梗 概
レッドライン・エンタングルメント
大正138年。新浅草十二階の最上階で開かれた婚活パーティで、運命の赤い糸はもつれていた。量子もつれだ。
小指に巻き付けた赤い糸型端末が末梢神経を通じて体内の神経活動と同期し、量子もつれを利用してペアの糸を結んだ人間に強い共感の相互作用をもたらす。
歴史学者の小雨京太郎は、給仕係みたいに壁際に立ち、小指に無作為に結ばれた糸型端末を所在なさげに爪でいじくっていた。共に参加した縄師の三澄鷹子は、食事をとり分けた皿を二人分持って戻っても京太郎が同じことをやっていて心底あきれ、ちょっとだけ安心し、離れたところから観察してやろうと決めた。
当の京太郎は、この縄師との共依存のような関係を終わらせるために結婚をしたかった。乱婚の共同体に生まれた京太郎は親に抱かれた経験に乏しい。けれど鷹子の縄に縛られている間は、自分の身体が抱きしめられているように感じた。それがいずれ、自分を縊り殺すところまで白熱するだろうことも。
とはいえ、結婚という概念はすでに時代遅れで、複数人の個々人が相互にパートナーシップを結ぶ『共同体』が周囲にはあふれている。古典的なパートナーシップである結婚をするためには、上杉財閥による量子力学の成果までもが用いられ政略渦巻く婚活パーティに来るしかなかった。縄師のつてを借りてまで、参加を計らってもらったのだ。
そのくせ京太郎は、あやとりを教わっていた。近くの壁際に立っていた給仕係と思われる女の子が、京太郎と同じように所在なさげで、いたたまれなくなり話しかけていた。いざ話すと千紗という名前を聞いた後すぐ何も言えなくなり、散々練習してきた『ご趣味は?』という言葉が真っ先に京太郎の口から出てきた。そして、千紗からあやとりを教わるに至る。彼女は赤い糸で両手の間に蛤を作り、そこから蜻蛉に作り変えて見せた。京太郎は感心し、自分に何か教えられるものがあるかと問う。
千紗はあやとりに使っていた赤い糸を小指に結びながら答える。
「結婚とは、何ですか?」
『結婚』の実体を知らない世代だ。京太郎は、小指から恋焦がれるような共感が沸いた。赤い糸による共感が、京太郎自身に対するものなのか、『結婚』そのものに対してなのか。確かめるために二人は街の様々な『共同体』を見に行くことにした。警備員が固めているエレベーター前で、京太郎に追いついた鷹子が誘拐事件になりかねないと止める。
千紗は警備員たちにチップを渡して黙らせ、京太郎と鷹子を催促する。そしてエレベーターで下っている最中に、上杉財閥の血族であること明かす。意味も相手も知らぬまま自分の『結婚』が約束されていることも。とっくに察していた京太郎と鷹子は、いかにしてこの令嬢に満足してもらうかを考えながら、街の様々な共同体を案内する。
『趣味連合』『共同労働』『複数性愛』種々の共同体はあれど、古典的な『結婚』は見当たらない。しびれを切らした千紗が京太郎に言う。
「試しに私と結婚してみてください」京太郎の小指にしたたかな嫉みがやどっていた。鷹子がそこへ割って入り、懐から京太郎が鷹子に縛られている写真を取り出して突きつける。千紗はそれをまじまじと見つめ、こともなげに言う。
「ここからどう変わるのですか? 教えたはずです『あやとり』は変化するのだと」
千紗は自分の小指の赤い糸をほどき、両手の間で蛤を描いては蜻蛉に作り変える。京太郎は、自分を抱きしめてくれていた縄が糸へと変わるのを感じ、鷹子へ関係の解消を告げる。袖にした瞬間、小指から迸る悲しみを感じて、京太郎は赤い糸の相手が鷹子だったのだと知る。
それでも、京太郎は小指のもつれた赤い糸をほどき、千紗とゆびきりをする。
「今すぐには結婚できません。けれど、あなたが自分なりに『結婚』の答えを見つけ、それでも私を選ぶのなら、必ず」
参考文献
古澤明『量子もつれとはなにか「不確定性原理」と複数の量子を扱う量子力学』講談社,2014年.
野口廣『完全版 あやとり大全集』主婦の友社,2013年.
山田昌弘・白川桃子『「婚活」時代』ディスカバー・トゥエンティワン,2008年.
文字数:1684
内容に関するアピール
婚活SF。個々人の性や関係の多様性は貴ばれるべきである、だが同時に伝統的な『婚姻』も貴ばれるべきであり、それらは背理ではないと思う。さげすまれがちな『婚活』という言葉も、結婚に付随する核家族という幻想が現代にそぐわないだけで、婚姻というものの尊さを汚すものではないはずだ。というわけで、婚姻やそれを超えた小規模な関係性が『共同体』として形成された社会において、あえて『結婚』を選ぶ意味は何かというものを書いてみたい。なので、実作は街の描写が増えるはずです。あと取材と称して婚活パーティに行きたいわけではありません。
文字数:257