梗 概
土蜘蛛とキャラメル
常陸には日本列島最古の花崗岩層がある。そこに隠された生命、太古に土蜘蛛と恐れられた巨大線虫の群体が乾眠していた。花崗岩上の表土は温度が一定だがPH値が高く井戸も掘れないから穀物栽培にも居住にも適さない。過酷な土質に適応する野茨ばかりが生い茂る荒れ地はバクテリアさえ寄せ付けないから、土蜘蛛は分解されず生き延びていたのである。群体化した巨大線虫は表皮神経を維持する塩類が不足すると不活性になるから、他の個体は乾眠中に捕食されていた。
明治の末、この地に女学校が建てられた。
初夏の一日、四方をノイバラに囲われた校庭は除草の塩で純白に輝いていた。機械掘削技術の導入によって敷地に水を引いてから様々な雑草が生い茂るようになったからである。
見渡す限り白い中に一箇所、赤を散らした黒い塊があった。早朝女学校の寮を出て山羊の乳を絞ろうとした女中のトヨはその黒と赤、黒山羊の死骸と血痕を見つけた。山羊は体液を抜かれ萎んで横たわっていた。
大人たちは野犬に襲われたのだろうと断じたが、女生徒たちは天狗のしわざと噂した。ご一新後も徳川幕府再建を唱えた水戸藩天狗党は明治政府に追われ、その残党はいまだに北関東一帯で凶賊と恐れられていた。中でも平岡鮎は怯えた。元水戸藩鉄砲方であった家に幼い頃、天狗党が押し入ったのだ。先進的な寮長香川ミハルは、内気な優等生だが科学を好む鮎の親友であったから、校内警備を教職員に談判した。しかし一橋慶喜の縁者、早穂子は反発した。学校長にも敬語を使わず高慢で疎まれている早穂子は、徳川ゆかりの自分がいる学内に天狗が来るとは思われないとミハルを罵った。早穂子はミハルを自由民権かぶれと嫌いながら、内心は羨んでいた。そして友人もいない自分に、キャラメル一粒の礼で尽くしてくれるトヨのため学内保安のため電話機を寄付した。
それから数ヶ月異変は起こらず警備は解かれた。頻繁に起こる地震はただの天変とされたし、早穂子が幽霊騒ぎを起こし「土蜘蛛を見た」と言ったがヒステリーとされ誰も信じなかった。
夏休みとなり生徒の多くは寮から帰省した。鮎と早穂子は帰省せず、ミハルも女学祭の準備で残った。通いの職員も帰り静まり返った夜、土蜘蛛が大部屋に這い入った。灯明を投げつけると土蜘蛛は凶暴化し、悲鳴を上げたトヨを捕らえた。そこに特別個室から駆けつけた早穂子が薙刀をふるい、トヨを巻き取る怪物の足を切り落とし助けた。叩きつけられ血を流したトヨを抱え早穂子の部屋に逃げる娘たち。鮎は怪物が逃げて行く中、一本の足が血だまりを舐めるのを見た。土蜘蛛は妖怪ではなく、体液を栄養にする吸血生物だと見切った鮎は早穂子たちを説得する。協力して電話で警察を呼ぼうとし失敗するが、怪物は血の匂いと音に引かれるのだと知る。娘たちは蓄音機を囮にし、女学祭用に作り上げていた熱気球に乗り脱出した。土蜘蛛が蓄音機を襲った瞬間、仕掛けた火薬とともに土蜘蛛は爆発した。
以上梗概字数:1214字
★取材協力いただいた方々(お名前を一部変えてあります)
田口ひで穂さん:水戸藩士から子爵となったお家のご出身で、戦時中の小学校入学時には書類に「身分:華族」と提出した方です。旧華族といっても一家は農場を営んでいて華族の付き合いは辛く、お兄様が学習院入学を求められ拒むのに大変苦労し、得したのは家族が大病すると宮内省病院に行けたことぐらいと仰っていました。
関川啓司さん:茨城新聞社初代社主のご子孫。ご先祖は水戸藩の郷士で明治の自由民権運動家。ご自宅の庭には「光圀公駒留の梅」という伝承の老木があり、「水戸黄門が馬に乗って泊まりに来た」のだそうです。明治期に北関東一帯で恐れられた天狗党に強盗に入られたお話などの逸話をお聞きしました。
谷田内慶さん:ご本人もお母様も水戸女学校ご出身。寮生活のお話を伺いました。お母様の小学校入学時、谷田内家が村に土地を提供して小学校を建てたそうです
田口さんは以前入院した折に知り合い、思い出話をお聞きするのを楽しんでいたのでご信頼をいただきました。谷田内さんは高校で家庭科教員を勤められた方で、関川さんはその甥にあたります。
取材のお礼は近所のせんべい屋のかきもちと新米でした。
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内容に関するアピール
自分は僻地に住み学識も無い者です。けれどその分ほかの受講生とは違う取材先があるはずだと思い、知遇を得た方々を取材対象にさせていただきました。
私は近世や現代の娯楽小説を好みますが明治文学をほとんど読んでいません。その上近代史と地理に極端に疎い。それだけに取材した方々のお話は耳新しく、三人の方々は私が物知らずに尋ねることを面白がって親切に答えてくださいました。正史に疎いからこそ、地元水戸藩の幕末から明治にかけての動乱についての口承は興味深いものでした。歴史を動かした者の視点でなく、翻弄された者の物語だからです。
新時代に生きようとする明治の女学生たちが古代の怪物(風土記に記された土蜘蛛)を退治する娯楽譚とし、荒唐無稽な開化の物語を短編で描こうと企図しました。
作中の土蜘蛛は、蛸のように体表に分散型の認知神経組織を持ち、クダクラゲのように群体となる巨大な線虫が土中に住むと仮想しました。
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