軽やかな断絶と

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梗 概

軽やかな断絶と

 蘭啓の世の日本では天皇は天皇とは呼ばれずに天子さまと呼ばれた。それはかつて呼ばれていた名前だった。なぜ変わったのか、そう訊ねる子供に周りの大人たちは、

「天皇さまという名前はね、『翁』としての名前だったんだ。でも今の天子さまはそうじゃない。『神さま』なんだよ。いまは、天子さまは翁としてわたしたちを視る時代じゃないんだ。神さまの眼でわたしたちを視てるんだよ」

 諭す声でそう応え、上空を指すのだ。

 そこにはまさに〈眼〉があるのだ。漂う無数の、目蓋のない、眼。人の白目にあたる部分はなく、瞳の部分だけがあり、その瞳は薄く発光しているように白い。夜でもぼうっと光っているように感じられる、喩えようのないがそれでも喩えるならばビスクドールの白であった。

 臣民はまさにその眼によって行動した。その眼を見上げると自分が何をしたいか、なにをするべきなのかわかったのだ。だからそれに従うだけでよかった。安泰だった。

 

 天子はコミュニケーションの隔絶を感じていた。無論、臣民とのコミュニケーションだ。天子とその後に天子になる予定の後嗣天子たちは、お互いの意識が溶けあっていたためにコミュニケーションを必要としなかった。身体は在った。それは日本という範囲――川や海、森や山、都市――すべてが天子たちの身体だった。臣民はさしずめその身体に住み着いた寄生体。だが天子たちにとって愛すべき寄生体だった。だからこそ臣民と共通の言葉を持たないことを憂いていた。

 そこで一計を講じた。

 臣民に混ざって生活をする自らの分身をつくった。材料は木の繊維や泥。そこに天子たちの命の一部を吹きこんだ。名前も与えた。側明カタ。天子たちの言葉と臣民の言葉の両方を操る者が生まれた。蘭啓八五一年のことである。

 天子たちが眼を使い、カタは孤児の赤子として臣民の世界で受け入れられた。多く学んだ。何を食べるのか、働くとはなにか、言葉をどう扱うのか――。だが眼に従っているだけの臣民には疑問を憶えた。

 

 カタは成長するにつれて、眼に対して違和感を憶えるようになった。それは嫌悪に近かった。まるで鏡で自分をまじまじと視ているような気分になった。その上、その眼からの視線が強く感じられるのだ。始終居心地が悪かった。カタは一六歳、思春期であった。

 カタはその違和感を天子に対する違和感だと思った。だから天子たちから自分たちを解放することが必要だった。天子たちに誤算があったとすれば、カタが成長につれて臣民らしくなっていったことだった。天子とカタの間にかつてあった共通の言語は失われた。カタは「蘭啓」という元号を滅ぼすことを決めた。この元号がある限り天子たちは日本の時間を治めていることになるからだ。決起した。

 天子たちもさすがに慌てた。眼の力は純粋な臣民にしか通じず、天子たちの片割れであるカタには通じなかった。カタは西暦という名前の刀を持ち出した。それはジャンクに混ざって棄てられていたのを拾ったものだった。この刀には数字が刻まれており、時折数が増え、減ることはなかった。そして数字が大きくなるにつれ威力が上がった。西暦には算用数字で32102とあった。対するは蘭啓八六七。相手にならなかった。治める時間を失った天子たちは日本の辺境にまで自身の身体の範囲を縮小し、ほとんどの地域は解放された。臣民はかつてのように国民になり、その顔は新時代への高揚と糸を切られたマリオネットのようなぎこちなさで彩られた。

 だが天子たちの片割れであるカタは天子たちの治める時間、場所以外では生きられずに消えることとなった。

 

 辺境で身を縮こませた天子たちが考えていたのは、なぜ西暦を振りかざすカタを殺さなかったのかという疑問だった。臣民を眼で誘導すればいつだって簡単に殺せたのだ。だがそうしなかった。天子たちはなぜ、と問いつづけ、子を殺すのが忍びなかったのだと結論付けた。

 

文字数:1599

内容に関するアピール

 親子喧嘩は思春期にはよくあることです。しょうがない。うまくいけば乗り越えられますが、うまくいかないと消えない傷を両者に残しますし、最悪の場合は一線を越える場合だってあるはずです。幸い、わたしはあまりしませんでした。

 家を出れば、その視線からは逃れられます。一時であっても。結局帰ることになるわけですが。カタはどこに行っても、天子たちが治める日本を出ない限りはその視線からは逃れられず、それがカタを大変に苦しめます。

 

 実作を書くにあたっては、おそらく天子たち=作者、カタや臣民=作中キャラクターという構図を意識することになると思います。これはわたしが小説を書く上でその自分で作ったキャラクターを自分の手の中から解放したいと考えているからですが、単にキャラクターを作るのが苦手だとも言います。

 

 実作では「カタは腰の西暦をすらりと抜いた」とか書くことになるわけですが、いたってシリアスに書こうと思います。また、カタとほかのキャラクターとの恋愛(天子たちが仕組んだ恋愛)などが入ってくる予定です。

 日本に生まれたカタが自身を天子たちの片割れであると認識していたかが、梗概ではわかりづらいかと思いますが、カタは自身が天子たちと何らかの関係があるのではと十歳ごろから感じます。それ以前はなんとなく天子の存在に親しみを憶える程度でしたが、十歳以降は自分が特別なんじゃないかと感じます。しかし、他キャラクターとの恋愛の失敗を経て、十四歳で自分は特別じゃないと感じるわけです。自分を特別な存在だと感じることもまた、よくあることです。

 

文字数:660

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