餌場の街

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餌場の街

[西暦2145年 地球]
 相原スグルは家を買った。
 その家は中古住宅でそこには旧タイプのホームAIが備えられていた。相原はある企業のAI開発者だった。旧タイプAIを性能ア
ップしようとして、様々な大量データを読み込ませてディープラーニングをさせた。しかし、旧AIはそう簡単には性能アップしなか
った。それでも、AIについては熟知している相原なので落胆することもなく気長に旧AIを学習させ続けていた。ある夜遅くに相原
が帰宅するすると中古住宅は怪しげな青い光に包まれていた。家に入ろうとした相原は驚いて立ちすくむ。その青い光は上空から降り
注いでいるようだった。相原は夜空を見上げた。青い光の光源を相原は見つけようとした。けれども青い光は突然消えてしまい光源ら
しき星のような光は飛び去ってしまった。一体何が起こったのだろうか?夢でも見ていたのだろうか?と呆然としながら相原は家に入
りすぐに眠ってしまった。
 翌朝、相原は目覚める。
 昨夜のことは何も覚えていない。
 寝不足の頭を起こすために顔を冷たい水で洗う。
 タオルで顔を拭き洗面台からリビングに向かって歩く相原の目の前の空中に、ポツンと黒い点が現れる。
 これは何だろう?と怪訝に思いながら相原は右手で小さな黒い点に触れようとする。
 黒い点は急速に大きく膨張して直径一メートルほどの球体になる。
 驚いた相原は尻もちをつく。
 球体は深淵の闇で満たされている。
 今まで沈黙していた旧AIが言葉を発する。
「スグル、私は全てを理解したよ」
「誰?全てって、一体なんの全て?何を言ってるんだ?」戸惑う相原。
 相原は旧AIが言葉を発していることに気づく。
 相原スグルは深淵の闇の中に落ちていく。
 

[遠くの街で]
 その街には一年に一度、悪魔が放たれる。
 そして、選ばれた者がその悪魔を退治する。
 今年選ばれたのは僕だった。

 退治者に与えられる時間は二十四時間。この時間内に悪魔を退治して、その生き血を飲まなければ僕は死ぬ。そういうルールになっ
ている。こんなことがいつから始められたのか街の人達は誰も覚えていない。かつてはそれなりに理由があって意味のあることだった
のだろうけれど、今となってはもう誰もそんなことを気にする人はいない。ただ毎年のことだから続けられている。悪魔がどんな姿を
していて何処に潜んでいるのか誰も知らない。退治する選ばれし者が悪魔を見つけ出して、誰の力も借りずに退治しなければならない。
それが昔からのルールだった。
 今年の退治者に僕が選ばれたという通知がきたのは秋の晴れ上がった青空が空いっぱいに広がる日曜日だった。その日僕は午前中に
洗濯をして洗い物をベランダに干したあと、午後は近くの河原を散歩していた。いつも歩く散歩コースだ。コスモスの花が咲き乱れる
いつもと同じ時間が流れている中、僕は数人の男に取り囲まれた。そして、その中のボスらしき黒服の男から一枚の紙を見せられた。
 その男は無言だった。しかし、その一枚の用紙を見れば自分に何が起こったのかは、すぐに理解できた。その紙は今年の悪魔退治を
命ずる通達書で、そこには間違いなく「アイハラ」という僕の名前が書かれていた。
 今年はもしかしたら自分かもしれない、という恐れがなかったわけではない。でも、実際に現実として自分の身に起きると、やはり
驚きと戸惑いでその場で身体が固まってしまった。

 僕が生まれ育ったこの街は周囲を風に囲まれている。人が吹き飛ばされてしまうくらいの強い風だ。誰もこの街から外に出て行くこ
とはできない。誰もこの街に外から入ることは出来ない。一年に一度放たれる悪魔を除いては。
 その悪魔は人々を喰ってしまう。文字通り心も身体も全てを貪り喰ってしまう。あとには血溜まりが残るだけだ。毎年大勢の人々が
犠牲になる。惨劇の痕はテレビ映像となって街の人々全員に伝えられる。悪魔の姿はテレビには映らない。映っているのかもしないけ
ど街の人々にその姿を見ることはできない。選ばれた退治者だけが悪魔と対峙してその姿を見ることができる。好むと好まざるとに関
わらず退治者は悪魔の正体を知ることが出来る。
 何故そんなことが続けられているのか?さっきも云ったように誰にも分からない。そもそも悪魔とは一体何物なのか?一体誰が何の
目的で毎年毎年この街にあんな邪悪なものを解き放つのか?
 僕はこの街にやってきて今年でちょうど三十年目だ。両親がいるのかどうかは分からない。いや、いることは間違いないだろう。僕
がこうして生存しているのだから。でも、何処にいるのか、今も生きているのかは分からない。僕にはこの街にくる前の記憶がない。
この街に来る前、僕は何処にいて何をしていたのかを全く覚えていない。僕だけじゃない。この街の人達は皆この街に来る以前のこと
は記憶に残っていない。
 風の壁に穴が開く。
 その穴から人が落ちてくる。
 そしてその人はこの街の住人になる。
 この街の住人は誰もが皆過去の記憶をもたずに一人で暮らしていく。
 そして一人で死んでいく。

 この街の住人の死に方は二通りしかない。悪魔に喰われるか、悪魔を退治して悪魔の生き血を呑み生き長らえて年老いて死ぬか。で
も、今まで悪魔に勝ったいう話は聞いたことがない。退治者は誰もが皆悪魔に戦いを挑んで負けてしまったのだ。喰われてしまったの
だ。この街に住んで二十年を超えれば誰でも退治者に選ばれる可能性がある。それまでに喰われて死んでしまう人の方がずっと多数だ
けれど。僕は長生きできたほうだ。そして、最近考えることはこうだ。
 この街は悪魔の餌場なんだ。

 悪魔との対決は通達をもらったその日の真夜中十二時からスタートされる。その日は悪魔日と指定されている日だ。悪魔日には街の
人々は誰も外を出歩かない。二十四時間息を潜めて家の中にじっとしていて悪魔が過ぎ去るのを待つしかない。しかし、選ばれた退治
者はそうしてはいられない。自ら動いて悪魔を見つけ出し退治しなければならない。二十四時間、悪魔に見つからずに済んだとしても、
悪魔を退治できなければ退治者は悪魔の日が終わったその瞬間に消滅してしまうらしい。おそらく通達書を持ってきたあのボスらしき
黒服の男が僕を殺しにやってくるのだろう。
 さっきも云ったように僕は一人ぼっちだ。自分が今年の退治者に選ばれたことを伝える人はいない。
 
 僕は悪魔を求めて夜の街を彷徨い歩いた。満月の夜だった。青白い月明かりに照らされた街には濃密な夜の時間が流れていた。この
闇の中に悪魔は息を潜めて獲物を待っているのだろう。どうすれば悪魔に出会うことが出来るのか、僕にはまったく分からなかった。
そのような有益な情報は、この街の何処を探しても流れてはいない。誰も教えてくれない。誰もそんなことは知らないのだから。
 遠くの空に目をやると、この街を取り囲んでいる強い風の壁が月明かりを吸い込んで空気を歪ませているのが見えた。誰もこの街か
ら出て行くことはできないんだ。でも、もしあの強い風に乗ることが出来たら、この街からの脱出も出来るのだろうか。いや、無理だ
ろう。空高く舞い上げられてその後は地面に叩きつけれらるだけだ。
 気がつくと僕は小学校の校庭に来ていた。風の壁の穴を通って子供もこの街にやってくる。その子たちの為の学校もこの街には用意
されている。夜の学校には人はいない。悪魔も獲物がいない場所には現われないだろうと思って、僕は校庭から出て行こうとした。そ
のとき音が聞こえた。ピアノの音だ。小さな微かな音がゆっくりとしたメロディーを奏でている。夜の学校の誰もいない音楽室から聞
こえてくるという、ありふれた怪談話は何度も聞いたけど実際に自分がそのような状況でピアノの音を耳にすることになるとは思わな
かった。僕は校舎に向かった。悪魔がピアノを弾いているのだろうか?と思いながら。
 僕はピアノの音が聞こえてくる音楽室を探した。三階建て校舎の三階の一番端に音楽室があった。音楽室に近づくとピアノの音が大
きくなってきた。どこかで聞いたことのあるメロディーだけれど曲名を思い出すことは出来なかった。音楽室のドアの前に立った。僕
はピアノを弾く悪魔の姿を想像しながら覚悟を決めてドアを開けた。
 蛍光灯のまぶしい光に一瞬目がくらんだ。ピアノの前には小柄な少女が座っていた。黒いピアノに対照的な真っ白なワンピースを着
ている。僕が入ってきたことに気付くこともなく一心に鍵盤を叩いている。そんな少女の横顔を見ながら僕は声をかけることも出来ず
にピアノの音に聞き入っていた。
 どのくらい時間が経っただろうか。気がつくとピアノの音は止んでいた。真っ白な少女は僕を見ていた。
「こんばんは、わたしも選ばれたの。悪魔の退治者に」
 鈴のような透き通る可愛らしい声だった。

 選ばれる退治者は二十歳以上の人間だと思っていたけど違ったようだ。それに、毎年一人だけ選ばれるということも。確かに、しっ
かりとした文章でルールが決まっているわけではない。長年の経験で街の人達が勝手に決め付けていたことだ。それにしても、こんな
小さな女の子が選ばれるなんて。僕はあまりの驚きにしばらくの間ぼうぜんと立ち尽くし、目の前に立つ少女を見つめていた。すると、
少女の顔に困惑の影が広がった。
「どうしたの?もしかして、あなた、喋れないんじゃ……?」
 「あ、いや、違う違う。大丈夫、声はちゃんと出るよ」
 僕は慌てて否定した。
 「ああ、良かった。全然喋らないんだもん。心配しちゃった。二十四時間よろしくお願いします」
 少女の顔に笑顔が戻り右手を差し出してきた。
 「あ、うん、こちらこそ、よろしく」
 ぎこちない動作で少女の右手を握った。心の動揺はまだ消えない。少女の手は冷たく小さかった。
 音楽室の時計は二時をまわっていた。夜の闇は濃くなっている。悪魔の気配はまだ感じられなかった。僕と少女は音楽室の階段状に
なっている席の一番前に座っていた。
「どうして音楽室にいたの?」僕は少女に訊いた。
「授業が終わって帰ろうとしたんだけど、真っ黒な服を着た変なおじさん達に囲まれちゃって。で、この紙を渡されたの」
 少女はポケットから四つ折にされた白い紙を取り出した。僕も渡された通達書だ。
「それなら僕も持ってるよ」
 僕もポケットから出して少女に見せた。少女はそれを見るとにっこり微笑んで
「わたしと同じね。それでね、家に帰っても一人だし、選ばれてしまった以上、もうあの家にも帰れないし……」
「帰れないと決まったわけじゃないよ」
「そうかもしれないけど……。わたし、悪魔なんかと対決したくない。わたしまだ十歳よ。こんな子供に悪魔なんて退治できるわけな
いじゃない」
 僕もそう思う。悪魔がどんな存在かは分からないけど毎年何人も犠牲者が出ているのだ。それに、退治に成功したという話も耳にし
たことはなかった。
「だから、わたし、このまま悪魔退治の時間が過ぎるまで、好きなピアノのを引いていようと思って。今日は学校休みだし。ピアノを
弾いたまま悪魔に喰われてやろうと思って……」
 少女の顔に再び暗い影が降りた。
「でも、よかった。わたし一人じゃなかったのね」
 暗い影はすぐに消えて少女は笑顔に戻った。
 その時、突風が窓ガラスを叩いた。何かが通り過ぎていくように。
「ねぇ、悪魔ってどんな奴だと思う?」
「分からないよ。まったくね」
「どうやったら退治できるんだろう?」
「それも分からない。僕たちにはなんのヒントも与えられていないんだよ。ただ悪魔を退治しろ、と言われているだけでね」
「ねぇ、どうする?このままここにずっといるの?」
 時計を見ると時刻は間もなく四時になろうとしていた。残された時間はあと二十時間ほどある。今は秋だ。夜明けまであと一時間以
上あるだろう。何の確信があるわけでもないけど悪魔と対決するのは夜よりも昼間のほうがいいのではないか?太陽の光が味方をして
くれるような気がする。
「朝になるまで、ここでこうして……」
 ここまで声にしたとき、静寂に包まれていた夜の街に悲鳴が響き渡った。
 いくつかの長く尾を引く断末魔が重なって聞こえてきた。少女は僕を見ていた。その目には恐怖の色が滲んでいた。けれど、少女は
声を震わせて「行ってみる?」と僕に同意を求めるように問いかけてきた。僕は無言でうなづいて立ち上がった。少女も立ち上がった。
夜明けを目前に控えた夜の闇の中に僕たち二人は出て行った。

 断末魔のような悲鳴は長く尾を引きながら夜明け前の空気を震わせていた。僕と少女は声のする方向に足を進めた。その道は街の東
のはずれにある公園に向かっていた。公園にはテントで生活している人達がいるはずだ。
 公園の噴水広場が惨劇の現場だった。常夜灯に照らせらた噴水の水が赤く染まっている。犠牲となった人達の身体があちらこちらに
散らばっていた。悲鳴はもう聞こえない。赤く染まった噴水の水の音だけがむなしく響いていた。少女は両手に顔をうずめてうずくま
ってしまった。僕は血の匂いの中にぼうぜんと立ち竦むしかなかった。ここにはもう悪魔はいないようだ。新たな獲物を求めて何処か
に行ってしまったのだろう。
 間に合わなかった。いや、間に合ったとしても、いったい何が出来るのだろうか?僕も少女も、ここに散らばる肉片の仲間入りをす
るだけだ。うずくまる少女の肩に手を置いて僕も同じようにしゃがみこんだ。
「ここにはもういないようだよ。別な場所に行こう」
 と声をかけたとき背後に人の気配を感じた。急いで振り向くと、そこにはあの黒服の男が立っていた。通達書を僕に渡したあの男だ
った。男は僕たち二人に近づいてきた。そして、目の前まで来て立ち止まった。
「あなたはこの街の住人ではありませんね」
 僕はその男に訊いた。
「何処から来たんですか?できるなら悪魔について知っていることを教えて欲しい」
 どうせ教えてはくれないのだろうと半ば自棄になって僕は質問を投げかけた。でも予想に反してその男は語り始めた。  
「この街がいつ作られて、いつから悪魔が解き放たれるようになったのかは私にも分からない」
 感情がまったく感じられない平坦な声だった。
「でも、あなたが僕に命じたんだ。悪魔を退治しろと」
 僕はあの通達書をポケットから取り出して丸めて男に投げつけた。紙は男の右足の脛にあたって地面に落ちて風に吹かれて飛んでい
った。
「それは正確ではない。私は君たちに通達書を渡しただけだ」
「それじゃあ、いったい誰が……、悪魔なんてものを、この街に……」
「もうずいぶん昔に決められたことなんだよ。ずっとずっと昔にね。誰にも逆らうことはできない」
 感情のなかった男の顔に暗い影が落ちたような気がした。
「悪魔を倒す方法は?どうすればいいんですか?」訊いたのは少女だった。
「それは私にも分からない。知っていたとしても、私には教えることが出来ないんだよ」
 男の顔に苦悩の色が窺えた。それは僕の気のせいだったかもしれない。
「あなたは別の街から来たんでしょ」少女は黒服の男に食い下がった。
 男は黙ったまま頷いた。
「それじゃあ、この街への出入り口があるんですね」
「それは、確かにある。しかし……」
「教えることは出来ない、ですよね」
「教えたとしても、君たちはその扉を通ることは出来ないんだよ」
「悪魔についても、情報は何も与えてもらえないんですね。どんな姿をしているのかとか……」
「申し訳ないが……」男は残念そうに云った。
 これ以上この男と会話を続けても得るものはない。僕は少女に「もう行こう」と声をかけて男に背を向けて歩き出した。少女もつい
てきた。公園の出口まであと数メートルというところで、男の声が背後から聞こえてきた。
 「私の仕事は、君たち二人がどうなるかを最後まで見届けることだ。手を貸すことは出来ないけれど、諦めずに頑張って欲しい。私
も、もうこんなことは終わりにしたいんだよ」
 僕と少女は振り向くことなく公園の出口に向かって歩き続けた。東の空の色が変わり始めている。朝が来る。

「おなか空いたね」少女が云った。
 僕たちは駅前の広場に来ていた。太陽が昇ってから二時間ほど経過している。空は青空だ。駅前の人通りはほとんどない。ときおり
急ぎ足で通り過ぎる人がいる。今日は悪魔の日だ。ほとんどの人が家で息を潜めて今日という一日が過ぎるのを待っているのだろう。
悪魔の日は電車も走らない。
「これからどうするの?」少女が訊いた。
「ここで待っていても悪魔は出てこないみたいだな」
「そうね。もっと人がいるところに出るんじゃない?昨夜の公園みたいな」
 あの公園には家のない人達がテントを張って生活をしていた。悪魔はそこを狙ったのだ。他に悪魔の日でも人が集まるところがある
だろうか?しばらく考えてみたけれど分からなかった。
「とにかく街の中を歩いてみよう。そうすれば何か起きるだろう」
 そう云うと少女は先に立ち上がって歩き始めた。僕も後をついて歩き始めた。空は目に沁みる青が広がっていた。こんな素晴らしい
日に悪魔が出るなんて信じられなかった。街はあきれ返るほど静まり返り歩いている人には出会わなかった。僕も毎年悪魔の日には外
に出なかったから、まあ、こんなものなんだろうなと予想はしていたけれど、静寂に包まれて太陽の光が降り注ぐ明るい街は、どこか
不自然な存在のような気がした。
 歩いているうちに僕は、この街自体が悪魔そのものではないかと感じてきた。あの黒服の男に会ってもう一度訊きたかった。悪魔と
はいったい何物なのかと。
 僕たち二人は気がつくと街の公会堂の前に来ていた。人が二百人ほど入る小さなホールだ。週末になると人々が集まってコンサート
や芝居などが開催されている。僕も何度か来たことがあった。悪魔の日の今日は、とうぜん何も催されていないと思ったのだけれど、
公会堂の入り口には数人の男女の列が出来ていた。その列の横には手書きで書かれた看板が立てかけられていた。
 そこには『悪魔の日をなくせ!!』と書かれている。
 列は今しも公会堂の入り口に吸い込まれるように入っていくところだった。僕と少女は顔を見合わせるとお互いにひとつうなづき合
ってその列に向かった。列の一番最後にいた僕よりも若そうな男に声をかけた。
「ここでいったい何をするんですか?」
 突然声をかけられた若い男は驚いて振り返った。背後から声をかけられるとは思っていなかったのだろう。
「何って?これを見れば分かるだろう」
 男は語気を強くして『悪魔の日をなくせ!!』の看板を指差して云った。
「ここに集まった人達で、悪魔の日をなくすことが出来るんですか?あなたたちはその方法を知ってるんですか?」
「そ、そんなこと知るわけないだろ」
「それじゃあ、ここに集まっても無駄なだけじゃ……」
「そんなことを云ってるから、駄目なんだ」
 若い男はさらに語気を強めて声を荒げて語り始めた。少女は怯えて僕に身体を寄せてきた。
「こんなことをいつまで続けるつもりなんだ。毎年毎年、何人もの人の命を奪われて、あの悪魔だかなんだか知らないが、得体の知れ
ない奴に……。いつから続いているのか分からない。誰の命令で続けられているのかも、誰にも分からない。我々はビクビクと怯えな
がら息を殺してこの悪魔の一日をやり過ごすしかない。こんなことは絶対に止めさせなきゃいけないんだよ。あんたもそう思ったから
ここに来たんだろう」
「いや、僕はたまたま通りかかっただけだ」
 興奮している男の目の色が変わった。
「それじゃあ、あんたは……今年の退治者なのか?その女の子も?」
 若者は首を激しく左右に振りながら僕と少女を凝視した。
「ああ、そうだよ。希望したわけじゃないんだけどね」
「こっちに来るな!!おまえ達退治者は悪魔をひきつける。悪魔退治はよそでやってくれ」
 ほとんど悲鳴のような声で若者が云ったとき公会堂内部からそれを上回るいくつもの悲鳴が響いてきた。どうやら悪魔は次の餌場を
見つけたようだ。若者の顔は青ざめていた。さっきまでの勢いは何処かに行ってしまったようで、身体が小刻みに震えている。少女は
僕の顔を見ている。両手で僕の左手を強く握っていた。少女の目が、行ってみようと云っている。僕も無言でうなづいて公会堂の中に
向かった。動けなくなった若者に「家に帰って隠れていろ」と云い残して。
 悪魔の食事の時間は終わっていた。
 公会堂の客席は夜明け前の公園以上の惨劇の場となっていた。悪魔の食べ残しが、あちらこちらに点在していた。むせ返るような血
の匂いが充満している。またしても悪魔の正体を見破ることが出来なかった。敵がどんな奴だか解らなければ退治なんて出来るわけな
いじゃないか。僕はあの黒服の男にありったけの怒りをぶつけてやりたかった。今、確かな形として現れている敵はあの男しかいない。
少女は静かにすすり泣いていた。
「ここはもう終わった。行こう」
 そう云って少女を連れて客席を出て行こうとしたとき風が吹いてきた。少女の髪が揺れている。窓が無い客席に、どうして風が?と
不思議に思った瞬間、風は突風となり僕と少女を激しく揺さぶった。少女を左腕に抱え右手で椅子にしがみついて飛ばされるのを必死
に堪えた。悪魔の喰い残しの肉片が風に飛ばされて僕にぶつかってくる。目を開けていることもできなかった。左腕の中の少女も目を
閉じて懸命に耐えている。しかし、この風は強すぎる。強風の音と一緒に低い唸るような咆哮が聞こえてきた。
 わずかに目を開いて見てみると、風はひとつの黒い影になり、その影はしだいに巨大な人の形になっていった。
 悪魔はそこにいた。僕の目の前にそびえ立っていた。黒い大きな影の塊だ。空気を震わす咆哮を上げながら僕と少女を見下ろしてい
る。黒い影の顔の部分に黄色く光る二つの目がある。コイツには僕と少女が今年の退治者だということが解るのだろうか?いや、解ら
ないはずだ。僕とこの少女は無作為に偶然選ばれただけだ。でも、もしかしたら何か理由があるのか?そこまで考えたとき僕の頭の中
にある考えが浮かんだ。それは、直感的に浮かんできたというより、あの黄色く光る二つの光が、僕に語ってきているようだった。
 この悪魔は悪霊たちの塊だ。生きてはいない。もう死んでしまった悪心の集合体だ。あちらの世界で一年間育てられて、この街に放
たれるのだ。この街に住んでいる僕たちは、僕が思ったとおり奴の餌なんだ。
 僕たちもかつてはあちらの世界の住人だったのだ。それが、何かをきっかけにして、この餌場の街に送り込まれたのだ。
 影が動いた。
 影の長くて大きな右手が僕と少女に向かって伸びてきた。ものすごい速さだ。僕は少女を左腕に抱えたまま、その黒い長い腕から逃
れようと右側に身体を動かした。しかし、その動いた先に今度は奴の左腕が風を切って伸びてきた。その左腕の影は僕の目の前の椅子
にぶつかり椅子をこなごなに砕いた。降り注ぐ椅子の破片から少女を守るように、僕は身体を盾にした。破片のひとつが右腕に刺さる。
少女は悲鳴をあげながら僕の身体にしがみついている。僕は影から逃れるために客席の出口を探した。後ろの出口が一番近い。そちら
に向かおうとすると今度は奴の右腕に進路を阻まれる。身動きができなかった。右腕に続いて左足のふくらはぎにも痛みを感じる。そ
れでも少女を抱えて這いつくばりながら出口を目指した。しかし、僕の努力もあえなく潰えてしまう。奴の左手に捕まり投げ飛ばされ
てしまう。
 そして、少女が奪われた。悪魔の右手に捕らわれた少女は気を失っている。
「ま、待て、待ってくれ。その子は喰わないでくれ。まだ、ほんの十歳なんだよ。お願いだ。食べるのなら僕を……」
 悪魔の動きは止まった。しかし、右手に持った少女を手放す気配はない。物問いたげな黄色の目の光を残して悪魔は公会堂の天井を
突き破り、そして、去っていった。少女と一緒に……。
 外に出ると太陽は西の空に傾いていた。もうすぐ夜になる。もうあまり時間は残されていなかった。悪魔がどの方向に去ったのか探
ろうとして僕は空を見上げた。何処にも悪魔の黒い影は見えなかった。一日の最後の太陽の黄色いまぶしい光が地面いっぱいに降り注
いでいる。悪魔の目と同じ黄色い光だ。何処へ向かって行けばいいのか解らなかった。気配を感じて横を見ると公会堂へ入る前にいた
あの若者がまだ同じ場所に佇んでいる。呆けたように空を見上げている。僕は彼に走りよって訊いた。
「見たんだろ。悪魔の黒い影を!。どっちへ行った?何処へ飛んで行ったんだ?」
「あ、あれが、悪魔なのか?」若者の声が震えている。
「ああ、そうだよ。どっちに飛んで行ったんだ?教えてくれ」
「あ、あっちだ」
 彼は右手の人差し指で日が沈もうとしている西の空を指差した。声と同じように指も震えていた。
「間違いないんだな」
 僕は念を押した。若者は小刻みに首を縦に動かして間違いないということを告げてきた。
「ありがとう。今度こそ早く帰って、家の中で大人しく隠れていたほうがいい」
 僕は若者にそう云って沈み行く太陽に向かって夕日を浴びながら走り出した。
 走りながら考えた。悪魔を倒す方法を。あいつは影だ。たとえ拳銃などの武器があったとしても、何の役にも立たないだろう。街の
人々の間で云われてきた、悪魔を退治して生き血を飲まなければならない、ということも真実ではない。影に血は流れていないだろう。
どうすればいい?退治することができないのであれば、悪魔をどこか他の場所に……。でも、どうやって?あの少女はもう悪魔に……、
それは考えたくなかった。椅子の破片が刺さった左足が痛かった。右腕からも血が流れている。もう走れそうになかった。まだ悪魔に
追い着けない。このまま進めば風の壁にぶつかってしまう。風の壁かぁ……、あれを乗り越えることができたら。あ、そうか、もしか
したら……。
 僕は急停止した。目の前に少女が倒れていた。

 僕は泣き続ける少女に諭すように云った。
「君は学校に帰るんだ。音楽室でピアノを弾き続けてくれ」
「あなたはどうするの?」
「僕は風の壁に行く」
「風の壁?」
「ああ、そうだ。この街を……、悪魔の餌場の街を取り囲んでいる風の壁。あそこにこの街の出口がきっとあるはずだ。悪魔を出口か
ら追い出して、あちらの街に追い返してやる」
 僕は走りながら考えたことを少女に伝えた。
「そんなことできるの?」
「わからない。でも、やってみるよ」
「わたしも一緒に……」
「いや、それは駄目だ」
「どうして?わたしも選ばれた退治者なのに」
「足手まといってわけじゃないよ。君が、退治者として選ばれた理由がわかったような気がするんだよ」
「わたしが選ばれた、理由?」
「うん、君のピアノは、悪魔を遠ざけるような気がする。だから、引き続けてくれ。僕が悪魔を追い返すまで。タイムリミットの今夜
の十二時まで」
「うん、わかった」
 少女は学校に向かって歩き始めた。僕はその背中を見送った。
 何故、悪魔が彼女を喰わずに解放したのか?おそらくあの少女は、あの悪魔に対して何らかの免疫を持っているのだと、僕は思う。
初めて彼女に逢った数時間前の真夜中に、あの悪魔は音楽室のそばを掠めていたのだ。しかし、僕と少女は悪魔に襲われることなく無
事に済んだ。それは、彼女が持っている力……、たぶん少女が弾くあのピアノ……、間違いかもしれない。僕の単なる思い過ごしかも
しれない。でも、それに賭けてみる価値はあると思う。げんに悪魔の奴は少女を喰うことなく手放したじゃないか。彼女が弾くピアノ
の音がこの街のすみずみに響き渡り、悪魔を追い出すことに希望を込めて、僕は風の壁に向かった。

 風の壁に近づいてはいけない。
 あの強い風に吹き飛ばされたら二度と地上に戻ることはできない。
 宇宙の果てまで吹き飛ばされてしまう。
 これがこの街の人々の間で交わされている言葉だ。僕も何度も耳にしているし、自分で声に出して云ったこともある。でも、それは
きっと嘘だろう。僕たち街の住人たちを……、いや、この際はっきり云ってしまおう、悪魔の餌を、この餌場の街から逃がさないため
の呪縛の言葉だ。
 風の壁が近づいてきた。悪魔の咆哮のような風の音が、空気を震わせて聞こえてくる。
 陽は沈みあたりには再び夜の匂いが漂っている。悪魔の日が終了するまで、あと五時間ぐらいだろうか?急がないといけない。間に
合うだろうか?
 もう道はなかった。風の壁は雑草の生い茂る草原からいきなり垂直にそそり立っていた。この風の壁の何処かに、あちら側の街と繋
がっている通路があるはずだ。あの黒服の男は確かに云った。出入り口はあると。あるとしたら風の壁のどこかだ。今の僕には他の場
所が思い浮かばなかった。僕は自分の直感を信じて風の壁に沿って時計回りの方向に歩き始めた。
 この街の周囲はどのくらいの距離があるのだろうか?僕には解らなかった。この街に来てからら一度もこの街の地図を見たことがな
い。きっと地図自体が存在しないのだ。地図があればこの街の誰かが出口を見つけてしまう。それを恐れてあちらの街が規制をしたの
だ。
 どれくらい歩いただろうか?扉らしきものはまだ見当たらない。左足の痛みが激しくなってきた。もう長くは歩けそうもなかった。
このままタイムリミットを迎えてしまうのだろうか?そうなったとき、あの黒服の男が現れるのだろう。悪魔と一緒に、僕を殺すた
めに……。
 風の壁は何処までも果てしなく続いているようだった。街をぐるりと一周取り囲んでいるのだから、もしかしたら、出口の扉を見つ
けることができずに、もう何周も歩き続けているのかもしれない。無駄な努力なのか?所詮僕には悪魔をこの街から追い出す力は無い
のかもしれない。でも、それでも、僕は出口を求めて歩き続けた。
 気がつくと目の前に黒服の男が立っていた。背後に影の悪魔を従えて。
「時間切れかい?」僕は男に訊いた。 
「あと五分だ」男は云った。
「悪魔を退治するなんてことは、できないんだろ。それは単なる名目で、毎年退治者を選ぶのは悪魔の餌である街の住人達を、それと
気付かせないための方策なんだろう?」
「我々の街は、この街を必要としている。そうだよ。君が気付いたようにこの街は、悪魔の餌場だ」
「そして、僕たちこの街の住人は、かつてはあんた達の街に住んでいたんだろ?」
「餌になるべき人を、無作為に抽出してこの街につれてきて、悪魔の餌として飼育しているんだよ」
「どうして、そんなことをするんだ?」
「悪魔には餌が必要だからさ」
「そうじゃなくて、あんたらの街に、どうして悪魔なんかが存在しているんだ?」
「それは私にも分からない」
 無表情だった男の顔に、ほんの一瞬、哀しみの影が降りたような気がした。気のせいだったかもしれない。
「時間だ」
 つぶやくように男は云った。そして、風の壁に向かって黒服の男は歩き出した。強い風に飛ばされることなく男は風の壁の中に消え
た。
 悪魔が僕に襲いかかってきた。
 ピアノの音が聞こえる。
 少女が引き続けるピアノの音が……、そうかあ、あの娘は助かったんだな……。
 悪魔が僕に向かって突進してくる。
 足が痛くて、もう逃げることはできない。
 悪魔の右手が僕の左腕を掴んだ。
 僕は最後の力を振り絞って、悪魔を引きずるようにしながら、風の壁に向かって進んだ。
 強い風に身体が包まれる。
 僕は悪魔と一緒に空高く舞い上がっていった。
 少女の笑顔を想い浮かべて、ピアノの音を聞きながら……。
 
 気がつくと僕は暗闇の中を漂っていた。
 自分の手足も見えない光が全くない本当の暗闇だ。
 僕は意識だけの存在になってしまったのかもしれない。
 そんな僕の意識の中に声が聞こえてきた。
「この宇宙のこの世界の秩序を保つためには悪魔は必要なんだよ」

 風の壁の穴を通り抜けて僕の意識は地面に向かって落下していく。

文字数:12909

内容に関するアピール

ご一読いただければ幸いです。
2期から引き続きの3期受講でした。2年間ありがとうございました。

文字数:46

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