梗 概
四畳半のif
見覚えのない小さな部屋にいました。
部屋には扉が一つありましたが、内側から開けることは叶いません。
反対側の壁面には何十ものモニターが縦横に並び、それぞれ別の場所の映像を映しています。
やがてどのモニターが捉えている人物も、同一人物であることがわかりました。更に驚いたことに、映像の一つが密室に閉じ込められているこの私を捉えていました。気づけば、他の映像のどの人物も私であったのでした。場所や場面には全く覚えがありません。
その時扉が開き厭に大きな猫が入ってきました。髭を鳴らしながら人の言葉を話します。
この部屋は、過去幾多の選択肢の先にある数多の可能性を可視化できる場所。部屋の管理者である猫が満足すれば、ここから出してくれるようです。
私は妻との婚約が正しかったのか不安に思っている節があります。遡れば過去、私が選択した様々な決定に自信がありませんでしたから、私の選択が正しいかどうかを見極めるいい機会かもしれません。一番不幸な私を猫に食べさせてあげれば、満足して部屋から出してくれるでしょう。
各映像を巻き戻し私だったかもしれない私とこの私との比較を始めます。
すると、私以外のどの私の人生も幸せに見えて仕方がない。
結局、一番不幸そうな私自身を猫に食べさせようと考えました。そうすれば、幸せな私の可能性だけが残るはずですよね。
しかし私が食べられてしまった後、私以外の私はどうなるのでしょう。彼らが変わらず生き続けるのなら、私とは一体何者なのでしょう。てっきり私とは一つの個を指すものだと思っていましたが、そうではないのかもしれません。
不幸な私が消えても、私自身の意識まで消えては困ります。自殺願望はありません。
思うに、この部屋の存在はより上位の部屋の存在も肯定することになります。そしてそこでは「私だったかもしれない私と私の意識を持つ私を比較している私を観察する私」が存在するのです。
人の可能性が数多存在するように、地球や銀河も数多に存在するのだと考えると気が遠くなりました。万物は誰にも観測不可能、ゆえに人は最上位の観測者として神を創造したのでしょう。
人は常に自らの選択が正しいと思いがちです。自らが最悪の可能性にいることなど夢にも考えません。そしてそれを知ったところで、できることなど何もないのでした。
少なくともこの次元、この世界に生きる私にとって、未来だけが観測不可能な事象であることに気がつきました。
不思議なことに、急に妻の顔が見たくなりました。
何に満足したのか、猫は部屋に漂う塵よりも小さくなり、同時に扉が開きました。
私は見覚えのある四畳半の寝室にいました。
隣で妻が小さく寝息を立てていました。
次の休みは、久々に二人きりで出かけるのだ。
まだ行ったこともない場所、見たことのない未来へ。
布団に包まって、日が昇るのを待っています。
文字数:1173
内容に関するアピール
自分の人生ができのいいものであるとは思えず、「もしあの時こうだったら」と可能世界について考えることがよくあります。
ならばその可能世界を観測する人、自分自身を観察する人の話を書いてみようと思いました。
人生とは選択の連続である。
どちらにしようか選択に迷った時、現状からの変化がより大きい方を選ぶようにしています。
結局、どっちを選んでも後悔するのですから、いろんなことにチャレンジしたい。
そう思ってこの講座にも参加しました。
推敲していて気になった点は
・なぜこの部屋に招かれたのかというそもそもの動機の不在
・語り役として出した猫の意味が欠落
です。
いっそのこと、部屋は主人公の内面の檻であり、主人公以外の登場人物は排した方が良かったかも、、、と思いました。
が、それがSFなのかは怪しい…。
可能世界に触れているからSFなんだ!と言い切ればいけるのか!? 難しいです。
文字数:377