梗 概
ショートカット
宇宙物理学で落ちこぼれた研究者が、得意な計算機科学の知識を活かして、牧場の生態系シミュレーションの分野で成功し、教授になった。複雑なシミュレーションでは、小さな初期条件の違いが、大きな結果の違いを生む。生態系シミュレーションも同様だ。しかも現時点の技術では確率論的に毎回異なる結果になる。そこで教授はシミュレーションを何度も繰返し、結果を集約することで、予測精度を高めた。
さらに研究を進めるため、助手を雇うことにした。優秀ではないが素直な候補者が、面接で「私には既視感がありまして、教授が『もっと高速に計算できるぞ』と熱弁された様子を見た気がします」と言った。可能性を信じている人と一緒に仕事をしたかった教授は、その候補者を助手として採用した。その後も助手は体験した既視感について、教授に話し、ふたりで面白がった。
あるとき助手が、演算結果を保持・再利用するプログラムを書いた気がすると言った。既視感によるただの思い違いだったが、その発言にヒントを得た教授は、演算結果の一部を記録・再利用する手法〈ショートカット〉を発明し、高速化した。ショートカットは小さなプログラムだ。分割された小さな領域をシミュレートするとき、境界条件が前回と十分に近ければ、前回の計算結果を使うことで計算を省略する。ただし隣の領域からの影響を完全に無視すると、誤差が大きくなる。そこで教授の手法では、ときどき隣の領域と情報交換することで、誤差の発散を防いでいた。
ショートカットの論文が認められ祝杯をあげているとき、助手が「生態系だけでなく宇宙を演算するのはいつですか?黒板に書いてた気がします」と言う。突拍子もない内容に、教授は笑い飛ばしつつ、酔った頭で「宇宙が繰返し演算の対象であり、助手はショートカットの役目を果たしているのでは?」と考え始める。宇宙が繰返し演算されている証拠を探し始めるが、宇宙分野に疎くなったため、まったく進まない。あるいは、ショートカットとしての助手が、教授への影響が発散しないように調整しているのかも知れない。いずれにせよ生きているうちには自説をまとめられないことを、教授は悟る。
教授は、もっと早い段階で宇宙の秘密に気づき、宇宙物理学に返り咲きたかったと考える。助手の既視感は以前の宇宙の体験である、という仮説に基づいて、自説を助手に教え込むようになった。素直な助手は理解できないながらも、断片的な情報をひたすら覚え続けた。周りから狂人扱いされながら、教授は研究所を追われ退職、その人生を終える。
* * *
研究室で、助手の候補者の面接が行われている。途中で候補者が「私には既視感がありまして、教授が『生態系も宇宙も同じじゃないか』と熱弁された様子を見た気がします」と話す。宇宙物理学への返り咲きの可能性を感じた教授は、その候補者を採用する。
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内容に関するアピール
過去三回とも、先生方には「うーーーーーん……これは……」とコメントしづらそうな状況に追い込んでしまいました。今回はせめて「うーん」くらいまでいきたいと願っています。
教授は助手を育てる・指導する立場ですが、この物語では助手の既視感によって、教授の業績が少しだけ加速しています。その結果、助手も教授を育てています。宇宙もまた育っているのだ、というのは大げさすぎるのでナシにしました。
「ある理論が、宇宙の仕組みを説明する」「ちょっとずつ過去に変更を加え続ける」というコンセプトは、以下を参考にしました。
- 法月綸太郎「ノックス・マシン」
- 藤井太洋「破れたリンカーンの肖像」
- クレア・ノース「ハリー・オーガスト、15回目の人生」
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