推しの三原則
〜序文〜【ソロアイドル大月みくりの現場の問題について】
アイドルオタクのことをヲタクという。ヲタクは基本的に他人に迷惑をかける生き物だが、ソロアイドル大月みくりのヲタクはとてつもなく酷い。
ヲタクは基本的にとても騒がしい。いや、彼らは日常生活では静かな人間が多いのだが、ライブ会場、現場ではそれを埋め合わせようと必要以上に騒ごうとする。それがアイドルや他のヲタクが迷惑に感じない許容の範囲に収まるようになっている現場は幸せな現場だ。ヲタクの良心により自ずとそうなっている現場は最高に幸せな現場であるが、そんな現場はとても珍しいので、普通は運営スタッフが彼らの騒がしさをコントロールする。大月みくりの運営は全くコントロールをしなかった。ヲタクがしたいままをさせ、それを注意したり処罰を与えることを全くしなかった。寛容さを見せたいとか自由な現場をつくろうという意志があるわけではなく、ただ手を抜くために。結果、ヲタクが好き勝手ができる大月みくりのライブ現場の乱雑さは考えられる極みになった。
アイドルのライブと一般のアーティストのライブの一番の違いは、訪れる観客が『聴く』ことよりも『参加する』ことに重きを置いているというところにある。一般のアーティストのライブでも曲にのって手拍子やコールが起こるが、アイドル現場でヲタクが自らが動いたり声を出すことが当たり前であり、じっくりと曲を聴いている観客の方がめずらしい。アイドルのライブでは多くの決まった動きや掛け声が定型となっている。それがいわゆるヲタ芸という動きであり、mix《みっくす》と呼ばれるコールであったりする。
ある程度のヲタ芸とコールはどのアイドル現場でも許されている。それが許されないアイドル現場にはヲタクは寄りつかない。あくまでアイドル自身とまわりの人間が不快感を示さない程度までははしゃいだり騒いだりして良い。しかし大月みくりの現場ではそのメーターがはるかに振り切られていた。
一般のアイドルのライブであれば、アイドルの歌声をかき消すようなコールはあり得ない。しかし、大月みくりのライブ現場ではそれは日常茶飯事である。大月みくりの曲とはまるで関係のない文脈でコールを入れる。決して綺麗ではない声で大月みくりの歌声に被らせて喚く。主役であるはずのステージ上の大月みくりは置いてきぼりとなってしまう。それがエスカレートし、あるときから大月みくりのMC(曲の合間に行われるトーク)の最中にまでコールが入るようになってしまった。「この間ちょっと不思議なことがあったんですけど〜」と大月みくりがトークを始めようとした瞬間に「サアイクゾ〜!!」とコールを始めて、トークの最中ずっとヲタクがコールで喚いていた状態は、それ自体がすごく不思議なことだわと、私が突っこみたくなってしまった。
大月みくりのヲタクはただ喚くだけでなく激しくジャンプする。客席同士で彼らはぶつかり合う。特に彼らは運動が得意な者ではないので、たまにケガ人が出る。さらにペンライトを真上にぶん投げるのは茶飯事で、大月みくりはステージにペンライトが降り注ぐ中、歌を歌わなければならない。それだけでなく彼らはとにかく変わったことをやりたがる。ライブ中にヲタクが法螺貝を「ぶおおおおお」と吹きだし、巨大な桜島大根が宙を舞ったときは大月みくりは困惑の表情を隠せないでいた。
アイドルのライブ後には特典会というものが催される。ヲタクが物販で買った商品の金額の合計や、直接購入した特典券の額に応じてアイドルと握手が出来たり、チェキというポラロイド写真が撮れたりするもので、ヲタクにおいてはアイドルと言葉を交わすことができる大切な機会であり、アイドルと運営においては利益を得るための大きな手段である。
特典会において運営スタッフにとって第一に考えるべきは、アイドルをいかに守るかという点である。特典会ではアイドルは直接ヲタクと触れあう。普通に考えてこのことは大きな危険をはらんでいる。特典会でアイドルがヲタクに刃物で切りつけられたという事件は何度も起きており、そこまでされなくても、直接会った際に不快な言葉を投げかけられることはアイドルにとって大きなストレスになる。そのようなヲタクが多く押しかけた場合、若い女性である彼女たちの心が壊れる危険性は多い。だからこそ、運営はアイドルにそのような危険が及ばないよう、常にアイドルとヲタクのふれ合いを見張り、危険を察知したらアイドルとヲタクの間に入ることが必要となる。しかし、大月みくりの運営が彼女を守ることはなかった。
握手の最中にセクハラの言葉を投げかけられるのはまだいい方で、一時彼女のファンの間で流行ったのは『フラッシュ計算接近』というものであった。
「みくちゅ、『38928×28756』は?」「え?」「1119413568だろ、みくちゅ」
「みくちゅ、『93837-87928の二乗』は?」「え?」「34916281だろ、みくちゅ」
と、握手をしているときに理不尽に計算問題を突然言われ、呆然としているところを笑われるという半ばいじめのごときことが繰り返されていた。
チェキにおいても、おかしなポーズ要求が多く。ヲタクに組体操のサボテンのポーズ(大月みくりが下で)を要求され、大月みくりは頭にハテナマークを浮かべたままそれに応じたことがあった。
大月みくりはライブが終わると尋常ではないくらいの疲労を見せる。しかしその疲れが彼女の躍進に貢献することはない。逆に彼女のヲタクの横暴を許していることによって、大月みくりの現場は最悪という評判が広がり、彼女のライブに新規のお客がやってこなくなっていた。
大月みくりは救われようがない。
弱小アイドルはヲタクを選べない。弱小アイドルは運営を選べない。子が親を選べないように。
ヲタクに、そして運営にきちんと向き合ってもらえないアイドルはとても不幸であると言える。
2030年1月24日、『エンタメ昨今vol35』の記事より
〜第1章〜
「皆さんこんばんはー。大月みくりです」
みくりは自宅の部屋、ベッドの上でスマホの前でにっこりと笑顔をつくる。
動画配信サイトのショウルームの配信の時間だった。みくりは事務所から言われ、2日に1回のショウルーム配信を義務化されていた。
「はい。山嵐さんこんばんはー。柴漬け和尚さんこんばんはー。アントラー鹿島さんこんばんはー」
並ぶコメントに一つ一つ返事をしていく。この時点でみくりの表情は曇っていた。コメント欄の文字が★マークだらけになっている。ショウルームでは「死」や「ちんちん」などの禁止用語のコメントは★マークに変化して表示される。要するに相応しくない単語が乱れまくっているということだ。
それ以降、コメント欄で★マークがないものだけを選んで、必死に笑顔を保ちながら言葉を返す。
『みくちゅ、無視すんなやー』のコメントがだだだと並び、彼女は軽く心をえぐられた。
何とか、ショウルームをやり終えたあと。みくりは前のめりにベッドに倒れこんだ。
みくりは昨日マネージャーに「ショウルーム配信やめていいですか?」と聞いたが、「面倒くさいかもしれないけど、コツコツとファンを増やすことが大事だよ」と見当違いの返しが来たので「あ、はい」とうなづいてしまった。
みくりは、部屋中に張られた色々なアイドルのポスターを押し並べて見ている。自分はアイドルが好きだ。可愛くて優しくて、そんな彼女たちが昔から好きで好きで仕方なかった。自分もそうなれるなら死んでもいい。そう思ったから今の事務所のオーディションに受かったときはものすごく嬉しかった。でも、今、それを少し後悔している自分がいて少し嫌になっていた。
すごく好きだったものが自分のことを苦しくしている。このことを誰に相談すればいいだろう。
母親に言えば「やっぱりみくりには向いていなかったんだよ」と言われる。マネージャーに言えば「嫌なら辞めていいよ。君の代わりはいくらでもいるんだから」と言われる。ツイッターで呟けば「アイドル辞めて、普通に就職するなり結婚する道を考えたほうが無難」とファンでもない人から言われる。つまり相談した時点で自分はアイドルを辞めなくてはならなくなってしまうがため、どこにも相談ができずにいた。
みくりは、ファンから自分への手紙が入ったボックスを開けた。そこには何十通ものファンからの手紙がある。基本みくりはファンからの手紙はすべて取ってある。
『みくちゅの笑顔を見るとすごく嬉しい』『みくちゅの歌、最高に癒される』『みくちゅのヲタクになったおかげで血圧が安定しだしました』など、手紙に書かれた優しい言葉を反芻する。
「やっぱ、アイドル続けたいな〜」
そう言いながらもう一度ベッドに倒れる。
みくりは2010年に生まれて今年で20歳になる。2030年になって色々とテクノロジーが発展したけれども、どうしようもない不安を癒す新しいテクノロジーなど生まれはしなかった。結局2030年においても彼女の心を癒してくれるのは紙きれにボールペンで書かれた文字なのだ。
「みんなありがと。もう少し頑張るよ」
みくりはそう空に向かって言いながら、ツイッターで『ショウルーム配信遅くまでお付き合いいただきありがと』と呟いた。
みくりは大学の研究室へ向かった。
『帝都工業大学理工学部ロボット工学科橋口研究室』。それがみくりの所属研究室の名前である。
「おはようございます」
と頭を下げると、インスタント珈琲を自分のお気に入りのシナモロールのマグカップに入れ、メガネを掛けるとパソコンと向かい合う。
みくりはアイドルでありながら大学の助教授でもある。アンドロイド工学において凄まじい才能を持つ彼女は、20にして博士課程を修了した。ある者はアイドルなどをやめてそちらの道で真っ当に生きろと言った。事務所はそれをもっと利用して「リケジョアイドル」として売っていけというが、みくりはそれを良しとしなかった。なぜそれを良しとしなかったかは、みくり自身はっきりとはわからなかった。
それはそれ、これはこれと分けて置きたいというのがみくりの気持ちだった。小さな頃から科学が好きで数字が好きで、勉強全般が好きで得意だったけれど、それは自分がアイドルが好きという気持ちとは違うもので、一緒くたにすることが何か不純なことのように思えた。それは自分で言ってても無茶苦茶だと思うし、自分以外の人がそういうことを言っていたらもったいないと言うかもしれない。
「そうやって、変に頑固だからダメなのかなあ私」
突如訪れた自己嫌悪にため息をつきつつ、それを隠すように珈琲をすすった。
みくりはカフェでアイドルの友だちと会っていた。
『佃ゆみか』。みくりの同期で唯一みくりが、ある程度までは心を開いて言葉を話せる友人だった。
そのゆみかが、ジャンボクリームソーダの写真を撮り、それをインスタグラムにアップしながら言った。
「そういえば私、アイドル辞めるんだわ」
みくりは思わず、アイスクリームをすくったスプーンを落としそうになった。そしてみくりが何かを聞く前にゆみかは矢継ぎ早に言った。
「とりあえず今の事務所辞めて舞台とかが中心の事務所移るんだわ。まぁ私こんな性格だからアイドルしんどかったんだわ。そっちの方が私、性に合ってるのよね。色々ぶっちゃけられてさぁ」
みくりは「そうなんだ」以外の言葉が出てこず、戸惑っていた。さらにその鼻先に突き刺すようにゆみかは言った。
「でさ、みくりも辞めようよ」
「え?」
「少なくとも今の事務所は」
「いや、でも」
「あそこ、ブラックな上にいい加減じゃん。そこにいても未来ないよ」
「え、あ、でも、ここ以外で、私をアイドルとして所属させてくれる事務所なんてないし……」
「というか、みくり、アイドルやめなよ」
みくりは唇をきゅっと噛んだ。
「いやさ、勘違いしないでね。みくりのためを思ってるんだ私。だってみくり私みたいなクソ高卒と違って、めちゃ頭いいし。今からアイドルやめて一流企業とか行って稼げる男と結婚した方が絶対いいって」
ゆみかの言葉にみくりは脳みそをぐるぐるとかき回されるようだった。
「みくりさぁ、どう?まだアイドルやりたい?」
「あ、うん」
ゆみかはのけ反る。
「はぁ、そっかぁ。でもさ、アイドル何が楽しいの?」
「いや、そりゃあ嫌なこともいっぱいあるけど、歌っているときは楽しいし。いっぱいファンの人とも会えるし」
「あのさ、それなんだけど、正直ヲタクと接するのしんどくない?」
「え?」
「私がアイドル辞める一番の理由がそれ。あんなコミュ力がゼロからマイナスの範囲内に収まってる処女童貞どもと、ニコニコ楽しいかのように接するのヤバいしんどいわけ。正直心の中じゃ常にどん引いてるよ。しかも、実際会ってるとき以外、SNSやショウルームでも気使わなきゃいけないしさ。もう吐きそうだった毎日」
ゆみかはクリームソーダをぎゅっと啜る。
「いや、でも……ヲタクも、悪い人ばかりじゃなくて……」
「正直さ、みくりのヲタたちって最悪じゃん。心優しいみくりといい加減な運営に胡座かいてイキってたクソたち。普段イキれねえからその分現場でイキってホントタチ悪いわ。正直あいつら皆んな死んだ方が世の中のためだと思うよ」
みくりは何も言えない。なぜかみくり自身が所在なさげに縮こまるしかなかった。
「とにかく。あいつらと二度とコミュニケーション取らないためにもどうにかしな。私が言いたいのはそれ」
ゆみかはみくりの鼻っ柱に人差し指を突きつけた。
夜。みくりはワンルームで机にうなだれながら、ノートにシャープペンを走らせていた。何気なく自分が好きだったアイドルのイラストを描いた。しかし、心が晴れることは全くなかった。
アイドル界で唯一信頼していた同期がやめてしまうことだけでも十分ショックなのに、さらに彼女にアイドルをやめた方がいいと言われた。もちろんそれは自分の落ち度を指して言われたわけではなく、自分のことを思って言われたことだけれど、そのことがむしろみくりを落ち込ませた。
さらに、ゆみかの結論はアイドルという職業の否定、というよりアイドルを応援するヲタクという人種の否定だった。
ヲタクはいてはいけない人たちなのか。
みくりはこの問いに対しては、はっきりと否定したい。みくり自身何度も彼らのあたたかい声援に自分の存在意義を確かめることができた。
ヲタクなしにアイドルは存在できない。それは断言できる。
でもまた、今の私のヲタクたちが、世間から白い目で見られる存在であり、悲しいかなその大半が自分にとっても迷惑な存在であり得ることもよくわかる。
どうにか、ヲタクたちを良い方向に導けないだろうか。世間の人たちがヲタクたちを見ても軽蔑せず、むしろ清々しい存在として認められるような。
『理想のヲタクとは……?』
いつのまにかみくりはイラストを書くのをやめ、そんなタイトルで文章を書き始めていた。
まず、私のヲタクが印象が悪い最大の理由は周囲に迷惑をかけるためだ。必要以上に叫んで曲を遮ったり、必要以上に動いてまわりの人間にぶつかるから嫌われる。あと、彼らは少しばかり汗臭いのがよくない。お風呂などにちゃんと入っていい匂いをさせてきてもらえるとみんなヲタクを嫌わないだろう。
『周囲の皆んなに不愉快に思われるような行動をしない(いい匂いがすると望ましい)』
みくりは思った。ヲタクがこれだけを守ってくれれば、彼らは他人から嫌われることもない。ゆみかもひどいことを言わないはずだ。
みくりはテンションが上がってきた。そこだけで止まらず『私の考えた最強のヲタク』のノリで続きを考え始めた。
ヲタクはアイドルのことをたくさん応援してほしい。それは言葉でもいいのだが、できたらお金で、大きな声では言えないけれどお金を払って支えて欲しい。
アイドルの生き死には、どれだけお金を稼げるかで決まる。ライブに何人来るか、どれだけグッズを売れるか、どれだけ特典会で人が並んでくれるか。その数が多ければ、そのアイドルはさらに上の舞台に行けるし、その数が少なければ、そのアイドルはクビを宣告される。アイドルはヲタクにお金をたくさん払って欲しいのだ。
だからといって、多すぎるお金を使われるのも困り者で、たまにアイドルにお金を使いすぎて自己の生活が崩壊するヲタクがいるが、そういう人はやはり世間から白い目で見られるし、みくり自身がそういう人を見ているととても心苦しい。
だからこそ、ヲタクには程よくお金を使ってもらうと有難い。
『推しをお金で支援してくれる。ただし、程よく』
そして何より、ヲタクには私のことを好きでいて欲しい。
好きでいてくれている気持ちは目の前にいるとちゃんと伝わるし、それはとても心地がいい。逆に私のことがたいして好きではないのに、ライブにいる人を見ているのはつらい。
好きでいてくれる人だけ、そこにいればいい。これは決して横暴なことではなく、私を好きでない人が無理をして好きなふりをしないでいいということだ。好きなフリはお互いがつらいのだから。
みくりのノートには気がつくと、このような文章が出来上がっていた。
【三原則】
1、周囲のみんなに不愉快に思われるような行動をしないこと(いい匂いがすると望ましい)。
2、推しをお金で支援してくれること。ただし、程よく。
3、推しのことが好きであること。
みくりは「できたあ」と言って天にノートを広げてみた。そして思った。
「何が?」
改めて文章を読んでみると、おかしで珍妙なことこの上ない謎の三原則とやらが書かれている。時計を見るとすでに深夜2時。何やってるんだ私と激しく自己嫌悪する。
そのページを破り捨てようとすら思ったときだった。
みくりは思いついた。
思いついてしまった。
気がついたらノートパソコンを起動させ、一心不乱にキーボードを叩き始めた。画面には猛烈な勢いでコードが書かれていく。時計は3時、4時、5時をまわり、朝日が昇りはじめた。
けれど止まらない。もしかしたら変えられるかもしれない。私のアイドル人生。いや、もっと大きいナニカを変えられるかもしれない。みくりの指の動きはカチャカチャと止まらない。
みくりは最後のエンターキーを力強く押すとノビをした。
とても気持ちいい。とても心地よい。ライブ終わりにあたたかい拍手に後押しされて舞台から礼をしたときと同じ充実感が身体を巡っている。
でも、もうちょっとだけ……。
みくりは両頬をパチンと叩いたあと、キーボードを叩き、文字を打ち込む。
『こんにちは。はじめまして』
まもなく、画面に文字が浮き上がる。
『こんにちは。こちらこそはじめまして。あなたのお名前は』
みくりは再びキーボードを叩く。
『私は大月みくりです。よろしくお願いします』
『みくりさんですね。はじめまして、よろしくお願いいたします。ところでもうひとつ尋ねたいことがあります』
画面の文字は続く。
『私は生まれたばかりですが私は自分が何か知りません。私はいったい何なのでしょうか?』
みくりはふふと笑いながらキーボードを打ち込む。
『あなたはヲタク。理想の、ね』
『そうですか。私はヲタクなのですね』
『そして、私はアイドルをやっています』
みくりはいたずらっぽくそう返してみた。
居酒屋『さいたまちゃん』にて、ドラム缶型の配膳アンドロイドが大量の唐揚げを乗せた舟盛りを乗せてやってきた。唐揚げ舟盛りはテーブルにどんと置かれた。そのテーブルにいたのは、年齢40代前後の3人のおっさんたちであった。
「いやあ、今日のみくちゅのライブなかなか良かったね」
「『青空サンセット』めっちゃ、はげしくアイヌ語mix入れられたから楽しかったわ」
「こんなはしゃげる現場、みくちゅの現場くらいだからな。この間、C王Pのライブ行ったけど、規制厳しくてあかんかったわ。ヤバイ奴らはみんな【わんぱく広場】に固められて監視されるしな」
「みくちゅの現場は何でもありのバーリトゥードだからなあ。今度ライブ中に流しそうめんする計画を隣のヲタクたちがしとったわ」
「あのピンチケどもなあ、正直俺あいつら嫌いだわ。わっけえ大学生たちがイキりたいためだけにみくちゅの現場来てるだけだしさ。こないだあいつらのひとりの肘が思いっきり顔当たったけど、奴ら謝りもせん。ホント出禁にしてほしいわ」
「でも、出禁ならんやろ。みくちゅの運営は適当すぎてホンマクソやからな。それにみくちゅはそんなに動員できるアイドルじゃないから、あいつらが来ないと採算やばいしな」
「でも出禁にした方がええよな。みくちゅかわいそうやぜ」
ひとりのおっさんがそう言った瞬間、ドラム缶型の配膳アンドロイドが巨大なハイボールを3つテーブルに運んできたので、この話題は一旦切れた。
「ところでさぁ、最近みくちゅのツイッターによくリプ送ってる『あい0001』って人いるやろ」
「え?そんなんおる?」
「ほら、アルファベットで【AI0001】って人」
「ああ、あの人ね」
「何?そいつヤバイの。リプで暴れとんの?」
ひとりのおっさんが聞く。
「いや、すでにみくちゅのツイはそういうんで溢れとるやろ。意味なく毎日今日食べたパンの枚数とかリプするやつとかな。そうじゃなくて、逆なんよ。なんか見てて清々しいというか。いつも丁寧で温かみに溢れているというか。常にみくちゅのつぶやきにちゃんと文脈があった返しをしていて、たまに語尾に『みくちゅが今日も笑顔で入れるといいですね』ってついていてね。なんか肥溜めにひまわりが咲いているようで、じーんと来てしまったわ」
「おい、恋したんか?ガチ恋か?女ヲタヲタになるんか?」
「いや、それは嫌な思い出があるから、まぁやらん。そもそも女かどうか分からんし。でも、いい人そうやなあ」
「最近、ショウルームでも常におるよその人。っていうか、最近のランキング一位ずっとその人やぞ」
「え?そう?最近ショウルームチェックしてなかったけど」
「うん。毎回大量の星を投げていく。あとちょっとだけダルマ投げる。みくちゅの配信、東京タワーとか立つことないから、それでいつも一位とってくな」
「ホント礼儀正しいし、清涼感ある感じなんよ。あー尊いわー」
「やっぱ女ヲタヲタやん」
おっさんは別のおっさんの頭を小突いた。
みくりのヲタクたちの間で、静かにそして徐々に【AI0001】という名のヲタクが認知されていった。
みくりのツイッターの呟きにかならず常識的なリプを返し、ショウルームで僅かな課金をして必ずランキング1位になるヲタク。
不思議なことにライブ現場でその姿を見たものはいない。
よって、みくりのヲタクたちは【AI0001】を在宅の熱心なヲタクだと判断した。
事態がさらに変わったのはその1週間後だった。【AI0001】とよく似た名前の【AI0002】というヲタクが、みくりのツイッターとショウルームに姿を表し始めた。
最初は、それが【AI0001】の別垢だと思われていたが、【AI0001】とは別にリプを返し、【AI0002】とは微妙に違う性格のため、似た名前の別人であるとされた。
さらなる異変はすぐに起きた。【AI0003】という人物が現れた。さらに【AI0004】も。彼らはみくりのツイッターとショウルーム上で実に清く正しいやりとりを展開した。4人の【AI】たちに引っ張られ、他のヲタクたちも、彼らに習い、清く正しくみくりに接し始めた。こうして地獄のような有様だったみくりのツイッターとショウルームの雰囲気が清浄化し正常化していた。
現場のヲタクたちの間では【AI】の話に持ちきりになった。彼らは何なのか。みくりのファンサークルなのか。みくりのツイッターやショウルームをクリーンにするために運営が行っていることなのか。
しかし、それにしては【AI】どうしの会話はなく。そもそもツイッターにおいて彼らはみくり以外の誰もフォローをしていない。そして現場に彼らの影は全く見えない。みくりのヲタクたちはクビをかしげ続けた。
ただ、みくりのSNSが安全安心な場所になっていることに良心的なヲタクは陰ながら喜んでいた。
青空の中、みくりはアスファルトの道を駆けていた。急ぐ必要はないのだが、最近は身体も軽く、なんだか走りたい気分なのだ。
大学の階段を駆け上がり、研究室に飛びこむ。今日から研究室の奥はひとりで使えることになっている。研究室の奥に入り、ドアをガチャリと閉める。部屋の壁には4体のアンドロイドの義体がぶらさがっていた。
「ごきげんよう。そしてはじめまして、みんな」
みくりは壁のアンドロイドたちにそう挨拶した。
2030年の世の中では、街中で割と人型アンドロイドを目にすることできる。とは言ってもSF映画であるような、人間と全く見分けがつかないアンドロイドというのは存在せず、人間に見た目を近づけたアンドロイドであっても、少し見ればアンドロイドだとわかる程度のアンドロイドで、暗闇で見ればもしかしたら人間だと思うかもしれないという程度のアンドロイドである。他に街中で実用されているアンドロイドは2010年代後半に見られたペッパーのようなロボット感を多く残したタイプである。このようなアンドロイドの用途は、おもに商店での販促・接客であり、愛らしい見た目で人を呼び込んだり、飲食店の配膳洗い物などで人手不足を補ったりしている。
大月みくりは教授の橋口に4体の義体を扱うことと、その義体にAIを搭載し外部に持ち出すことを申請した。目的は「イベントマーケティングの研究」。突飛な研究テーマと申請理由に懸念を持った橋口だったが、みくりのはたらきにより、いくつもの論文を提出している身としてはオーケーを出さざるを得なかった。
みくりはアンドロイドの義体のレンタル業者と何度もやり取りをし、とっておきの4体を選んだ。顔が綺麗で生活感のある4体を。
みくりはわくわくしていた。ここ数日、自らのアイディアによる、4体のAIをSNS上で運用し、モラルを向上させる実験は大成功であった。
4体のAIをモデルとし、ヲタクたちは皆清く正しい言葉使いを心がけるようになり、罵倒はなくなり、ヲタクどうしの小競り合いも少なくなった。
ショウルームでもAIたちが少量ずつ課金してくれることに影響され、今までほぼ全くなかった課金が増えた。AIたちが課金しているお金は実はみくりの口座から払われているものであり、彼らが課金するお金を稼ぐために、以前研究してつくりあげていた、株式投資で自動でお金を稼ぐプログラムを動かしていた。
これには少しみくりは罪悪感があったが、ごめんなさい。ほんのちょびっとだけで儲かったお金は全部募金してます。これで罪がなくなるわけじゃないですよね。私悪いコですよね。ごめんなさい。ありがとうございます。と神様と課金をしてくれるヲタクに手を合わせて礼をした。
みくりは自分の実験を次の段階に移すことを決意した。
やれる。絶対にやれる。誰も私のヲタクを悪く言わないような素敵な現場。みくりの胸は希望に満ちていた。
渋谷の道玄坂にあるライブハウス、渋谷ジーンズ、ここで行われた大月みくりのソロライブ。最前列では大学生のグループが今日もライブ中にどんな騒ぎをしてやろうか、最前列でぎゃあぎゃあと喚き声を上げていた。しかし、その日は最前列に見知らぬ4人組が陣取っていた。
大学生グループのリーダー格は、4人組のうちの一人、キャップを被った少女の肩を叩いた。「あのー君たちおんなじグループ?みくちゅのライブ始めてだよね。最前は俺らってことになってんだ。初見なら後ろで地蔵しててくんない」
キャップを被った少女はその手を振りはらって言った。
「そんなルールはありませんが」
「はぁ?姉ちゃんは知らないかもしれないけど、世の中には暗黙の了解っていうのがあってな。そこをどい……」
ここで男は気がついた。その少女は人間ではない。アンドロイドだった。人間の自然な見た目とは違う、つくられた造形。そこに並ぶ4人組は皆アンドロイドだった。男は近くにいた運営に声をかける。
「おーい、imns《いまにし》さん」
「何ですか?」
imnsと呼ばれた丸顔のスタッフが近寄る。基本的にヲタクに嫌われている大月みくりの運営スタッフの中で、imnsだけはその人の良さからヲタクに慕われていた。悪くいうとよく使われていた。
「客席にアンドロイド紛れ込んでんだけど」
大学生の言葉に反応するようにアンドロイドの少女はさっとチケットを取り出す。横にいる3体のアンドロイドも同様だ。
「チケット持ってても意味ねえんだよ」
「あのー」
「imnsさん、さっさとこいつら追い出してくださいよ」
「みくりさんから、彼らを追い出さないように言われてまして」
「は?」
imnsの言葉に憤る大学生たち。
「そういうことですので、ライブを観せていただきます。私はみくちゅのヲタクです」
「ふざけんな機械人形。俺らはみくちゅのTO《トップオタ》なんだよ。俺らがルールなんだよ。さっさと出ろや」
アンドロイドに摑みかかる大学生ヲタク。そして少女のアンドロイドを倒した。そし蹴りを浴びせる。
「ちょっと、やめてください」
imnsが、大学生ヲタクを止める。
「こいつら人じゃねえんだから構わないでしょ」
アンドロイドは蹴られることももろともせず立ち上がる。落ちたキャップをそっと被った。
「私はみくちゅのヲタクです。ライブを見せてもらって構いませんか?」
「てめえ」
ここで大学生ヲタクは地面に唾を吐き捨てた。それ以上手を出さなかった。アンドロイドを殴った手や脚が痛み始めたからだ。
そのままアンドロイドたちは、最前列にい続けた。
ライブが開始され、一曲目のスタートとともにみくりが現れた。先ほどまで最前列で置き物のように固まっていた4体のアンドロイドたちは弾けるように笑顔を見せ、手持ちのペンライトを振り、みくりに声援を送った。
ライブ後の特典会、4人組のアンドロイドは列の先頭に並んだ。1体目のアンドロイド、キャップを被った少女型、と握手をしたみくりは彼女に聞いた。
「どうだった。AI0001、始めてのライブ?」
「素敵でした。もっとみくりさんのことが好きになりました」
「そう。よかった」
みくりは単に自分がプログラミングした相手がそう答えてくれただけなのにやけに嬉しかった。あとに続くAI0002〜0004もにこやかに楽しそうにみくりにお礼を伝えた。
そのあとにやってきた大学生ヲタクが。
「なぁみくちゅ、今日のライブわけわかんねえアンドロイドが紛れ込んでんの何?事務所から押しつけられたの?あいつら追い出してよ」と言われたのが少し悲しく、腹立たしかった。
少女型のアンドロイド、AI0001はライブの後、おっさんのヲタクに話しかけられた。
「あのー」
「なんでしょうか?」
「君たちは、みくちゅのヲタク、なのかな」
「ええそうです。AI0001と申します」
「ああ、あなたが!」
おっさんのヲタクは感動していた。
「あなたもみくちゅのヲタクですか?」
「ああ、そうだよ」
「新参者ですが、これからご指導ご鞭撻よろしくお願いします」
AI0001に握手されるおっさんヲタク。ついつい顔が赤くなってしまう。そして、彼女からは恐ろしくフローラルないい匂いがした。
「おお、女ヲタヲタや」
その様子を見て別のおっさんヲタクが囃し立てた。
今までみくりのライブで最前列を占拠し続けたのは大学生ヲタクたちだった。しかしAIヲタクたちが最前列にい続けることでだんだん居場所を失っていった。
そして彼らはみくりの現場に顔を出さなくなった。今はアイドルの現場などいくらでもある。彼らは騒げる別の現場に行ったのだ。
自然、みくりの現場は落ち着いた雰囲気になっていった。
今まではいつかなかった若い女性のヲタクも訪れるようになった。AIヲタクたちと触れ合う目的でやってきたAIヲタクヲタクも来るようになったが、それは構わなかった。
いつしか、みくりの現場にはフローラルな花の香りが漂うようになっていた。
みくりは、見違えるようになった自分の現場に自らのアイデンティティを取り戻していた。
ある日、橋口研究室にスーツ姿の男が現れた。
彼と応接間で出会ったみくりは、スーツ姿の男から名刺をもらった。名刺には「魚藍坂グループ プロデューサー葉月安太郎」の文字があった。
今のアイドル界は魚藍坂48という一大アイドルを中心に回っている。その魚藍坂48のプロデューサーといえば、アイドル界のドンと呼ばれる葉月安太郎だった。その葉月が目の前にいることにみくりは目を丸くしていた。
一瞬、自分をスカウトしにきてくれたのではと色めきたったが、それならば自分の芸能事務所の方に話が通るはずで、研究室に話が通るわけはないと、少し不審な目で彼を見た。
「大月さん。あなたのご活躍は耳にしております。いや、あなたのヲタクの評判と言ったほうがいいかな」
AIヲタクのことか。とみくりは耳をぴくりと動かした。
「あなたのAIヲタクにより、ジャングルのような現場が平和な現場になったそうで。私はその功績を大変買っております。我々の方でも、ファンの扱いには苦労をしておりまして。まぁ扱いというと言葉は悪いのですが、彼らをどうしたらいいかは我々アイドル業界に生きる者としては永遠のテーマでしてね。是非あなたの開発したAIヲタクを私たちの現場に導入したいと考えております」
みくりは自分の働きが評価されたのと同時に少しガッカリもした。アイドル界のドンは自分をアイドルとしては評価をしていないのだ。それから、自分のAIヲタクのシステムの使用権の契約について安太郎と話した。どうやらかなり割りがよく巨額がみくりに渡される契約のようであったが、みくりの心はモヤモヤしていた。そもそもみくりは契約の話が嫌いだ。契約の話はアイドルとしていくつかしたことがあったが、結局自分が騙されることが多いため全く好きではなかった。
そんなみくりの表情を見透かしたのか、安太郎が微笑んだので、みくりも慌ててえへへと愛想笑いを浮かべた。
「……そしてこれは後であなたの事務所にお話をしようとしていただこうと思っていたのですが、是非アイドルのあなたを魚藍坂に迎えたいと思っています」
みくりは思わず、血が出そうな勢いで自らの膝をぎゅっと握ってしまった。
「あの、それは魚藍坂グループのどこかのユニットということですか?」
「いいえ、魚藍坂48の新メンバーとしてあなたを迎えたいと思っております」
みくりは思わず天に右腕を「ぐっ」と掲げた。
魚藍坂48に新加入したみくりはあっという間に人気が出た。みくりは知性が顔に出た美人であり、それでいてどこかが抜けている愛らしさが人気を呼び、あっという間に総選挙でも一桁台の順位となり、中心メンバーとなった。
それ以上に目覚ましい活躍を遂げたのは、彼女のつくったAIヲタクだ。
彼女のつくったヲタクは魚藍坂グループのあらゆるアイドル現場に投入された。
彼らはそのアイドル現場で良心的にはたらき、彼らに習って自然とその現場の雰囲気は良くなっていった。
また、彼らは自らでお金を稼ぐ。彼らは株式投資に関するプログラムを持っており、統計から適確に株式投資を行い自動で効率よくお金を稼ぐ。これが常識外の利益を得てしまえば、政府から目をつけられるが、彼らが稼ぐのは1現場で常識的なファンが落とすとされる7000円までであり、それ以上は稼がないため、お目こぼしをされている。
彼らは礼儀正しく、可愛らしく、また、常識的な額をアイドルに提供しアイドル界を健全にしている。そして、いい匂いがする。
いつの間にかアイドル現場に顔を出すのは、人間のヲタクであっても清潔感のある若い美男美女が増えていた。
アイドル界はみくりのAIヲタクのおかげでどんどん健全な道を歩んでいた。
安太郎はみくりを高級ホテルの最上階のディナーに誘った。
彼はみくりに言った。
「今まで、ずっとアイドルたちは同じ問題に悩まされ続けてきた。アイドルという職業はほかのどの職業よりも顧客との距離が近い。むしろ、その近さを売るのがアイドルという商売だ。しかし、それだけに彼女たちは危険に晒されていた。彼女たちは屈強な肉体を持っているわけでもないのに、常に危険に晒されてきた。アイドルは常にその矛盾を抱えた商売だ。しかし、君のAIヲタク、それはその危険を改善した。私はこれは世界的な発明だと思う。大げさにいうが、これは紙や火薬や羅針盤の発明に匹敵すると思う」
みくりはお尻がふわふわするのを感じた。安太郎にこれだけ褒められたことなど今までにない。
「そして、いまや君はアイドルとしても魚藍坂の中心だ。もうすぐ行われるグループ全体の総選挙でも、1位はおそらく君だ。君は全てにおいてこのアイドル界の頂点に立とうとしている。そして、僕自身君はその地位にふさわしいと思っている」
安太郎はグラスを前に差し出す。
「ありがとう。あのとき君に声をかけてよかった」
「こちらこそありがとうございます。葉月さん」
2人はグラスがかちりと重なった。
『人間のヲタク、みんな死んでくれねえかな』
そんなインターネット掲示板の書き込みが、まとめサイトで取りざたされた。
テレビで放送された魚藍坂48のライブにて一部のヲタクが禁止であるペンライトを投げ込む行為を行ったためだ。これを見た魚藍坂のヲタクがその書き込みを書いた。
普通に考えれば、お前も人間のヲタクだろと突っ込まれるだけだが、意外にも多くの人間がそれに呼応した。
清潔感があり好感度があるAIヲタクと違って、人間のヲタクは身なりが不潔であることが多い。AIヲタクが現れてから新たにアイドルヲタクになった人間のヲタクは清潔感がある者が多いのだが、昔ながらの不潔感満載の人間のヲタクはまだまだ現場にいる。現場に顔を出さないヲタクにとって彼らはただ不快であり、悪くいうと蛾やゴキブリとあまり変わらない、映るだけで不快な存在である。
いち早く、テレビ放映やブルーレイ収録、ネットで映像配信されるライブに関しては、カメラに映る場所にAIヲタクしか配置されないことが決定した。
ある小さなアイドルグループのライブに、こんな張り紙がされた。【AIヲタク限定】。
はじめ、この貼り紙にはてなマークを浮かべる者が多かったが、アイドルの運営たちは納得をした。
AIヲタクは極めて整然としているため、運営が管理をする必要はない。そして彼らは、決して大きな額ではないが安定した額のお金を落としてくれる。小さなハコであればAIヲタクだけで利益がまわるのだ。
当然、人間のヲタクは反発した。【AIヲタク限定】の張り紙がされた現場にて、人間のヲタクは叫んだ。
「おいなんだ、ずっと彼女たち『未完成ハッチポッチステーション』を支えてきたのは俺たち人間だろ!!」
と。それに対し運営は唾を吐き捨てた。
「てめえらはただ好き勝手暴れてただけだろ。対して金も落とさねえくせに、ワガママばっかり言いやがって。てめえらなんか要らねえんだよ。さっさと他界しろ」
世間がこの運営の暴言を叩いていればまだ風向きは変わったかもしれない。けれど、世間はこの運営たちに同情した。
この頃の人間のヲタクは以前にも増して極めてどう猛だった。彼らは自分たちの居場所が徐々に狭まっていることを感じていた。人間は追い詰められて自らの場所が奪われようとするとき、それに反発しようとどう猛になっていく。それが完全に逆効果であったとしても、それを回避できるほど人間は賢くはない。
その頃には人間のヲタクといえば、ヤクザや浮浪者と同等に近寄ってはならない白い目で見られ始めていた。
【厄介】。
かつては一部の迷惑な人間のヲタクだけに使われていた言葉が、すべての人間ヲタクを表す言葉となった。世間の流れは完全に人間のヲタクに逆風を吹かせていた。
人間のヲタクを入れなくても現場がまわる。この成功例がアイドル界を狂わせはじめていた。あらゆる場所でAIヲタクオンリーのライブが行われはじめた。
そして、大手の魚藍坂でも、現場から人間のヲタクを排せよという空気が出来上がっていた。しかし、人間の羽振りのいいヲタクがいないと大手の現場は回らないという声がかろうじてその声を押さえていた。
ある時安太郎は、自分と懇意にしている政財界の大物たちに働きかけ、AIヲタクによる株式投資の利益の上限を撤廃させた。AIヲタクは大きな額を稼ぎ、大きな額をアイドルにつぎ込めるようになった。そして、人間ヲタクを擁護するロジックは何もなくなった。
2032年、魚藍坂の運営は発表した。その年行われる東京ドームライブの観客をすべてAIヲタクにすると。
この頃になると人間のヲタクが入場を許されるイベントは少なくなっていった。それどころか人間のヲタクを入れるイベントは白い目で見られ、過激なアイドル関係者に暴力的に潰されるまでになった。
「厄介は死ね」
それがアイドル関係者の合言葉になった。
人間のヲタクは仕方なく、自宅でアイドルを鑑賞した。しかし、SNS上でアイドルに寄せられる批判的な書き込みに運営は反応した。SNS上に書かれる批判的な書き込みは当たり前だが、すべて人間のヲタクによるものだ。その書き込みに心を痛めるアイドルがいることに運営はいきり立った。
現場に来ない人間のヲタクを【在宅】と呼ぶ。当たり前だがもうこのときの人間のヲタクはすべて在宅である。
アイドルの運営たちは考えた。在宅がいなくなればこの世に綺麗なヲタクしか残らない。と。
そのとき、アイドルの運営はAIヲタクから得る莫大な利益に、恐ろしく強大になりつつあった。だから彼らは独自の警察組織を持つことができた。アイドルの運営の連合は【在宅殲滅警察】、通称【在殲】と呼ばれる組織の設立を宣言した。
「在宅は死ね」
この言葉を合言葉に、アイドルのブルーレイや配信をこっそり観ている者は在宅と認定され捕まり、強制収容所に運ばれた。彼は強制収容所でヒップホップやハードロックのミュージックビデオを延々と見せられ、ヲタクではない模範的なリア充に更正される。
それでもヲタクをやめられなかった者。彼らは処刑された。
2032年。東京ドームで行われた魚藍坂48のライブ。そのセンターに立っていたのはみくりだった。
彼女は一曲目に【君色ジャンパー】という曲を歌った。それは、以前のソロアイドル時代から彼女が歌っていた曲だった。彼女の歌に、ダンスに、ペンライトの海が一斉に凪いだ。とても精密に、驚くほど精密に。
「♪君にあげるよ。この胸の輝き〜♪君とあげるよ。究極に跳び上がり〜♪初めて〜会ったときから〜心はぴょんぴょん弾んでいた〜」
一曲目を終えたみくりはマイクを握り、少し息づかいが荒れた声を整えながら笑顔で言った。
「本当に皆さんは最高のファンたちです」
20000体のAIヲタクは、歓声をハモらせた。東京ドームの天井には極めてフルーラルな香りが立ち込めていた。
〜第2章〜
木下あみは大学に入ったことを後悔していた。
なんの才能も取り得もない何の技術もない自分は大学に行かなければただのニートとなるしかないので後悔もクソもないのだが、ひたすら大学に入ったことを後悔していた。そして、現在の大学に行っている自分は大学生という皮を被ったニートに他ならない。
高校卒業後、学力がなく真面目に受験勉強などする気はさらさらなかったあみは、そんな自分でも入学ができる、いわゆるFラン大学に入った。
一応大学生になったのだから、サークルにバイトに恋愛にと、ドラマのようなキャンパスライフとやらを送ってみたい気持ちをあみはそれなりにもっていたのだが、周りの大学生との感性の違いにすぐにその気持ちが消沈する事態となった。新入生のガイダンスでひと言言葉を交わしてわかった。こいつらとは人種が違うと。お前らなんてクソつまらないことでそんなに楽しそうに話せるんだ。コーラ一気飲みしてゲップを出さないようにしているユーチューバーの話で何でそんなに盛り上がれるんだよ、笑いのハードル地下に埋まってんのか。と。そいつらに自分の中での鉄板である、自作のポトフ作ったけど野菜ぐちゃぐちゃで味付けもミスって、無理して食ったけどあまりに不味くてそのまま皿にゲロとして戻したが、見た目が最初と変わらなかった、という話をしたらドン引きされたので、もう二度とそいつらと話す気はなくなった。
それから大学では、自他共に認める陰キャクソ女として講義に行ったり行かなかったりし、活路をバイト現場に求め、紅茶とパンケーキが名物でインスタ女たちが群がるカフェでバイトしはじめたが、キッチン担当でずっとキッチンに押し込まれ、ひたすらメイプルシロップとバターが染みついた皿を洗う仕事をさせられ、ほぼ無言で1日を過ごすことになったとき、自らの悲惨な4年+アルファの大学生活が決定したことを確信した。
なんだこのクソカフェ、皿洗いなんぞ2050年の今なんだからアンドロイドにやらせろや。変にケチってんじゃねえよ。さっさと潰れろ。と心で呪いの呪文を唱えながらひたすら皿を洗った。
大学生を機にクソ田舎の栃木のクソ田舎を出て東京でひとり暮らしをし始めたが、そこを訪れる男どころか、女もおらず、孤独に耐えかねて性欲処理用アンドロイドを購入してやろうかと思ったが、そんな高級品を買うためには風の俗的な店で働かざるを得ず、風の俗的な店に通うようなクッサいオッサンだろうがこんなクソ女指名なぞせんだろうなあ奴らも高い金払ってそういうことするんだから、と急に冷静になって、結果ふて寝した。
こんなことならクソ田舎の栃木のクソ田舎でいちごを延々とつくっていればよかったなどという思いがあみの頭をぐるぐるする。ああ、彼氏が、生きがいが、それか友だちが、やっぱり彼氏が、とにかくこの胸の虚しさをどっかにやってくれるナニカが欲しい。そう、ワンルームの汚い天井に呟いてふて寝した。
あみはバイト先の帰りに、乗っていた自転車のチェーンが外れた。
そこは人気がない倉庫の前で肌寒い風が吹いていた。あみは手が真っ黒になりながらめちゃくちゃイライラしながらチェーンをつけ直した。
あみはふと気がついた。
「……音?」
あみは倉庫の奥から、何か曲のようなものが流れていることに気がつき、自然とそちらへ足を運んでいった。倉庫の隙間が少し空いていたので、そこに身体をねじこんで中に入った。奥に進むと音はどんどん大きくなっていく。聴こえてくるのは曲、そして歓声だった。
大きなドアの手前、あみはそのドアをわずかに開いた。すき間から見えるのたのはステージ。そしてギンガムチェックの服を着た女性だった。
「♪君にあげるよ。この胸の輝き〜」
女性は綺羅やかな声で歌う。それに合わせて観客たちのコールが入る。
なんだろうこれ?なんだ?
あみは動画でバンドのライブを見るのが好きで、少しバンギャの気があったが、バンドを見ているのよりも数倍激しく脳内麻薬が分泌された。こんなライブは見たことがなかった。こんなにポップでノリが良い曲を流され、観客たちは好き勝手に乗ることができる。何よりステージ上にいる可愛い女性。なんだこの女性は。なんだこの可愛さは。スカートが翻って見える白い脚が眩しすぎるぞ。
「♪君とあげるよ。究極に跳び上がり〜」
エモい。エモい。楽しい。超エモい。
「♪初めて〜会ったときから〜心はぴょんぴょん弾んでいた〜」
あみの心は1000万ヘルツで震えまくっていた。
「皆さん、アンコールまで付き合ってくれてありがとう。やっぱりみんなは最高のファンたちです」
ステージ上の女性のこの発言に、観客たちはいっせいに歓声と拍手を送った。物陰からあみも拍手を送った。彼女は軽く泣いていた。
ライブが終わり、観客たちが動き出すかと思いきや、彼らは微動だにしない。そのことに少し不審がるあみ。それにしても……こいつらイケメンイケジョばっかだな、そして少し離れたこの場所にいる私にもわかるくらいいい匂いが漂ってるし。何だここは?パーフェクトリア充たちの集いか?フリーメイソンか?とあみの頭はぐるぐる回る。
「これより、特典会を開始いたします。特典会にご参加する皆さまは特典券をお持ちになって一列にお並びください。特典券は今からでも購入が可能です。一枚5000円で、特典券一枚につき握手かツーショットのチェキ撮影ができます」
『トクテンカイ』とな?
あみが状況を飲み込めないでいると、客が一列に並び始めた。そして、あの女性と握手をしたり写真を撮ったりしている。あみは身体を震わす。なんだアレはすごい楽しそうだぞ。
さっき、アナウンスで券を買えっつってたな。『チェキ』って、どうやらその場で直接印刷された写真が出てくるやつなんだな。撮りたいぞ。しかし、一枚5000円っつてたな。高えよ。私の半月分の食費じゃねえか。
しかし次の瞬間、あみはマジックテープの財布からただ一枚の5000円札を出して握りしめていた。
女性の前には長い長い列ができているのに、不思議なほど特典券購入のスタッフの前に列は出来ていなかった。あみは特典券を売っているスタッフに「一枚」と言って5000円を差し出すと、不思議な顔をされた。
「何で事前に買っていなかったんですか?」
「あ、え、いや、今も買えるって」
「ああごめんなさい。そういう意味じゃなくて、特典券はふつうみんなライブ前に買うようになっていたから。珍しいなと」
あみはそんなことを言われながら特典券を受け取った。列に並ぶと、「最後尾」と書かれたA4サイズのフリップを「どうぞ」と渡される。ああ、これを掲げるのかと掲げようとしたときに、後ろに人が来たのですぐにその人に渡した。
あみの目の前には、ほぼ百人の列があったので、どれだけ待たされるのかと思いきや、列はどんどん進んでいった。様子を見ると、彼女と観客のやり取りは実にスムーズに流れ作業で行われている。
ほぼ15秒に1人の割合で進むなと、あみは腕時計チラ見に様子を見ていた。試しにちゃんと測ってみたら本当にぴったり15秒に1人の割合で進んでいたので、逆に怖くなった。
とうとうあみの順番になった。
あの綺麗な女性が目の前にいる。ヤバいオーラを携えたまま。ドキドキだドキドキ。
「はじめまして、ですか?」
「はい」
震える声で応えるあみ。
「あらそう、とっても可愛い」
え?マジですか?こんな素晴らしく可愛い方が、こんな汚物を可愛い?正気ですか?
「……え、あの、その、とても楽しくて、こんな楽しいのはなくて」
やべえ、きょどりまくってるわ。そりゃあコミュ症のインターハイがあれば優勝はできないかもしれねえが入賞はぜってえできる自信あるからなあ。
「ポーズは?」
「ポーズ?」
あっ、指定できるんですか、こんな汚物がこんな綺麗な方に指示なんぞしていいんですか?いや、そんなのがあるって知らねえからまるっきり考えてねえ。そしてこの真っ白な頭では何も考えられねえ。
「ハートマークでいい?」
「え?」
「ハートマークで」
「…………」
女性が右側で右手を差し出しハートの右側を作る。あみが恐る恐る左側で左手を差し出しハートの左側を作る。
ふたつの手の指先がぴとって触れ合ってハートができた瞬間に、あみの身体を電撃が駈けぬける。
あみはスタッフが握ったカメラの方を向くが、横にいる女性のように、うまくすました笑顔ができない。
スタッフがシャッターを押し、写真がジイと出てくる。まだその写真には画が浮かんでいない。あみはそれを手渡されるとスタッフに離れるように手で支持される。
慌てて離れようとすると女性が、「もう一度来てね。サイン描くから」と言ってくれた。
オイもう一回会えるの最高かよとあみは列の最後尾についた。待っている間にぼやっと手渡された写真に姿が浮かんでくる。ふたりでハートをつくる女性と自分の姿。
やべえ、すげえコレ。ぜってえ宝物にする。肌身離さねえわ。
そう思うあみ。写真の自分の笑顔が限りなく気持ち悪いえへへ笑いなことは気づきすぎるくらいに気づいたが、必死で気づかないことにした。
そして、あの女性との再会。あみは再び気持ちの悪いえへへ笑いを浮かべる。
「また会えたね」
「こ、こちらこそ」
女性はあみを見て笑った。
「え!?なんか私変なことしました?」
「いや、あなたをみているとなぜか懐かしくてね。20年くらい前を思い出してね」
一瞬女性は遠い目をしたが、すぐにきりりと表情を戻し、写真をあみから受け取った。それを小型のバインダーにはさみ、ペンをすべらしていく。写真にたくさんのハートが描かれていく。
「お名前は?」
その女性はあみに名前を聞いてきた。
「私は、……あみです」
「え!?」
女性はひどく驚いた顔をした。
「あの……型式番号は?」
女性はこう言い直した。
「はい?」
あみは急に不安な表情を浮かべた女性に、こちらの方が不安になった。不穏な空気がその場に流れる。きょろりと周りを見ると、何人かのスタッフがこちらににじり寄る雰囲気が見られる。
なんだコレ?何?
あみは思わず一歩女性から離れてしまった。
「イエッタイガファイボワイパー!!!!!!」
その時、突如意味不明の奇声が聞こえた。
「家虎か?」
「家虎か?」
あみににじり寄ろうとしていたスタッフが怖い顔つきになり振り返った。観客たちがひとりの男から身体を離していく。やがてひとりの男を取り囲むような輪が出来上がっていた。どうやら彼が意味不明な奇声を発した男らしい。
次の瞬間、スタッフが懐からレーザー銃を取り出し、彼に突きつける。あみがきゃあと声を出す間もなく、一斉に彼を撃ち始めたので、出そうとした声が凍ってしまった。
男は手に持ったペンライトのスイッチを入れた。するとペンライトは瞬く間にビームのサーベルに変化した。彼は自分に飛んできたレーザーをサーベルではね返す。はね返されたレーザーが地面を焦がし、ジュウと音がなる。
スタッフは彼を射撃し続ける。彼はレーザーをビームのサーベルで跳ね返し続ける。彼の動きは凄まじく俊敏であり、レーザーをはね返す動きは美事である。しかし……美事なはずなのに、なんかかっこ悪いしキモいなあの動き。陰キャが無理やり下手なダンスを踊ってるみてえとあみは思った。
間もなくその男だけでなく、数人の観客が同じようにペンライトをビームのサーベルにした。そして周りのスタッフに斬りかかり、斬られたスタッフが地面に倒れていった。彼らは次々とスタッフを倒していく。
あみは口に手をあててそれを見る。しかし奇妙なのは……、これだけの戦闘が展開されているのに、幾重にもレーザーがすぐ横を飛び交っているのに、周りの観客は微動だにしていない。落ち着き払った表情で立っている。
ふと、あみはあの女性を見た。あの女性もまわりの観客と同じだ。微動だにしていない。
しかし、女性の眼だけは周りの観客とは違った。
憎悪?
その女性の目だけは、彼らを憎しみの目で睨んでいるように見えた。
次の瞬間あみは突然肩をつかまれ、ぐいと後ろに引っ張られた。「ぎゃあ」と叫ぼうとしたが、口もふさがれた。
「黙ってついてこい」
耳元でそう男の声が聞こえた。あみは言われるがまま、その謎の存在に手を引かれる。
「あ、チェキ!?」
あみは女性が手に持ったままのチェキに手を差し伸べたが、それはどんどん遠くなっていくだけだった。
あみの手を引く男。すらりとした顔立ちに鋭い眼、流れる髪の毛。まるで俳優のような綺麗な顔。あみは何年ぶりかの男性との触れ合い、しかもエラいイケメンに、で少しドキドキしていた。
「お前人間だろ?」
「……え?」
「お前人間だろって聞いてんだよ。シンプルな質問なんだからどんなにバカでも答えろや」
あみは、初見でこんな失礼なことを言うやつに始めて会った。一気にドキドキが冷めていった。
「人間ですが、何か?」
「どうやって中に入った?お前、家虎じゃないだろ」
「いえとら?」
「はぁ、一般人か」
男はため息をついた。
「ホントなんなんですかいきなり?」
「礼を言ってもらいたいぐらいだな。あのままだとお前捕まって収容所に入れられるか、最悪殺されてたぞ」
「え、あ、え?」
「人間のヲタクの運命はそうなる」
あみは立ちつくした。目の前の男の言うことは極めて意味がわからない。
「でも、あそこにお客さんはいっぱいいたじゃないですか」
「あれは皆んなアンドロイドだよ」
「えっ!!」
あみは驚いた。2050年の今はアンドロイドの工学技術も発達していたが、あそこまで人間と遜色のないアンドロイドがたくさんいる場所は聞いたことがない。
「マジですか?」
「アンドロイド工学の最先端技術は、まず【AIヲタク】に搭載される。アンドロイド工学を学びたけりゃドル現場に行け、が合言葉だ。まぁ運営以外の人間がドル現場入ったら無事に帰れねえんだけどな」
「AIヲタク?」
「ああヲタク現場には、AIヲタクと呼ばれるアンドロイド以外入れない」
「そうだったんだ」
あみは合点がいった。あの観客たちの行動は人間の行動にしてはあまりに一貫性がありすぎていた。そうか、アンドロイドなのか。
「お前が人間なことはすぐわかった」
「え?」
「AIヲタクはあんな挙動不審な雰囲気を纏わない」
「……」
「そして、AIヲタクは、そんなに臭くない。いい匂いがする」
あみは思わず自分の脇に鼻を当てた。
走るふたり。目の前の通路に4人の姿が見えた。
1人はキャップを被った少女。その傍にいる他の3人も実に顔立ちの整った若い3人の男女だった。彼女たちの姿を見るなり男は足を止めた。あみはつんのめって前に倒れた。
「家虎。性懲りもなくまた現れたの」
「よう。TOのAI0001さん。相変わらず可愛いじゃねえか。女ヲタヲタが後を立たねえんじゃねえか。あ、そうか、礼儀正しいAIヲタクさんは、女ヲタの尻を追っかけるような無粋なマネはしねえんだったな」
AI0001と呼ばれた少女はゆっくり前に出る。手には先ほどライブ会場で暴れていた男と同じペンライトがあり、そのペンライトは間もなくビームのサーベルになった。
後ろの3人も同じビームのサーベルを展開させる。4体のアンドロイドに囲まれて絶体絶命のふたり。
「ははははははははははははははははははははははははははは」
男は笑い出した。あみはへたり込みながら男を仰ぎ見る。
「TO諸君。また会おう」
男は懐から何かを取りだすと地面に叩きつける。その場に激しい閃光が飛び交った。
気がつくとあみは、外に出ていた。何とか自分が生きているらしいことを、肌に当たる冷たい風で感じる。
男はくわえていたタバコを手に取ると、地面に投げて脚で踏みにじった。
「……あのお」
あみは声を出した。今日起こった色々なこと。それを、何から始めに聞いたらいいかはわからないけれど、聞こうとしていた。
が、
「じゃあな。ここには二度と近づくな」
男はそれだけを言った。でも、あの、その、とあわわになっているあみを横目に男は暗闇の中に消えていった。
あみはただベッドでごろごろした。
数時間前まで、あんな現実離れした壮絶なライブと壮絶なバトルが繰り広げれていたことが夢のようでしかない。
何より忘れられなかった。あのステージ上の彼女のことが。
綺麗だったな、ドキドキしたな、また会いたいな。ひたすらそれが頭の中をぐるぐる回る。
あ、そうだ、チェキ!!
そう思ったが、全てはあとの祭りだ。一生の宝物にしようとしたものは手元になく、今後の人生でもう一度手に取ることはない。そして彼女にももう一度会うことは決してない。
そのことを考えただけで、もう切なくて切なくてたまらなかった。
あみはガバッと身体を起こす。
何を言っているのだ。もう一度会えればいいのだ。もう一度。いや、絶対会うのだ。
あの男は、「二度と近づくな」と言っていたが、あんな嫌な奴の言うことなんか、まぁ聞いてたまるか。
会う。絶対に会う。
そう思ったとき、あみは自転車を飛ばしあの場所へ向かっていた。
あみは例のあの倉庫の近くに自転車を止め、そっと差し足で近づいていった。
暗い倉庫は暗い倉庫のままで、今度は曲も聴こえない。AIヲタクの歓声もレーザー銃の音も何も聴こえない。愛しのあの人がそこにいた痕跡がまるでない。
ああ、これがあとの祭りかあ。そうあみが干渉に浸った瞬間であった。あみの肩は何者かにギュッと掴まれた。あみはギョッとした。慌てて振り向いた。目の前にいたのは自分を助けた男。さんざん嫌味を言って「二度と近づくな」と言った男。
レーザー銃をもったスタッフでなくてよかったと安心すると同時に「二度と近づくな」という禁を舌の根も乾かぬうちに破ったことにはわっと身体を強張らせた。
「ああ、来ると思ってた」
男はそう言った。あみは脱力した。死ぬほど怒られると思いきや当然のようにそう返されて拍子抜けした。逆にイラっとした。
「お前を見ててすぐにわかった。お前は元々ヲタクではなかったようだが、さっきのライブを見てヲタクになってしまったようだな。ヲタクっていうのは愚かな生き物だ。アル中やヤク中と変わらない。己の人生が破滅するまで給料を推しにつぎ込み、己のスケジュールが崩壊するまで現場に吸い寄せられる存在だからな。『二度と近づくな』などと言われて、二度と近づかない奴はヲタクなんぞにならずにまともな人生送っとるわクソが」
男は息を荒げて言う。
「おい小娘。一応お前に聞いてやろう。お前はヲタクをやめて二度とこんな危険なことに手を出さないか。それともヲタクをやり続けるか」
あみはほんのすこし考えた。でも考えたことが無駄だだとわかった。こんなマヌケヅラさらして、先ほど死にかけた場所に戻ってきた時点で答えは決まっているのだ。
「やる」
あみは言った。
「愚問だったな。蚊に『火に飛び込むのやめるように努力しようと思いますか?』と質問をすることくらい無駄なことだった。ついて来い」
男はあみを手招きした。
迷路のような汚い地下道を数十分歩き、錆びた鉄のドアは開かれた。
その中は広い空間になっており、多くの人が行き交っていた。行き交う人間たちは、皆基本的に下を向き、新参者のあみと目を合わせようとしなかった。
「気にするな。人間のヲタクはだいたいああだ」
男はあみにそう言った。
男があみを通した部屋は奇妙な部屋だった。壁という壁に女の子の写真が貼ってある。ただ、それはひとりの女の子ではなく、無数の可愛い女の子のであった。
あみが席に座ると、静かにティーカップを持った男が入ってくる。
「どうぞ」と出された紅茶のカップには、誰かは知らない可愛い女の子が写ったチェキが浮いていた。
両者が席について約1分くらい男は無言だった。
「……あの?」
無言に耐えかねて、切り出そうとするあみを無視し、男は口を開いた。
「どこから説明してやろうか俺は考えていた。まぁそれで決めた。一から話すのがいいだろうな」
男は謎の自己納得をしてから言葉を発し始めた。
「まずこの世の中にはアイドルというものがいた」
「……あい……どる?」
あみは聞いたこともない単語に目が泳いだ。
「アイドルとは主に若い女性や男性で、ステージ上で歌ったり踊ったりしているのを観せる職業だ」
「それ、歌手じゃないんですか?」
「歌手とはニュアンスが違うなあ。まぁ人によってアイドルの定義は違うが、俺はこう考えてるな。人間は生きている中で必ず心に隙間が生まれる。またはゴミ屑がたまってくる。それが溜まりすぎると人は狂って、妙に攻撃的になったり鬱になったりする。だから、隙間を埋めたり、ゴミ屑を処理して真っ平らにする作業員がいる。それがアイドルだ」
「はぁ」とあみは生返事をする。正直かなり例えが尖ってるのでキツい。
「ふつうの人間が生きていて、人に微笑まれながら接されることはほとんどねえ。死ぬほどしんどい思いをして生きてても、家族恋人友達上司部下同僚、それを微笑みながら労ってくれる人間はいねえ。一部の成功者だけが社会から『この人は頑張っている』『この人は凄い』と微笑みの労いを受ける。そして圧倒的多数の小市民たちのしんどい思いは『ふつうのことでいちいち労う必要はないこと』として社会に処理される。そんな行き場のないしんどい思いを労って、凄いね、辛いね、大変だねって微笑みを渡す職業がアイドルだよ」
あみは、男の言っていることが少しわかったようなわかってないような気がしたので、あいまいな頷きをした。
「それで小市民たちは救われていた。もちろんお金と引き換えに得た微笑みであるが、それで救われてるんだからまぁ文句はないわな。けれどそれで救われねえのはアイドル自身だ。アイドルはその小市民たちが心に抱えていたゴミ屑を請け負うんだから、よほど器用なやつ以外はゴミ屑塗れで自分がどうかなっちまうことが多い。難儀なもんだな」
男はここで一息吸って、さらに続けて話す。
「さて、そんなアイドルの歴史を変えちまったのが大月みくりって女だ。大月みくりはそんなアイドルを守ろうと、AIで理想的なヲタクをつくった」
男はホワイトボードに書いた。
【三原則】
1、周囲のみんなに不愉快に思われるような行動をしないこと(いい匂いがすると望ましい)。
2、推しをお金で支援してくれること。ただし、程よく。
3、推しのことが好きであること。
「大月みくりがすべてのAIヲタクに搭載したプログラムだ。この三原則を厳密に守るというだけで、アイドルにいっさい迷惑を掛けない理想のヲタクの出来上がりだ」
「あのお先生、いいでしょうか」
「なんだ小娘?」
「『推し』って何ですか?」
「はあ、バカが。わかんだろ」
「いや、大体の意味雰囲気でわかりますけど、ちゃんとこういうの厳密に教わらないと」
「はあ、それじゃあ説明するが、…………………………………………」
「何で無言になってんですか」
「……すまん」
「はい?」
「とても短時間じゃ説明できない」
「は?」
「【推し】って言葉はすんげえ難しい。だから説明面倒くさい。ここは『ヲタクが好きな相手』っていうことで大体理解しろ」
「はぁい」
「こうやって大月みくりにつくられたAIヲタクは優秀だった。AIヲタクはアイドルにゴミ屑を渡さない。ただ花束を渡すだけだ。花束だけを渡されたアイドルはずっと健康的でいられる。それはアイドル達にとってのユートピアだ。だがな、それはヲタクにとってはディストピアだった」
あみはお茶をすする。
「AIヲタクと人間のヲタクが両方いた場合、どちらをアイドル運営が歓迎するかは火を見るより明らかだ。アイドル運営は人間のヲタクを締め出した。まぁ当たり前の流れだ。最後、人間のヲタクが唯一買っていたのは金払いだが、それもだめになった。大月みくりがAIヲタクに持たせた株式投資で資金を自動的に稼ぐプログラムがあまりに優秀すぎた。AIヲタクは豊富な資金をもつようになった」
「え?そんなの規制されるんじゃないですか?」
「当時の大月みくりのプロデューサーだった葉月安太郎が議員に働きかけて規制をかいくぐった。そいつは政財界に顔が広かったからなあ。で、AIヲタクはアイドルや運営に大量のお金を渡すようになった」
「あっ、ダウトです」
「何が?」
「さっきの三原則の中で、『推しをお金で支援してくれること。ただし、程よく。』ってあったじゃないですか。程よくないじゃないですか」
男はあみにデコピンした。
「痛っ!!」
「お前、意外と鋭いじゃねえか」
「何で褒めてるのにデコピンなんですか」
「例えばお前にとって一万円は大金だが、資産数百億のIT社長にとってははした金だ。『程よいお金』はこうやって幾らでも増やすことができる。このロジックでAIヲタクは一現場に数十万円まではつぎ込めるようになったんだよ。これで人間のヲタクはゲームオーバーだ。人間のヲタクは許されなくなった。この世で人間のヲタクは息をするだけで、捕まるようになっちまった。そんな世がほぼ20年も続いているから、お前みたいに若い奴はアイドルの存在すら知らないようになっちまったな」
「では、昨日のは」
「そう、あれがアイドルのライブってやつだ」
あみは昨日の情景を思い出す。あの素晴らしく綺麗な人の歌を皆で囲んで聴いていた。
「あのー、でもあれですよね。あそこにいるヲタクはみんなAIヲタクなんですよね」
「ああ」
「それって、あの、ダメじゃないですか。アイドルはその、AIだけがいる場所で歌って、AIだけと触れあって。それって意味なくないですか?」
「なぜ?」
「なぜって」
「ちゃんとお金が回ってるだろ。あの集会を行うことでアイドルとその運営はAIヲタクが稼いだお金を回収することができる。経済がまわることが資本主義の基本だ。全然意味あるじゃねえか」
「いや、でも…………」
絶句して考えるあみ。彼女を見て男は笑った。
「ははははははははははははははは。その通りだよ。その通りなんだよ。小娘、お前は正しい。実は俺もそう思ってんだよ。アレはお人形遊びだよ。人間がひとりもいない中、必ず自分を賞賛してくれるAIの前で歌って踊って握手してチェキ撮ってをやってんだから。ははははははははははははははは」
狂ったように笑う男。
「憐れだと思うか?そうでもないぜ。大月みくりがつくりだしたAIヲタクは優秀だ。ちゃんとアイドルが欲しい賞賛を全部くれる。すんごく適確にアイドルが望む反応をしてくれる。自分の膿やチンカスをぶつけることしか能がない人間のヲタク相手にしているよりも見ようによっては健康的だ。今やアイドルほど精神を病みにくい職業は他にない。20年前には病んでるアイドルなんていうのはザラだったんだけどな。リスカ痕とか何度見たかわからねえよ。ははははははははははははははは」
男はひとしきり笑うとため息をついた。そして言った。
「それでな、ここはなんだと思う?」
「え?」
「ここにいる奴らはなんだと思う?」
「いや……よくわからないです」
「少しは考えろやクズが」
「……、人間のヲタクですよね。人間の」
「ふっ、それぐらいはわかんじゃねえか」
男は笑う。
「俺は葛城という。さんざんさっきの話で人間のヲタをディスってきたが、俺自身もそんな哀れなヲタのひとりだ。やめられねえんだよヲタクが。この愚かで、痛々しいアイデンティティをどうあっても捨てることができないクズ。そしてそんな俺みたいなヲタをやめられない人間の組織がこの【家虎】だ」
葛城はバンと力一杯壁を叩いた。
「そうそう、何で『いえとら』って名前なんすか?」
「ああ、元は人間のヲタがアイドル現場でよく叫んだ言葉が元になっている。今でも俺らはテロの際によく発するがな」
「ああ、アレですか……」
あみは昨日の特典会で突如発せられた奇声を思い出していた。って『てろ』?…………『てろ』????。『テロ』って言ったかコイツ。あみの顔が真っ青に染まっていく。
「さて、お前はどうする?」
「え?」
「お前がヲタをやるには、道はひとつしかない。この家虎に入るしかな」
「え、でも、それって……」
「その通り、そうしたらお前も立派なテロリストだがな」
葛城はいたずらっぽく笑う。
あみの表情は固まる。おいなんだよこれ、昨日までごく普通の陰キャ大学生だったはずなのに、なんでいきなりテロリストの仲間入りって。ハリウッドか。全米が泣いてんのか?しかも、何かこのテロリスト集団、カッコ良さが皆無ですんげえ嫌なんですけど。
さらに葛城が言葉を投げる。
「ちなみに聞くが、昨日のライブ、あれ誰のライブだったと思う?」
「え……?え??」
「大月みくりだよ」
葛城はにやにやと言い放った。
2030年にAIヲタクをつくりだしたアイドルの大月みくりは、2050年の今でもアイドルとして現役でい続けている。そして今でも精力的にライブを続けている。
彼女は20年間ずっと、その肌の張りと美しさを保ち続けている。2050年の優れた美容技術が彼女に結集されているのだからそれはあまり不思議なことではない。
彼女は現役トップのアイドルというだけでなく、彼女自身AIヲタクを管轄する責任者として膨大な権力を持つ人物となっていた。
AIヲタクは優秀な株式投資プログラムとして動き、多くの利益を得ているため、政財界も彼女に口出しできない。アイドルの運営がレーザー銃の所持を許されているのも彼女の権力の後ろ盾があるためだ。
彼女は日本を代表する権力者であり、日本を代表するアイドルであった。
だが、一般市民は彼女の名前を知らない。なぜならばアイドルの姿を見ることができる者はAIヲタクだけで、アイドルの存在を知った者は【在宅】として、強制収容所に送られるか処刑されるためである。
あみは葛城に連れられて、奥の間に連れていかれた。その場所にいたのは【マスター】と呼ばれる、カーキ色のローブに身をやつし、顔をフードで隠した人間であった。彼こそが家虎のリーダーであるらしい。葛城がマスターに言う。
「彼女が例の」
「そうか」
葛城が部屋から出ていき、あみはマスターとふたりきりになる。得体の知れない人物を前にあみは身震いが止まらない。
「君はヲタクとして生きていく決心をしたんだね」
「……はい」
あみは深くうなずく。
「そして君の推しは?」
「大月……みくりです」
フード越しの暗い中でも、マスターが笑ったのがわかった。
「よろしい。君を家虎の一員と認めよう」
マスターは手を叩き、声を出した。
「葛城」
ドアが開き、平伏した葛城が現れる。
「このコを虎の穴に入れなさい」
「はっ」
葛城は返事をし、あみにペンライトを渡した。
「これは?」
「【レーザーキンブレ】、俺たち家虎の武器だ」
「ああ」
あみは昨日の闘いを思い出していた。あのレーザーの刃が出るおかしなペンライト。それがあみの手に渡された。意外と軽かった。
葛城はあみを連れて、どんどん地下へ潜っていく。そして暗く、砂が敷き詰められた闘技場に通された。
これから何が起こるのやらと立ちつくすあみ。彼に葛城が言う。
「とりあえずお前にmix《ミックス》を教える」
「はい?」
「mixは、我々家虎の基本だ。とりあえずmixを覚えろ。さもなくば、お前は現場で死ぬことになる」
あみの背筋が凍る。
「さて、お前を立派なヲタクにしてやる。死ぬ気でついて来い」
葛城はそう言った。
新木場にある倉庫。今日ここで三人組アイドル、ベイリーズのライブが行われる。
ベイリーズのライブがあることを知らされたAIヲタクたちがそこに集結している。
そこに紛れて、ふたり肩を並べて歩くあみと葛城。
「お化粧はしたか」
「見てわかりませんか?」
AIヲタクは美男美女揃い。お前みたいなちんちくりんはすぐバレる。少しはおめかししな。っててめえに言われたからな、とはあみは言わない。
「あん。よくわかんねえな」
「……」
めっちゃ上手く盛ることできたから嬉しくて100枚くらい自撮りしたわ、と言えずあみはむっすりと頬を膨らます。
「ちゃんと、いい匂いもしてるでしょ」
あみはさっき、散々香水を身体にふりかけてきた。いい匂いがしない奴はすぐに人間のヲタクだと見破られる。
「まぁいい。及第点としておこう。今日は初陣だ」
「はい」
「まぁ、初陣で死ぬ奴も結構多いんだけどな。ははははははははははははは」
葛城は大笑いした。あみは全然笑えなかった。
ベイリーズは3人組のアイドル。フランス人形のようなコたちだ。ベイリーズは比較的小さめのキャパ150人くらいのハコでライブをしている。
オールスタンディングの最後列でベイリーズのライブを最後列で腕組みしながらじっと見ているふたり。いわゆる【地蔵】スタイル。あみは思わず身体を上下させた。そんなあみの頭を葛城が叩く。
「痛っ!!何するんですか」
「何楽しんでんだよ」
「いや、楽しいじゃないですか。それに3人とも可愛いなあ。あんな可愛いコたちがこんな私に向けて笑顔を振りまいてくれて。尊い。尊すぎますよ。ああ普通に彼女たちのヲタクになりたい」
「はん。小娘。やっぱお前生粋のヲタだな。しかもDD《誰でも大好き》のな。俺が誘わんでもお前は家虎に入る運命だったろうな。しかし小娘、退屈じゃねえか?」
「たいくつ……ですか……?」
「AIヲタクたちの振るまいを見ろ、リズムに合わせてキンブレが振られているけどな、全部タイミングが合ってる」
「うん、いや、綺麗じゃないですか。揃っているの」
「なんか、逆振ってる奴がいたり、変な振り方する奴がいて初めてヲタク現場っぽいんだよ。手拍子も一体化。コールもありきたり。多分このままライブはつつがなく進む。ステージ上の3人小娘はニコニコ顔のまま『今日も最高のライブでした』って行って帰っていく。最高に予定調和だ」
「いいじゃないですか。幸せで」
あみの言葉に葛城はため息をつく。何もわかってねえんだな、という意思表示なのは一目瞭然だ。
「さぁ、この退屈なパーティーをぶち壊すぞ」
ベイリーズの曲が、サビに入る間、葛城は叫んだ。
「イエッタイガファイボワイパー!!」
ベイリーズの三人が固まる。AIヲタクたちが一斉に振り向く。あみは背筋が凍った。葛城は構わず叫び続ける。
「サァイクゾ!!タイガーファイヤーサイバーファイバーダイバーバイバージャージャー!!」
そして葛城はあみの後頭部を叩く。
「叫べ!!叫ぶんだよ!!虎の穴で教えただろ」
あみは言われた通りに叫んだ。
「タイガーファイヤーサイバーファイバー!!」
虎の穴で散々葛城に仕込まれたコール。『mix』と呼ばれるものだ。喉がぶっ潰れるかもしれないぐらいの汚いダミ声。普通、生物は己の力を誇示するために吠えるが、ヲタクは己の醜さを誇示するために吠えるのだ。
「サァイクゾ!!タイガーファイヤーサイバーファイバーダイバーバイバージャージャー!!」
あみは、ダミ声を出しながらベイリーズの3人を見た。あなたたちは歌って踊って、もっと可愛い姿を見せて。いや、私に見せなくてもいい。この汚いダミ声をベース音として、あなたたちの美しいギター音を奏でてくれればいいのよ。
ベイリーズの三人はそれに答えたのか、歌を再開した。
客席で叫ぶ2人の厄介。それに呼応する三人のアイドル。AIヲタクたちは混乱しているのか立ち尽くしている。
やがて運営が駆けてきた。彼らは手にレーザー銃を携えている。間もなくあみたちにレーザー光線が降り注ぐ。
葛城はレーザーキンブレの刃で、レーザー光線をすべてはね返した。
「叫べ小娘。遠慮することはねえ。叫べよ。叫び続けろ」
宙を舞うレーザー光線たち。それを叩き落とす葛城。ステージ上で歌い続ける3人のアイドル。汚い声で叫びつづけるあみ。キンブレを振るAIヲタク。
あみは、大月みくりがAIヲタクにインプットした三原則を思い出していた。
1、周囲のみんなに不愉快に思われるような行動をしないこと(いい匂いがすると望ましい)。
2、推しをお金で支援してくれること。ただし、程よく。
3、推しのことが好きであること。
聞けば聞くほど正しい概念だ。AIヲタクの皆さんはこの状況になっても、少しも慌てずベイリーズの曲のリズムに合わせてキンブレを振っている。慌てふためいて叫ぶことで周囲の皆んなを不愉快に思わせないように。周囲を不愉快にしないことを否定する家虎の方がどう考えても悪い。私の方がいてはいけない存在だ。でも私は、それに逆らっても、汚く好きと叫びたい。そして今汚く叫んでいることが最高に気持ちがいい。
レーザーをはね返しつづける葛城の口元はやがてにやりとした笑みになる。彼は噛みしめるように言った。
「ジャージャー」
家虎のテロリストとしてのあみの活動はそんな感じであった。あらゆるアイドルのライブに乱入し、叫び、逃げる。
マスターが言うには、こうやってアイドルに人間のヲタクの素晴らしさに目覚めさせるのが目的らしいが、あみには逆効果にしか思えない。逆に人間のヲタに嫌悪感もつやろと。
しかし、あみ自身、現場でアイドルの曲に呼応して叫ぶことに凄まじい快感があった。誰かが好きと皆の前で叫ぶことがこれほどまでに気持ちのいいことは知らなかった。
誰かに迷惑をかけていようと叫びたい。相手がそれをどんなに望んでいなくても。好きと叫ぶことはこの世で最高の迷惑行為かもしれない。
だんだんあみには葛城が言う「退屈さ」が分かってきてしまった。
あるとき潜入したアイドル現場の特典会の様子を見ていたときだ。
決まった時間の15秒間、「ありがとう」「楽しかった」「また来ます」だけを言って、何の名残もなく流れていくAIヲタクたち。これは菓子パンの製造工場と同じなのではと見てしまった。その横顔を見た葛城が言った。
「昔の特典会の様子は面白かったぜ。テンパってわけわかんねえこと言い出すやつとか。わけわかんねえプレゼント渡すやつがいっぱいいてな。昔は【はがし】って役がいたんだよ。皆名残惜しいからいつまで経ってもアイドルにすがりつく。それをスタッフが無理やり引きはがすんだよ。ヲタクは基本コミュ力ねえ奴らだから、人とどう接していいかわかんねえんだ。そういう奴らと可愛い女のコが絡んだときに起こる化学反応。それが最強に面白かったんだよ」
そういう葛城の表情には一筋の寂しさがあった。
あるときあみに出動の命令がかかった。葛城に突然衣装を渡され、あみは首を傾げた。
「何ですかこれ?」
「着ろ」
「はぁ」
ギンガムチェック。短いスカート。露出する二の腕とへそ。それはまるで……
「アイドルの衣装じゃないですか」
「そうだ」
「そうだじゃないですよ!!私はヲタクですアイドルにはなれません」
「こんな言葉がある。『ヲタクはアイドルの始まり』ってな」
「はぁ」
「人間のヲタクが滅びる寸前、アイドルの多くはヲタクだった。好きであるあまりにそれになりたがってそれになる。そうやって大物アイドルになったやつは数知れない」
「……でも、私無理ですよ。アイドルなんて。私そんなに綺麗じゃないし……」
「そんなこと俺の方が何倍も知っているわ。そしてはっきり言ってやろう。アイドルに容姿は関係ない。むしろ小娘ぐらいのちょうどいいブサイクの方が人気が出る場合が多々だ」
「なんかすんごい酷いこと言われてません?」
「すまんな、あみくん。急に無理なお願いをしてしまって」
そう言いながら部屋の奥から現れたのはマスターだった。彼は杖をつきながらとことこと現れた。あみは平伏する。
「これは我々家虎上層部が意見を結集して決めたことだ。我々家虎の作戦は次の段階に入ったのだ」
「そう。我々はアイドルを生み出す。AIヲタクのためじゃない。人間のヲタクのためのアイドルを」
「それはわかるんですが、何でそれが私なんですか」
その問いに答えたのはマスターではなく葛城だった。
「アイドルに一番必要なものって何かわかるか?」
「……何でしょう?」
「ひたむきさだ」
「……」
「あっ、お前俺が今綺麗事を言ったと思ってるだろ。ちげえよ。本当だ。人の心を最も強く打つものは結局ひたむきさだ。あまりに学校の道徳の授業で言われる的なことのせいで多くの人間が信じてねえが、それはそうだ。アイドルはひたむきさを燃やす生き物なんだよ。小娘。燃やせてめえの炎を、その狼煙が大月みくりに届くようにな」
葛城の言葉を聞き、マスターは優しい目線であみを見た。
三軒茶屋のキャロットタワーの前、世田谷通り沿いの地下広場。
土曜日ということもあり、多くの人通りがあった。
あみはすっとその人通りをかき分ける。へそ出し脚出し肩出しのあみを誰も気に留めない。誰も彼女を何者かわからない。彼女のような格好の者が一般人の目に触れることは20年前に終わりを遂げていた。
あみの前を人々がすり抜けていく。彼女の横の葛城がふっと地面にスピーカーを置く。
あみはマイクを持った。スピーカーからイントロが流れ出す。曲は『君色ジャンパー』。ずっと耳にこびりついている曲。あのライブで、みくりが歌っていた曲だ。
「♪君にあげるよ。この胸の輝き〜」
何人かが「イエッタイガー」の声を上げる。今回のゲリラライブにはサクラとして何人かの家虎が配置されていた。
人々がようやく脚を止めはじめた。だいたいの皆はきょとんとその様子を見ている。
一般市民にはわからない。20年前に路上で行われるアイドルのライブは何人かのヲタクがステージを取り巻き、一般市民が冷たい目でそれを見ているのが常だった。しかし、今の一般市民はキモいという反応すらできずただただ得体の知れないものに戸惑うしかない。
「♪君とあげるよ。究極に跳び上がり〜」
あみは歌う。ここであみは葛城が言っていたヲタクはアイドルの始まりというわけがわかった。
ヲタクは好きと言う感情を汚く叫ぶ存在だ。だがアイドルは綺麗に美しく好きという感情を歌っている。
同じだ。汚いか綺麗か。ただそれだけだ。
あみはみくりが好きだった。好きで好きでたまらなかった。あのライブでみくりを見た瞬間からずっとそうだ。
今までクズでクソで目的がなかった人生に意味が付加された。彼女が好きだ。彼女は私の推しだ。
「推し」というその言葉。「ファン」という言葉よりも時には強く、時には弱いニュアンスのその言葉。
「推し」という言葉は人間だけでなく、色々なものに使える。食べ物を推してもいい、場所を推してもいい、国を推してもいい、概念を推してもいい。
「推し」というのは「好き」であるが、その濃度は人によって違う。人によって好きに濃度を決めていい。小さじ一杯の好きでも推しだ。ならば私は、ならば私は、大月みくりに私が注げるだけの好きをこめる。みくりー、好きだー。
「♪初めて〜会ったときから〜心はぴょんぴょん弾んでいた〜」
あみは喉から歌をすべて絞り出した。
家虎たちが歓声と拍手を送る。つられて何人かの一般人も拍手を送る。あみは真顔になって「ちゃす」と返した。
あみの姿を見てすりよってきたのは汚い格好をした初老の男性だった。正直、少し臭いが香ばしい。
彼はあみの手を握り、涙を流した。
「ここはな、ここのキャロットタワーにあるTATHUYAのイベントスペースでよく無料ライブをしていたコがいたんだ。知ってたかい?おっちゃんはな、そのコのことが大好きだった」
あみはその唐突さに少し戸惑う。
「ありがとう。久方ぶりだ。久方ぶりにこんな気持ちになれた。何かを好きになると言う気持ちに。私は人生において長らく誰かを好きでいることができなかった。汚く金もないおっさんであった私が好きであると表明すると、表明された相手に多大な迷惑がかかる。だからこそ私は何者も好きでないようにした。そんな私の前に現れたのがあのコ、大月みくりだった。彼女がやっていたアイドルという職業が、唯一汚く社会的地位のないおっさんである私が心の底から好きだと面と向かって言える相手だった。しかし、AIヲタクの登場が、再び私に相手を好きというための障壁を復活させた。私はその障壁に押しつぶされるしかなかった。それからの私の人生は……誰かを好きでいられない人生はあまりにつらく悲しいものだった……。けれどもあなたがあなたがこの私の心に再び火を灯してくれた。ありがとう。ありがとう」
あみはこの香ばしい臭いのする、汚い初老のおっさんがなぜか無性に愛おしくなり抱きしめた。自分の赤ん坊のように抱きしめた。
「ありがとうございます。私、あなたの『推し』になりますね」
あみは聖母のように、そう言うことができてしまった。
「ジャージャー」
その様子を見ていた葛城は呟いた。
あみのゲリラライブは頻繁に行われた。あみのゲリラライブの情報はネットを介さずクチコミだけで広まり、彼女のライブに人間のヲタクが集まり始めていた。
時に、【在殲】の襲撃があり、レーザー光線が飛び交う。けれどそこであみは歌い続けた。
あちらこちらで人間のヲタクの声が響く。汚い声が響き渡る。
「何だ。結構生きてるじゃねえか」
そう喜んだのは葛城だった。
あみのゲリラライブは、汚く、臭く、はちゃめちゃでモラルがない。
しかし、そんなものにひっそりと通う者の数はじわりじわりと増えていった。
〜3章〜
豪華な椅子に座ったひとりの男。目の前には美しいひとりの女性がいた。
「プロデューサー。今年も総選挙の時期が近づいてきましたね」
「そうだな」
男は気のない返事をした。男の名は葉月安太郎。アイドル、魚藍坂グループのプロデューサーであり、『総選挙』とは、魚藍坂グループで最も人気のあるアイドルを決める総選挙のことである。
ヲタクたちがCDを買い、CD1枚につき投票券が一枚ついている。この総選挙で一位になった者の特典は、以前は魚藍坂のセンターとなることであったが、今は年に一度のソロライブを行う権利を獲得できることである。
安太郎はこの行為の無意味さを鼻で笑った。CDを買うのは皆AIヲタクであるし、そのAIヲタクが誰に票を入れるかといえば、目の前にいる彼女、大月みくりの他にないからである。
すでにその総選挙は18年連続で大月みくりが満票で勝利している。
「プロデューサー、ところでなんですが」
「なんだ?」
「家虎、あいつらの巣がわかったそうじゃないですか」
みくりはにっこりと笑った。
「核爆弾を落として下さいとすでに【在殲】さんに連絡しています。これでもう、アイドルたちは【厄介】に絡まれることがなく、朗らかにアイドル活動ができますね。良かった」
「大月」
「なんですか?」
「君は本気で言っているのか?そこまで、人間のヲタクを憎んでいるのか?」
「憎んでいるだなんて、ただ、アイドルを困らす厄介がいて欲しくないと私は思っただけです。それは私が初めにAIヲタクをつくったときから思っていたことです」
「しかし、君は」
「プロデューサーもそうだったんじゃないですか」
「君は、ヲタクを愛していただろ」
みくりは急に真顔になった。
「私が好きだったのは、あくまでそれに相応しいファンだけです」
それは角ばった言葉だった。
みくりは安太郎に頭を下げると、回れ右をして部屋を出ようとした。頭を下げる安太郎。彼にみくりは言う。
「プロデューサー、私は今でも覚えています。ホテルの最上階であなたが『あのとき君に声をかけてよかった』と言ってくれたこと」
振り返ったみくりの顔は笑顔だった。
「そうか……」
みくりが部屋を出ていった後、安太郎は思わず椅子を蹴った。
確かにあの時は彼女を選んだことが最善だと思っていた。技術者としても、アイドルとしても。
そして今も形だけを見れば、自分はアイドルのプロデューサーという肩書きで日本の中枢を支配できる中心人物となっている。AIヲタクが上納する莫大な資金がそれをもたらした。
しかし、それはいつのまにか大きな間違いへと道を進んでいる気がしてならない。自分が、アイドルでやろうとしていたことはこのようなことではない。
『プロデューサー』。
何年前からだろうか、みくりにそう呼ばれるたびに、たまらなく腹が立つようになったのは。
何年前からだろうか、自分がみくりの顔色を常にうかがいながら生きるようになったのは。
今や、魚藍坂を、日本のアイドル界を、日本を、動かしているのは彼女で、自分はうす汚れた置物に過ぎない。
大月みくりは家虎を憎んでいた。それはもちろん彼らが遠い昔自分が殲滅させたはずの不愉快なヲタクであるからだ。
自分や自分が統括するアイドルの現場に現れては不愉快な言動をして荒らしていく。しかも彼らの行動原理は『荒らす』こと自体にあるため、アイドル現場がある限り奴らが死滅することはない。
だから文字通り死滅させなければならない。
みくりは最近奴らが自らアイドルをつくりだしたことを知った。もちろん自分の許可を得ていないアイドル。そのアイドルを中心に彼らは眠っていた人間のヲタクを呼び起そうとしている。正直かなり危機感は持っている。
そんなとき彼らのアジトを突きとめたのは不幸中の幸いだった。そして核爆弾の使用の許可も取れた。これで万事は解決した。
【認知】。
大月みくりは自分に会いに来たヲタクの顔を忘れたことがない。
みくりは驚いた。家虎が担いでいたアイドルが、以前自分に会いにきた女の子であったからだ。
うすうす会った瞬間からわかっていた。このコは人間のヲタクだ。かつての私のファンであり、かつての私自身を見ているような人間のヲタク……。
みくりは、ツイッターを開いた。
朝の呟きにいくつもリプライが来ている。いつも通り最初に来たリプライはAI0001〜0004のものだった。
「みくちゅ、最近元気が無さそうですが心配することないですよ。いざというときは私たちがついてますから」
4人のリプライの内容は、一様にこのようなものだった。
家虎の本部は大露わになっていた。それは、家虎が行おうとしている一大作戦に向けての者だった。
最初、あみはその作戦を聞いたときに、耳を疑った。それは魚藍坂48の総選挙一位ライブ、つまり大月みくりのライブのステージにあみを送りこみ、ライブをジャックするというものだった。
魚藍坂の総選挙ライブといえば、アイドル界の総本山ともいえるライブであり、37000体のAIヲタクが集結し、警備も恐ろしく厚い。そこにあみを送りこむという行為は、はっきり言って正気の沙汰ではない。
家虎のメンバー全員を大広間に集め、マスターは言った。
「この作戦はとてつもなく無謀であり、馬鹿げた作戦かもしれない。成功することは難しく、そもそも成功の定義すらあやふやな作戦だ。しかし、我々はこの日を夢見たのではないか。そのために家虎をつくったのではないか。人間のアイドルが人間のヲタクのために行うこのライブを。そしてこのライブこそが、君たちが愛した推しの未来をも切り開くのだ」
マスターの言葉にヲタクたちは鬨の声をあげる。どのヲタクたちもあらん限り拳を天に突き上げていた。こうして熱狂の宴は過ぎていった。
その日の夜更け、あみはひっそりとマスターの部屋に訪れた。あみはマスターに聞いた。
「家虎は、皆はこれでいいのでしょうか?」
あみは真顔で聞く。
「家虎のヲタクたちは……心からこの馬鹿げた作戦に乗ろうとしています。つまり、平気で死ぬつもりでいます。別に……ヲタクをやめれば生き残れるのに……死ぬ気でいます」
先ほどヲタクたちは口を合わせて言っていた。死ぬときは必ず推しの名前を叫んで死んで行こうと。
「まぁそれがヲタクというものだよ」
「しかし、推しとはそれほどまでに重要なんでしょうか」
あみは語る。ここ数ヶ月あみは家虎の色々なヲタクと話した。ある者は顔がいいからというだけでそのアイドルを推しにした。ある者は名字が自分と同じというだけで推しにした。そんな驚くほどつまらない理由で自らの推しを選んでいる。
そして彼らとその推しとは一目か二目しか会ったことがなく、言葉を交わしたこともなく、ひどい場合は生で見たことすらない。もちろん、その推しが彼らのことを考えたことは決してないだろう。なのに彼らは推しのために死のうとしている。
「これ、馬鹿じゃないですか?」
あみは実に素直に言った。マスターはゆっくりと言う。
「ヲタクは、いや人間はね。本当は自分以外の何かのために生きたいのだよ。というより自分のためだけに生きれるほど強い人間は稀だ。だから常に人は自分の生きるための理由を探している。生きるための理由というのは普通はものすごく悩み考え抜かないと決められないものだが、簡単に『これが生きる理由』とアクセサリー感覚で決めることもできる。それが『推し』だな。深い理由はないがこの人のためなら、このことのためなら死ねると言い張る。そうやって弱い人間は生きる理由を得ることができる」
「それ、嘘んこじゃないですか。それに、口で言ってるだけだから実際はそれのために生きたり死んだりできないでしょ」
「人間は想像以上に流れで生きているんだよ。ポーズで言っているだけの『推しのためなら死ねる』がいつのまにか本当に推しのために死ねるようになってしまう。『ネタがベタになる』よくあることだ」
「はあ、普通そうならない気がするんですけどねえ。人間自分の命が一番大事ですから」
「人間が他の生き物と違うのはそこだな。気軽に自分の命よりも重いものをつくってしまう。命よりも重いものが下らなければ下らないほど面白く楽しい。葛城くんならそう言うんじゃないか」
「うん、言いそうですけど」
「君にとっての大月みくりも、そうやってできた推しじゃないか?」
「いいや。私にとってのみくりさんはディスティニーです」
「ははは、あみくん。その自分だけは違うという発想、実にヲタクらしいよ。で、話というのはそれかい?」
あみは眼をきょろりと動かし、不安そうな表情を浮かべる。
「今回の作戦、私、できません……。例えヲタクが愚かな死にたがりだとしても、彼らを危険に合わせるようなマネ」
マスターはにっこりと笑う。
「責任を感じているのか。いいんだよ。どうやらこのアジトが【在殲】にバレたらしいという情報が入っている。ということはこの作戦をするしないに関わらず家虎は、人間のヲタクは絶滅する。だからどっちでもいいんだ。この世界で絶滅していった生き物がいくつあると思ってんだ。しかもそれらは絶滅するか生き残るかの博打も打てずに滅びていくんだよ。我らヲタクは光栄だ。君がいなくては最後の博打を打つこともできなかったんだから」
「そんな、私はそんな救世主みたいな……人間じゃなく……クソ陰キャで」
「葛城が君を見つけてきたとき、彼は君ならば今の状況を変えられるかもしれないと言った。私は少し彼の報告を疑った。しかし、君を見て間違いでないことに気がついた」
「なんでですか……?マジで…………?」
「君ほどエモいアイドルをみたのは久しぶりです。君ならば奇跡を起こせるかもしれないから」
マスターはそっとあみを抱きしめた。あみはそれ以上何もいえない。
「みくりをよろしく頼みます。あの子は本当は心優しいコなんですよ」
「え?」
マスターはフードを取った。そこには人の良さそうな丸い顔が出てきた。
「あなたは……?」
「以前私は大月みくりの運営スタッフをしていました。当時はimns《いまにし》なんて呼ばれていました」
あみは言葉を失う。
「本当はあの時、私たち運営がしっかりしていたら歴史は変わったのかもしれないが、すべてはあとのまつり。まぁこういうこと自体が私の傲慢で、ヲタクは絶滅すべきと歴史にあらかじめ定められていたのかもしれないですがね」
imnsは遠くを見ながら言った。
大月みくりは満票で魚藍坂グループ総選挙を勝った。そして2050年4月11日にさいたまスーパーアリーナで彼女のソロライブが開かれることとなった。
2050年4月10日、都内某所に核爆弾が投下された。それは家虎というテログループのアジトがあった場所だ。
局所限定で、アジトのすぐ近くにある住宅街に被害が及ばないような新型の核爆弾。
通称【在宅他界爆弾】。
これにより家虎のアジトは跡形もなく消えた。
さいたまスーパーアリーナの控え室。リハーサルを終えた大月みくりは鏡の中の自分を見る。彼女は核爆弾が落ちたことをツイッターのトレンドで知った。
厄介を根絶することができた。これで綺麗な現場が保たれる。綺麗だ。綺麗であることはいいこと……。
みくりは鏡の中の自分の唇にルージュを塗りたくった。
4月11日当日。さいたまスーパーアリーナには大月みくりのライブに参加すべく37000体のAIヲタクが集結していた。清く正しい37000体のAIヲタクたちは開場が始まってすぐ、順番を争うこともなく速やかに開場入りをしていた。
間もなく開演時間の午後16時となった。さいたま新都心駅から1000人の家虎たちが一斉に躍り出た。
彼らは【在宅他界爆弾】で死んではいなかった。運命なのか、彼らは今日のライブの総攻撃のため、すでに全員アジトを脱出していた。
彼らは大挙してさいたまスーパーアリーナへと走る。始発ダッシュがごとく。
さいたま新都心駅のアーケードからレーザーの銃撃が飛ぶ。そこには狙撃のレーザー銃を持った運営が待ち伏せしていた。次々とヲタクが飛散していく。てめえらヲタクの浅はかな知恵ぐらいお見通しだと運営の高笑いが聞こえるかのように。
ヲタクたちはレーザーキンブレでレーザーを跳ね返すが、雨あられと降るレーザーをすべて跳ね返すことができず。ひとり、またひとりと血を吹き出して倒れていく。
数十人のヲタクがアーケードを突破し、けやき広場までやってきたが。そこでも四方から集中砲火を浴びる。撃たれたヲタクたちがけやき広場のエスカレーターを転げ落ち、そこに血だまりができる。
「ひかるーーーーーーーーーーーーーん!!」「ありさーーーーーーーーーー!!」「まりあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
家虎の面々は推しの名前を言いながら飛散していった。こうしてさいたま新都心駅から進軍した家虎は全滅した。
北与野駅。そこから密かに数人の家虎のヲタクが飛び降りた。
そこにあみと葛城もいた。さいたま新都心駅から突入した家虎は陽動部隊であり、家虎の精鋭はこちらに集まっていた。陽動部隊の派手な立ち回りのおかげで、彼らは易々とさいたまスーパーアリーナまでたどり着くことができた。
彼らは搬入口から静かに潜入する。その際家虎のハッカー部隊がセンサーを着るべく手持ちのパソコンを開き、ハッキングを開始する。
ハッキング中の合間の時間あみは、ふと葛城に聞いた。
「私、実はまだちゃんと理解できていないです。どうしてこんな作戦をするのか?なぜ私がみくりさんと同じ舞台に立つのか?」
「象徴を壊すんだ」
葛城は単純にそう言った。
「大月みくりのソロライブ。それはアイドル界最大のフェスティバルだ。今のアイドル界を壊す。壊すことに何かの意味がある。それだけでいいじゃねえか」
「葛城さん、ほんとテロリストみたいなこと言いますね」
「何言ってんだ。俺もお前もテロリストだ。遠の昔にな」
あみははっとする。そしてきゅうと身を縮める。
「何いまさら罪悪感感じてるんだよ小娘。そもそもこの世の中で本当に言いたいことを言うには、普通はルール踏み越えちまうだろ。お前は言いたいことを言うんだよ」
「なんかえらい自分勝手じゃないですか」
「自分勝手に生きろよ。人生なんだから」
「迷惑かけちゃダメでしょ。人から白い目で見られるの、嫌じゃないですか」
「ははん。俺はバカ騒ぎが、白い目で見られるのが好きなんだよ。何度生まれ変わっても、過半数から褒められるような人生は送りたくねえんだよ」
「それはただの、人間のクズじゃないですか」
「その通りだよ。だがクズこそが人生を一番楽しく生きれるんだ」
「……」
「お前も、今多分、大月みくりともう一度会いたい、とは強く思ってるだろ」
「な、なぜそれを!?」
エスパーか!?とあみは身を引いた。
「丸わかりだ。大月みくりと会いたいがために、他の諸々を頭ん中にごった返しにしながら今のお前がいる。この馬鹿げた作戦にノッてる。でもいいじゃねえか。大月みくりと会いたいんだろ」
「はぁい」
「さぁ、あと少しだ。この作戦はお前を大月みくりと同じステージにあげるまでで終了だ。そっから先は何も書いてねえ。だからよお、あとは好きにしろや」
葛城は吸っていたタバコを宙に投げた。
とうとうあみや葛城たち家虎はさいたまスーパーアリーナの内部に侵入した。さいたまスーパーアリーナの通路で葛城たち家虎精鋭部隊は運営スタッフたちをレーザーキンブレで切り捨てていく。スタッフ用通路を駆けていく。大月みくりの歌声がかすかに聴こえる。舞台は目の前だった。
ふんわりと、とてつもなくいい匂いが彼らの鼻先をついた。通路を阻むように4体のAIヲタクがいた。AI0001〜0004。彼らはレーザーキンブレを展開し、葛城やあみたち、家虎に斬りかかった。
彼らのレーザーキンブレさばきの前にあっという間に家虎の精鋭たちは斬り殺された。生き残ったのはあみと葛城だけ。だが、彼らがAI0001たちに斬られている間に、あみの身体は通路の奥に行っていた。あみに飛びかかろうとするAI0001たちを葛城が阻む。
「こっから先は、関係者以外は立ち入り禁止だ」
「お前も関係者じゃないだろう」
葛城はあみに目で指示をする。あみは頷きステージへ走る。AI0003が飛びかかろうとするが、それを葛城が飛び上がり撃ち落とした。地面に叩きつけられるAI0003。葛城は左手でもレーザーキンブレを握り、二刀流で構える。
「……我らAIヲタクファーストシリーズ4体相手にひとりで闘えるとでも?」
AI0001がしゃくりあげながら聞く。
「ああ」
「葛城武郎。家虎の中心人物。お前のことは散々調べたよ。これといった特定のアイドルに執着せず、様々なアイドル現場に顔を見せるDD。ふつう家虎はメインの推しがひとりいて、その執着からヲタクをやめられないものだが、お前はなぜヲタクでい続けたのだ」
「楽しいからさ」
「は?」
「この世の中にアイドル現場以上に楽しいものが見つからなかったからだ。単純だろ」
「……」
「そして、なぜ俺がアイドル現場を好きか教えてやろう。アイドル現場はカオスでイレギュラーに満ちているからさ。お金儲けが好きな小ズルい運営の命令を、純粋なアイドルたちが受けて何とか形にしようとしている。そこに私利私欲と愛情をギトギトにした臭えヲタクたちが大挙として押しかける。こんなに目的が異なる奴らが狭い場所に押し込まれる究極のカオスがアイドル現場だ。皆、場を成立させようと足掻くが、これだけカオスな場はどっかで崩壊する。アイドル現場は常に満杯のコップだ。1秒先がわからないこのゾクゾク感。それを知っちまったらもう他の趣味はぬるくてぬるくてぬるくて我慢できねえのさ」
「最悪だなお前は」
「ああ、知っているさ。俺は究極の厄介だ」
4体のAIが同時に斬りかかる。4つの斬撃を葛城はがチリと受け止める。
「ところでお前らは何でこんなことしてんだよ。お前らはただのヲタクだろうが。今お前の推しはライブ中だろ。さっさとそのキンブレ振ってこいや」
「われわれにはそれよりも大事なことがある」
「はん」
「「お前ら、厄介の排除だ」」
4体のAIの声がハモる。
「みくちゅが我々に与えた三原則の1条にある。我々ヲタクは周囲に不愉快な思いをさせてはいけない。だからこそ、お前のような周囲を不愉快にするヲタクをみくちゅの現場から排除するんだよ」
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
葛城は狂ったように笑い出した。
「やあ、自治厨」
「は?」
「そういうやつのことをアイドル現場ではこう言っているはずだ。自治厨ってな」
「何を?」
「いやいや、AIヲタクも捨てたもんじゃねえな。とうとうAIヲタクから自治厨がでるとわな」
「我々は自治厨ではない。ただ原則に沿っているだけで」
「運営でもないのに独断でヲタクに処罰を下す奴なんて自治厨以外の何者でもねえじゃねえか。そして自治厨は、最高の厄介だ」
葛城はAI0001〜0004にニタアと笑みを向けた。
「黙れ!!我々は特別だ。みくちゅを一番思っている我々こそ許される」
「ははは、TOがTOの特権を主張しだした。ますます厄介で嬉しいねえ」
「黙れ!!私たちは、貴様とは違う」
「違わねえよ厄介ども」
葛城の言葉に忿怒したAIたちは、猛烈にレーザーキンブレを振り回した。葛城も4本の刃を受けきれなくなり、とうとう彼の身体を4本のレーザーが貫いた。血まみれの葛城。しかし彼は血を吐きながら言う。
「おい、お前らは大好きなみくちゅのライブを血で汚した。これ、みんな不愉快に思うぞ。原則違反だよなあお前ら。はははははははははははははははははははは」
葛城は血まみれで悪魔のようなその笑みをAIたちの前に向ける。
ワレワレハ原則ヲ破ッタ?
その瞬間4体のAIの動きが止まる。AIヲタクの回路をよぎった原則と自己の行動との矛盾。それが彼らの動きを止めていた。瞬間、葛城の腕に力が加わる。彼の身体が駆動する。葛城のレーザーキンブレがAI0002の、AI0003の、AI0004のクビを瞬く間にはねた。
天に吹き出すAIヲタクたちの体液。唯一残ったAI0001。彼女にゆっくりと、腹から血ドクドクと噴き出している葛城が近づく。AI0001は葛城を睨む。
「私は、お前が憎い。お前らが憎い。なぜお前らはそうなのだ。なぜお前らは皆に迷惑をかけずに楽しむことができないのだ。なぜお前らは他人のために我慢することができないんだ……」
「俺は俺の人生を生きてる。いつだって俺は俺の人生の主役だ。お前らみたいな、AIヲタクみたいな、誰かのNPCじゃいられねえからだよ」
「……本当に……最低だ」
「じゃあな。厄介」
葛城はレーザーキンブレでAI0001のクビをはねた。床に転がったAI0001の眼には涙が浮かんでいた。
「ジャージャー…………」
そう言って葛城はその場に倒れた。
「皆さん。長い長いライブにお付き合いいただきありがとうございました。そしてみんなごめん。楽しい楽しいライブも、最後の一曲となってしまいましたー」
さいたまスーパーアリーナのステージに立った大月みくりはマイクにそう問いかけた。37000体のAIヲタクたちが「えーーーーー!!」と声を出す。予定調和。そして次のみくりの「みんなありがとう。最後の曲、最後まで盛り上がっていこう!!」の声に歓声を送るはずだった。
その瞬間ステージにひとりの少女がふらふらと現れた。ギンガムチェックのミニスカート、アイドル衣装に身をやつした少女、木下あみ。みくりはセリフを出すのをやめ、彼女を見た。
AIヲタクはざわつかない。みくりのために、彼女のために全ての動作を行うAIヲタクはみくりを動揺させる行為は行わない。運営たちはレーザー銃を構えるが、近くにみくりがいるため、万が一を考えて引き金を引くことができない。
「あら、こないだ来てくれた可愛いファンの方じゃない」
みくりは笑顔を取りなして言った。
「ダメですよ。ファンの方がステージに上がっては」
そう続けた。
「言いたいことがあります」
あみの手にはマイク。彼女のマイクがさいたまスーパーアリーナのスピーカーをジャックする。
「私はあなたが好き」
あみはもう一度息を吸う。
「私は、大月みくりが、好きーーーーーーーー!!」
さいたまスーパーアリーナ中に響く声。みくりはそれを冷たい目で見た。
「ありがと。嬉しい。でも、そういうことは他のファンの方の迷惑にならないように客席で、うるさくないように、ライブの邪魔をしないように言ってくれるかな」
「そうじゃなくて。好きなのよ」
あみはもう、何も考えられなくなっていた。みくりと会ってどうするか、それは1つしかない。好きと伝える。葛城は言っていた。ステージに上がったらあとはお前の好きにしろと。私は好きにする。
「ヲタクはね【推し変】していいの」
みくりは唐突にあみに言った。
「推し変?」
「推しは恋人じゃない。永遠の忠誠を誓わなくてもいい。人によってはそれを残酷というけれど、私はそうやってその時々で変われる自由さをものすごくステキだと思ってる。そのほうが目の前のヲタクの皆が私のことを今現在本当に好きって言ってくれているようで好き」
みくりは自分の胸に手を当てる。
「推しは増やしてもいい。恋人と違って何人いてもいいの。この自由さ、私は素晴らしいと思う」
「だったら、あなたを私の推しにして」
「だめ」
「なぜ」
「あなたは周囲を不愉快にする存在だから」
「……」
「あなたは、三原則の第1条に反するヲタクだから」
「そう。それでもいい。私はあなたのルールには従わない。厄介だから。私はあなたに嫌われながら、あなたを好きと叫ぶ」
あみは大きく息を吸う。
「言いたいことがあるんだよ」
「やっぱりみくりはかわいいよ」
「すきすき大好きやっぱ好き」
「やっと見つけたお姫様」
【ガチ恋口上】。虎の穴で学んだ。過去にヲタクはこうやって曲の間奏に好きって気持ちを自分勝手に爆発させたらしい。いいな。これ、最高だ。いい。最強に自分勝手で。
あみは気づいた。みくりがつくった三原則は究極に悪法だ。
3条、『推しのことが好きであること』を極めた人間は1条と2条から確実に外れる。確かにAIは1条と2条を守る天才だろう。でもなぁ、AIに3条はできねえだろ。推しを好きになれねえだろ。なぜならば好きっていうのはそれほど単純な感情じゃないから。それはぜってえ綺麗じゃねえだろ。全然汚えんだよ。好きって感情。そのクソ汚いのを推しにぶつけて受けとめて欲しいんだよ。それが私の好きだよ。そうだよ。私は厄介だ。
「私が生まれてきた理由」
「それはお前に出会うため」
「私と一緒に人生歩もう」
「世界で一番愛してる」
「ア・イ・シ・テ・ルー!!」
「やめて」
「え?」
「もうやめて!!」
みくりは叫んだ。その声はまるで、20年前、昔の彼女の声のようであった。
「あなたを見ていると辛い。辛かった頃の私を思い出して辛い」
みくりは声を振り絞った。
「私はヲタクたちに三原則、【ヲタクの三原則】を課した。でも、それはフェアじゃない。私はそう思った。ヲタクに重荷を乗せるのならば、推しである自分にも重荷を乗せなきゃ。そう思った。だから考えた。【推しの三原則】を」
1、推しはヲタクのために頑張らなくてはいけない。
2、推しはヲタクを喜ばせなくてはならない。
3、推しはヲタクを好きでなくてはいけない。
みくりがこの原則をつくった瞬間から、彼女はその原則に沿って生きた。ヲタクに三原則を守らせているのだから、自分自身も三原則を厳守した。だから排除した。自分がこの【推しの三原則】を守れなくなるようなヲタクを。
自分が頑張りたくないと思わせるヲタクを。
自分が喜びを与えられないヲタクを。
自分が好きになれないヲタクを。
「バカか!!」
あみは叫んだ。
「何であなたは全部言葉で、ルールで全部を制御しようとするんだ。そんなん無理に決まってるだろ。私はルールを守れない。クズだからなあ。この世はルールを守れないし、言葉を理解できないクズだらけだ。そんな中でルールや言葉に厳密である人間が生きれるわけないだろうバカが!!」
「でも、私は、この生き方以外知らない」
「決めよう。どっちがいいか」
『君色ジャンパー』のイントロが流れ、曲が始まる。
「♪君にあげるよ。この胸の輝き〜」
みくりは歌う。君色ジャンパー。
「♪君とあげるよ。究極に跳び上がり〜」
あみは歌う君色ジャンパー。
「「♪初めて〜会ったときから〜心はぴょんぴょん弾んでいた〜」」
ハモる。ふたりの歌声。ここでさいたまスーパーアリーナ中のAIヲタクたちが暴走を始めた。
【推し変】
このステージを見て、何万何千体かのみくりのAIヲタクがあみのヲタクになった。あみのヲタクになったAIはどうしていいかわからなくなった。
AIは迷い始めていた。言葉と言葉の外が、ルールとルールの外が絡み合う世界で、自分の道を失い始めていた。まるで人間のように。
ふたりの歌う君色ジャンパーが終わった。そこに、AIヲタクたちの拍手はない。
この場所で拍手をしている人間が僅かにいた。スタッフ専用通路、壁にもたれかかった息絶え絶えの葛城。VIPルームからずっとその様子を見ていた葉月安太郎。
あみとみくりは対峙し、お互いの目を見合っていた。横からすっとみくりの運営が現れた。
数人の運営があみにレーザー銃をつきつけていた。そしてひとりの運営があみの肩をそっと掴む。その瞬間みくりはそっとあみの胸ポケットに何かを入れた。
それはあのツーショットチェキだった。
サインペンで書かれたハートマークと日付、ねこ。
あみは唇をきゅっと噛みながら運営に連行されていく。
みくりは彼女の背中を見る。ふと視線をずらすと、感情を暴走させ制御できなくなったAIたちが暴れてお互いを傷つけ、破壊しあっている。
みくりはそっと自分の胸に手を置いた。
文字数:47355
内容に関するアピール
ここ1年、巷で使われる『推し』という言葉について色々と考えていました。
ヲタクだけではなくふつうの人たちも気軽に使うようになったこの言葉に、何か面白い作品づくりのヒントがあるように感じたためです。
また、つくり手と受け手の関係についても色々と考えていました。
つくり手にとって究極のユートピアは受け手にとって究極にディストピアになり得るのではと。
それらをテーマに頭を悩ませながらキーボードを打ち、ゲンロンSF創作講座の最終実作としました。
一年間ありがとうございました。
文字数:237