今、人間になりたて

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今、人間になりたて

―――あるいは小さな赤頭巾―――

   §1

二年間入っていた土浦拘置所支所から、妹は東京拘置所に移送された。結審したから、そして刑務所に入る判決では無かったから。
 死刑囚は刑務所に入らないのだ。
 高い塀沿いの道路を歩き、門をくぐって建物を目指すと、右手に続く植え込みの先に荒川が見える。この中で日々を送る者は塀の内側ばかり、コンクリートばかりを眺めるのだろうと思っていた私は、妹の日常に水の見える景色があることを意外に思った。そして、何より意外だったのは、そのことを妹のために良かったと感じたことだ。
 私は恵美里が妹であった間、ずっと憎んでいた。憎むとはその分きっちりと心の領土を明け渡すことだ。私は恵美里によってそれを学んだ。けれど別れてからは、妹が心を占めることは無かった。ただ軽蔑し、簡単に切り捨てていた。憎しみに蓋をしたというのでは無い。妹はただそれだけの薄っぺらな、    人間として尊重する必要もない存在だったのだ。そう思う私も違う種類の薄情な人間なのだろうが、だからこそ良かったと思ってやれるし、弁護士を通した面会の求めにも応じている。
 関わり合いにならない方が幸福でいられる存在がある。
 私はそんな人間を何人か知っている。
 それでも、執行までに残された日々の要求であるなら応じてもいい。私はそう思い、ここに来た。
 拘置所内の長い廊下を、刑務官に従って何度も曲がる。階段を上ってまた降り、どこに進むのかわからなくなる。窓は人の背より高い位置で細く、冬に向かう午後の低い日差しはほとんど水平の高さ、壁の上の方に射していた。
 角を曲がるとまた階段で、ちょうど私服の女が降りて来た。この建物で私服の人間は面会者だけだろうが、一人きりだ。一階の窓に切り取られた日差しは階段の上段に細く射しこんでいて、女が降りるにつれ光はその体を舐め上げた。足先から腿へ、腹へ、二の腕へ、そして鮮やかな唇へと。
 面会を終えた帰りは刑務官が付かないのか、あるいは何度も面会を重ねている者は単独で行き来するということがあるのだろうか。私達が近づくにつれ、女はうつむき、すれ違う時には顔を背けたから、その顔立ちや表情まではわからなかった。けれどハイヒールに慣れた身ごなしと、きっぱり濃い化粧。田舎であれば水商売かと思う造りだった。ただ靴や化粧の派手さに引き替えて沈んだ色合いの衣服は地味というより野暮ったく、ここに来るための身仕舞いなのだと思われた。
 私も今朝まで着衣に迷い続け、結句が今の服装だ。まさかこの場に遊び着ではなかろうが、仕事のスーツに袖を通す気はしなかった。黒っぽい衣服は喪服めいて感じられ、かといって明るい衣服もふさわしくない。堅苦しくなく、きちんとした服がいい。そう思い、なんだか老けて見えてほとんど袖を通していない格子縞のアンサンブルを着てしまった。 

どこでも着られそうに思って結局どうにも駄目な、中途半端な服。
 もう三十代というのに、私は自分に何がふさわしいか、よくわからない。

弁護士の連絡を受けた時、ここに来ることに迷って友人の一人に電話した。好きなことばかりに打ち込んでいて、およそ世間で取りざたされる三面記事に興味は無い人だ。
 自分の家族にも黙っている事を話せず言いよどむ私に、
「会うのに理由なんか要らないよね、会お」と言い、それは当然私と恵美里のことではなく私と彼女のことで、
「いきなり会いたいって言われると、結婚の報告かと思っちゃうけどね、つまんない年になったもんだ」おおげさなほど明るかった。
 結局この面会の事は話さなかったけれど、
「学生時代は最安の服とっかえひっかえすれば良かったけど、今はさー、もうオトナ? でさ、一枚がけっこう高いんだから仕事にも休みにも着られる服、なんて思うと、結局中途半端になって全然だめー。どっちにも着らんないよね」
 そんなおしゃべりをしてくれる友人がいる自分は、大丈夫なのだと思えた。互いにやりがいのある仕事や不満でない収入だって持っていて、でもそれが重要では無いのだと思える。
「似合ってる。会社の製品?」
 勤務先が布地テキスタイルメーカーなのだ。でもお仕着せでなく自分と服の両方を楽しんでいる人に見える。
「これだけ。取引先の義理」鎖骨のあたりをつまんで、
「ここのライン展開ね、二十一歳と四十五歳なんだから。古すぎる」
 それからひとしきり、アパレルメーカーのボリュームゾーン設定は今時通用しない、過去の成功にしがみついて切り替えようとしないのだと言い、都心に出店したアンテナショップの話をした。売上動向が取引先の見込みとは全く違うのだという。それは仕事の愚痴というより私の気を引き立てようとする話し方に思えた。私が何かにふさいでいることは伝わるのだろう。自分も仕事で理不尽な思いをしているのだと伝えてくれる友達。
「もうすぐ東京に行くはずだから」私は言った。「そのお店にも行きたい」
 凝った布帛を使った服飾品やインテリアの店なのだという。楽しめることが何か欲しかった。
 嫌でたまらない場所に、私は行くことを決めたから。
「あ、私の業績にはなんないから無理に買わなくていいよ、社販にもできないし。でもね、」
 遠くを思い浮かべる目つきをして、
「珊瑚礁とか、花ざかりの森みたいな店だよ」ぱっと、笑顔になった。
 嘘のない笑顔。
 私には、いつも友人がいる。ありふれた悩み事を気軽な言い方で伝え合って来た、大切な友人がいる。本当は困り果てていることでも屈託なく語れる。あるいは語らなくてもいい。
 私は穏当な人間として生きられるだろう。
 それなのに、なぜ嫌なことをしたいと思うのだろう。自分のことがわからない。
 私は恵美里からどう見られるのだろう。あれにどう思われようがどうでもいいはずだが、まともな人間として見られたい気はする――――― のだろうか?
 それはわからないというより、考えたくない、切り捨てたい事だ。だからこんな身なりになったのだ。

ドアが開いた時、その輪郭が歪んで見えた。面会人と受刑者を隔てる透明な仕切りはガラスではなく、アクリルらしい。大きなアクリル板はガラスより高価で摩擦に弱いのだが、安全を重視する施設では良く使われている。透明度は高いがたわみやすく、その先にある物が屈曲して歪んで見えるのだ。ドアを大きく開けたのは刑務官で、しかしそこから入室したのは恵美里だった。
 私が深く黙礼したのに対して、恵美里は頭を下げたりしなかった。片手を顔の傍に挙げて、
「お姉ちゃん、やっぱり来てくれた」まるで軽い挨拶。そして透明な隔たりの向こうに、腰掛けた。
「すっぽかす人もいるから」
 他にどれほどの人間を呼んだのだろう。私が答えないと、恵美里はアクリル板に触れ、小首をかしげ、間を置いてから、
「やっぱりお姉ちゃんは世界一いい人」そう続けた。
 広げ加減にした指の形も、話し出す間の長さも、わざとらしく自然ではなかった。そしてその言葉。まだそんな大げさなことを言うのだ。
「もう二十年になりますね」
 私はようやっと声を出せた。
「そんなになるんだねえ。でもお姉ちゃんよりいい人、私知らない」
 そんなお世辞は言わないで。機械だって、もっと自然な言葉を選ぶ。
 大げさすぎる言葉は薄っぺらで、その言葉通りの意味は伝わらず、そのくせ毒は届く。
 仕事では時折あることだと、私は自分をなだめる。仕事のつきあいでは上滑りで実のないお世辞を言ってくる者がいる。そのたびに内心身震いするが、職務のなりゆきだとも思い、表面は難なくやり過ごして来た。それなのに、今私は嫌悪感を隠せていない。ひどい顔つきをしていることだろう。
「お姉ちゃんすっごくきれいになったねえ。やっぱりお父さんに似てる」
 みぞおちが、ぐ、と締め上げられるように感じた。
 私の父。
 恵美里には裁かれなかった罪がある。裁かれた罪はすべて私と無関係で、私は裁判に呼ばれることも無く結審した。けれど私の父は恵美里に      
 恵美里の母親が、父に言った言葉を思い出す。
「あなたが恵美里のお父さんで良かった」そして父の膝に乗る娘に顔を移し、「お父さんは世界一の人よ、恵美里」あの、わざとらしくおおげさな言葉。
 鼻に生臭さがよみがえる。鼻の付け根がジン、と引き絞られる感覚がする。
 恐怖。
 あの頃、私は公正な人間になりたかった。

   §2

三人の内、私が初めに会ったのは恵一さんだった。恵一さんは私の両親が別れる前から家に出入りしていた。
 清水港に近い家で、父は古紙回収業の仲卸をしていた。今でも家庭からの古紙回収は「ちり紙交換」と言われるが、それとは違う。ちり紙交換の個人営業者や市町村の塵芥処理場から古紙を買い入れ、まとめて製紙工場に売る仕事だ。今では古紙回収は公共事業に喰われ、利ざやが稼げないから中間の卸業は無くなっている。父の生前もじり貧だったろうに、父は「静岡は日本中から、いらない紙が集まるんだ」と言っていた。「静岡は日本一の製紙産業地だ」と。父は静岡を“しぞーか”と発音したものだ。
 私が生まれてすぐバブル経済は破綻していたが、エコロジー指向は高まり続けており、純パルプ紙より再生紙が高額で流通するという現象が続いていた。どれほど捨て値であるにしろ古紙は幾らでも引き合いがあり、かき集めさえすれれば製紙会社に売れた。
 原料古紙の分別程度と比例して、再生紙は上質になる。分別程度が低い古紙は買い叩かれる。父の同業者は、古新聞専門の仲卸が真っ先に倒れ、段ボール専門は最後まで残った。製紙会社がチラシの混じった古新聞の引き取り値を徹底して下げるようになり、仕分けコストは割に合うわけがなかったからだ。
 そんな中、父は他県から、返本になった雑誌を集めていた。
 雑誌の返本は流通ルートに再度乗せないために、断裁処分するものだ。しかしシュレッダーに掛けるともう再生出来ず、焼却するしかない。出版社や取り次ぎ本社に近い地域では断裁していたのかもしれないが、本社の目が届かない地方では、返本は回収してまとめた後、そのまま古紙再生ルートに流していた。
 人間の手がまだ触れない新品であっても、時期遅れの雑誌など、商品価値は無い。それで目こぼしされていたのだろうが、父は書店取り次ぎの下請け業者に話を付け、集めた雑誌は台湾の業者にコンテナ一杯幾らで売っていた。台湾で大人気のマンガが、清水港から捨て値で流出していたのだ。幾らでも引き取ると言われ、父は有卦に入ったつもりで、他県の返本輸送業者を探していた。古紙が日本中から集まる静岡という土地柄を隠れ蓑に、父は上手く立ち回るつもりだったのだろう。
 今では絶対に通用しない商いで父は身を立てようとし、そして確かに一時、愛人まで蓄える成功を納めた。
 家の裏にある倉庫は、友達に「体育館みたい」と言われたほど広く、そこには申し訳程度に雑古紙もあったけれど、次第に雑誌ばかりが積み上げられるようになった。
 父の集める古雑誌は、ある頃から数種類のマンガ雑誌ばかりになり、そして、製紙会社に持ち込むのではなく、家の倉庫からコンテナに積んで、港に運ぶようになった。それがなぜか、幼い私は知らなかった。雑誌の出版社には二大系列があって、その一方の系列は当時チェックが甘かったらしい。私は週遅れでも毎号必ず届くようになった雑誌をそれぞれ一冊ずつ抜いて、号数順に読んだ。大好きな連載があって、それが掲載されている一種類だけは戻さず倉庫の隅に寄せていたら、父が「それだけだぞ」と私に与えてくれた。 

恵一さんは、取り扱いがわずかになった雑古紙の再仕分けをする人として、倉庫に出入りしていた。
 はじめて会った時、コンクリートの床で漫画を読んでいた私に、恵一さんは椅子を持ってきた。私は読むのに夢中で物音にも気付かなかったから、いきなり声が降ってきたことに驚いた。
「使いな」
 見知らぬ人は、抱えてきたパイプ椅子を私のそばに下ろした。
 面食らっていた私はやっと、
「こんにちは」とだけ言った。
 恵一さんは、ゆっくりした口調で、
「使いな」そう繰り返した。
「床は冷たいろう」
 冷たいだろうから椅子に腰掛けなさい、という意味だとわかるまで数秒かかった。
 ぶっきらぼうな言葉遣いをする人は大抵声が大きく強い。ところが恵一さんは初対面の子供に親切な申し出をしているのに、心ここにあらずというような、弱い、とろんとした声だった。
「ありがとうございます」
 私は椅子に座り直した。恵一さんはとろんとした表情のまま、うなずいただろうか? それから雑古紙の小山に向かった。
 私は本を読み、恵一さんは古紙に混じった異物を抜く仕事。離れて言葉を交わすこともなく別々に、紙に触れ、紙の音を聞いていた私たち。
 随分経ってから、恵一さんは再び私に近づいて来た。今度は私も気付いて本から顔をあげていたのだけれど、
「花は好きかな」
 そう言ったことばが、私の耳には全く意味をなさなかった。
 人の発音は不思議だ。音量があっても何を言っているのか全く聞き取れない人、聞き取ってもらえない人がいる。その一方で、かすかな声量で、周りに鮮明な意を届かせる人もいる。恵一さんの声は弱いだけでなく、後々慣れるまで聞き取れなかった。
 どこか遠いところの、聞き慣れない方言のせいだろうと子供の頃は思っていた。それから何年か後に発声法を学んだ私は、恵一さんは訛りが強いのではなく、喉や口蓋の使い方を身につけられなかったのだと思うようになった。発声の仕方は人によって驚く程幅がある。育った地域や過ごした環境が違いすぎると、互いの言葉は聞き取れず、伝わらない。恵一さんは私とは違う場所で生きてきただけでなく、自分の体の使い方や力の出し方が身につかないままだったのだろう。今の私はそう思っている。
「女の子は、花が好きやろう」
 恵一さんは重ねて言い、一輪の花を私に差し出した。青い、ケシやトルコキキョウに似ているけれど、もっと、透き通るようなふわふわと広がる花弁。見たことが無い花。
「きれい」
 小学生は、人に物を貰っちゃいけませんと大人に言われる。けれど大抵の大人は子供に物を呉れるのが大好きだ。
「いただいていいのですか?」
 私は大人と会話すると「敬語が上手い、礼儀正しい」いつもそう言われたが、同級生が居あわせると「変な言葉づかいー、やりすぎだよ」とからかわれた。
 場に合わぬ敬語を遣う子供は、人を鼻白ませる。
「うん、きれいかろう」
 けれど恵一さんは少しも頓着せず笑った。表情の変化はゆっくりとして、まるで背中の紐を引くと目鼻が動く仕掛け人形のように、顔のあちこちがばらばらな速度で変わると見えた。
「ありがとうございます」
 私は指から指へと受け渡された花をつまんで倉庫を出た。花瓶に挿して水をやろう。母は珍しがるだろう。
「離れると長持ちはしないがね」
 恵一さんは古紙に混じるビニール袋を外しながら、私に声を掛けた。

花に似合う一輪挿しが見あたらなかったから、私は水を満たしたコップに活け、母が帰ったらすぐ気付くよう、台所の流し台に置いた。薄暗い台所で花は光を放つように柔らかく青く、けれど母が帰ってから台所を覗きに行くと、花は無くなっていた。食器に食べ物以外を入れたから、怒って捨てたのだろうか? その頃の母は、小さな事にいらだち、私はなぜかわからず不安だった。
 今ならわかる。夫が愛人をつくっていたのだ。
 その時は母が花を捨てたのだと思ったけれど、その後も恵一さんは度々小さな物をくれ、それは恵一さんから離れるとすぐに無くなってしまうのだった。

 あの綺麗な物たちを、私はほとんど忘れてしまった。

覚えているのは、るりいろに輝く透き通った甲虫。脚一本まで透き通っているのに生きて動き、羽根を広げて飛び、その輝きは外に出て日光に溶けた。砂糖細工のような淡い薄緑をした小鳥の卵。私の手の中でぱりぱりと音を立てた記憶があるが、恵一さんは音を作ることもできたのだろうか? 私が記憶に音を付けているのかも知れない。それは音と共に殻が割れ、中から雛ではなく金色の光があふれ、手のひらは冷たいのに燃え上がり、燃え尽きた。
 どれも光を放ち、小さく、揺らぎ、つかの間の命を示した。
 今思い返せば私はこれらのおもちゃ達の魅惑を喜んだが、ただ束の間喜んだだけだった。口止めされたわけでもないのに、人に何かさせることが出来るとは思えないほど恵一さんは気が弱いのに、私は彼の魔法を誰にも言わなかった。
 言ってもそのまま信じる人は誰もいなかっただろうが。

恵一さんに、なぜこんな事ができるのか尋ねたことがある。恵一さんと交わした一番長い会話だ。
 手品師の技術があるのだろうか。虚空から物を取り出すように見せ、それからホログラム機器を使うといったことだろうかと私は予想していた。けれど、恵一さんの答えは違った。
「あー、人間には、できんことだーね。人間には」
 いつも聞き取りにくい発音なのだが、繰り返される“人間”は、聞き違えようがなかった。
 私は、注意深く、
「恵一さん、人間じゃないの?」フラットに聞き返した。
 もし少しでも感情を込めたら、バカにしたり冷やかしたりしていると思われそうな返答だったからだ。
 あまりに非常識な事を言い出す子は、大抵子供の中でバカにされる。(あいつ、三年生にもなってサンタさんを信じてるんだぜ) 私はそうしたくなかった。思いこみで人を傷付ける点では、非常識な子もバカにする子も一緒だと思っていた。私は子供時代、〈公正である〉ということに、常に固執していた。
 父の不誠実と母の神経質は私の性質を強めたかも知れないが、それだけが原因とは思わない。いや、父と母が原因だったとしても、私は私だ。私は自分で考え、行動した。それだけだ。
 だから「自分は人間ではない」という目の前の人の発言も、まっすぐ受け取ろうとした。
「うん。人にいいふらしても、誰も信じないから俺は隠さない。おれはこの星の人間では無い」
 恵一さんの言い分が全くの嘘だとしても、この言い方は私の気に入った。
「自分で、宇宙人だと思ってるの?」
「ああ。そういうことだな」
 人が思う宇宙人なんかとは違う、という気配であったけれど、恵一さんは話し出した。
「ここからは遠い、遠いところにいたのだが、飛ばされてなあ。何か悪いことをしたんだな、きっと。で、この星に向かって、ここに来るには、何年も何年もかかった」
 唐突すぎて、まだ十歳の私は、どんな宇宙船だったのとか、何て言う星から来たの、とか質問することにも気付かなかった。ようやっと訊ねたのは、
「どんな感じした?」それだけ。
「ああ、寒かったな。うん、ずっと寒かった」
「どんな気持ちだった?」
「気持ちか。ああ、思い出した」
 恵一さんは語り出した。
「暖かいって、思ったよ。朱色の太陽はずっと見ていたが、地球が見え出すとね、寒いのに、暖かかった。この星の光が青く見えだして、光が強くなって、段々大きく見えだして、それを見てるだけで、暖かい気がして、うん、だからもう、悪いことはしなくてもいいんだ」
 うわごとのように語り、曇ったガラス玉のように感情を示さない目は、私を見てはいなかった。
 私はそれを信じるとか、信じないとか決めつけたくなかった。ただ恵一さんにとって大切な話を私に聞かせてくれたのだとわかった。

私にとってはそれよりも、恵一さんがコンテナパレットの廃材をばらし、長い板をヤスリがけしてくれたことの方が嬉しかった。古いコンクリートブロックは倉庫の隅に転がっていたから、板とブロックで私は本棚を作った。記憶の本棚は四メートルもあったように思うけれど、二メートル足らずだったかも知れない。週刊漫画誌一年分を一段に並べ、私はそれをたいそう誇らしく思った。毎年一段ずつ増え、三段目の途中まで、雑誌はぴっちりと並んだ。もっと増やすつもりだった。
 私は恵一さんがいない時には飼い犬のスコッティを連れて倉庫に入った。恵一さんは気が弱くて犬を怖がったから。スコッティを膝に置いて好きなだけマンガを読んだ。
 薄汚れた倉庫の隅で、私は満ち足りていた。

大人達は恵一さんを、極めて無害で無気力な人間と見なしていた。父の仕事の手伝いなど、ほとんど金にはならなかったはずだ。
 近所の大人と父が話しているのを聞いたことがある。
「まだ年寄りというには早かろうが、まったくじいさまだからな」
 それが誰のことか、すぐにはわからなかった。
「ずっと娘に養われて。光子さんは苦労し通しだろう。」
 私はその時も倉庫で本を読んでいて、数メートル離れた父達は日差しの強い外に立ち、荷物の陰に座る私に気付かなかった。私は聞くともなしに会話を耳にしていた。
「光子さんの店では働きもなかろう(手伝える仕事もないだろう)もんな」
「子供の面倒は見すぎるほどで、おじいさんばかりに懐いて、ぺったり離れなくて困るからって、それで、うちの手伝いに追い出されたようなもんなんだ」
 うちに手伝いに出されたじいさま。恵一さんのことだ。私は本から父たちへと顔を移していた。
 父の言葉に、近所のおじさんは意味ありげに卑しく眉を上げ、父の顔をすくい上げるように見た。
「光子さんはずいぶんいい   女ぶりだが、子供は大きいのかい」
 この人は父の同級生で、いわば父の親友だったろうと思う。
 あの中年男の、日差しを受けた額がまぶたを引き上げる眉の動きで一瞬に波打ち、陰影がついた事を、私ははっきりと記憶している。平らかでてかてかとした部分が、それこそ洗濯板のように波打って、凹凸が出現したことを鮮やかに思い出せる。
 恵一さんが見せてくれた幻の数々は、ほとんど忘れてしまったのに。覚えていてもあの輝きの鮮やかさは失われているのに。
 父は答えた。
「恵美里は、もうすぐ小学校だ」
「ああ、元々ここいらの人ではないから、恵美里なんて名前か」
 私の故郷では、陶器に走るヒビを、「笑みが入った」と言う。“えみり”や“えみいり”は、割れヒビの事を指した。子供時代、他にエミリという名の人に出会った記憶が無い。
 ありふれた名のはずが、地元の人間には異様に聞こえた。
 私はその子と一度だけ会っていた。

学校から帰ったらスコッティを散歩させるのが日課だった。

その日もいつも通りランドセルを置こうと自分の部屋に入った。夕日が差す窓からは枠に切り取られた赤い光線が火のように差し、その向こうから子供の泣き叫ぶ声がした。猫のたける声とも似ているが違う、学校で一年生くらいの子が出している声だと思った。
 すぐ暗くなるのに。
 近所に小さな子はいないのだから迷子かもしれない。心配になって、スコッティと通りに出た。子供の姿は見えず、叫び続ける声は路上でもよその家からでもなく、家の古紙倉庫からだった。倉庫の入口に近寄るにつれその嗚咽が不自然なことに気づいた。わざと大きく声を上げて、泣いていることを人に訴える調子だ。その大声に掻き消えそうに、恵一さんが話している。何を言っているのかはわからないけれど、なだめる声色こわいろだった。
 私は倉庫を自分の家の一部と意識していたし、スコッティは尚更のこと倉庫をテリトリーだと思っていた。けれど、小さな人間が泣きじゃくる声に私と犬は怖じけ、スコッティは吠えた。とたんに泣き声は止み、代わって恵一さんが犬に怯える細い悲鳴が続いて、それから無音になった。あんなに激しく泣いていたのに、嗚咽も残さないで泣き止むなんて。
(嘘泣きみたいだ)
 下級生の頃、人の気を引きたくてことあるごとに泣く子がいた。いきなり泣き、いきなり泣き止んで笑い声を立て、周りを驚かせた。私は学校で泣くのは人を振り回す嫌な振る舞いだと思っていたけれど、泣く子よりそれを迷惑だと言い立てる子の方が嫌いだった。
 泣いたり笑ったりが激しい子と、それに対する嫌悪を口にする子と、どっちが正直なのだろう。どちらも人を自分に引き寄せたいだけに思えた。人にすがって、人を操りたいだけに思えた。素直なはずの感情が人を操る欲望に簡単にすり替わってしまうのだとしたら、私はそんな気持ちを持ちたくなかった。
 好悪や卑しい欲望でなく、公正に、すべきことをしたかった。
 私はスコッティを鳴き止ませて抱き上げた。そして倉庫に一歩体を入れた。
「ごめんなさい恵一さん、犬は捕まえてますから大丈夫」
「ああ、ああ。」
 腑抜けた声で恵一さんは応じ、そのそばには女の子がいた。片手は恵一さんの袖を掴んで片手は顔をこすっている。幼稚園の子らしくスモックを着ていた。
「こんにちは。恵一さんのご家族ですか」
「うん。ミッコご挨拶して」
 その声は、今までと違ってとろけるような調子。大人の男の人が女の子に話しかける時にままある声色だった。その子といるのが嬉しくて、ご機嫌を取りたいのだという声だ。
 しかし女の子は強情そうに、
「光子じゃないいい、」
 声を伸ばし、目を腕で覆ったまま私に顔を向けた。
「犬、早くどけて」
 ひどくじゃけんな仕草と物言いだった。よほど怖がらせたのかなと思って、私はスコッティとそのまま散歩に行くことにした。
 倉庫から通りへ出ると、白い薄片が降ってきた。真っ白な鳥の羽。それが一枚、二枚、右に左にとひらめきながらゆっくり目の前まで舞い落ちる。続いて丸い綿毛のような羽毛が幾つもふゆふわと揺れ落ちてきた。
 それは恵一さんの仕業ではなかったかもしれない。けれど夕日を浴びてとりどりに色を反射させるそれは、目の前までゆっくりと落ちたのに手を伸ばしても触れられず、風にさらわれて消えてしまった。私は恵一さんの贈り物だと思った。
「なんでお金出しちゃ駄目なの。なんでもできるのに」
 私は背中にそう聞いた。
 散歩中、女の子のことを考えた。恵一さんにお金を作ってとねだっているのだと思った。恵一さんがお金を出してみせても、きっと使う前に消えてしまうだろうに。それとも恵一さんと一緒ならお金も消えないのだろうか。もう悪いことはしないって言ってたけど、前はそんな悪いことしてたのかな。もう今の恵一さんはいい人だから断ってあの子を泣かせたのかな。あの子は消えてしまうお金で買い物したいんだろうか。
 私は恵一さんがなんでも作れるし、なんでも人に見せることができると思っていた。それと日常の世界が齟齬をきたすことは無かった。恵一さんの不思議な力はとても小さいもので、その力で私に時々贈り物をくれるだけだから。私はそれを誰にも言わなかった。
 言わなければそれで済む。そして恵一さんのことを詮索する気は無かった。聞かなければそれで済む。知らずにいればそれで済むのだ。
 そんなことを私は小さい頃から知っていた。
 間違ったことをたくさん知っていたわけだ。

「あの子はエミリっていうんだね、本当の名前」スコッティには言ったと思う。スコッティがいれば声にできた。それはただの独り言なのに、スコッティはいつも三角旗のようなしっぽを振ってくれたから。
 父と友人、恵一さんと恵美里、それぞれのことを他人事と聞き流したのに、ほどなくして恵美里は私を「お姉ちゃん」と呼ぶことになった。

   §3

両親の離婚は九月で、父はしばらくして恵美里と母親の光子、それから恵一さんを家に入れた。それは十一月、私は六年生だった。祖父母はとうに亡くなり、今度は母が出て行ったから、家には私と父の二人で、空き部屋が幾つもあった。
 あの時、父は私に何と言ったのだろう。父の言葉で覚えているのは断片だけだ。
 私が父の元に残ったのは公正な人間になりたかったからだ。
 いや、公正な人間でありたいと思っていたからだ。
 父と母が離婚すると知らされた日、私は犬と家出した。夜の庭はスコッティが自由に走れるよう、門に施錠していた。肩の高さの門をよじ登っていると、スコッティが駆け寄って足に飛びついた。私は悲しくて混乱していて、そしてスコッティがしっぽを振っていることだけが嬉しくて、一度地面に降りると犬を抱き上げ門の向こうに降ろした。
(リード無しに外に出しちゃ駄目。スコッティを守るためだからね)母から何度も言い聞かされていた言葉を、あの時だけ破った。私は再び門を乗り越え、暗い通りを海に向かった。
 スコティッシュ・テリアの混じったぶち犬は、私の足元にぴったり寄り添い、離れなかった。
「ごめんね、スコッティ」
 普段の散歩では、スコッティは精一杯偉そうに、いばって歩く。しかしその時、スコッティは耳を妙に立たせ、何度も家の方を振り返り続けた。明らかに帰りたいのに、私につきあってくれたのだ。
 悲しくて混乱していて、それでもスコッティの分だけ嬉しくて。
 私は海岸を見たかった。広がる黒い水を、見たかった。
 もう虫の鳴く季節は過ぎて、肌寒い夜の裏通りはテレビやモーターの音が際立つ。昼は耳に入らない生活音は歩くにつれ途切れ、潮鳴りが耳に届き出した。その中を私とスコッティは歩いた。
 そうして私たちは、海岸沿いの大通りに出る前に、あっけなく父に見つかった。
 父は怒らなかった。走り疲れた者らしくあえぐ息の間から、
「頼む」そう言った。
「頼むから、一緒に、ね、」
 街灯の弱い灯り。父のかすれ声。
 まっすぐ立てず腿に両腕を当て、息を切らせていた父。うつむく体勢でものを言う、その顔は見えなかった。
 私たちは互いの顔を見なかった。私は返事も頷きもしなかったと思う。
 けれど、きびすを返して道を戻った。スコッティと、父と。
 母は家で待っていた。待っている人間が必要であることや、私が海に向かうだろうと察するのは母だけで、父に頼んだのだということを私は理解していた。それでも私を追いかけてくれたのは父で、何よりスコッティはこの家の犬だった。
 私は父に引き取られた。
 母に、
「転校したらクラスのみんなや担任の先生に悪いから」そう言った。「転校したくないから、私はお母さんと行けない」と。
 小学校のクラスで、私は一学期に続いて委員長に選ばれていた。委員長でなければ収まりがつかない生徒だったのだろうと思う。それはリーダーシップなどでは無かった。周り中に気を配っているのに友人の肩を持つことができず、女子にも男子にも先生にも信頼され重宝がられていたが、本当には頼られなかった。よく友人をがっかりさせていた。
 そして父の元に残ることで、母をがっかりさせたのだ。

   §4

夕餉の食卓に封書が置かれ、父が書類に向かっていた。
「けいいちの字はどう書くのかな」
 いくつかの欄を埋めてから、恵一さんに声を掛けた。
 当時はどこかに提出する書類だとしかわからなかったけれど、多分「修学前確認書」だった。小学校に入る前に行われる就学前健康診断は子供が就学に耐えるかを確認するものだが、その補助として幼稚園や保育園に入っていない子供に事情を書かせるのだ。
 「けいいち」の文字遣いは私も知りたいと思ったが、恵一さんの返答は無かった。いつもの茫洋とした顔と曖昧な視線。私は父から恵一さんへと目を往復させた。
 父は埓が明かないと思ったのだろう。脇にあった試し書き用のメモ用紙を一枚剥ぎ取り文字を書いて差し出した。
「これでいいのかな」
 紙を手にした恵一さんは頷いた。私がそれを見ていることをわかっていながら、父は何も言わなかった。
 そして厨房から二人が出てきた。
 若さを残した髪の長い女と恵美里。母と娘だ。恵一さんの娘と孫だ。
「今日から一緒に住む」父が言った。

その言葉以外に、愛人とその家族を家に入れることを父がどう説明したかは忘れたが、その時どう思ったかは、はっきり覚えている。
(ばちが当たったんだ。お母さんを泣かせたばちだ)
 離婚し、子供を手放すことは望まず、それなのに離婚原因の浮気相手と同居する。
 今なら言える。父は人でなしだった。不誠実なのに人に情を押し付け、自分に対する好意を求める人間。自分に対する愛情が確実だろうと見込むと、その人を簡単に傷付け、裏切った。母にも、私にも。そして自分が裏切ったくせに愛想づかしをされるとショックを受け、傷ついた。
 私は母と、今でも父の悪口を言い合う。懐かしんで言うのでは無い。肉親に徹底して裏切られた人間は懐かしむことなど無い。私と母は被害者同士だ。もう本当にこりごりだから、笑い飛ばすために父の悪口を言う。
「私の顔、父さんに似てるって、自分でも思う。段々似て来ちゃった」
 やっと母に言えたのは二十代も終わり頃だ。勇気が要った。
 母は、
「そうねえ」と答え、「あんたはお父さんに、見た目だけそっくり」と続けた。
 それから口調が一変して、
「若い頃ねえ、ん、今もね。お父さんの、“ルックス”って言うの? 顔とか格好だけはねえ   私の“タイプ”っていうのかしら」
 そうなふうに、とぼけてみせた。
 私たちはやっと、お互いの愚かさを笑いあえるようになったのだ。

 あの書類は光子が父に書かせたがったのだと思う。公的な書類に父親として書かせることに固執したのに違いない。食卓に着いた光子は父に書かせる文言を口で指示していたが、
「小学校、やだ」
 恵美里がつぶやくと、自分に寄り添って座る英美里の体を腕に覆った。そして、
「行くのよ」
 その語気は強いのに笑みを含んでいた。
「お姉ちゃんができて、恵美里はきっと普通の小学生になれる」
 その声は音一つ一つが耳に残る強さなのにうわすべりだった。何かを装うように、本当の気持ちを言っていないように聞こえた。
「仲良くなりましょうね」
 恵一さんよりも得体が知れない。艶やかな、けれど人間に思えない存在。

恵一さんの家族が同居するということの意味は、小学生の私にもわかった。父が愛人と再婚したいということだ。それなのに私は母の元へ行かず、そして光子は私を放さなかった。
「今日から一緒に住む」そう父が言った晩、私は自室に引きこもりふとんを引きかぶった。
 翌朝、光子は私を放さなかった。
 目覚ましが鳴る前に枕元に待っていて、時計のベルに目を覚ますと、光子が私をのぞき込み、にっこりと笑いかけた。
「びっくりした?」
 これほどその通りの問いかけがあるだろうか?
 一瞬に汗が噴き出した。
「お父さんに聞いてるでしょ。今日からお家のこと、私がしますからね。お姉ちゃんは楽になる」
 全く理解できなかった。父の愛人が家に入り込み、愛想良く私に話しかける?
「おはようございます」
 ぎくしゃくと挨拶した私は洗面所に立った。が、その間ずっと光子は私の傍に立ち、話し続けた。お姉ちゃんは偉いわねえ、自分でちゃんと起きて挨拶できて。私は   お母さんはね、今朝五時に起きてお姉ちゃんに朝ご飯作ってたのよ、ちゃんと朝ご飯食べないとだめよね、台所を使い慣れないしお父さんが台所をひどくしちゃったんでしょ。お母さん今日から毎日掃除とお料理がんばるからね、お料理、お姉ちゃんは何が好き(ここで私は返答しようとしたが光子は切れ間無く話し、相槌一つ打てなかった)お母さんは魚が好きでお父さんもおいしいって言ってるからお魚食べてねお魚は体にいいのよどこさへきさえんさんって覚えておくと良いわよ。頭が良くなる栄養。

私は今でも人の話を聞き流すことが苦手だ。職業は営業責任者なのに、生返事しておけばいい美容院での会話すら、気疲れする。
 なぜこのヒトはこれほど絶え間なくしゃべり続けるのだろう。話す内容に意味はあるのだろうか。私は真剣に光子の言葉を、全く真意のわからぬ言葉を聞き、その顔を見据えてしまった。
「あら、びっくりしてる? おしゃべりしすぎたかしら。仲良くなりたいから」
 更に全く理解できない言葉は続いた。女の人ってみんなおしゃべりよ。クラスで人気がある女の子って、みんなおしゃべりじゃなかった? ああお姉ちゃんも人気者よねクラス委員長でしょう学校ではよく話すんでしょうお母さんにも学校であったこと何でも話してね。
 光子は私に向かって話し続け、声が途切れることは無かった。
 私はただ混乱と恐怖にとらわれた。

朝食が準備されている食卓に、まるで縄をかけられ引きずられるように向かって、私は泣きたくなった。下座に恵一さんが座っていて、上座に父。光子は艶然と笑顔を父に向け続け、食事の間中私だけでなく恵一さんにも一瞥さえ向けなかった。恵一さんは私の隣に座り、茫洋と箸を口に運んだ。私は食べられたか? 確かに光子は料理が上手かったのだが、恐怖でほとんど食べられず、しかし申し訳程度に一口ずつ箸を付けた。馬鹿だ。食べなくて良かったのに。
「恵美里はまだお寝坊さんなの。お姉ちゃん、帰ったら遊んでね」
 朗らかな、全く理解できない、恐ろしい声。
 この場から離れようと立ち上がると、身動きしていない恵一さんのポケットから何か落ちた。足元を見下ろすとくしゃくしゃの紙切れ。拾おうと身をかがめると、紙の四隅は動いて這う子人形になり、私の手に這い入った。
 この贈り物は私しか見ていないだろう。手の中に隠して顔を上げると、恵一さんのぼんやりとした笑顔があった。
「何もしなくていいのよ」光子の声。
 父はその言葉を私に向けたものと取ったろう。後片付けはしなくていいという意味に聞いたようだ。けれど光子の視線は恵一さんを射ていた。
 知ってるんだ。見えてなくても恵一さんができることを知っている。
(恵一さんが人間でないなら、この人もあの子も人間じゃない)
 私の中で、現実と幻が初めてぶつかった。恵一さんだけなら、たとえ彼を宇宙から来たと思っていようと、誰にも言わなければ済んだ。けれど光子と恵美里が人間でないという考えは私を追い詰めた。恐れは膨れ上がった。そしてその思いを伝えられる人は誰もいないのだった。
(言っても誰も信じない)
 手の中で紙人形は柔らかくもがき続けた。
「行ってらっしゃい」
 それは今度こそ私に向けられた声。理解できない心を押し付ける、甘やかな声の肉食獣。
 家を出てから手を開くと、もうそこには「恵一」と書かれた紙くずしか無かった。私は思った。
(なぜこんなに怖いんだろう。あの人は私に何も悪いことをしていないのに。得体が知れないのは恵一さんの方なのに)
 私は公平でありたかったし、いつでも人の言い分は聞こうとしていた。光子を怖がる理由はないのだと思い込もうとした。
 それは判断を停止することだと気付かずに。

私は考えを整理できずに登校し、けれど教室ではすべきことがはっきりあって、一日きちんと務めた。友達と話し、給食を食べ、笑いさえしたと思う。それは嘘ではなく、すべきことがあれば安堵できた。いつまでも学校にいたかった。
 けれど放課後になってしまえば自分の務めは帰ることだった。
(スコッティがいるから、帰ろう。)
 スコッティに晩御飯をあげて、散歩に行こう。いつもより遠くまで、一緒に行こう。
 帰るのは嫌だけれど、スコッティと一緒に歩こう。
 そう思って、けれど帰った家にスコッティはいなかった。いつも私が家に近づくだけで他の人との足音を聞き分け、門に近寄ろうとして鎖をひきずる音を立てる。その音がしなかった。門柱から庭に入ると走り寄って、繋がれた首輪が後ろに引っ張られて仰け反り、前足を宙に上げてしまうスコッティが、いなかった。
「ただいま帰りました」
 スコッティはどうしたの? 真っ先に言いたいのはそれなのに、それでも私は挨拶を先にした。他人行儀な挨拶を。
 居間には父が、うなだれて座っていた。膝に女の子を乗せ、缶ビールを手にし、なぜかうなだれている。女の子はわずかにこちらをうかがったが、すぐ背を向けた。
 光子はにこにことして、本当ににこにことして言った。
「お父さんがね、犬を保健所に持って行ってくれたの」
     恵美里をいきなり噛んだのよ。悪い、怖い犬だから、お父さんに保健所に連れて行って貰ったの。暴れてお父さん大変だったでしょうけど。
 声は遠のいた。散歩の帰り波音が遠ざかるように、遠のいて行った。
「あなたが恵美里のお父さんで良かった」そして声は戻った。
「お父さんは世界一の人よ、恵美里」
 父に甘える声色で、そのくせ勝ち誇るように傲然と、光子は言い放った。

耳から炎を流し込まれたらああなるのだろうか。あの時、発熱する毒を流し込まれたに違いない。私の耳から鼻までの器官は内側からじりじりと焼けただれる感覚を持った。それは顔中に広がり、全身に恐怖は広がり、私は立ちすくみ、うなだれて一言も言わない父を見下ろしていた。
 私に見下ろされながら、父は一言も言わなかった。
 言わないのに、私に一言も言えないのに。スコッティを殺しに行ったんだ。
 私はランドセルを背負ったまま自室に向かった。床は頼りなくふわふわとして、私は足をどう運んだろう。私のすぐ後を、女の子がついて来た。視界の隅にちらちらと、しかし何も言わず私の斜め後をついて、歩いてきた。足を止め、ドアノブに手を伸ばすと、その上に細い腕が差し出された。包帯の腕。私は顔を移し初めて恵美里と目を合わせた。
 小さなかわいい女の子。
 恵美里は私の目を捕まえると、そのまま包帯に視線を導いて、何も言わずもう一方の手で包帯をいだ。腕には噛まれた跡など何も無かった。
「犬は宇宙人を見抜くから」そう恵美里は言った。“宇宙人”と。
「犬はここに置けないんだよ、お姉ちゃん」
 それは言い聞かせる口調だった。人に言われたことをただ繰り返す口調。
 瞬間に、私は恵美里を憎んだ。私は光子よりも恵美里を憎んだ。
「お姉ちゃん、晩ご飯いらないって」廊下を戻りながら居間に向けた声は不自然に大きく、母親よりも私に聴かせるために言うようだった。
 ドアを閉める時、恵美里が床に落としたはずの包帯が無いと気づいた。見間違いをしていたのか、何がどこにあるかさえわからないほど自分は混乱しているのか。全てが錯覚で確かな物は何もなかった。頼れる確かな現実は無かった。スコッティの死こそが現実だとしたら……、現実こそが間違っていた。
 それからの、私の一生で一番恐ろしい時期を私は一切考えたくない。
 私はスコッティを死なせた罪悪感で、自分が上手く立ち回っていればスコッティは救えたと思う罪悪感で、母の元へ逃げさえしなかった。

いや、嘘だ。

光子が恐ろしくて逃げられなかったのだ。
「仲良くなりたいから」その言葉は本気で言っていたと思う。スコッティを始末させた翌日、下校前のホームルームで、私は担任から職員室に来るよう言われた。
「お母さんがいらしてるから」
 学校まで来るなんて。私は返事もせず飛び退すさって走った。私が言いつけに従わないなんて先生には思いもよらないことだったろう。
(急いで、家に戻って、お金を持ってお母さんのところへ)それだけを思いつめて足元ばかりを見ながら足早に歩を運んでいた。
「お姉ちゃん、良かった会えて」
 それなのにいきなり、光子の声がしたのだ。顔を上げると、バス停のベンチに光子と恵美里が座っている。季節外れの日傘を差して光子は上機嫌だった。
「ここを通るはずだから、待ち構えてたの。一緒に帰りましょう」笑顔と艶めく声。
 逃げるはずが、先回りされた。そう思ったらもう、逃げられなかった。
(待ち構えてたの)声は弾んでいた。
 片手は英美里とつないでいるから光子の両手は塞がっていた。けれどもう私は逃げられなかった。
「恵美里、お姉ちゃんに学校のこと聞きなさいよ」
「お姉ちゃんに」恵美里は繰り返す。
「春から一年生だもの」声は弾んでいた。
 この人はいつも上機嫌なんだろうか。相手の様子と全く関係なしに楽しく振る舞えるんだろうか。
「お母さん」
「なあに」
「おじいちゃんと、遊んじゃだめなのなんで」
「どうしても」それに続く光子の声を、私は忘れられない。
「どうしても学校は行くの」
 その声にはもう、一切の喜びは無かった。
 恵美里に向けられた声だけれど、それは私に掛けられた縄を締め上げる力を持っていた。
 親子二人で話し、光子の両手はふさがっている。私が走れば追いつかれることは無かったろう。けれど逃げられなかった。私は光子について歩いた。自分は縄を掛けられひきずられている。そう思っていた。
「お姉ちゃん」
 恵美里の声に、私は息を荒くした。
「学校楽しい?」
 頷いたかもしれない。声は出せなかった。
「おじいちゃんより?」
 何を言っているか分からなかった。
「絶対おじいちゃんといる方がいい。何でもできるもん」
 それは「恵一さんは何でもしてくれる」とか「恵一さんといればどんなことも叶う」という意味だったろうか。
「何もできやしない」
 立ち止まった光子は吐き捨てるように言った。唇は力のこもった歪み方で、しかし強い意志は醜さよりも美しさを放っていた。
「恵美里も今にわかる。なんにも、なんにもならないってことが」
 それは恵一さんの贈り物が幻に過ぎないことを指しているのに違いなかった。
 あのはかなく優しい命を見せてくれる恵一さんと、この得体の知れない力を放出する光子は本当に親子なのだろうか。この光子も自分を地球の人では無いと思っているのだろうか。
 人間のふりをして、人間に呉れたり人間から奪おうとする、何か。
 光子は私にとってただ恐ろしく、憎むことさえできなかった。
 家に帰ると、光子は恵一さんにあれこれと命令した。物を運ばせ、戸締りをさせ、終われば食卓にじっとしているよう命じた。
 けれど恵一さんの前にも手の込んだ料理を並べ、あれこれと世話もしてやるのだった。

 他人を思い通りに操りたいと欲望する人間にその後も何度か出会った。中には善人で通る人もいたし、情に厚い人と言われたりしていた。けれど私はそんな人には決して近寄らない。光子のように、急に感情を一変させ理解できない衝撃を人に与えて、それからご機嫌を取ることを繰り返すという人にも何度か会った。そんな人の周りには不思議なほど人が集まっていた。彼らは自分の懐に入った他者に尽くすし、人から正直で嘘がないと思い込まれて信頼されてもいる。しかし私は決して近づかない。彼ら彼女らを理解しているからではない。全く理解できない人間    いや、理解できないのに人の形をした生き物    としか思えないからだ。
 光子は、「自分の物」と感じられれば、そのために労を厭うことが無かった。そしてそうでないものに対しては、一顧だにしなかった。
 父とは、似合いの相手だった。
 翌日登校すると担任が尋ねた。
「お母さんと会いたくないの?」
 頷いた。
「犬のこと、謝っていらしたよ。あなたに伝えてって」
 あれほど笑顔だったのに、スコッティを殺させたことを喜んでいたのに、学校にまで押しかけて謝る?
 私の耳にはまた毒が流れ込み、けれどもう燃えなかった。ただ冷たく耳は爛れ機能を失っていった。その後も先生は何か言ったけれど、私はその音の意味を理解できなかった。
 光子は私にとって全く理解できない存在    人の形をした何か    だった。

   §

私は倉庫に入り浸るようになり、恵一さんはそれまでより大がかりな幻を見せてくれるようになった。日が早く落ちるから帰宅するともう倉庫は暗く、その暗がり一杯に恒星と惑星が浮かんだことがある。漆黒の闇に、太陽と、地球と、月もあったろうか?
 それは美しかったが、私には何の役にも立たない、ただの幻と思われた。
「見てくれる子がおれば、何でもしてやれる」
 そう言う恵一さんの声は頼りなく、しかし幻は美しかった。
 なぜ光子は私を追い出そうとしなかったのだろう。父を手に入れるためには私が必要だったのだろうか。当時は父が私を手放さないからだと思っていた。光子にとって私の存在など取るに足らず、簡単に支配できると見切られていたのだろうと。
 随分後になってから、恵一さんを恵美里から遠ざけるために私が必要だったのかもしれないと気づいた。私を恵一さんにあてがったのではないか。恵一さんには「見届けてくれる子」が必要だったのではないかと。

そうして家に戻ると、よく恐ろしい場面に出くわした。
 光子はいつも機嫌よく朗らかだと思えば、急に怒った。全力で喉笛に食らいつくように怒ってみせた。
 私と恵一さんが足音を盗んで家に入ると、聞きつけた恵美里が居間から飛び出して恵一さんにしなだれかかった。
「駄目よ」光子は命じた。「おじいちゃんから離れなさい」
 その声は強く、けれどふるえていた。
「恵美里は私が、どれほど気をつけて育てたか知れないのに     あんたはありもしないことに騙されて、何が危ないかも知らない。なんにもならない遊びばっかりして、幼稚園にも行かなくなって。普通の人間にならなきゃ。人間がしていい事と悪い事の見境がつかなきゃ。おじいちゃんと一緒にいたらもう駄目なの、絶対このままじゃ駄目」
 狂信するものの強く、同時にもろい声。
 それは父の耳にも注がれる毒だったのだろう。
 父は視線を逸らし、私を見た。口元に困惑の笑みを浮かべ、(困ったな。お前もわかるだろ)とでも言いかけそうな表情をしたが、すぐにその目は曇った。
 私が拒絶していたから。
 なぜ父は私に受け入れられるなどと思えたのだろう。
 親子や家族は互いにどこまでも愛し合うものだと、世の中は事あるごとに押し付けてくる。そう思えれば幸福でいられるのかもしれない。幾つになっても親にわがままを尽くしながら、甘えることが親孝行だと思って一生通す人を見るが、親も同じなのだ。子供はどんな仕打ちをしても自分を受け入れるのだと思い込む親はいる。
 あの時の父の顔が、私は大嫌いだ。父は思いがけず傷つけられたという顔をしていた。
 私の軽蔑に傷ついていた。
 光子がいなければ、とは思わない。
 一体、いい年をして連れ添った妻と子供がいて、内縁関係の女がどんな怪物か、全く見抜けないほど人を見る目が無かったのか。“いい女ぶり”の光子にのぼせて手玉に取られたのか。私は父の悪口を、いくらでも言える。
 父は加害者にさえなってはくれなかったのだ。

十二月二十二日、この日付は忘れない。年末はどこの家からも雑古紙が出される。雑誌の横流しばかりしていた私の家にも持ち込みの古紙が山積みされ、そして私の本棚は三段目もあとわずかな隙を残すだけになっていた。
 父はそこで灯油をかけられ、火を付けられた。
 恵一さんのどんな幻より鮮やかに夜じゅう火は燃え、消火できたのは出火から六時間後。火事の後、父の遺骸が発見された。
 光子は警察に出頭し、放火を自供した。落ち着いた態度に署員が油断し、高層階のトイレの個室に一人で入らせてしまった。男性署員しか居あわせなかったために、取調官がそのまま付き添い、個室から離れて廊下に立っていたのは数分間だったという。狭い窓を外し、窓枠で体に擦り傷を作りながら、光子は体を押し出して転落死した。
 ほんの数分で。一切のためらいなく。

 火事の後、恵一さんは消えていた。
 恵美里は、母の死を長く知らされず、「二人で帰っちゃったの」と言う姿がテレビで映された。

   §6

父が亡くなった後、私の生活は一変した。母と暮らし父の保険金を受取った。そして、私は自分がどんなに薄情な人間か、決して忘れることは無い。私は父が死んだ途端に、本当に途端に、    幸せになった。
 私は薄情だ。母との同居よりも、私を幸せにしたのは、スコッティだった。
 母はスコッティを保健所から引き取っていたのだった。そして私に知らせようと小学校に来たのに、私は逃げていた。あの日先生に「職員室にお母さんが来ている」と言われた私は、それを光子だとばかり思い込んだのだ。母は何度も手紙を書いたようだが私の手に届かなかった。手紙は捨てられたのだろう。光子ではなく、父の仕業かもしれないが。
 父はスコッティを保健所送りにしたあの日、母に電話したのだという。保健所で薬殺されるまで三日だと知らせ電話を切ってしまったそうだ。母は翌日休みを取るのに仮病を使い、犬を飼える借家を探すまで、アパートでこっそり飼った。嘘の嫌いな母はそれを後々まで気に病んだ。
「スコッティ、我慢してほとんど鳴かなかったけど落ち着かなくて、アパートで何度も漏らしたの。次に入った人は臭かったと思うわ」
 母がいて、スコッティがいて、小金があった。
 私に不足していたのは、一つだけだった。
 本棚。一列五十冊、三段目途中まで埋まった長い長い本棚。
 今でも夢に見る。
 冷たいコンクリートの床にぺったりと座って、スコッティを膝枕して、片手でお腹を撫でながら、もう片手でページをめくる。夢の中で私は大人になっていたりする。
 その周り中、紙くずは消え、青い花が咲いている。スコッティは退屈すると花に鼻先をつっこんだり、転がったりする。青い花はスコッティの斑をはっきりと際だたせるのに溶け合って、青は白とまだらの玉になり、黒はそれを囲む闇となり、宇宙に浮かぶ地球になってしまう。 

私は元の家からは遠い中高一貫校を受験した。高校まで顔見知りに一番会わないだろう学校だったから。中等部では部活動をしなかった。母子家庭で犬を飼いながらでは放課後の活動は無理で、時々部員の少ない演劇部の手伝いをした。コンクール参加のない中等部は近隣の保育園や福祉施設で童話を演じていた。白雪姫。赤頭巾。衣装も大道具もずっと使い回しで、私はその補修が好きだった。
 赤頭巾ちゃんが狼に導かれ、森の花を摘む下りは私にとって特別に感じられたから、色あせた古い造花を紙の花に替えて、作りすぎるほど作ったものだ。演者にはならなかったが、司会とナレーターはほとんど私に任されるようになった。
 中学三年の冬にスコッティは死んだ。父が死んだ時も私は泣いたが、その時は目が痛くなった。そして悲しみとは違う感情にとらわれた。スコッティの死は、私にただ悲しみを与え、いくら涙を流してもまぶたは腫れ上がらなかった。
 スコッティはその死でさえも、私を不幸にしなかった。純粋な悲しみは記憶の中で、私を幸福に連れて行く。
 高等部でやっと演劇部に入った。私は演者になって気軽な嘘がついてみたかった。けれど私は演技ができなかった。発声も朗読も褒められるのに、芝居には入り込めなかった。即興稽古エチュードひとつぎこちなかった。それでも演出係はできた。自分の演技は下手なのに、私は人の演技を指示できた。体の動き、声の抑揚、どうすれば自然になるか、感情を人に伝えるために逃してならない部分はどこか、私は周りの誰よりもわかった。「そんなんじゃ人間に見えないよ」役よりも〈かわいい自分〉を表現したい下級生にそう言って泣かしてからは、具体的にどうするのか振り付けた。自分の演技は下手なのに、その指示はできた。大学は地元の国立で一番入れそうだった工学部を選んだが、演劇サークルこそが自分の第一志望なのだと思ったものだ。
 私は研究に対して意欲的ではなかった。ロボット制御コースに進んだのはサークルに割ける時間が一番取れそうだったからだ。院に進む気は無く、就職活動で係累の過去を詮索されないのは公務員であったから県庁に勤めようとしていた。
 学部ではロボットアーム程度の実習だったが、院生達はアンドロイドに不気味の谷を越えさせようとしていた。モーションキャプチャーを反映させて生身の挙動を再現していたが、動作制御の精度を上げるほどに、不気味の谷は深くなっていた。情報量が増えすぎて、なめらかな動きとぎこちない動きを繰り返すアンドロイドは嫌悪感を誘った。
(人間に見えないよ)
 私が提案したことを院生達が試してくれたのは、もう行き詰まってまともな結果が出せないと投げ出しかけていたからだ。モーションキャプチャーのデータは余分な挙動だと思う要素が多く、動作から意味が汲み取れない。削れる部分は消去し、意味を強調する単純な動きを加えることで、アンドロイドは格段に人間味を帯びた。
「やっぱりモチはモチ屋なんだな、芝居が板に付くってこういう事かと思うね。すっかり人間だよ」
 教授は紋切り表現ばかり使って私を褒めたので、私はアンドロイドだけでなく教授の事まで人間に見えないよと思った。
(まだ、人間じゃない)
 その気持ちは私の中ではっきりと言葉になり、多分いつまでも忘れない場所に収められた。なぜ自分を賞賛してくれる人にそこまで意地悪い気持ちになったのだろう。学生に対して年上の擁護者らしい態度をとりながら、役に立った者をねぎらう言葉にじつがないと私は感じた。多分教授は学部生風情に恥をかかされたという気持ちがあったのだろうが、私は褒めて欲しかったわけではないはずなのに。
 教授が父に似ていたわけではないのに。
 私は自分の気持ちがわからなかった。
 格段に少ない情報量で違和感なく、コミュニケーションを成立させる事が実現し、その動作は数十種類となり、成果は何人もの先輩達が就職した会社で引き継いで研究された。かつてはラジコン制御のプラモを作っていた会社だが、シリコン加工と人工知能に業務転換を果たしていた。
 私は大学卒業後、望んだ通り県庁に採用され、慣れない行政書類の処理を二年間続けた。そこで大学時代の同輩から誘われた。新製品のプロジェクトに協力して欲しいというのだった。アンドロイド研究は、その会社で福祉施設用のセラピーロボットに継続されていた。一年以内に実用レベルに漕ぎ着ければ販売開始という許可が下りたのに、このままでは動作制御の情報容量が増えるばかりで実用から遠のいているという。
 ロボットの動きを撮った動画を送られて、私はそのセラピーロボットが気に入った。デザインと意図がはっきりわかるのに、動作がだめだ。動かす能力が無いわけでなく、どう動かせば人に意図が伝わるか、わかっていないのだ。可能性がある。成長性もある。そして多分私は役立てる。
 私は転職し、開発協力グループの一員となったが、発売から五年以上経った現在では、営業宣伝部長をしている。
 おもちゃ用品メーカーと見なされていた会社で発売した福祉用ロボットは、なかなか評価されなかった。「ラジコンの介護ロボットか、せいぜい電動アシストなら理解されたろう」と、開発プロジェクト全体を非難する声まで、成果が上がらぬ営業部から聞こえてきた。
 発売当初の期待はずれな実売数に私は不満だった。セールスの方針転換を提案して却下され続け、自分が営業を担当したいと申し出てしまった。
 公務員を辞める時も、強引な提案をして退職勧告かもと知らせた時も、母は落ち着いたものだった。
「いいのよ。何やったって、食っては行けるし、それに、」母は続けた。「何やったって、結構やりがいはあるもんだから」
 その通りだと思えた。
 母は「何をやってもやりがいはある」と言いながら、「だから我慢しなさい」とは思っていなかった。
「何だってやれるのだから、好きなことを追求しなさい」そう私に伝えるのだ。
 自分ではそうせずに生きて来たのだろうに。

製品の良さとお役所仕事の両方を知っている私は、それまでの営業責任者が面子をつぶされたと憤慨し「逆切れ」したと噂されたほど成績を上げた。
 前任者は製品のセラピーロボットが東京の大手施設に導入されることを至上目標としていた。しかし東京では先発の動物ロボットが導入されており、それは長期リース契約なので、後発製品が食い込むことは難しかった。その上、個人消費の製品との違いを前任者は読み込まなかった。購買者が個人であれば、中央で流行るものを地方が求めるという消費動向は揺るがない。東京に集中した営業が正しいだろう。しかし、購入が福祉施設や病院に限定されるセラピーロボットは違う。
 福祉施設には、はっきりした勢力圏がある。認可や指導が都道府県単位なので東京に倣う運営はしていないのだ。介護福祉制度が始まって何年間かは、全国規模での情報交換が積極的になされていたが、大手と提携した施設ほど倒産したということは地方自治体の常識だった。
 福祉施設は入所者の質がばらばらすぎてマニュアル化が難しい。体重百キロの粗暴な認知症者と、体重三十キロの抑鬱的に無気力な老人とは、どちらも重度の要介護者で施設の収入は同額だ。しかし人的コストの差は何倍にもなる。“東京の先進施設”と称される大手企業と提携した地方施設は、負担の大きい入所者を回され、意欲のある職員を引き抜かれ続ける。地方自治体は大手と提携するほど打撃を受けることを経験したから、今では施設間の情報交換も研修も、狭い地域単位で行っているのが実態だった。
 同業最大手や東京の施設にすべて右倣えするという認識は大間違いなのだ。
 私は関東甲信越の県単位で施設を一つ一つ回った。前年までの会議で私が提案して古すぎると否決されたローラー作戦。一週間に五十箇所の特養を回った事さえある。
 およそどの施設も、時間も人手も金も余裕は無い。しかし断られることはまず無かった。激務と言うほど忙しいだろうに受け入れてくれる。特養ではボランティア慰問は断らないものであるらしく、何か入居者の刺激になれば良いと思う様子なのだった。
 セラピーロボットは幼児の姿をしている。これを入所者に遊んでもらうプレゼンテーションは大成功だった。二足歩行や成人の表情は難しいが、這い這いする幼児の形、大きさ、動きを簡略化したロボットは「良くできたお人形」と捉えられる。はっきり人間との距離を保つデザインだから、不気味の谷はまず生じない。老人達は始めはおずおずと、しかしすぐにずけずけと声を掛け、ロボットのたどたどしく甘えた声と好意にあふれた返答に、老衰した表情をよみがえらせた。
「買う予算がなくて、残念です」
 そう真剣に言われることが多かったが、先行の動物ロボットより桁違いに安い幼児ロボットは次々購入された。入所者の粗暴行為の緩和と抑鬱状態改善効果の情報は地域で広がり、全国ニュースで取り上げられた後、後追いで静岡の地元紙にも載った。
 〈世界最高のプラモデル技術を持つ静岡発の癒しロボット〉

“世界最高”はプラモに係る表現だったろうが、静岡銀行の融資枠は年内に倍増した。

 毎日十箇所も特別養護施設を回り続ける中、私は房総の施設で恵一さんに再会した。
 その時、私はロビーで製品デモをしていた。入所者達が丸テーブル一杯に幼児ロボットを取り囲み、一つ一つの会話で歓声が上がった。楽しそうなので私は席を入所者に譲り少し離れた壁際で見守っていた。
「使いな」
 後ろから聞こえた声に、私は振り返った。
「壁は固いろう」恵一さんが、スツールを持っていた。
「恵一さん?」
「あいや、名前はすずき、かいじといいますわ」
 確かに胸の名札は、鈴木海治だった。違う人なのだろうか?
 それから私は愕然とした。海治と恵一。故郷の人たちは静岡を“しぞーか”と言う。“かいじ”が“けーいち”と呼ばれていたのではないか?
 私は情報機器を自由に使えるようになってから、〈鈴木恵一〉を何度も検索したことがある。ありふれた名前だから何件もヒットし、けれどその中に恵一さんはいなかった。事故死しているのではないかと、あの年の新聞縮刷版を大学図書館で繰ったこともある。恵一さんの消息は、全くわからなかった。
 あの事件を報道する週刊誌も、上京した折りに大屋文庫で見た。東京の大学に通う友人の調べ物を手伝いながら、私は数誌の記事に行き当たった。
 私はきっと母がかばってくれたのだろう、記者に追いかけられたなどという記憶は無い。

しかし恵美里はばらばらに食いちぎられた。
 二十年前は個人情報保護法成立前だ。週刊誌ではどれほどのことが書かれていたか。
【特集:あの事件のその後】と題して、数年後の恵美里の事が取り上げられていた。
 係累のいない恵美里は、保護先で恵一さんを「おじいちゃんじゃない。本当はお父さん」と言ったらしい。しかしそれは違った。私の父との親子関係も取り沙汰されたが、光子の何度目かの夫が父親であると、DNA鑑定で確定された。出生時期と婚姻時期が全く異なり、認知されていなかったのだ。その上で恵美里は実父に引き取ってもらえず、保護施設に置かれた。かわいい顔立ちで里親になる人もあったが、盗癖と虚言癖、何より母についての報道で養子縁組に到らなかったという。
 恵一さんは光子の父親でさえなく、謎の男とされていた。光子の経歴を追ったレポートでは、初婚の夫を亡くしてから恵一さんと各地を転々しており、「この強欲な殺人犯、鈴木光子が、なぜ血縁のない、風采の上がらぬ男と十年以上も連れ添い、更に親子を装っていたかは不明である」そんな風に書かれていた。「男女関係とも思えない謎の関係」と。その記事は光子の夫を共謀して事故死させたのではとほのめかす書き方をしていた。堤防から海に突っ込んだ車はブレーキ痕が無く、自殺の前兆もなかったため運転操作ミスとして送検されたのだが。
 そんな話を読まされた私は、その当時、もうこの後を知ることもないとばかり思っていた。
 そして恵一さんの消息は知りたかったけれど、二度と会えないのだと思っていた。

「昔、静岡にいらっしゃいましたか?」
「ああ、ずっと、いろいろ海沿いにいるな、あちこち」
 昔よりもっと放心したような、そして濁った目。それは全く焦点を結んでいない。
「目がよほどお悪いのですか」
 私はその人が恵一さんであるような気がして仕方ないのに、絶対という自信は無かった。
「ずいぶん怒られたがね、一人で暮らしていると、寂しくて、太陽を見てしまうで、すっかりやられた」
「あの、やはり鈴木恵一さんではありませんか。あの、光子さんと娘さんをかわいがっていらした」
 名前を口にするのもおぞましいのに、言った。
「ああ」
 痴呆がかった声を出して、それからその老人は笑顔を作った。顔の造作が一括処理されず、ばらばらに動くような、その顔。
「女の子が、二人いたな」
「昔、かわいがっていらしたでしょう?」
 恵一さんは、やっぱり私には恵一さんに見えるその人は、笑顔を私の方に向けて、けれどその目の焦点は大分ずれたまま、嬉しくてたまらないというように言った。
「なあに、今でもかわいいよ」
 ひどい発音なのに、子供時代に聴き慣れた発音を、今でも私は聞き分けられた。今でも。(今でもかわいいよ)
 可愛がられた女の子二人。それは恵一さんの中で光子と恵美里なのかもしれず、恵美里と私なのかもしれなかった。
 私が恵美里と暮らした間、私は恵美里を憎み続け、光子を恐れ続けた。けれど恵一さんの中ではみんなかわいい女の子なのだろうか。ただかわいいだけの。かわいがられただけの。
「昔、花をいただきました」
「ああ、昔はな。今は目をすっかりやられたで」くちゃくちゃと口元をうごめかせ、その人は続けた。「太陽を見すぎたな」
 それはもう幻をつくれないという意味なのだろうか。
「見てくれる子がおらねば、何もできんし、なあ」
 誰かがいなければ何もできない。そうなのだろうか。そして今は何もできないのだろうか。
「恵一さん、娘さんが亡くなってお気の毒でした」わかっているだろうか。
「ミッコがかわいそうでな」話は噛み合わない。
 けれど構わなかった。噛み合わないからこそ、私はけっして言えないことを口にできた。
「恵一さん、」覚えていないかもしれない。
 それでも、あの時訊けなかったことを訊こう。相手を人だと思ったら言えないことを、私は口にした。
「私の父を殺しました? 光子さんの夫も」
 恵一さんは昔、気が弱くても訊ねたことは答えてくれた。隠し事はできないように見えた。恵美里の嘘に何度も面食らっていて、わからないことに頷いて困っていたが、それは嘘とは違った。嘘というものが理解できないように見えた。光子の命令を聞こうといつも努力していた。
「人は簡単に死ぬでなあ」
 私は週刊誌の記事を思い出していた。裏付けのない憶測記事。光子の夫の事故死。そして父の死。
「恵一さんが、殺しましたか?」
「かわいいねえ」テーブルから大きな歓声が上がった。乳児の形の機械が、両腕を差し出して抱っこをせがんでいる。幼児ロボットが会話に窮した時の反応の一つだ。老人の一人が機械を抱え上げ、ぎゅうと抱きしめる。
 恵一さんは口を開けて、ずいぶん間が経ってから、
「俺は人間にはなれんと、言ったのだがなあ」そうつぶやいた。
 私はテーブルを見て、もう終わりにしようと思った。
「恵一さん、私は光子でも恵美理でも無いです」
 私にはもう充分だった。
「人間になれなんて、言いません」
 テーブルの人々から人形ヒトガタを受け取ると、みな落胆の表情をした。
 人間でないモノなのに何かを与えてくれると、人は簡単に信じてしまうのだ。
 心無いものだろうと、人は好きになってしまうのだ。
 私はそれを知っていた。

 特養入所者のプライバシーは守秘される。けれど入所者情報が明かされるケースがままある。一つは職員の過失で、その多くは善意からだ。もう一つは入所者の身元が不明な場合。本人が身分を確定できず失踪者である可能性があれば、個人情報は全国公開される。
 私は受付に帰りの挨拶をしがてら、気軽な口調で言ってみた。
「昔ご近所に住んでいた方がいて驚きました。鈴木海治さん」
 初対面の相手なのだから下手な演技でもかまわない。こちらが嬉しそうな顔をすれば、不用意な職員は家族関係などを口にしてしまうことがある。
 そう思って言ったのに、職員は予想外なほど驚いた。
「あの鈴木さんをご存知なんですか」
「ええ。二十年前静岡に住んでいらして」
 私の笑顔はわざとらしかったろう。けれど職員は、
「お時間いただけませんか」興奮していた。
 そのまま事務室に案内されて私は鈴木海治の曖昧な思い出を提供し、いくつかの情報を手に入れた。
 鈴木海治は三十年以上も前に房総の海岸で発見された記憶喪失者だった。保護されて新しく仮戸籍も作られ命名もされたが失踪してしまい、数年前に再び千葉県警に保護された。元々の氏素性もわからないが、この施設に来るまで何をしていたかも分かっていないという。
(ずっと海沿いにいるな)
 恵一さんがどこから来たかはわからない。しかしその体は普通人のものだ。一人の人間の肉体にとどまり、老いている。
(俺は人間にはなれんと、言ったのだがなあ)
 それは他の人間に入れ替わることはできないという意味だ。

   §7

「お姉ちゃんは世界一いい人」
 恵美里にそう言われるのは二度目だった。

CM撮影に立ち会った時と同じだ、私は恵美里と向かい合い、そう思っていた。
 私は大学卒業後、二年県庁で働き、その後現在の会社に職を得、今は営業宣伝部長をしている。営業と宣伝が分かれていない程度の小さな会社だが、関東甲信越の地方テレビにCMを打てる程度には業績を上げている。
 その撮影に立ち会った時のモデルと、恵美里はそっくりだ。
 私がスタジオに入るのを視野の隅に入れながら、床にだらしなく脚を投げ出したまま製品のセラピーロボットと遊ぶのを止めなかったモデルは、責任者が私だと知らされた途端、椅子を立ち、歩を進め、「よろしくお願いしまぁす」と頭を下げた。それから私の手を取り、「素敵な大人の女性って憧れますぅ」と続けた。
 私は手をアルコールで拭きたくなった。けれど同時に、高校生ほどの年格好でこれほど厚かましく商売熱心なら、頼もしいとも思った。撮影の立ち会いを終えて私がスタジオを出ると、モデルは廊下に飛び出し、私を小走りに追いかけ追いつき、
「今日はぁありがとございましたぁ。私が今までぇ生きてきたのはぁ部長さんに会うためだったってぇ思いますぅ。」と言った。
 なりふり構わず、人にすがりたいのだ。
 こんな振る舞いをたくらむより、まず語尾を伸ばす癖を矯正しなければ、この子が望むレベルの芸能人にはなれないだろうと思った。学生時代に演劇部の演出をしていた私は、かわいい女の子達が語尾を伸ばす癖に、いつも手を焼いたものだ。

恵美里が口にする言葉は大げさすぎて、会話をどう続ければいいのかわからなくなる。けれど心にもないお世辞を言う理由はわかる。恵美里は子供の頃から嘘吐きだったし、大人になる前からずっと、初対面の客に、最も個人的な接触を求められる世界で生きてきたのだ。女にも男にもいる、自分の表層だけを売りたい人間。妹はあのCMモデルと同じ。
 恥知らずなほどの嘘吐きは、たいてい人に取り憑くチャンスが少ないのだ。
 そして恵美里は、光子のように   あるいはあのモデルのように   人に取り憑くことは出来なかった。
 恵美里は、静岡の養護施設を出ると同時に風俗店で働き、客と入籍して妊娠したものの出産前に離婚した。翌年土浦の風俗街に流れた時には一人になっており、そこで懇ろになった男の子供を妊娠したが、男は逃げた。双子を出産し一歳近くまで育てたのに、餓死させた。
 乳児を預けていた個人託児所の支払いを滞納し、退所させられた。
 頼れる係累がいなかった。
 遊び友達はいたが全員からひどい嘘吐きだと認識されており、人に奢るのが好きだからよく呼び出され、奢らされていたが、盗癖もひどく、警戒されていた。
 自業自得、鬼の所行と報道されたが、恵美里と子供を助けてくれる人は誰もいなかったのだ。
「お姉ちゃん、きれいだから、彼氏いる? あ、結婚してるでしょ?」
 私は独身で、多分弁護士から聞いているだろうに、恵美里はそんな事を言った。紋切り型の会話だけしたいように。
「子供はまだいないんでしょ? きれいだもん。でもねえ、妊娠してると、周り中が注目してくれて、その目が違うの。すっごく気持ちいいんだよ」
 楽しいこともあったんだ、と私は思う。
「子供を産むとねえ、やっと自分が一人前の人間になれたって思うから。絶対。かわいいし」
 私は耳を疑う。心にもない言葉を私に言っていたけれど、これは、本心で言っているのではないか。
 子殺しを重ねた者が、出産を誇らしく思い、子供をかわいいと思っている。
「私の子供ねえ、三人とも、すっごくかわいかったんだよ。もういないけどさ」
 恵美里は子供達を平気で愛し続ける。見殺しにしたことをすっかり棚に上げて。
 逮捕されてから、鬼と言われ週刊誌やテレビで取り沙汰されたが、そのどの報道よりも、恵美里は人食いの獣だ。
 私は何も返答できず、しかしどうしても訊ねたかった。
「光子さん、あなたのお母さんね、あなたをかばって亡くなったんでしょう?」「そうよ」
 私の質問が言い終わらぬうちに、恵美里は言い切った。やはり、恵美里だったのだ。
「うまくいくと思ったのに、駄目だった」
「駄目って、何?」
「お父さんになってって言ったのに、できないって」
 それは私の予測していたことだった。
「父さんと恵一さんに、入れ替わって欲しかったの?」
「うん。でもできないんだって言われた」
「恵一さんは、お父さんを運んだだけ?」
「うん。おじいちゃんは悪いことしないもん。悪いことするのは私だけ」
 悪いこと。それは父を縊り殺したことだ。

十二月二十二日。私は家出の準備をしていた。二十三日が終業式で学校は昼で終わる。そのまま帰らず母のところに行く。断られるのが怖くて当の母にも連絡せずに準備していた。
 本棚は四段目を作れない。でももう良かった。私は晩御飯をそれまでになく平らげた。
 食卓を囲む者の中に、名残惜しい人は恵一さんしかいない。そして恵一さんは他人どころか人間でもないのだ。
 学校のない冬休みは耐えられなかったし、もう父に未練はなかった。
 私は捨て鉢な自由さを手に入れ、父は私の様子に不審を感じるどころかほっとしたようだった。晩酌の量がいつもとは違った。
「お父さん、今日はたくさん飲むの?」
 恵美里の言葉に、
「うん、うん」と繰り返し、相当酔った挙句、私に言った。
「スコッティは、心配ないんだ」
 その名を口にできる父を、私は軽蔑した。父の言うことを理解する気は無かった。父は酔っ払いらしく瞬きを繰り返して、
「スコッティは一番いいところにいる」そう言った。
「天国?」
 私は残酷な気持ちになっていた。自分も死んでいたらこんなに苦しまなくて済んだのに。
「うん、うん」
 それから父は畳の上に寝入ってしまった。
「お父さん、お父さん」
 恵美里が揺らしても起きないから光子が布団を掛けてやった。
 夜中、私は目を覚ました。いつにないことで、神経が冴えていたのだろう。最後に本棚を見たくなった。ひどく寒いけれど倉庫にはストーブを置いていた。
 居間に明かりが点いていて、恵美里と恵一さんの声がした。
 初めて会った時と同じだ。また光子の目を盗んで何かねだっているのだろうと思った。
 私は隠れ建てする気もなかったから足音を恵美里に気づかれた。
「お姉ちゃん?」
 引き戸を開けて首を出した。
 それから、
「お姉ちゃん、おじいちゃんを助けて」
 そう言った。
 居間に転がっている父の首には紐が絡んでいて、恵一さんがそばにいて―――恵一さんは泣いていた。
 父を倉庫に運ぶよう言ったのは私だ。恵美里はもう寝るように言うと、
「おねえちゃんは世界一いい人」
 恵美里の口調は母親の雛形だった。自分の異常さに気づかない非人間。
 父は殺されていいようなことをしたとは思わない。けれど恵一さんが泣いていて、父の遺骸があって、その時の私が助けたかったのは恵一さんだった。
 長いこと、私を助けようと父を殺したのではないかと思っていたほどだ。
 あるいは本当に光子が殺人者で恵一さんがかばったのかとも思っていた。
「ミッコがまた」
 恵一さんは泣いて父を背負えず、私は倉庫から台車を持って来た。
「おれは人間になれんのに」
 そう泣いていた恵一さん。
 恵美里は恵一さんに、父の姿になってと頼んだのだろう。
 そして多分光子も、初めの夫を手にかけて同じことを頼んだのではないか。
 形だけ取り繕えば、残骸のようでも構わない。他人に対してそんな者たち。

「なぜ父さんにあんなことしたの?」私は訊ねなければならない。なぜ父を殺したの? 恵一さんに父と入れ替わって欲しいなんて、なぜ。
「お母さんが、おじいちゃんいらなくなっちゃったから」
 恵美里は人の命のかけがえなさなど、あらゆるもののかけがえなさなど、知りもしないのだ。
「なんでもできると思ってたから、できないって言われてびっくりした」
 あとひとつだけ訊かねばならなかった。
「光子さんに、あなたが言ったの?」
 古紙倉庫の火事が消えないうちに光子は出頭している。父が火の中にいること、遺骸の状態、光子に知らせるのは恵美里しかいない。恵一さんは言わないだろう。
「うん。私がやったって言った」
「なぜ」
 肘掛のない椅子の座面の端を握り締めた。
「おねえちゃんがいい人だから」
 私は、倒れそうだ。
「あたし、見てたから」恵美里は続けた。「見てたのお姉ちゃんを」
 ストーブの灯油を撒いて火をつけたのは私だ。
 私の本棚に油をかけて私は火をつけた。
「お母さん、バカだよね」
 恵美里の声はうつろに響いた。
「私が火をつけたって言ったらすぐ警察に行った」
 指を噛んだ。
「死んだなんて知らなかった」
 自分に言い聞かせるように、
「お母さんは私を一番好きだったから。けど、私はおじいちゃんが好きだったな。なのに、連れてってくれなくて。連れてってくれたら、あたし、悪いこと何にもしなかったのに」
 声が途切れ、恵美里はさらさらと涙を流していた。嗚咽もなく、自由に制御できるもののように涙はあふれ、カーキ色の作業着   囚人服というのか?   に垂れた。
「・・・・・・火星とかに?」
 私はやっと言えた。恵一さんを宇宙人と言った恵美里。
「何言ってるの。火星に人は住めないよ。どこか、人が楽しく住める遠いとこによ」
 ぎょっとした。声はうってかわっていた。強い反感。
 言い放って恵美里はしばらくまぶたを伏せ、顔を上げると頬はまだ濡れていたが、もう涙は流していなかった。
「安心していいよ。私が言うこと信じる人いないから」
 それから焦点定まらぬ目つきをして、
「おじいちゃん、宇宙に帰っちゃって、良かったのかも知れない。私、いつまで生きられるか、わかんないもんねえ」
 それが最後の言葉だった。
 もう互いに何も言わなかった。恵美里は顔を背け、肩と二の腕はこわばっている。私からは見えない膝の上で、手は拳を握っているに違いなかった。
 長い間の後、刑務官が「四時までです」と声をかけた。
「失礼しますね」
 私は立ち上がった。
 別れの挨拶は無かった。

拘置所の前庭は荒川の傍で、川沿いに躑躅がいっぱいに植わっている。多分管理がたやすい、緋色の花をびっしりとつける躑躅だ。来年の五月には、派手派手しい緋色の花が樹表を覆い尽くすほどに咲き、恵美里も散策を許されるのだろう。きっとそこで恵美里は幸福になりさえする。
 幸福? 心無い魂無い存在が、幸福になれるのだろうか。ただ快適になるだけ、安楽になるだけだろう。
 苦しみもせず、後悔もせず、花さえも見つめるでなく、ただぼんやりと花だと認めるだけだろう。そしてそれに囲まれた自分を愛するだろう。恵美里にできるのはそれだけだ。
 すっかり食い荒らされ、食われ果て、人間の形を保つためには化け物になるしかなかった恵美里。

私も花を見たかった。私は太陽の緋色でなく、地球の、空の、海の、水の、青い花を見たかった。日が沈む前のつかの間でも、青い花が見たかった。青い花の景色が懐かしい。暗闇に浮かぶ地球の光景が懐かしい。
 そうだ。
 花の服の店に行こう。今着ているつまらぬ衣類を捨てよう。青い花の服をまとってみたい。
 今できることはそれぐらい。
 自分に青い花を贈ってやろう。恵美里を切り捨てているのに、恵美里は私を庇ってくれて、私は自分を支えるしかできない。それでも自分に贈り物をしよう。

私は一生、どこかを朽ちさせて生きる。私が何をしたか、私は言わないし誰も尋ねない。
 私は秘密に体をかじり取られたとさえ感じる。
けれど同時に私は生きていて、これからやりたいこと、やるべきだと思うことがあった。私は地を踏み、門を出て歩き出し、やがて歩みを止めた。

今、私はたった一人。塀の前には誰もいない。私の口はつぶやきを漏らした。
「赤頭巾は言いました」そして続けた。
「ああ、驚いた。狼のお腹の中は、何て暗かったことでしょう」
 そうだ。私は外に出たのだ。光ある世界に出た。自分が幸福か不幸か、そんなことはどうでも良かった。
 いつまで生きるのか、私にだってわからない、けれど、けれど今、      私は生きている。
                                              Fin

文字数:33433

内容に関するアピール

2期3期と連続受講し、今期でも受講生中SFファン歴最年長でした。
 思い起こせば2期では第一回実作を大森さんが「驚くほど魅力的」とツイートして下さったのですから夢のようでした。しかし回が進むほどに何もできなくなり鬱屈するばかりでした。2期では「泣きました」と複数の方から言われたのに3期では「泣きそうなほど気味悪い」と言われる始末。読んで下さった方に申し訳ないほどでした。
 それでも「あなたの文章は心をつかみます」そう言ってくださる方がいらした。
 2期有志の応援ラジオ、ゴッド・ガン・レディオはずっと励まし続けて下さった。
 何より講座外で「Sci-Fire」に書かせていただき、過褒をいただいたことは夢にも思わないことでした。
 この二年経験できたことは、失意も含めて生涯の果報です。ありがとうございました。

この最終実作でも楽しい法螺話は語れませんでした。最終講座に提出した梗概は下書きを終えたものの、これまでで一番心を残した実作を思うと前に進めなくなりました。
 本作は2期の「驚きなさい」という課題で提出した実作を下敷きにしています。もう一年以上前ですが、自分に書ける驚愕ワンダーは何かと考えた時、無残な恐怖しかないように思えました。今では違うものも書けるのではないかと思っているのですが、それでも、失敗するとしてもこの話を仕上げなければならない思いにとりつかれ、改作提出いたします。
 私が読者としてSFに求めているものは、面白いおもちゃであり、秘密の遊び場であり、自分自身の子供を取り戻す試みです。それなのに自分が書こうとするのは、いつも極端な感情表現ばかりでした。小さな人間の無残と幸福を語ろうと足掻いている気がします。
 目の覚めるような魅惑に満ちた作品に憧れているのに。
 今まで読んで下さった全ての方にどれほど感謝しているかしれないのに。
 今回も「気持ち悪い」と言われそうな内容です。それでも突き抜けて何か解消されるものがある作品にしたかった。
 駄目な自分が駄目なまま書いたものだけれど、それでも読んでいただきたいと願っています。

文字数:869

課題提出者一覧