エアー・シティーズ・インダストリー

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梗 概

エアー・シティーズ・インダストリー

2xxx年、自然環境の急激な悪化により全人類は地下のシェルターでの生活を余儀なくされて、100年以上が経とうとしている。
空や海といった自然やかつて暮らした都市の面影を追う人々のために様々なサービスが生まれた。その1つが“エアー・シティー”だ。
ホログラムやプラスチック製の模型から植物や有機物を使ったものまで、ユーザーの注文に合わせて様々な都市を作る会社「エアー・シティーズ・インダストリー」は近年急成長を遂げている。

「はじめに神は東京タワーを創造された」
「違うね。神は最初にエンパイア・ステート・ビルを建てられた。そして、マディソン・スクエア・ガーデンを作られたんだよ」
そう言い合い笑っているのはレイと同期入社のハリスとタリーだ。たわいもない話をしながら都市のパースを抽出する資料を選んでいる2人を後目に、レイは奇妙な注文書を見つめていた。
学生時代植物学を専攻していたレイには、注文の中でも植物や有機物を使用したエアー・シティーの制作が回ってくることが多かった。しかし、今回の注文は基礎の形状から素材まで採集地から年代まで事細かに指示が書かれているうえ、基礎にすら一切の既製品を使用しないでほしいと書いてあるのだ。フルオーダーメイドの注文がくることはよくあるが、ここまでこだわったものになると手間も制作期間以外にも莫大な費用が掛かる。注文者の欄には“ボストーク7”とだけ記されていた。レイはこの都市をボストークと呼ぶことにした。

レイは有機物保管庫から指定の素材を持ち出し、基礎の制作に取り掛かった。球体の形状は回転楕円体で直径1メートル、表面を地殻が覆い、その内部に水が満ちた状態だ。
注文書に従って基礎を作り終えると指定の物質と植物を1ミクロンの狂いもなく配置し、回転台の上で光を照射すると3日後にはボストークは緑で覆われた。時間経過とともに変化していく様子も逐一注文書に書かれた通りだったが、68日目に注文書に書かれていない変化がボストークに起き、レイは調査のため自分の意識と同期した機械をボストークの地表に送り込んだ。

覆われた緑の下でボストークは独自の植生を育んでいた。短期的なサイクルで成長と退化を繰り返す植物。存在しないはずの生物の痕跡にレイは地殻内の水への調査へ向かった。水の内部には半透明な生物群が漂っていた。それはレイと同期した機械を呑み込み、ネットワーク上に残ったレイの意識を生物群に取り込んだ。生物群の中でレイの意識は肥大化し、ボストークの上のすべての有機物たちの急速な進化や退化、生殖と増殖の過程の美しさと力強さに翻弄されていた。
ボストークは知的生命を取り込み新しい進化をはじめている。

文字数:1103

内容に関するアピール

昼休みに職場の窓から観た真夏の光に照らされたビルがすごくきれいだったから都市を育てる小説を書きたいと思いました。
真夏の東京と秋口のニュー・ヨークをプログラムと模型で作りながら、ボストークという謎の球体をきちんと成長させていきます。
タイトルのエアー・シティーズ・インダストリーのエアー・シティーは、エアー・プランツ(※ハナアナナス属のうち、空中の水分に依存し、そのため土や根を必要とせず葉から雨や空気中の水分を吸収する着生植物をいう。Wikipedia参照)のイメージでつけました。

文字数:240

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Air Cities Industry

「はじめに神は東京タワーを創造された」
「違うね。神は最初にエンパイア・ステート・ビルを建てられた。そして、マディソン・スクエア・ガーデンを作られたんだよ」
はじけるような笑い声にレイはのぞき込んでいた資料から顔を上げた。ブラインドの隙間から差し込んでくる人工光の眩しさに目を細めながら、楽し気な笑い声の主の様子を中二階の手すり越しに眺めた。隣あったデスクの上にハリスは東京の資料を、タリーはニューヨークの資料を山積みにして自分たちが作る都市のパースを抽出している。人類が地球の地表に住めなくなってからもうすぐ100年が経ち、東京もニューヨークも実際に目にしたことのある人はもう数えるほどしか残っていない。人間の回顧主義は地上を捨てて以来増大していくようで、地殻内部の東京やニューヨークには目もくれず空や海といった自然やかつて暮らした都市の面影を追う人々は多い。多様なニーズにこたえるように様々なサービスが生まれ、その中でも急成長中なのが“エア・シティ”だ。ホログラムやプラスチック製の模型から植物や有機物を使ったものまで、ユーザーの注文に合わせて様々な都市を作るレイの勤め先「エア・シティーズ・インダストリー」は近年の注目株だ。
「今日も元気がいいね、2人とも」
このフロアを統括するアーキス室長がお気に入りのラテを片手に声を掛けた。「若いうちに大きな仕事をさせる」が口癖の彼は、本当にかなり大きな契約も若手に担当させてくれる。良い上司にあたったと他の部署の人からうらやましがられることもあった。
エア・シティの中でも人気の都市を担当することになった2人は製作がはじまる前から、手当たり次第に資料をかき集めていた。
「入社2年目にしてこんな大きな仕事を任せてもらえるなんで、テンションもあがりますよ」
ハリスがメガネを奥の瞳を輝かせながら笑った。
「東京とニューヨークは人気が高い分ディテールまで評価がシビアですからね」
タリーも手元のモノクロフィルムで撮られた写真集のざらついた表面を撫でながらどこか楽しそうだ。
「期待しているよ」
アーキス室長は若い2人にゆっくりと頷いて見せると中二階にいるレイを意味ありげに見上げたあとフロアの奥にある室長室の方へ去っていった。レイはもう1度自分の手の中にある奇妙な注文書に目を落とすと、小さく息を吐いた。
学生時代に植物学を専攻していたレイには、注文の中でも植物や有機物を使用したエア・シティの制作をよく任された。1つ1つ山や都市の植生をしっかりと調べ、エア・シティの中で小さな植物群が活き活きと成長していく様を見ることも、それを受け取った依頼者から時々とどく生育記録や植物に関する質問に答えるといったやり取りは仕事を抜きにしてもレイの性に合っていた。フルオーダーメイドで3ヶ月をかけてアルプス山脈を作ったこともある。しかし、今回の注文は基礎の形状から素材の採集地から採集時期まで事細かに指示が書かれているうえ、基礎にすら一切の既製品を使用しないでほしいという強い要望と裏腹に、モデルになる実在の地名がまったくかかれていないのだ
「架空都市なのか……」
オーダーメイドの中でもここまでこだわったものになると手間や制作期間に伴って莫大な費用が掛かる。レイが発注書をめくると発注者の欄には“ボストー7”とだけ記されていた。「架空都市ボストーク」口の中で呟き手早くコードネームにボストークと打ち込んだ。注文書を指先ではじくと素材の在庫を確認するために有機物保管庫に向かった。

有機物保管庫の扉を開けるとレイは大きく深呼吸をした。遮光性の高い冷凍容器に入れられた有機物はかつて表層にあった植物、生物たちでここはその集積場だ。すべての有機物には分類上特定の数字が割り振られている。そこから採集場所や時期といった細かいラベリングがされている。レイは学生の頃に地上で使われていた植物に関する分類法をいやと言うほど頭にたたき込んだが、ここでその知識が活かされる機会はまだ1度もない。注文書のデータを保管庫のシステムに転送すると、瞬時に目の前に在庫の有無が表示された。
思っていたよりムクゲやナツツバキといったよく目にする植物や有機物が多くほとんどが在庫でまかなえるものだった。といっても、人があまり足を踏み入れなかった土地や正確な植生が解明されないまま失われてしまった植物もいくつか必要なようで、そういったものの在庫はさすがになかった。在庫のないものは室長に言って取り寄せてもらうしかない。地下に住まいを移すときに地表の物質を根こそぎ持ってきたと言われている地下都市を見渡せば、どんな植物もどこかしらで見つかるものらしい。といっても、その調査には元手がかかる。こんな精巧なエア・シティを作る理由なんて結局は金持ちの道楽以外レイには見当もつかない。
取り寄せる必要のある素材の一覧をアーキス室長へ転送するとレイは目の前に表示されたままの在庫リストの中からナツツバキ文字にそっと触れた。
目を閉じる間もなく、視界いっぱいに広がった細く背の高い幹から青々と茂る葉に寄り添うように白い花を咲かせるナツツバキを見上げていた。ゆっくりと周りを見回すと、そこはナツツバキの群生地だった。さわさわ風に葉を揺らしながら澄んだ香りが漂っている。ボストークにもこんな場所ができるのかもしれないと思うとレイの胸は弾んだ。ネットワーク上でできる在庫確認をするらめにわざわざ保管庫まで足を運ぶのは、このホログラムを見るためだった。同じ植物でもあっても生育環境は様々で採集者はその環境を記録として残していた。レイにとって使用する有機物の記憶のようなホログラムは都市作りに欠かせないエスキスだった。一通りの植生を閲覧するとレイは保管庫を後にした。

3日後、デジタルでの制作を主とするタリーやジオラマの旗手のハリスの倍以上の面積のデスクの上に資料と材料を並べると、レイは高度の高いアカシアの心材を支柱にボストークの基礎部分の制作に取りかかった。形状は直径1メールの回転楕円体で、表面を外殻が覆い、その内部に水が満ちている。その構造は木星の衛星エウロパに近いのかもしれない。地表を退くと同時に宇宙への探究心を棄てた人類にとってエウロパの地下に水の海があるという仮説はもう永遠に仮説のままだろう。いつかひょっこりと現れた地球外生命体がその存在を証明してくれるかもしれないけれど、そんなものは夢のまた夢だ。
「都市って言うよりも惑星に近い。地殻の成分は人類が地上に住んでいた頃の地球とまるきり似ているが、内部にコアもマントルもなしか」
アーキス室長が興味深そうにレイの手元を覗き込んだ。
「いえ、正確にはボストークが成熟の第一段階を迎える60日後、中心部に核として発注者の所有する有機物質が設置されます。ただ内部に熱源がない以上、ボストークは外部からの照射熱によって成長することになるでしょうね」
レイの熱を帯びた様子にアーキス室長は満足げに頷いた。
「君を担当にして正解だったな」
レイは自分より幾分背の低い彼のほうに向き直った。
「そうですけど、完全オーダーメイドの架空都市制作は僕には荷が重すぎる気がします」
「植物だって適度な負荷をかけたほうが丈夫に育つっていうだろう」
いたずらっぽく笑う顔にレイは少しだけ肩の力を抜いた。アーキス室長は思い出したように言葉を続けた。
「そういえば取り寄せを依頼していた植物が届いたよ。さっきラン博士に塩基配列に問題がないか確認をお願いしたところだ」
「ありがとうございます」
レイの言葉が終わるか終わらないかのタイミングでラン博士からの内線が入った。アーキスに目礼すると通信を繋げた。
「レイ、アーキス室長から預かった植物の塩基配列に問題はなかったよ。取り寄せとは思えないほど正常なものばかりだ。他のものと一緒にボストークサイズにしたものを今日中に届けに行くよ」
大学の先輩だったラン博士に誘われてこの会社に入ったこともあり、2人は今も気の置けない関係を続けている。思い通りにばかりは育ってくれない植物の成長を相談することもよくあるため、有機物保管庫と同じぐらいラン博士のラボはレイにとって居心地のいい場所だ。通信を切るとボストークの基礎作りの続きに取り掛かった。発注書に従うためには明日の朝一には指定の化学物質と植物などの有機物たちを1ミクロンの狂いもなくボストーク上に配置しなくてはならない。
翌朝、地殻の上に植物を育むための地層を携えた球体から支柱にしていたアカシアの心材を慎重に引き抜くとボストークを回転台の上に浮かべた。まだ固まりきっていない地殻がもったりと支柱が通っていた穴を塞いでいく。中の水がこぼれださないように中心の有機物を固定する半円形の器に使ったのは磁気を帯びた鉄鋼石のお陰だ。ボストークの発注書は驚くほどにすべてが計算し尽くされていた。有機物の配列を終えて回転台の上で人工光の照射をはじめると1時間も経たないうちにボストークは緑で覆われた。時間経過とともに変化していく様子も逐一注文書に書かれた通りで、基礎だけでなく植物の成長に関する精度にもレイは純粋に感動した。途中経過を見たラン博士もここまで正確な成長予測はみたことがないと目を丸くしていた。ボストークが完成の日を迎えるのは300日後の予定だ。完成の日を迎えたら発注者ボストーク7に直接合わせてもらえないかアーキス室長に願い出ようと決めていた。

順調に成長していくボストークに異変が現れたのは中心部に黒く硬い小指のさきほどの有機体を配置して8日後、ボストーク誕生から68日目のことだった。成長した植物が生い茂ったボストークの北半球の森に紅葉のようなスポットがいくつか表れては消えるを繰り返し始めたのだ。その一帯に植えていた樹木の中には確かに寒暖差によって美しく紅葉するイロハモミジといったムクロジ科のものを植えていたが、こんなにもわずかな周期で色を変えるとは考えられなかった。何よりもボストーク存在しているすべての有機物の塩基配列が正常であることは証明されている。レイは眉を顰めるとラン博士にコールをした。ラン博士はすぐにレイのフロアに現れてボストークの斑点を観察しはじめた。
「これは奇妙だね。植生が変化することは進化することと同じだからね」
鼻を触りながらラン博士はひとりごとのようにつぶやいた。レイはラン博士にずっと気になっていたことを尋ねた。
「先方から送られてきた有機物の検査もラン博士が担当されたんですよね?」
ラン博士は意外そうな顔をした。
「いや、それに関してはアーキス室長から別のラボに依頼して問題なかったと聞かされているよ。レイはその有機体が森の異変に関係していると?そこにはなんて?この変化について書かれてないのかい?」
ラン博士はレイの手元にある発注書を指さした。
「発注書には有機物質を中心に配置する60日目までの過程しか書かれていませんでした。そこまでは何の狂いもなく成長していたので完成予定の300日目までは、ボストークの内部の海に根が侵入して安定するまでに発育不良を起こした植物や有機物の入れ替えや手入れをするとばかり思っていて……」
お互いの考察を交わし合うには時間が必要だと言ってラン博士は考え込んでいた。レイは困惑しつつも奇妙だが観たことのない植生に胸が躍る高揚感を感じ、すでにボストークの森で人間と同じサイズにスケーリングしたヒューマノイドを入れて調査を行うことを決めていた。通常の探査機と比べると通信機能や強度など劣る部分はあるが、レイはボストークのあの植物群の中を歩き回って地面を踏みしめ、木々の表皮の手触りを確かめてあの森の中で深呼吸をしたかった。ラン博士の反対にも耳を貸さず、レイがアーキス室長に調査について伝えると、異常が起きているエア・シティでの調査にラン博士同様に難色を示した。レイが理由を言いつのってもアーキス室長は首を縦に振らないので、最後には植生の変化は進化かもれない、この調査ができないならボストークのデータを外部で調査すると守秘義務違反ギリギリの台詞を吐いて、半ば押し切る形で許可をもらった。ボストークを特別制作室に移すとレイ自身も調査の準備に入った。ラン博士は資産管理部にかけあって社内にあるヒューマノイドの中で1番頑丈なタイプを発注するようにうるさいほどレイに勧めたが、レイはより自然に人間らしく動けるタイプを選んだ。
「都市が恋しくなったら見なよ」
先に送り込んだ調査機に意識をつなげる前、ハリスとタリーがニヤニヤ笑いながら自分たちが集めた都市のデータをネットワーク割り込ませた。植物の美しさと同じように都市の美しさをレイが好んでいることを2人はよく理解していた。
「ありがとう」そう告げ、レイは北半球の森の中にいるアンドロイドとネットワークを開通させた。途切れていく意識の中でレイは主出したように1通のメッセージをラン博士に送った。文面には簡潔に発注者ボストーク7の正体を知りたいとだけ。このままボストークがうまく成長しなければその人と2度と関わることができないだろう。興味の域をでないこの依頼にもラン博士ならきっと応えてくれると信じて、レイはゆっくりとまぶたを閉じた。

風に揺れる木立のやわらかな音にレイは目を開いた。ゆっくりと瞬きを繰り返すとまるで自分の体のように自由に動く体躯にレイは満足そうに頷くと植物たちの放つ独特の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。目の前には等間隔に美しく並んだ木々たちと鮮やかに生え揃った下生えたちが広がり、その精密さが森の幼さを感じさせた。もう数十日後にはもっと奔放により瑞々しく成長した姿を見せてくれるだろう。レイはもう1度深呼吸をすると木々の中、紅葉している一群に近づいた。外から見ていると点滅するように紅葉を繰り返していた木々は、段階を経ることなく一斉に紅葉と緑化を繰り返していたが、根元には葉が落ちた形跡がなかった。奇妙だった、葉の付けにできた離層に阻まれ樹木から栄養補給をたたれた葉は自身の糖をアントシアニンに変化させて美しく色づく。そしてその後には必ず落葉が待っているはずだ。
「離層の生成と除去をコントロールして紅葉するなんて聞いたことがないな」
しかしその周辺に配置した針葉樹の中で唯一落葉するカラマツは紅葉する気配もみせず青々とした葉をたたえている。今まで作ってきたエア・シティの中でも希有なほどボストークは複数の有機物を意図的に配置している。
「そのせいで植生に変調をきたしているのか・・・・・・」
釈然としないまま周囲を確認するため歩き出したレイは少し離れた場所に想像もしていなかった植物を見つけて唖然とした。ハエトリソウだ。その名の通りハエといった小さな昆虫を捕食する、植物の中でも珍しい生態をもった食虫植物だ。レイはそれをボストークに配置した覚えがなかった。それ以前にボストークには昆虫が存在しない。植物のサイズを自在に変化させることはできても、生物にそれを応用することは実用化以前に倫理的な観点から禁止されている。エア・シティ・インダストリーでもエア・シティに生物として人間や犬を求める客の要望には応えていない。あくまで現在のエア・シティは外から眺める観賞用都市なのだ。いつかもっと技術が発展するか、新しい倫理観が世界を支配すれば体験型のエア・シティが普及するかもしれない。といってもレイが行っている調査も他社に先駆けた実験に一環だという噂も社内で何度か耳にしたことがあった。
数株のハエトリソウは二枚貝のような葉をパクパクと開閉させて内部の赤を頻繁に晒している。食虫植物にとって捕虫行為は莫大なエネルギーを使うため基本的に感覚毛に昆虫が触れたときの大仕事だ。内部を覗き込んでも何も捕らえていないハエトリソウたちは呼吸するように開閉を繰り返してレイの目には見えない何かを捕食しているようだった。その周りにも湿地を好む植物群がいくつか自生していたが、どれもレイの知識の中の植物とは異なる習性を持っている。設計したはずのない湿地帯のビオトープの群れをかき分けると地殻に小さな亀裂を見つけた。水中調査用にボディを切り替えると誘われるようにレイはその亀裂からボストークの海へと潜り込んだ。

ラン博士は検索結果に眉をひそめていた。レイから依頼されたボストークの発注者を調べるためにデータベースにイレギュラーなアクセスを仕掛けている間、ボストーク7の由来が気になって調べてみたのだ。「ロシア語で”東”を意味する一般名詞で、1960年代ソ連が地球軌道上に打ち上げた有人宇宙船の名前ね」
ただし、史実に登場する有人宇宙船はボストークは6までだ。後継機のボスホートに後を譲り、ボストーク7は打ち上げはおろか、開発さえされた記録は残っていない。架空の宇宙船を名乗るとは惑星のようなエア・シティの発注者らしい発想だと納得すると同時に、宇宙に行けなかった宇宙船が惑星を模した架空都市の軌道上をグルグルと旋回している姿を思い浮かべながら嫌な予感を感じていた。振り子のように揺れる思考を遮るようにデータベースが目前に展開した。
発注者の名前はアレクサンドル・ルフ。彼はきっと地表懐古主義者の1人で、なおかつ宇宙に夢を見ているタイプの人間なのだろう。そうあたりをつけると、ラン博士は躊躇なく発注者に通信をつないだ。
「エア・シティ・インダストリーのラン・シュエンと申します」
手短に確認をとると、ボストークの内部に設置させた有機物質について探りをいれた。知らないと言って通信を切ろうとする相手に疑念を募らせるとラン博士は荒唐無稽とも思える推論をふっかけた。風呂敷はできるだけ大きく広げてからたためといのは恩師が常々言っていたことだ。
「あなたが依頼したエア・シティに核として配置されているのは隕石ですね。地球外物質の所持と使用は法律で禁止されています。私たちはあなたを訴えることも視野に入れて現在動いているんです。ですが、あなたの植物の育成予測は目を見張るものがありました。あなたが依頼したエア・シティの本当の用途について教えていただければ内々で片付けてたうえ、我が社にお招きしたいと考えています」
数秒の沈黙の後、ルフは口を開いた。
「・・・・・・アーキス室長もそのことをご存じなんですか?」
「ええ、もちろんです。あなたの個人情報を開示してくれたのも実は彼なんです。あなたから直接話を聞くようにと。正直にお話いただけるようなかなりの好待遇を考えています。違法行為をさせたうえにもし虚偽の発言をされるようなら、莫大な賠償金を請求させていただくことになるでしょう。もちろん音声は録音されていますし、通信を切断されるようなことがあれば交渉は決裂ということになりますのでお気をつけください」
交渉なんてしていなかったな、と自分の発言を反省しながらも相手に疑念を抱かせる前にたたみかけるという最近読んだ雑誌のコラムに書いてあった戦法を使ってラン博士は男を追い詰めていった。
生物学者のルフは長年の夢を叶えるためにブラックマーケットで1つの小石のような隕石を生涯かけてためた金のほとんどを使って競り落とした。電子顕微鏡に映し出された石の表層には期待通り今まで地球には存在しない無数のうごめく微生物群が存在した。嬉々としてそれを志を共にする旧友に報告した。そして持てる知識のすべてを使ってその微生物たちに最適な培養地を設計し、旧友のアーキス室長に託した。彼らはこの惑星で誰も観たことのない生命体を作り上げる、まるで荒唐無稽な夢の実現に情熱を燃やし続けていた。その哀れさた他者を巻き込む無責任さにラン博士は拳を机にたたきつけた。ルフとの通信を切るとラン博士は室長室へ向かいマホガニー材のドアを乱暴に開け放った。

亀裂からボストークの海に侵入したレイはぬらぬらと漂うアメーバ状の有機物群に囲まれていた。慌てて地殻の亀裂を見上げるとすでにそこは固く閉ざされていた。先ほど見たハエトリソウを思い出して、自分がボストークの罠にはまった昆虫のようだと嫌な想像が脳裏を巡り、出口のない海で永遠に漂う自分を想像すると胸の中が氷のように冷えていった。すぐさま調査機器に搭載されている意識を肉体に戻すためのエマージェンシーシステムを起動させようとしたとき、視線の先に1体のヒューマノイドが見えた。それはレイがさっきまで入っていた調査機そっくりだった。じっとりと自分の体を見下ろすとそこには海との境界線すら曖昧な透明な物質があった。信じられないことにボストークの海の有機物群は調査機のネットワークからレイの意識を分離させ、自らのなかに取り込んだのだ。意識を取り込む有機物・・・・・・オフィスに戻ったら有機物管理倉庫のカテゴリーを見直そうと頭の隅に書き留めていると、意識が縦横無尽に広がる有機体の中にバラバラに散らばっていくのを感じた。

ボストークの海に飲み込まれ気の遠くなるような時間感覚のなかでレイは知った。ボストークの中心は拍動している。それは呼吸に似ていた。核に設置された物質に寄生した無数の微生物が水中に漂う有機体を取り込み、酸素を使って分解した際に発生するエネルギー使って成長にしているのだ。そして感じた。種の進化には限界がある。核の中の微生物は爆発的なエネルギーをつかって数億倍に増殖する、しかし増殖した微生物はアメーバさえ取り込めない状態へと退化する、そしてまたゆっくりと有機物を取り込めるまで進化をするという過程をもう数えきれないほど繰り返していた。ボストークの時間は地球の何万倍もの速度で経過しているというのに、進化と退化サイクルを永遠に繰り返す微生物はきっと閉じた種の1つなのだろう。そう感じるほどにレイを取り込んだアメーバ状の有機物分は急激に進化の針を進めていた。海の中で増減を繰り返す彼らのほとんどは核の呼吸のための餌として一生を終える。しかし、爆発的なエネルギー排出の際に吐き戻されるように水中に戻ってくるものがいた。それらに付着したエネルギーの残滓使って、水中の有機物群は地殻上の有機物群と交信を取り始めたのだ。水中から地殻を削りアメーバと意識を切り離し、水中にまで届くほど成長した微細な根を伝って先端へと引き上げられると”蒸散”によってボストークの地殻上へと逃げ出すことに成功した。
レイは徐々に意識が散漫になっていくのを感じた。すでにレイの一部は核の微生物に取り込まれてしまった。そして、幾分かはすでに地表を漂い、さらに微細な自分が樹木の通道を上へ上へと吸い上げてられて行くのを感じながら、意識の蒸散はボストークが生物の理を越えて進化した結果なのか、それとも人間のあずかり知らぬ自然の営みなのか答えを見つけることはできそうになかった。

ラン博士はアーキス室長が水滴を拭いていた飲みかけのラテを奪い取ると室長室の塵1つない机の上にぶちまけた。
「ルフから全部聴いたぞ。あんたはボストークが地球外物質、地球外生命に関するものだと知りながらレイを。今からレイの意識をネットワークから復帰させる。調査中止の承認がいる、来い」
アーキス室長が苦々しく頷くと同時に、ハリスが室長室に飛び込んきて叫んだ。
「レイのネットワークが切断されました!調査機との通信もできません」
「再接続は」
「タリーが必死でやっています」
3人がレイの元に駆けつけるとタリーがエラーの吐き出される画面に向かって必死にレイの意識とつながるネットワークコードを見つけ出そうとしていた。ネットワークコードさえ見つかれば無理やりにでもレイの体に意識を戻すことができる。だが、いくら探してもレイのネットワークコードはボストーク内にも、この地球上にもどこにも見つけられなかった。
アーキス室長を動けないように固定して準備室に放置した後も、3人はずっと押し黙っていた。ラン博士はボストークの森で今も続いている赤い点滅のような紅葉の中に規則性を見出そうと手元の紙に計算式を書きつけている。レイのネットワークコードを見つけ出そうとタリーとハリスはシステムの揺らぎをにらみつけていた
突然背後から聞こえた唸り声に3人が振り返ると、アーキス室長が播種に使うアイスピック状の器具を振り上げながら唸り声を上げてボストークに向かって突進して鋭利な先端を海に届くまで差し込むと下に向かって引き裂いた。ハリスが室長を殴りつけている間にもボストークは傷を修復するかのようにパキパキと異音を響かせながら変化をはじめた。地殻がケロイドのように盛り上がり海からにじみ出た粘度のある透明な液体が都市へと変貌していく。ボストークへ行く前にハリスとタリーがレイに持たせたデータがあふれあふれ出したように無数の高層ビル群とシンボルタワーが森を侵食していく。赤いタワーの一角は巨大化して肥大化した東京はタワーの影にすっぽりと入り込み夕暮れの赤い繭のようだった。景色を映す美しい湖は地殻の表面を滑るように広がり、湖畔にグロテスクな古城で埋め尽くした。かつて地上で繁栄していた都市が地表の植物とまじりあいながら現れては消えていく。誕生してはじめての悪意に深い傷を負ったボストークは突然変異という名の爆発的な進化を遂げはじめていた。有機物の作り上げる無機質な情景は目を覆いたくなるほど美しくおぞましかった。未だに熱源を持たないボストークの成長を止めるには熱源を絶つしかない。
「光の照射をやめてください!」
ハリスの声にラン博士は悲痛な声を遮るようにラン博士は叫んだ。
「レイがまだボストークにいるんだ」
1秒を百年単位に増幅するように架空都市は無秩序に成長をスピードを増していく。球体の上部を這うように広がっていた東京タワーの先端が突然宙の一点を目指して収斂をはじめると見る間にホオズキの果実のように丸く赤く膨らみ膨張を始めた。
「太陽だ」
ハリスの呟いた声は震えていた。ボストークは太陽を作ろうとしている。
都市を照らし出すように空中に出現した赤い球体は薄い膜に覆われた内部を占める物質が膨張と収縮を狂ったように繰り返すたびに心臓のように力強く拍動した。投射されている人工光とも本物の太陽とも違う新たな熱源を作ろうとしている。ハイドパークの遊具に向かって同心円状に何かが集まっていく。目を凝らすとその塊から棒のようなものが突き出し、それが少女の姿になって遊具に駆け寄るまではたった数分の出来事だった。少女たちは太陽と同様に不完全な体躯を溢れる生命力にあずけて跳ねまわっては砂の城のように崩れ落ち、また再生する。ひときわしなやかに走る少女が大きく口を開けると笑い声のようなものを発した。
「レイ……もうこれは神の領域だよ」
ラン博士は震える指で照射システムの停止ボタンと同時に凍結装置のスイッチを入れた。ボストークは再びパキパキと異音をあげ静かに成長を止めて凍り付いた。球体の上でひときわのびやかに成長したクスノキの巨木が進化の終わりを惜しむため息のように同胞を空中に放った。肉眼では見えないはずの気化した有機体は空間を満たして、制作室の窓ガラスを白く曇らせた。
「レイが見つかりました!」
タリーの声にレイ博士が顔を上げると、ディスプレイにはノイズの混じったレイのネットワークコードがはっきりと表示されていた。すぐさまネットワークを再接続すると、朝の目覚めの瞬間のようにレイは小さく唸りながら目を開いた。その姿を見たこの部屋にいた誰もがレイの異常さに気づいた。
ルフとアーキス室長は自分たちが望んだとおり新しい生物を生み出すことに成功した。それが、白百合のように無垢な生物なのか、人間の皮をかぶったバケモノなのかそれがわかるのに時間はかからないだろう。ハリスの叫び声の規則を吸収しようと瞬きもせず目を見開くレイを見つめながら、ラン博士はそう遠くない未来に有機物倉庫の一角に保管されたボストークのホログラムを眺めて内部を満たす海に漂いながら進化の夢をみている自分の姿を鮮やかに夢想していた。

文字数:11368

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