マムルーク
1:混沌とした闘争
「戦争という名の混沌とした闘争の後に、秩序なんて生まれるのかな」
妹のアイーシャが昔よく僕に投げかけていた質問だ。かつて、ゾンバルドは軍需による財政拡大が資本形成を促し、常備軍の増強は農業、流通、貿易に影響を与え、武器の近代化は製鉄や機械製作、造船、繊維産業の成長をもたらし、その結果、18世紀末にかけて資本主義による市場競争が始まったと唱えた。資本主義はある種、一民主主義国家に対して定程度の秩序を与えている。妹の言っていた秩序とは、資本主義による市場競争のことなのかはよくわからない。少なくとも、今僕にわかることは、かつての冷戦終結から、第5次中東戦争が終わって4年経った今にかけて、僕らは資本主義による闘争を義務づけられている。もしかしたら、秩序もそうした闘争の一部と定義するなら、資本主義そのものが永遠の闘争を運命づけているのかもしれない。
チャドの首都、ンジャメナは今や敵のパグロムで埋め尽くされていた。ブリーフィングでは、敵はクッセリから進行してきたシーア派の武装テロ集団と聞いていた。第5次中東戦争の残党らしく、テロの目的について詳細には報告されていない。こういった目的が明確に設定させていないところがゲーム的だ。僕は、アイーシャと僕がAOB(ベイルート・アメリカ大学)の学生だったころテロについて議論した日を思い出した。
「テロの目的なんておおよそ資本主義拡大による経済格差だよね。なぜテロが起こるのかって話になったとき、多くの人はまずその背景にある政治や政党について、語るけど、政治システムをコーディングしてるいのは経済システムでしょ。現に、政治における統治権は、その統治者の所属する宗教に大きく影響するけど、宗教は、各宗派のプロトコルによって大きく経済システムが異なるじゃない。そして今は、経済による所得格差に加えて、テクノロジーの進歩、そしてソーシャルメディアによる言論テクストの共有化の3つがテロの大きな要因だと思うの。」
彼女は別にマルクス主義者でもない。しかし、彼女の言っていることは確かに事実だと僕も思った。クラウゼヴィッツは戦争や紛争の原理について一義的に定義しようとした。しかし、彼女は紛争の原理は、時代の潮流によって大きく変化しておりグランドセオリーなどないと考えていた。
「昔から、人は何でも経済事象や物理現象、社会現象に対して、理論的に定式化してグランドセオリーを構築したり、探そうとしたりするよね。例えばかつて、ゲーデルが不完全性定理で数学の一部の公理についての無矛盾性を否定しただけで、神はこの世にいないだとか、ニーチェのいうとおり本当に神は死んだ、これこそグランドセオリーだと喚いた数学者をみたりすると本当に滑稽に思えてならない。シンプルかつエレガントな数式は確かに美しいと思うけど、それと世界を記述することは切り離して考えないとダメね。世界は1つの巨大な装置で成り立っているのではなくて、複数のサブモジュールによる離散的なネットワークによって成り立っていると思うの。だから、私たちがしなければならないことは記述できもしない世界を、無理なロジックで記述するのではなくて、世界の一部の領域や自分の好きなエリアについてアクチュアルに行動していかなければならいことだと思うの」
彼女は母親似でとにかく、象牙の塔にこもる賢者というタイプではなく、常に現実の社会に対してクリティカルなことだけを指摘するアクチュアリストであった。戦闘中にこんな妹との会話を想起したり、妄想したりする僕とは大違いだった。
僕の武装しているアーキテクトは、ここ1か月でリリースされたパグロムの改変機で、脚が馬のように四本ついているボディアーマーであり、見た目は、マムルーク朝にいた軍人奴隷を彷彿とさせる騎士のような形状である。四足脚はあらゆる地理的構造に対して自由に駆動できる設計になっている。
アーキテクトは、敵の行動様式とフィールドを変数とする強化学習とSLAM(Simultaneous Localization and Mapping)にもとづいたアルゴリズムによって、プレイヤーの最適な行動を導き、ディスプレイに、その行動をコマンド表示する。敵が有人兵器の場合には、サーモグラフィーで生体反応を識別し、フルオート・キル(全自動射出機能)により、自動で敵に照準合わせ射撃することができる。僕らはアーキテクトの掲示するオプションから自分の戦略に合わせてコマンドを選択するだけで、敵のパグロムを撃破する。これが「マムルーク」の世界だ。
マムルークはオースティンにある米国最大手ゲーム企業ネストが2036年にリリースしたVR-FPSである。マムルークのゲームシナリオは米国国防総省に属する特殊作戦軍(USSOCOM)として、世界各国の紛争地域に軍事介入し、紛争を撲滅するといういたってシンプルな構造である。マムルークはVRヘッドギアを装着し、モバイル端末とリンクさせることで、オンライン上であたかも自身が戦場にいるかのような空間で、戦闘を疑似体験できるゲームである。そして、3か月に1度、本社敷地内に隣接しているMS(マムルーク・スタジアム)で。マムルークのプロゲーマーだけを集めたトーナメントが開催される。僕、ジョジュ・サイードはオースティンの郊外に住みながら、このeスポーツのトッププレイヤーとして、トーナメントに参加して賞金を稼ぎ生計を立てている。これもある種の闘争である。
人間はこれまで、過度の闘争状態が引き落とす混沌を防ぐために様々な経済的、政治的な施策を講じてきた。しかし、結果として人は闘争の緩急を変えることに成功はしてきたものの、闘争そのものを抑えることはできなかった。イェーリングがかつて言ったように、民主主義国家において、国家が市民に権利を与えても、人は権利を獲得するために個人、組織全体で闘争を行わなければならないといったように闘争は宿命なのである。闘争は永遠に続くと聞くだけだと、人はあたかも永遠に戦争し続けなければならないのかという問答が出てくる。しかし、戦争というのは闘争という概念の部分集合に過ぎない。古来の人間社会は闘争=戦争という定式が成り立っていた。しかし、人はある時から闘争を戦争ではなく、違うものに置き換えようとし始めた。ゲームもある種、そうした置換作業の中から生まれた産物なのかもしれない。
2:ベイルートの悲劇
僕とアイーシャはレバノン・ベイルート3か月違いで生まれた。僕らが生まれた2027年はちょうど第5次中東戦争が過渡期の時期だった。第5次中東戦争は2020年以前より米国議会が米国大使館をパレスチナ・エルサレムに移転することを決定し、アラブ諸国の和平関係が崩れたことから始まった。第4次中東戦争が終結し、第5次産業革命に向けて、以前により情報テクノロジーの芽があったアラブ諸国がこれからICTによって波及的に成長し、先進国のGDPパーキャピタに並ぶと囁かれていたのにも関わらず、皮肉も産業革命と同じナンバリングで戦争が再発してしまったわけだ。
初めは第4次中東戦争を受け継ぐような形でガザ地区を中心に暴動が起こり、その後ヨルダン、エジプト、レバノンと波形的に広がっていった。僕の家族の住む地区はドゥルーズ派が多数を占め、僕らの父はシーア派との抗争中、当時はまだ珍しかった敵のパグロムによって命を落とした。
パグロムは2024年、米国でBD(ボストン・ダイナミクス)が世界で初めて開発したAI搭載型無人軍用機だ。パグロムが開発されて以来、世界の軍事事業に革変が起こった。絶望と希望の象徴はICBMでも核兵器でもなく、パグロムに大きくシフトした。
パグロムはいわゆる特化型AIではなく、機械学習をベースとした汎用型AIを搭載した軍用ロボットであったため、シェア・テクノロジーという点で、核開発と比べてより莫大なマーケット・キャップを生むと米国政府も期待した。そして、その後パグロムをはじめとする無人軍用機の開発は、核開発のような規制圧力を受けることもなく、むしろ第5次中東戦争に後押しされるように指数関数的な発展を遂げた。そして、そのAIの技術革新の最中にベイルートの悲劇が起こった。
2033年、第5次中東戦争において、レバノンはシリアと交戦状態になりつつあった。そこで、レバノン政府の議会は1982年のイスラエル・シーア派のレバノン侵攻を教訓に、原始的な武装設備ではなく、新型パグロムを使った最新鋭の軍備を整えることを決定した。そして、レバノン政府は米国国防高等研究計画(DARPA)の資金援助の下AOBと新型パグロムの共同開発を始めた。しかし、翌年2034年、ベイルート郊外にある政府管轄の軍用施設で新型パグロム5機が暴走した。パグロムは地中海沿岸沿からベイルートの市街地中心地にかけて、殺戮を続け述べ250名以上の死者を出した。パグロムの暴走については21年たった今でも原因が分かっておらず、SNS上ではシンギュラリティが10年早まった、シーア派ハッカーによるサイバーテロではないか、将又パグロム開発の出資元でもある米国国防総省の陰謀なのでは等、様々なうわさが流れ、後に、史上最悪のAIによる過失事故として各国のメディアはベイルートの悲劇と呼ぶようになった。僕の母は、その時パグロムの殺戮に巻き込まれて命を落とした。
僕の母ジョジュ・ムニラはベイルート市内の病院に勤務する医師だった。祖母がヨルダンの出身で、第4次中東戦争、アラブの春双方を経験した人だった。母が幼いころ、祖母からそこでのリアルな経験聞かされていたこともあり、母は幼子なりに、国家か市民どちらかに強くコミットして生きていかなければならないと考え、政治家か医師どちらかになることを決意した。最終的に、当時のレバノンの政権が安定していたこともあり、母はAOBに進み医学を専攻した。その後、母は大学時代に出会った父と結婚するも、父は第5次中東戦争で死去し、女手人一つで僕とアイーシャを育て、僕らのオンライン・ハイスクールと大学の学費すべてを工面してくれた。そういう意味で、僕にとって母は尊敬に値する女性であり、アイーシャに至っては、母の影響を受けAOBに進学し、生命工学を専攻するほどだった。
だからこそ、母の死は僕らにとって衝撃的な事実であり、僕はその後数週間、アイーシャに話しかけることすらできなかった。
ベイルートの悲劇の後、ベイルート市内のすべての大学は一時閉校し、僕らは2か月ほどヨルダンのマダハにいる親戚の家に住むことになった。2か月間、アイーシャは、タブレット端末でベイルートの悲劇を扱った報道やネットメディア、SNSを眺めしきりボイスメモをとり、時にはオンラインメディアに自身の事件に対する見解をボイスメッセージで投稿したりもしていた。彼女は、言論をテキストではなく、音声で残すことに拘った。音声データをそのまま、アプリで文字起こしにしてテキスト化してはいたが、彼女は自身の思考は全て音声データでアーカイブしていた。
「人は、自らの思考が秒単位で変わっていくとても適当な生き物。もの書いたり、考えている間に、別のアイデアや思考が、意識として浮かび上がる。私はそれをすべてリアルタイムにアーカイブしたい。アーカイブしないと、フォローできなかった思考や、その時の私の意識はもう死んでしまうから。」
アイーシャは初めの2週間はずっと母の死を引きづっていた。しかし、パグロムやベイルートの悲劇について調べるうちに少しずつ活気を取り戻し、今後大学であるいは社会で何をしていきたいか、僕と前向きに話し合うようになった。
ベイルートの悲劇が沈静化し大学が再校してから、アイーシャは専攻を生命工学からエンジニアリングに鞍替えし、食い入るようにエンジニアリングの勉強を始めた。そして、アイーシャは、AOBを首席で卒業し、MITとBDが提携しているパグロム研究室にフルブライトで行くことが決まった。ベイルートの悲劇がアイーシャのパグロムへの執念を掻き立てたのだろうか。アーシャは何故パグロムがあの時暴走したのかについて、大学休校中の2か月間ずっと考えていた。アイーシャとにかくアクチュアルに世界を変えることに強く意識していた。他方、僕は中東戦争、ベイルートの悲劇で両親の死を第三者として、ただ観察することしかできなかった。僕はアイーシャと異なり、積極的にパグロムで世界を変えていこうと考えるよりかはパグロムを中心に、世界が第5次産業革命によってどう変わっていくのか第一線でみてみたいという意識が強かった。
僕は大学でコンピューターサイエンスを専攻していた。アイーシャも渡米することになるし、この際だから僕も渡米しようと考えた。僕は、アイーシャほど優秀なわけもないが、
現地でパグロムによる軍事被害を受けたものの人として、そして大学でアナリティカルなトレーニング受けた人間としてパグロムムそのものに興味があった。そして、僕は現在でもマーケット・キャップ世界1位で、パグロムの開発にアルゴリズムを提供しているゲーム企業ネストに入社し、アメリカのテキサス州オースティンに渡った。この会社に入れば、パグロム中心とする今後のテクノロジー社会を一望に観察できると期待していた。僕とアイーシャは、パグロムで両親を失い、パグロムに対する圧倒来な憎悪と、圧倒的な興味という、相反するマインドを並列して持ちわせているということは共通している。しかし、彼女は世界の変えていくギークとしての道をとり、僕は観察者としての道を選んだ。
3:第5次産業革命
世界のテックシティというと、それまでの潮流として、幾つもの名門研究機関を有するボストンか、ITスタートアップの強豪がひしめくサンフランシスコというのが常識だった。確かに、パグロムのハード開発は今でもBDやMITを中心として行われているし、マーケット・キャップがネストに次ぐ2位のGoogleはサンフランシスコに長年本社を構えている。しかし、2035年にネストがリリースした「マムルーク」が世界のゲーム業界、いやICTそのものを大きく変えることになった。2020年代から、世界の名だたるギークたちは第5次産業革命によって、第4次産業革命の産物であるビックデータとAIが人口問題、食料問題、医療問題とリンクし新たなニューラルネットワークを形成されると警鐘し、当時の英国最大手のシンクタンクが公表したテクニカル・レポートによれば、第5次産業革命は既存のITプラットフォーマーが既存のITインフラを使ってそのまま拡張し続け起こりえる革命だと考えていた。しかしまさか、オースティンのましてや、ゲームのスタートアップ企業がローンチ3年足らずで第5次産業革命の立役者となるとは誰も考えなかっただろう。現実は大方の予想を裏切る結果となった。
ネストが考えていたビジョンはいたってシンプルで、彼らのミッションは国際資本主義経済の大幅なアップデートだった。第4次産業革命の後半にあたる2030年代前半までに、ビックデータ及びAIによってそれまで資産家を除く、アッパー層の雇用が大きく喪失した。この経済現象に対して、先進諸国はテクノロジーへのMRS(限界代替率)が低い文化財やアート分野に雇用を生み、ベーシックインカムやヘリコプターマネーによる所得分配によって国民経済を成立させる方向にシフトしようと試みたが、その多くが正常に機能しなかった。なぜ機能しなかったかということについて、その後多くのメディアで見識者たちの討論の素材として語られることになり、僕もこの点については、ネスト社に入社する前、アイーシャとよく議論の話題になった。
「ベーシックインカムが正常に機能しなかった理由は、雇用の喪失をアート分野に絞ったからね。ベーシックインカムやヘリコプターマネーも計画経済を基盤にしているわけではないから、市場の自由競争が生まれる資本主義の中でしか機能せず、そもそも通貨の流通速度が低下して、マネーサプライも縮小するよ。現に15年以上前に実施されていた北欧でベーシックインカムの経済実験も失敗に終わっているしね」
アイーシャはもとからアートに対して、そこまで興味を持っていなかった。彼女の興味は、エンジニアリングとエコノミクスだけだ。以前、僕が彼女のタブレットのライブラリーを覗いたときに、専門書や実用書以外にはイェーリングの『権利のための闘争』の1冊ぐらいしか入っていなかったのを覚えている。唯一僕は当時文学や思想にも興味はある人間だったので、その時彼女に反論した。
「アートが競争を生まないというのはどうだろうね。芸術品だって、マーケットバリューは存在するし、いい作品を生成するために、アーティストは競争するだろうし、アートの定義を拡張すれば、もはやメーカーだってアーティストだろ」
「確かに、アートの定義を拡張すれば、兄さんの言うとおりだと思う。でも私が言っているアートというのは、マーケットが個人に帰属しているいわばピュア・アートのこと。それに今の時代、メーカーは雇用を生むプレイやーではないでしょ。ピュア・アートは、個人に価値が帰属するから基本的に生産物に対してマーケットバリューがないし、そもそも、アートに市場ができ始めると、アーティストは完全にマーケットイン志向でアートを作り始めて、結局それはコモディティ化して、いずれ市場自体が無くなってしまう。そもそもそうしたコモディティは今の時代ビックデータで完全にスキームに組み込まれて、オートメーション化されてしまうでしょ。だから、これからの雇用で必要なのは、ピュア・アートではなくて、産官学主体で管理できるアートあるいはスポーツによる競争だと思うの。」
全てが機械化されすぎた社会によってアウラ(芸術品)への依存が再起する社会になり、それもまた機械化されすぎた社会の中で管理される。ベンヤミンが知ったらきっと度肝を抜くにちがいない。
その後、ネストはある意味でアイーシャの筋書きの通りに世界をデザインしていった。ネスト社の提供する「マムルーク」をはじめとするすべてeスポーツゲームは、そこで得たゲームポイントが実社会の通貨として還元され、それはすべて他の既存ITインフラであるソーシャルアプリと連動する仕組みを作った。そして一部の国の議会では、国の政策決定や外交交渉に、ネスト社の提供するゲームを使用する検討もなされるほどになった。家計はeスポーツよる競争によって、所得の最大化を図り、それによって通貨も生まれる。金融取引のようにアバターや、ゲーム内アイテムを売買するブロックチェーンゲーマーも珍しくなく、ヘッジファンドやPE(プライベート・エクイティ)は既存の投資信託やデリバティブ商品に加えて、こうしたeスポーツのトッププレイヤーやゲーム内アイテムに対して、資金を集めて投資するテーマ型ファンドを発行するようになるほどだった。
更に、一部の先進国では、ITインフラに携わる産官学関連者、起業家、及びアスリート等以外の多くのアッパー層が、ネストの何らかのゲームによって、あるいはネストに絡んだ投資信託や伝統的な株式・債券への金融取引によって所得を得ることは主流になりつつあった。そして、政府は、学歴、経歴、健康情報、戸籍などのオールドパーツに加え、ネストのサービスからスクライピングしたゲームリザルトや、ランクをデータドリブンして、社会保障や、税制、公共事業投資の政策決議を行うようになりつつあった。
第5次中東戦争で闘争状態にあるアラブ諸国の中で、なんとか努力してはいでた僕にとって、はたから見たら平和ボケしたような全く次元の違う闘争しているようであり、渡米して初めの半年はあまりにも世界が違いすぎることに身の毛を引いていた。
僕は当初、パグロムのアルゴリズムに興味がありネストに入ったが、僕の配属希望は通らず、ゲームエンジニアとして入社することになった。後に聞いた話だと、パグロムのアルゴリズム開発を行っている部署は、ネストのスタートアップメンバーのみでまわしており、新入社員で配属されている人はこれまで例がなく完全にブラックボックス化されているようだった。本業がゲームのはずのネストがなぜ、BDの代わりにパグロムのアルゴリズム設計の下請けとして携わっているのかというはとても単純な理由で、パグロムの実戦での動作調整における離散イベントシミュレーションをするにあたって、ネストのゲーム上のデータプラットフォームにライドしたほうが効率的だからだ。パグロムの運用シミュレーションはたった30分のテストでも莫大なコストがかかる。そのため、BDの自社サーバーを使用するよりも、P2Pで大規模に展開するネストのサーバーの方がコストを大きく軽減できる。また、ネストのマムルークはもとより、BDとDARPAが開発したオリジナルのパグロムのアルゴリズムをトレースして製作しており、マムルーク自体が、パグロムの開発に合わせてプログラムをアップデートしている仕組みになっているのだ。しかし、それとパグロムのアルゴリズム開発事業部にネストの創業メンバーしか関与できないというのはなんとも腑に落ちない話しだ。僕以外にも、BDのエントリーにおちて、それでもパグロムの開発に従事したいという動機でネスト入社同期はたくさんいるが皆、入社してもパグロムの開発に携われないことに不満を嘆いている。
僕の仕事はゲームエンジニアといっても、プログラムのディティールは社内運用されているプログラムツールが自動でコーディングしてくれるので、基本的にエンジニアの仕事はマムルークをはじめとするゲーム拡張のより抽象的なグランドデザインをすることだった。レバノンも僕が生まれるぐらいまで急激にテクノロジー産業が発展したこともあり、エンジニアとしてのテクニカルスキルについて、米国人に負けているとは思わなかった。しかし、これまでの余暇といえば、アイーシャと政治的な議論をしたり、読書をしたりすることぐらいであったため、僕はそれまでゲームを長時間したことなどなく、ゲームの基本的なフレームワークが他の社員と比べて大幅に欠如していた。そして、上司から、「サイードは暫く、プレイヤーとしてゲームに参加したほうがいい」と助言を受け、入社2年目に僕はエンジニアからマムルークのプロゲーマーに転身することになった。ゲームの中で、僕らが操縦するのはあくまでアーキテクトだが、敵は全て僕の興味の対象であるパグロムである。パグロムに興味のある人間として、あるいはかつてパグロムに父を殺され、自身も襲われた人間として、僕はゲーム素人ながらのめり込むようにはまっていき、開始1年半足らずで僕は世界の上位ランカーになっていた。そして、最近ゲームランクが短期的伸ばしたVIP特典として、リリースされたばかりのパグロムの完全なる次世代モデル、アーキテクトを入手した。ネストの社員では、僕以外にも社員として働きながら、マムルークをプレイし賞金を稼いでいるものは少なからずいるが、アーキテクトを持っているのは僕だけだった。
アイーシャは僕の住んでいるオースティンとは州も異なるため、基本的にSNS上でしかコンタクトは取れていないが、アイーシャも僕のゲーム成績をリアルタイムで見ており、その感想を言ってくれたりした。ただ、彼女の感想のほとんどは、大体蘊蓄と皮肉がまざったからかいだった。
「マムルークって、アラブ圏の教科書だと、聖戦士って書かれていることが多いけど、海外の歴史学者からは奴隷軍人って解釈してるケースが多いみたい。マムルーク自体は9世紀から19世紀初頭ぐらいまでイスラム世界の各所にいたみたいで一概に定義づけはできないんだけど、おおよそ共通していたのは、乗馬を親しんでいる民族が多いことあって、騎士としての能力はとても高かったそうなんだけど、実際はオスマン帝国をはじめとする大国で買われていた奴隷なんだって。奴隷なんだろうけど、その奴隷の中でさらに階級があって、そこで偉くなると国からの待遇もよかったみたい。本質が奴隷なのに、社会的評価が高いって矛盾してるんだけど、マムルーク本人たちも、その待遇から自身が、各国で売買される奴隷という自覚がなかったみたい。少なくとも彼らにとって戦争というのは混沌としたものはなくで、好きな乗馬の延長で自らの社会的評価を高めるもう少し優しい闘争だったのかもしれないね」
アイーシャについても、アイーシャはMITに席をおきながら、BDにインターン特別研究員として勤務し実績を残しているようだった。アイーシャは、学生ながらもネストからBDに送られるパグロムのアルゴリズムのデータ解析をしたり、ハードコーディングしたりと直にパグロムの実装作業の第一線で活躍していた。ネスト内の僕の上司や、他部署の同期にもアイーシャの名前は一部知られており、僕はあにとして誇らしかった。
ある時、アイーシャから数か月ヨルダンに戻るという連絡が入った。なんでも、新型のパグロムの実装前のテストとして、アイーシャのチームはヨルダンでパグロムを実際に動かし、その視察をしなければならないのだという。わざわざ第5次中東戦争で治安が悪化しているヨルダンをなぜ選んだのだろうか。僕は疑問で仕方なかったし、そんな戦地に行く中で、自分は一緒に行ってやることもできず、ゲームで賞金を稼いでいることが腹立たしかった。とりあえず、僕はマダハにいる叔母さんの安否だけを確認して、よろしく伝えておいてくれとだけ伝えた。
4:ヨルダン川西岸地区
今回のフィールドは皮肉にもヨルダンだった。別にこれはあくまでゲームであるため、アイーシャと出くわすわけでもないが、僕の心情としてはとても複雑だった。
ヨルダン川西岸地区。”巨大な壁で分断された地域”とも呼ばれ、かつては面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下にあり、イスラエル入植地が作られ、入植地との境界には高さ8mに及ぶ巨大な壁が建設され、町や村が分断されていた。しかし、街並みは東ローマ帝国時代の繁栄の象徴といわれたモザイク壁画が多くの建物に残っており、学生時代、ベイルートの悲劇によって、大学が閉校していた2か月間、親戚の叔母さんとアイーシャと3人でモザイク壁画を眺めていたことを思い出した。
しかし、VRディスプレイに映るヨルダン・マダハは現実のマダハとは異なり荒廃しきっていた。モザイク壁画も壁から剥がれ落ち、昔ネットの画像で見た“天井のない監獄”ガザ地区を想起されるほどの光景だった。
今回のミッションは通常の設定とは少し異なるものだった。内容としては米国国防相総省の内部局、国防情報システム局(DISA)のパグロムに関するマスターデータが何者かによって盗まれ、そのマスターデータを取り込んだデータチップが現在、ヨルダン・マダハにある可能性が高いということだった。データチップに奪取したデータを取り込むというのは、いささか30年以上昔のスパイ映画を彷彿とさせるシナリオだが、情報空間がここまで整備されている現在においては、かえって物理空間にデータをエクスポートさせた方が、かえって追跡リスクを軽減できるということだろうか。さらに、ブリーフィングで敵軍にはパグロムの他に歩兵もいると聞き、僕はフルオート・キルをオンにした。マムルークにおいて、実はあえて、アーキテクトではなく歩兵を選択するプレイヤーも多い。歩兵といっても、対無人用戦闘機の武装はモバイル化されており、テクニックのある上位ランカーは1人で十分、パグロムやアーキテクトを殲滅することも可能である。そして、何より歩兵はパグロムやアーキテクトよりも戦闘リザルトに対する報酬レバレッジが圧倒的に高いため、パグロムを5機でも倒せば莫大な報酬を得ることができる。
僕はマダハの中央通りをモザイクの残骸を盾にしながらゆっくりと進んでいった。すると、僕のアーキテクトが、数百メートル先の聖ジョージ教会の建物裏にパグロムを1機索敵しアクションコマンドを掲示してきた。敵もこちらに気づいたそぶりが見えたので、僕は慌ててマニュアルで直ぐに近くの建物に隠れたが、敵は教会を盾にするようにこちらに射撃してきた。途中、歩兵が近くにいたのかアーキテクトのフルオート・キルが作動し、僕の腰元からサブマシンガンが射出された。歩兵が倒れると、ディスプレイにリザルトが表示された。ここでリザルトが表示されるということは、この歩兵がターゲットで、目的のデータチップをもっていたということなのか。僕は歩兵の倒れたポイントを確認した。しかし、倒れていたのは、歩兵ではなく顔に見覚えのある女性だった。僕は、アーキテクトの、近視カメラを拡大させ顔を確認した。
倒れていた女性は紛れもなくアイーシャだった。なぜここにアイーシャがいるのか、僕は混乱した。歩兵のキャラクターデザインは、現実の世界の人の顔の画像をデータドリブンにして、設定時に自分の好みの顔にデザインできる。だから、もとのデータがリアルの人の画像という点からすると、ゲームのキャラクターがアイーシャと近似するということは、現実的にありえなくもない。しかし、倒れている女性は紛れもなくアイーシャであり、身にまとっている服装も明らかに歩兵の武装ではない。
僕の中で、このゲームの構造そのものに対する良からぬ疑惑が生じ始めた。僕はゲーム終了後、すぐにアイーシャのタブレット端末に連絡をした。しかし、返事はなかった。パグロムのプログラム開発はネストの上層部が持っている。おそらく僕が、なぜアイーシャがゲームの中にいたのかといったところで気でもくるったのかといわれるだけだろう。ヨルダンは、実際に住んでいた土地だ。僕は、翌日、会社に休暇申請をし、そのまま飛行機でヨルダンに渡った。
5:聖ジョージ協会
ヨルダンのクイーン・アリア国際空港から、マダハまでは車で北上して3時間ほどだった。第5次中東戦争の最中ということもあり直行便はなく、モロッコを経由し、空港からマダバまで、乗せてもらえる車を探すのにも4時間はかかった。マダバにつくと、ある程度予想はしていたが、見たくない光景が一面に広がっていた。モザイク壁画のはがれた建物、舗装してもどうにもならないだろう中央通り、遠くの方には黒焦げになったパグロムが2機倒れているのが見えた。これらはすべて、マムルークの中の光景と全く同じだった。僕は車から降り、そこから決まりきった目的地に向けて誰もいない市内をひたすら歩いた。
中央通りを抜けて、すぐに聖ジョージ協会にたどり着いた。ゲームの中で、アイーシャが倒れている場所には何もなかった。しかし、倒れていた箇所までいくと地面にうっすら血痕が残っていた。そして、教会の裏手に回るとパグロムが1機倒れていた。僕はここで確認した。マムルークのフィールドはと現実の世界をそのまま使用している。マムルークは、実際の戦闘の疑似体験とプレイヤーに思わせて、本当に戦闘を行わせる殺戮ゲームだった。パグロムに加えて、アーキテクトも現実世界で明確に存在し、プレイヤーは自身が実際の戦場と知らずに自らのゲームスコアという社会的評価のために、何も考えず実際の他国のパグロムや、人を殺すマムルーク(軍人奴隷)だったのだ。
僕はあの時、アイーシャをこの手で殺してしまった。僕は目の前が真っ白になった。そして、アイーシャだけではないこの2年間、自身の手で多くの人々を殺してきたということが想起され嘔吐した。僕は半壊したパグロムの前で数時間うずくまった。
ヨルダンには早朝についていたが、もう日もとっくに暮れあたりは真っ暗になろうとしていた。横たわりながら、少しずつこれまでの事実を整理し、気持ちを落ち着かせた。ゲームと現実がリンクしており、あの時のミッションで僕が殺したのが彼女なら、彼女が、国防情報システム局(DISA)のパグロムに関するマスターデータを盗み出したことになる。彼女は博士課程の学生だったといえ、BDでパグロムのアルゴリズム開発に従事していた以上、マムルークのゲーム内でのパグロムやアーキテクトが現実のそれとリンクしていたこと、マムルークが殺戮ゲームであったことに彼女は何らかの形で気づいていた。国防情報システム局(DISA)のパグロムに関するマスターデータというのは、おそらく管轄が米国国防総省なだけで、データ自体は、ボストン・ダイナミクスかネスト本社どちらかの自社サーバーに保管されていたのだろう。スパイのプロでもない彼女が、単独で米国国防総省に乗り込めるわけがない。そして、彼女はマスターデータを奪取したのち、同じ志を持つ仲間とヨルダンに来て何かをしようしたのだろうか。僕は、冷静に推理しながら立ち上がり、教会の中に入口まで歩いた。彼女の死体がないということは、おそらく僕が彼女を殺した後、国防かネストの人間が、データチップと彼女の遺体をまとめて回収したに違いない。少なくとも、今ここに彼女の一連の行動の真相がわかる客観的なデータは残っていないだろう。
教会の中を見渡すと、壁や天井の至るところに6世紀ごろのピザンチン時代のモザイク壁画が残っており、かつてのナイル川やエルサレムの情景が美しく描かれていた。戦闘もどうやら協会の仲間では侵食しなかったようだ。僕は教会の奥の方に、タブレットが落ちているのが見えた。タブレットは、アイーシャが学生時代から使っている私用のもので、まだバッテリーは残っていた。アイーシャは、ボイスメモを残すことが癖だ。僕はアイーシャのボイスメモのライブラリーをみた。そこには2日以前の日付で大量のボイスメモが残っていた。僕はボイスメモを片端から聴き始めた。
6:永遠の闘争
ボイスメモには彼女の声で、僕が推理した通り、マムルークがただのVR-FPSではなく、むしろAR-FPSであり、現実の世界と完全にリンクしている事実が克明に語られていた。そして、暫くすると僕の推理に及ばなかった彼女の独自の情報と見解が語られ始めた。
まず、ネストとBDは初めからグルで、当初からゲームと現実をリンクさせようとしていた。そして、このプロジェクトについて、米国国防総省も同意し、むしろ軍用機の設計にあたって大きく関与していた。
また、ベイルートの悲劇は、当時まだハードであるパグロムだけが先に完成し、マムルークとリンクさせるための試験の段階で生じた事故だった。現に、ベイルートの悲劇でのパグロムの開発のバックにはDARPAがついていた。そして、マムルークのゲーム内の戦闘区域に選ばれたエリアは、ゲームの間一切の情報メディアの介入を禁止し、マムルークの仕組みについて、情報が流れないようにしていた
あくまで、アイーシャの見解とは言え、これらのことを聞いただけでも僕には衝撃だった。そして彼女はそこから、なぜ政府も束になってマムルークというゲームが開発されるようになったのか、これから自分は何をしなければならないのかについて思弁的に語り始めた。
「マムルークというゲームが現実世界とリンクした殺戮ゲームであることについては、ここでまで述べたとおりだ。ここからは、なぜそんな殺戮ゲームが開発されるに至ったか。私がBDで働いた経験をもとに話そう。
マムルークはこれまで物理空間の中で、諸地域ごとに行われてきたあらゆる闘争やゲームをすべてオンライン上のサーバーで管理すること目的に、ネストの創業メンバーが2020年ごろから進めていた一大プロジェクトだった。それはただのオンラインゲームではない。ここでいう闘争やゲームというのはもちろん、経済における市場競争、政治的なゲーム、戦争といった人の欲望によって生じるすべての闘争が含まれる。人間の闘争を物理空間から情報空間に完全に移行できれば、各国間の物理的なゲーム・コストが大幅に軽減され、ひいては環境破壊や資源問題の解決にもつながるだろうと考えた。このプロジェクトには、米国政府も賛成していた、当時の米国国防総省は、大きく2つの問題をかかえていた。1つは、イラク・中東戦争へ投じてきた多額の軍事赤字という財政問題。2つめは、戦争から帰還した役2割が、帰還後5年以内にPTSDを患い、うち半数が自ら命を絶ってしまうという健康問題があったからだ。
しかし、経済や政治的なゲームに比べて戦争そのものを情報空間に移行することは極めて困難だった。それは、現時点で戦争や紛争状態になっている国にとって、情報空間としてのゲームに移行するメリットなどほとんどないからだ。すべての国が一時的に戦争を停止し、一度にマムルークに移行すれば話は別だ、それは現実的に困難である。
そこで、マムルークの戦争というファンクションについては、現状の紛争やテロを沈静化し、紛争状態に国々を牽制状態させ、そこから一斉にオンラインに移行すればよいのではないかという方針に切り替わった。そして、試験的にBDが開発したパグロムとゲームをリンクさせ、クラウド・ロボティクスにより、軍用ロボットの動作や、戦闘を紛争地でシミュレートさせ、紛争地域へあくまで抑止としての軍事介入をしながら、ゲームのプラットフォームにログデータとして蓄積していくことになった。
プレイヤーも、プロの戦闘員ではなく、あくまでマムルークのゲームプレイヤーの中で、ランク付けをし、ランクの高いプレイヤーの試合をそのまま、現実世界の戦闘とリンクさせるという仕組みをとることにした。プレイヤーには現実の戦闘だと知らせなければ、通常の戦闘前に行うような神経マスキングや、戦闘後のPTSD防止のメディカルコストもかけずに済む。」
僕はここ1年間の彼女のすべてのボイスメモ聴き続け、残すところあと一つになっていた。更新日付は、ヨルダンでのミッションの日、アイーシャが死んだ当日の朝になっていた。
結局、ボイスメモを聴いても、彼女がなぜマムルークのマスターデータを奪取し、ヨルダンに来たのかはわからなかった。データの情報を世界中に発信し、マムルークの真実を知らしめるためか。しかし、それだとわざわざヨルダンに来る必要性がない。それとも、はじめから、僕がマムルークのミッションでヨルダンに来ることを見越していたのだろうか。いずれにせよ真相は藪の中のままだった。
あたりを見ると、もう日が昇り始め、教会の窓を窓から光が漏れ、壁に描かれたエルサレムの街並みを照らしていた。僕は妹の最後のメッセージを聴くため、ゆっくりとタブレットの再生ボタンをタッチした。
「戦争という名の混沌とした闘争の後に、秩序という名の平和の闘争が始まるんだ」
妹の声は、教会の壁に短く響いた。
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内容に関するアピール
①梗概講評からの修正
梗概講評で指摘受けた点として、「キャラクターの死に対するロジックや落とし前が弱い」というのがありました。実作では、この点について、キャラクターの死に対する波及効果や、キャラクターの思弁などに多くのテキストリソースを割き、自分なりに補強できたと考えております。
また、ほかの指摘で、「ゲーム/戦争というありきたりな設定にどう付加価値をつけるか」というのがありました。こちらについては、自分が経済畑の人間というのもあり、SFの設定に経済学的なアプローチを多用することで、少し手も他の作品と差分を生まれるだろうと考え、「闘争とはなにか」という命題のもと、経済学や、経済・社会思想的な設定を多く加筆いたしました。読者の皆様にはこの点について少しでも新規性を感じていただければ何よりです。
②創作講座を終えて
私はこの1年間、時間も限られる中、文字通り絞り出すように梗概を書いてまいりました。おそらく受講生の中でも1番か2番に入るド素人なので、ただでさえ圧倒的に時間がない中で、他の受講生の方についていくことは容易ではなく非常に過酷でした。力不足ということもあり、講座内でこれといってよい成績をあげることはできませんでしたが、おかげさまで今後も定期的にこうした作品を書いていきたいという意思が強くなりました。大森先生、講師の皆様、そして受講生の皆さま一年間本当にありがとうございました!
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