先生はゆっくりと「sakamiti」とだけキーを打ったのがわかった。そして眼鏡の向こうの眼差しが、わたしがまた何か違う言葉が出てくるのを期待しているように感じた。

「それから。棒を回している夢をよく見るようになりました」
「ああ。映画で上半身裸の奴隷たちが回している、あれね」
「あ。それです」

すると素早い動きで、なにかとても長い文章を打ち始めた。もしかしたら、仕事と関係無いメールを恋人へ書いていたのかもしれない。適当に話してしまった棒の話が逆に「奴隷たちが回している謎の棒」として、わたしの頭に記録された。しかしいったい、謎の棒を彼らは何のために回しているのだろう。そしてわたしは、しばらく先生のiMacの裏側に描かれたリンゴの欠けた部分の曲線を自分の胸の上に、何度も何度も指でなぞった。

「他に特になければ、また、お薬は28日分だしておきます」
「はい、ありがとうございます」

わたしは約4分間座っていた席を立ち上がって一礼してから扉を開けた。廊下を通り会計の窓口に立つのと同時に、次の人の名前が呼ばれた。名前を呼ばれた人が立ち上がると、残りの19人は一つずつ席を前に詰めていった。それは前の職場だった信玄餅工場のライン作業を思い出させた。

ヨープー 思い出そうとしてもなかなか思い出せなくなったことは実に多い。
たとえば、わたしは23歳で性交を伴う同居生活をして24歳で彼女と別れた。同居した理由も別れた理由も、はっきりとは思い出せない。いま彼女について一番記憶に残っているのは、彼女が飼っていたプードルとヨークシャーテリアの掛け合わせ犬ヨープーに、わたしのダニエル・ジョンストンのTシャツを着させていたこと。そしてヨープーが、わたしの両足の間を無限の字を描くようにして歩き回っていた感触だ。彼女とTシャツを着たヨープーがいなくなっても、家の中を歩くと、両足のふくらはぎにTシャツを着たあの犬がぐるぐると体を擦りつけて回っている感触だけは、いつまでも残った。

東京五輪 2020年の東京オリンピックは中止になると何度も言い続けていた者をわたしは二人知っている。
ひとりはわたしの母。もうひとりはわたしの小学校の同級生で、それは2001年のロシアでオリンピック開催地を大阪と争った北京に中国人待望のオリンピック開催が決定した年だった。

「大阪は負けたけど、2020年のオリンピックは東京に決まるで。せやけど2020年に開催はできなくなんで」と、彼女は訳あり顔で言った。もちろん誰もそんな言葉は信じなかったし、そもそもみんな、それはただ前日の夜にテレビで見た「AKIRA」の話だということも知っていた。そして中国で生まれて小学6年生の夏休みに東京へ引っ越してきた、日本のアニメと大阪弁が好きになった丽丽(リイリイ)のことを、わたしたちみんなは大好きになった。そしてリイリイも、小学校の卒業と同時にわたしの前からいなくなった。

龍の巣 2020年2月16日、偶然テレビをつけてNHKを見ると「巨大地下空間―龍の巣に挑む」というドキュメントを放送していた。
苗族が住む地に龍の巣という巨大洞窟があり、NHKら世界の研究家と探検家が巨大洞窟を探るという番組だった。番組はすでに終盤で、多くの科学設備の前に龍の巣と呼ばれた洞窟の闇が大量の光りによって照らされ、科学者らスタッフ達が興奮と満足感を持って龍の巣を見つめていた。ドローンで撮影しているカメラは洞窟をどんどん上り、洞窟から外に出てからも、さらに大地を多い尽す巨大な森全体を写していた。すると突然フランス人冒険家の声が響き、全てが明らかになったはずの龍の巣の隙間から、さらに巨大などんな光りも届かない洞窟を発見したという場面でエンドロールが流れた。また画面が一瞬だけ暗転し、突然森の中の湖の画面になり、短髪の苗族の女の横顔が映った。カメラが彼女の正面に回ると彼女は苗語でこう言った。「龍の巣にはどんな光りも届かないさ」と。それは18年ぶりに見た丽丽だった。

大切な記憶は何ですか 龍の巣のドキュメント番組のあとに続けて、「あなたの大切な記憶は何ですか」という、記憶を失う病気についての特集番組が放送された。
番組の記憶を失いかけていた人たちは、毎日大量の野菜を摂り、長時間定期的な運動を続けると、「突然、今まで鍵がかかっていた記憶の扉が開いたの」と、目を潤わしながら話していた。この研究を推進している教授もまた、「自分のいちばん大切な記憶とは、妻との出会いだ」と話し、次第に静かに涙を流しながら、大切そうに妻との思い出話をしていた。人にとって、大切な記憶とは、このように人を涙させることだったのか。

わたしの大切な記憶とは何なのだろうか。わたしは手書きのノートをしばらくめくり続けた。ノートには、様々な名詞が並び、ある所には暗号のような中国語の慣用語が、またある所には年表のような数字と出来事が並んでいた。わたしは長い時間中国語と中国の歴史に取りつかれているのだ。何故かはわからない。これは、今度高橋先生に尋ねてみよう。そして、「わたしにとって大切な記憶とは何だったのだろう」と、ノートにも書いた。

団地 わたしのいちばん古い記憶は、小学6年生の2学期が始まりだった。
それ以前の記憶は、人工海浜で潮干狩りをするように、本物かどうかわからない欠片をたまに見かけるだけになっていた。わたしは小学校の6年生の2学期に東京の下町から、千葉の団地へ引っ越してきた。そこは新築の団地群だけで、ひとつの大きな街を作っていた。街の両端に小学校があり、中央に中学校と大きな給水塔があった。両端の小学校はそれぞれ東小学校と西小学校といい、わたしは西小学校の6年1組に入った。入学手続き順に各学年とも1組の出席番号の1番から入って行き、わたしが小さな声で黒板の前で自己紹介をしたその日の午後に、黒のシャツとパンツ姿の丽丽が現れた。どの男子より髪が短い坊主頭のリイリイは、五日間続いたクリケットの試合で最後の一球を投げるボウラーのように、何も臆すること無く聞いたことのない言葉で挨拶をした。わたしたちは彼女が話す機関銃のような勢いのある言葉は何一つわからないはずなのに、なぜかみんな静かに彼女の演説に聞き入っていた。

そして最後におそらく、「自分の名前は朱丽というが、リイリイと呼んで欲しい」というようなことを言い、みんなに何度も発音をさせ、リリイではない、リイリイなのだと声調の指導までした。みんなが小声で「中国人かよ」とささやく中でリイリイは、苗語で「わたしは中国人じゃない。これは中国語ではない。わたしは苗語を話すhēizúだ」と大声で言った。なぜか、わたしには初めて聞く言葉なのに、彼女が胸を張って自分の胸を指さして言う、言葉が、彼女の「誇り」であることを一瞬で理解できた。そして、何度も彼女が発音するリイリイをわたしたちは繰返した。何度も何度も、次第に大声で言った。リイリイと。

土を食べた日 丽丽から苗族の神話や村の生活を聞くのが好きだった。
それはわたしにとって魔法の国の出来事のように思えた。リイリイが団地に越してきた日がわたしと同じでクラスに入った日も同じだったので、わたしとリイリイは出席番号が隣で席が隣になった。さらに、わたしとリイリイは団地の棟も階段も同じだったので、学校の中でも学校の外でも、お互いの言葉を教え合った。わたしの家は五階でリイリイの家は最上階の10階だった。一緒に学校から帰ると、わたしがリイリイの家まで行き、それから二人でエレベーターにピンクの自転車をなんとか押し入れた。初めて二人で出かける日からずっと、わたしとピンクの自転車とリイリイはじっと階数表示器を見上げた。初めてエレベーターから外に出た時、リイリイが前でハンドルをつかみわたしを後ろに乗るように目で合図をした瞬間、わたしの体の中のどこかが熱くなった。そしてわたしは小さな声で「了解」と言い、リイリイが大きな苗語で言った言葉は、わたしの頭の中で「わたしの腰をつかんで」と聞こえたので、そっと顔を赤らめながら自転車のサドルをしっかり握った。

わたしも自転車に乗れることは乗れるのだけど、わたしの腕は短くて女の子を後ろに乗せて前を漕ぐのは難しかった。わたしたちは目に映る物を何でも教え合った。スーパーへ行き、野球場を一周して海へ行き、川沿いの自転車道を暗くなるまで走って、ライトを点けて笑いながら帰ってきた。それから三ヶ月もすると、リイリイは学校内での先生や同級生達との会話が不自由なく出来るようになった。わたしの方は、どうもリイリイが要求した口を大きく開けて発音練習するのが面倒になり、次第にわたしたちは日本語だけで会話をするようになった。リイリイもわたしが苗語をあまり話さなくなったことに失望しながらも、「でも、おまえの苗語はわたしの耳に良い」と白い歯を見せて言った。

リイリイの村の話で最も印象的だったのは、澄んだ空気と濃い深緑の森に囲まれた場所に底まで見える澄んだ池のことだ。そこは村人も四年に一度の祭りの時しか入れない神聖な場所らしい。彼女は8歳のある夜、どうしてもその池の土が食べたくなった。そして、夜中に家を抜け出して月の明りを頼りに湖に向かって、湖につくとやはり神聖な場所なので裸になって水の中に入り、思う存分湖の土を両手で掬って食べたという。「でも、土を食べたくなったのは8歳のその夜、一度だけだった」とリイリイは言った。

🤞記録帳に書かれた中国年表

1890年ころ:宋王朝始まる。宋嘉樹と倪桂珍夫婦は、中国での聖書出版事業を成功させ、瞬く間に事業を拡大させて財閥となった。ここに宋王朝がはじまった。二人が産んだ三人の娘は、その後「一人は金を愛し、一人は権力を愛し、一人は中国を愛した」と言われた。長女靄齢は中国一の富豪孔祥熙の妻となった。次女慶齢は孫文の妻となった。三女美齢は蒋介石の妻となった。そして夫以上に、三姉妹たちが中国の政治と経済を動かすことになった。
1911年、辛亥革命。孫文が共和国、中華民国の大統領になる。
1915年、孫文と宋慶齢が結婚する。
1925年、五・三〇事件、張学良の活動を美麗が支える。
1926年、孫文の死後、宋慶齢と蒋介石が対立する。
1927年、蒋介石と宋美麗が結婚する。
1928年、蒋介石、南京政府主席に就任。
1932年、満州事変、宋慶齢は、反日より反共を主張
1936年、西安事変、張学良らが蒋介石を監禁。宋美麗が蒋介石を救う。
1937年、日中戦争、国民党による張学良の死刑を宋美麗が救うが、以降張学良の軟禁が続く。
1941年、太平洋戦争開戦。
1975年、蒋介石が亡くなり、張学良50年間の軟禁が解ける。
1990年、張学良、日本人富永孝子とのインタビューを受ける。「わたしは、いままで肉体関係を持った女性を全て覚えている」という有名な挨拶から、73人の女性を丁寧に挙げていった。「そして子供と孫のことは、名前も顔も覚えていない。そういうものだろ、きみ。ただ、今年にまたひとりの子供が出来たらしい。宋美麗との間に」富永孝子は、翻訳者をつけていなかったので、自分で再度聞き直した。「あの美麗ですか」と。そして、張学良は、笑いをかみ殺すように、それでいて少しの誇らしさを込めて「きみの発音はきれいだ。その美麗だよ」と答えた。「人工授精で生まれた双子の子供は宋美麗の保母に預けたらしいんだ」と、張学良は、関心の無い本を誰かに譲ったような口ぶりで答えた。
2003年、張学良が亡くなったときに宋美麗はアメリカから献花を送った。その白い菊花につけた白札には「わたしたちはいま、ここにいる」と書かれていた。
2007年5月6日、さいたまスーパーアリーナでは、モーニング娘。に中国人留学生として李沁謡と銭琳二人が初舞台を踏み、吉澤ひとみがモーニング娘。から卒業をした。彼女たちは最後にこう言った。「わたしたちはいま、ここにいるぜ

  1. 失明した猫が死んだねずみに出くわす 瞎猫碰上死耗子

痛いくらいの空腹を感じて目が覚め、いつもと違う質感のシーツから体を剥がし、窓の外に広がる景色を見て、ようやく昨日の遅い時間に中国のホテルに着いたことを思い出した。

ホテルの窓は床から天井までのガラス窓で、床と天井に切り取られた眺めは、まるで誰かが計算した構図のような風景をその枠の中に描いていた。山の斜面の棚田は、一面一面が異なった曲線を描き、棚田の水面は朝の太陽を鏡のように反射させていた。その反射させた光は、上方の斜面に沿ってぎっしりと並ぶ漆黒の瓦屋根を持つ木造の家々を照らしていた。さらに遙か向こうの山も頂上まで棚田が連なっていた。

ここは貴州省の西江千戸苗寨のホテル。桌子の上にはわたしが書いた今日の予定が書いてある。今日は、苗族自治州からの案内人を待って一緒に黔東南苗村へ行く。それだけだ。昨日まで使っていたノートは見つからなかった。持ってこなかったのか。慌てることはない。数冊用意してある新しい測量野帳に、いつものように覚えていることだけを書けばいいのだ。窓を開けると、遠くから銅鑼の音が聞こえた。

わたしは今、西江千戸苗寨にいる。羽田から貴陽空港に向かい、高速鉄道に乗って凱里で乗り合いバスに乗った時には日が落ちていた。バスの運転手もマスクをし、マスクをしていないわたしにマスクを二枚くれた。運転手が「日本人だ」と言い、わたしが後部座席に腰を下ろすと、乗っていた三組の家族はみな前方に移動した。バスが動き出すと、黒い服を着た短髪の少女が振り返ってわたしのことを見つめた。何かを言いたいわけでもなく、ただ手の甲に顎を乗せて暫くわたしのことを見つめた。それは見られて嫌な気持ちになる眼差しではなかったし、わたしの知っている何かに似ている気もしたので、精一杯の微笑みを作って女の子を見返し、その「何か」を思い出そうとした途端に前を向かれてしまった。

ここへ来たのは、NHKの「龍の巣」のドキュメンタリー番組を見たことが契機だった。そしてその番組の最後に小学校からの同級生だったリイリイが正面からカメラを見てこう言ったように聞こえたので、わたしはここへ来たのだ。「もう時間が無いよ」と。

それからわたしは、貴州省日本観光センターを通じて、「龍の巣」と呼ばれる苗厅の撮影スタッフの一人と連絡がとれた。彼もまた、番組最後に登場したのは、日本に数年滞在していたリイリイであり、張作霖の息子である張学良と宋美麗の娘であり、苗族自治州委員会書記の宋朱丽だと説明してくれた。わたしは宋朱丽の友人であり、今回どうしても彼女に再会し、2020年の4月に開催される予定の儀式「受戒」について取材をさせてほしいと連絡をしたのだった。

リイリイが話してくれた苗族が住む村の風景。それはどこを見回しても全てが坂道。何重にも連なるつづら折りの石畳。山の頂上まで続く棚田。魚も川底も見える澄んだ川。窓から魚を釣る川沿いの家。洞窟に並ぶ墓碑。船で数十メートルの穴から入る巨大鍾乳洞。

リイリイが話してくれた苗族の歴史。苗族の祖先は蚩尤(しゆう)という戦の神であり、中国で最初に金属を使い、武器と農具の発明者であった。「史記」においては残酷な戦士と記されているが、それは初代皇帝の黄帝に負けたことで儒教の基に押しつけられた役割にすぎない。他の「呂氏春秋・蕩兵」などの歴史書には、小さな村の民を守るために犠牲になって戦で戦死したと記されていた。始皇帝が中国統一する際には多くの苗族がその側で使えていたが、そこから苗族は中国史の表舞台から消えた。苗族が、どこにどれだけ残存するのかは長い間歴史から消えていた。

1944年中国の地方紙河南日報で働く日本人記者松本重治が貴州の山奥で行われる苗族の儀式を書いたが、それは書いただけで掲載されなかった。1942年から2年間中国では干魃の大飢饉とイナゴの飛来により三百万人以上が亡くなった時期であり、少数民族の儀式の記事が没になることは特段不思議なことではなかった。ただ、この記事を貴州省から書いて河南省の本社へ郵送した記者は、行方不明になった。また、この時期に貴州省のある地点に集まった国民党と共産党と日本軍の数百名もこの地に入ったあと、行方不明になった。
「っていう、ね。儀式が苗族の間で20年ごとに貴州省で開かれるわけ」と、前のめりになって聞いているわたしに、リイリイは周りを見渡して囁き声で言った。
「この儀式のことを知りたい?でも、このことを知ると、もう戻れなくなるよ」
「戻れないって、どこへ?」
「わたしたちが今いる」とリイリイは地面を指さし、さらに小さな声ではっきりと言った。「ここにだよ
「いいよ。教えてよ」と、小心者のわたしはただ聞くだけだから何も問題ないだろうと勝手に考えて、同じように囁き声で言った。
「それは、受戒っていうの。受戒(じゅかい)を通過した者同士が、入れ替わるの。」
「何が何と入れ替わるの?」
「だからさ」何で、この日本語がわからないのかという目つきで暫く睨んでからリイリイは言った。「受戒を通過した、生きる者全てが。男と女や老人と子供が、あれもこれもが、その入れ替わった人の体に入るの。それから仕事も生活も、何もかも入れ替わるわけさ」
「まさか。急に料理人が歌手になったり、お婆さんが赤ん坊になったり?」
「まあね。それは来てみればわかるよ」
「いやいや、中国なんてそんな遠くへ、行くわけないよ」
「もう遅いよ」とリイリイは嬉しそうに言った。「わたしたちの「受戒」の秘密を知ってしまった人よ。おまえは必ずわたしの所へ来る」
「まさか」

まさかではなかった。

わたしは飛行機に乗って海を渡り、高速鉄道とバスを使って、懐かしさを覚える棚田の景色が広がる中国の貴州南部にまでやって来ていた。わたしが棚田を見ながら短いため息をついた途端、ホテルの部屋の電話が鳴った。受話器を取る前に、さっと今ノートに書いた記録を眺めた。そうだ。わたしは長い時間リイリイとリイリイの話した「受戒」に取りつかれていたのだ。受戒とは何なのか、そこで何が行われるのかがずっと知りたくて、わたしはここに来たのだ。わたしは、ようやくリイリイに呼ばれて、ここに来たのだ。

電話をとると村の案内人は、すでにホテルに着いたので、外で一緒に朝食をとってから出発をすることになった。女性の案内人は聞きやすい普通語で、「わたしの名前はjízé」と名乗った。少数民族なので、姓が二文字なのかと思ったが、どういう漢字なのか想像もつかなかった。リュックを背負ってロビーに降りると、こんな時期にしては人が多かった。漢民族系の人はたいていマスクをしていた。フロントの人の説明によると、比較的武漢から近い場所なので、武漢市民の富裕層が近隣のホテルに滞在していることと、中止になった大規模工事に関係している欧州人も出国できずに滞在を長引かせていたためらしい。もちろん彼らはマスクをせずに顔を寄せて挨拶をする。彼らの多くは中国の普通語で会話をしている。そしてフランス資本のホテルの中国従業員達はマスクをして英語で挨拶をする。

わたしは、マスクをポケットに入れたまま、回転扉を抜け扉を開けた。外に出た瞬間、皮膚が午前の光りと聞き取れない言葉と肉を焼く油の匂いを感じた。ホテルの周辺には屋台が雑然と並でいた。そこでは中国語やフランス語やミャオ語が混ざり合い、笑顔と品物を交換している。笑顔と一緒に支払われるのはスマホのアリペイだ。わたしが辺りを見回しながらjízé 、jízéと繰返し呟いて入り口の階段を降りると、「日本人?」と中国語で訊ねられた。続けて「わたしの名前は、吉澤jízé」と答える顔を見て、ようやく音と文字が一致した。そして、中国にいる間唯一聞いた日本語で「吉澤ひとみです」と、真っ直ぐこちらを見つめて言った。わたしは、ここまで記録したペンをしまい、測量野帳を首にぶらさげて、「はい。わたしは日本人です」と中国語で答えた。

  1. 毛はヒツジからしか取れない 羊毛出在羊身上

「吉澤のこと覚えてる?」と吉澤さんは中国語で訊ねた。
わたしはこの1時間後に、この日にあった出来事を日本語で記録しているのだが、結局誰と話すにしても今日はずっと中国語で通したし、そしてこれからもきっと中国語だけで通す。それが中国語学習者が中国で生活をする矜持ってやつだ。

「それは、わたしたちはどこかで会ったことがあるけど、あなたはそれを覚えているのか。という質問ですか?」吉澤さんは黒のスキニージーンズを履き、光り輝く銀色のジャケットの下に「ROCKY」と赤く書かれたパーカーを着てフードをジャケットから出していた。わたしが何も反応をしないと、口の左端を満足げに持ち上げてから、敬礼のポーズをした。何か彼女の決めポーズなのかもしれないが、わたしには全くわからない。ただわかっていることは、中国で初めて会ったはずの女性から露骨ながっかりした目で見られているということだ。吉澤さんは「まあいいや」と言って、拳でわたしの左肩を小突いた。けっこうきつめに。
「今野ちゃん、朝めし食ってないよな」
「ええ。はい」
 先輩言葉で話しかけられると敬語で対応してしまう性分のわたしの肩を吉澤さんは嬉しそうに抱き寄せた。そしてわたしたち初対面の二人は苗族が開いている朝市の前を、肩をきつく合わせながら歩いた。吉澤さんのショートボブの横顔を見ながら、もしかしたら、この人と本当にどこかで会ったことがあるのだろうかと思い出そうと試みた。しかし、すぐ諦めた。わたしは自分の諦めの早いところは、結構気に入っている。

朝市の料理はみな、赤か緑かその両方を混ぜた色をしている。赤は唐辛子で緑は牛瘪(びえ)という草ではあるが、牛から取り出した牧草だ。火を点けた鍋からは刺激的な臭さが匂い立ってきた。

「今野は唇と尻、どっち?」
「え?」
「だから、唇なのか尻なのか、どっちかって話だよ」
「ん。なんだろ。どちらでも?」
「いいね。その答え」吉澤さんは本当に嬉しそうに言った。「今野、ここで一番大切なことだぞ。自分で何も考えるな。自分で何も選ばなくていいんだ」

吉澤さんが白苗語らしい言葉で牛瘪を売る苗族のおばさんと話をすると、おばさんは緑色の鍋の中に牛の臓物と香草を入れた。わたしたちはおばさんの屋台の前の長椅子に座った。

「牛瘪は牛の胃と腸から取り出した草のスープだ。第一胃袋の草は、ほら、口から入ったばかりで酸味も少ない。殆ど尻の直腸から取り出した草は糞に近いから、これ、匂いはきついけど」と、吉澤さんが火を入れて茶色くなった鍋から少し欠けた腕に山盛りによそってわたしに手渡し、「これが、うまいんだ」と言った。

わたしは、受け取った椀に箸で、できるだけ下に沈んでいた物を取り出して口に入れた。おそらく牛の大腸の部分で歯ごたえがかなりあったが、前から煮込んでいたようで味がよく染みて美味しかった。
屋台のおばさんは、わたしの納得した顔を見ると嬉しそうなしわを顔中に作って笑った。

「これは昨日屠殺した牛の腸とその牛に入っていた薬草なんだってよ。ここらへんの牛は、牛瘪のために薬草を食べさせてるからね。そして屠殺したら、真っ先に胃と腸から草を取り出すんだ」
吉澤さんは、わたしが持つお椀に箸を入れて食べながら、わたしに訊ねた。
「で、今野くんはどうして、受戒を見に来たわけ」
わたしは、首にぶらさげた測量野帳を広げてざっと確認をして言った。「同級生が受戒のことを教えてくれてから、ずっと気になっていた。その同級生がこの間テレビに出ていたのを偶然見つけて、この場所を探し出したんだ」
「その同級生がリイリイなのか」
「知ってるの?」
「で、やったの」
「いや。小学校の同級生だから」
「なんだよ。してなかったのか。きれいな思い出ごっごかよ。あるよね、そういうのって。」
「村に着いたら、リイリイに会える?」
「それはどうかな。まじか、このコブクロ旨すぎ」
「でも、心臓や肝臓は豚のような味がする」
「今野氏、よくわかるね。それ、絶対メモした方が良いよ」
「鍋に豚の肉も入っていたということ?」
「違うよ。豚のような内臓を持つ牛がいるっていうこと」

吉澤さんの、早くメモをしろという目圧に負けてわたしは、メモをした。「豚の内臓をした牛」
「車は無いみたいだし、ここからどうやってミャオ村までいくの」
「25キロ離れているけど、山道だからね」吉澤さんはわたしの姿を値踏みするように見てから言った。「8時間くらいかな。旨いよ。これがミノだ」
「待って。いま8時だよ。夜の12時に村を出て来たの」
「まさか、夜中は暗くて歩けないから。昨日から吉澤も、今野ちゃんと同じホテルにいたんだ」吉澤さんはホテルの名前入りライターをポケットから取り出して、満面の笑みで言った。「牛と草、ほんと最高だな」

わたしは、弁当用のチマキと干し肉とゆで卵を買った。吉澤さんは、いくつかのザルで売られている甘苦い香りがする刻んだ草(シャグ)を買った。左手の人差し指と中指で巻紙を挟み、器用にシャグを均等に置いて、巻紙の両端をキャンディの包みのように捻った。巻紙の端を口の端に咥えて巻紙に火を点けて一口吸うと、目を細めて二度頷きながら言った。「うは。うはあ」そして、濃い霧のような白い煙を口からゆっくりとはきだした。

食事を売っている屋台を過ぎると、刺繍と藍染めを施された衣類が売られていた。民族衣装の着物からTシャツやジャケットにまで施されている。売り子の若い女性と挨拶をする吉澤さんの背中を見てようやく、銀色のジャケットに銀色の龍の刺繍があることに気づいた。下に着ているパーカーもろうけつ染め特有の色合いが出ていた。その隣では人形が売られ、人形芝居も行われていた。大勢のフランス人たちが熱心に人形遣いの動きを観察していた。

苗族は文字を持たなかった代わりに、自分たちの物語を口承で伝えたり刺繍や人形芝居を使って仲間たちに伝えてきていた。改革開放の政策で苗族の間にもゆっくりと中国語と文字がやってくると、次第に中国現代化の波とともに苗族の文化も一度は衰退し始めた。しかしここ数年になって貴州へのIT産業と文化振興活動が盛んになり、特に欧米から苗族文化への関心が深まり資本が集まると、貴州を目指す中国の若者も増えてきた。そして貴州は2019年の中国でもっとも経済成長率の高い省となっていた。

屋台の外れは生きている動物を売っている場所になっていた。様々な虫がいて様々な鳴き声をあげる鳥がいて、所在なげな家畜動物たちがいた。牛と豚の間には一匹のマレー熊が膝を抱えて座っていた。わたしたちが近づくとゆっくりと立ち上がって、武器を持たない兵隊が降参をするように、熊は両手を挙げた。吉澤さんはマレー熊の隣で同じように膝を抱えていたおじさんと聞いたことの無い言葉で盛んに言い合いを始めた。そして華為を向き合わせてアリペイで支払いをすると、吉澤さんはマレー熊を受け取った。

「マレー熊なんか買ってどうするの?」
「彼はマレー熊じゃないっ。本当は黒ミャオ熊という名前だ。彼らはもともと貴州の森だけにいた熊なんだ。それが昔の飢饉で貴州の山からいなくなって、名前にまで他の国の名前をつけられやがって。だけど、今でもどこからか彼らを見つけてきて売り場に出す人がいる。こうやって市(いち)で見つけると買い取って、村の役場に持って行くと千元もらえる」
「いま、幾ら払ったの」
「千五百元」わたしが言葉を出そうとしたのを遮って言った。「いいんだ。これが吉澤の仕事だから」
そう言った吉澤さんの巻き煙草の巻紙が焼きつくされようとしていて、歯の先に巻紙の捻った端を出すと完全にシャグは燃え尽くした。そして残った巻紙の端を吉澤さんは飲み込んだ。
「ときどき、失敗して唇が焼けることもある。ほら」と、吉澤さんは唇の左端にある少し焼け跡のような箇所を指さした。そして言った。「ちょっと触ってみ」

わたしは全くためらうこともなく、吉澤さんの口紅をつけていない上唇を中指でひと押しした。吉澤さんが目をつむるので、わたしも目をつむって息を止めた。わたしは胸が熱くなって目を開け、ため息をついた。後から目を開けた吉澤さんは、わたしの指と目を見た。それから少しだけ笑顔を作ってから、ポケットから龍の刺繍がある背帯(せおび)を広げた。そこに熊を寝かせ、前抱っこのようにして、熊を胸側に抱きかかえた。熊は吉澤さんの頭に両腕を回すと、「ミャー」と声を出した。吉澤さんは腰帯を締めながら、「ミャミャー」と言って、腕の紐を抜いて熊を後ろに回すと、おんぶの形にして熊を背負った。熊は「ミャーミャア」と言って、長い腕を吉澤さんの首に回した。
「ここで、今までのことを」と吉澤さんはわたしの首からぶらさがる測量野帳を指して言った。「まとめといた方が良いよ」
「どうして?」
「だって」と吉澤さんは言った。「ここから先は、別の世界に入る道になるからね」

3.ヒルを止まり木に登らせる 赶鸭子上架

わたしがメモを書き始めると、市の中央では、黒い苗族の民族衣装を着た年寄りの男達が葦笙を持って、横に並びながら笙を吹き始めた。男達は揃って体を横に揺らし、膝から下でステップを踏み始めた。揃って足を交差させて、その足を蹴り上げる。また同じ装いをした男性の列が3列つづいて笙を吹きながら市の周りを円を描くようにして行進を始めた。後ろには華やかな刺繍の民族衣装を着た女性達が歌を唱いだした。リイリイから何度か聴かされた、世界の始まりの歌だった。さらにその後ろから、フランス人やイタリア人を交えた男性の踊り手が現れた。そうやって、笙の曲と女達の歌と様々な国の人々が踊りで語り出した。気づくと吉澤さんも熊を背負ったまま、女達の歌を口ずさみながら踊り子たちの輪の中に入っていた。
わたしが測量野帳への記録が終わってペンをしまうと、目の前に吉澤さんが立っていて、「よし、行くよ。今野」と言った。

リュックを背負ったわたしと、熊を背負った吉澤さんは黔東南苗村を目指して出発した。
市場を出ると道は緩い下り坂だったが、次第に道が狭くなり、市の笙の音楽が聞こえなくなる頃には、山の上り坂に入った。その途端に足下から霧に覆われていった。実際に苗村までの道は全て坂道で、平らな道は3mも続かなかった。霧は重さを感じさせない洪水のように、前方から波を打つようにして広がり、わたしたちを取り囲んだ。短いつづれ織りの両側を覆って生える常緑広葉樹林のため、どちらが山側でどちらが崖になっているのかもわからなくなる。霧の向こうからミャオ語の歌が聞こえた。歌声が大きくなると、天秤棒を担いだ女の子たちが見えた。女の子たちの頭はナポレオンの帽子のように大きく横に広がった髪をしていた。吉澤さんが教えてくれた。

「水牛の骨を枠組みにして、自分の髪と母の髪を使って鬢にしているんだよ。苗族の女性は授戒を受けるから、付け髷にしている人が多いよ。吉澤も今回の受戒のためにさ。これウイッグなんだよ」

吉澤さんはショートボブの髪をゆっくりと持ち上げると、その頭はきれいに剃髪されていて、額の上部には黒い痣のような窪みが出来ていた。
「今野も、今日坊主になるからね」
「なんで、ならないよ」
「なるよ、つるつるに。だって、今晩が受戒なんだよ」
「わたしは、見るだけだよ」
「今野ちゃん、なに言ってますか。あなたは、今日の受戒の予定に入ってるんだから」と、熊を背負った吉澤さんはわたしの肩に手を回して言った。「もう決まっているんだからさ」
「ええ」

と、わたしは嫌がる響きで驚いてみせながらも、苗族の受戒がどういうものか知るためには、自分がその中に入ってみてこそ、よくわかるのかもしれない。と、この時はとても楽観的に、もしくは単純に考えていた。というのは、ウイッグを外した坊主頭の吉澤さんに笑顔で見つめられて、肩に手を回されたからなのかもしれない。そして、できるだけ仕方が無いという体を醸し出してわたしは言った。「もうそういう段取りになっているなら、やるしかないのかな」
「うん。仕方ないんだよ」
吉澤さんの手の上に熊の手も伸びてきて、熊はわたしの肩を二度三度と叩いた。
「他人の体になる、いうのが全くわからないんだけど。初めて行く村の人の誰になるの。そしてどういう役をすればいいの?」
「今野、言っただろ。ここでは、何も考えるな。自分で何も考えなくていいんだよ。」
そして、吉澤さんはウイッグを雑にかぶり直した。

霧は濃かったが、木の葉から零れる日差しが強くなると、少し先の景色が見えてきた。緑の葉とともに、赤、青、黄色の花の色が濃い霧の白と混ざっていた。一本の木に近づくと、赤や白の花はユリ科の花で黄色はカサブランカで青はデルフィニウムだった。しかし、どの花も下の土から葉とともに花を咲かしているのではなかった。木に直接短い茎が伸びて花が咲いているのだ。わたしは、確かめるように花の茎と樹皮の境目を触った。その境目は押すと少し柔らかくはなっていたが、確かに一本の木から、こうやって何種類もの花が咲いていた。その花を目指して蝶が飛んできた。アゲハチョウ科の黒と紫が美しい羽をしていたが、よく見ると腹部が丸く太り、足が八本あった。振り向いて吉澤さんに報告しても、帰ってくる答えは想像できた。どこまでも上りと下りが続く坂道を歩きながら、わたしは絵を描いた。水牛の骨で作った髷をした女の子達。色鮮やかな花を咲かしている常緑樹。蜘蛛のような体をした蝶。そして、ぼうず頭の吉澤さん。顔がうまく描けなかったので、顔の輪郭の中に「よしざわ」とひらがなで書くと、吉澤さんは野帳を取り上げて自前のペンで「よっすぃー」とサインをして、下目遣いで野帳をわたしに突き返した。まるで芸能人かのように。

いくつもの山道の上り下りを繰返し、時計の針が12時に近づく頃には、湿度も高いせいか汗をかき、何度目かの休憩をとろうとすると、大きな甕が置かれてきれいな水がはられていた。

「山道を歩く人のための飲み水なんだけどね」と吉澤さんは言うと、山道から外れて、樹の枝の間に入るような道を案内した。暫くすると水が落ちるような音が聞こえ、目の前に滝が現れた。滝の高さは大きくないが、10mくらいの広い幅があった。滝から落ちた先で、水は池のように丸く広がり、そこから先には川のような水先が見つからなかった。吉澤さんは、岩場の上に腰帯を解いて熊を下ろすとジャケットとパーカーも脱いでいった。

「水はこの地下の底に穴が開いていて、その地下に流れて山の中にある鍾乳洞に流れているの」そして、吉澤さんは靴と靴下を脱ぎだして言った。
「この水を潜った先に村があるの」
「いやいや。それはないでしょ」
吉澤さんはTシャツを脱ぎ、腰を下ろして懸命にスキニージーンズも脱ぎだして言った。
「今野お」
「いや、もう何でも信じるよ。え?わたしも脱ぐの、かな」
吉澤さんは何も言わず、堂々とした下着姿で腰に手を当て、ただわたしを見つめて立っていた。
動作に「仕方なく」を出来るだけ込めて、わたしはパンツ一枚になってから、また慌てて靴下を脱いだ。
下着姿の吉澤さんは、わたしの体が触れるくらいの場所に近づいて言った。
「何も考えなくていい。何も怖がらなくていいよ」

岩から2mほど下の澄んだ水たまりの上には、緑の葉とともに、赤、青、黄色の花が沢山浮いていた。吉澤さんは左手で熊の手を掴み、右手でわたしの手を強く掴んだ。そして岩肌を三歩走り、「とお」と叫んで2mほど下の水に飛び込んだ。
わたしは腕を引っ張られて、いっしょに水に飛び込みながら「うそだろ」と呟いた。熊は「ミャア」と言った。

うそだった。

吉澤さんもわたしも熊も泳ぎは全く得意でなく、みな沈まないようにするのが精一杯で、思いのほか冷たかった水の中を必死になって岸辺に上がり、また泥まみれになった体で、服と荷物を置いた岩場に戻った。そして、下着姿のまま昼ご飯を食べた。チマキを三個ずつ食べ、熊に干し肉とゆで卵を分け与えた。餅米がまざったチマキは、塩がまぶしているだけなのに、おいしかった。吉澤さんは自分が作ったチマキのように、「うまいだろ」と訊き、わたしが頷くと本当に嬉しそうな顔をした。

わたしはいま、苗族の村に向かう途中の冷たい湖の前にいる。となりには下着姿の吉澤ひとみさんとマレー熊が餅米を頬張っている。

吉澤さんはまた巻紙とシャグを取り出して、巻き煙草を作った。それをわたしに手渡し、わたしがどうしたらいいのか躊躇っている間に、あと二つの巻き煙草を作った。ひとつを自分の口に咥えて火をつけた。もうひとつを熊に渡して口に咥えさせて、火を付けた。まだ巻き煙草を手にしたままのわたしにも、同じように口に咥えさせて火をつけた。吉澤さんが、胸を大きくはって煙を吸う素振りをすると、わたしと熊も真似をした。吉澤さんがゆっくり煙を吐くと、わたしと熊も真似をした。二人と一匹は全く同じタイミングで煙を吸って吐いた。円座で座っている真ん中に濃い煙を吐くと、そこにアゲハ蝶が集まってきた。一本吸い終わる頃には、わたしは楽しくなってきた。同じく吸い終わった熊が舌を伸ばしてわたしの顔を舐めるのだが(マレー熊の舌は伸ばすと50センチほどあった)、それすらも気持ちよく感じた。どういうわけだか、こんなことを口にした。

「で、吉澤さんは、どうしてここにいるの」
「吉澤は、藍織を教わり、歌と踊りを教えるために、ここへ来た」
「吉澤さん。って、ほんとに歌えるの」

わたしがそう言うとまだ下着のままの吉澤さんは立ち上がった。何を歌うか迷っている素振りをしたまま、わたしと熊を立たせた。熊は何故か立ち上がると、また万歳のように両手を挙げた。吉澤さんは手でリズムを叩き出し、わたしと熊も同じように手を叩かせると、きれいな中国語で歌い出した。

「ある日 森の中 熊さんに 出会った 花咲く 森の道 熊さんに出会った」
ここまで一人で踊りながら歌うとわたしと熊に輪唱と踊りを求めてきた。仕方なくわたしと熊は、吉澤さんのあとを着いて歌って踊ったが、わたしも、熊も、吉澤さんも、楽しくて笑いながら歌い踊り続けた。

「ところが 熊さんが あとから ついてくる スタコラサッサノサ スタコラサッサノサ
あら熊さん ありがとう おれいに 唱いましょう ラララ ラララララ ラララ ラララララ」

わたしたちは岩場の上を何度も手を繋いで回った。最初に熊が疲れでしゃがみこみ、次に吉澤さんが両手をついて、ようやく歌と踊りが終わった。

吉澤さんの頭にあった黒い丸は、剃髪の後にお灸で焼いた跡かと思っていたのだが、近くで見るとそれは穴だった。二つの瞳から真上の生え際あたりに、二つの穴が開いていた。この穴に世界の運命があるかのように、わたしは口を開けてその穴を見つめた。

「穴に指を入れてもいいよ」と言って吉澤さんは目をつむった。
わたしは、中指を吉澤さんの頭の穴寸前にまで近づけた。この指先と吉澤さんの頭の穴の間に、確かに大きな運命が置かれているのを感じて恐くなり、目に涙が滲んできた。わたしは穴の縁にそっと指を触れるだけで穴に指を入れることは出来なかった。

「入れないでいいの」
「今はいいよ」
「今は?じゃあ、いつかはいれる?」
「そうだね。きっと入れるよ」

吉澤さんは少し悲しい顔をして、服を着始めた。それを見てようやく自分も下着のままであることに気がついて、あわてて服を着た。
熊を背負うと吉澤さんは言った。「休憩したから、少し急ぐよ」

それから、わたしたちは下り坂になると走って下り、上り坂になると歩いて進んだ。わたしはトレイルラン用の靴を履いてきたが、10回は転んだ。時には前のめりに顔から落ち、時にはゴロゴロと岩肌の急坂道を転げ落ちた。そんなわたしを見て、岩場からずっと裸足の吉澤さんと熊は声を出して笑った。また、その笑い声を聞いてわたしも笑いながら転がった。西江千戸苗の市を出発してから七時間が過ぎたところで、小さな山の上から見晴らしが良く、前方の山々を見ることが出来た。ここから先は全ての山の麓から頂上までが棚田になっている。この山の麓へ向かう下り斜面も、また全てが棚田になっていた。棚田の上から見下ろすと、西に傾いている陽を棚田に張られた水が鏡のように均一に反射していた。その幾つもの棚に人影が見え、田植え作業をしていた。または今日の作業を終わらせようとしていた。

「ここからあの川の麓までの道は結構広いんだ。あそこまで、降りればあとは向こうの中腹を回れば村に着く」
「じゃあ、あとどのくらい」
「今野の気合い次第だ」
「わかった」と言って、わたしは全力で緩い下りの坂道を全力で走り出した。棚田の間を縫うように続く道は、農作業の農具や家畜を連れてこられるように平らにならされているので、転ぶはずが無い。わたしは曲がり続ける道で体を左右に倒しながら全力で走った。後ろから吉澤さんも全力で追いかけてくるのが、裸足で強く土を蹴り上げる音と熊のミャアミャアというかけ声で分かった。田んぼの至る所にペットの画眉鳥が籠に入っている。わたしと吉澤さんが鳥かごの側を駆け抜ける度に、鳥がピュウピュウと激しく啼き、作業をしている人を振り向かせる。午後から何度も走り続けていたので、膝に力が入らなくなって来ているが楽しくて足を止められない。熊を背負った吉澤さんは追いつく度に、笑っていた。わたしもまた、笑いながら抜き返す。泥まみれの水牛を連れて山を下る人の両側を私たちは走り抜いた。水牛の角の先は赤や黄色の花が咲いているように見えた。吉澤さんの荒い息とともに出す笑い声が止まらなくなっている。麓の川が見えてきた。カバのような大きさの豚の群れを連れてくる人が見えると、吉澤さんは笑いながらこんにちはと叫んで、豚の上を飛び越えた。わたしも真似をして挨拶をして、笑いながら豚の上を飛び越えた。豚の尻尾は緑に染まり、その先は蔓のように細く巻かれていた。前を走る吉澤さんの背帯から、熊が興奮して吉澤さんの坊主頭を叩き、そして頭を掴んで背帯から飛び出した。熊は四つ足になって、ミャアミャアと叫びながら走り出した。

熊は速かった。飛ぶように四つ足で駆け下りきり、そのまま川に転げ落ちた。わたしと吉澤さんは、何を見ても笑っていたが、吉澤さんは川に落ちる熊を指さし、手を叩いて笑った。鼻から鼻水を出し、口からは涎を垂らしながら走る吉澤さんの横顔を見ながら、隣で走っているわたしは思った。何でこんなにおかしいのか、わからなかった。ただわかっていることは、これが恋の始まりってやつだということだ。そう、この時は思った。そして、わたしも吉澤さんも川に落ちた。熊は腰から上を水に出して立ち上がり、両手を挙げていた。まるでわれわれ二人を祝っているようにも、われわれの勝負が引き分けであることをジャッジした審判のようにも見えた。

浅い川から起き上がると、遠くの方から銅鑼と葦笙が奏でるメロディが聞こえてきた。

「ほら、あの山の向こうから聞こえる音楽。今日のお客さん、今野を出迎えているよ」

川を這い上り、橋を渡って川沿いの道を暫く歩く。川沿いには水の中に柱を建てた吊脚楼が並び、柱に小船を括り付けていた。そのすぐ先には木の門があり、太い木には龍が彫られていた。そこから先は高床式の家が並んだ。道は石畳になり、歩きやすかったが、暫くは村の人を一人も見かけなかった。遠くから聞こえる音楽が大きくなり女性の歌声が入ると、道の端の所々に子供達が立っていた。どの子供もそろいの黒服で首に赤いスカーフをしていた。女の子はみな、髷をしていた。どの子も吉澤さんを知っているようで、吉澤さんに中国語で声をかけてくる。それに挨拶を返す吉澤さんは左手で熊の右手を掴み、わたしも同じように右手で熊の左手を掴み、熊を中央にして手を繋いで歩いた。すると、子供達も同じように三人で横に手を繋いで、われわれの後をついてきた。吉澤さんが右手を挙げて合図をすると、右端を歩く子供達が、「森の熊さん」を唱いだし。また吉澤さんの合図で中央、右端の子供達が輪唱を始めた。それは次第に大きく聞こえてくる銅鑼と葦笙の演奏とも女性達の合唱とも重なりだした。森の熊さんを5回ほど繰返すと、広い上り坂の下に出た。その坂道の両脇には、黒の民族衣装を着た葦笙を演奏する人がぎっしり並び、その後ろには同じ民族衣装着た銅鑼を叩く人たちがいた。坂の下で子供達は止まり、熊を真ん中にして、わたしと吉澤さんだけが坂を上った。それは子供を真ん中にして歩く親子のように見えたかもしれないが、わたしには三つの影が宇宙人を捕獲したときの写真のように見えた。

どの楽器にも赤と青と黄色の布が結ばれ、体を揺らす度に布が美しく舞った。楽隊の先には幾重にも刺繍が縫われた民族衣装に胴と首と頭に銀の飾りをつけた女性達が歌でわれわれを迎えてくれた。文字を持たなかった苗族は、歌と踊りを大切にする。歌と踊りで自分たちの歴史を残した。初対面の挨拶をするにも、対歌で出迎える。

「遠くからやってきたお客よ 何のために こんな遠い道のりを越えて わたしたちの静かな生活を邪魔しにきたのか」
吉澤さんが答えて唱った。
「ああ賢い母さん達よ 遠くからあなたたちの 目に良い踊りが見え 耳に良い歌が聞こえたので 山と川を越えて 九つの山に囲まれたこの村へ来たのです」大きく美しい声だった。
 吉澤さんは、両手を挙げて手拍子をとっていた熊を抱きかかえると、わたしに向かってしっかりした敬礼をしてから、女性達の中に入っていった。そして女性達はまた唱った。
「遠くからやってきたお客よ 何のために こんな遠い道のりを越えて わたしたちの静かな生活を邪魔しにきたのか」
わたしが何も答えないと、音楽だけが鳴り、また同じ歌詞を歌い出したので、わたしは咄嗟に歌った。「ああ賢い母さん達よ わたしの友だち リイリイに会うため なぜ樹が花を咲かし 牛の角に花が咲き 豚の尻尾に蔓が巻くのか あなたたちに聞きたくて 山と川を越えて 九つの山に囲まれたこの村へ来たのです」リズムも音程もぶれていた。

少しだけの拍手と賞賛や不満の声が聞こえた。坂道は終わろうとしていた。この坂道の上に何があるのか、わたしは知っていた。坂の上には石畳でできた丸い広場。中央には太い円柱があり、周りは壁が無い瓦屋根だけの東屋が丸く囲んでいることを私は知っていた。わたしはここに来たことがあったのかもしれない。そして、全く想像と違わない広場が坂の上に広がっていた。そこに演奏をしていた人や歌を唱ってくれた人たちが広場で列を作ってぐるぐると回り出した。わたしは、蝶と龍と熊が掘られた円柱の前に導かれ、村人達の演奏と歌は広場が闇に覆われるまで続いた。

わたしは、ひときわ立派な水牛のような形をした銀の髪飾りをつけた少女に手を引かれ、竹で囲まれた部屋に導かれた。ここで少女から言われたように汚れた服を全て脱ぎ、先にある褪せた緑色の扉を開けると中には裸の青年が二人いた。二人の真ん中に来るように招かれると、部屋の中央のジョウロのような口から冷水が出て来た。わたしが思わず、きゃっと声を出すと男達は笑った。そして、そのままわたしに体をつけるようにして、指でわたしの体を洗った。彼らの頭にも黒く焼け跡のような丸が九つあった。そしてわたしの性器にも尻にも耳にも口にも彼らは指を使って丁寧に洗った。少しわたしの性器は反応してしまった。

「受戒って、どういう儀式?」と所在なげにわたしは聞くと、また彼らはクスクスと笑った。

彼らが少し離れてわたしの体を見つめて、自分たちの洗い方に満足したかのように頷いた。胸に「ユニクロ2020」と書かれたピンクのワンピースパジャマと、籠に入れたわたしが着ていた服を手渡してくれた。
わたしは、パジャマを着て測量野帳を首にかけた。

「地下一階に降りてください」と一人が言った。
「絶対にそれより下には降りないでください」ともう一人が言った。
真剣な表情で「お気をつけて。また会いましょう」と言って、二人は手を振った。
随分と丁寧な挨拶だと感じたわたしも「ありがとう。では、行ってきます」ときちんと挨拶をして、二人に手を振った。
そこからなめらかに下る石の階段を降りていくと、色あせた緑色の扉があり、「地下一階」という板が貼られていた。そこから階段は螺旋状でさらに先が見えないほど下へ続いていた。

緑色の扉を開けると、暗かった室内に橙色の蛍光灯がパチパチと音を立てて点いた。そこは中央に円柱がある円形の部屋だった。蛍光灯は時計の目盛りと同じように12本が、放射状に並んでいた。体を洗った場所の位置から想定すると、丸い広場の真下になっているのかもしれない。丸い部屋には椅子が外側を向いて時計の数字の位置の部屋の端に12脚並んでいた。もし円形建物を使って理髪店を作れと言われれば、こういうレイアウトの設計をする建築士もいるのかもしれない。

どこからか、手術衣を着た二人が光る金属を沢山入れたワゴンを押して近づいてきた。二人とも髪から目も口元も完全に覆われて、性別も表情もよくわからず恐くなってきた。間違えて入ってきたことを装いながら、静かに部屋を出ようと振り向いたところで、両腕を強く押さえ込まれた。
「こわがることは無いですよ」とひとりが言った。

わたしは、この状況の何かが自分の体の何処かの扉を叩いているのを感じて、体の力が抜けてしまった。そのままふたりに抱きかかえられるように椅子に座らされるのと同時に、腕に注射を刺された。
「これで、落ち着けますよ」とひとりが言った。

ひとりがバリカンを出して、わたしの髪を剃り始めた。やはり床屋だったのかと安心した。髪を切られるだけで逃げようとするなんて恥ずかしかった。と伝えようとしたのだが、何も口に出せなかった。口も舌も動かせない。そして体のどこも、動かせなくなっていた。眼球ですら動かせなくなり、どこにも視点を合わせられずぼやけた情景を感知するだけになった。

「この人は、すでに一度穴を開けたあとがある」と、バリカンを使っている人が言った。
「じゃあ、ここじゃない。もうひとつ下の階に持って行かないと」と、もうひとりの声が聞こえ、わたしはどちらかの人に背負われて、部屋を出た。あの扉を開けて、階段を暫く降りてまた同じ構造の部屋に入った。それからまた、およそ同じ位置にある床屋の椅子に座らせられた。ドライヤーで頭についていた髪を吹き飛ばしてから、シンナーのような匂いがする布で頭を拭かれた。

「今回は、ここらへんまで掘るよ」
「骨も削ったあたりですね」
「ササッと済ませような」

二人で、わたしの頭に穴を開けているようだった。痛みはなかったが、頭に穴を開けられているという認識だけで心臓の鼓動が高まり、体中の神経が恐怖と痛みを作り出そうと信号を送っていた。そんな信号の一つがわたしの頭のどこにあった扉を叩いた。そしていきなり扉を開けた。そうだ。確かに昔、自分の頭には、焦げた丸い跡があったのだ。

中学生の時、わたしは何も部活動に入っていなかった。野球部の担当だったクラス担任が、野球部員数人の暴力問題で部活動を休止になった次の日、突然新しくクリケット部を作った。そして、クラスで何も部活動に入っていない唯一のわたしを「入るだけでいいから」とクリケット部に入れさせたのだ。グラウンドもユニフォームも野球部と同じ物を使い、また「坊主頭にしなければならない」という野球部ルールも適用され、わたしも五分刈りにされた。そこで牛乳屋の隣の床屋の主人に「きみの頭に立派な九つの火傷のような丸があるね」と言われて、わたしも鏡を見て驚いた。それからクリケット部員の仲間からわたしは、「クリリン」と呼ばれるようになった。三年の市内クリケット決勝戦で、12時間の試合の最後に自分のエラーで負け、仲間から「やっぱりクリリンだな」と責められた。

いや、そんなことはない。これは恐怖が僅かな時間で見させた夢だ。わたしは中学の時は美術部だった。何しろわたしの中学にクリケット部なんてあるはずがない。そもそもクリケットというものを、わたしは見たこともない。わたしはよく夢から覚めても、夢の中の出来事で悲しくなったり悔しさを覚えたりすることがよくあった。それが現実では無かったと知ると何のために苦しくなったのかとよけいに辛くなった。

結局わたしは、頭に穴を開けられている途中で気を失っていたのだ。気を失ったわたしは、このベッドがある部屋まで運び込まれた。目が覚めると、ベッドの脇に夕飯のチマキが置いてあったので、それを頬張りながら鏡をみた。たしかに、自分の頭には穴が開いていた。3×3の九つの一番後ろの列のさらに後ろの左端に一つ、合計10の穴が開いていた。出血もないし、痛みはない。これが受戒か、とわたしは穴に指を入れた。

三つ目のチマキを頬張りながら、今日の一日を順番に記録している。ここまで書いてきた光景を思い出すうちに、わたしは確信した。わたしは、ここに来たことがあったのだ。西江千戸苗寨で見た棚田。坂道しかない深い霧で覆われた道。牛が食べた草の料理牛瘪(びえ)。しきりに両手を挙げるマレー熊。濃い霧のような煙を出して草を吸う人たち。様々な植物の花が生えている樹。花を咲かすツノを持つ水牛。葦笙と銅鑼の音楽。円形の広場での演奏と踊り。丸い部屋で頭に穴を開ける「受戒」。わたしの小学校にやってきた苗族のリイリイに教わった「受戒」。わたしは既にここで受戒を受けたことがあったのだ。もう私は知っている。受戒とは違う人になる儀式だ。わたしは明日、違う人になって目が覚めるだろう。すでに、一度受戒を受けていたわたしは、いったい誰になったのだろうか。いや、もしかしたら受戒は今でも続いているのだろうか。わたしは、誰かと入れ替わったままだとしたら。だとしたら。いったい、わたしは本当にわたしなのだろうか。

4.マキリがセミを捕らえる 螳螂捕蝉

翌日目が覚めると、わたしはベッドの上で裸の吉澤ひとみになっていた。隣には毛だらけの黒人フランス人男が裸で寝ていた。

空の色を知っている者は、彼らの中には誰もいなかった
と、フランス語の寝言を言うので、この男がフラン人だとわかった。そして、前髪が薄くなりかけた男の頭にもやはり、丸い穴が二つ開いていた。この男をわたしは知っていた。NHKで「龍の巣」のドキュメンタリー番組を放送した時にフランスの洞窟探検家として終始興奮した顔で、この洞窟の巨大さと美しさを語っていた。かなりブロークンな中国語に丁寧な字幕がつけられていた。そのフランス人の髪は鮮やかな金色なのに、濃茶色をした毛が背中の肩甲骨のあたりと尻を見せて横にいた。

男はこちらに寝返りをうつと目が覚め、裸の私を暫く見つめて何かを言おうとしたのをやめ、さらに暫く見つめて中国語で言った。

「じゃあ。ひとみ、セックスしよう」
「やだ。じゃあって何だ。おれは吉澤ひとみじゃないから。おまえも、知っているんじゃないか。これ、外見が吉澤ひとみなだけなんだから。さっき吉澤ひとみになったばかりの吉澤新参者だ。おまえが何者なのか知らない初対面だ。もしかしたら、おまえも誰かと入れ替わった違う人なのかよ」
「おれの名前は、スティーブンだ」
「アメリカ?」
「フランス人だ。名前で人を判断してはいけないな。おれは吉澤ひとみの恋人だ。おれの受戒は、今晩の予定だ。だからおれは中身も昨日と同じスティーブンだ。ひとみの中の新しい人よ。はじめまして。そして、よろしくお願いしますだ」
「よろしくはいらないから。朝起きて隣のはじめて会った知らない人に、じゃあ、セックスしましょうっていうのはさ、政治的におかしいんじゃないか。そこを考えてくれよ」
「おれは、ひとみを愛していたし、ひとみもわたしを愛していたから、毎朝ジョギングの後にセックスしていたじゃないか」
「ジョギングの後なのかよ。それ、聞きたくない。ほら、外は吉澤ひとみでも、今は中が違う人なんだから。おまえは外見だけで吉澤ひとみを愛していたのか。体だけかよって知ったら、元吉澤は、悲しくなるよ」
「外見が好きなのはおかしいか?どうして、吉澤が悲しむのかいや悲しむはずはない」と、スティーブンは中国語の反語を使うと、わたしの肩を掴んで前後に激しく振った。「ひとみは受戒を理解していない。受戒で別の体を得るということは、その人になるということ。だから、まだ理解していないかもしれないけど」わたしの体を振るのをとめて、道士が真理を説く時のように言った。「今のおまえが、吉澤ひとみだ」

毎日目が覚める度に、隣にこの毛深いフランス人がいる生活は耐えられないと急激に鬱陶しさが増し、わたしはスティーブンをベッドから蹴落とし、中指を指して叫んだ。「スティーブン、おまえ。ほんと、めんどくせえよ」
ベッドから落とされたスティーブンは、「ごめんよ、ひとみ」と両手を組んで潤んだ瞳でわたしを見つめて言った。「ひとみ。やはりおれは、心からおまえを愛してる」
「おまえが愛していたかもしれない吉澤は、どこか別のところにいるのじゃないか。それを早く探した方がいいだろ」
スティーブンは、わたしの方が見当違いなことを言っているような目で見て言った。「おれのひとみは、ここにいるじゃないか」と、言って裸のまま立ち上がって近寄るスティーブンを突き飛ばしながら、わたしは脇に用意されていた吉澤の服をさっさと着はじめて、首に測量野帳をかけた。

「昨日、ひとみがいない間にもう人形の顔が出来上がったんだ、見てくれ。おれの作ったひとみだ」と、まだ裸のスティーブンはタブレットに映る写真をわたしに見せた。それは少女の顔をした人形の写真だった。しかも顔だけで、横にいる人よりも二倍ほど大きかった。わたしは、何故だか今スティーブンが説明しないことを推察できた。探検家でもるスティーブンの本業は巨大人形作家だった。フランスだけでなく、横浜にも来たことがある、世界中の都市で巨大人形を使って公演をしているアーチストだ。

「服も、もう少しで出来上がるよ」そうだ。わたしは、人形の服を作る工場を手伝っていた。
「そうか。じゃあ、工場にこれから一緒に見に行こう」
「他の人形は?」
「だいたい仕上がっているけど。龍と蝶が、まだいろいろ難しい所が残ってるかな。この羽の付け根を見てくれよ」

わたしは次第に、裸のままタブレットを使って夢中に説明を続けるこのフランス男と一回くらいしてみてもいいのではないか。と、この新しい体を使った初体験に興味も沸いてきた。が、それはいろいろな方面に人情を欠くことも理解している。スティーブンが見せるタブレットは、動画を映していた。画面では黒い短髪の少女人形が瞬きをして、ゆっくりと笑顔を見せると欠けた前歯が見えた。それは、わたしが初めて会ったあのときのリイリイの笑顔だった。

スティーブンと一緒に濃い霧の中、石畳を暫く歩くとエスカレータの入り口に出た。わたしたちはスマホで決済をして下りエスカレータを使った。昨日走ったつづれ織りの坂道と逆側の景色には、棚田はなく広い道路にはドイツ車が走り、最近建てた木像の何かの巨大な施設が見えた。行き交う人々も民族衣装を着ている人などいない。世界中何処にでもあるアパレル企業の服にスポーツメーカーの靴を履いている。新しい貴州のことは東京にいるころから、わたしは知っていた。世界一遠くを探す電波望遠鏡と世界一小さなものを見る電子顕微鏡の施設があり、人々が言うcloudサービスの雲とは、ここ貴州の雲の中にあるのだ。

エスカレータを降りてから、熊の形をした電気バスに乗って工業団地に向かった。窓から見える景色は濃霧の向こうにある緑の山々が、ここら一帯を抱きかかえるように聳えている。見覚えのある風景。なんどもよく通った、工業団地。そうだ、わたしは日本で知り合ったリンリンに誘われて、貴州の紡績会社の仕事を手伝いに来た。リンリン。彼女は、中国に戻って実業家と結婚をしてから自分も幾つか起業をしていたのだ。わたしは苗族の刺繍と藍染めを学んでいた。それから。それから、苗族の物語を継ぐ歌と踊りを習って。それから。それから、スティーブンと知り合ったのだ。わたしたちは、たしかに一緒に暮らしていたのかもしれない。わたしは次第に吉澤について自分のように思い出すことができた。

工業団地内にある染織場に着いた。工場の隣では、広大な畑に菜の花に混じって藍草の花も咲いていた。牛や豚の家畜が飼われている草原があり、工場の壁際には養蜂をしている蜂箱が沢山積まれていた。わたしは、仲間に挨拶をしながら藍染工場の中を案内する。工場という名はあるが、中にはロボットもラインすらない。この工場の中には女性と、動物と蜂たちが、細かで複雑で専門的な細かな工程に別れて作業をしている。

スティーブンが、大きな石臼に興味が持ったようだ。丸い石臼の周りには四本の棒が等角度で出ている。
「フウの木から一ヶ月かけて樹脂をしみ出した物を精製する臼がこれ。蜜蜂から取り出した蜜を精製するのがこれ。樹脂から沸騰した油脂を分離させるのが一番大きなこれね。これは熊が棒を押して臼を回すんだよ」
「それで、何ができるんだ」
「決まってるだろ。フウの木で作ったのがフウロウで蜂から作ったのがハチロウ。で、隣でカタカタ音を立てている匠の部屋が、このロウを先にしたロウ刀を作っていて、その隣の媼たちがロウ刀を使って、文様を書いている」
女達が下書きをせずに幾何学的な直線と複雑な曲線模様を織り交ぜた文様を書いていた。
「30cm四方を書くのに一週間はかかる。だから今度の人形の服を一つ作るのに、この工場と隣の工場使ったよ。布を白くするには水牛の糞で何日もかけて白くする。アイ草から泥藍を作のも一週間かかる。泥藍の中に入れて出してを何度も繰返す。また布を染める前に石臼で黄豆を碾いて豆汁を作る」
「マレー熊が棒を回すんだろ」
「黒ミャオ熊が棒を回すんだ」

そのあとも細かな工程があり、誇り高き専門の匠たちが作業をしている。藍色以外の色をつけるときには多くの花や実を使う。布に光沢をつけるには水牛の皮の煮出しや鳥の卵や豚の血を使う。どの行程も女達の芸術的な手練の仕事ぶりに、スティーブンは感心をして興奮をしたのか、わたしの手を握ってきた。スティーブンの手のひらは濡れていた。多くのブースで湯を沸かし、植物や動物や糞を煮ている匂いが混ざり合い、鼻の奥を気持ちよく刺激した。

藍織りの行程で、どの木や草や動物を選ぶか何時どのように使うかは、全て多くの神話がもとになっている。この工場にはどの工程にも、説明書の類いは一切ない。文字をもたない苗族は口承だけで、神話や作業を伝えてきたと言われているが、古代にはミャオ文字があったという言い伝えもある。漢族から追われた苗族は、水牛の皮にミャオ文字を書いてそれを食べ、以降ミャオ語を封印したとも言われている。苗族は自らの物語は皆が集まる時にだけ口頭で語って伝えた。または布の文様や刺繍で、あるいは人形劇で。そしてまた今スティーブンが人形劇で、苗族の物語を語ろうとしているのだ。

「あのばあさんは、シャーマンか?」

「そうだよ。上の村にも何人か見かけただろ。人形の工場にもいるだろ。苗族のどんな仕事にも神様の言葉が必要だから。藍の草を刈る、藍を建てる、豚を殺す、ロウでどんな絵を描くか。神様が全部決める。出来上がった布にもシャーマンが息を吹きかけて、初めて仕上がる」

そこでは、黒光りの民族衣装を着て頭に熊の毛皮を被った小柄な老婆が、揺り椅子を揺らしていた。大きなヘッドフォンをつけて目をつむり、首はリズムをとっているように動いていた。聞いている音楽は、ケンドリック・ラマーのラップだったのかもしれない。時々、痙攣のように体を震わして彼女は英語で唱った。

「おいそこのお前、神様がいてくれれば 何も心配いらねえ 全て上手くいく おまえは何も考えるな」
スティーブンも老婆と一緒に唱った。「何も考えない 心配するなよ おれたち、大丈夫なんだから」
大声で腕を上げながら声をあげるスティーブンにわたしは大声で言った。 
「苗族のシャーマンは、記憶も売ってくれるよ」
「誰の記憶?」
「誰のでも。知りたい記憶の人の持ち物を渡すと、その人がシャーマンに降りてくる。そういう人は日本にもいたよ。でも苗族のシャーマンはね。直接、頭の中に入れてくれるんだ」

スティーブンと手を繋いだままのわたしは、工場を一回りした後、裏庭に案内をした。草むらの上には霧が晴れて緑の山々が見えた。草の上には巨大なプリーツスカートに上着と前掛けが出来上がって、端を持った女達が干していた。スティーブンは興奮して、「うおー」と叫びながらわたしの腕を強く引っ張って走り出した。わたしたちは、藍染めの布の間を、時にはその下を全力で走った。風はそれほど強くないのに草が揺れ、草同士が触れあって奏でる音がよく聞こえた。スティーブンの喜ぶさまが藍織りを持つ女達にも伝わり、女達も布を上下に振った。布も女達も草も風もそれらはみな、わたしたち二人を祝福しているように見えた。

走り疲れたスティーブンとわたしは、草地に布を広げて工場で炊いた餅米と牛の干し肉で、昼食にした。隣では板が無い縄だけのロープのブランコで、若い女たちが対歌を唱っていた。

「春が来ました 田を起こしましょう 山の棚田で働いて 陽が暮れたら みんなでお家に帰りましょう」
スティーブンは、リュックからケースを取り出し、小切りにされた中にチーズとセロハンに包まれたいろいろな色の粒が入っていた。
「フランスのチーズとふりかけはパンよりも、この村の餅米にあうんだ。今日は選んで来たこの10種類のふりかけの右上を少し餅米にかけて口に入れて、それをひとかみした瞬間にこの右端のコンテチーズから食べてみてくれ。その逆は不可。コンテチーズの次は下のブリ・ド・モーチーズで、下まで行ったら、また上のこの天使のカプリス・デ・デューチーズで。また上から下だ」
「スティーブン、おまえ、ほんと面倒くさいな。でもこんなチーズ、フランスから持ってきたのか」
「近くに、カルフールがあるよ。何でも順序が大切なんだ。そっちじゃない。このブリ・ド・モーチーズとそこのカマルグのふりかけだって言っただろ!順序は間違えるな。いいか、絶対だぞ。順序さえ間違えなければ、何でも大丈夫だよ」

スティーブンという男は泣けるくらい面倒くさかった。それから草の上に寝転がって煙草を吸い、一切雲が無い青空に向かって煙を吐いた。
ぶらんこに乗っていた女達がわたしを読んだ。はじめてロープだけのぶらんこに裸足で乗った。背中を誰かが強く押してくれて、前に揺れたが縄ブランコを漕ぐ要領がよくわからなかった。誰かがうしろから飛び乗り、ブランコは横に揺れてわたしは落ちそうになる。

「よしみ、おれの足の甲に脚を乗せるといいぞ」と飛び乗ったスティーブンが後ろからわたしの体に体をぴったりとつけて言う。わたしはスティーブンの大きな足の甲に自分の足の裏を合わせて乗った。スティーブンが力を入れて漕ぐと次第にブランコは大きく揺れた。緑の草原に置かれたわたしたちの巨大人形用の服がよく見えた。それを着ているリイリイの顔をした少女が、そこにいるのが分かった。ブランコがさらに勢いよく揺れるとリイリイが立ち上がってくるように見えた。スティーブンの足は暖かくわたしの足の裏にとって、とても居心地がよい場所だった。下で女達が対歌を唱い続けていた。

「晩飯を食べると 長い夜が始まります 夜をゆっくり過ごしましょう わたしたち一緒になりましょう」
わたしはいま、黔東南苗村の草原のブランコの上にいる。吉澤のとなりにはフランス人の毛深い男スティーブンが乗っている。
ロープを結わいているフウの木がキシキシと音を立てる。ロープは前後水平の角度まで揺れた。ブランコが後ろに上がると、人形の服が真下に見えた。一番後ろに上りきったところで、一瞬ロープは止まり、二人の体は空に浮かんだ。そのまま勢いよくブランコは山の緑の森に向かった。ブランコはさらに上って真っ青な空に向かった。わたしたちは、青空の中に飛び込んでいった。

太陽が山の陰に隠れ始める頃、わたしとスティーブンは村に戻ってきた。水を浸した棚田が輝くのは一年でこの時間だけの特別な瞬間だ。藍織工場の草むらにわたしは靴を置いてきてしまったが、裸足が気持ちいいので、ずっと裸足で歩いている。広場から長い階段を降りて、スティーブンが受戒の場へ行く前に龍舟が見たいというので、川に向かって歩いた。村の山辺の高床式の家は、どの家も下に家畜を住まわせている。人の晩飯の前に家畜たちが晩飯を食べていた。また一方で道の脇に丸い広場があり、そこへ着飾った服を着た牛が列を作っていた。列の先頭では大きな水牛が、熊の皮を着たシャーマンが唱う砍牛歌と合唱するかのように鳴き声をたてていた。それから牛は目を閉じ、フウの木で作った棒でその頭を持ち上げられた。そこを大きな太刀を持った殺畜人が牛の首に刀を落とした。血が噴き出し牛は一撃で息絶え、前足から崩れ落ちた。シャーマンが生血を盥でとり、何人もの人がすぐに解体にかかる。屠殺も村の通りと共に日常の景色の中にあった。太刀を待つ人の列に並ぶ家畜たちも連れてきた飼い主の隣でおとなしく殺される順番を待っていた。

川辺に出ると、川床式の家々に停めてあった小舟が川中に停まり釣り糸を垂らしていた。その多くの舟からはそこで料理をするための火を焚く煙が川全体を覆っていた。遠くから銅鑼の音が聞こえてくる。石橋を渡って、川上へしばらく歩くと次第に陽が落ちてきた。

龍舟は龍逢という収納庫に収められていた。20m程のフウの船体が下向きに置かれている。龍逢の奥には龍の頭部だけを納めている首逢という小屋があり、その中に龍舟に取り付ける龍の頭が置いてあった。左右の二枚の板で出来ている龍だが、黒と赤で色がつき水牛のような角をもち、大きな目で前を見ていた。それは、わたしがよく知っている龍だった。

「これも藍織りと同じだ。船体のフウの木を刈る時も、水に入れるときもシャーマンが決める。龍舟を作るのも、特に龍の人形の顔を作る工程は複雑だけどシャーマンが正しい順序を指示する。おれは、自分の人形たちを作っている途中で、この龍を見てから作り直したよ。苗族の神話を聞いて全部作り直した。体は周りと自分を区別する物じゃなかったんだ。いままで地球の生物を作ってきたけどようやくわかったよ」と、スティーブンはわたしの目の前に三本の指を立てて言った。「ひとつ。生物の形には、そうならなければならない理由がある」薬指を丁寧に折りたたんだ。「ふたつ。どの生物も単純な同じもので出来てる」中指をゆっくり折りたたんだ。「みっつ。だからどの生物も同じ結果になりたがっている」人差し指をわたしの鼻の前でひとふりして折りたたんだ。「それを人形芝居で見せる予定だ」
「スティーブン。結果って何だよ。そんな適当な説明じゃ、わかんねえよ。いいや。明日はスティーブンの人形工場に行こう」
「だめだよ、ひとみ。おれは今日受戒を受けるから」
「そうか。じゃあ、スティーブンは明日、誰になるんだ?」

スティーブンは少し困った顔をして、何も言わなかった。
「おい、その人形芝居はどうするんだよ」
「ひとみ、何も心配するな。何も考えなくていいんだ」
「スティーブン、おまえも、明日どうなるかわからないんだろ。吉澤は、明日のおまえを見つけられるかな。おまえは、吉澤のことを見つけられるのか」

わたしは、スティーブンの肩を掴んで前後に振ったが、毛むくじゃらのフランス人男は柔やかな笑顔をわたしに向けるだけだった。そこで、小屋の扉が開き、提灯を持った大きな銀の頭飾りを被った少女が入ってきた。

「迎えに来たのか」
「吉澤は」とわたしは叫んだ。「吉澤のことを思い出してきたけど、吉澤はおまえとセックスした記憶が無いんだよね」とわたしは黒のスキニージーンズが上手く脱げないので、足だけでスニーカーを勢いよく脱いでからジーンズをなんとか脱ぎ捨てた。荒い息でわたしは叫んだ。「朝、断って悪かったよ。まだいろいろ準備が出来てなかった。今しよう。さあ。さっさとしようぜ」

大きな銀の頭飾りを被った少女は隣に来ていた。なぜかわたしの顔を見て、少女は自然にこぼれるような、うれしそうな笑顔をした。
「おれは、行かなければいけない」スティーブンは自分の薄くなった前髪を持ち上げて言った。「ひとみ、この穴に、指を入れてくれないか」

わたしは、中途半端にジーンズと靴だけを脱いだ間抜けな姿で靴下のままスティーブンに近寄って、頭に開いている穴を覗いた。人差し指を頭の穴へ近づけた。この指と頭の穴の間に大きな運命が置かれているのを感じた。力をこめて穴に指を近づけて穴の縁に指を触れた。縁に触れると指が熱くなり、スティーブンがわたしの中に流れてくるのを感じた。

少女がスティーブンの手を取った。スティーブンは少女に頷いてから、わたしに言った。
「おれは、ひとみのことを忘れないよ」
提灯を持った少女はスティーブンの手を引いて、戸口まで行くと立ち止まって、わたしに向かって、ぎこちなく丁寧な敬礼をした。それが、何かの合図でもあるかのように。わたしは腰に手をあて、いつまでもパンツに靴下のまま、二人が去った扉を見ていた。

ここまでのことを測量野帳に記録して、わたしは次第に吉澤のことが理解できた。そうではない。次第に吉澤を思い出してきたのだ。子供の頃からの、わたしが叶えたこと、叶えられなかったこと。幼稚園では裸で走り回って喧嘩ばかりして、「おまえはママの体にあれを置き忘れた」と言われたこと。みんなから「ヨッスィー」と呼ばれていたことも覚えている。吉澤は、もともと吉澤だっただけなのではないだろうか。しかし、この手帳には違う人が、わたしと全く違う筆跡で吉澤と出会う前の出来事と、吉澤と出会ったわたしの一日が書いてある。それは本当に吉澤でない者が書いたのか。わたしは、受戒を受けたことは覚えている。確かに吉澤の前の吉澤がいたのだろうか。受戒とは本当に人を変える儀式だったのか。遠くで銅鑼が鳴る音が聞こえた。リイリイという女は誰だったのか。スティーブンは本当に吉澤の恋人だったのだろうか。銅鑼と共に爆竹の音がした。自分の目で、もう一度見に行けばいいのだ。いったんここまで記録したペンを置き、測量野帳を首にかけて、わたしは裸足のまま部屋を出て走った。

部屋を出て、ドーナツのような中央に中庭がある円形建物から、受戒の施設までわたしは夜の石畳を走った。蝶と龍と熊が掘られた円柱が中央に置かれた円形の広場に出て、周りを丸く囲んでいる東屋の一カ所から地下へ向かう階段を駆け下りた。夜の照明に照らされると、壁も階段も全体の統一された淡い緑色がよく映えた。わたしの裸足で勢いよく駆け下りるペタペタペタという音が地下の階段に響いた。地下一階の扉を開けると、そこに放射線状に並んだ12個の椅子は全て埋まっていた。みなユニクロのワンピースを着て、椅子の上で眠っていた。苗族らしい男もいれば、漢族の女も東南アジアの男もアフリカ系の女もいて、フランス人だというスティーブンも眠っていた。部屋を一回りしていると、いつのまにか部屋の中に、スティーブンを連れていった少女が隣にいた。

「何をしにここへ来た?」と、少女は怒っているわけでもなく、理由は知っているけど確認しているだけだという口調で訊ねた。
「自分の目で見てみたかったんだ。ここでいったい何が起きてるんだ。どうして、他人になるんだ?」
「本当に他人になったのか?おまえは前から吉澤だったんじゃないのか?」
「吉澤がいま一番信じているのは、この帳面なんだよ」とわたしは、首に下げた測量野帳を指さして言った。「吉澤は今までこんな長い文章を書いたことも無かった。だけどさ。この帳面を広げると、吉澤が考えることなくペンが勝手に文字を走らせていくんだ。これは、前のやつが吉澤の手と指を使って書いているに決まってる」
「ふうん」と、少女は言った。「じゃあ、中の吉澤はどこに行って、前の人の体はどこにいるの」
「試してみたいことがあるんだ」とわたしは言った。「吉澤にもう一度、この受戒を受けさせてくれ」
「いいけどさ、もう戻れなくなるかもしれないよ。吉澤にも、その前の体にも」
「もう一度受戒を通ると、どうなるか試してみたいんだ。それに戻る必要なんかあるのか?先に進めばいいじゃないか」
「そうだね」と少女は親子参観日に娘がようやく発表できたのを見て安心した母親のような微笑みを作って言った。「じゃあ、いっしょに地下三階へ行こうじゃない」

少女は小指から親指まで順に指を折って手招きした。わたしは少女のあとを着いて、地下を三階まで下りた。地下の一階から二階までの階段は長かったが、三階は存在しないのではないだろうかと不安になるほどの階段を下りた。少女もまた裸足だった。わたしたちの裸足の早足で歩くペタペタという音はまるで、水族館でアザラシが拍手の芸をしているようなリズムで地下の階段に響いた。

地下三階の扉の中も、上階と同じ構造になっていて、円形の部屋に椅子が放射状に置かれていた。そしてこの階の椅子も多くが埋まっていた。これは、どこの国の人かと思いながら、ひとつずつ椅子の前を通り過ぎてた。日本人が座っていた。その人は一目でわかるほど血の気も失せ、肘掛けから両腕が垂れていた。それは、確信は無かったのだけど、どこかで見た覚えのある日本人だった。

「この人、具合が良くないみたいね」
「どこかで会ったことがあるかもしれないんだ」
「受戒を短い期間で繰返すと、戻ってこられないことがある」
「戻ってこないと、その体はどうなるんだ」
「体だけここに置いても仕方が無いからね。中身がない体は石臼の中に入れられて、豆腐になっちゃうよ」
「そうなのか。なるべく、そうならないようにするよ」と、わたしは本気で真剣に言った。しかし、その隣の椅子を見て、足が止まった。そこに座っていたのは、スティーブンだった。
「スティーブン。さっき、おまえが二階に案内したスティーブンが、どうしてここにいるんだよ」
「ここにいるのは3階のスティーブンで、さっきのは2階のスティーブンだよ。この階とは違う世界なんだ」
実際にこの地下三階にいるスティーブンも、また地下三階にいる人は全て具合が悪いのか、みな力なく椅子の上に寝ていた。
「急ごう」と少女は空いている椅子に座ってから、わたしの腕をとって隣に座るように急がせた。昨日会った二人と背格好の似た手術着を着た二人が、すでにわたしと少女の隣に立っていた。

わたしはいま、山奥にある謎の地下室三階の床屋の椅子の上にいる。左隣には上の階にもいたスティーブンが座っている。右隣には苗族の民族衣装を着た少女が座っている。わたしは、何度も何度も現実をこんな記録文体で切り取って「いま」を再認識する。

「また明日別のひとに入れ替わったら、吉澤の体はどこにいくんだ?」
少女は微笑んでこちらを見ていた。「大丈夫だよ、吉澤」と言った。一人が少女の腕に注射をした。
「おまえは、明日だれに入れ替わるか、わかっているのか?」
少女は既に目を閉じていた。もう一人が、立ち上がろうとするわたしを押さえ右腕に注射をした。そしてわたしはまた深い眠りに墜ちた。

わたしはいま夢を見ていることを承知していた。わたしは、ペタペタという音をたてて長い地下室を下り、何階と書いてあるのか読めない色あせた緑色の扉を開けた。やはり円形の部屋になっているが中央の太い円柱に木四本の棒がつき、それをマレー熊たちが押していた。一本の棒を三匹の熊が回していたが、その一匹の熊が床に倒れた。具合が悪いらしく自分でなんとか這って棒の外に出た。熊たちが押す棒は回り続けた。倒れた熊は命の最後を振り絞るようにしてわたしに言った。
「あとをなんとかお願いします」
わたしは、彼の命を無駄にしてはいけないと思い、彼がいた場所で棒を押した。棒はそれほど重くは無いが、両手と肩と太ももにも相当な力をこめる必要があった。仲間が押す回転の動きに合わせるのに緊張した。
「あなた。体の力を抜いて、両腕で棒によりかかるようにして進むといいですよ。外側は一番たいへんですからね」と隣の熊が親切に教えてくれた。なるほど、前よりは楽な力で前に進んだ。
「ありがとうございます」とわたしは隣の熊に答えた。
「どういたしまして」とやさしい熊は答えた。

棒はぐるぐるぐるぐると回った。中央の太い円柱の下が臼になっていて、そこから白いクリーム状の「呉」と呼ばれるものが石臼の間から溢れてきた。石臼の下は床が抜かれ、クリーム状のものは、ぽたぽたと下に落ちていった。それから、わたしは首をもたげて柱の上を見上げた。

わたしはその柱と繋がっている地下三階にいた。フランス人のスティーブンの右側に吉澤がいた。吉澤の右側に少女がいた。少女の右側にマレー熊がいた。地下室の三階は床も壁も椅子も部屋ごと回転し始めた。穴の開いた体から、濃い霧のような「呉」と呼ばれる気体が浮かびあがり、部屋の回転がゆっくりと速度を落としだすと、また体の中に入っていった。それはたいて別の体の中へ入っていった。

わたしはその上の地下二階にいた。椅子のひとつには今野明広が座って眠っていた。もうひとつの椅子には少女が座っていた。吉澤はその隣に座った。部屋がぐるぐると回転した。今野の頭の中から出た「呉」は、吉澤の体の中に入っていった。吉澤の「呉」は、少女の頭の中に入っていった。少女の「呉」は今野の頭に入ろうとしたが、うまくいかずに下に落ちてしまった。

熊たちが回す石臼の駆動はいくつものネジによって、円形の部屋を回していた。その円形運動はいくつものネジによって黔東南苗村全体を動かしていた。村の外側を囲む九つの大きな山が動き始めた。その円形運動はいくつものネジに伝わり、もっと大きな世界を動かそうとし、丸いネジたちはどこまでも大きいものを探して動かし続けた。

わたしはいま、眠っていた地下室から部屋に戻され、夢から覚めた。いまのわたしはまだ吉澤だ。明日別の体になる前に。わたしはこの吉澤の体で最後の星を見ようと、窓を開けて体を乗り出した。無数の星が空に点っていた。そのひとつに指をさし、さっと指を振ると星は瞬いた。

5が倒れるとその木にいたサルどもは散らばってしまう  倒猢

朝、目が覚めるとわたしは、ベッドの上で毛むくじゃらの黒人フランス男スティーブンになっていた。わたしの髪は目が覚めるように金髪だが性器の周りの毛は濃茶色でがっかりした。隣には裸の苗族の男が、わたしの胸に顔を埋め、両足でわたしの足を挟むようにして寝ていた。

「偏見は正義なき世論である」のようなことを男が苗語で寝言を言ったので、苗族だとわかったのだ。男が起きると、男は日に焼けて細く筋肉質の体でやけに白い歯をしていた。年齢はきっと三十代なのだろうけど、フランス人の3割くらいはこの男の年齢を10代と答えるかもしれない奇妙な無垢な表情をしていた。
「おまえは、スティーブンの恋人なのか?おれは、昨晩受戒を受けて、よくわからないんだ」
「ぼくの名前はジャンです。ぼくたちは愛し合っていましたよ。ぼくらのあれこそ愛と呼ぶんじゃ無いですか、スティーブン」と張はまっすぐにわたしを見て言った。
「そうだったのか、スティーブン」わたしは鏡を見て、額に空いた穴を触りながら呟いた。わたしの頭には10個目の穴の列の右端に穴が追加され、11個の穴が開いていた。前回開けた穴との間に一個分の空きがあるようにも見えた。サイドテーブルには測量野帳が置かれていた。帳面には日本語がぎっしり書かれていて、最後の頁まで埋まっていた。一番下の行に、「さっと指を振ると星は瞬いた」と書いてある。しかし、前の頁はさっとめくるだけで、読んでみる気にもならなかった。

わたしは、手帳を手に取り、二度三度左の手の平に叩いた。そして、ベッドに裸で横になっている張に投げて渡した。
「もし、日本人に会ったら、これを渡してくれないか。いつでもいい」
「これを記録続けることが、あなたの仕事ではないのですか?まあ、でもいいですよ。わたしの祖父も父も姉も、みんな日本人をよく知っていました」
「昔から、ここへ日本人が来ていたのか」
「家族はみな日本で暮らしたことがあったのです。わたしの祖父は張作霖。父、張学良と母、宋美麗が80数歳の時に人工授精で生まれたのがわたしと姉リイリイです」
「ちょっと聞いたことがあるかもしれない、その人たちの名前」
「ああ、姉は日本へ行ったことがなかった。日本から子どもが来たのです。西洋医学では治療が不可能な病気で苦しんでいたことを知った子どもを、宋財団が招いたのです」

わたしは、張から測量野帳を取り戻して頁をめくった。
「そしてその子の病気は治ったのか?」
「スティーブンの体の人、思い出してください。あなたが、あのときの子ですよ」
「おれは、おれはそうだった。昨日は吉澤ひとみだった。そして」懸命にわたしは帳面をめくったが、次第に日本語の意味を掴むのが難しくなってきた。「おれは吉澤ひとみの前は、今野明広という名前だった。今野」と名前も中国語で発音した。
わたしは、吉澤ひとみの記憶も失いかけ、今野明広という記憶も帳面に書かれていること以外は何も覚えていなかった。わたしは、測量野帳を首にかけた。
「おれは、これから人形の工場へ行ってくる」そして、扉に手をかけながら訊ねた。「おまえの姉さんはどうしたんだ?無事なのか?」
「リイリイは、まあ元気じゃないですか」と、張はまだベッドに裸で横たわったまま、わたしを見て言った。

わたしは昨日と同じバス停留所から、藍織工場とは反対方向に向かい30分ほど乗った所にある人形工場に向かった。山で囲まれた草原には放牧されている牛が草を食んでいる草原があった。牛の近くでバットでボールを打っていたから、大きなクリケット場に牛が食事に来たのかもしれない。屋根に大きなボウリングのピンがある建物があったがボウリング場では無い。それが人形工場だった。バスから降りると顔に強い風を感じたが、周りに生えるどの草も揺れていなかった。

扉を開けても中に動く人はいない。工場は木の柱と枠組みでよく光りを通すポリカーボネートが屋根と壁を支えていた。奥が見えないほど縦に長い工場には多くの作りかけの巨大動物が並んでいた。一番手前には既に完成している象がいた。わたしが手を伸ばしても届かないあたりに、象の膝がある。象の鼻は細かに別れ、頭中に入って操作者によって自在に動かすことが出来るし、水を吹き出すことも出来る。胴体は左右に突き出し、ゆっくりと動く象に乗客を入れることも出来る。象の背中には羽が生え、それを屋根のようにして、胴体部分と繋がった乗客を乗せることが出来る。この象は50人の観客を乗せ、大きな鼻と耳と羽を動かし、村の草原や、山を一回りする。わたしは、アメリカのブラックロック砂漠をモデルにした。すでに常設場があるフランス以外の欧州から集まった仲間と、ブラックロックのバーニングマンのスタッフらが集まって、ここで新しい祝祭を行いたかったのだ。しかし、各国からの退避勧告によって大方のスタッフを帰国させ、または近くの観光ホテルに待機させている。

象の後ろにはリバプールと横浜でパフォーマンスをした巨大蜘蛛の人形も完成版が置かれていた。胴体には一本の足毎に操作者が座り、霧状の糸を吐くことができる。横浜のランドマークタワーをはじめ、いくつものビルを登った。その後ろからは全て未完成の人形たちが並んだ。巨大イカがいて、ラクダがいて、水牛がいて、イナゴがいた。そこからは苗族の神話にかかわる蝶がいて、蛀虫(キクイムシ)がいて、モグラがいて、白い熊と黒い熊がいて、龍がいた。どれもおよそ生物の形にはなっているのだが、持ち主からゴミ捨て場に捨てられたフランス人形のように、淋しげな姿をしたままそこに置かれて何かを待っているようだった。

誰もいないと思っていた工場の後ろの方には、藍織工場と同じような揺り椅子に座って熊の毛皮を羽織ったシャーマンがいた。脇に置いたスピーカーから流れる音に合わせ、刺青がある腕を上下をさせ、早い普通語でライムを踏んでいた。

「おれの魂の声を聞け おれがチンクやニガーを燃やすのは おれがチンクやニガーを手に入れたいからなんだ」
わたしは、シャーマンのフックが終わるのを見計らって話しかけた。
「こんにちは。あんたは家に帰らなかったのか」
「わたしは公務員の派遣だから、ここに来てタイムカードを押せば日当がもらえるんだ。構わないだろ」
「構わないよ。ちょうど良かった、頼みたいことがある」とわたしは首の測量野帳を取って、シャーマンに見せた。「シャーマンは記憶を買うことができると聞いた。あんたにもできるか?この帳面の持ち主の記憶を買えるか」
「ふん。他人の、記憶を買ってどうするんだ」
「どうしても、この日本人のことを知りたいんだ」
「貸してみな」

シャーマンの女は、測量野帳をなんども擦ったあとに、わたしの頭を見て穴が空いているのを見ると、いきなりボウリングの玉の穴に入れるように無造作に指を入れ、そして穴の中で指をこねるように回した。最初は触れられていることさえ感じなかったが、女が全ての穴に指を入れると、激しく痛みを覚える穴があった。

「あんた、記憶はひとつ百五十元だけど、この記憶を買う必要ないよ。もったいない」
「すぐ払うさ。売ってくれ」
「買わなくても、すでに、あんたはそれを手に入れているんだよ」
「どうやって、こいつの記憶を見るんだ」
「さっきやっただろ。あんたの穴に指を入れたから。これはサービスだよ。ちょっと外にでも出て一服してきな」
次第に体に熱を感じ、頭の中が沸騰した。
「その手帳は、あんたに預けるよ。もしどこかで日本人に会ったら、それを渡してくれないか」
「了解したよ。ボス」

女が言ったように、わたしは工場の奥の扉を開けて外に出た。体からは汗が噴き出ていたが、扉を開けた途端に体が震えた。しかし、震えたのはわたしの体ではなかった。風は吹いていなかったが一帯の草が震えて音を立てたのだ。わたしは、吉澤が作り置きをしていた手巻き煙草を口に咥えた。広い草原は中程に大きな池があり、周りに散らばった作りかけの建造物が、まるで寂れた遊園地のように立っていた。わたしは、この場所で受戒に合わせた数万人のイベントを開く予定だった。水牛の骨で作られた巨大な樹がゲートになっている。メリーゴーランドは、蝶と象と水牛と熊が、背中に空席を抱えて停まっていた。植物の蔓で巻貝の形をした家。クラゲの形をした乗り物。抱き合ってキスをしている白い熊と黒い熊。花で作られた水牛の家。陽が落ちると電灯になる藍織で作られた巨大な花。体が巨大な迷路になっている枠組みだけの龍。木と骨で枠組みだけの大きな観覧車。見切れないほどの建造物の間を縫ってわたしは池に近づいて椅子に座った。その椅子の脚はシロクマの足で肘掛けはシロクマの腕でヘッドレストはシロクマの頭で出来ていた。そこに座ってわたしは霧のように濃い煙を何度か吐いた。すると煙の向こうに見える湖から大きな木で出来た人形の頭が少しずつ浮かび上がってきた。目と鼻が水面に出たところで人形は止まった。大きく見開いた目は正面に座るわたしをみていた。

わたし、スティーブン・クレインは、2018年から貴州省と日本のNHKに呼ばれて洞窟「龍の巣」の捜索の仕事をした。神話蒐集家のわたしは苗族の神話に惹かれていた。同時にここで人形を使った公演を仲間達と企画していた。その時に日本から来た吉澤ひとみと知り合った。吉澤の声と踊りにも魅せられ、毎日吉澤と一緒にわたしは唱い踊った。そしてこの草原の中央にある湖に吉澤の人形を置いたのだ。わたしは、受戒を知った。わたしは受戒で吉澤の体の中に入りたかった。ここでは逆になっているが、吉澤がわたしの体の中に入ったのも同じ事だ。わたしたちがひとつになったのだ。どこかで、吉澤の体に入ったわたしもいるはずだ。

湖から出て来た少女の顔は唇まで出し、麻布で作られた髪の毛から水が滴り落ちた。

わたし、吉澤ひとみは、スティーブンの体の中にいる。わたしは3歳のときから裸でかけまわっていた。歌と踊りが好きでそれが仕事になったこと。中国の友人に誘われて、苗族の藍織工場で働きスティーブンと知り合った。わたしは受戒をよく知り、その手伝いで日本にいる受戒の「はじめての人、リイリイ」を迎えに行った。その人は、自分の中にリイリイがいることを知らなかった。

湖から出て来た少女の人形が口を開けて笑みを作ると、欠けた前歯から舌がのぞいた。少女は湖の中を歩き、藍染めの民族衣装の上半身が湖面から出た。

わたし、リイリイは、NHKのドキュメンタリー番組で自分の人形を見て、苗族の村へ戻ってきた。18年前、日本からやってきた子ども、今野明広の体にわたしは入ったからだ。母親は子どもの病を治療では無く奇跡を願ってここへやってきたのだ。母親も子ども自身さえ、体を替えることを希望していた。そして、わたしはその子の体に入ることが出来た。しかしその子がわたしに入ることは出来なかった。なぜなら、わたしはもう生きていなかったからだ。日本で今野明広の体の中に入ってやったことは、ひとつだけ。この今野の体を生き続けさせることだけだった。次の受戒が開かれる、2020年まで。そしてわたしは生き延びた。

少女の人形は湖の中から歩いて岸辺に上がり、わたしが座る椅子の前までやってきた。人形はわたしに手のひらを指しだした。人形の足下には水陸両用車が後ろから人形を押し、左右に改造したクレーン車がワイヤーで人形を操作していた。人形の腰と、腿間接の箇所にも操縦者がいた。戻ってきた顔見知りの操縦者たちが、わたしに向かって手を振り、「スティーブン」とわたしの体の名前を呼んだ。人形の手のひらに乗って座り込むと、わたしの体は勢いよく空高く持ち上げられた。わたしはどうしようもなく笑い、手のひらの上で寝転がった。

わたし、今野明広は、みんなの言うことを信じた。わたしだと思っていたわたしは、すでに失われていたのだ。父親が背負った罪。体の外と中に病を抱えて今日まで生きながらえたのは、リイリイがいたからだったのか。小学校でリイリイという友だちが出来たと思っていたのも、自分の頭の中で作った友だちだったのか。わたしは、わたしでなくてよかったのかもしれない。

わたしが、手のひらから揺れる草の上に降ろされると、工場の扉から操縦された蜘蛛と背中と腹に大勢仲間を入れた象が動き出していた。数週間ぶりに会う工具ベルトをつけた仲間達ひとりずつとわたしは再会のハグをきつく交わした。仲間達と目を合わせ、頬を合わす度にわたしは思った。わたしは、もっとたくさんの人に入りたいと。

人形工場から自分の部屋に戻ると、張明成が鏡の前で髪を梳かしていた。わたしの恋人にして弟は、若く美しい体をしていた。わたしの中の者たちも張明成への性欲を感じているようだった。

「リイリイ、おかえり」
「この受戒は、おまえが考えたことなのか」
「まさか、むかしから漢族にも僧侶になるための受戒はありました。苗族の受戒は本来牧歌的な祝祭だったということも姉さんは覚えているはずだよ。父さんと母さんの願いでもあったかもしれないけど。これは姉さんの欲望なのでしょ」
「だとしたらさ、ほら。ここにまだひとつ空きがあるだろ」とわたしは、一番三つの列が並んだ後ろの列の左右だけが埋まっている中央を指さした。「まだまだ、この続きがあるんだろ」
「姉さんは気づいていないかもしれないけど、受戒は人が変わるだけじゃないんだよ。シンプソンズのオープニングと同じだよ。何もかもいつもと同じように見えて、よく見ると細部が奇妙に違っている。あとひとつ、頭にも穴を開けることができるよ。そうなると、もう誰にも、何にももどれないよ。居場所がなくなるかもしれないよ」
「かまわないよ」
「って言うのは、知ってたよ」
「また、同じ場所へ行って、もうひとつの穴を開けてもらえばいいのか」
「まあ、そうだね。急いだ方がいい」
「暗くなったばかりだ。まだ時間はあるだろ」
「どうかな。そこはとにかく深いんだ。下の階が無くなるまで最後まで降りるんだよ。」
「わかったよ」わたしは、張明成とさよならのキスをし、扉を開けながら言った。「でも、シンプソンズのオープニングはさ、最後はいつもちゃんと皆で自分たちの番組を見るところで終わるんだよ。つまりさ、結局は同じ事になるんじゃないのか」
「ごめん、本当はあまり覚えてないんだ」張明成は、申し訳なさそうにそう言うと、それ以上は何も言おうとしなかった。

地下室に続く円形の広場に出ると、また濃い霧が出ていた。葦笙と銅鑼の楽隊が早いリズムの演奏をしながら円を描く行進をしていた。そこへ白熊を先頭にして10匹ほどのマレー熊の隊列を囲むようにして銃を担いだ黒服の若い男達が楽隊の行進を突っ切るようにして、中央の円柱に向かった。笙の低い音が一段と大きく鳴ると爆竹が激しく焚かれ、濃い白い霧が覆う一帯を一層白い煙で覆った。この時期、黔東南苗村で白熊を見ることは珍しくない。モウコウと呼ばれ、共同施設から住民の家にまで入りこみ、白い布を纏った人と黒い布を纏った人たちが健康や安全を祈願して回るのだ。ミャオ語で熊と熊を囲む一団による神話が唱われ出した。わたしは既に、ミャオ語もそのまま理解できる。白熊が中央の柱の一カ所を押すと扉が開いた。空洞になっていた扉の中に、熊と男達合わせて13匹と七人が入っておよそ満員になったところで、中の黒いマレー熊がわたしのことを手招きした。周りを見回して、それが自分であることを確認してからその中に何とか体を入れようとすると、熊たちはさらに後ろにつめてわたしを中に入れてくれた。扉が閉まり、円状のエレベーターは地下に向かった。誰もが話し声も息づかいさえさせずに、じっと上部にある階表示の数字を眺めていた。

地下三階から永遠に続いたかのような沈黙の末、地下四階の表示が灯ると、エレベーターの中にみんなの安堵のため息があふれた。扉が開くとやはり白熊を先頭にして、黒い熊と銃を持った人たちが続き最後にわたしが入った。部屋の中央にも円柱があったが、ここもまた白熊がボタンを押すと扉が開いた。今度はわたしだけがその内部に入るように一匹のマレー熊に案内された。わたしがその中に入ると、マレー熊はわたしに向かって敬礼をした。その敬礼には見覚えがあった。「吉澤さん」とわたしが声に出すと、扉は閉まった。熊たちがいた場所から大きな声や、物を動かす音が聞こえた。「上下を閉じろ」と声がすると、わたしが入った円柱の底が上昇し、天井が下降してきて、わたしはぺしゃんこになった。穴を一個増やすだけではなかった。「水入れろ」という声がすると、水が注がれてわたしは水の中に沈んだ。「回せ」という声がすると、底と天井は逆に回り出し、わたしは粉々にされた。熊たちの歌が聞こえた。苗族の神話を彼らは強く独特な節回しで唱った。天地の創造、蝴蝶の創造、十二の卵の誕生、フウの木の創造、姉と弟の近親相姦、異常な体で生まれる子供たち、白い熊と黒い熊が村を救う物語、それらがミャオ語で早く強く唱われた。わたしは、これらの物語を全てリイリイから聞かされていた。そうではなかった。わたしがリイリイだったのだ。

6本の木で首をつって死んではいけない 不要在一棵上吊死

・わたしは、貴州の洞窟の中にいるリイリイだった。隣には子どもの今野明広が横になっていた。シャーマンと熊たちが、今野とわたしの体を替えようとしていた。今野明広の腕は極度にに短く内臓にも欠損があった。わたしの体には傷はないが、わたしは龍が住む洞窟の中に長く奉られていた人形だった。そしてわたしは今野と入れ替わった。今野は貴州に来るまで気づかなかった。

・わたしは、日本の青山に演奏に来たダニエル・ジョンストンだった。多くのアーチストにも着られた彼が書いた絵のTシャツを着ていた。シャツには「わたしはどこにいる?」と書かれていた。ピアノと小さなリズムマシーン一台だけのライブだった。True Love Will Find You in the Endの演奏途中に髪の長い女の子がステージに上がって唱いだした。ひどい英語でかつ音痴だった。構わずわたしが唱い続けると客席も何人かが一緒に唱いだした。彼女は歌い終わるとわたしの背中で泣いた。それからわたしは17年後に死んだ。

・わたしは、東京にいる張明成だった。精神神経科医として心療医院に勤務していた。そこで患者としてきた今野明広の体のリイリイに、測量野帳を渡した。一冊は治療として日記を書くように。もう一冊はすでに中国語で帳面いっぱいに書かれていた。それは、これから10年後に今野の体が自分で書く日記だった。そして10年後に今野の体はまたそれをわたしに渡すことになる。

・わたしは、地球を回る「神船12号」に乗る宇宙飛行士の宋朱丽だった。「神船」はロシアの「ソユーズTMA12」とドッキングに成功した。これからロシア人飛行士セルゲイ・クリカレフと科学的意義ある実験のひとつとして船内でセックスをしようと誘われた。「さあやろう。これは人類にとって大きなセックスだ」とクリカレフは言った。そして下着まで脱ぐと濃茶色の体毛が体中を覆っていた。「クリカレフ、宇宙服着てよ」とわたしは言った。「なに言ってるんだ」「とにかく、わたしは脱がないでするのが好きなの」そのとき、黔東南苗村にいた吉澤ひとみの体をしたわたしが、宇宙船のわたしを見上げて手を振っていた。

・わたしは、黔東南苗村の家を回るシロクマだった。予告せず勝手にわたしたちは知らない家に入って「家族の団らんはそこまでだ」と驚かしてから、一年の祈願を行う。知らない家だと思って訪れた家は恋人の家だった。恋人はだれかと裸で抱き合っていた。わたしは、シロクマの衣裳をそこで脱いで村を出た。それから二日後にわたしは洞窟の中で死んだ。

・わたしは、都営団地に住む今野亜希子だった。いま、スーパーで86円の小粒納豆か92円の挽き割り納豆を買うかで三分は悩んでいる。下の子が就職をして三ヶ月たった。もう大丈夫なはずだ。父親がいなくなっても姉がいなくなっても大丈夫だった。思いのほか、下の子は丈夫に育っていた。そしてわたしは挽き割り納豆を選んで、スーパーから買った物をきちんと冷蔵庫に入れた。それからわたしは一時間後に死んだ。

・わたしは、今野明広に拾われた猫だった。家では、糞尿をするたびに明広を呼びに行って始末をさせた。お腹が空けばカリカリを催促して、喉が渇けば台所の水道栓を開けさせた。明広がトイレに入るとトイレの下の隙間から手を入れる。明広はわたしの肉球を押す。そしてトイレの下から丸められた紙を外へ放り投げる。わたしはそれを取りに行く。またトイレの下に放り込む。明広はまたそれを外へ放り投げる。わたしたちはそれを何十分でも繰返した。わたしは明広がいないときも、いつまでもトイレの隙間に手を入れるようになった。それからわたしは、6ヶ月後に死んだ。

・わたしは河南日報で働く日本人記者松本重治だった。西安で張学良が蒋介石を人質に取ったとき、その場に私はいた。真夜中にプロペラ機で蒋介石の妻、宋美麗が一人でタラップを降りた瞬間はカメラを構えながらその凜々しい姿に痺れた。宋美麗は張学良に二人きりの部屋へ手を引いて誘い、二時間後に蒋介石は解放された。わたしはそれから、12年後に死んだ。宋美麗と張学良はおよそ80歳の時に双子の姉弟を授かり、二人ともおよそ100歳まで生きた。

・わたしは、黔東南ミャオ族トン族自治州の森にいる小さな粒だった。ある時期、植物や動物の骨に別の植物が付くので植物の奇形、細菌感染と言われた。生命研究所で何度も繰返しコピーされ続けたが、森の中のようにわたしたちを培養することは出来なかった。そこでゲノム解読を試みるとATP合成をする遺伝子を見つけられなかった。増殖するわたしたちを見ても「これは生命では無い」という人はいたが「生命とは何ですか」と表だって問う者はいなかった。

・わたしは今野亜希子が乗っていた自転車だった。双子を連れるための使われ方が終わり、子ども用のシートを取り除き、今野明広の体が乗る自転車になった。彼はよく誰かと遊んでいるふりをしていた。まるで二人乗りをしているように、そこにいない誰かへ話しかけていた。その二人乗りごっこをしていた次の日、わたしは知らない男に連れ去られ、知らない街に捨てられ、大きな船に乗せられて中国大陸に渡った。そこで何度か修理をされて、貸し出し自転車として貴州省凱里市に置かれた。しかし三ヶ月後に一度も使われること無く数万台の仲間と一緒に森の中に捨てられた。わたしたちはまだ死んでいない。

わたしは何時でも何処にでも何にでも入ることができ、知りたいことを知れた。しかし、本当にそれはわたしなのだろうか。わたしは本当にそこにいたのだろうか。わたしは、湖の中に入って腰を落として底に両手をついていた。わたしは昔、この湖底の土を食べたことがあった。わたしはここにいたのだ。日が沈み、湖の水の中を橙色に染め始めた。川魚たちも動きを休め、水底へ入ろうとしていた。わたしは腕を伸ばした。顔がゆっくりと水面から出る。眼と鼻だけを水面へ出すと、濃い霧で囲まれた湖の周りには、たくさんの建物や乗り物が置かれていた。わたしは瞬きをした。霧の合間に見えた建物たちの電飾が一斉に灯った。葦笙と銅鑼の音も一斉に響き出した。わたしは、よく見ようとよく聞こうと、水から頭を全部持ち上げた。霧の向こうでは、電飾で覆われた大きな観覧車が回っていた。大きな魚や虫の形をした乗り物たちも電飾を点滅させて草原の中を走っていた。わたしがいる池を中心に放射線状に並ぶ建物は、どれも動物や植物の形をして、強い光彩を放っていた。

わたしは、もっとこの広場を見ようと湖から体を持ち上げた。わたしの着ている藍染の上着は牛の血で磨いているので水の中にいても水をはじき光沢があった。わたしの体は木でできているので、水を吸ったわたしの体は重かった。機械仕掛けの蝶や鳥が陽の落ちた空を飛んでいた。広場の建物はどれも、わたしの体より小さいようだった。わたしは、湖から出ようと水辺へ歩き出す。水が体から滴り落ちる。水の中を歩くのはとても重く感じる。後ろで右足を上げて、左足を上げてという声が聞こえる。後ろでは、大きな車に乗った人がいた。左右にも人が、わたしの体に着いた縄を動かしていた。わたしの木の体の中にも数人の人がわたしの、手足を動かしていた。わたしを動かしているのは、あの小さい人たちなのだろうか。小さな人たちは、広場の中にもたくさんいたが、みなわたしを見に集まってきた。わたしが一歩ずつ体を動かして湖に近づくだけで、興奮をして手を叩き大声をあげていた。

わたしは、湖から全身を出して、ゆっくりと広場を歩き出した。葦笙と銅鑼の音楽に人々が神話を唱い始めた。
「白い熊は地下に伸びた臼の中へ時を入れる。臼は棒握った黒い熊たちが回し始める。そして時はぐるぐると回り出す」
わたしは、音楽に合わせて体を動かす。周りにいる小さな人たちも声をあげながら同じような動きの踊りを始めた。電飾で飾られたメリーゴーランドは、神話に出てくる蝶や龍の上に子ども達を乗せてぐるぐると回り始めた。工場の中から、大きな蜘蛛が這い出してきて、わたしに近づく。人々は蜘蛛とわたしの間に道を作った。蜘蛛はわたしに近づくと、白い糸を吐き出した。蜘蛛を操作するクレーン車によって、蜘蛛はわたしの体を登って、リュックのようにわたしの背中にとりついた。工場から大きな象が出て来た。象はわたしの背より少し大きい。象は雄叫びをあげると、人々も同じような声をあげた。象もまたわたしに近づいてきた。象がすぐ目の前に来て立ち止まると、辺りの爆竹が鳴って人々がさらに騒ぎ始めた。わたしはゆっくりと両手をあげた。するとわたしの体は浮かび上がった。わたしの体の中の人とクレーン車の人と両脇のワイヤーを引く人たちが叫びながら操作をしていた。

わたしの腰が象の高さまで上がると、わたしは象の背に着いた屋根の後ろにまたがった。象の背中にも大勢の人が乗っていて、わたしの腰のあたりを触りだす。歌と音楽が止む。象が鼻を高く上げて、また雄叫びをあげるとわたしは象の上で両手を上に上げた。象の雄叫びに合わせて、葦笙の大きな低い音が合わさり、長く低い音が続いている最中に、花火が上がった。極彩色の花火は濃い白色の霧を染めた。

わたしは蜘蛛のリュックから巻紙と刻んだ草(シャグ)を出した。左手の人差し指と中指で巻紙を挟み、そこにシャグを均等に撒き、巻紙の両端をキャンディの包みのように捻って巻紙を口に咥えた。空を飛ぶ虫や動物たちはみな、わたしの体に寄ってきた。草原を動いていた動物の乗り物もわたしと象の足下へ寄ってきた。また象が鳴き声をあげると、工場から大きな龍が下から何台もの重機でつり上げられて飛んできた。もう一度象が鳴き声をあげると同時に、龍の口から火が吐き出された。火はわたしの巻き煙草に火をつけた。
わたしは煙草を吸って、白くて濃い煙をゆっくり吐き出して言った。

「わたしはいま、ここにいる」
そしてもうじきわたしたちの体は燃え始めるだろう。

文字数:47999

内容に関するアピール

これはアピール文ではありません。まだ小説を書いたことが無い人へ簡単なメッセージです。

まだ小説を書いたことが無い人は、SF創作講座に入ることは勧められません。できることなら、一年くらいは、自分で小説を書くことはどういうことなのか、わかってから入ることを強く勧めます。

ただ、この欄にたどりついた、既に小説を書いたことが無いくせに、勢いでSF創作講座に入ってしまったあなた。誰かが書けと言ってくれれば、いつか書けるのではないかと思っていて、結局は書いたことがないあなた。そしてそれは、わたしでした。SF創作講座は、お金を出して締切りを買う講座でもあるので、それであなたは、「いつかは書けるのではないかと思っていたこと」を書く機会は得たのです。しかし、あなたは必死になって一年間小説を書きながら小説を書くことはどういうことなの考えなければ、お金と時間と気力を無駄に使って過ごすことになると思います。
と、わたしは一年間どうだったのだろうとようやく最近省みます。もっとできたのかもしれない、ああもっと、と項垂れる日々です。これからは売り切れてしまった締切りが無い日々で、一人で書いていこうと思います。大丈夫。一年かけて、ようやくわたしは自分が書きたいことは何なのか、おぼろげにわかってきた気がします。まだわたしには、あといくつかは書くことがあるはずです。
そして、講師のみなさま同期のみなさま、一年間ありがとうございました。

文字数:605

課題提出者一覧