アンダーグラウンド・メモリーショウ

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アンダーグラウンド・メモリーショウ

わたしの声に振り向いたヒナの顔には、素朴な少女らしい面影はほとんどなかった。
「こいつは、わたしの世界を壊したんだ!」
 ヒナは、腕を振り回しながら唾を飛ばした。
 床に膝をついたわたしは、泣き叫ぶハルトの肩に手を置いた。
「ハルトは無事だよ」
「違うよ、違うよお」
 ヒナは歯を食いしばり、ナツメグに向き直る。
「許さねえ」
 うなるようにそう言ったヒナを見たナツメグは、いつものように白い顔で、唇をひん曲げていた。困ったな、とでも言いたげに。

彼は、白い瓦のような顔をした大男だった。年齢は三十から五十くらい。わたしの観察眼が乏しいからこんなもんだ。電話で聞いた声は、平凡なオフィスワーカーみたいだったけれど、見た目は休日の肉体労働者みたいな印象だった。黒いパーカーの袖からはシルバーに青い文字盤の腕時計がのぞいている。
 看板すら出ていないが、事務所なのだろうと思った。コンクリート打ちっ放しで物が少なく、ナツメグのほかには、安さが売りの複合商業施設の服飾売り場にある、黒髪ロングヘアのかつらをかぶせたマネキンのような若い女が一人いるだけ。
日向雪湖ひなたゆきこさん、ご本人で間違いありませんね」
 ナツメグという変な名前を名乗った男は、携帯端末でわたしのチップ情報を確認して言った。
「はい」
 わたしは、硬いソファーの上でそわそわしていた。
「あのー」
「こちらにサインをお願いします」
 彼は事務的にタブレット端末を低いテーブルに載せた。
 わたしは、画面に並んだ細かい字を一瞥してから目を上げる。
「あの、お金は?」
「売り上げの四割をお支払いします。あなたの経験ですと、一週間で四十万から六十万はお約束できると思いますが」
「本当ですか? なんでそんな高額……」
「いろいろな需要があるんですよ」
 彼は当たり前のように言う。わたしには理解できないけど、そういうものなのかも。とりあえず必要なことだけ尋ねよう。
「一週間後に、口座に振り込んでくれるんですか?」
「いえ、現金手渡しで」
「現金!?」
 現金なんて、ヤクザ映画とかギャンブル映画とかの中でしか見たことないよ。いかがわしい取引に使われる、変な人の肖像が印刷された小汚い紙でしょ?
「冗談です。危ない商売じゃありませんよ」
 ナツメグは「ハッハ」と笑い、「口座情報はすでにチップから読み取らせていただきました」と、携帯端末を持ち上げた。
 少しためらったわたしの様子を見て、ナツメグは軽く言う。
「個人間の記憶売買は四年前に非合法化されましたが、企業が介入した売買は今も合法なんですよ。安心してください」
 そんなこと言っても、やっぱり怪しすぎる。いきなりなんのつながりもないわたしの携帯端末に電話をかけてきて、「記憶を売りませんか」なんて。個人情報保護はどうなってるんだ。わたしの過去まで知ってるなんて。児童相談所かなんかの記録を調べたのかもしれない。法律のことはわからないし、教育や一部の研究のためには今も記憶売買が行われているのは知っているけど、絶対違法っぽいよ。
 でも、どうでもいいか。楽して大金を得られるまともな方法なんてないだろう。ましてや、わたしはしがないアルバイター。一生懸命働けば、低学歴だろうが非正規雇用だろうが、たくさん稼ぐことも可能かもしれないけど、わたしは生来の怠け者で社会のクズなんだ。休みながら「休みてえ……」って思ってるくらいだし、ちょっと疲れてきただけで、「休まなくちゃ」ってものすごい焦燥感に襲われる。働くことが喜びみたいな人には、こんな感覚は絶対に理解してもらえないんだろうな。
 四十万あれば、しばらくは無職生活を謳歌できる。この四角い仮面をかぶった悪党は、わたしの今までのつらい生活を見ていた神様が遣わした天使かもしれない。
 わたしがタッチペンでタブレットの画面に書き込み終わると、ナツメグはタブレットを雑に横のデスクに載せた。
 これから売る記憶に関する質問にいくつか答えたあと、ナツメグが「おい」と声をかけると、向こうのデスクにいたマネキン女が立ち上がって近づいてきた。その手には、巨大なコガネムシのようなものが握られている。
「なんですか? それ」
 ナツメグも女も無表情で、答えなかった。女の大きな目が射程を合わせるようにわたしを捉えていて、わたしは思わず身を引いた。
 女がわたしの髪を乱暴につかんだと思ったら、激痛が頭頂部を襲った。悪い予感的中、と思った瞬間、そこで記憶は途切れた。

夢から覚めた気がした。怪しい男に記憶を売りに来た夢を見ていたのかと一瞬思ったけれど、そこは事務所で、わたしはソファーに座っていた。
 頭頂部に衝撃を受けたことを思い出して、触ってみた。ごわごわする感触。バッグから手鏡を取り出してのぞくと、頭にガーゼを貼りつけた間抜け面の女がいた。
「なにこれ?」
 女は姿を消していて、ナツメグは、向こうのデスクでパソコンを開き、なにやら作業をしていた。
「あー気がついた? もう帰っていいよ」
 目を上げもしない。さっきと態度が違いすぎる。
「ちょっとこれ大丈夫なんですか?」
 わたしは自分の頭を指差す。
「大丈夫大丈夫。みんなやってるから」
「みんなって誰?」
「頭の穴は二、三日でふさがるから。頭洗うのは自己責任で」
「穴!?」
 不思議と痛みはないけれど、むずむずするような違和感がある。
「どういうこと?」
「記憶を取らせてもらった。脳内のチップの情報をコピーさせてもらっただけだから、記憶は消えてもいないし劣化もしてないよ」
「お金は?」
「一週間後に振り込む。金額に不満があったら、電話するなり、ここに来るなりして。俺はいつもここにいると思うから。あ、鎮痛剤とかガーゼとか消毒代は報酬から差し引かせてもらうよ。ハッハ、冗談」
「ちょっと待ってよ、頭に穴開けるなんて聞いてないんだけど。契約書の控えちょうだいよ」
「お引き取りください」
 背後から女に声をかけられ、わたしはビビッて振り向いた。長い髪に囲われた顔の、ぱっつん前髪の下にある機械みたいな目。気味が悪い。
「お金払ってくれなかったら、警察行くからね!」
 わたしは安物のバッグをひっつかみ、逃げ帰った。

帰りに電車の改札を通ろうとしたら、ビーっと初めて聞く音が鳴り、通れなかった。窓口にお回りくださいとメッセージが出たのでそうすると、チップの不具合だと思われますと言われた。駅員は、怪訝そうな表情をしていた。生まれてきて二十四年、ずっとチップとともに生きてきて、こんなことがあったのは初めてだ。そもそも、こんなふうに改札でとまる人なんて、見かけたことがない。
「お客さん、チップを二つ入れてますね。二重挿入は誤作動の危険があるからされないはずなんですけど、なにか特別な事情でも? いえ、個人的なことをお聞きするつもりはないんですが。とりあえずチップ番号が確認できましたので大丈夫ですが、一応、チップの会社に問い合わせたほうがいいかもしれませんね」
 心配そうにしてくれた駅員におざなりに礼を言い、わたしは呆けたように改札を通った。二重挿入ってなんだよ。
 あの変な巨大コガネムシみたいなものは、チップを打ち込むための機械だったってこと?
 家の最寄り駅で電車を降り、アルバイト先でもあるコンビニで買い物をした。出口から出ようとした時、踏み出した足に抵抗がかかった。ん、ん、と空中を何度か踏み、やっと出ることができた。なんなの……とコンビニを振り返った時、気づいた。これも、チップの不具合だ。
 昔の映画やドラマなんかを見ると、お店にはレジというものがあって、そこでカードや携帯端末を変な小さな台に触れさせてピッとするシーンなんかがある。かつてはそんな面倒くさい方法で会計をしていたらしいけれど、今はそうじゃない。チップは口座と直結していて、お店の出入り口に設置されたゲートが商品についたタグとチップの情報を読み取り、ゲートをくぐった瞬間に決済される。駅の改札も同じ仕組みだ。
 さっきの抵抗は、きっと電磁シールドだ。決済に少し時間がかかったから、ゲートが待ったをかけたのだ。そういう機能があることは知っていたけれど、実感したのは初めてだった。通常は、決済に普通の人間が感じ取れるほどの長い時間がかかることはあり得ない。
 わたしはこわくなった。チップがおかしくなるということは、頭がおかしくなることだ。生まれた直後から脳に引っ付いていろいろなことをしているものが壊れたら、どうなってしまうのかわからない。今はまだこの程度で済んでいるけれど、これからどうなるの。みんながみんなチップを入れているのに、わたしだけこんなことってある? ひどすぎる。
 あいつのせいじゃん。頭に変なことされたせいじゃん。

「どうしてくれんの?」
 昨日の今日で、まだ頭頂部にガーゼを貼りつけたままのわたしは、デスク越しに身を乗り出した。先程、「ああ、セッコ」とわたしを出迎えたナツメグは、パソコンのキーボードを叩いている。どうしていきなり勝手につけたあだ名で呼んできたのか、意味不明だ。そんな呼び方はやめろと言ってやったけど。
「昨日、わたしに生まれた時から入ってるのとは別のチップを勝手に打ち込んだでしょ。そのせいで不具合が起きてんだけど!」
「決済に時間がかかるとか?」
「知ってるの?」
「それなら大丈夫。ネットでの買い物なら問題ないし、不具合が起きない店を紹介してやる。なんでもそろってるぞ」
「そういう問題じゃなくて!」
「いつもそこで買い物するようにすれば、バレる可能性も限りなくゼロだしな」
「バレるって、なにが?」
「違法チップを埋め込んでること」
 ナツメグはやっと目を上げ、わたしの頭を指差した。
「違法チップ!?」
 わたしは頭を押さえた。
「なんでそんなもん」
「正規チップから記憶を取り出すためのチップだ。四年前の法改正に伴う一斉チップアップデートによって、正規チップから記憶を取り出すことはできなくなったからな。専門のソフトを使えばできるが、それは国が占有していて、出回っていない。違法チップを入れて正規チップにアクセスするしかないんだよ」
「体に悪くない?」
「大丈夫大丈夫。みんな入れてるから。俺も、そこのビビも」
 ナツメグは、別のデスクで作業をしているマネキン女を示す。
「バレたらどうなるの?」
「ま、お前も逮捕されるだろうな。生体機器管理法違反で」
「聞いてないよ!」
「ちゃんと契約書に書いてあったぞ。読まないほうが悪いんだ」
「嘘……取り出してよ! 違法チップってやつ」
「無理無理」
「そんな」
「だから大丈夫だって。俺が紹介した店で買い物すればいい話なんだから」
「人でなし!」
「そうそう、買い手がついたよ。もう売り上げの四割が六十万いった」
「六十万?」
 わたしの痛んだ髪の先まで衝撃が走った。
「本当にくれるの?」
「俺は嘘はつかない。じゃんじゃんコピーして、どんどん売るからな」
「振り込んでくれるんだよね?」
「しつこいな。約束は守る。ビビ、セッコをグロサリーに案内してやれ」
「だからセッコじゃない!」

路地裏の古書店には、やさぐれた古い神のような老婆が鎮座していた。浅黒い顔に刻ざまれた皺の一本一本に垢がたまっていそうな感じだ。
「グロバ、ご新規さんです」
 肌寒い曇り空の下の道を徒歩で十五分ほど案内したビビは、淡々とわたしを示した。
「おう、ナツメグの、客ではないね。金持ってそうにないから、売り手だな」
 老婆は、三白眼でわたしを一瞥してそう言うとゆっくり立ち上がり、店の奥の暖簾をくぐった。ビビに続いてわたしも店の奥に入る。
「わたしのことはグロバと呼びな。あんた、名前は?」
 鉄の扉があった。重そうだが、グロバは腰の力でふんばり、一気に引き開ける。
「日向です」
「日向雪湖。あだ名はセッコ」
 ビビがつけ加える。扉の向こうには、地下に続く階段があった。壁に弱々しい電灯がいくつかついている。
「だからセッコじゃないっつうの」
「セッコ、この下にグロサリーがある。二十四時間営業だ。いつでも来な。宅配サービスもやってるよ」
 階段を降りていくと、古書の黴臭さに、スーパーの青果売り場のようなにおいがかぶさってきた。
「セッコじゃないです。日向です」
 グロバがいきなり振り向いた。
「なしてそんなに嫌なんだ?」
「名字でしか呼ばれたくないんです」
 金が手に入るらしいことで上がったテンションも地に落ちそうになっていた。
「なして?」
「自分の名前が嫌いなんです」
「なして?」
「雪に湖と書いて雪湖なんですけど、その由来が、わたしが生まれた日、雪が降っていて、母の病室から湖が見えたからって言うんですけど、それ、湖じゃなくて、病院の中庭にある池だったんです。母は、湖と池の区別もつかないくらい馬鹿なんですよ」
 わたしはむすっとしながらも、本当のことを言った。
「じゃあ、雪池セッチってことか」
 グロバは真顔で言った。「やめてください」とわたしが言うと、歯を見せて笑う。やけに整った歯だから入れ歯だろう。
 階段を降りた先は、薄暗いスーパーだった。野菜や果物が並べられ、冷蔵庫には飲み物や総菜が、ラックには即席麺やお菓子がある。いくつも並べられた冷凍庫をのぞくと、冷凍食品やアイスや肉や魚がぎっしりと詰まっていた。棚がたくさんあって広さがよくわからないが、少なくとも普通のコンビニよりは広い。書庫を改造したのだろうか。
「グロサリーと言ってるが、奥には日用品もあるよ。ティッシュとか洗剤とか歯ブラシとかな。ないのは薬ぐらいなもんよ」
「ここ、おばあさんが一人でやってるんですか?」
 驚いて思わず尋ねた。
「おばあさんじゃないよグロバだよ。そんなわけないだろ。セッチは母親以上の馬鹿か?」
「セッチじゃない。日向です」
「ヒナって子もいるから紛らわしいな」
 結局、セッコと呼ぶことを許してしまった。セッチよりはいいかもしれないけれど、なんだか騙された気分だ。
 試しになにか買って行けと言われ、わたしはカップ麺をひとつ手に取った。階段の下についているゲートをくぐったが、抵抗は感じなかった。
「このゲートには電磁シールドはついてないんですか?」
「阿呆。シールドがついてないゲートなんかないわ。このゲートは、違法チップによって負荷がかかったチップでもスムーズに決済できるように改造してあるんだ」
「こういう店って、ほかにもあるんですか?」
「同じゲートがある店はたくさんあるよ。今じゃ普通の店のような顔をして営業してるとこも多いが、ここは古くからあるんで、地下なんだよ」
「へえ……」
 とにかく違法ってことだな。
「ここに来れるのは、ナツメグに紹介された、違法チップを入れている奴らだけだ。会員制だよ。自分が捕まりたくなきゃ、ここのことは誰にもしゃべるんじゃないよ」
 グロバは、棚から小さなスナック菓子の袋を取って自分がゲートを通ってから、「ほい、おまけ」と、渡してくれた。
 口止めをされるなんて、別世界に来てしまった心地がした。

本当に六十万が口座に振り込まれ、わたしはコンビニのアルバイトを辞めた。
 コンビニのバイトなんて、のどかな孤島の浜に座り、なにか異常がないかどうか見張るようなものだ。品出しも機械が自動でやってくれるし、レジもない。いろいろなサービスもほぼ自動だ。だからほとんど一人で店番をするから、バイト友達なんてできない。おまけにわたしは人付き合いがよくないから、ほとんど会話をしないので確かではないけれど、出口でもたもたしていたところを同僚に見られているかもしれないし、いつも退勤時になにか買って帰っているのに急に買わなくなって怪しまれているかもしれないし、これ以上変に思われるより早く辞めたほうがいい。それに六十万だよ。遊んで暮らせなくてもいい。遊ぶ友達もいないし、行きたいところもない。寝て暮らせれば満足。半年くらいは持つだろう。
 しかし一か月後。わたしは口座残高にアクセスして唖然としていた。見間違えとかそういうのはあり得ない。脳に直結したチップで直接照会しているので、視覚とか聴覚ではなく、そのままの真実が眼前に立ち上がるって感じだ。
 来月の家賃が払えない。ここまで追い詰められたのは初めてだ。部屋には、チップ登録番号を使ってネットで買った新しい服、新しい家具家電などが増えている。少し調子に乗りすぎた。増やそうとしてちょっと失敗もしたし。お金が入った反動で貧乏になっちまった。
 わたしは再び事務所に赴いた。グロサリーには何度か買い物に行っていたので、あのあたりの闇っぽい雰囲気にも慣れてきたつもりだった。
 事務所には、ナツメグとビビと、休日の女子高生に見える子と、その子の隣に座って足をぶらぶらさせている男児がいた。
「おお、セッコ」
 ナツメグが言った。
「ヒナ、別のやつが来たから帰ってくれ」
「ナツメグ、ちゃんとわたしのお願い聞いてよ」
 よれたTシャツに華奢な体を浮き立たせた少女は、ソファーから身を乗り出す。
「わがまま言うな。お前の記憶なんか、もう搾りかすも残ってないんだよ」
「稼ぎたいの」
「若いんだからいくらでも稼げるだろ。イケが紹介した店で――」
「風俗は嫌」
「だったらほかの仕事して真面目に働け。帰れ帰れ」
「また来るからね。ハルト、行くよ」
 少女はわたしをちらっと見てから、男の子の手を引き、スニーカーを床に打ちつけながら出て行った。
「セッコ、なんの用だ?」
 わたしは、少女が座っていたソファーに腰を下ろした。
「わたしの記憶、売れてる?」
「三日前に追加の報酬を振り込んだだろ」
「別の記憶も売りたいの」
「そんなことだろうと思った。いいぞ」
 先程の子への態度とは全然違う。
「この前は、母親に熱湯をかけられて浴室に放置された記憶を売ってもらったが、次はなんにしようか」

帰りにグロサリーに寄ると、あの少女と男の子がいた。
「あ、さっきの」
 少女がわたしに気づいて言った。わたしは軽く会釈をして、棚から即席麺を取る。
「あ、イケさん!」
 少女が高い声を出した。
 見ると、背の高い男が、台車に乗った大きなケースから商品を補充していた。グロバ以外の店員を見るのは初めてだった。
「ヒナちゃん、こんにちは。ハルト君も、こんにちは。元気?」
 彼は膝をついて男の子と目を合わせる。その笑顔に見覚えがある気がした。数秒考えたあと、わたしは思わず男を指差していた。
「植木勇一!」
 男は笑って、「そうだよ」と言う。
「植木さんは、ここのお手伝いをしてるんだよ。イケメンだから、イケって呼ばれてる」
 ヒナが植木を見ながら言う。「ふざけたあだ名だよね」と笑うかつての人気俳優は、闇の店の品出し係か。確か植木勇一は、記憶売買が合法だった時期、SNSのような感覚で、日常を切り取った記憶をファンに売りまくり、その行動を問題視する人々に叩かれて業界を干されたんだった。
「ヒナちゃん、本当に僕が紹介したところで働く気はない?」
「えー、どうしようかな……」
「考えといてよ。そこのきみの名前は?」
「あ、日向です」
「ナツメグのところで記憶を売ったんでしょ? そんなことするより、ちゃんとした店で働かない? 稼げるよ」
 植木はポケットからポケットティッシュを取り出して渡してきた。風俗店で働きませんかという広告が入っている。
「あの、未成年に風俗店で働くように勧めるのはどうかと思いますけど」
「きみ未成年なの!?」
「わたしじゃなくて、その子」
 わたしが指差すと、ヒナは笑った。
「わたし、二十歳だよ」
「あ、そうなんだ……」
 多く見積もっても十七くらいかと思った。化粧気もないし、小柄だから余計幼く見える。わたしがそこそこ背の高いほうだからそう見えるのかもしれない。
「この子はわたしの息子のハルト」
「息子!?」
 わたしは、ヒナが頭に手を置いた男の子を凝視した。
「四歳なんだ。可愛いでしょ」
「うん……」
 ハルトは恥ずかしそうにもじもじしている。この子は所かまわず泣き叫ぶクソガキとは違うようだ。子供があまり好きではないわたしから見ても、どちらかといえば可愛いと思えた。痩せているわけではないけれど、四歳にしては少し小さい気もする。小柄なヒナに似ているということなんだろうか。
「ほんとに可愛いよね。じゃあまたね、ハルト君」
 植木はハルトの頭をなで、別の棚のほうへ向かい、仕事に戻った。
 ヒナが、いつからナツメグのところへ通っているのかと訊いてきたので、まだ事務所に行ったのは三回目だと答えた。
「そうなんだ。わたしはもう一年くらい前からかな」
「何回も記憶を売ってるの?」
「うん。本当に値がついた記憶は最初の一回だけだったけど。でも、売っても記憶が消えるわけじゃないから、売れるものは全部売ったほうがいいと思わない? だから丸売りをしたいんだけど、ナツメグは嫌がってる」
「丸売り?」
「自分の全部の記憶を売ること」
「全部?」
「人生丸ごとってこと」
「そんなことして、平気なの?」
「恥ずかしくないのかってこと? 平気だよ。別にわたしはやましいことしてないもん」
「でも……わたしだったら嫌だな」
「ナツメグは、商品記憶を小出しにする売り方で儲けてるから、丸売りは芸がなくて下品だって言ってる。丸売り記憶を欲しがるマニアもいるって聞いてるんだけどね」
「記憶を買う人って、どんな人たちなんだろ」
 しかも、あんな記憶を。
「変態の金持ちか、記憶ジャンキーだね」
「記憶ジャンキーって、法改正の原因になった……」
「そうそう。他人記憶依存症患者。そういう人たちが増えたから、記憶売買が違法になっちゃったんだよね」
「そういう人たちが、今もいるの?」
「うん。知り合いにも一人いる。悪い人じゃないよ。ジャックっていうんだけど」
「ジャック?」
「ナツメグが、鼻が高くて西洋人っぽいから、ジャックって呼んでるって言ってた」
「へえ」
 ヒナとそんな話をした数日後、わたしはまたグロサリーに行こうと思い、古書店の顔をした店がある路地裏に入ろうとしていた。ふらふらと歩いている老人とすれ違う。杖使えよ。危なっかしいな。
「日向!」
 突然背後から腕をつかまれ、わたしは悲鳴を上げた。振り返ると、たった今すれ違った老人が目をぎらつかせていた。
「日向でしょ! 久しぶり!」
「誰!?」
 わたしは腕を振りほどく。
文香ふみかだよ!」
「え?」
 驚くわたしの顔を凝視する老人の顔から、狂気が華麗に立ち去った。
「ああ、すまん。人違いだ」
「ええ? なんでわたしの名前知ってるの? 文香って――」
「ジャック!」
 ヒールの音を響かせて走ってきたのは、ビビだった。
「逃がしませんよ。未払いの料金、払ってもらいます」
 強い口調で老人に向かって言ってから、「どうも、セッコ」と会釈をする。
「この人がジャック? 記憶ジャンキーの?」
 わたしが尋ねると、ビビは「そうです」とうなずいた。確かに鼻は高めだけど普通に日本人じゃん。
「文香ってもしかして、近藤文香? 文香の記憶を買ったの? だからわたしのことを知ってるの?」
 ジャックの両腕をつかんで揺さぶるわたしをビビが引き離した。
「落ち着いてください、セッコ」
「この人、わたしのことを知ってたの」
「さあ、どうだかのう」
 ジャックは腕を組んで空を仰ぐ。
「ふざけんな。ちゃんと答えて!」
「一瞬、あんたを知っとるような気がした。あんたの名前は日向雪湖で、友達だ。自分の名前は近藤文香。でもちごうたわ」
「やっぱり文香の記憶を買ったの? どんな記憶? どうして文香は記憶を売ったりなんかしたの?」
「知らん。わしゃあ、脳が溶けた記憶ジャンキーじゃけえ、なんもわからんよ」
「思い出してよ」
「セッコ、ジャックから料金を頂かないといけないんです。あとにしてくれますか?」
 ビビはジャックのジャンパーの肩をつかみ、引きずるように歩き始めた。
「ちょっと待って」
「取り立てないとナツメグに殺されるんで」
 ビビににらまれると、逆らってはいけないような気になってしまう。わたしはじっと二人を見送った。文香。九年ぶりに聞いた名前に胸がざわめいた。

『日向、日向はもっと大切にされるべき人なんだよ』
 小学生の時から、文香はほかの友達と比べて大人びていた。見た目ではなく、言動や振る舞いがだ。やけに物知りだったり、笑いのツボがみんなとずれていたり、いきなりハイテンションになったり、大人しくなったりするので、みんなからは、ちょっと変な子だと思われていたかもしれない。わたしは、そんな文香が面白くて、大好きだった。小学三年生の夏だったと思う。初めて母親のことを文香に話した。隠していたあざを見つけられたので、話したのだ。その時、なんでもないことだと装うわたしにかけられた言葉は、なんだかとてもしっくりきた。自分でも気づいていなかった、一番言ってほしかったことを言ってくれたという気がした。
 別に文香は、わたしのためになにか行動を起こしてくれたわけではない。助けようとしてくれたわけではない。全部を話したわけではないし、わたしも、文香のことを全部知っていたわけじゃない。でも、彼女はわたしを、ちょっといいほうへ変えてくれたのだと思う。それだけで十分だった。
 小、中学校で共に過ごした文香は、高校は地元の進学校へ進んだ。わたしは公立高校に落ちて、私立の高校へ進んだ。わたしが付きまとっていたら迷惑なんじゃないかと、変に遠慮してしまった。最後に会ったのは、中学の卒業式。文香はSNSを多分やっていなかった。わたしはいろいろな理由から成人式にも同窓会にも行かなかったから、再会する機会もなかった。
 ナツメグに文香のことを尋ねたが、客のことも、ほかの売り手のことも一切教えられないと一蹴されてしまった。グロバにも訊いてみたが、知らないと言われた。
 でも、文香のことが頭から離れない。記憶を売ったということは、なにか困っているんじゃないだろうか。わたしにできることはないかもしれないけど、助けられるものなら助けたいという気持ちだけが膨らむ。
 教えてくれないならいいよ。自分で調べるから。
 わたしは、ナツメグの事務所を張ることにした。文香が売り手なら、ナツメグのところに来るかもしれない。どんな記憶をいつ売ったのかわからないし、望みは薄いかもしれないけれど、どうせ暇だし、できることは全力でやってみよう。
 事務所がある雑居ビルの出入口が見えるカフェでもあればよかったのだけれど、そんな都合のいいものはなかったので、わたしは電信柱の陰に立った。今の時期、まだそれほど寒さは堪えない。ネットで新しく買ったスタジャンを着ていれば大丈夫。
 午前中から張り込みを始めて、六時間くらいが経った頃、後ろから肩を叩かれた。
「うわっ」
 振り向くと、植木勇一がいた。
「なにしてるの?」
 面白がっているような笑み。脅かすな、馬鹿。
「いや、別に。あなたは?」
「ナツメグのところへお手伝いに来たんだ」
「お手伝い?」
「僕、ナツメグ事務所の営業みたいなことしてるから」
「へえ。いろいろな仕事してるんだ」
 わたしは息を整えた。
「うん。そうしないと生活していけないからね」
「もう記憶は売らないの?」
 何年か前、記憶売買合法時期にちょこっとニュースで見ただけだけれど、確か植木の記憶は、「ご飯食べました」とか「撮影合間、ちょっと休憩」とか「カラオケで一曲」とか、そんなタイトルと内容の、数分、もしくは数十秒にも満たないような短さのものが大量に売りに出されていて、かなりの売れ行きだったらしい。わたしは興味がなかったけど、それだけ一時期の植木は人気があったのだ。
「ナツメグが、僕には売れるような記憶がないって」
「でも、あなたの記憶なら、欲しがる人がまだいるんじゃない?」
「少なくとも、ナツメグが抱えてる客の中にはいないよ。ナツメグと話してて言われたんだ。お前は普通の家庭で育って真面目に仕事を頑張ってきた普通の人間だって。俺の客が求めてるのは、もっと刺激的な体験なんだって。記憶を売れないのは残念だったけど、そう言われて、ちょっと嬉しかったんだよね。それまで、特別扱いされるのに慣れすぎて、驕りとか責任感とか、いろんなものでガチガチに心が固まってたんだって気づいたんだ。その時はもう芸能人じゃなくなってたのにね。お前は普通なんだって言われて、余計なものが取れて軽くなった気がした。だから、ナツメグには感謝してるんだ。ナツメグが記憶を買ってくれなかったら、別の記憶商のところへ行くつもりだったけど、記憶を売るのはやめたんだ」
「別の記憶商がいるの?」
 そんなの聞いてないぞ。
「もちろん。よく知ってるわけじゃないけどね」
「記憶ジャンキーのジャックって知ってる?」
「ああ、あのじいさんね」
「ジャックって、ナツメグ以外からも記憶を買ってるのかな」
「さあ。ちょっとわかんないな」
「そっか。ありがとう」
「どうかしたの?」
「ジャックに話があるから、探してみる」
 歩き出そうとするわたしを植木は呼びとめる。
「ちょっと待って。当てはあるの?」 
「ないけど」
「ジャックなら、その辺をぶらぶらしてるか、グロサリーかナツメグのところか、ゼンのところにいると思うよ」
「ゼン?」
「記憶加工業者だよ」
「どこにいるの?」
「うーん。一人では行かないほうがいいかも」
「なんで?」
「僕にはいい人に見えるんだけど、ちょっと悪い噂があるから。人を何人も殺してるって。噂だけどね」
「ええ?」

そう言うなら案内して一緒に行ってくれるのかと思ったけど、植木はチップでゼンの事務所の場所をわたしのチップに送ってくれただけだった。まあ、そうだよね。そこまで親切は期待できない。
 そこは事務所というより住居だった。勇気を出して、表札の出ていないアパートの部屋の呼び鈴を鳴らしたわたしを出迎えたのは、ふさふさの白髪と白い無精ひげを生やした男だった。約四年前の未解決連続殺人事件の目撃証言の犯人像に似ているらしいという話を聞いたので、もっと体格のいい強面の男を想像していたのだけれど、意外と小柄で、少しだけ安心した。猫背で蟹股だし、強そうには見えない。いや、油断してはいけないけど。
「どちらさん?」
 彼は落ち着いた声で言った。
「あの、わたし、日向といいます。ゼンさんですか?」
「はい」
「植木さんからうかがって……」
「植木って、イケのことか」
「あ、はい」
「入って」
「あ、あの、わたし、ジャックを探してて。ここにいるかもしれないって聞いたんですけど」
「とりあえず入って」
「いないなら出直します」
「ジャックなら友達だよ。立ち話もなんだから」
「いえ、大丈夫です」
 じりじりと後退していると、「日向! ゼンちゃん!」と元気な声がした。アパートの廊下を歩きながら、ひょいと手を上げる老人。
「ジャック!」
 ジャックに押し込まれるように、わたしは室内に入ってしまった。
「ちょうどよかった! ジャック、文香のことを――」
「来んなって言っただろ!」
 突然ゼンが怒鳴ったので、わたしは狭い玄関で身を縮こまらせた。
「ジャック、今すぐできるだけ遠くまで逃げるんだ」
「ゼンちゃん、わしら友達じゃろ? 冷たいこと言わんどいてえや」
「友達だから言ってんだよ。お前、追われてるんだぞ」
「そがいなこと言わんでえ」
「金ならやる。とにかくこの町を出――」
 ゼンが言葉を切り、動きをとめた。アパートの階段を上ってくる足音が聞こえる。
「田中さーん」
 声がしたかと思うと、ドアが開かれた。男が三人。
「やっぱりここでしたね、田中さん」
 男のうち二人は、ジャックを両側から取り押さえた。ジャックは全く抵抗もできない。
「わしゃあ田中じゃない」
 ジャックはのんきに言った。状況を把握できているとは思えない。やっぱりボケているのか。
「なに言ってるんですか、田中さん。どうも、ゼンさん。ご苦労様でっす」
 男は笑い、さっさとアパートの廊下を戻っていく。ジャックはがっちりと捕まえられ、連れられるままに歩きながら、首を曲げて振り向いた。
「ゼンちゃん、元気でなあ」
 ゼンは無言で、固まったままジャックを見送っていた。

「どういうことですか? あの人たち、ヤクザ?」
 気がつくと、わたしはゼンの家に上がっていた。狭い部屋には、何台ものパソコンがある。
「ジャックはもう終わりだ」
 ゼンは、パソコンの前の椅子にドカッと腰を下ろした。
「え?」
「あいつから取れるものはもうなにもない。ただ、年寄りをいたぶり殺すのが趣味の金持ちがいるっていう話は聞いたことがある。前に、掃除屋のやつが言っていた。シャブ中のばあさんの死体を片づけたってよ。爪が全部はがされて、指の骨も全部折られてて、眼窩にあるはずの目玉がひとつ、喉の奥に移動してたって。多分、自分の目玉で窒息死したんだろう」
 嘘でしょ。
「ジャックも、そうなるっていうの」
「年寄りはまだマシだ。体力がないからすぐ死ねる。若いやつで、輸血されながら生きた人体漂本にされたやつもいるから」
 嘘嘘。絶対嘘。
 黙り込んだわたしを見て、ゼンは机に肘をつき、手を組んだ。
「で、なんの用だったのかな? お嬢さん」
 あんな話のあとに冷静にお嬢さんなんて呼ぶなんて、不気味。
 わたしは、幼なじみの記憶をジャックが買っていたことを話した。ジャックに文香のことを尋ねたかったのだと。
「あなたは、文香のことをなにか知りませんか? なんでもいいんです」
「知らないな。俺は記憶加工業者だ。直接売り手と交渉するわけではないし、ジャックから話を聞いたこともない」
「じゃあ、ジャックが誰から記憶を買ってたのかとか」
「ジャックは年季の入った記憶ジャンキーだ。七、八年前、記憶売買が広まってきたと同時に他人記憶依存症になったらしい。いろいろなところから記憶を買いあさってるし、もういない業者も多いと思う。しかも、金があった時は、丸売りマニアだったらしいしな」
「丸売りマニア」
 ヒナが言っていたやつだ。
「普通は、いくら記憶を買っても、それは他人の経験の疑似体験でしかなくて、自分を見失うようなことはない。でも、丸売り記憶は違う。他人の人生を丸ごと受け取ってしまうと、自分を別人だと思い込んでしまう危険性がある。丸売りマニアは、自分ではない誰かになりたいと思ってるやつが陥りやすい、他人記憶依存症の中でも重症ケースだ。そういうやつが言うことなんて、ほとんど信用できない。ジャックは普段、広島弁のじいさんだったが、それも本当の人格かどうかわからないよ。青森弁でしゃべってたこともあるし、中国語でしゃべってたこともある」
「でも……友達なんですよね?」
「友達だったよ」
 ゼンはパソコンをスリープ状態から復帰させる。
「ジャックから、記憶加工の注文を受けていた。出回ってないような、面白い記憶が欲しいって言われてね。でもまあ、いい景色が見たいとか、可愛いもんだったよ。だから例えば、京都旅行の記憶をいじって、実際には存在してない建物をたくさん作ってやったりとかしたな。ものすごく高い漆塗りの塔とか、石造りの金閣寺っぽい城とか。喜んでたよ。案外ファンタジーなものもオーケーだったんだな」
 ゼンは笑い、少し沈黙してからまた痙攣するように笑った。わたしは勇気を出して疑問をぶつける。
「……でもそれって、頭おかしくなるのを助けてたってことじゃないんですか?」
「そうかもしれないな」
「どうしてそんなこと。友達だったんでしょ?」
「俺は、記憶売買を終わらせたいと思ってる。この闇業界を壊滅させるつもりだ」

ゼンは、実験段階だという、ゼロから作った偽記憶のデータをパソコンで見せてくれた。映像と音声と、心拍や発汗などの身体データや感情などを表したデータがリンクしたものだった。普段は、記憶商から依頼を受け、記憶をより鮮明にしたり、五感情報や身体データや感情値をいじったりして、記憶の価値を上げる仕事を請け負っているのだと言うが、いつかは、偽記憶をメインの商品として出回らせることを画策しているのだそうだ。
「どうだ?」
 AV的なものを見せながらゼンは冷静に言うが、これはセクハラなんだろうか。
「どうって……普通の記憶と見分けがつかないです」
「そうだろ? でも、チップから取り出すと、きちんと見分けがつくようになってる」
 ゼンは画面の左上を指差す。
「ここの記憶明度を示す数字の横にartificialって出てるだろ。どんな記憶管理ソフトを使っても、これが出るようにしてある」
「どうしてわざわざ」
「偽記憶のほうがいいってことになれば、誰も本物の記憶を売り買いしようと思わなくなるだろ。これはただのエロ記憶じゃない。身体情報や感情値を最高の状態に整えた、現実にはあり得ないような至高の体験なんだよ」
 熱弁されても、わたしにはただのAVにしか見えないけど。
「どうしてこれをわたしに見せてくれたんですか?」
「見せたかったから」
 やっぱりセクハラか?
「きみはまだこの世界に染まってないだろ」
「どうしてそう思うんですか?」
「なんとなくね」
 なにを考えているのかわからない。
「どうして記憶売買を終わらせたいんですか?」
「ろくでもないからだよ」
 ゼンは当たり前だろと言う感じで言った。
「ただのエロとか、刺激的な体験なら、VRで事足りる。どうして記憶売買が違法になっても根強く残ってるかっていうと、やっぱり、丸売りマニアの話と同じで、自分ではない誰かになりたいって思ってるやつが多いってことだと思う。記憶売買が始まった頃、一番売れてたのは、美人をものにした男の記憶じゃなくて、女のオナニー記憶だった。今はそんな記憶は市場にあふれかえってて、もう値がつかないけどな」
「はあ」
「でもやっぱり、別の人間になるなんてできっこないんだよ。できないことのために、自分の人生切り売りしてる被害者がいるんだ。ジャックは悪いやつじゃなかったけど、誰かの人生を搾取してたことには違いないんだ」
 自分が被害者だとは考えていなかった。
「でも、ジャックも被害者と言ってもいいと思うし、偽物の記憶でも、依存しちゃう人は出ますよね?」
「はっきり言って自業自得だよ。売り手の被害のほうが圧倒的に大きい。金になる記憶を作ろうとして、危ないことして死んだやつも大勢いる。売買に関係ない人間だって害を被る。それにそもそもなぜ記憶売買が始まったのか、いや、なぜチップが普及したんだと思う? これは国家の陰謀なんだよ」
「陰謀?」
「日本は世界の国々の中でチップ普及率第一位だ。表向きは、日本の技術力が優れているからってことでみんな納得してるが、そうじゃない。政府はチップによって、全国民の経済状況のみならず、すべての記憶を盗み見ているんだ。そうとしか考えられない経緯で逮捕された政治家や実業家がたくさんいる。表向きは、内偵調査による逮捕ってことになってるが、絶対怪しい。それなのに、政府は国民の全記憶を完全に掌握していることを明らかにしないため、国とは関係のない犯罪は黙認しているんだ」
「なんでそんなこと知ってるんですか?」
「社会の動向に興味があるやつはみんな知ってるよ。でも、そういう人間が少ないんだ。こういうことを発信しようとしたジャーナリストが消されたっていう噂もある」
「へえ……」
 陰謀論とか興味ないなあ。
「自分には関係ないって顔だな」
「あ、そんな顔してました?」
「記憶売買は、チップによる支配から目をそらさせるためのものだったんじゃないかと思う。それが違法になってからもずっと毒を残してる。確かに、いくらこんなことを話しても、俺たちにできることはほとんどないし、関係ないと思うのも無理はない。でも、記憶売買を衰退させる後押しをすることくらいはできるんじゃないかと思うんだ」
 それが、誰も記憶を売れないようにすることなのか。ゼンがいい人なのか悪い人なのか、わたしにはわからなかった。ジャックに対しては冷たい気もするけど、売り手のことは考えてるみたいだし、いい人なのかも?
 いや、騙されちゃだめだ。悪い人がみんな悪い人っぽいわけがない。わたしの母親だって、表向きは、頑張って女手ひとつで子供を育てている普通の女性だったのだ。一度、わたしは児童相談所に保護されたが、数か月で母親のもとに戻された。状況は全然変わらなかった。それ以降、誰もわたしに助けの手を差し伸べてくれる人はいなかった。
 そうだ。もしかしてゼンには、記憶を売ってほしくない人がいるのかもしれない。ゼンの殺人現場を目撃した人とか。その人が記憶を売る前に、記憶売買を衰退させてしまおうっていう魂胆かも。
 そう思うと、ディスプレイを睨むゼンの目が恐ろしげに見えてきた。
「あの、そろそろ失礼します」
「そうか。もし、その友達、近藤文香さんだっけ?の情報が入ったら教えるよ」
「はい。ありがとうございます」
 ゼンがチップで、携帯端末に落とし込んで使うための連絡先を飛ばしてきたので、わたしも礼を損ねないように自分の連絡先を返してから、「お邪魔しました」とドアを開けた。微笑んでいるつもりなのか、わたしを見送るゼンの引き締めた口角が震えていて、狂気を感じて寒気がした。

わたしは記憶を買ったことがない。ただ、専門学校の説明会で一度だけ、教材記憶を受け取らされたことがある。
 高校卒業後の進路を考える際、将来の目標もなにもなく、特別得意なこともなかったので、教師から勧められた介護の専門学校の説明会へ行った。説明会の最後に、学校の人が「みなさんに介護士さんの記憶をプレゼントします」と言い、パソコンを操作すると、脳裏に「介護士さんの一日」という記憶の扉が現れた。教室にいる全員のチップに記憶を一斉送信したのだろう。概念上のそれを意識して開けると、わたしは介護士として一日働いた記憶を得ていた。
 きっと、良心的な専門学校だったのだろう。でも、学校も商売だと考えると、馬鹿だとしか思えない。わたしはその記憶をもらって、自分にはこんな大変な仕事は無理だとすぐに見切りをつけた。機械の力を借りることで、昔よりはずっと楽な仕事になったという説明があったけれど、わたしには全然そうは思えなかった。それがよかったのか、悪かったのか、今となってはよくわからない。挫折しないで済んだと思えばいいのか、やる前から諦めさせられたと思えばいいのか。
 まあ、わたしのようなクズにできる仕事なんて、限られるだろうね。
 でも、ジャックが連れ去られたのを見て、ゼンの話を聞いて、さすがにこわくなった。こんな世界に足を突っ込んでちゃいけない。文香のことを探すにしても、自分でやるにはやっぱり危険すぎる。探偵を雇ったほうがいいかもしれない。事情は適当にごまかせば大丈夫だろう。
 母に煙草の火を背中に押しつけられた記憶とか、何時間も正座して床に牛乳をこぼしたことを謝り続けた記憶とか、母の吐瀉物を掃除した記憶とか、母の男が使うコンドームを買いに行かされた記憶とかの売り上げは入ってきていたけれど、それで一生暮らせるお金を稼げるわけじゃない。どうしてそんな記憶が売れるのかという根本的疑問が解決されてないし、ふわふわした幽霊みたいな、かなり不確かな収入源だ。毎日キャベツかもやしだけ食べていれば、探偵を雇ったとしても一年くらいは持つかもしれないけれど、お金があるのにもやしを食べられるような人間じゃないんだ、わたしは。今日もステーキ食べちゃったし。グロバの店に置いてある肉の中には、結構いいものもある。普通のスーパーより高いけど。
 わたしはアルバイトの面接に行った。近所のパチンコ店だ。
 週三日、早番でも遅番でもいいと言うと、その場で採用された。フルタイムにしないのは、わたしが怠け者だからだ。週五日なんて働けるか。死んじゃうよ。
 パチンコ店のマネージャーは、労働契約や給与振り込みをするため、「じゃあ、チップの情報を登録させてもらいます」と言い、チップ情報読み取りモードになった携帯端末をわたしに近づけた。
「あれ? なかなか読み取れないな……あれれ、なんでだろ」
 指紋だらけの携帯端末がわたしの頭に引っ付いた。
「あ」
 わたしはパイプ椅子から立ち上がった。
「すみません、用事を思い出しました。帰ります」
 呼びとめられたが、「すみません、また来ます、すみません」と逃げた。
 気がつくと、わたしは夜の道を長いこと歩いてくたくたになっていた。点滅する街灯。墨字の古書店の看板。
 どうすればいいんだろ。なんとなくここまで来てしまったけれど。なにやってんだ、わたし。
 案山子以上に馬鹿な感じで立ち尽くしていると、古書店の顔をしたグロサリーから、男の子の手を引いた女の子が出てきた。
「えっと、日向さん?」
 ヒナはわたしに気づいて立ち止まる。
「どうしたの? 泣きそうな顔してる」
「ねえ、わたし、どうしたらいいと思う?」
 わたしはヒナに近づいた。ヒナは一歩下がった。無理もない。思わず縋りつきそうな勢いだったから。
「わたしたち、もうまともに働けないの? ねえ、どうしたらいいの?」
「落ち着こうよ」
 ヒナは苦笑する。
「ヒナはなにか仕事してるの? 風俗は嫌なんだよね? じゃあ水商売? そこもまともじゃないんでしょ?」
「ニートだよ。お父さんからお金もらってる」
「お父さんいるんだ」
 わたしにはいたことがない。
「うん。仕事が欲しいなら、グロサリーで働けば? 人手足りないってよ。でも重いもの運んだりとかあって大変かも」
「でも、違法な店でしょ。違法チップのせいで、もうまともな生活には戻れないのかな」
「まともってなに?」
 ヒナは笑って言う。
「ここがまともなところじゃないんだなってことはなんとなくわかるけど」
「ママあ、早く帰ろ」
 ジーンズを穿いたヒナの脚に隠れるようにしていたハルトが言った。
「そうだね。おうちに帰ろうね、ハルト」
 ヒナはハルトに微笑んでから顔を上げた。
「今度、ゆっくり話そうよ。じゃあね」
 ヒナはわたしに連絡先を飛ばし、手を振って立ち去った。
 ハルトを見るヒナの顔は、化粧気のない少女らしいものなのに、わたしの目には聖母のように映った。どうしてそんな顔ができるの。

チップから携帯端末にゼンとヒナの連絡先を転送した。携帯端末を手に取り、脳裏に浮かんだアイコンを携帯端末に向けて飛ばすイメージを思い浮かべると、メッセージアプリに転送完了。アイコンは、連絡先がチップに保存されていることを示す、脳内で機能する象徴だ。ゼンのアイコンは太陽のマークで、ヒナのアイコンは女の子の可愛らしいイラストだった。少しヒナに似ている。自作だろうか。
 昔の携帯端末は、指紋とか顔認証の機能がついていたらしいけれど、今の携帯端末はチップ認証だ。チップと携帯端末がリンクしていて、持ち主本人しか使うことができない。個人間の記憶売買が合法だった時期には、記憶売買アプリがあって、チップとリンクした端末で気軽に記憶を売り買いできたらしい。使ったことはないけど。わたしの携帯端末に入っているアプリは、ネットと地図とメッセージと漫画とか映像配信やちょっとしたゲームくらいのものだった。難しいゲームはなかなかクリアできなくて苦手。
 わたしは数少ないアプリのひとつで、ヒナに、「連絡先ありがとう」とメッセージを送った。
 文香の連絡先を知ってたらな。中学生の時に使っていたメッセージアプリは、いつの間にか消えていた。いつかの一斉チップアップデートのせいだろうか。新しいアプリか端末に移行し忘れたとか? よく覚えていない。チップに記憶が記録されていると言っても、なにを忘れてなにを憶えるのかという無意識の選択は自前の脳に任されている。すべてのことを憶えているというのは、なかなか精神に負担がかかることらしいし、記憶の取捨選択という脳が普通にやっていることは、機械ではなかなか再現できない高度な機能らしい。つまり、記憶力がいい人と悪い人がいるのは、揺るぎのない真理だ。わたしは悪い人。悲しい。
 もしチップアップデートのせいで文香の連絡先が消えたとしたら、文香との縁が切れたのは国のせいってことかもしれない。チップの管理は国の専売特許だ。記憶をやり取りするための正規ソフトは国が占有しているという話だし、やっぱり陰謀? わたしたちの人生を左右してるかもしれないって、なんかムカつくな。
 そんなこと考えているけど、わたしは単なる記憶商の悪党に人生いじられちゃってるわけだけど。
 連絡先がないってだけで、本当に文香との縁が切れてしまったんだな、と落ち込んでいると、はたと気づいた。
 文香の名前を検索してみればいいんじゃん? なにも出てこないかもしれないけど、試してみよう。
 わたしは携帯端末で、「近藤文香」と検索した。
 なにも出てこない。humikaやfumikaと検索したら、逆に大量にヒットしすぎた。いろいろ入れてみる。「近藤文香 記憶」、「ふみか 記憶売買」、「フミカ 24歳」などなど。
 目がチカチカしてきた頃、fumifumiというアカウント名のSNSにたどり着いた。性別も年齢もわからないが、植木勇一の記憶を買ったと書いてある。おかしくもなんともない。日付は六年前。個人間の記憶売買がまだ合法だった頃で、確か、まだ植木は俳優として活動していた。
 fumifumiは、植木のファンだったらしい。ということは、若い女か? いや、決めつけることはできない。植木は意外と演技力も評価されてたんじゃなかったっけ。なんか渋めの作品にも出ていた気がする。そうじゃなかったとしても、ファンが若い女ばかりとは限らない。
 映画の撮影の打ち上げでの植木の記憶を奮発して買ったと、SNSには書いてあった。文章の感じも若い女っぽいけど、ネカマの可能性もある。
 少し調べてみたところによると、記憶売買が始まった頃は、記憶の値段はただ長さのみで決まっていたらしい。しかし、企業が介入して記憶売買アプリが普及したことなどにより、売り手がいろいろな要素を考慮して値段を設定したり、オークション形式になったり、売り方が多様化し、価格帯も広がった。
 植木が記憶を売り出した当初は、可愛らしい価格設定だったらしいが、どんどんそれは高騰していった。植木自身が値段をつり上げたのだ。そのことによって、ファンを食い物にしている金の亡者、プライドのかけらもないやつ、強欲下種野郎などと批判を浴び、仕事が激減して引退に追い込まれたらしい。
 そんなことになるくらいだったら、いっそのこと性的な記憶でも売って、サクッと稼いで芸能界から逃げればよかったのに。ただのシャワーシーンでもいい。それか、もっとほかの芸能人をダシにすれば、がっぽりいけたんじゃないかな、がっぽり。
 でも、そういうことはしなかったようだ。彼なりの一線は一応あったということか。
 このSNSの主は、ただ植木が俳優仲間と乾杯しているだけの数分の記憶を高騰したあとの価格である数万円で買ったらしい。それを純粋に喜んでいる。こういう純情なファンは、植木の引退を惜しんだんだろうか。それとも、その時はもう忘れ去っていたのか。
 少し興味をそそられ、わたしはfumifumiの投稿をたどった。植木の記憶を買った数週間後、ある女優の記憶も買ったとある。やっぱり、ミーハー移り気ネカマだったか。いや、ネカマとは限らないって。人を疑う悪い癖が。
 それから、有名人の記憶は高いから、一般人の記憶を買ってみたとあった。
 行ったことのないところに行ったみたいで楽しい、ヨーロッパの空気ってやっぱり日本と違うんだね、思いっきり吸い込んだ時の感覚がなんか違うの、わたしカナヅチだけど、泳ぐってこんなに楽しいことだったんだね、わたしウニが苦手なんだけど、ウニが好きな人がウニを食べてる記憶を買ってみたら、なんかすごく変な感じだった、ちゃんとウニなんだけど、わたしの思ってるウニじゃなかった、好きになったかと思って実際食べてみたらやっぱり無理だったけど、初めて恋愛系の記憶を買ってみたよ、全然知らない人を好きになった気になるってなんか変な感じだけど、自分では感じたことがない甘酸っぱい気分になっちゃった、男の人の記憶って面白いね、男の人が女の人を好きになる気持ちって、女の気持ちとはちょっと違うかも、個人差かもしれないけどね、勃起ってちょっと痛いんだね、知らなかった――
 記憶とは関係ない、お出かけや食事の投稿もあったけれど、記憶を買ったことに関する投稿が圧倒的に多い。記憶ジャンキーじゃないの、これ、と思った。コメント欄を見てみると、そのような指摘が複数あった。でも、本気で心配しているようなコメントはほんの少しだ。コメント数自体あまり多くはないけど、そのほとんどが、記憶を買うことに興味があるらしい人からのものやただ面白がっているものだった。 
 コメントに左右されることなく、この女性らしき人は、どんどん記憶を買っていった。記憶売買禁止法案についても触れていて、一貫して反対意見を述べていた。個人情報やプライバシーの保護や依存症の問題があるのはわかるけど、記憶売買は、自分ではできない経験をわかち合える素晴らしい技術であると。違う場所に住んでいるとか、違う経験をしているとかだけではなく、人にはそれぞれ個性があって、体質も、脳の性質も異なっている。きっとこの世界のどこか、もしかしたら、すぐ隣にいるような人の中に、わたしが想像もしたことのない複雑な感情を持っている人がいるかもしれない。そんな人のことを記憶を通して理解できれば、わたしの精神はもっとずっと豊かになるかもしれないし、世の中の人々が記憶のやり取りを使いこなせば、つらい経験をした人や、社会的弱者のことをもっと理解して、本当に心からお互いを助け合える社会になるんじゃないか。そういうことを書いていた。そして、ある日の投稿。
『今日、記憶売買禁止法が成立したね。もう今までのようなことはできなくなるんだね……残念だけど、わたしは今までにもらった記憶を大切にしていくよ』
 それが最後の投稿だった。
 きっとこの人は大丈夫だ。頭よさそうだし、法案が成立して諦めたようだ。
 でも、どうしてここで投稿が途切れてしまったのだろう。記憶買いライフを発信するためにSNSをやっていたということなのだろうか。ハマっていたことが違法になって気まずいので、SNSをやめたか、別のアカウントを作り直したのかもしれない。きっとそうだ。
 その時、ヒナから返信がきた。
『やっとうちのぼっちゃんが寝てくれました笑』
 こういうのを送られてきても、なんと返せばいいのかわからない。まあきっと、ヒナは本当に息子が可愛いのだろう。だから思わずこういう内容のメッセージを送ってしまうのかもしれない。ママ友じゃないんだから、「うちの子はもうとっくに爆睡ー」とか返せるわけじゃないのに。
 わたしはヒナに、ヒナはお父さんと一緒に住んでるの?と尋ねた。
『うん。でも、仕事が忙しくて、なかなか帰ってこないんだけどね』
『お父さんは、ヒナが記憶を売ってること知ってるの?』
『知ってるよ』
『なんにも言わない?』
『まあね。日向さんは、家族にバレるんじゃないかって心配してる?』
『家族はいないからいいんだけど。でも誰にも言えないかと思うと、ちょっと不安で』
『わたしでよければ、友達として話聞くよ』
『ありがとう。わたし、子供の頃に母親に虐待された記憶を売ったんだ。変だよね』
『そうかな? そんな記憶が欲しい変なやつもいるんだよ』
『ヒナはどんな記憶を売ったの?』
『レイプされた時の記憶を売ったんだ』
『え?』
『高校生の時、近所の人に襲われたの。その時に妊娠したんだ。処女だったんだ。それ以来一回もしてない。なのに子持ちなの笑』
『よく産んだね』
『強姦魔の息子でも、わたしの子供だから』
『犯人はどうなったの?』
『捕まってない。馬鹿だよね。警察が悪い人を捕まえてくれるのは当たり前だと思ってた。すぐにシャワー浴びて、服も捨てちゃって、そのあと警察行ったけど、恥ずかしい思いしただけで終わったよ』
『記憶を警察に見せればよかったんじゃないの?』
『記憶は証拠にならないんだよ。本人の記憶なのか、買った記憶なのか、科学的に証明する方法がないし、加工されてる可能性もあるから』
 ということは、犯人が捕まらなかったのは、記憶売買のせい? もし、誰も記憶をやり取りしていない世界だったら、記憶は揺るぎない証拠になったはずなのに。
『知らなかった。なんでその記憶を売ったの?』
『犯人も記憶を売ってたの。ある日、駅でいきなり変な人に声かけられて、「レイプされた人ですよね?」って言われて、調べたら、犯人がわたしをレイプしてる時の記憶が売られてたの。警察に言ったけど、やっぱり証拠にならないって言われた。犯人がそれで儲けてると思うと、悔しくて。わたしもせめて同じことしてやろうって思ったの』
『それで犯人が捕まらないなんて、おかしいよ』
『仕方ないよ。それが現実なの』
 わたしはしばらく返信できなかった。なにわたし震えてるの。こんな怒りは初めてだった。
『ヒナは強いね』
 わたしはやっと返信してから、なんて間抜けなことを、と思った。
『母親だからね笑』
 わたしは、嫌なことを訊いてしまったことを謝った。ヒナは、大丈夫だよと返してくれた。同世代の、つらい過去がある女という共通点はあっても、彼女は、わたしとは全く似ていない人間だ。

ヒナから電話が来て、アルバイトの面接に行くから、グロバと一緒にハルトを預かってくれないかと頼まれた。
 古書店に行くと、ヒナがわたしに手を合わせた。
「突然頼んじゃってごめんね」
 グロバがハルトを膝にのせていた。
「わたしは店番があるから、ほかに誰か連れてきなって言ったんだよ」
 ヒナは、「これ、食べて」と、お菓子の袋がいくつか入ったビニール袋を渡してきた。
「お父さんにハルト見てもらおうと思ったんだけど、今日はお客さんと会うから無理だって言われちゃって」
「大丈夫だよ。あんまり小さい子と接したことないけど……バイトするんだね」
「うん。イケさんに、風俗はやっぱり嫌だなって言ったら、別のお店を紹介してもらえて」
「ヒナだったらホステスで稼げるよ」
 そう言ったグロバの膝で、ハルトは変なロボット的な人形をいじっていた。結構あちこち傷がついて古びている。
「だったら最初からその店を紹介してくれればよかったのにね」
 わたしが思わず言うと、ヒナは苦笑した。
「そうだけど、女の子を紹介してお店からもらえる報酬額が違うんだと思う」
「ふうん。自分のお金のためってこと」
「仕方ないよ。やっぱり、稼がないと。わたしもね。バイト始めたらお父さんにハルト見てもらうことになってる。ハルトには、わたしみたいになってほしくないの。ちゃんとした学校に行ってほしいから」
「この子自身が馬鹿だったら、ちゃんとした学校もなにも無理だけどね」
 グロバがサラサラした髪が生えたハルトの頭をなでながら言うと、ヒナはふくれて見せた。
「もし勉強が苦手でも、好きなことやらせたいの」
 ヒナはかがんでハルトの顔を見る。
「ハルト、ママ、すぐ帰ってくるから、おばあちゃんとお姉さんの言うこと聞いて、いい子に待っててね」
「うん」
 うなずいたハルトの頬をちょっとつつき、ヒナは改めてグロバとわたしに頼んでから出て行った。
 わたしはハルトにお菓子を食べさせ、小腹が満ちたらしいハルトは、床に座って文庫本をブロック代わりにして遊び始めた。グロバは気にする様子もない。
「ハルトって大人しいですね」
 わたしは何気なく本棚を眺めながらグロバに言った。
「大人しいんじゃなくて、いい子なんだよ。母親がいい子だからね」
「ヒナのこと、気に入ってるんですね」
「あんなにつらい思いしても、卑屈にならない子も珍しいよ」
 グロバも、ヒナが受けた仕打ちのことを知っているのか。
「でも、植木――イケが紹介した店って、大丈夫なんですかね」
「あんたなんかが心配しなくても、ヒナは自分のことは自分で守るよ」
「あんたなんかって」
 失礼なやっちゃな。
「あんたみたいなプータローなんかとは比べ物にならないくらい、ヒナはしっかりしてるよ」
「確かに、強いですよね」
「そうさ。母親っていう生き物をなめちゃいけないよ。動物の中でも、子連れの雌が一番凶暴だ」
 強いって、そういう意味じゃない気がするけど。
「グロバは、子供いるの?」
「さあな」
 個人的なことは訊くなってことか。
 わたしは、文庫本の上で人形を跳ねさせているハルトの隣にしゃがんだ。
「ハルト、ママのこと好き?」
 ハルトは、びっくりしたようにわたしを見てからうなずいた。
「好きだよ」
 そんなの当たり前だと言いたげだ。
「そっか」
 グロバが、「なんでそんなこと訊くんだよ」と言ったので笑ってごまかした。わたしの親も、ヒナみたいだったらよかったのに。年下の女の子のことをそんな風に思ってしまった自分がおかしくて、わたしは声を立てずに笑った。

ヒナがアルバイトの面接に受かったという知らせを受けてからしばらくして、ナツメグから電話がかかってきて、また記憶を売らないかと言われた。チップの遠隔操作はできないから事務所に来てくれと言われ、わたしは喜んで赴いた。文香を探すために探偵を雇うにしても、お金が必要だ。
「セッコはさ、母親殺したりとかしてないの?」
 ナツメグは煎餅をぼりぼり食べながら言った。
 わたしは、ビビが淹れてくれたお茶を吹きそうになった。
「はあ?」
「今は一人暮らしなんだろ? 母親はどうなった?」
「知らないよ。まだ生きてるんじゃない?」
「だらしねえな。ひどい目に遭わされたんだから、殺したのかと思ったよ」
「殺すわけないでしょ」
「なんで?」
 ナツメグは本気で疑問に思っているようだ。
「なんでって、普通殺さないよ。あんな女のために刑務所行きたくないし」
「馬鹿だな。毒殺すればバレないよ。家族だろ」
「そんな毒どうやって手に入れるの」
「ちょっと検索すればすぐだよ」
「冗談だよね?」
「警察の仕事なんてたかが知れてんだよ」
 ヒナの話を思い出した。ナツメグはため息をつく。
「母親殺した記憶があれば、いい具合にオチがついたんだけどな」
「オチ?」
 ナツメグは、ウェブの記憶カタログにあるわたしの記憶のラインナップを見せてくれた。もちろん違法なウェブサイトだ。会員制だという。パソコンの画面に、ずらりと記憶のタイトルとサムネイルが横に並んでいて、真ん中くらいの途中からタイトルの色が変わっている。記憶の長さは、数十秒から数時間とまちまちだった。
「どうしてこんなに記憶の長さがバラバラなの?」
「もともとの記憶の性質もあるが、短い記憶を好む客もいれば、長めの記憶を好む客もいるんだ。こっから後ろはまだ売りに出してない」
「え? まだ売ってないのがあるの?」
「こういうのは小出しにしていくほうが売れるんだよ」
「じゃあなんで、また売らないかって電話かけてきたの?」
「販売予定の記憶ストックに余裕があるから」
「それって、売り手が足りないってこと?」
「足りてたらわざわざ調査して記憶を売りませんかなんて営業の電話かけたりしない」
「あ、そっか」
 わたしのこともこっそり調べてたわけだもんね。
「でも、記憶売りたい人ってたくさんいそうな気がするけど」
「客の注文を受けて記憶を探してんだよ。もうすでに記憶マーケットは飽和状態になりつつあるから」
「それって、記憶売買っていう商売はもうやばいってこと?」
 ゼンのことを思い出した。偽記憶が出回れば、今までの記憶売買は衰退する。
「やばいってなんだよ。一時期ほどの盛り上がりはないが、これからもずっと続くよ。記憶ってのは魅力的な商品なんだ」
「ふうん。なんでナツメグはこの商売やってるの?」
「話聞いてなかったのか。儲かるからに決まってるだろ」
 言われてみれば、ナツメグの腕時計は高級っぽい。いや、高級品なんて縁がないからよくわからないけど。
「じゃあさ、母親と最後に会った時の記憶売ってよ」
 そう言われて、わたしは了承した。別にたいした記憶じゃないと断りを入れたが、ナツメグは、オチをつけたいからそれでもいいと言った。わたしはその記憶に関するナツメグの質問に答える。
 ナツメグはパソコンの画面を切り替えた。コードを打ち込むと、「Now loading」と表示される。
「ねえ、それってどういう仕組みなの?」
「お前のコードを入れると、お前の違法チップがチップから記憶を取り出すんだよ。はい来た」
 読み込みが完了すると、またなにやら素早く打ち込む。
「そしたら欲しい記憶を売り手から聞いたことをもとに検索して、選択して再読み込みして、パッケージする。簡単だよ」
「え、てことは、いったん全部の記憶がパソコンにコピーされるってこと?」
「そうだよ。簡略化データでだけど」
「わたしの記憶盗み見たりしてないよね?」
「そこまで暇じゃないんで」
 ナツメグは馬鹿にしたように言う。わたしは疑問をぶつけた。
「あのさ、その方法で、記憶を盗むこともできるんじゃない? 本人の許可を取らずに、勝手に記憶を取って、黙って売っちゃうとか」
「もちろんできるよ。俺は良心的な業者なんだよ。こうやってラインナップを売り手にちゃんと確認させてるし、明細だって送ってるだろ。もちろん報酬もちゃんと払ってる。まあ、チップを完璧に遠隔操作できたら、考えるかもしれないけど、売り手と直接会わないといけない以上、いい関係を築かないとな」
「本当に遠隔操作はできないんだね?」
「できないできない。そんなこと疑うなんて、ほんとに馬鹿なんだなあ、セッコは」
 言い方は軽いが、さすがにムカついてきた。ナツメグはわざとらしい笑顔を向けてくる。
「だから、ほかの記憶商のところなんて行くなよ」
「……わかった」
「ま、売れる記憶はもう残ってないだろうけど」
「それはわかんないよ」
 作業するナツメグを頑張って見下していると、事務所のドアが開いた。白髪がふさふさのおじさん。
「ゼン」
 また会うとは思っていなかったので、わたしは目を丸くした。
「おう」
 そう言ったゼンの表情は乏しい。この前もそうだったけど、やっぱりなにを考えているのかわかりそうにない。
「どうもどうも、ゼン」
 ナツメグは愛想よく挨拶する。
「この前の加工、いい感じに仕上げてくれてありがとう。小学生とヤッたことがあるなんて嘘っぱちだったけど、ゼンのおかげでちゃんと小学生に見えるようになったよ」
「嘘だと決めつけちゃいけないよ、ナツメグ。今時の小学六年生だったら、大人に見えるような子もいるからよ」
 ゼンはウィンドブレーカーのポケットに手を入れたまま冷静に言う。
「で、この前送ったあれはどうなった?」
「ああ、ゼンが作ったっていう偽記憶? どうなったって、あれってただ見せるために送ってくれたんじゃなかったの?」
「売れないかと思ったんだよ」
「悪い悪い。勘違いしてた。いや、どうかなあ」
「いいんだ。また作ろうと思ってるから、どういうのがいいのか相談しようと思って来たんだ」
「どういうの? うーん、やっぱ、あんまり流通してないのがいいんじゃないかな。子供の記憶とか」
「子供の記憶か」
 ゼンの目が宙を向いた。ナツメグが続ける。
「大人から取った子供の頃の記憶じゃなくて、鮮度の高い子供の記憶も一応流通してるっちゃしてるけど、バリエーションが少ないからさ。子供の記憶を売りにくるやつなんて、なんでもかんでもペドやロリコンに売れるだろうってことしか考えない馬鹿親ばっかりだから。やつらは子供になりたいわけじゃないし、子供は自分自身なんて見ないよ」
「じゃあ、需要はないんじゃないか?」
「いや、子供の記憶を望んでるのは、幼児返りしたい疲れたおっさんだよ」
「つまり、感情値とか身体情報をしっかり子供のものとして設定して、シチュエーションも工夫した記憶を作れば、需要はあるってことか?」
「そんなに変なシチュエーションはいらないよ。なんつーか、子供ならではの人や動物との関わりってあるじゃん。そういうのがもっと生き生きと出てる記憶があればなと思う。馬鹿親に育てられた子供って、ろくな体験してないんだよな」
「なるほどな」
 ゼンは一人うなずき、「じゃあ、またな」とゼンは目も合わせずに出て行った。
「セッコ、ゼンと知り合いだったのか?」
 ナツメグに尋ねられ、「まあね」と言うと、ナツメグはまた作業に戻ろうとした。
「あのさ」
 まさかゼンが戻ってこないよな、とわたしはドアのほうを見つつ、声を落とした。
「あの人、殺人犯だって噂があるって本当?」
「ああ、あるある」
 ナツメグは軽く肯定した。
「目撃証言の犯人像に似てるって聞いたけど、それ以外になんか証拠的なものはあるの?」
「さあ。でも一回、直接訊いたことあるよ。あんたは連続殺人犯なのかって」
「ええ? 馬鹿じゃないの」
「そうとも違うとも言わなかったぞ。そんな風に見えるかって言ってきたから、見えるって言ったら笑ってた。いかにも人殺してそうな感じに見えるよな?」
「うーん、どの辺が?」
 確かに笑顔らしき表情は不気味だったけど、「いかにも人殺してそうな感じ」かどうかはちょっと。
「ビビもそう思うよな?」
 それまで空気と化していたビビは、「そう思います」と自分のパソコンから目を離さずに言った。こいつはナツメグの言いなりだ。
「ほらやっぱり。見える見える」
 ナツメグは満足そうにうなずいた。
「ま、こわいんだったら気をつけな。その連続殺人事件の被害者は、若い女ばかりだったみたいだからな」
「はあ、ご心配どうも」
 訊くんじゃなかった。もうゼンとは会わないことを祈ろう。

グロサリーの品出しのアルバイトは、時給九百円だった。
 時給安すぎだろ、と思いながら、わたしは冷凍食品を冷凍庫に移していた。暇ならちょっと手伝え、とグロバに言われたのだ。ゴム手袋を借りたが、それでも手がかじかみそうだ。
「大丈夫? 手、冷たいでしょ」
 エプロンをつけた植木が声をかけてくれた。
「ええ、まあ。でも大丈夫」
「セッコちゃん、結構可愛いんだから、もっとほかの仕事が似合うと思うけどな」
「いやいや」
 涼しい顔で見え見えのお世辞を言うもんだな。さすが。ここまで清々しいと逆に好感度アップだよ。
「ヒナちゃんが働き始めた店で働いてみない?」
「ヒナ、頑張ってるみたいですか?」
「うん。店の雰囲気見るだけでもいいからさ、ここからそう遠くないし――」
 話を逸らそう。
「あの、うえ――イケさん、この前言ってた、ゼンの話なんだけど」
「うん?」
「なんか気になっちゃって。未解決連続殺人事件って、どういう事件だったんですか?」
「えっと、四年くらい前、この辺で若い女性が三人、ひと月置きくらいの間隔で立て続けに殺されたんだ。現場に凶器とかはなかったけど、同じ刃物で刺されてたっぽくて、同一犯なんじゃないかって言われたらしい」
「それで、目撃者の証言が、ゼンと似てたの?」
「刺した現場を見たわけじゃなくて、死体のあったところから立ち去る人影を見たっていう証言だったみたいだね。その男の風体がゼンと似てたから、仲間内では疑われたんだけど、結局犯人は捕まってない。被害者に若い女性っていう以外の共通点もなくて、物証が全然なかったみたいだよ。通り魔だろうね」
「あ、イケさん! 日向さんも」
 入ってきたのは、ハルトの手を握ったヒナだった。いつものような寒そうなTシャツとジーンズ姿ではなく、白いワンピースにGジャンを合わせている。
「ヒナちゃん。お疲れ様」
「お疲れ様です」
 植木はなぜか、仕事を思い出したように店の奥のほうへ行ってしまった。
「今日はなんか可愛い格好してるね」
 わたしが言うと、ヒナは嬉しそうに微笑んだ。
「久しぶりに服買っちゃった。プチプラだけどね」
 ヒナは、植木が消えたほうに目をやる。
「ヒナって、イケさんのこと好きなの?」
 わたしが言うと、ヒナは片手をひらひらさせた。
「いやいや、好きとかじゃなくて。でも、かっこいいなあって」
「好きなんじゃん」
「好きとは違うの。付き合いたいとかじゃなくて、見かけるだけで満足っていうか」
「ふうん。あの人、若く見えるけど結構年でしょ?」
「いいの、年なんて」
 ヒナは、肉や野菜やお菓子をカゴに入れていく。
「あ、そうだ。わたし、丸売りすることにしたんだ。ナツメグからオッケー出た」
 ヒナは嬉しそうに言った。

丸売り記憶を買うと、正気を保てなくなる恐れがあるんだったよね。だったら、いくらお金のためだからって、売るのはやめたほうがいいんじゃ、と思ったけど、言えなかった。わたしもまともじゃない記憶を売ってるし、その記憶がどんな風に消費されているかについて責任を負うつもりなんてない。偉そうなことを言える立場じゃないんだ。わたしはなんにもない怠け者の社会のクズで、ヒナは守るべき大切な家族がいる人だ。
 記憶を買うやつのことなんて考えても仕方がない。どうせ変態の異常者なんだし。
 それより文香だ。文香は頭がよくて、ちょっと変わってはいたけれど優しくて可愛い人だった。あまりいろいろなことに興味を持つタイプではなくて、交友関係も広いとは言えず、狭く深く付き合うタイプだったし、軽い気持ちでなにかに手を出してみるような性格ではない。そんな人が気軽に記憶を売るとはちょっと考えられない。でも、あんなに賢かった文香が、なにかのトラブルに巻き込まれて記憶を売る羽目になったとも想像しずらかった。
 少なくとも予想できるのは、売ったのは記憶売買合法時期だろうということだけ。その時期になにか、慎重で賢い人でも記憶を売りたくなるなにかがあったのかもしれない。わたしは、それを見つけて安心したかった。きっと人助けのためとか、そういうことじゃない? わからないけど。
 家に帰ってから、わたしは、「記憶売買 売りたい 人助け」とワードを端末に打ち込み、記憶売買合法時期に発信された情報に絞り込んだ。
 でもすぐにがっかりした。人助け的なものは全く見当たらない。わたしでも見覚えのある、四年以上前のありふれたキャンペーンの広告が出てきただけだ。観光後、広告用の記憶を無料で提供することを条件に、応募された方の中から抽選でリゾートホテルの宿泊券をプレゼントいたします、とか、菓子パンについているシールを集めて応募すると、菓子パンの広告に出ているアイドルの記憶が当たるよ、とか、某アパレル会社の社長の記憶を買ってくださった方には、限定トートバッグをプレゼントいたします、とかいう意味不明なものもある。記憶をたくさん売ることをステータスだと思っていたのだろうか。
 わたしが欲しい情報はこんなんじゃない。もっとなにかないんだろうか、なにか。
 いろいろ見ているうちに、記憶売買の歴史をまとめているサイトに行きついた。
 そのサイトでは、そもそもなぜ脳内チップが普及したのとかというところから話を始めていた。中学の社会の授業で習ったような内容だ。
 チップの挿入が義務付けられたのは三十年前。それはなぜか。国民の権利と財産と情報を守るためである。
 この一文が中学のテストの穴埋め問題で出た気がする。これは教科書のコピペか?
 チップが戸籍や口座となり、脳の一部となったことで、役所手続きが簡略化され、クレジットカードや従来の電子マネーがなくなり、年齢や収入などに関係なく、平等なサービスが提供されることになった。その上、チップは記憶管理装置でもあり、認知症や記憶喪失が撲滅された。携帯端末ほどの複雑な操作はできないものの、データ量の少ない簡単な情報の送受信なら可能で、コミュニケーションが円滑になった。
 教育や研究などのために記憶のやり取りが行われるようになったのは、二十五年前。同時期に、法整備がままならないまま、ほぼなし崩し的に一般の個人同士での記憶売買や記憶加工が行われるようになった。
 ゼンに言わせればこれは全部国家の陰謀なんだよね。わたしにはわからないけど。
 そのあとに書いてあるのは、記憶売買を手掛ける企業が多く登場したことや、記憶を売ることで生計を立てる人々の出現、売れる記憶を作ろうとした人々が起こした数々の事件や事故、記憶売買による有名人の性生活を含むプライベートの流出や入試不正、多発した記憶カツアゲ事件、十代の若者を中心としたプライバシー観念の崩壊、記憶加工によって起きた冤罪事件、それによって行われた法改正、他人記憶依存症患者の急増など、記憶売買に関するできごとが明るいものから暗いものへ推移していったことがわかる年表だった。
 やっぱり知りたいことは書いていなかった。どうしても、記憶を売り買いするのはただの馬鹿か、ヒナのように切羽詰まった人としか思えない。わたしはただの馬鹿のほう。
 文香がこの世界に属していたなんて、信じられない。文香のことをすべて知っていたわけじゃないって、わかってはいるんだけど。
 やっぱりもう一度ナツメグに文香のことを知らないか尋ねてみようと思った。守秘義務がどうとか言ってたけど、あいつがルールを重んじる人だとは思えない。知らないとは言わなかったということは、知ってるってことじゃないの? 今一度食い下がってみよう。

事務所へ行くと、ロングヘアだったビビがベリーショートになっていた。頬骨の上にかかった毛先がギザギザしている。そして頭頂部にはガーゼ。わたしの時よりも二倍くらい大きいガーゼだ。
「あんた、違法チップ入れてたんじゃなかったの?」
 わたしの言葉に、ビビはガンを飛ばしてきただけで、答えなかった。大きすぎる目が濡れているように見える。痛いんだろうか。わたしは別に痛くなかったけど。
「違法チップをえぐり出そうとしたんだよ」
 饅頭を頬張りながらナツメグが言った。
「簡単に入れられるから取り出すのも簡単だと思ったらしい。馬鹿だな」
「マジで?」
 ビビはいつものようにパソコンを睨んでいた。
「危ないからもうやめてくれよ、ビビ。俺、血とか苦手なんだからさあ」
「すみません」
 淡々と謝るビビ。
「それにチップがなくなったからって、俺への借金が消えるわけじゃないんだよ?」
「はい」
 わたしは、文香のことをナツメグに尋ねた。
「この前、知らないとは言わなかったよね? 知ってるんでしょ?」
「知らない知らない。知ってても教えないけど」
「教えてよ!」
「だから知らないって」
 結局収穫はなく、わたしはグロサリーへ行った。
「ねえ、ビビってナツメグに借金あるの?」
 グロバは、携帯端末を手に、商品のチェックをしていた。
「ああ、そうだよ。暇なら手伝いな」
「働きに来たんじゃないって」
「ほんと怠け者のプータローだな」
「わかってます。わたしはそれでいいんです」
「そんなんで恥ずかしくないのか? イケを見習いな。いろんな仕事してるよ」
「わたしはわたしです。それより、借金っていくらぐらいなのかな?」
「知らねえよ。他人の事情だ。でもまあ、セッコも気をつけな。一度借金作ったら、夜逃げすればなんとかなるってもんじゃないからね」
「どういうこと?」
「違法チップを入れてる人間は群れて生活してる。みんな、隠しながら生きていくのはつらいからね。みんなが違法チップを入れてる界隈で生活するようになる。ここもそうだ。そこにある店のやつらはみんなつながってて、誰がどこに出入りしてるかなんて筒抜けなんだよ。そういう店は全国にあって、離れているところにある店も同じこと。だから逃げられない」
「逃げようとすれば、違法チップを入れていることがバレる危険を冒して違法チップを入れてない人たちの中に紛れるか、違法チップを取り出すか……」
「取り出すなんて無理さ。ま、もしできる方法が見つかれば、そいつは大儲けできるだろうね。取り出し屋っていう名前でどうだ」
「……ナツメグって、こわい人なんですかね?」
「さあね」
「ゼンとナツメグ、どっちのほうがこわいんだろう。やっぱりゼンのほうがこわいですよね」
「セッコさあ、自分の印象で決めつけすぎじゃないか?」
 わたしは聞き流し、違法チップ界隈で探偵的なことをしている人はいないかも尋ねてみると、いるけど高い金を支払わないといけないとグロバは教えてくれた。
「じゃあ無理か……」
「なにか調べたいのか?」
「前に言ったじゃないですか。近藤文香っていう友達を探してるんです」
「本名名乗ってるとは限らないしねえ。そういえば、ゼンは顔が広いと思うけど」
「あ、訊いたけど、知らないそうです」
「そうか。ゼンっていろいろなことを知ってるし、加工屋になる前は案外立派な仕事でもしてたのかもしれないと思うんだけどね」
「でも、殺人犯かもしれないんですよね……?」
「わたしはそうは思わないけどね」
「どうして?」
「証拠のないことをあれこれ疑うんじゃないよ。くだらないことしゃべってる暇があったら、商品の賞味期限をチェックしとくれ」

ヒナに、ひと月ほど前にできたというカフェに誘われた。もちろん、違法チップ界隈の中だ。
 そこは、一見ごく普通のお洒落なカフェだった。客層も特に変わったところがないように見える。でも、やっぱりここも表社会とは違う場所なのだ。
「このお店、ずっと気になってたんだけど、ハルトと二人きりじゃなんか入りずらくて」
 ヒナはアイスティーとランチメニューのミートスパゲティを注文し、ハルトとスパゲティを分け合っていた。子供用の椅子も店にあったことが意外だった。
「ほかに友達とかいないの?」
 わたしはカルボナーラをフォークに巻きつける。おいしいけど、お値段はなかなかのものだ。
「日向さんみたいな、なんていうか、友達になれそうな優しそうな人って、なかなかいなくて」
「優しそう? わたしが?」
 意外すぎる言葉だった。無愛想とか、目つきが悪いとかなら言われたことがあるけど、そんなことを言われたのは初めてだ。
「うん、優しそうだよ」
「ヒナってちょっと変わってるよね」
「そうかな? 日向さんは、彼氏とかいるの?」
「いないよ。もうずっといないな。友達もいないし」
「えーなんで?」
 なんでだろう。基本的に人を信じない性格だからかもしれない。一番身近にいた人間から身を守らなければいけない生活を送っていたせいか、自分自身を他人から守らなければいけないという考えが身に染みている。母親のもとを離れてから、不思議とその傾向は強まった気がする。一番自分にとって害になると思っていた人が目の前から消えても、他人の中に、母親の中にあった毒を探し求めていたのかもしれない。
 でも馬鹿だから、きちんと自分を守り切れなくてこんなことになってるわけだけど。
「高校卒業してから、バイト転々としてたからかな」
 わたしは答えになっていない答えを返した。
「そうなんだ」
「あのさ、丸売りの話はどうなったの?」
「もう記憶取ったよ。売り出すのはまだ先みたいだけどね。ナツメグとしては、あと何人か丸売り提供者を募って、『記憶商ナツメグ、丸売り記憶解禁!』みたいな感じで一気に売り出したいらしいよ」
「へえ……考えてるんだろうけど、そんな工夫して意味あんのかな?」
「そういう工夫で生き残ってきたんだって、本人は言ってるけど。最近は記憶の調達に苦労してるみたいだけどね」
「そうなの?」
「客の注文が細かくてウザいとか言ってた」
 次にヒナの仕事のことを尋ねてみると、なんとか頑張っていると答えた。
「ちょっと疲れちゃってるけど。でも、ハルトのために頑張らないと」
 ハルトは口の周りを汚しながらも、ちゃんと麺はこぼさずに食べている。
「丸売りもしたし、もうナツメグと会うこともないね。でも、もしよかったら、また日向さんとは会いたいな」
「あ、うん」
「せっかく友達になれたもんね」
 その時、カフェのガラス戸が開き、二人の女性客が入ってきた。その片方はビビだった。思わず「あ」と言ったわたしの視線をヒナが追う。ビビはわたしたちに気づく様子がなく、連れの中年女性とテーブル席に着いた。
「ん? あ、ビビか。髪切ったんだね。一瞬わからなかった。頭のガーゼ、どうしたんだろう」
 ヒナは知らなかったようだ。離れた席だから話し声は聞こえないが、ビビと肥満体形の中年女性はずいぶんと親しそうだった。
「誰だろう。お母さんかな? そんなわけないか。全然似てないもんね」
 ヒナの言う通りだった。ビビが一瞬、女性の手を握ったのを見て、わたしは好奇心に立ち上がった。
「ちょっと盗み聞きしてくるわ」
 わたしは紙ナプキンかなにかを取りに行くふりをして、二人のテーブルのほうへ慎重に近づいた。
「みっちゃん、頑張り屋なのはいいけど、あまり無理するなよ」
 中年女性が言った。顔中に、ドット絵かと思うような細かい吹き出物がある。
「わたしは大丈夫」
 答えたビビの声音は、わたしの知っているビビとは思えないものだった。
「久しぶりにケンに会えて嬉しい」
「俺もみっちゃんに会えて嬉しいよ」
 わたしは気づかれないようにそっと自分のテーブルへ戻った。
「どうだった?」
 ヒナにどう答えていいものか、わからなかった。
「よく、わかんなかった」
 カルボナーラを何口か飲み込んでから、やっぱり丸売りはやめたほうがいいんじゃない? まだ売られてないなら間に合うよ、と言おうとしたけれど、言えないままわたしもヒナもハルトも食べ終わり、店を出た。
 振り向くと、ガラス越しに見えるビビは、笑顔でなにかを話していた。

二週間ほど、一人で違法チップ界隈を徘徊し、文香のことを訊いて回ったけれど、収穫はなかった。
 それから驚いたことに、ゼンから連絡があった。ジャックの息子が、ジャックから文香のことを聞いたことがあるらしい。詳しい話を聞きたいなら直接会おうと言ってくれたが、ゼンが提示した日は、ヒナとの約束があった。
 ヒナが、勇気を出して二人で違法チップ界隈の外のお店に行ってみないかと誘ってきたのだ。二年後、小学校に上がる時に、ハルトを普通の人たちの中へ送り出さなくてはいけない。自分も、この界隈の中に閉じこもってちゃいけないんだ、とヒナは話した。それに、たまたまイケが、最近ヒナは仕事を頑張っているみたいだし、たまにはハルトを置いて息抜きしてくれば、と言ってくれたのだという。イケがハルトを預かることを自ら提案してくれたらしい。
 そんなにイケさんって親切な人だったんだ、とわたしが言うと、子供好きなんだよ、とヒナは言った。
 わたしにとってももちろん勇気がいることだったが、ヒナと一緒なら、と思い、二人でショッピングモールに行くことにした。実際に買い物をするかどうかはともかくとして、とりあえず雰囲気を味わうだけでも少しは楽しいかもしれない。
 ゼンとはまた別の日に会うことを約束し、わたしはヒナと出かけた。雑貨屋で売っていたハンカチだけだが、買い物をすることもできた。でもやっぱり、ゲートを通る時に少し物理的な抵抗があった。ヒナはハルトへのお土産だと言って小さな恐竜のぬいぐるみを買ったが、やはり抵抗を感じたらしい。
「でもさ、警備員が飛んでくるわけじゃないし、案外平気じゃない?」
 そうヒナは言った。確かにそうかも。わたしたちが気にしすぎているだけなのかもしれない。
「でもやっぱり、取れるものなら取りたいよね……違法チップ」
 ヒナの言葉に、百パーセント賛成だった。
 夕方、わたしとヒナは、イケがハルトを見ているはずのグロサリーへ戻った。しかし、二人の姿はなかった。
 いつものように古書店部分に座っているグロバは、船をこいでいた。眠気眼のグロバを起こして尋ねると、グロバは言った。
「イケが、ハルトと一緒に散歩に行ってくるって出て行ったよ」
「何時頃?」
 尋ねたヒナの声は硬い。
「昼頃だったな。昼飯ならここで食べさせればいいって言ったんだけど」
「もう三、四時間経ってるじゃん」
「ああ、そうだね」
「もっと早く知らせてよ!」
 ヒナの鋭い怒声に、グロバはびくりと身を震わせた。
「ごめん」
 ヒナは携帯端末を取り出し、電話をかけた。
「イケさん、今どこにいるんですか?……あ、そうですか。どこ行ってたんですか?」
 ヒナは電話を切る。
「よくわかんないけど、すぐに戻るって」
 わたしに向けた顔は無表情だった。
「ごめーん」
 数分後、ハルトの手を引いて入ってきたイケは、笑顔で謝った。
「ハルト!」
 ハルトに駆け寄ったヒナはしゃがみ、ハルトが被っている水色の子供用ニット帽に手をかけた。ハルトが「ママ」とヒナに抱きつく。
「なにこの帽子」
「プレゼントだよ。可愛いだろ」
 ヒナはイケの言葉を無視し、ハルトの帽子を取った。
 ハルトの頭には、ガーゼが貼られていた。
「……なにこれ」
 イケを見ると、無表情だった。
「ハルト、頭、どうしたの?」
 ヒナの声が震えている。
「わかんない」
 ハルトは無邪気に言った。わたしは思い出した。初めてナツメグ事務所へ行った日、自分の頭にガーゼがあることに気づいても、痛みはなかったこと。
 ヒナがイケに振り向いた。イケは視線から逃げるように首を振る。
「僕は知らないよ。ナツメグが勝手にやったんだよ」
「ナツメグが?」
 落ち着きを取り戻したヒナの声。いや、落ち着いたというより、なんと表現すればいいのだろう。
「そうだよ。ナツメグが、ハルト君を事務所に連れてきてほしいって言ったんだよ」
「それで、連れて行ったんだ。そもそも、ハルトを連れて行くために、ハルトを預かるなんて言ったんだ」
「ヒナちゃんには内緒でって言われて、おかしいとは思ったんだよ。でも、ナツメグにはお世話になってるし、断れないじゃないか。でもヒナちゃん、ナツメグが言ってたよ。ヒナちゃんにお金を払うって。売り上げはヒナちゃんのものだよ、もちろん。ナツメグなりのサプライズプレゼントなんじゃないかな。ヒナちゃん、丸売りもしちゃったし、もう記憶を売れないじゃん? ナツメグはヒナちゃんをかわいそうって思ったんじゃないかな。これからもっとハルト君も大きくなるし、お金が必要でしょ? 仕事を頑張ってるのもわかるけど、少しでも足しにしてほしいって、ナツメグなりの配慮っていうかさ」
「日向さん、ハルトをお願い」
 ヒナはわたしを見もせずに、店から駆け出した。
「ヒナ! ちょっと待って!」
 わたしはどうしようかと思ったが、不安に襲われ、ハルトを抱き上げてヒナのあとを追った。すぐに姿が見えなくなってしまったが、行先はわかっている。
 事務所に着いた時、わたしは息も絶え絶えになっていた。ハルトを下ろし、なんとか残りの力を振り絞ってドアを開ける。
 ヒナとナツメグが対峙していた。壁際に立ったビビが困惑の表情を浮かべている。
「ハルトに違法チップを入れただろ!」
 ヒナの声は、今まで聞いたことのない金切り声だった。その声を聞いて、ハルトが泣き出す。
「ヒナ……!」
 わたしの声に振り向いたヒナの顔には、素朴な少女らしい面影はほとんどなかった。
「こいつは、わたしの世界を壊したんだ!」
 ヒナは、腕を振り回しながら唾を飛ばした。
 床に膝をついたわたしは、泣き叫ぶハルトの肩に手を置いた。
「ハルトは無事だよ」
「違うよ、違うよお」
 ヒナは歯を食いしばり、ナツメグに向き直る。
「許さねえ」
 うなるようにそう言ったヒナを見たナツメグは、いつものように白い顔で、唇をひん曲げていた。困ったな、とでも言いたげに。
「日向さん、ハルトを連れて出て行って」
 ヒナがナツメグを見たまま言う。
「でも」
「出てけって言ってんだろ!」
 わたしは思わずハルトを抱き寄せた。
 ヒナはジーンズのポケットからなにかを取り出した。茶色いなにかから、銀色の刃が飛び出した。
「うわっ、なになに?」
 出現した折り畳みナイフに、ナツメグが目を丸くする。
「ハルトは、普通に学校行って、普通に就職して、普通に幸せになるはずだったんだよ。ハルトはわたしの希望で、わたしの世界だったのに、お前がそれを壊した」
「殺したみたいな言い方やめろよ。ちょっと記憶取っただけじゃん。お客さんの希望は、若い母親に可愛がられる記憶が欲しいって、それだけなんだよ」
「違法チップを入れられたってことは、殺されたってことと一緒だよ」
「そんなことは――まあいいや。ごめんごめん」
 ナツメグは笑顔を顔に張りつけてひょこひょこと頭を下げる。ナイフを突きつけられているのに、なんなんだその余裕は。
「殺す。わたしはナツメグを殺す」
「ちょっちょ、落ち着こう? ねっね?」
「なめんじゃねえぞ。わたしはこのナイフで人三人殺してんだぞ」
「え?」
 さっとヒナがナツメグとの距離を詰めた。しかし、ナツメグは身をかわした。
  ガン、と音がした。ヒナの後頭部が床に打ちつけられる音だった。いつの間にか、そのすぐ横でナツメグが後ろ脚を伸ばし、片方の膝を深く曲げて、身を低くしている。片手はヒナの顔の上。まるでダンサーのようだった。わたしはハルトの頭を胸に押しつけてハルトの目を隠した。
 ナツメグがヒナの髪をつかんで引き起こし、両手で頭をつかむと、なんらかの力を加えた。ガ、と音がして、ナツメグが手を離すと、ヒナの頭は床に落下した。倒れたヒナは、そのまま動かなかった。
「あーあ……ビビ、掃除屋掃除屋」
 立ち上がったナツメグは両手を自分の白いトレーナーの腹に押しつけてぬぐった。ビビがどこかへ電話をかけ始める。
 わたしは唖然とヒナを見た。ヒナの床に散らばった髪と、丸い額と、開いた目、動かないまぶた、ナイフを握った手が見える。左の頬は灰色の床にくっついていた。わたしは暴れるハルトの頭をしっかりと押さえて離さなかった。見せちゃいけない。どうすればいいのか全くわからないけど、今できることはとりあえずそれだった。
「あーもう、殺したくなかったのに。思わずやっちゃったよ。ゼンになんて言えばいいんだよ。言わないけど。死体とか苦手なんだよね。ビビ、至急って念押してよ! 至急!」
 ナツメグは動物園の猛獣のように、無意味に行ったり来たりし始めた。
「……ゼン?」
 わたしのつぶやきに、ナツメグはわたしを見る。
「知らなかった? ゼンとヒナって親子なんだよ。てか早く出てってくれる? 子供の泣き声とかマジウザいんだけどマジで」
 わたしはハルトを抱き上げ、事務所を出た。ヒナのもとへ戻ろうとするハルトを押さえつけるのに必死だった。
「ハルト、落ち着いて。大丈夫だから、大丈夫だから……」
 念仏を唱えるようにして建物の外に出て、路上に座り込む。もうなんだか疲れ果てていた。ハルトを抱えたまま、なんとかポケットから携帯端末を取り出す。ゼンに連絡した。
 しばらくして、事務所の前にバンが着き、作業服姿の男が数人、中へ入っていった。そして次に道を走って現れたのは、ゼンだった。
「おじいちゃん!」
 ハルトがわたしの腕を離れ、ゼンに駆け寄った。
陽斗はると!」
 ゼンはハルトを受けとめる。その時、建物から、男二人に抱えられ、明らかに死体袋にしか見えない袋が運び出されてきた。
「おい、それ見せろ」
 詰め寄るゼンを男たちは無視したが、ゼンは無理やり袋に取りついて、ジッパーを引き開けた。わたしは再びハルトの目を塞いだ。
陽菜ひな
 ゼンの声は聞こえたが、わたしは足元のアスファルトを見ていた。
「陽菜! おい!」
「死んでますぜ、おじさん」
 掃除屋の男が言い、男たちは運搬動作を再開する。
「待ってくれ。連れて行かないでくれ」
 ゼンの声に、わたしは耳を塞ぎたくなった。でも、ハルトの顔を押さえていてできない。
「悪いね。こっちも仕事なんで」
 そう言われ、ゼンは黙った。
 袋を運び入れる音、車のドアが閉まる音が複数回して、バンは走り去った。
「おじいちゃん、ママどこ?」

「くびながりゅー」
 ゼンの仕事場の毛羽立った畳の上で、ハルトは小さな灰色の首長竜のぬいぐるみで遊んでいた。ヒナが買ってきたものだ。頭にはまだガーゼがある。
 ゼンはわたしに手書きのメモを渡した。
「ジャックの息子さんから聞いた、近藤文香さんの住所だ。ジャックの言ったことだし又聞きだし、町名までしかないが、参考になるかな」
 ゼンの様子には特に変わったところがない。それがかえって緊張してしまう。いや、でもわかる。わたしだって、感覚が麻痺しているみたいだもの。
 メモを見て、わたしは思わず言った。
「実家だ……」
 そこに書かれた町は、文香とわたしの出身地だった。まさか、文香はずっとそこに住んでいたのか。それとも、ジャックの息子が地元の話を住所と勘違いしたのだろうか。
「ありがとうございます」
 わたしがとにかく礼を言うと、ゼンはハルトを見守りながら、「おう」とつぶやいた。
「ハルトは、これからどうなるんですか」
 わたしは尋ねた。
「俺が育てるよ」
 当たり前だという口調だった。
「……あの、警察には通報したんですか」
「警察?」
 ゼンは知らない言葉を聞いたかのように聞き返す。
「あの、ヒナのこと」
「掃除屋を甘く見ちゃいけないよ。プロフェッショナルだ」
 ヒナの死体は跡形もないということか。表向きには、ヒナは行方不明になった。そういうことでしかないのか。
「陽菜から聞いたよ。あんたが友達になってくれたって。ありがとな」
 意外な言葉に、わたしは咄嗟に返事ができなかった。
「……いえ、こちらこそ。でもわたし、ヒナのこと、まだ全然知らなくて」
 人を三人殺した、というヒナの言葉。あれはなんだったんだ。そしてポケットに入っていた折り畳みナイフ。いつも持ち歩いてたってことだよね。わたしはヒナの心の闇を全然感じ取れていなかったんだ。
 連続殺人事件の現場で目撃された、ゼンに似た男。もしかして、それは犯人ではなく、証拠を隠滅した人なのではないか。現場からは、物証が全く見つからなかったという話だった。事件は約四年前。ハルトが生まれる前後だろう。被害者は若い女。不幸な目に遭い、精神不安定となった女には、自分と同じ若い女たちが自分よりもずっと幸せそうに見えて、護身用ナイフが殺意に変わったのかもしれない。
 いやいや。これは全部勝手な想像。ゼンに尋ねられるわけもない。絶対無理。
 わたしはゼンのもとを辞し、その足で地元へ向かった。電車に乗るのも本当は嫌だけれど、仕方がない。なんとか問題なく改札を通れた。
 文香の家の場所なら覚えていた。わたしの実家があった場所から歩いて五分ほどの距離。母は再婚して、どこか遠くへ引っ越したはずだから、わたしの実家はもうない。
 わたしも文香も、団地に住んでいた。夕日を浴びている文香の家があった団地は、そのままの姿で残っていた。足音が響きやすい階段を上がると、小学生の頃、文香の家へ遊びに行った時の感覚を思い出した。
 近藤の表札があった。考えてみれば、実家を訪ねるということを思いつかなかったことが馬鹿だった。自分には実家と呼べるものがないせいで、みんなにもないものだとなんとなく思い込んでしまっていた。そんなわけないのに。本当に馬鹿。
 やっぱり、いきなり訪ねたら迷惑だよね。でも、電話番号がわからないし、文香のお母さんでもお父さんでも、会ってみないとどうしようもない。
 わたしは深呼吸をし、呼び鈴のボタンを押した。

夜の電車内で、わたしは携帯端末をぼーっと眺めていた。表示されているのは、文香のお母さんからもらった、文香の写真。入社式に撮ったらしいスーツ姿の自撮りだった。文香のお母さんは、意外にもわたしのことを憶えていてくれていて、突然訪ねたにもかかわらず、快く対応してくれた。
 その写真の文香は、少し顔色が悪いようにも見えるけれど、ただメイクが下手なだけかとも思える。文香はこの約一年後に自殺したそうだ。一年くらい前のことだ。
 自殺する前の文香は、別人のようになっていて、貯金もほとんどなかったそうだ。大企業に就職して半年後、突然会社を辞めたあと、異変は大きくなったという。別人の名前を名乗ったり、明らかに文香本人のものではない過去のトラウマを語ったりしたこともあった。その姿は見ていてつらくなるほどだったと、文香のお母さんは言った。文香の両親は、明らかに様子のおかしい文香を助けようとあらゆる手を尽くしたそうだが、精神科で受けた他人記憶依存症という診断だけが残ったまま、文香はさっさとこの世を離脱してしまった。
 あのfumifumiという人のSNSは、文香のものだったのだろうか。文香のお母さんに確認してみたけれど、わからないという返事だった。それに、そもそもどうしてそんなことになってしまったのかもわからないという。記憶売買合法時期に記憶を買っていたことは知っていたけれど、異変に気づいた時には、もう手遅れだった。
 記憶買いをやめられなくて、お金が足りなくなったのだ。それで自分の記憶を売ってお金を作ろうとした。
 やっぱり、わたしはヒナのことと同じように、文香のこともなにもわかっていなかった。文香が、自分ではないほかの誰かになりたいと思うことがあったなんて、想像したこともなかった。文香のことが好きだったのに、感謝していたのに、なにもしてあげることができなかった。卑屈な気持ちとか、遠慮とかがあって、一緒にいることすらできなかった。
 せめて一緒にいることができていれば。これじゃ、ちゃんと自分を責めることすらできない。
 もしかすると、文香は誰かの中にまだ生きているんだろうか。丸売りしたかどうかなんてお母さんには訊けなかったし、訊いても多分わからなかっただろう。でも、ジャックがわたしに声をかけてきたことを考えてみれば、丸売りをしたと考えるのが自然かもしれない。ゼンが言っていた。普通は、記憶を買ってもそれは他人の経験の疑似体験でしかない。でも、丸売り記憶は違う。自分を別人だと思い込んでしまう危険性がある。
 ビビの恋人らしき人みたいに、誰かの中に文香がいるとして、その人に会うことがあったら、わたしはどうすればいいんだろう。その人に会いたいんだろうか、わたしは。
 いや、文香はもういない。死んでしまった。二度と帰ってこない。この事実は、どうあっても変わらないんだ。
 文香、文香がわたしはもっと大切にされるべき人なんだって言ってくれて、わたしは初めて、自分が一人の独立した、わたしだけで完結した人間なんだって思えた。きっと何気なく言ったことなんでしょ。でもわたしにとっては、ものすごい発見だったんだよ。あの言葉がなかったら、わたしは人間になりきれなかったんじゃないかと思う。母親のサンドバッグである自分を当たり前に受け入れたまま、今よりずっと、大切ななにかが欠けたままだったと思う。母親と別れる時、あなたはわたしを虐待してたんだって、はっきり教えてあげることができたのも、多分文香のおかげ。逃げるんじゃなくて、落ち着いて、明るい気持ちで母親と離れられたのも、自分はこれからもっと大切にされるべき人間なんだって思えたから。母親にわたしの言葉が届いたのかどうかはわからないし、大切にしてくれる人にも出会えてないけど。
 ありがとう、文香。本当にごめん。

翌日、わたしは再びゼンに会いに行った。
 ハルトは、パソコンがある部屋の隣の部屋に敷かれた布団で昼寝をしていた。傍らには、あのぬいぐるみがある。
 わたしは、文香のお母さんに会ったことを話した。文香が自殺していたことも。
 そうか、とゼンが言い、沈黙が下りた。話そうと決意したことがあったのに、なかなか言い出せなかった。本当に逃げ出さないでいられるのか、確信が持てなかったし、断られたらどうしようという気持ちもあった。
「どうかしたか。やっぱり通報しろとかいう話なら聞かないよ」
 軽い口調で言ったゼンの目の下には、隈がある。
「いえ……調子悪そうですね」
「調子いいわけないだろ」
 別に怒っている感じではない。感情が切り離されているみたいだ。
「ゼンさんは、怒らないんですか?」
「もう怒りすぎたのかもな」
「え?」
「自分自身に怒りすぎて、感情が枯れたのかもしれない」
「自分自身に?」
「俺ももとは記憶商だった。記憶産業に可能性を感じてこの世界に入った。記憶売買は発展するだろうから、儲かるんじゃないかと思って。でも、記憶売買のせいで、記憶は犯罪の証拠にならなくなった。記憶売買なんてなければ、陽菜はあんな目に遭わずに済んだかもしれない。少なくとも、犯人は捕まっていただろう。俺は記憶産業にかかわるただの一人でしかなくても、陽菜を苦しめた記憶売買に加担したことに違いはないんだ」
 なんだ。それが、記憶売買を終わらせたい本当の理由なんじゃないか。確かめられもしない陰謀論なんかじゃなくて。
「ゼンさんのせいじゃないです」
「俺にはそうは思えない。しかも、陽菜も陽斗もこんなことになって、笑えるよな。五年前は、これ以上ひどいことなんてないと思ったのに。これ以上ひどいことなんてないと。楽観的だったんだな、俺って」
 ゼンは顔の皮を震わせて笑った。確か、ジャックがガラの悪い男たちに連れて行かれたあとも、ゼンは笑っていた。そんな顔を見ているのがつらくて、わたしは口を開いた。
「わたしも、記憶売買なんてなければって思います。そんなものなければ、文香は死なずに済んだと思うんです。文香にも悩みがあって、それはどうしようもないものだったのかもしれないけど、記憶に逃げたから、こんなことになっちゃったと思うんです。記憶じゃなくて、もっと別の癒しを見つけられたかもしれないし、もっと長い、別の人生があったんじゃないかと思うんです」
「大切な友達だったんだな」
「中学の卒業式以来、ずっと会ってなかったんですけど。わたし、子供の頃に母親に虐待されてて。その時、文香の言葉に救われたんです。文香がわたしを変えてくれた、唯一の人なんです。ほかに友達も彼氏もいないけど、文香がいたからわたし、生き残れたと思うんです」
「そうか。ずっと一人だったのか?」
「ええ、まあ」
「頑張ったんだな」
「え?」
「ずっと一人で、頑張ったんだな」
 その時、懐かしい感覚がした。なんだろう、これ。そうだ、あれは小学三年生の夏だった。暑い日だった。いつも水泳の授業は見学していたけど、その日は特別暑かったので、具合が悪いふりをして先に教室に戻っていた。一人で体操服の腹をバタバタさせて涼んでいると、戻ってきた文香にあざを見つけられたのだ。
 自分でも気づいていなかった、ずっと言ってほしかったことを言ってくれた、という感覚。文香の言葉を聞いた時の気持ちがよみがえった。
 そうか。わたしはずっとこれを言ってほしかったんだ。頑張ったねって、誰かに言ってほしかったんだ。
 じわじわと目が潤んできた。涙が熱い。どんなに母親に殴られても、ヒナが目の前で殺されても、文香の死を知っても、泣かなかったのに。
 多分、つらさには耐性があるんだろう。でも、こんな気持ちには慣れていないから。
 ゼンがわたしの顔を怪訝そうに見る。
「なに泣いてんだ?」
「あの、ほんとに、偽記憶をたくさん売れば、記憶売買がなくなりますか?」
「え?」
「記憶売買を終わらせたいんですよね?」
「ああ……終わらせたいよ」
「そのためには、偽記憶を作って売ればいいんですよね?」
「そう簡単にはいかないだろう」
 ゼンはあっさりと言う。
「いくら質の高い偽記憶を作ったとしても、やっぱり本物の記憶がいいという買い手は根強く残るかもしれない。いや、そういうやつが大半だということも有り得る。本物の記憶だと偽って売ったとしても、記憶管理ソフトに落としてしまえば、偽記憶だということはバレるんだ。偽記憶だとわかるようにマーキングしてあるから。そうしないと、記憶が犯罪の証拠にならない現状は変えられないからな」
「でも……」
「でも、信じてやるしかない」
 ゼンのきっぱりした言葉を聞き、わたしはあふれた涙をスタジャンの袖で拭った。
「わたし、加工屋になりたいんです」
 やっと、言おうと思っていたことを言った。
「一緒に仕事をさせてください。パソコンとか全然わかんないけど、教えてください。絶対早く覚えますから。わたし、記憶売買を終わらせたいんです」
 わたしは頭を下げた。
「ゼンさん、お願いします」
「……俺のことは、ゼンでいいよ」
 わたしは顔を上げた。
「わたしのことは、雪湖って呼んでください」

「こんにちは」
 約半年後、わたしは久しぶりの場所にいた。
 ナツメグは、わたしを見て驚いたようだった。
「ええと、セッコ」
 わたしが再びここに来るとは思っていなかったのだろう。別にナツメグなんかこわくない。素手で一瞬にして人を殺せる怪物だろうと、わたしは殺されないから。
「久しぶり。変わってなくてほっとしたよ」
 そう言って笑顔を向けるわたしをナツメグは頭から足先までじろじろ見る。
「そっちも変わらないな。でも、なんか顔色よくなったか?」
「そうかな。ビビは?」
「今日は休みだよ」
「そう。まだ辞めてないんだ。まあ、わたしが用があるのはナツメグだからいいんだけど」
「どうした? また記憶を売りたいのか?」
「違うよ。そうだ、ハルトの記憶って、売ったの?」
「もちろん。売り上げ報酬はゼンに送金したんだけど、送り返されたよ」
「そうなんだ。知らなかった」
 ゼンからその話は聞いていなかった。でも当たり前。ゼンがそんなお金を受け取るはずがない。ナツメグとも二度と会わないだろう。そうであってほしい。
「で、どうしたんだ?」
 わたしはCDをナツメグに差し出した。
「これ、わたしが作った偽記憶なんだけど、ちょっと見てくれない?」
「お前、加工屋になったのか?」
「まあね」
「もしかして、ゼンに弟子入りしたとか?」
「まあね」
 警戒されたらされたで構わない。この記憶の出来を見ろ。目先の利益に飛びつけ。
「あとで見るよ」
「今見てよ」
「ええ?」
「早くー」
 ナツメグは渋々CDをパソコンへ入れた。
 データを確認するナツメグの表情が真剣になった。画面をスクロールしながら、眼球が細かく左右に動く。わたしは黙って見守っていた。
 約十五分後、やっとナツメグはディスプレイから目を離した。
「買うよ」
「やったー」
 わたしたちは値段の交渉に入った。話はすぐにまとまった。今はナツメグを利用させてもらおう。せいぜい今のうちにいい思いをしておくといい。いつかこの商売を取り上げてやるからな。

わたしは意気揚々と事務所を出る。第一歩を踏み出せた。そう、これはまだ第一歩。
 わたしのバッグの中には、データの入ったCDがまだ何枚も詰まっている。これから、ほかの記憶商のところにも営業に回るのだ。ゼロから作った記憶を売りまくるぜ。わたしが作ったとナツメグには言ったけれど、わたしとゼンの合作だ。
 偽記憶をたくさん出回らせることができたとして、その先どうなるか、それはわからない。本物の記憶の売買をなくすことができるのか、できないのか。もしかしたら、偽記憶によって、依存者をさらに増やすことになるかもしれない。そうなったら、ゼンとわたしは、誰かの人生を壊してしまった責任を取れるのか。
 わからない。リスクがあることはわかっている。この先、誰かに恨まれて、殺されるかもしれない。でも、決めたのだ。本物の記憶売買を終わらせるため、わたしにできることをすると。
 文香、とわたしは心の中で呼びかける。
 わたしは、得意なことも、やりたいこともなんにもなくて、自堕落で、ただ流されて、空っぽだってわかってたけど、なんにも変えようとしなかった。文香のおかげで助かったのに、その助かった人生をただ無駄に過ごしてた。それでいいと思ってた。でも、やっぱり違うって思ったんだ。
 文香、わたし、初めて心の底からやりたいことを見つけたよ。必ずこれをやり遂げてみせるからね。

文字数:45184

内容に関するアピール

序章感が出てしまいました。この設定であと何本か書ける気がしています。続編でも、それぞれの登場人物について掘り下げるでも、同じ世界観で別の登場人物を出して別の角度から書くのでもいいかもしれません。

涙腺ゆるゆる大王のわたしは、自分で書いていて泣きました。というのは嘘ですが、個人的には、主人公が泣くところと恐竜のぬいぐるみがぐっときます。

今回は主人公を二十四歳高卒フリーター女という自分と同じ条件の人物に設定しました。もちろん自分とは違う人なのですが、なんとかしてクオリティを上げたかったので、自分に近い主人公にしたほうがいいと判断しました。また、いつもは、三人称の中に一人称が混じっているような書き方をしているのですが(そういう書き方がかっこいいと自分では思っていますが上手くいっているのかどうかはよくわかりません)、これもクオリティを上げるため、余計な技巧は使わないように一人称にしてみました。

わたしは教養も人生経験も乏しいですが、その分伸びしろはあると思っていますので、これからも頑張ります。ありがとうございました。さようなら。

文字数:465

課題提出者一覧