介護の機械化が進み、多くの人々が安全で快適な老後を送れるようになった。イワオは七十四歳のときに怪我をして、左脚に軽い麻痺が残っている。しかし、機械介護のおかげで、少しは脚を動かせるので幸福である。世の中には人手による介護を受けて、不自由な思いをしている人々がいると聞いていて、密かに優越感を持っている。ここでは介護ロボットに歩行を助けてもらえるし、ベッドも清潔に保たれている。子供だましではない娯楽として映画やパターゴルフも提供され、施設の仲間と将棋をさすこともある。
ある日、若者が面会に訪れる。機械介護か人手介護かを判定する試験を担当した、理学療法士だと言う。若者の服から漂う潮の香りで、記憶が少し蘇る。五年前だろうか、若造に試験をされたうえ、人手介護を勧められて苛立った気がする。イワオは、自分は機械介護を受けるに値する人間なのだと、傲慢に宣言する。
若者は悲しそうな声で、そのARゴーグルとスーツは装着しっぱしですか、と尋ねる。イワオは何の話か分からず混乱する。若者が近づき、こめかみのあたりに手をやるが、触覚がない。一瞬目の前が真っ暗になり、続いて視界が開ける。イワオはARゴーグルを通して世界を見ていたことを知る。テニスコートほどの無機質な部屋に何十台ものベッドが並び、ARゴーグルとスーツを装着した老人たちが横になっている。ベッドにはロボットアームが何本もついていて、精密機械を扱うような丁寧さで、だが無機質に画一的に介護をしている。個別介護は虚構だったのだ。
若者が説明する。五年前、イワオがリハビリを受ける資格があるかを判定する試験を実施した。リハビリの人員、機材、予算を拡充するために、当局はリハビリが成功する確率が高そうな患者を優先した。イワオは苦痛への耐性が弱く、自分で脚を動かすのを躊躇したため不合格だった。近くで話す若者のシャツから、潮の香りが漂い、イワオの記憶が鮮明に蘇る。あれは海辺の小さな病院だった。
人手によるリハビリ予算が拡充され、人員も増えた。リハビリを受ければ身体機能を回復できるだろうから、再び試験を受けるよう、若者は勧める。イワオはやせ細った自分の左脚に驚き、ARではなく実際に動かしたいと思う。試しに、五年前と同じように、若者に促されて、自力で脚を動かそうとする。しかし、長期間寝たきりだったイワオは、どんなに頑張っても脚を動かせず、かつ苦痛に耐えられそうにない。
若者が励ますが、イワオは潮の香りで気分が悪くなり嘔吐する。ロボットアームがすぐさま介助をする。試験に合格できないことを悟る。イワオは泣きながら若者を罵り、ARゴーグルを装着する。苦痛もなく、努力も必要としない生活に戻れることを、心から幸せだと感じる。若い頃から努力は苦手だ。明日のパターゴルフが楽しみになる。それがARであることは、すぐに忘れるだろう。
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取材でしたこと
「自分が疎い分野に関して、近くに知識がある人がいる」という基準で分野を挙げ、そのひとつ「介護」を選びました。ホームヘルパーの研修を受け、資格を持っている知人に取材を依頼しました。
この時点で「資格が細分化され、そのサービスを受けるには生活保護のような基準が存在するであろう」程度の仮説を持っており、その設定世界にSFを載せようと考えていました。マジック業界にタイムマシンを載せるように。
取材の結果、おおざっぱには、以下を新たに知りました。
– ホームヘルパーと呼ばれる資格は、比較的簡単に取得でき、そのため特に報酬が安い。
– 試験というものはなく、座学、研修、レポートでよい。資格であって免許ではない。
– 被介護者が自力でできることは、できるだけ自分でやらせるように促す。
「自力でできることを自分で」を、物語の核にしようと決めて、関連する本を読みました。
– 介護サービスには複雑なレベル分けや、施設の種類がある。
– リハビリを前提にした設備・サービスが存在する
– 認知症が大変そうだが、それだけでもない。
– 人によって、状況が異なるため、形式化しにくい
– だが行政によるサポートが必要なため、なんらかの画一化が必要
あたりを抽出して、今回の物語世界の設定を作りました。最初はヘルパー側の視点でしたが、世界を俯瞰しにくい立場になりがちな、介護される側の視点にしました。
参考文献
結城康博「介護 現場からの検証」、岩波書店、二〇〇八年
髙山善文「これ一冊でわかる!介護の現場と業界のしくみ」、ナツメ社、二〇一九年
藤原るか「介護ヘルパーは見た 世にも奇妙な爆笑! 老後の事例集」、幻冬舎、二〇一二年
若林美佳 監修「入門図解 介護施設・高齢者向け住宅のしくみと疑問解決マニュアル すぐに役立つ」、三修社、二〇一七年