与えられた三〇年

印刷

梗 概

与えられた三〇年

ペルー、リマ。夫の転勤に伴って服部修化は現地に移住した。30歳の誕生日を迎えた翌日の夜、彼女はバーカウンターで隣に座ったホルヘという男から声をかけられ、「修化三〇年」と施された見慣れない銅貨のようなものを受け取る。

裕福な家庭に育ったホルヘの家に昔、ジュンコという日本人の家政婦がいた。彼女は彼に同じ「神話」を何度も聞かせた。ペルーの日本人はかつて自らの土地を奪われた民であったが、日本人の「王」は自らの身体を代償に神から土地を買い戻した。そこで日本人たちは、今度は神から王の身体を取り戻すために、王から譲り受けた土地を耕して富を築くようになった。彼らは貨幣を土地から得た作物を価値に変換する道具とし、積み立てて神に差し出せば王の身体と交換されるものだと伝えた。そのため、貨幣の不要な社会の到来は神への清算を意味し、同時に王の身体は復活するはずだった。

話に惹かれ、服部は資料を集め始める。「神話」を広めていたのは戦中に財をなしたタカフジという日本人実業家の一家だった。彼らは自らを「平家の落人の末裔」と名乗り、戦前に畜産業で財をなしていたとされるが真偽は定かでない。さらにタカフジ一家の庇護を受けていた者たちが終戦後も日本の敗戦を信じていなかったこと、60年代初頭に彼らはほとんど散りじりになったものの独自のネットワークを細々と営み、80年代には日本の「クリード」という消費者金融業者の援助を受けて再び現地のビジネスで成功していたこと、90年代にまた反政府組織として再摘発を受けたこと、家宅捜査の際に彼らのオフィスからは大量の通信機器以外の金品がまったく見つからなかったことなどが明らかになる。「クリード」は10年前に創業者が亡くなり、すでに別の金融機関に吸収されるかたちで消滅していた。

服部は、ホルヘに自宅のランチに招かれる。そこで彼の母親とオンラインゲームばかりしている口をきかない三十歳の妹ルペと対面する。ホルヘに銅貨を服部に渡すように託したのはルペだという。服部とホルヘはジュンコを探しに出かけるが、彼女はすでに亡くなっており、甥ジロウだけが見つかる。ジロウの案内で二人はジュンコや彼女の父が集めていた『与えられた三〇年』というパルプ小説を手にする。内容は、太平洋戦争に勝利した日本人が荒廃したアメリカの大地を開発していく群像劇だ。出版社はすでに倒産していて、その挿絵画の助手をしていたというシモンという男の身元だけがわかる。シモンは服部に、当時日本人の輪に入れなかったこと、携帯電話が普及する前だったけれど日本人たちがそれに似た通信端末を持っていたことを伝える。

『与えられた三〇年』について調べるが、同名のオンラインゲームが見つかるだけで、手がかりはそこで途切れてしまう。ネットに流れている実況動画を眺めていると、それは何もない土地に文明をひらいていくゲームのようだ。

ホルヘと知り合った最初のバーで食事をしているとカウンターの隣の客が忘れていった見慣れない形の携帯電話が鳴りはじめる。バーテンダーが電話に出るように促すので手に取るが、どのボタンを押しても反応しない。バーテンダーが「チップを使ってください」と言うので、ホルヘにもらった「修化三〇年」の銅貨を裏に差し込んでみると通話が可能になる。電話の相手はルペで、彼女は服部を自宅に呼び出す。

ホルへの家に行くと、そこにはルペ以外には誰もいない。彼女がずっとプレイしていたのは『与えられた三〇年』だった。口をきかないルペはゲームのコマンドを使って、『与えられた三〇年』の真の機能がタカフジ一家の末裔が連絡を取り合うためのネットワークであること、彼らのネットワークは貨幣を持たず通信端末にあらゆる決済の記録が保持されること、「修化三〇年」の銅貨は実は貨幣ではなく「服部修化」のIDで通信機器の起動キーであったこと、本当はかつて王が神に差し出したのは自分ではなく妃の身体であり、返還された妃の身体こそ「服部修化」であること、三〇年前に彼女の誕生をもって「修化」という年号が開始されたこと、ルペ自身は彼女をタカフジ一家に迎えるための使いだということを伝える。やがて、ホルヘの家に服部修化を迎えるために続々とタカフジ一家の者たちが集まってくる。

文字数:1746

内容に関するアピール

着想源は二つです。

戦後にブラジルやペルーにかつて存在していた、日本の敗戦を信じない「勝ち組」と呼ばれた人たちに、SF的可能世界の想像性を見出したいと思いました。

 

硬貨に元号がいちいち書かれているのは、社会を数字で規定する貨幣の抽象性に神話的想像力が連想されるからではないかと想像し、SFにできないかと考えました。

文字数:155

印刷

与えられた三〇年

1、

 

 「修化」という名前には生まれ変わりの意味が込められていた。「修」は儀式を、「化」は生き物の成長を表した。その名前は彼女が生まれた夏に由来した。夏の季節はいつも生まれ変わりの儀式だった。彼女の30歳の誕生日はそれまでにあったどれよりも涼しい儀式になった。その年の8月の夜を彼女は住み始めてまだ間もないペルーの自宅で過ごした。それは2年前に結婚した夫の生家だった。今は彼女と彼と彼の祖母の三人が暮らしていた。

 結婚した当初から夫がペルーに行きたがっていることは、彼女もよく知っていた。彼は大学の研究者で鉱物を専門にしていた。日本にいる間中ずっと、彼は仕事の都合をつけてこっちに来るタイミングをいつも伺い、早くここに戻りたがり、もう一方で日本からも脱出したがっていた。それでもまさかこんなに早くそれが実現するなんて、彼女だって思ってもみなかった。直接のきっかけはサバティカルだった。

 夕食の後、キッチンで皿を洗っている彼女に誕生日だからいいよ、と言って彼は珍しく交代を申し出た。夫は気を遣ったつもりかもしれないが、そんなことしてもらうほど辛くもないのだと思いつつ、彼女はそれを譲った。乾燥して涼しいとは言ってもペルーの8月の平均気温が10度を下回ることはほとんどないので、水が冷たくて手があかぎれるということもない。彼女が洗いものをしているのは、そうでなければ無口な夫と祖母と夕食の後の使い道のない時間の前で手持ち無沙汰に過ごさなくて済むからでもあった。

 足の悪い祖母はテレビが好きでいつもソファに腰掛けてそれを見ていた。その日はNHKのニュースだった。「フミアキ」と祖母は、彼が子どもの頃のそれと変わらない響きで、夫の名前を呼び、「年号が変わるね」と手短にニュースの内容を伝えた。それはその前の年から日本人たちがささやいていた天皇陛下の生前退位に関するニュースだった。公務の場に現れた陛下の映像が映し出され、キャスターがそれに重ねて体調不良と、崩御に関わる儀式の手間暇を理由に陛下は譲位の意向が強いという旨を要約した。もしそれが誕生日の出来事でなかったら、彼女はそのニュースのことだってすぐに忘れていたかもしれない。

 

 ルペが彼女に初めて接触したのは、その数日後だった。

 近所の薬局で買い物をしていた彼女の元に、夫からその日はラボの同僚と夕食を一緒に食べることになったので、先に食事を済ませておいてほしいと連絡があった。それで彼女は自分も夜は外食することにして、少し前から気になっていた中華料理屋に立ち寄り、祖母にもテイクアウトを買っていった。近所の大通りにあったその店は中国人が経営しているそれとは少し違っていて、料理は地元風にアレンジしたもののようだった。スパイスをまぶした焼きそばはどこの国のものとも分類し難い奇妙なものだったが、味は悪くなかった。祖母がたいていは料理を作るので、彼女は滅多に外食はしない。けれどルペはその日、たまたま彼女が外で食事をすることを知っていた。それを見計らって狙いを定め、しかし偶然を装って彼女に接触した。

 彼女が振り向くとそこには長い黒髪を後ろでまとめた若い女性がほほえみかけていた。顔の小さいのがその女を幼く見せ、一瞬学生のようにも感じさせたが、近づいてくると少し重たくなった涙袋、皺の寄った首と目尻が女の表情に年相応の深みを与えた。

「日本人の方ですよね」

 それからルペと名乗った。実際には女は彼女よりも少し年長だった。そして女の言葉遣いに他よりもずっと馴染み深いなにかを感じ取った。それもまた異国でささやかな不安と孤独の中にある彼女のために準備されていた。そういえば、ここに引っ越してくる前に日本でしばらくスペイン語会話の私塾に通っていた。その講師がバルセロナの郊外の出身だったので、彼女はラテンアメリカよりもずっと、スペインのスペイン語のほうに親しんでいた。ルペにもそういうところがあり、実はそういうことが必要に応じて準備されていた。その女はバルセロナの大学に通い、子どもの頃から何度も彼の地の親戚の家で過ごしたルペのスペイン語にはラテン・アメリカではない、ヨーロッパの訛りがあったと自己紹介に付け足した。女はペルーでは家電製品やウェブサイトの翻訳の仕事をしているということだった。

 どうして私なんかに声をかけたんですか。ルペは彼女と店員のほんの小さなやりとりを見て、「日系人」ではなく「日本人」であること、さらにいくつか他の外国語を学んだ経歴があることにも気づいたのだと答えた。そして、ついさっき思いついたみたいに自分が勤めている事務所で一緒に働かないかと誘った。突然のことに彼女は戸惑ったが、連絡先を交換し、何度か会って仕事で使う書類を確認したり、簡単な試験を受けたり、事務所を見学したりするうちに10日ほど経つとほとんどそこで勤務することが決まった。それは中国語、英語、日本語のウェブサイトやデジタル機器の説明書をスペイン語に翻訳する小さな事務所だった。ルぺのほかに、まだ30代の社長を含めてたった5人できりもりしていた。

 彼女にはそれが可能だった。夫がペルー国籍を保持していたこと、籍を入れた時期、移住した時期の都合がそれを実現させた。現地で働けることが、彼女が夫に突きつけた条件でもあった。彼女が夫にその会社でパートタイムで働く相談を持ちかけたのは、試用期間開始の3日前だった。切り出してみると、会社のウェブサイトを彼女の目の前でチェックして、感じの良さそうなところだねと言って、概ね賛成してくれるようだった。彼女のことだ。反対されても黙って働き始めていたかもしれない。

 勤務自体は週に3日だったり、4日だったりで、彼女以外にも複数のパートタイムワーカーや在宅の委託事業者がいた。彼女とルペは次第に仕事以外でも付き合う間柄になり、ルペは彼女を「シューカ」と呼んだ。彼女がルぺの家に遊びに行くこともあった。それはミラフローレスの東のはずれにある豪邸で、母親と、口を利かない弟のホルヘと三人暮らしだった。ホルヘは彼女と同い年だった。家の前には古いフォード・ギャラクシーが停まっていた。亡くなった父親が乗っていたもので、今は誰も使っていなくて近々売りに出すのだという。

 

 ある日、ルペはいよいよ銅貨を一枚、彼女に手渡した。それは日本の10円玉そっくりで、彼女はおもちゃか何かだと思った。表には唐草で囲まれたお堂のようなものが描かれ、裏にはと常磐木の飾り模様で10円玉のようにその価値を示すはずの算用数字「10」は書き込まれず、真ん中には「修化30年」と彼女の名前と年齢が書かれていた。

「これって『シューカ』って読むんでしょ?」

 白々しい様子でルペが尋ねた。その通りだ。彼女もルペに聞き返した。なぜ漢字が読めるのか。どこでそんなものを見つけたのか。ルペは自分にそれを預けたジュンコという女の話を始めた。おそらくそれはごく早い時期に「農場」を出て行った女の仕業だと思われた。ジュンコはルペが幼い頃に屋敷の裏の小屋に住み込みで働いていた日本人の家政婦、いや日系人、だからその人はペルー人だよ、とその女は言い直した。

 ジュンコというのは正しい神話を知らなかった女だ。しかし彼女にまず最初にそれが伝わった。今から30年前なのでそれは80年代の終わりだった。当時すでに、ルペたちはこの邸宅に暮らしていた。ルペの家には出張で留守にしがちな研究者の父親と、出版社でパートタイムの仕事をしている母親、二人の姉と一人の兄、そしてジュンコととアドリアナという二人の家政婦がいた。ジュンコは日系人で、アドリアナはインディオ。仕事中の母親はいつもいらいらした様子でタバコを吸いながら誰かと電話をしており、家事は家政婦に任せていた。ホルヘを妊娠して仕事を休むようになってからは、酒もタバコも制限して家の中で大人しく過ごさなければならなくなったせいで、さらに彼女のいら立ちは募った。子どもたちの世話を率先してしたのはアドリアナよりもジュンコだった。ジュンコはある日、兄弟たちの中でもとりわけ懐いていたルペにその話をした。

 日系一世にあたるジュンコの祖父母は19世紀の終わりにさとうきび畑で小作人として働くために海を越えてカヤオ港にやってきた。しかし、一度働き始めると想定以上の重労働や慣れない生活習慣、予定通りに支払われない給料などが災いして、多くの日本人は現地の生活に馴染めなかった。そんな中、一部の日本人たちの間に自分たちが土地を奪われた民であるという噂が広がった。それは、彼らが地主に雇われ労働をさせられるのは、本来自分たちが持つべきだった土地を失ったからだと彼らに説くものだった。誰かがそれを神話と呼び、そのうちみんなが呼んだ。

 神話によると、「日本人の王」という人物がいて、自らの土地を奪われた日本人たちのことを不憫に思い、奪われた土地の一部「森の奥の土地」を買い戻し、彼ら彼女らにその場所を耕すように命じたのだという。しかし、「日本人の王」は土地を取り戻したのと引き換えに、自らの身体を神に譲り渡さなければならなくなり、王の体はこの世から消えてしまった。そこで、残された民は与えられた土地を十分に耕し、奪われた王の身体を取り戻す使命を負った。「十分に耕す」とはどういうことか。どうすれば彼らは奪われた王の体を取り戻せるのか。ルペは、ジュンコがもしも残された民が本質的な豊かさを取り戻したならば、その豊かさの証明は貨幣を必要としなくなった社会としてやってくると説いた、と説いた。

 彼女はその話がスペイン語で説明されるのがとても奇妙に感じられて吹き出しそうになった。それは事実、その話にいくつか間違った部分があったからかもしれないし、真実のうちにも荒唐無稽に聞こえることがあったからかもしれない。

 ルぺの母親が臨月を迎えるまでは、ジュンコの話はいつもそこで終わりだった。しかし、子どもがーまだ名付けられる前のホルヘがー生まれてくるときになると、ジュンコは一度だけ決して穏やかではない強い眼差しと他の誰にも聞こえないくらいひそめた声でいつもの話の最後にこう付け加えた。

「生まれてくる男の子はその王である」

 それはこのジュンコという女の生涯で二つ目に罪深い行為の瞬間だった。ジュンコはウナ・セーナ派の女だ。ジュンコは二つの罪を犯していた。一つは派閥の掟に従って銅貨を盗み出したこと、もう一つがこうして間違った神話を伝えたことだ。

 確かに、生まれてきたホルヘはアジア人のような容貌をしていた。それに驚いた家族や親戚たちは「チョロ」の子どもが生まれたと騒ぎまわった。はじめ、彼らはインディオの子が生まれたと思ったのだ。ルペだけがそれを日本人であると理解した。そこでルペはジュンコの話を祖母たちに話すのだが、もちろんそのペルー人たちはそんな話を真に受けない。それでも、何度も彼女が訴えるうちに親戚中の女性たちがこのようなことが起きたのはあの女のせいだということにして、ジュンコを家から追い出した。

 「それから?」と、彼女が尋ねると、ルペは笑いながら首を左右に振った。別にそれからもなにもない。ホルヘは口が利けなくて普通の学校に通えなかったが、字は書けるしそれで本も読める。今だって毎日ゲームをやっている。工場で働いていたこともあるけれど、喋れないので集団生活には難しいこともあって、お金に困っていないならそれでいいということで仕事をやめてあとはずっとここで暮らしている。ジュンコが言ったように彼は王であるかもしれないけれど、それで困ったことが起きたり、特別なことが起きたりもしなかった。王だとしても誰もそれを証明できない。ルペは少しだけ彼女を睨んだ。彼女は嘘をついていた。

 彼女はもう一度銅貨を見返す。ルペはそれをあなたに渡すように言ったのはホルヘだと言った。彼女が怪訝そうな顔をすると、喋れなくても字は書けるの、言ったでしょと、さっきと同じ文句を繰り返した。ルペとホルヘはどうにかして話をするのだ。

 

2、

 

 自分の名前と年齢が書かれた銅貨になんの意味があるのか。誰も修化に教えなかった。

 翌日、朝食を三人で食べて旦那を職場に見送った後、あの銅貨を祖母に見せ、ルペに聞いた神話の話を尋ねた。祖母は服部家の女だったが、彼女の前では表情の変わらないふりをした。まず「そんなようなことは確かに聞いたことはあるけれど、私はよく知らない」と嘘をつき、「私はよく知らないから図書館にでも行けばいい」とはぐらかした。それで、午後からハビエル・プラド通りを越えたところにある図書館で資料を漁ることにした。

 図書館のカウンターで彼女の入館手続きを受け付けたエドゥアルドという若い男がいた。彼はこちら側の人間だった。手続き用の書類と入館証の発行手続きを手伝っただけでなく、彼は彼女にデジタル・アーアカイブの使い方も、本来なら特定のライセンスが必要な資料へのアクセス権も、彼女に提供することができた。短くて黒いくしゃくしゃした髪に、細くてなくなりそうな顎、レンズの分厚いメガネの向こうできょろきょろと動くつぶらな瞳。そしていつも左腕に、革の青いベルトの腕時計をしていた。彼女はすぐに彼を彼として覚えた。初日に、大した成果が得られなかったがそれはすぐに彼女の習慣になった。

 数日後、「ラテン・アメリカ:日系移民史」という歴史の専門書の中に確かにジュンコという女性がルペに話したらしい神話と思しき記述を発見した。本書にあるペルーの項目は、日本人の最初の大規模な一団である800人近い移民労働者が森岡商店という代理店を通じて、1899年に横浜からカヤオ港に来航したことを記録していた。新潟、広島、山口の出身者が多くを占めたが、その中に広島の庄原という地からやってきたタカフジという男がいて、彼は自分が落ち延びた平敦盛の子孫であると名乗っていた。桓武平氏の末裔ということでタカフジは「天皇の子孫」を自称した最初の日系移民とされたようだ。

 移住から数ヶ月もしないうちに、多くの日系人労働者は農地を投げ出してカヤオ港に逃げこむようになった。ルペがジュンコの話として彼女に教えたように、当時の彼らを取り巻く環境は過酷だった。しかし、ペルーと日本の間を行き来する運行便がそれほど簡単に手配できるわけもないので、現地住民と日系人の仲裁のために、明治の初めにはメキシコ駐在から書記官が一人派遣され、労働者と地主たちの仲裁に当たった。仕事を投げ出しても帰国が難しいとわかると、多くの日系人たちは都市部で理容師や小売業といった職を得て定住するようになった。並行して、このタカフジという一家はなにかのーおそらく違法な方法でーかたちで小作農から脱し、アマゾンの奥に土地を開墾し、そこで畜産業のようなことを興すのに成功したとされている。そして彼らはその土地を「天皇陛下より賜った土地」と言って、多くの日本人労働者を雇用したのだという。

 彼女はそんなことを鵜呑みにする人たちがそれほどたくさんいるとはにわかには信じ難いとも思ったが、明治から大正にかけて忠君愛国、軍国主義の教育を受けた当時の移民たちにとって天皇の土地という話は受けが良かったのかもしれないとも思った。

 タカフジ一家が吹聴する「天領」神話にはいくつかのバージョンがあり、ルペから聞いたジュンコの話もその一つだった。中には平安時代に花山天皇が詠んだとされる和歌にある「長き夜見ゆ御国」という語が、このペルーの土地に相当するというものもあった。生前の譲位を余儀なくされたこの花山天皇こそ、いつの世かどこかで惑う日本人のために自らの身体を犠牲にした天主であるとそれは唱えた。しかし、実際に調べてみてもそんな歌自体、どこにも見つからないし、いくつかの信用ならない噂が当時は広まっていたのだと思うしかなかった。もう一方で、当時の人間たちはそのような情報の真偽をチェックする方法もなかっただろう。当時の人たちにとってそれは、信じないよりも信じたほうが役に立つ話でさえあったかもしれない。と、ここまで銅貨についての記述はひとつも見当たらなかった。

 ジュンコの家はこのタカフジ一家に関わりの深い何かだったのだろうか。ルペに頼んで彼女の消息をたどる必要があると思い、彼女はその週末に食事の約束を取り付けた。

 

 女の自宅で土曜の昼前に遅い朝食を一緒にとることになった。玄関からの廊下を通ってすぐ右手にあるダイニングに入ると、壁を挟まずに隣のリビングに部屋が繋がっており、大きな40インチ以上はありそうなテレビの前で、ソファに寝転がっているおもちゃの模様のパジャマを着た男がいた。ホルヘはオンラインゲームをしていた。画面の中では自動小銃を担いだ小さな人間が荒野のような場所を走り回り、キャラの頭上に緑色のフォントでアカウントの名前とライフゲージが表示されている。しばらくそうして走っていると、今度はピンク色の名前とゲージをぶら下げた他のプレイヤーたちが姿を現した。

 ホルヘは手を止めて一瞬こっちを振り向き、彼の姉と服部修化の顔を一瞥した。罪深い男の顔は今は感情を隠している。短く縮れた髪の下にうっすらと髭を生やした面長。彫りの深い東洋人にも、色の浅黒い白人にも見えたが目の色は真っ黒だ。のっぺらとした仮面のような無表情の向こう側からこちらを伺っている。

 朝食を食べながら彼女はジュンコにどうしたら会うことができるか、ルペに話を切り出した。女はジュンコはすでに亡くなっており、甥のジロウがこの近所で暮らしているが、会うのはなかなか難しいかもしれないと伝えた。食事の後、二人はルペの案内でジロウに会うために、お世辞にも治安がいいとは言えない地区に足を踏み入れなければならなくなった。そのあたりの街路の公衆電話にはひとつひとつ巨大な南京錠がつけられていた。ジロウの家はオレンジ色のペンキが剥がれたコンクリートの二階建て。二階の部屋は屋根が作りかけの状態で放置された粗末なものだった。錆止めのはがれた鉄の柵をはさんだ玄関からインターホンを押したが、なんの音もしなかった。しかし、しばらくそこで待っていると、後ろから声をかけてくる男がいた。裾にペンキのついた作業用ズボンを穿いた髭面の男だ。彼がジロウだった。

 ルペはジュンコの名前を出して彼女の消息について尋ねたが、ぶっきらぼうに男はこちらの質問になにも知らないとしか答えなかった。ときおり音が潰れて聞き取れない単語があるたびに彼女はちょっとした不安を覚えた。そのような会話を不安にさせる言語のノイズはルペからもジロウからも発せられたし、彼女はその度にまだ見ぬペルー人としてのルペを見つけた。ジロウは最後まで日本語は喋らなかった。最後に、右手であっちに行けというポーズをして家の中に入っていった。ルペは両手をなげだして、ため息を着いた。

「どうする? あきらめる?」

 彼女は、その日は退散するしかないね、と答えた。

 

 3日後。ひどい雨が降っていたので、図書館に到着するまでに大きなぬかるみをいくつも越えていかなければならなかった。いつもよりも30分遅れてたどり着くと、その日もエドゥアルドが続きの資料を準備して待っていた。

 1930年代に入って満州事変を契機に日米関係が悪化する。同時期、ペルーの支配層は親米路線を強めるようになったため政権に近い富裕層のペルー人たちは次第に、日系人に対する風当たりを強めるようになり、リマをはじめとした都市部では大規模で深刻な排日騒動もいくつか起きた。タカフジ一家はしばらくそうした都市を中心に広がる諍いと距離を取っていたが、それでも太平洋戦争が始まると、国内の日系人を捕らえて合衆国の強制収容所に送り込むほど迫害は深刻なものになると、治安当局はアマゾンの奥まで捜査の手を広げ、タカフジ一家の私有財産を徴収しようと彼らの商売に介入し始めた。記録はそこで終わっており、その後一家が、私有財産を完全に失ってしまったかどうかはわからない。

 移民史におけるタカフジ一家の情報はここで一度途切れるが、界正一という日本人の記者によって60年代に書かれたルポルタージュ「さかしまの国:もうひとつの戦後史」にこの後のタカフジ一家の消息を見つけることができる。この記録はいわゆる「勝ち組」と呼ばれる人たちについて綴ったもので、本の大部分はブラジルにあったその大きな勢力に内容の大部分を割かれているが、ペルーの勝ち組勢力の大きな資金源としてタカフジ一家の名前が登場する。

 当時の南米大陸にあるブラジルやペルーをはじめとしたいくつかの国々にはいわゆる「勝ち組」と「負け組」とがいて、「負け組」つまり、日本の敗戦を認めている日本人たちは認識派とも呼ばれていた。南米の日系人コミュニティにこのような対立関係が生じたのには、経済的な背景があった。太平洋戦争後、ペルーの日本人は排斥運動の影響で、その多くが貧しい生活の中での終戦を迎えざるを得なかった。そこでは違法な商売に手を染めることが多かった「勝ち組」が財産を築き、認識派とも呼ばれた負け組のほうが文字通り経済的にも困窮した生活を強いられることになった。

 リマにいた「勝ち組」の資金源は大きく二つあったという。一つは、日本の勝利を報告する新聞を売りさばくこと。界の取材記録によれば、沖縄に侵略した米軍に新型爆弾を投下して追い払ったとか、マッカーサー元帥が日本軍の捕虜になったといった内容が書かれた新聞は当時飛ぶように売れたとされる。界が実際にその目で見た新聞について興味深い記述がある。そこではある戦後のミズーリ号の上で日本軍と米国とが調印を交わしたニュースについて、その内容がそっくり実際の情報の正しい場所、正しい日付のまま、戦争の結果のみを「日本の勝利」に書き換えられていた。それで、この新聞を作った人間が正しい情報を知っており、意図的にそれを改竄していたことがわかると界は書いている。

 もう一つの資金源はさらに巧妙な方法だった。彼らは当時敗戦によって紙切れ同然になっていた日本円を日本の勝利を宣伝することを通して売りさばいていた。当然これは詐欺に当たる。しかし、こうした犯罪に手を染めるのは日本人だけではなかった。1945年に日本の戦況が危うくなると上海で日本円を仕入れたユダヤ人の商人たちがやってきて積極的に商売を展開し、ひどい時にはペルーの勝ち組がなかなか活気があるとわかると、戦後にさらに日本円の紙幣を仕入れて配った。こうしたユダヤ人商人には勝ち組の商売人たちに混じって日本の戦勝を宣伝するのに加担する者までいたという。

 「勝ち組」のある一派は、仕入れた資金を元に破壊工作を展開し、ペルー人の警察や負け組の指導者の暗殺を企む者さえいた。そのせいで彼らの多くは殺人や暴行、詐欺などで逮捕され、60年代の頭までに騒ぎは沈静化していくのだが、このテロ組織の資金繰りを担っていた地下組織としてタカフジ一家の名前が資料に登場する。界によると、警察や都市部で自営業を営む日系人たちの間で、タカフジ一家は円でもドルでもペルー・ソルでもない独自の通貨を持っているとか、特殊な方法で外貨を蓄えているという噂が広まっていた。最終的にはテロ組織の活動資金を資金洗浄したという容疑で、治安当局の捜査が入った。界もそれに立ちあったという警官に取材をしたと書いているが、アマゾンの奥にあったのは農場どころか数百人の日本人が暮らす小さな集落だけだったという。『勝ち組』騒動の沈静化と前後して、「Banco de Cansion(バンコ・デ・カンジョン)」という日系人の都市自営業者を主な取引先とする新生銀行がリマに一号店をオープンさせた。これがタカフジ家のフロント企業ではないかという噂が流れたと界は書いているが、結局彼は直接タカフジ家に接触する前にペルーを去った。

 

 その日は一日中、雨が降り止むことがなかった。水たまりやぬかるみだらけの夜道を帰るのが嫌なので、日暮れ前に切り上げて帰ることにした。家に着くと、こんな日なのに客が来ているようだとわかった。リビングに入るとオレンジ色の薄暗い灯りが照らす丸テーブルで、祖母と彼女と同い年ぐらいの何人もの老婆たちはしわしわの小さな人形みたいに並んでいた。隣の部屋で点けっぱなしにされたテレビから、拍手とクイズ番組の司会者の笑い声、庭で私に向かって吠える雑種の犬の声が聞こえた。

 彼女が玄関からリビングに入ると、さっきまで「que」とか「pues」とかが混じった変わった日本語を話していたおばあさんたちはぴたっとおしゃべりをやめ、一斉にそちらに目を向けた。彼女たちは服部家側の人間ばかりだったが、彼女は老婆たちを恐怖した。沈黙にたまりかねて「Hola」と当たり障りのない挨拶をするも、老婆たちは微動だにしない。彼女はまるで新しい部族に迎えられて品定めを受ける新参の花嫁のような気分になり、この感情がただの比喩であり続けることだけを願った。そこで、唯一顔のわかる夫の祖母にだけ視線を合わせて「ごゆっくり」と付け足し、買い揃えた食材とキッチン用品のビニール袋を持ってダイニングに消えて行こうとした。すると、祖母が「お願いがあるんだけど」と呼び止めた。今度、みんなで老人ホームに行く用事があるのだけれど、車を出して乗せていってくれないか、ということだった。彼女は快諾した。自動車にそのうちの何人が乗ることができるのか。もしも全員乗れないのならば、乗れる人数だけでいいと付け足した。

 

 数日のうちに少しだけ気温が高くなった。年寄りのうちにはそれで体調を崩す者もいた。自動車に乗ったのは結局5人だった。その老人ホームは日本のさる実業家が移民たちの歴史を讃えて建てたというもので、彼女の自宅から15分ほど運転したところにあった。移民たちの歴史を讃えてというのはどういうことか、彼女がホームの管理人に聞き返すと、その実業家は関西の「クリード」という消費者金融の創業者ということだった。彼は生涯、海外での生活を切望しながらそれが実現できず、その代わりに移住していった日本人たちを助ける活動をしていたのだという。

 彼女はこの施設の4階に一人だけ「タカフジ」という名前の入居者を見つけた。タカフジ・コウヘイという87歳の老人は、前歯のない口でもごもごと喋る、禿げ上がった丸い頭部にわずかな白い産毛が残っている男だった。彼女は、郷土史の記録を集めている大学院生だと自称して、彼に若い頃のことを話させた。しばらく話を聞くと、彼は戦後しばらくタカフジの家のものと思しき山の奥の農園で働いていたということがわかってきたが、そのうちに趣旨は少しずつ途切れ、基本的にな日本語に、馴染みのないスペイン語の単語が時々混じり、質問をしても向こうは彼女の言うことを聞きとれず、「perdone」「que?」「perdone」「que?」と脱線の修正に失敗するうちに話は散らかっていった。

 しびれを切らした彼女は男に「修化30年」の銅貨を見せた。すると、男は目をきらきら輝かせて、それをどこで手に入れたのかという旨のことを尋ねた。彼女が人からもらったのだと答えると、男は自分も同じ銅貨を差し出した。それは確かに彼女のよく知っているあの10円玉の銅貨だが、「修化30年」のと同様に10円玉にあるべき「10」がなく、年号の部分には「昭和25年」と書かれていた。果たして彼女にそれの意味がすぐにわかっただろうか。そのような年号の日本の10円硬貨はかつて一度も存在しないのだ。

 さらに男は銅貨に向かって歌を歌い始めた。彼女には最初、それが歌だということを認識するのも難しかった。何度か男が歌うのを聞いているうちに、たしかにそこには繰り返される部分があり、決まった時間の単位で途切れていることがわかった。しかし、それは彼女の知っているどんな音楽とも違っていたし、なにかの規則性がやっとわかるというくらいで、口ずさもうとするのだがさっき初めて聞いたばかりの彼女にそれをうまく発音することはできなかった。その男が疲れて眠るまで話し続けたので、この歌がひらがなで言えば、

「あにうにいぇいうお にああにうぇいにお」

 という音で始まることだけはやっとわかった。男が眠ると今度は話の分かる者はいないかと老人ホームの入居者たちに銅貨を見せて歌のことを聞いて回り、そのうちの何人かは「あにうにいぇいうお にああにうぇいにお」と始まるその歌を歌うことができた。また、フレーズの最後の部分だけはすべて異なるということもわかった。そして歌を歌うことのできる者の中には、例の銅貨を持っている者も数人いた。銅貨には一番古いもの「昭和21年」と書かれ、一番新しいものでは「昭和32年」と書かれていた。銅貨の周囲にぎざぎざの淵が入っているものは一つもなかった。

 つまりその日、何十年ぶりかに何人もの人間が公の場でその歌を歌うことになった記念すべき日となった。それは実際、彼女がなにも知らないがゆえに起きた事故だった。彼女になにも知らせないというのは服部家の決めたことだが、その判断が今は服部家を少し居心地の悪い立場に追い込んでいた。事実これで、長い間行方不明になっていた「修化」の銅貨が見つかったことを、タカフジの家を取り巻く者たちに知らせてしまったことになった。彼女の様子を見て、服部家の女、彼女の夫の祖母は、これはまずいと思い飛び出してきて、あの銅貨を誰かに見せたのかと尋ねた。そうだと答えるので、祖母は体調が悪いので急いで家に帰りたいと言い出した。その日は祖母のわがままということで、彼女は急遽その老人ホームを離れた。結果的にはそうするしかなかった。ウナ・セーラ派の一部はこれで動きを活発にし、いくつかの命が危険にさらされることになったかもしれない。しかし、彼女にはどうすることもできなかった。

 彼女はそれが事件であることも知らないが、この事件の影響はすでに出始めていた。その日の夜に、エドゥアルドから彼女に急ぎの電話がかかってきた。彼女は、交換した覚えもないのに彼が連絡先を知っていることを不審に思った。電話の向こうのエドゥアルドは、あなたの探している情報を持った「ナカモト教授」という男が来日するので、あなたはその人に会わなければいけない、明日、いつもの時間に図書館に行けばその男に会えるとだけ告げ、そしてこの電話は今後繋がらなくなるし、君も電話を早く捨てたほうがいいとも付け足した。彼がなぜそのようなことを言うのか不可解だったが、それで電話は一方的に切れ、すぐにかけ直したが言った通りに繋がらなくなった。

 

 翌日、図書館に行くと受付には別の白人の女がやってきて、エドゥアルドのことを聞くと彼は急遽仕事を辞めたのだと聞かされた。

 それから、彼女に話しかけてくる、車椅子に座った中年男がいた。男は肩幅が狭く華奢で、車椅子でなくても小柄な体型だったことが想像された。縮れてぼさぼさの髪は前髪のところで薄くなっていて、白い肌に耳の前から口の周りにかけて髭を生やし、丸い眼鏡をかけていた。ちょうどその顔はサインペンで一筆書きにでもできそうな特徴のつかみやすい顔だった。男は彼女の顔を果物の品定めをするみたいにまじまじと確認した。彼女は自分が全体像の把握的できない何かに巻き込まれつつあることにようやく気がつき始めた。「ナカモト教授ですか」と聞き返すと、男はそうだと答え、近くのカフェに移動することになった。

 二人は店の一番奥にある喫煙席に腰掛けた。彼女が「タバコを吸うんですか」とスペイン語で尋ねると、相手は「吸わない」と日本語で答えた。ナカモトは、

「どこまで聞いてる?」と、切り出した。何の話がどこまでなのか唐突すぎるとは思ったが、この男はエドゥアルドと自分のやりとりを継承するためにきたのだと考え直し、返すべき質問を模索した。

「神話のことですか。それとも銅貨のこと?」

「同じことだ」

「あのエドゥアルドという若い人はなぜ、急に仕事をやめたんでしょうか。私がなにかまずいことをしたとか」

「それはあまり本質的なことではないが、君がまずいことをしたのは確かだ」

「なにがまずかったんでしょうか」

「老人ホームで老人たちに歌を歌わせた」

「あの歌はなんだったんですか?」

「ペルー移民については調べたね。太平洋戦争のときに彼らは家や財産を奪われ、ときには国も追い出された。その中にはタカフジ家の世話になっているものも多くいた。戦争が終わったときに家に帰れるように、ここに帰って来たらまたタカフジの農場に雇われて働けるように、彼らは自分の子どもたちに歌を教えたんだ。それを歌えば自分たちが『天領』の民だとわかる。そして最後の部分が自分だけしか歌えないパートになっている。途中までは全部同じ歌。それはタカフジの、天領の民である証拠。最後の部分は自分が自分である証拠のための歌。本人のための認識番号だ。戻ってきて、あの歌を歌うと銅貨がもらえるというような話だったと思う」

「パスポートみたいですね」

「その通り。あれは形のない身分証だった。それに、あれが歌であることはごく一部の教育を受けた人間しか特定できない」

「それはタカフジ家の人間ということですか?」

「そうじゃない。誰がタカフジ家の人間なのかは俺も知らない。タカフジ家というものを知っている人たちの集まりの中に俺はいるだけだ。その人たちが、神話を広めたり、形のない通貨を使ったり、歌を歌ったりしている」

「あの人たちは神話のこともみんな知っているんですか?」

「神話はどのバージョンを聞いてる?」

「王様が神様から土地を取り戻すために身体を差し出した」

「それで貨幣を必要としない社会が来れば身体が戻ってくる?」

「それです」

「戦後にタカフジの農場に戻ってきた人たちは財政の再建をはかった。勝ち組の活動もその一環だったが、あれは結局違法に外貨を集める活動になってしまった。しかも自分の国の貨幣を売り払って、だ。ものとしての貨幣を憎むという発想自体、本当はそういう経済状況への屈辱感から生まれたのかもしれない。フィリピンのヨップ島にいったことはあるか?」

「ないです」

「あそこの島にはとても持ち歩けないような大きな貨幣がある。巨大な石の貨幣だ。大きすぎて誰も持ち歩かない。だから島の一箇所にあれは集めて置いてある。住人たちは自分がそのうちのどれだけを所有していて、誰とどこでいつどういうやりとりをしたのか全部覚えている」

「そんなこと可能なんですか」

「戦後に戻ってきた奴の中にフィリピンに行ったことのある本土の兵隊でも混じっていたのかもしれない。フィリピンにはそういう、記憶力と信頼関係があれば持ち歩く必要のない貨幣経済が存在すると。彼らは王の復活のためにそういうものを目指すようになった」

「神話の質問に答えていませんよね」

「その通りだ。でも、申し訳ないけど、これが答えなんだ。君は神話を聞いた。それは確かに銅貨に関係がある。そして神話にはいくつかバージョンが存在し、それらは互いに矛盾し合っている。どの神話がどういう出自を持っているかは俺も知らない。ただ、大事なことは彼らは独自の資金繰りのシステムを開発し、それが君と俺とを繋ぐようになったということだ。出自はわからない。でもそのシステムは今言ったヨップ島の貨幣のようなもので、」

「信頼と記憶力によって成立していて、物としての貨幣はない。ごく限られた人だけがそれを使っている。大体、60年くらい前からある」

「そういうことだ」

「あなたはそのタカフジ家の方なんでしょうか」

「私は違う。ただの技術者。雇われているだけ」

「タカフジに?」

「ああ」

「彼らは今、どこにいるんですか?」

「さあ。こっちが聞きたい。あえて言うなら君がタカフジじゃないのか?」

「私?」

「ああ。君だ。というか今はまだ違うと言うのか。君ではないあなたのことをそう言ってる。わかるときがきたらわかる。質問を変えてくれ」

「この銅貨はなんですか」

「今、言った。身分証だ。持っているだけで自分が誰であるかを保証してくれる」

「これが私の何を保証するんですか」

「電話は持っているか?」

「携帯ですか?」

「ちがう。その銅貨の電話だ」

「銅貨の電話?」

「そうか。だからまだ記憶がないのか」

「もう少し噛み砕いてくれないとなにもわかりません」

「君がいた老人ホームの経営のことはもう聞いているんだろ」

「関西の金融企業だと聞きました」

「『クリード』という会社は知ってるか?」

「消費者金融ですか?」

「それが私の雇い主だ」

 それからナカモトは「勝ち組」沈静化以降のタカフジ家の話をした。1968年はペルーにとって文字通り革命的な年だった。それは世界史の授業にある通り一辺倒の言葉を使えば、この国が西側から東側に寝返った日だ、と彼は言った。軍事クーデターによってベラスコ将軍政権が成立すると、政府はそれまでの親米路線をやめ、ユーゴスラビアのような独立国家路線を目指すようになり、ソ連や中華人民共和国やキューバとも国交を結んだ。内政ではクーデターで国家元首となったベラスコ将軍は都市郊外のスラムをプエブロ・ホーベンと呼んで都市社会の中に山から降りてきた「チョロ」たちを包摂するようになった。先住民は「インディオ」ではなく「カンペシーノ」と呼ばれるようになり、ケチュア語が公用語になった。

 タカフジ家は60年代までに確かに独自の経済ネットワークを持っていた。そしてこのペルー史の激動の時代にリマの都市圏と徐々に融合していった。プエブロ・ホーベンの建設に伴う包摂の時代に、自分たちの息のかかったビジネスマンと言うには少々育ちの悪いくらいの商売人たちを送り込んだ。「バンコ・デ・カンジョン」という小さな銀行の普及はその象徴となった。この金融機関が独自に地域通貨を発行し、ペルー・ソルも日本円も米ドルも一定数、なにかの価値に変えて保有しているという噂がにわかに広まったのは1971年のニクソン・ショックの直後だった。

 60年代に京都の不動産業から日本全国に支店を持つ金融業社になった「クリード」の創業者がペルーに初めて日系人の就労支援施設を開業したのは1973年だ。ペルーのタカフジというビジネス・ファミリーは、日本の財界人であれば誰もが知っている名前だったが、それほど大きな市場規模を扱っている訳ではないので、ほとんど注目を集めることはなかった。「クリード」の創業者のような異郷に特別な思い入れのある者でもなければ興味を持たなかっただろう。こうして60年代の終わりから75年にかけて、タカフジは日本国内とリマの都市圏とゆるやかにつながりを持った。

 75年になると、ベラスコ将軍のポピュリズム的な政策に限界が訪れた。翌年に対外債務の超過によってIMFの管理下に置かれるまでは日系人や原住民が都市の内部に組み込まれ、包摂の後に都市に組み込まれながらも満足に生計を立てるには至れなかった者たちが現在もバリアーダスと呼ばれる地区に暮らすようになった。タカフジ一家の庇護を受ける日本人たちの間にも商売に失敗し貧しい生活を余儀無くされるものも登場した。財産を失った破産者、書類を偽装する者、詐欺行為を企む者は公式書類を管理する専門機関によってその悪事や実情を暴かれ、メンバーシップからの追放という制裁を受けるようになった。専門業務はタカフジ家以外にも、服部家という者たちが担っており、これは苗字ではなく同業者の組合の名前だった。

 こうした制裁システムはタカフジ家への不信を招き、彼らの中に神話の別のバージョンを捏造して流布する者たちが現れた。それは真の王は、日本人以外の腹から生まれてくる日本人であるという神話だった。こうした日系人への特権主義に異を唱える派閥がタカフジ家のメンバーシップの中から生み出されたことが、ペルー国家の包摂主義と並行して起きたことは皮肉でもあった。タカフジや服部の親派は自分たちを「日出づる所の者たち」とするために、こうした分離派たちを陽の当たらない夜から生まれる肉体を信奉する「ウナ・セーナ(夕食)派」と呼び、警戒するようになった。

 80年代終わりごろから「クリード」とタカフジ家によって築かれた「カンジョン」の金融ネットワークはテクノロジーの実験場としての役割を積極的にクリードはATMや携帯電話の利用を日本国内外のビジネスに積極的に取り入れ、もう一方で、ペルーの日系人たちには神話の達成、つまりものとしての貨幣のない通貨システムを実現することを推し進めると約束した。

「『カンジョン』とはスペイン語の歌を意味する「cancion」と、日本語の「勘定」に由来する造語で、銀行の名前であると同時に通貨の名前でもある。バンコ・デ・カンジョンは今、ペルーと日本以外にもブラジル、アルゼンチン、台湾、シンガポール、オーストラリアの9カ国に支店を持ち、ごく小規模だが世界中で取引はされている」と、ナカモトは説明した。

 「クリード」が電話によって決済を確認する通信システムを普及させたとき、彼らはこの銅貨を電話の部品に組み込む提案をしてきた。はじめはおもちゃの飾りのようなものだったが、これが神話の信奉者たちに喜ばれるようになって銅貨が電話に取って代わり、貨幣がなくなっていくというイメージを打ち出すようになった」

 そこでナカモトは自らの「電話」を取り出した。それは彼女が夫から受け取ったあの透明な長方形と同じものだった。ナカモトの手の中でそれは球体になり、中から銅貨が取り出された。

「今では、これを差し込まないと起動しないようにデザインされている。通信制度そのものを使って神と交信するということを信じる人たちもここには住んでいる」

「私の銅貨を使ってやってみてもいいですか」

「それは困る」

「そうですか。あなたはタカフジ家の庇護下にあるペルー人なのでしょうか?」

「そうじゃない」

「じゃあ、なんでそんなことをいろいろ知っているんでしょう。あなたにこれがなんの関係があるの?」

「これはほとんど君の旦那さんから聞いたことなんだ」

「どういうことですか?」

「最初、私はただの君の旦那さんの同級生だった。カリフォルニアの大学で私はエンジニアになるためにプログラムの研究をしていた。ルームメイトだった君の旦那さんはくだらないゲームの開発に才能を無駄遣いしていた。終戦直後のアメリカに取り残された「タカフジ」という名前の日本人が、排泄物からゲーム用コインを作り出して資金を集め、日本に帰ろうとするんだ。そのコインの名前が『カンジョン』と言った。彼がいうには浣腸をなまった言い方にしているということだった。君も知っている通り、旦那さんはペルーの生まれだったけど、子どもの頃に遊んだボードゲームをもとにこのゲームを作ったと言っていた。くだらないゲームだったけど、インディ市場でちょっとしたヒットになって、ある企業がそれの利権を買いたいと申し出てきた。「バンコ・デ・カンジョン」の息のかかった企業だということが後からわかった。旦那さんはすぐにその企業にゲームを売り払って、それで自分はなんの関係もなくなるはずだった」

「そのゲームはなんという名前なんですか?」

「今は『Treinta años(トレインタ・アニョス)』、日本語では『与えられた三〇年』という名前で売られている」

 彼女はすぐにそれがホルヘがやっていたゲームの名前だと思い当たった。

「それから、私と君の旦那さんはバックパッカーになってラテンアメリカをバイクで回ったことがあった。彼が日本に帰る直前の年だった。彼の実家にも寄った。まだおじいさんが生きていた頃だ。おじいさんは我々を、「農場」に連れて行った。小さな山間の村に千人前後の人たちが暮らしているということだった。彼らは財布を持ち歩かず、自分の身分を示すための銅貨を持ち歩いていた。それを使って、店ごとに取り付けられた電話で個人の決済記録をいちいち付けているのだといった。俺がクレジットカードのほうがよっぽど便利だと言うと、彼はこれが『カンジョン』だ、『カンジョン』は実在すると言った」

「ナカモトさんは、今はなにをしているんですか」

「私は大学に戻り、暗号技術を研究する奇妙なサークルのメーリングリストを紹介された。それが2009年になってすぐのことだった。そこでのやり取りで、オンラインゲームのコインを使った特殊な送金システムを持つ小さな金融機関があるという話題があがった。こうして『カンジョン』と再会した。メーリングリストの連中は、小規模なだけで銀行と同じ中央集権的なシステムを持っているとして相手にしなかった。私は途中から完全に個人同士のやりとりだけで成り立つ通貨システムのほうがよっぽどニューエイジ的で馬鹿げてると思うようになって、小規模なコミュニティ通貨の可能性にシフトして行った。「カンジョン」に近づき、そこで職を得た。という金融コミュニティがあって、あるゲームのゲームコインをつかってそのコミュニティを少しずつ広げようとしていることがわかった。ただ、それが私の過ちだ。入社してやっと、法律面と技術面の整備がかなり必要な状態だとわかった。検索エンジンにひっかからない裏サイトで、『与えられた三〇年』というゲーム用コインを使って、麻薬を買ったハンガリーの中学生の記録をCIAがおさえた。おかげで、ニューヨークで関連業務をしていた部署の部長が重要参考人として捕まった。必要な制度上の整備を進めるとともに、私も今こうして旅行を強いられている。私は君の旦那に直接会うことはできないので、このことを間接的に伝えるためにここには足を運んだ」

 彼女は言葉をなくした。数十年にも思える沈黙が流れ、テーブルの上のアイスコーヒーの氷が溶けてバランスを崩す音がした。

「私はどうしたらいいのでしょうか」

「今すぐ家に帰って、旦那さんの安否を確かめてほしい。そして私がペルーに来たとだけ伝えてくれ」

 彼女はその場を急いで立ち去った。

 

3、

 

 帰宅すると自宅の中は整然と片付けられ、祖母の姿は見当たらなかった。祖母は滅多に外出しない。そして、昼間なのに彼女の夫は神妙な顔をして、待ち構えていた。彼女が先に口を開き、

「ナカモトさんという人に会いました」と、言った。

 夫は緊張した証拠にくせで、顎をさすっていた。それから、「そうか。思ったよりも早かったな」と言い、机の上に書類を並べながら「どんなことを言っていた?」と尋ねたが、特に彼女に質問に答えてほしそうでもなかった。彼女が、ナカモト教授から聞いた話をまとめようとしていると、夫はスペイン語で書かれた土地の権利書と、透明なスマートフォンくらいの大きさの直方体を目の前に並べて、

「急なんだけれど、今からする話をよく聞いてほしい」と切り出した。

 夫は彼女に山の奥にこの権利書に該当する土地があるので、そこまで行ってしばらく大人しくしていてほしいということを伝えた。数日後に何か変わったことが起きるかもしれないが、君はなにもしなくていい、と、含みのある言い方をした。彼女は、

「昔、その土地にあなたとバイクで行ったと言っていた」と、やっと質問に答えた。

「ナカモトがそう言ったのか?」

「そう」

「それから?」

「それだけ」

「この透明なものはなんだと思う?」

「それは当てないといけないの?」

「これはこの銅貨と一緒に使うんだ。もしかしたら、使う必要があるときがくるかもしれないけれど、一度使うと君とは二度と会えなくなる」

「……それは、使ってほしいの? ほしくないの?」

「できれば使ってほしくない。でも大事なものだ。保管していてほしい」

「……わかった」

 その後、彼女が夕食の準備をしようとすると、夫はもう今すぐ出発してほしい、と言ってきた。夫は彼女がそれに応じるまで急き立てるのをやめなかった。

 

 家を出た後、彼女はリマを出る前に、どうしてもジュンコとタカフジ一家の関係を確かめなければならないと思い、再びジロウの家を訪ねた。インターホンを鳴らすと、あの粗末な家からジロウが姿を表した。銅貨を見れば、何か話してくれるかもしれないと思った。うっすらと髭を生やした日系人の顔に彼女は硬貨を突きつけ、

「これについて知っていることを話してほしい」と、話をした。

 彼はそれを見ると彼女を家の中に招き入れて、ジュンコの話を始めた。ジロウは日系人の父親とヒバロ族の母親を持ち、日系人コミュニティとあまり馴染まずにリマの都市部で育ったが、自分が子どもの頃、父親の姉だと言う女性が職を失ってこの家に転がり込んできた少しの間だけ暮らしていたと言った。それがジュンコだった。彼女は、おそらくそれがジュンコがルペたちの家を去った後の出来事だと思った。

「それまで俺は父親のことを全く知らなかった」

 そう言って、彼は彼女を地下室に案内した。その銅貨と同じものを初めて見たのはまだ子どもの頃だと言った。アメリカの収容所に入れられた彼の祖父がこっちに戻ってきたときにタカフジ一家からもらったものだといい、父は病気で亡くなるまでそれを大事に持っていた。そう言って、地下室の金庫の中にある銅貨、昭和23年と書かれたものを彼女に見せた。彼女が老人ホームで見たものにもよく似ていた。銅貨の横には見覚えのある腕時計があったが、それを以前にどこで見たのか彼女はすぐには思い出せなかった。地下室には他にもなにか大きな紙の箱が山積みになっていた。それを手に取ろうとすると、彼は「親父は農場からこのおもちゃの販売を任されていた」と話し始めた。

 それは『与えられた三〇年』というボードゲームだった。それはフィリップKディックの小説のように、第二次世界大戦でアメリカに日本が勝利した後の世界を舞台にしたモノポリーのようなものだと彼女は思った。プレイヤーが、一つずつ日本人を模した駒を持っていろんな職業についたり、事業を起こしたりして、アメリカンドリームを掴んだり取りこぼしたりしていく倒錯的なゲームだった。そこでは大統領にもポップスターにもなることができた。ただ一つ、日本の天皇を除けばどんな職業にもなることはできたのだ。そのゲームに、「勝ち組」の資料を読んだ時と同じ不気味な感情を覚えた。夫は子どもの頃にこれで遊んでいたのだろうか。では、夫も「勝ち組」の一員なんだろうかと、彼女に一瞬不安がよぎった。そして、さっき見た腕時計がエドゥアルドの腕時計であることを思い出した。エドゥアルドの失踪はジロウとなんの関係があるのだろうか。関係があるとすればここは危険な場所かもしれないと思い、その場を立ち去ろうとするが、すぐに彼に遮られた。

「どこにいくんですか」

「お手洗いです」

「方向が反対です。地下にあります」

「あの腕時計はどこで?」

「どれのことですか」

 彼女はそれに答えず一階に走り出したが、彼は追いかけてこなかった。玄関に駆け込んで外に出て行こうとしたが、玄関には鍵がかかっており、他の扉を探した。地下からジロウがゆっくりと上がってきて彼女に「どうかしましたか」と尋ねた。玄関に鍵がかかっていますと彼女が答えると、一緒に玄関に行きましょうと言われた。すると、台所のほうで、ガラスの割れる音がしたので、彼が様子を見に言った。そこで玄関の扉がこじ開けられ、外から姿を現したジャージ姿のルペが彼女を手招きした。彼女は「待って、と言って、地下に一度走って降りて『与えられた三〇年』を掴み、急いで外に出た。ルペを乗せて彼女は車を発車させると、後ろからジロウが追いかけてきた。彼女が助けを求めてルペのほうに飛び込んでいくと、ルペはさっと身をかわして彼女の背後に回り、口に湿った布を含ませた。彼女はそのまま気を失った。

 

 目を覚ました時、彼女はルペとホルヘの家にいた。彼女はソファに寝転び、手も足も縛られず、その気になれば逃げられそうな状態だった。近くにいたルペがめのまえに新聞紙を投げ、それがその日の夕刊だとわかり、夕刊の日付で気を失ってから1日半が経っていることがわかった。ルペの示した場所にに日本人の研究者が経済犯として逮捕された記事が載っており、それが彼女が新聞紙を投げた理由だとやっとわかった。

「服部家の男が逮捕された。お前のよく知っている男だろう」

 それは確かにルペだったが、目を大きく見開き、瞬きをせず、頭の先から叫ぶような声で彼女に話しかけていた。それはもうルペとは違う者であることを彼女はわかっているのだろうか。

「電話と銅貨を差し出せ」

 彼女はルペに従いそれを相手に渡した。ホルヘはダイニングのテーブルに座ってこちらの様子をじっと見ていた。ルペの手の中でそれが球体に展開し、銅貨をその中に挿入するとまた元の直方体に戻った。そしてそこにかかってきたものに反応して電話が鳴り始めた。

 その瞬間、彼女は朕がずっとそばで見ていたことに初めて気がついた。そしてゆっくりと薄れていく意識の中で朕を優しく受け入れ、その身体を明け渡した。

 ルペはこちらの中身が入れ替わるのを確認すると、たじろいで後ずさり、そのままのけぞりそうになる。それを追いかけて行って彼女を抱きしめると、人肌に初めて触れたときの感覚を思い出すように肉体を取り戻した時の喜びがみなぎった。朕は優しく彼女に真の神話を語った。

「ウナ・セーナ派の娘に感化されて、怨霊まがいのことを思いついたか。白人の娘、あなたの中にもうウナ・セーナ派の乳母はいない。子どもの頃に妙なことを吹き込まれたな。罪滅ぼしに正しい神話を教えよう。その昔、王はその実、神と取引する段になって自分の身体を差し出すことを拒み、妃の身体を差し出したのだ。それを見た神は妃を身体を受け取ったあとで臆病な王から寿命を奪い、庶民の中に混じらせて短命のうちに殺してしまった。土地を耕して返した暁には、妃である朕を帝として蘇らせると約束した」

 ジュンコに取り憑かれたルペはこの腕の中で事切れていた。

 

 翌日の朝、ホルヘを従者として伴い、タカフジの農場へと出発した。自動車を2時間、三輪バイクを2時間、モーターボートを三時間乗り継ぎ、アマゾンの奥にある集落にたどり着いた。タカフジ家の者は朕を恭しく受け入れ、すぐに祝いの準備が始められた。その次の年には、今上天皇の正式な譲位のために法律が作られる。急いで日本国に向かう準備を立てなければならなかった。

 

参考資料

高木俊朗「狂信:ブラジル日本移民の騒乱」(1991年、ファラオ企画)

柳田利夫「現代ペルーと日系人社会」(天理大学での講演録)

http://www.tenri-u.ac.jp/tngai/americas/files/newsltrs/32/No32.lecture.yanagida.html

文字数:22250

課題提出者一覧