猫を読む
<2013年 1月から6月>
私たちは決して猫ではない。しかし、間宮書雨が胤井末海子の腕に抱かれた私たちに視線を合わせ「その猫、どうしたんですか」と尋ねたことを、彼が私たちを認識した最初の証拠として私たちは認めなければならない。
その末海子は京都の大学に通っていた。10ヶ月前に同じ学部の博士課程に在籍する井上近朗が彼の自宅で始めると言って始めた読書会は参加者の増減を繰り返しながら今回で18回目、末海子が参加したものとしては7回目、今回の参加者である書雨、末海子、近朗、学部4回生の松田鈴鹿と峯岸蝋太の五人のうち過半数が参加したものとしては3回目、出席者の趣味がまとまらないので読書会であることをあきらめ、映画鑑賞会となってからは初めての回だった。次回はなかった。参加者の累計は全部で15人で、最も多い回は9人、最も少ない回は2人が参加した。しかし正確な回数を把握している者は誰もいなかったし、全ての会に参加した者も一人もいなかった。一番参加回数が多いのは鈴鹿の10回で、1回しか参加しなかった者が6人いた。その日までに合計49冊の本が課題図書として提案され、内訳は美学の理論書が18冊、哲学書が15冊、美術史に関するものが9冊、ファインアートに関するものが4冊、それ以外の芸術分野に関するものが2冊、残りの1冊は小説だった。そのうち7冊が日本人によって書かれたもので、あとは翻訳だった。実際に課題図書に選ばれたものはその中の3冊で、最後まで読み通されたものは1冊もなかった。その日に彼らが見たのはジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』という1929年のロシア映画だった。15人の累計参加者のうち、1929年までに生まれたものは一人もいなかった。会場として一乗寺の学生向けアパート4階にある書雨の下宿が選ばれたのは、彼が37型の液晶テレビを持っていたからで、そこで開かれるのは初めてだった。
近朗と鈴鹿が1年ほど前から交際していることはこの会の参加者全員が知っていたが、この回が開かれるずっと前に二人はすでに別れていた。その読書会もとい映画鑑賞会の前月に近朗と末海子の二人は荒神口のカフェ兼定食屋で一緒に食事をしていた。彼が彼女を誘ったのは、さらにその1週間前だった。そこで近朗から食事をしながら付き合ってくれないかと言われたとき、彼女は初めて彼に今は恋人がいないことを知った。末海子は彼のことを特別好きでも嫌いでもなかったが、彼と付き合うことにした。ただ、この読書会に参加するのは今回で最後になるだろうとも思った。
書雨の部屋は8畳のワンルームで、3年前に彼が入居した時はまだ新築だった。ソファの形に折りたたんだ彼のマットレスに鈴鹿と二人で座って映画を見ていた末海子は、ベランダを背に、画面をこちらに向けて立つ液晶テレビを支える台の裏の影になっているところで私たちがじっとしているのを発見し、一瞬、驚いて声を出しそうになった。それは映画が始まってから14分が経過した頃のことで、終わるまでにまだ53分あった。私たちが少しずつ部屋の中を移動する間も末海子はこちらに注意を払い続けていたし、映画が終わればきっとそれとなく帰る者は帰り、連れ立って食事に行くものは食事に連れ立つはずだったので、そのときになればこっそり私たちを捕獲して連れ去ろうと彼女は目論んでいた。
映画が終わった20時42分。おもむろにみなが立ち上がり、それぞれに持ち寄ったスナック菓子や酒やらを片付け始め、近朗と蝋太は「せっかく一乗寺まで来たしラーメン、食べに行こう」と話し始めた。そのとき東西方向に縦長に伸びる8畳の部屋の中で、この部屋から出る必要のない書雨を挟んで、玄関側に男性二人と鈴鹿、部屋の奥に末海子が残る構図になった。鈴鹿が何気なく「末海子さん、帰らないんですか」と声をかけた。末海子と近朗の間でこそばゆい緊張が張り詰めた。末海子は私たちがテレビの裏の位置にまた戻っていたのを見つけ、捕まえようと手を伸ばしたが、私たちはそれを水中の紙切れみたいにひらひらとすり抜けた。思わず舌打ちをすると、スマートフォンを小さなショルダーバッグから取り出し、テレビ台の裏の影から目を光らせる私たちを写真におさめた。
カシャっと、シャッター音が思いの外大きな音だった気がしたのは、末海子が何を撮っているのだろうと彼女以外の全員が口に出さずに心の中だけで同時に思って沈黙したからだ。書雨がそこにいた者の中で唯一、私たちの存在に気づき、
「その猫、どうしたんですか」
と、声をかけた。彼女の背筋、背骨の両脇を二筋の電撃がじゅるっと走り抜け、さっき以上の驚きで目を見開いた。その隙に私たちは完全に姿を隠した。末海子はとっさに目論見を変更して書雨を追い越し、近朗の腕を引き「食べに行ってもいいけど、ラーメンは嫌」と家主以外の全員をその場から一瞬で連れ去った。扉が閉まってから5分もしないうちに、「さっきの猫、今度引き取りたいので、絶対に家から出さないでください」と書雨のもとにメッセージが届いた。翌々日の午後に二人は会うことになった。
このメッセージのせいで二人は私たちを「猫」と呼び始めた。彼だけでなく、彼女まで私たちのことを猫扱いして、手っ取り早い名前、間違った名前で呼ぶようになったのは悲しむべきことかもしれないが、私たちには悲しむべき心がない。「猫」を引き渡せ、と言うと彼はこの「猫」がどういうものか訊いた。そもそも「猫」は猫ではないし、よく見れば形も色も全然猫らしくないと言うと、じゃあ一体なんだということになった。その一体なんだがわからないことが私たちを私たちたらしめ、同時にわからない点が一番の問題であり続けているのだ。それで彼女は早く村崎悟のところに彼を連れて行って、悟にすべて説明させたいし、それが一番話が早いはずだと思った。その夜のうちに悟に「あの『猫』を見つけた。それから『猫』を見る人に出会った。返事がほしい」と連絡したが、すぐには返事は来ない。ただでさえ彼と自分との間に流れる時間は違うのに、そのうえ彼は連絡が不精なのだ。もしかしたら返事が来る頃には、また自分は死んでいるかもしれない。死んだら今度また、書雨に会えるという確証もない。ただ、それが大したことなのかどうかもわからない。書雨という人物とか、彼が私たちを見ることとかにどんな意味があるのか、そもそも意味があるのかさえもわからない。連絡さえつけば、きっとそれも悟が説明してくれる。かもしれない。そう言えば、
「悟さんってどういう人なんですか?」彼はまずそう尋ねるだろうし、実際に尋ねた。
書雨が待ち合わせ場所に指定したのは彼の家の近所にある芸大の前で、理由はバス停が近くにあり、大きな階段が道路に面しているので目立つからということだったが、彼女はそこまで電車で移動してきたし、到着した最寄駅からは15分も歩かなければならず、しかもその駅は京阪でも阪急でもない路面電車のそれだったので待ち合わせ場所に適しているとは思えなかった。階段を降りたところから白川通を挟んで、大学の駐輪場があった。通りを横断する歩道の信号機が変わるのを待っている彼女を駐輪場の前に書雨が見つけると、すぐに信号が青に変わり、彼女が東に向かって渡ってきた。先に彼が話しかけた。
「今日、暖かいですね」
「1月にしてはね。明後日雪が降るらしいよ」
「やだな」
「雪って楽しくない?」
「子どもみたい」
「こんなことして。大人ではないよね」
「こんなことって?」
「『猫』さがし」
「雪降ったらたぶん猫も出なくなりますよ」
「冬眠?」
「冬眠はしないでしょ」
「猫は冬眠しないんだ」と言って、彼女がマフラーに口許を埋めた。
巨大な煉瓦造りの階段を登って、大学の中に入り、学生用のカフェテリアスペースの前を通り、劇場の入口の前で右に曲がり、奥の展示スペースにある、大学の教員がつくった福島の被災地に贈られたはずの防護服に身を包んだ巨大なキャラクターの像の横の階段を登って、金属のフレームがついたガラス製の扉を抜けて外に出る。下の道路から少なくとも二段は上の階に来たはずだが、扉の向こうには雑木林とまた地面が広がる。
3階か2階であるはずの高さのすぐ外にまた地面があるのは、施設自体が山の斜面に部屋を植えつけるように建てられているからで、その間を這うように通路が敷かれたここには1階とか2階とか、例えばエレベーターが識別できるように単純に抽象化された高さの尺度がない。歩いてみればそのアスファルトで覆われた道には右から左に迫り上がるように傾斜がついている。そこを頭から背中にかけてグレーの模様が入った猫が一匹通り、書雨がそれを見て、
「ここ、この辺で一番大きな猫の溜まり場があるんですよ」と言う。それで末海子は彼が自分のことをただ猫が好きなのだと勘違いしているとわかってくる。彼は私たちと動物の猫を区別していない。彼女が関心を持っているのは猫ではなく私たちであるというのを彼はまだ知らない。
地面の上であることと、建物の地上1階であることが一致しない不安感は、彼女が高校生の頃に渋谷から六本木まで、六本木から赤坂までギャラリーを巡るつもりで歩いたときの、街中なのに、これじゃ山道と思った感覚を少しだけ思い出させる。旧防衛庁跡地にできたばかりだったギャラリーの展示を一緒に見に行った相手は確か、村崎悟だった。
正確に言えば、それがあったはずの東京ミッドタウンの舗道はそれほど傾いていたわけではない。彼女が実際にこの京都の大学の立った山の斜面から連想した身体感覚は、ミッドタウンではなく、そこから彼女が赤坂見附のほうまで歩いた時にたどり着いたTBSがある複合商業施設の中にある少し開けた回廊の脇の周囲に生えた樹木の茂みに隠れたステンレスの冷たい手すりのついた幅の狭い階段と、その階段を伝って降りて商業施設とは別のもっと低くて傾斜のついた場所に隣同士が息苦しく接しあって並んだそれなりに高級なマンション街に直接紐づけられていた。でもその紐を芋のツルのようにして引っ張り出すと芋であるところのエピソードの核はミッドタウンのギャラリーのことだった。春だったかもしれないし、秋だったかもしれない。暑くも寒くもない夕暮れの舗道があまりに綺麗に整備されているので、名前のついた花も木もすべてが人工物ではないか、単なる情報ではないかと疑ったかもしれない。その時はまだ一つもそうではなかったと、今なら彼女は信じたい。彼は結局その後エンジニアになるので、奇怪なオブジェを観ながら「俺に現代アートはよくわかんないよ」と言っていたけれど、その展示会で取り上げられたのはファインアートの作家ではなく確か建築家のフランク・ゲーリーだったし、展示されていたのはアート作品ではなく、建築の模型や記録映像だった。むしろ建築家についての展示だからこそ彼と一緒に行くことになったはずだ。
その中に潜水艦の模型もあったかもしれない。模型といっても高さが2メートルあって、完成予定のものの40分の1のサイズということだった。紫の光線を発する螺旋模様が描き込まれた金属片の球体。その潜水艦は将来的に彼の職場となる建物というか乗物で、実際に建てられるよりも模型のままでいたほうがずっとリアリティを保つことができた。実用性はないよね、とそのときの二人の唯一の美学をどちらかが先に口にしてもう片方が同意した。高校を卒業するまで悟も末海子も建築家になるつもりでいたけれど、結局どちらもならなかった。
村崎悟は小学校を卒業してから高校2年生までの5年間を日本で暮らした。彼の父親は日本の自動車メーカーのサンフランシスコ支社の社員で、家族とはやや英語が混じる日本語のようなもので会話してきた。だから、日本人の中学生の言っていることがわからなくて困るということはなかったが漢字は書けなかった。だから同級生にも帰国子女の多い学校をわざわざ両親が選んで受験させた。東京では私立の中高一貫校に通い、日本の大学を受験することも考えたが大きな地震があった後だったので、将来的にはアメリカの国籍を選ぶだろうといって、またサンフランシスコに戻った。大学進学後はプログラミングを学んで、エンジニアとして設計段階で完成予定の建築の内部をシミュレーションできるソフトウェアの開発に関わった。彼の所属していたチームがスタートアップ特化のクラウドファウンディングで資金を得て作ったVRインターフェースを、シリコンバレーの大きな企業の一つが気に入って彼らのプロジェクトごと買い取った。
そのうちに大統領が変わり、彼らの雇用主は政府の許可を得て巨大な潜水艦をサンフランシスコ湾に浮かべて、そこを新しい職場にしようと試みた。建造中の潜水艦を見た誰かが「フランク・ゲーリー」と言ったが、それがこれはフランク・ゲーリーの作品だという意味なのか、彼の作品みたいに複雑で非現実的だという意味なのかはわからない。完成すると、それでも予定よりは少し小さくせざるをえなかったらしいが、直径約60メートルの巨大な球体になった。彼は職場の同僚たちと彼は潜水艦に引っ越し、そしてその中で猫を飼い始めた。
末海子は高校を卒業した後、東京の私大の工学部建築学科に進学し、卒業後は都内の設計事務所で資格試験の準備をするつもりで働きはじめた。10代の終わり頃から少しずつ彼女の交感神経のスイッチングがうまくいかなくなった。就職後、その傾向はますます悪化し、深夜、眠るべき時間になるとリラックスしきれていなかった身体の一部、彼女の場合は首から肩にかけての筋肉が石のように固くなり、そのせいで胸が苦しくなるようになった。呼吸が心拍に、心拍が交感神経に影響を与え、自律神経が次第にぼろぼろになった。働きながらでは休息時間をうまく見つけられず、身体の不調が原因で休職することになり、実家に引っ越して、結局そのまま仕事も建築家になること自体やめてしまった。もう他人のためにものを作ったり考えたりしなくていいのだと思うとすかっとした。それでそういう一連の心の動きを彼女は後から、自分はどうしても人の役に立つことが耐えられないのだと結論した。それから結婚するまでずっと実家で暮らしていた。
「末海子さん、結婚してるんですか」と、尋ねた書雨は驚いていた。
「いや」と反射的に彼女は答えた。それから不安な沈黙が流れるので、
「そうなるよね」と誰かに言い訳するみたいに彼女が付け足す。
自分は今、配偶者がいるわけでも、離婚をしたわけでもない。正確にはまだ一度も結婚していない。じゃあどう言えばいいのか。未来から来たとでも言うか。それは正しくない。じゃあ、預言者だとでも名乗ってそれで、私は自分がいつ死ぬか知っていて、それはあと6年後に起きるとでも付け足すか。これも正しくない。それだけでなく、そんなことをすればただ頭がおかしいと思われ、結局何を言っても信じてもらえなくなるし、そうなればそれが一番問題だ。思い悩むせいで、次の挙動に困る彼女の口は、まだ名前の付いていない意味に向かって飛び上がったり掴み損ねたりする仔猫みたいで愛らしいと思ったが書雨は失礼だと思って口に出さない。
末海子は太っていて背が低い。色が白く、唇が分厚く、二重顎で、目が細くて、話しかけると決して反射的には反応せず、一拍おいて自分の間合いで応じる。そういうちょっとした動作の遅さはよく言えば上品で、悪く言えば高慢そうだ。末海子の外見は14歳から35歳までの年齢を行き来する。自分は母親の彼女が今はもう着なくなった服を着ていることが多いと話した。彼女の母親が今の彼女くらいの歳の頃だったときに買った80年代のブランド物だ。そのせいで彼女は若くも老けてもいない。彼女は時間の外にいるように見える。
それほど長い距離を移動するでもなく二人は山の斜面にめり込むみたいに建てられた学生用のアトリエスペースの石灰性の部屋というか小屋の屋根のうち、十数匹の猫たちの溜まり場になっている場所まで歩いて立ち止まる。これだけの猫がいるのもなかなか見事な光景だったが、あの潜水艦の中にはもっとたくさんの猫たちがいたし、それは彼の開発プランにそれなりの予算が下りた結果だった。私たちは猫ではないが、遠い祖先が猫であると言うことができるかもしれない。潜水艦に職場が移っても悟の仕事がVRシミュレーションのソフトウェア開発であることに変わりはない。当時はオキュラス社が開発したヘッドマウント・ディスプレイがもっぱらVRの主流モデルになってしまっていたので、いかにしてそれと競合しない市場を新しく開拓できるかというのが彼のチームの当面の課題だった。ある日、彼は飼っている「カーチャ」という名前のマンチカンにマイクロチップを埋め込み、潜水艦の中で放し飼いにした。自然保護区の野生動物にするみたいに、チップを通じていつでも彼女の体温、心拍、呼吸数、位置情報を測ることができた。データが溜まると、今度は猫の数を増やして、一番多い時では同時に22匹、累計で30匹の猫の記録をつけ、潜水艦の各部屋の気圧や温度を調べたものと記録を統合した。
食堂の隅っこで彼が食事をしていると、横にはいつも白か茶の猫がミルクを啜っていて、食事に飽きた別の猫が1匹、ぴょんと飛び降り、廊下を自由に歩き回る。球形の潜水艦には階段がなく、林檎の皮むきみたいな形にくるくると一本の廊下を作って渦を巻いている。廊下の両脇にあるはずの部屋らしきもの同士の間に壁は一枚もなく、互い違いに使用者の好みで部屋を仕切ることができる機能がばらばらのカーテンで仕切られている。カーテンはドーム型に変形して防音機能や防水機能を備える分厚いものであったり、単なる透明のビニールのものだったり、カラフルだったり、発光したりで、それが閉じたり開いたりして、中は会議室になっていたり、電源付きの作業用デスクがずらっと並んでいたり、サーフボードが大量に飾ってあったり、観葉植物とビーズクッションと巨大なディスプレイが設置された社員用の娯楽室だったり、観覧車のゴンドラの形をした特製の個室だったり、だだっ広い駐車場だったりする。中心に林檎の芯のようにエレベーターが備え付けられていて2、3匹の猫がその中で昼寝していることも珍しくなかった。そういうことが日常化すると、猫アレルギーの職員がもしいたらそのうちクレームが来ると悟に忠告する同僚も出てきた。
今度はそのデータを、音声認識用のAIと光と温度を感知するセンサーを搭載した清掃用のロボットにインストールして、ロボットは猫のランダムな動きを再現しながら掃除のタスクをこなす。ロボットへの司令はネットワークで管理されたが、周囲の環境と猫から読み取ったデータが一定の秩序を持つようになるときだけそれらは命令に従い、気温や猫由来の心拍のパラメータや、が複数の値が乱雑になるとタスクの達成度合いも乱れ、それによって仕事がはやかったり、遅かったり、さぼったり、命令に逆らったりした。それがまるで人間みたいなので同僚は気味悪がった。
「なんのためにそんなものを作るんだ」
チームのチーフエンジニアが質問すると、彼はVRインターネット用のインターフェースを作っているのだと答えた。VRインターネットなんて、YouTubeの360度写真や映像のアップロード機能を誰も使っていないだろ。彼は笑った。悟はそれでも数年のうちの監視カメラの映像を使ってヴァーチャルに再現した事故や事件現場の空間が裁判の証拠として使われるようになると反論した。数年ではなかったが20年以内には彼の言った通りになった。
「視覚と聴覚以外のものがインターネットを通じてやりとりされるようになる、私たちがプロダクトをどう扱うかだけでなく、ネットワークが私たちの身体をどう扱うか認識させないといけないし、それができるインターフェースが必要なんです。私たちの体は情報ほど身軽にあっちこっち行けませんから」と言うと、チーフエンジニアは少し考えると言って、その日の話はそれで終わりになった。翌日、今度は雇い主が彼のところにやってきて、
「WWWにとってマウスが必要だったようにVRインターネットに必要なマウスをお前は作ろうとしているんだろ」と声をかけてきた。そうではなかったが、思ったより話が早いのでまあそういうことだと答えると、少しずつ彼のやっているデータ集めの規模を拡大できるようになった。実際には反対で、現実世界に情報空間を身体化するためにマウスが必要だったとすれば、情報空間に身体を認識させるために必要なものを自分は今作っている、と彼は思ったがそこまでは説明しなかった。
悟はアメリカに戻ってから何年も、末海子とは顔を合わせなかった。どれだけ時間があいてもどちらかはどちらかに、昨日まで顔を合わせていたみたいな気軽なメッセージを送り、送られた方は同じように返した。末海子が長く返事をしないこともあったし、悟が長く返事をしないこともあった。二人とも無精だったし、悟のメッセージは自分の開発や新しい技術に関する熱意たっぷりの持論になりがちで、彼女は新しい技術にも、劇的な生活の変化にも無関心だった。やりとりが途絶えても、しばらくすると今度は彼女のほうが自分で勝手に動機を見つけて、近所で摘んだ季節の花や、迷い猫や、珍しい形の入道雲の写真を送った。
会社を辞めた後、末海子は母親と実家で二人暮らしになった。実家といっても彼女の母親が引っ越し好きで、実際に賃貸の売り買いみたいなものをやりくりする才覚のある人だったので、ただ「実家」という概念を持ち合わせたまま実際の住所がころころ変わった。母親が家を選び、業者が荷物を運び、彼女が家具を並べた。彼女は初めて寝泊まりするはずの場所を少しだけ馴染みのある場所に演出し直す技術を持っていた。帰宅して玄関を通って、ダイニングで食事をして風呂に入るにしても、朝起きて目を覚まして冷蔵庫に向かい、着替えて顔を洗うにしても、彼女の身体は前に暮らしていた場所の導線を少しずつ記憶していて、新しい場所にそのリズムのようなものを再現することができた。彼女が自分と母親の体の大きさや動きの癖をよく知っていることもその技術を助けた。
一番多い荷物は、母親の衣類だった。母親の服は引っ越しで持ち運ばれず、祖父母が亡くなった後、空き家になっている彼女の滋賀の実家に溜め込まれ続けた。季節の変わり目には滋賀とそのときの実家を往復して、ワードローブの中身をすべて入れ替えた。これから7月くらいまではしばらくは近朗が下宿している京都の丸太町のアパートに通うことになるのだろう。彼の部屋に泊まったり、漫画を借りたり、映画を観に市営地下鉄に乗って出かけたりするだろう。このとき彼女は書雨に、近朗と付き合っていることを言わなかったが、3月ごろには文学部棟の地下書庫へと続く螺旋階段に二人が消えていくのを見かけるようになり、なんとなく勝手にその仲に気づくようになった。
7月の末に近朗はUCLAに留学することが決まっていた。彼の研究の専門分野は映画で、彼は書雨たちの大学にある映画サークルのOBだった。二人は書雨が入学した年の新歓で知り合った。書雨がチラシに書いてあった日付に書かれた教室を訪ねると、卒業生が撮った10分から40分の短編を4本、流れっぱなしになっていて、それを見ている彼の隣に近朗が座って、映画サークル、考えてるの? どんな映画好き? 最近見たのはどんな? と話しかけた。書雨はフレデリック・ワイズマンの『動物園』(1993)だと答えた。それから二人は居合わせた2回生と5回生の男、3回生の女の部員らと本学部の南側のキャンパスのグラウンドに沿って歩いて東大路通のほうに大学の構内を抜けて夕食を食べに出かけ、東一条通から一本北に入った道沿いにあるお好み焼き屋に入り、店に着いて紺色のエプロンをつけた店員が食材を「お待たせしました」と言って少し得意げに鉄板にのせにくるまで、いくつかの映画や映画監督の名前を挙げ続けた。そのうちの何本かと何人かはとても良いが、他はそうでもなく、うち1本はとても見るに値しないというような話になった。そこでは正確にはそこで17本の映画と9人の監督の名前が挙がった。
近朗は「君、うちに入らないほうがいいかもね。うちは撮る人は見ない、見る人は撮らないから」と言った。近朗の言った通り書雨はそのサークルには入らなかった。しかし、数ヶ月に1回、近朗と上映会に行ったり、彼がバイト先の映画館で仕入れた珍しい映画のDVDのサンプルを彼の自宅で一緒に見たり、そのまま朝まで酒を飲んで話すようになった。彼が近朗と遊んだ回数は4年間で10回にも満たなかったが、書雨が3回生になって研究室の配属が決まると彼らは近朗がストラスブールに留学していた期間以外は、2週間に1度は顔を合わせるようになった。近朗は彼に学内のどこの図書館に買い揃えられないくらい高価な紀伊国屋レーベルのDVDボックスが揃っているとか、市内の自転車で行ける距離にあるVHSの品揃えの豊富なレンタルビデオの店とか、日本ではソフト化されていない映画の海賊版がアップロードされている動画サイトの検索方法とかを書雨に教えた。そこにはイタリア語字幕が付いたグルジア映画があり、フランス語字幕が付いた台湾映画があり、それらは画質も荒くたまに色が反転したり、分割してアップロードされて途中で話が切れていたり、時間が経てば動画サイトの運営元によって動画が削除されていたりもした。
近朗が彼に教えたレンタルビデオの店舗はそれぞれ宝ヶ池と大徳寺と高野と三条御池と下鴨と洛西と西院にあった。それから10年もしないうちにアメリカのレンタルビデオショップはすべて滅びてしまったというネットニュースを書雨と近朗は別々の場所で読むことになる。最後の店舗はアラスカ州のアンカレッジにあって、記事には消費者はみんな配信サイトのサブスクリプションで映像を鑑賞するようになったので誰もビデオやディスクを借りなくなったというのを嘆いている店主のインタビューが載っていた。同時に違法アップロードの規制も厳しくなって、彼らが鑑賞していた動画はほとんど一つもネットワーク上に見当たらなくなった。そのうちの一部は、より高画質高音質の素材として復元されてソフト化されたり、イベントで上映されたり、サブスクリプション・メディアのコンテンツの一つになったりしたが、半数以上が二度と誰にも見られなかった。
書雨の下宿から一番近くにある高野のレンタルビデオ店に彼は4年間で累計102回通ったが、彼はその正確な回数を知らない。そこには近朗や木下皐月や坪井菜々子とそのほかの彼の交際相手や、別の友達と一緒に訪れた回数も含まれているが、末海子と訪れるのは初めてだ。何度も通ったせいでその1回1回の体験を正確に識別することはできない。しかし、通った感覚のパターンは彼の体に蓄積されている。ディスクかビデオテープが入ったその店の専用の確か青い麻布みたいな手触りにビニールのポケットがついた袋を持って自宅を出て、アパートの階段を降り、自転車に乗って川端通を北上して、店の前の駐輪場に自転車を停め、その店のレジに借りていたものを返却し、店の奥にまた次に見る映画を探しに行く。なんとなく次はあれが見たいと考えてもいるが、その1本があまりに早く見つかってしまうと、今度はそれを借りるのをわざわざやめて、もう少し店の中をぶらついてみる。歩き回るうちに、その瞬間までずっと知らなかったが実は自分が本当に見たかったのはこの1本だと気づかされるような1本に出会う。本当にほしいものは、初めて出会うその瞬間まであらかじめわからないというその感覚を楽しむためにそこに通っていたのかもしれないと、彼はレンタルビデオショップが絶滅した後の世界で、その世界でなにが失われたのかを考えた末に思い出す。とは言っても、その試みは毎回うまく行くわけではなく、ほとんどうまくいかない。多くの場合別にこれという決定的に見たい一本にも出会えず、疲れて判断力が鈍って、いくつかのまあまあ見たい数本のうちから1、2本借りて帰る。妥協。としか言えない機会のほうがずっと多い。ただ、これは映画の内容とは全く何の関係もない。あらすじ、パッケージ、誰が作っているか、いつ、どこで作られたか。出会いの瞬間に光り輝くのはそういうポスターに載っているような情報だ。
決定的な1本との出会いはパッケージを見る視覚だけではなく、店の中を歩き回る足とか脚とかからやってくるのかもしれない。書雨は3回生になって、ストラスブールから帰国した近朗と再会するまで映画の批評も専門書もほとんど一冊も読んだことはなかったが、彼が卒論を書くために読むといいと言って勧めた本の中に、ミュージカル映画について考察した項目があって、そこにミュージカルは「足」だと書かれていた。なぜ足が重要かというと、あの歌ったり踊ったりする異常行為が許されるこことは別の時空間に最初に侵入するのは出演者の足であり、だからミュージカルはステップこそが重要視され、だからミュージカルはタップダンスとともに発展したと書いてあったが今はもう出典がわからない。悟が試みようとしていたインターフェースとはまさに、そういう身体感覚というか、野生の振り付けみたいなものを情報空間に流通させることだった。しかし悟はあの潜水艦にもういなかったし、猫にマイクロチップを植えつけてデータを採取する研究ももうしていなかった。最後はサンフランシスコ中にチップの入った700匹の猫がばらまかれていたが、出資者はプロジェクトを売り払い、買い手がつかず事業自体が中断され、彼は失業した。自分はレンタルビデオショップとサブスクリプションと同じ問題におちいっているという結論を、挫折のせいで彼は思いついた。ビデオが並んだ棚は配信サイトのラインナップに、それまで知らなかった本当に見たい1本との出会いはサイトのリコメンド機能に取って代わられ、店の中をぶらつく習慣だけが失われた。レンタルビデオショップが滅びた後の消費の作法に必要なのは目と耳と脳と手で、多分足はいらない。悟の技術はその失われた習慣に関わるものだった。そもそも身体は、情報空間にはいらないものだったのかもしれない。
数字も記号も人間が開発したものだが、人間同士よりも、ものと人間よりも、ものともの同士のほうがずっとすばやく正確にやりとりそれをやりとりする。それはものが身体がつくるノイズを排除できるからだ。より正確にはものはよりノイズの少ない「身体」へと媒介物を交換することができる。おかげで戦闘機のパイロットも囲碁のプレイヤーも機械のほうが今は人間より有能になってしまったし、一定以上の規模のお金のやりくりやそのやりくりに関わる人間の人事の裁量はすでにアルゴリズムが決めている。情報にとって身体があることはきっと少しもリアルではないのだろう。身体は純粋な記号同士の計算につっかえる制約でしかなく、デジタルにとってはなければないほうがよいし今は簡単になくせる。というのは一般論でなく、一般でも論でもなく、失業した村崎悟が自分に与えられた状況の特殊に下した推論だ。仕事をなくして社会と媒介するものがなくなると、彼の場合は、あるいは彼でなくともそういう抽象的で単純化された世界そのもののフローに自分はさらされていて、それこそがリアルなのだという錯覚におちいる。それも長くは続かない。彼の次の就職先はユタ州のテーマパークに決まる。
彼はそこでアトラクション開発の職についていたが、皮肉を込めてそれをゲームセンターのメンテナンス係と呼んでいる。以前のようにやりがいを見出せないのだ。テーマパークのVRアトラクションに必要なのは、現実空間そっくりに作れらたクローズドなシミュレーションだ。彼が就職した時には、来場客はオキュラス製のゴーグルとヘッドホンの模造品を装着し、なにもない地下室で館内だけで通用するネットワークに接続されたおもちゃの機関銃を持って歩き回っていた。そこで今度、彼は全身でバーチャル空間を体験できるスーツの開発を求められた。彼と、担当部署のメンバーは可能な限り薄くて軽い素材のスーツ開発を試みるが、例えばそれを着た人間が皮膚に痛みとかかゆみを感じたり、汗をかいたりするようになるとそれはスーツと皮膚の間で起きることなので、どうしても仮想空間の中でもスーツを着ているという感覚を完全に消去することができない。
今度は鼻から極細の管を通して脳と直接電気信号を授受する「TUBER」という装置をつくった。それは架空の物体を目の前に出現させ、見たり音を聞いたり触れたり匂いを嗅いだりして、その物体をメールでファイルを送り合うようにやりとりできるガジェットへと改良されていった。これはゆくゆくそれなりのヒット商品になってクライアントにもかなり喜ばれたが、彼は満足しなかった。つまりそれはVR(仮想空間)ではなくAR(拡張現実)を体験するための機器だった。これじゃない。自分は現実空間の肉体を情報空間に移動させることを目指しているのだ、ということが「TUBER」の開発を通して彼の中で少しずつ明確になった。「TUBER」には知覚や経験を「拡張」させることができるが、その体験全体の質感そのものを変えることはできないというのが彼には許せなかった。
全体的な質感を変えられないという問題は、仮想空間の中でも現れた。仮想空間でも人間は完全に別の生き物やあるいは生き物でない物質になることはできないのだ。例えば人間の身体に尻尾のARを付け足してそれを随意運動として動かしたり、翼をはやしたりして仮想空間を飛び回ることはできるが、足を一本にするとか、足を馬の脚に変えるとか、腕を翼に変えるということはできない。理由は、やってみれば、その人が持っている腕や足の感覚が二重化することになるからだ。じゃあ、そもそも腕や足がなければ腕を翼に変えたり、足を尾びれに変えたりできるのかというとその通りで、義手や義足の代わりとして多様な腕、多様な足を着脱可能にする技術というのはVRでもARでもむしろロボットアームの分野でもっと前から盛んに実現され、いろいろなところでテストが行なわれていた。つまり情報だけの世界を現実世界に知覚可能な形で持ってくることはできるが、生身の人間をまるごと情報の世界のほうに持っていくことはできない。人間の体の一部分は確かに情報に適しているが、「足」を筆頭にした他の部分はいらないだけで邪魔ですらある。そして人間の身体を丸ごと情報としてやりとりするには、もともと持っている身体のほうを諦めなければならない。
生身の体をあきらめて脳の信号をすべて情報として流通可能な形態に置き換えるというのは、ある種の不老不死の技術なのかもしれないとか、それは人工的に人間よりも寿命の長いものをつくることができるということかもしれないとかまで考えるようになると問題はもう技術的なものの範疇を超えて大きくなりすぎている。それを思う頃、彼はまた失業して、自分と社会との靭帯を失いつつある。なぜこんなことになってしまったのだろう。彼は今、病院のベッドの中だ。
悟は最後に自分の脳と身体との神経接続を遮断して自作の装置の電極に脳を繋いでしまった。おそらく実験は成功した。そう判断したいが、もう意識しか実態がなくなってしまった彼には、それを伝えるまともな手段がない。まともでない手段ならあるのか。まともでないリスクがあるのだ。意識だけになった彼はあの潜水艦の中の猫たちの生態をプロットしたデータの束を思い出すが、あれはいくつかの層にうたれた点を集めて描かれたただの幾何学模様で少しも猫たちには似ていない。そういうデータを読む専門技術がなければ、あれが猫であるというふうには読めない。というか専門の技術者はきっとあれを猫だと読むことを目的にはしないし、あのデータが何に役立つか見極めることを「読む」と言っている。あの層の上の点や線になった猫たちに自分が猫であるという自意識はあるだろうか。あの猫たちの体温や体重や移動距離のように、私たちの買い物や決済や通信や移動の履歴が蓄積されている。そのデータが誰のものであるかを特定することはそのうち国際的に法律で禁止されるようになり、日本でも2017年に法整備が行われた。ただ一方でデータ上の活動記録でできたその人の分身みたいなものをアマゾンのような巨大IT企業は売買している。個人情報は、それが誰の個人情報なのかわからない「パーソナルデータ」というものである限りは商品としてやりとり可能なので、実際そのようにやりとりがされるようになった。リスクとは、そういう自分にも他人にも自分が誰だかわからない状態になれば流通できるということだ。きっとデータの元になった生身の身体が死に絶えてもその形式は生き続ける。パーソナルデータは、いくらそれがパーソナルなものであったとしてもそれが誰のパーソナリティなのか自分の名前を知らない。
「SATORUMURASAKI」
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「SATORUMURASAKI」
切れた神経の再接続が一時的に成功して、彼は病院のベッドで目を覚まし、看護師が自分の名前を呼んでいると気づく。生身の肉体を危機に陥らせる危険な実験の後遺症で彼はもう病院から出られない。ベッドの上で悟は続きを考える。人間よりも寿命が長い人工のネットワークとか、そのネットワークを作るための道具ならデジタル機器の発明を待たなくたって昔からあるだろう。企業とか、国家とか、法とか、信仰とか。そういうのが不死の肉体への願望からつくられたものかもしれないなら、死を恐れない人たちと対面した人が彼らに恐怖を覚えるとき、それはその後ろに不死のネットワークを見るからかもしれない。だからカミカゼ・アタックを目撃したGHQは、戦後の日本で「仮名手本忠臣蔵」の上演を禁止したのか?
「中井さんだっけ? 死んじゃった人だよね」と、末海子のせいで話が分岐する。
「末海子さん、面識あったんですか」
「ないけど、近朗さんは少し交流あったらしいね」4月のガイダンスのときは、彼の話題で持ちきりだったのに、
「末海子さん、なんで4月のガイダンスは来なかったの?」と、尋ねるということは、もう4月が過ぎている。「猫」を探すための散歩は1月に始まったはずだ。明日降る雪はもう降ったのか? いつの間に4月に? と質問するはずが、先に末海子が、
「ああ、体調が悪かったんだよ」と答える。4月の1週目の金曜日にはひどい雨が降っていてその日のことをよく覚えている。
転んだからだ。
その日は朝からなにかよくないことが起きるような気がしていた。それは根拠がまったくないわけではなくて、その日は春先の不安定な気候の中にあるはずれの日、強い雨と低い気圧と低い気温に見舞われていた。外に出る元気が出ないのでできる限り家の中に引きこもっていたかったが、16時から学部棟で新学期のガイダンスがあるのでそれには出たほうがいいだろうと思って外に出ると、頭と身体がそれぞれに別々の欲望を持ってばらばらになりそうになった。
「休めばよかったのに。大丈夫だよ」と末海子は言った。実際、彼女は休んだ。
ばらばらになると、心が悲鳴を上げ、「やりたくない」という感情が正体を現す。そんなことを誰かに説明すると、社会に適合しない人格だと思われるので、頑張って体を動かす。動こうとしない身体を無理やり頑張って動かすと、意志が身体全体をがちがちに縛りあげるみたいに力を込めなければならなくなる。そうしないと緩んだ身体の部分から注意がほつれて、やらなきゃいけないことをすっぽかしたり、やりかけのなにかを完徹できなくなったり、最終的にはそのせいで一度出た家に帰れなくなったりするので、元気であるときよりも余計な力をたくさん使う。
力のこもった柔軟性のない体で、自転車置き場の目の前にある学部棟に外付けされた第三講義室の2階の入口まで登って、登るときはいいが、階段は降りるほうが複雑な筋肉の動きを要求し、濡れたタイルの段のうえでナイキのスニーカーを滑らせて足を踏みはずし、尻餅をついて7段転がる。骨は折れなかったが、腰とついた手のひらを擦りむいて雨が沁みたので、菌が入ると嫌だと思って生協で絆創膏と消毒液を買ってきて簡単な手当だけして、もう一度学部棟に戻って、ガイダンスが開かれる予定の教室に入ると、そこの空気もどよんと沈み込んでいる。
ゼミの配属が決まったばかりの3回生はよそよそしく周囲をきょろきょろ見回したり、申し合わせて一緒に教室に入ってきた友達同士で、「本当にこの教室で合ってる?」なんて何度も教務が配った資料を確認したりしているが、陰鬱そうなのは書雨たちを含めた4回生以上のゼミ生たちで、ただ不安そうに教室には入るが、お互いによく見知った顔を見つけ、相手も自分と同じくらいどよんと不安を背負っているとわかると、今度は慰め合うような笑みを浮かべて「久しぶり」「元気だった」と愛情のこもった挨拶を交わしあう。親密な不安同士の同調。陰鬱さだって感情だ。活発であることを相手に強制しなければ、寄り集まって共有することもできる。ある種のパーティーみたいに。
「まるでお通夜だな」
誰かがそう言った。その通りだったが、今日は不謹慎だ。
縦長の移動机を8脚、正方形になるように並べ、奥のホワイトボードの前に俵屋宗達の専門家である光寺教授という恰幅のいい女性が座ると、それを囲んで二〇人弱の学生が席に着いた。ゼミの担当である2人の教授と2人の准教授のうち、その日は光寺教授しか顔を見せなかった。「先生たち、来ないの?」と書雨が訊くと、隣に座った鈴鹿が下を向いてから態とらしく二回頭を振り、「来られないでしょ」と呟いた。ガイダンスは必修授業の日程確認だけでものの10分で終わった。光寺教授が、
「私たちが扱うのは本、作品、死んだ人たち。ほとんどがあちら側のものですね」と授業についてコメントしたのは、みんな悪い冗談だと思った。彼女はいたって真顔なので思ったみんなはいつ笑っていいかわからない。
ガイダンスが終わって、30分後に隣の旧学部棟に移って懇親会をするという案内がされたが、学生たちの多くは教室に残って話していた。
キリスト教美術と美学の専門家である松平教授が訴えられたという話が広まったのはその前の週だった。訴えた本人は中井という彼の元ゼミ生で近朗の一年後輩にあたる学生の両親だったが、書雨や鈴鹿たちが入学したときにはもうほとんど大学に通っていなかったので彼の顔を知らなかった。中井は大人しくて愛想のいい学生だった。家賃を節約するために博士課程にあがってからは実家がある新潟に帰って、研究発表のあるときだけ京都にやってくる生活を送っていた。それである日、急死した。
彼が亡くなった後に、将来に対して漠然とした不安を抱え、京都に住んでいた時から学生課のカウンセラーに相談していたことや、実家に帰ってから精神科に入退院を繰り返していたことがわかった。警察は直接の死因について風邪薬と睡眠薬の併用による事故死だと判断した。しかしその後、実家の彼の部屋から松平教授あての、
「あなたに落ち度はありませんし、これはまったく不合理なことで、あなたを責めることになるとすればそれはまったくとばっちりでしょう。悪いことが起こってしまうとすればすべて私のせいです。しかし、あなたのことを絶対にゆるすことはできません。感情とはそういうものだと私は知りました」
と書かれた手紙が見つかった。それを見て両親は息子を自殺だとみなして、その原因が松平教授にあるとして彼を訴えたという。ただ教授が中井にハラスメントしたという証拠もなく、訴訟自体は大ごとにはならないだろうということで、どうなれば大ごとかという議論をしたがるのもいたが、いずれにしても松平教授は中井という生徒のケース自体に心を痛めているとのことだった。
教授はこれをきっかけに教授職をやめてしまうのではないか、だって中井の件がなくても彼は大学の教職にうんざりしていたんだから、と話をしたがるゼミ生もいた。書雨たちが入学して1年すると学長が代わり、一般教養のカリキュラムを再編し、一部の授業をすべて英語で実施するように強制し、入試に論文や面接を導入し、彼の独自システムの大学院を新設するという話が進んでいるらしい。そのせいで現行の教員の負担が倍増し、耐震強度の問題を理由に築100年近い大学寮の取り壊しを決め、そのすぐ裏に留学生用の居住施設の工事が強引に始められたので、学長に抗議する教授たちがプラカードを掲げて学内を歩いた。松平教授が抗議デモに参加している様子を撮った写真を生徒たちはその場で回して確認して、ある生徒はそれを自分の待ち受けに変えていたのはやりすぎだ。教授は事務局には話を通していて、当局は後任人事を教務は探し始めているという話もあった。光寺教授にいたっては、これを機に自分は自分で独立した研究室を持ちたいと思っていたが、そういう改変もすべて書雨たちが卒業した後に起きる。だから、大学院に行かなければ関係ないと最後に言ったのは鈴鹿だった。
「それより就活だよ」と彼女は続けて言った。
もう一つの不安はもっとありふれたものだった。その日そこにいた4回生と大学院生12人のうちこの時点で内定が決まっているのは1人だけだった。ブランクーシの彫刻について卒論を書いているその書雨の同級生の女は、来年の春からオランダからチーズを輸入する小さな会社で働くために卒業したら東京に引っ越すことになっていた。「大企業とかよりは、そのほうが自分に合ってるかな、と思って受けたけどさ。ラッキーだったよ」と話していた。聞く側の表情は誰も険しかった。もともと彼女と仲が良かったはずの鈴鹿はその日は彼女と一言も話さず教室を出た。鈴鹿は、そのまま院生たちが開いた学部棟の空き教室での歓迎会に参加するのが嫌で、人の少ないところに行きたいと言って、書雨を誘って教室を出て1回に降りて北側に大学構内を抜けて、百万遍の交差点を西に、それから北に渡って、パチンコとマクドナルドの裏にある居酒屋に入った。居酒屋に入ったのは酒が飲みたいとというよりもつまみで出てくる和食の惣菜が食べたかったからで、鈴鹿は日本酒と一緒に出汁巻卵と西京漬を注文して、注文したものが運ばれてくるまでに近朗と別れたことを話した。「就活、気持ちがすれ違うよね。書雨くんとこは大丈夫?」と尋ねた。
書雨が木下皐月と付き合い始めたのは、1年半ほど前で2012年の秋口だった。
その夏の終わりまでは、書雨は菜々子という三つ年上の芸大生と同棲していた。舞台芸術の専門コースにいた菜々子は卒業後も京都に残って芸能事務所や映画やドラマ出演のオーディションを繰り返していたが、10月からデイケアサービスで働く介護士が殺人事件を解決するドラマをヒットさせた脚本家がつくった芸能事務所の研修生になることが決まり、東京に引っ越すことになり、「プロになるために必要なのは、身の回りの環境と人間関係を変えることなの」と言って彼女は彼をアパートから追い出した。
書雨は菜々子のことを懐かしそうに思い出した。菜々子は美人でわがままでおしゃれで、彼よりもずっと憂鬱そうだった。あの芸大の大きな階段から白川通を挟んだところにある大きな駐輪場に夜中に二人で出かけて、鍵のかかったフェンスを登って乗り越えて、彼女の青い折り畳み自転車を担いでフェンスを乗り越えて取り出してやったのを思い出した。彼女はそれがないと明日の撮影にいけないの、4時集合だって、と言って彼を夜中に呼びん出した。自転車を担いで出してあげても、ありがとうとも言わなかった。あのとき彼女が着ていたビビッドなレインコートと、自転車を渡すときに擦りむいて真っ赤な血を流した子どもみたいに指の短い彼女の手をよく覚えている。そうして、思ったことを思ったときに全部口に出す、基本的にやりたいときにやりたいことしかやらない彼女と一緒にいることは随分楽だった。
アパートを追い出された書雨は、だらだらと相談を持ちかけるつもりで菜々子の同級生だった千恵巳という女性を食事に誘った。彼女も同じようにこの秋で芸大を中退して大阪で、共同経営のデザイン事務所を開業する準備をしていた。忙しいけれど、今度の木曜の夜なら時間が取れるかもしれない、場所はこっちが指定してもいい? というので、彼女に言われた西院の住所に行くと、そこは貸しビルの地下で、受付の係に千恵巳の名前を出して彼女の紹介です、と告げると案内されレンタルスペースで30人規模のパーティが開催されていた。7台のテーブルに白いテーブルクロスがかけられ、ケータリングが用意されて間接照明の下でピットブルが流れていた。
数分して音楽が小さくなり、胸板の厚い黒いジャケットの男がマイクを手に持ち、「ステージのほうにお集りください」とアナウンスが入るので、来場者がそちらに集い、半分以上がドレスやスーツを着た20代から30代の男女が集まって、ホストらしき人々を囲んだ。彼らは黒いジャケットの白毛の混じったベリーショートの30台後半らしき男と赤、青、黄、緑、ピンクに髪の色を塗り分けた5人の書雨と変わらない年頃の男たちで、一人ずつ何かの所信表明のようなことを述べ、最後にベリーショートが激励の言葉を述べた。「これって、なんの会ですか」と尋ねると、書雨の隣にいたシルクの上品なシャツにサスペンダーを提げた男が、なにかのカタカナを言ってそれのスタートアップのパーティだと言われた。言われたカタカナの正しい表記がわからなくて、3回くらいスマートフォンで検索してこれがやっとこういうパーティ用の映像制作会社だとわかった。場違いな場所に来てしまったな。そう思って、千恵巳に挨拶だけしたらすぐに帰ろうと思って歩き回っていたが彼女が見つからず、受付で彼女のことを聞くと、名簿に名前があるがまだ来ていないと言われ、それでラインを送って返事が来るまでしばらく待つことにした。適当に食事を取りに行くと誰かがぶつかって彼のパーカーに紙コップに入っていたシャンパンをこぼした。木下皐月だった。それが初対面だ。
「ごめんなさい」
「これ、防水だから気にしないで」と言って、見ると彼女がライダースのジャケットにジーンズをはいていた。多分自分と彼女だけが正装ではなかった。書雨は、
「来てからパーティだって気づいたの?」と訊いた。
「あなたこそ」と言われた。
皐月は書雨と同じ大学の法学部に現役合格していた彼女は彼よりも一つ年下で、学生のバンドでベースを弾いていたが、最近は大学が忙しくて全然やっていないからもう弾けないかもとかライブや演劇で照明家をしている吉村という彼氏ができたばかりだとかいう話をした。
大阪のライブハウスやイベントスペースで働いている吉村は 皐月の7つ年上で大学を卒業してから1年バックパッカーになって、学生のときに知り合いだったプロの照明家に弟子入りして数年丁稚奉公し、今の仕事についた。付き合いでこういう場所にたまにこう言う場所に顔を出していると皐月が言った。そこで吉村がやってきて彼女の背中をぽんっと支えるみたいに優しく叩いて、革の生地がたたかれたときの厚みのある鈍い音がした。
「友達?」と尋ねた。眼差しが鋭く、表情には自信がみなぎっていた。細身だが手の大きな男だった。皐月が、
「ううん、さっき知り合った」
「どうも、初めまして。この子、愛想ないやろ」
「やめてよ」
「粗相があったらあとで俺に言うてくださいね」と書雨に言って、また彼女に向き直って、
「しんどかったら言えよ」と言った。
「しんどくないけど、なんで先に言うてくれへんかった?」
「俺、なんか言い忘れてた?」
「いろんな人が来るとこやって」
「言うたやん」と言うので、彼女はむくれたが彼はその表情を確認せず人混みに消えた。その後どうやってそこを二人で出たかは覚えていないし、その日はそこに千恵巳が来なくてあれ以来一度も会っていないが、二人はその後そこを一緒に出て鴨川で缶ビールを飲んでいるうちに、何度か電話がかかってきて彼女は煩わしそうにしたので書雨は彼女を解放した。
「一人で帰って大丈夫?」と聞くと、連絡先を交換して、
「書雨くん、ついてきたほうがややこしくなるわ」と言ってそこで別れた、それから1週間なんの連絡もなかったが、次の週には彼女が書雨を食事に誘い、家まで着いてきて自宅の大きなテレビで映画を一緒に見るようになった。そのうちに彼女が書雨の家を訪ねるのはいつも吉村とのデートの後で、愚痴を言うためであることということがだんだんわかってきた。二人で会っている間、いつも自分の自慢話ばっかりでデートがつまらないと皐月は吉村の愚痴ばかり言っていた。それからどこかのタイミングで彼女が吉村と別れたので、二人は付き合い始めた。
最後に書雨が彼女を見たのは昨日だ。昨日は彼の下宿にプリンターを借りに来てエントリーシートを刷っていた。かがみこんでいる彼女が中腰で印刷を待つとき、リクルートスーツのスカートをお尻が突っぱるのをじっと見ていた。それから買ったばかりの黒い書類カバンの中で携帯電話の着信音がして、取り出すと苦笑いをしながら彼に画面を見せ、「非通知」と言って、急いで靴を履いて外に出て、廊下で電話に出た。「非通知」が、面接先の企業からの連絡だという意味を彼はわからなかった。廊下のコンクリートに彼女の声と、落ち着かなそうに歩く靴の音がして、5分もしないうちに戻ってきて、
「また落ちた」と悲しそうに笑った。
「今、結果が出るなんてどうせマスコミとか出版だろ」
「でもすり減るわー」と言って、タバコの火をつけた。口元の右の下の部分にぷっくりとニキビがふくれているのを彼女のストレスの証拠だと思って、彼は少し心配した。ベランダの戸を開放して、もう日が沈みかけているので、洗濯物を取り込んだ。彼女はスーツのポケットから名刺れみたいなかたちの携帯灰皿を取り出して、そこで火を消しながら部屋に入ってきて、印刷途中のエントリーシートを手に取り、
「プリント、止まってんじゃん」と言った。
「自分の家にプリンターないの?」
「ない」
「買えば」
「冷たいな。給料日まだなんよ」
「バイトなんかしてた?」
「塾講」
「いつから?」
「君と付き合う前から。話したと思うけど」話しながら用紙を取り替えて印刷を終えると、刷ったものをクリアファイルに入れてカバンに詰め、そのまま玄関に向かった。
「泊まっていってもいいのに」
「明日も早いし」
「明日はどこ?」
「北浜。グループディスカッション」
「うちから出ても変わらんやろ」
「君、寝てるやろ。気ぃ使うわ」
言い終わる前に靴を履き終わった彼女の手を触ると、皐月は書雨の手をふりはらった。またプリンターをすぐに借りに来るだろうと思ったが、彼女はしばらく書雨の前に姿を見せなかった。忙しいのかもしれない。給料が入ってプリンターを購入したのかもしれない。彼は私たちのことをすっかり忘れてリクルートスーツにしばらく会わない恋人の影を無意識に探した。
大学の構内を歩いていても合同企業説明会や、キャリアセミナーのチラシが消費者金融のポケットティッシュみたいに配られ、講義室の周りをリクルートスーツを着た学生が目につくようになった。着慣れないスーツ姿で歩く学生は歩くのが遅く、一歩ごとにバランスを崩しそうになる。ぶかぶかの制服の試着をした小学生みたいだ。そういうのが四条や京都駅まで出かけて行くときにはさらに数が増えて、公共ホールや産業会館での合同説明会、烏丸のオフィスや貸しオフィスからぞろぞろと何十人も出てくる。電車の中で、ドトールやタリーズの席で、面接の前の時間を潰していたり、面接を終えて一息ついていたり、コーヒーを飲みながら履歴書を書いていたりする。そればかり気にして街を歩くと、彼らは何かの群生生物で、街の中ではリクルートスーツによる陣取りゲームが行われていて、そのうちそれが街を占領するかもしれないような気がしていた。5月になった。ゴールデンウィークの最終日に書雨と近朗は、叡電に乗って精華大学にダムタイプの「S/N」の企画上映を見に出かけた。彼がUCLAに行ってしまう直前の7月の頭に研究室が近朗の送別会を研究室が開くのだが、書雨は参加しなかったので、この上映会が二人が会った最後になった。上映会と言ってもスクリーンはなく、彼の自宅のものより一回り大きいだけの液晶テレビが大学図書館地下のAVルームにあってその前に座っている観客は10人もいなかった。書雨はその後いつでもそのときの部屋の暗さと春先の室温のぬるさを思い出すことができた。上映が終わるとまた電車に乗って出町柳まで戻り、駅の近くのハンバーグ屋でハンバーグを食べながら近朗は「博士課程まで行っちゃったからな、もう後戻りできないよ」と自分のことは棚に上げて、彼には進学は勧めないと言った。その年の年末に末海子はスカイプ上で彼に別れ話を切り出した。近朗が彼女との結婚を望んでいたことが直接の原因で、彼女にはそんなつもりが少しもなかった。帰国して数年後、彼は中国地方にある国立大の文学部の准教授になった。
5月の終わり、皐月は大手の証券会社の奈良にあるエリア職から内定をもらった。お祝いで二人は北白川の四川料理を食べに出かけた。麻婆豆腐と海鮮丼を囲み、紹興酒で乾杯した。
「いや、本社勤務やったら東京住めたけどな」
「東京行きたかったん?」
「そりゃ行きたかったよ。今度は書雨の番だね」と言いながら、話している途中で書雨が就活を一切していないことに気づいた。
「そっか。じゃあ院試はいつ?」
「年明けとかじゃない? 文学部のは」
「そっか。結構ゆっくりだね」
「なんで?」
「受けるんでしょ」
「受けないよ」
その返答に彼女は驚くが、それに驚いていることに書雨のほうが驚く。じゃあ働かないでなにをするの? 親はなんて言ってるの? バイトはしてないんだよね? 彼女はだんだん詰問の調子になって、え? じゃあどうするの? と言うけど、彼女が何にそれほど動揺しているのかピンとこない。
「何を?」と聞き返したら、彼女は、
「将来」と言ったが、突然運ばれてきた値段のわからない珍味みたいだった。
書雨は小学生の頃に「将来の夢」というのについて作文を書くように言われたときのことを思い出した。それだけじゃない。今までに、何度もそういう機会があったはずだが、何度経験してもなんで子どもにあんなことをさせるのか、あれはなんの時間なのか、ずっとわからなかった。大人になったら何になりたいか、なんて一度も考えたことがない。そもそも自分が大人だとか子どもだとかいう区分の中にあるということに一向に実感がわかない。それまで一度もそんなことを真剣に考えたことはないのじゃないかと思って、
「だって、そんなこと考えます?」と、末海子に聞いた。
「小学校のとき作文に書いたよ」
「なんて?」
「立派な大人になるって」
「それは職業じゃない」
「うん」
「今は大人じゃないんですか?」
「今っていつ?」
今はもう6月だ。1月の雪も降ったし、4月のガイダンスも終わったし、桜も散った。書雨と末海子は、北白川疎水に沿ってゆっくりと南下し、川の向こうに見えてくるあれは駒井家住宅というらしいのだよ、知ってる? と末海子が言う。
「どんなところ?」
「知らない」
「知らんのかい」
二人の携帯電話が鳴り、取り出すと画面に今年最初に上陸した台風の警戒情報が表示される。着信音は避難警報のアラームだった。6月の2週目に今年最初の台風が日本に上陸して、毎日雨ばかり降る。昨日の夜は一日中窓ががたがた音を立てていたが、今は風だけで空は曇っているだけ。書雨はいつのまに6月になったのかと問いかける。例えば、
「
末海子と書雨はその日、それ以上私たちを発見できなかった。バス停を探して高野の交差点まで歩くと、自動車に轢かれた猫を見つけた。私たちではなく猫だった。最初は誰かが車からゴミを捨てていったのだと思って近づいたが、その割には形が大きいことがわかり、四肢を投げ出して頭の先が破裂した状態の猫が横たわっていた。信号機とコンビニや漫画喫茶から溢れてくる光だけでは、何色の猫かは判別が難しかった。スマートフォンで調べると専用の回収業者があることがわかり、末海子がそこに電話をかけ、書雨が閉店間際のホームセンターで買ってきたちりとりを使って散らばった猫の破片をかき集め、ちりとりの中に集めた残骸を道路脇に置き、近くのバス停まで書雨が末海子を見送った。末海子がバスに乗ると、書雨が「じゃ、また研究室で」と言った。末海子も「研究室で」と返したが、最後まで言い切る前にドアが閉まった。書雨が元の場所に帰ってくるとちりとりはなくなっていた。
」
という出来事がどこかにあったはずだが、これはいつのことだろう。
「そうね。高野の交差点ってあるよね。じゃあ芸大から出て、ビデオ屋さんに行く前のあたりか、ビデオ屋さんのあとくらいかな」と末海子が言って、足取りをたどろうとするが、二人には足がない。いらないからどっかに置いてきたんじゃない? と彼女が言うので、いや歩いているんだから要るだろ、と答えるが、足が必要なのは現実空間にいる人間だけで、情報空間を操作するには目と耳と手と脳があれば十分だと、彼女の話に出てきた村崎悟が教えてくれた。あらためて足がないなんていう人間は幽霊みたいだと言ったのは書雨だ。
彼と彼女とで情報のすり合わせをしていくと書雨の中では1日の出来事として流れているはずの時間が、末海子の中では半年で、そのうちに彼と6回会っている。
「その度にちゃんとどこかでお別れをしているし、これはそのうちの一つだ」という。
書雨は確かにその日のお別れを思い出すことができた。彼は1日だと思えたその出来事を半年間に起きたばらばらの6回にちゃんと分解することができるかもしれない。すぐにはできなくても、その猫の死体の片付けは1回しか起きなかったことだから、この1回は束になった他の習慣からは切り離すことができる。末海子がバスに乗ると、書雨が「じゃ、また研究室で」と言った。末海子も「研究室で」と返したが、最後まで言い切る前にドアが閉まった。書雨が元の場所に帰ってくるとちりとりはなくなっていた。自宅まで5分もかからない場所でのことだ。その日は帰宅するとドアの前で皐月が待っていた。1階のオートロックをどうやって抜けたのか聞くと、他の人について入ったと言った。
「ライン、なんで無視するの?」
無視しているわけじゃなくて、ちゃんと返信しなきゃと思ううちに時間が過ぎるんだ、返事がないのはちゃんとした返事をしようと思っている証拠だと言うと、私と付き合う気がないなら、はっきり別れて欲しいと言われたので、別れるとまでは言ってないと言って、言い合いになって次第に声が大きくなってそのうちに風呂場でお互いの顔にむしゃぶりついて抱き合い、彼女がそこに泊まった。二人は間違って届いた知らない人の家具を品定めするみたいにお互いの体を触った。皐月の手は書雨のごわごわしたくせ毛を通り、書雨の手は彼女の短くて柔らかい髪を前から後ろに撫で、皐月の手は彼の丸い耳を触って、頰から鼻の筋、目頭に向かって指をはわせ、書雨は掬うように彼女の顔を包み、皐月の親指は彼女の鼻の両脇を通って、首から肩、背中にかけての乾燥してかさかさになった部分をこすり、書雨が彼女の胸を鷲掴みにして乳首をつまむと彼女が小さな声で喘ぎ、皐月が書雨の脇腹をくすぐると彼が反射して身をよじり、その隙に彼の性器に手を伸ばした。
二人はしばらく会わないうちに相手の身体にどこか変わったところがないか、点検しあった。射精した瞬間に書雨の中から彼女に対する興味が収縮していって恐怖によく似た不快感に自分が押しつぶされていくのがわかった。いつもは、と言ってもその前は2ヶ月前だが、そのときは射精の後に、ほとんど動物的と言ってもいい興奮がしぼんだ後に、彼女に対する愛しさみたいなものが湧き上がってきた。でも今はそれは何もなく自分が空っぽになってなくなってしまうような虚無感に襲われた。彼女の中から自分の性器を抜き取り、避妊具を外して結び、ゴミ箱に捨てると、申し訳ないけれど今すぐに服を着て帰ってほしい、と言ってシャワーを浴びた。彼は1時間くらいそのまま風呂場にいたが、その間に彼女が10分おきに浴室の扉を叩いて、そこから出るように怒鳴った。やっと出て行くと、申し訳ないけれど、どうしてもいます君の顔も見たくないんだ。今すぐ出て行ってほしい、と言った。彼女はかなり困惑した後で、何があったのと言って彼の手を握ろうとしたので彼ははねのけた。
「お願いだ。これ以上、君にひどいことを言いたくないし、したくない」と言ったら、彼女は手元の近くにあった彼の携帯電話と羽織っていたブランケットを彼に投げつけ、背を向けてブラジャーを付け直し、脱いだものを順番に身につけ、荷物を抱え、気が向いたら、連絡して、言うことがあるはずだから、と言って出て行った。それが最後で二人はもう顔を合わさなかった。
書雨はその後何ヶ月も彼女のことを思い出し、思い出すときには辛くて立ち上がれなくなった。未練があるわけでも、元に戻りたいわけでもなかった。昔皐月が、悩みたくて悩んでるだけみたいだね、と彼に一度だけ皮肉を言ったことが、彼女は全く正しいことを言っていた。彼は何か解決してほしい悩みを持っているのではなく、そうして落ち込むこと自体を望んでいる。落ち込んで身動きが取れなくなって、世界から逃げ、感傷に浸ることこそ彼のやりたいことだ。それが彼の快楽の源だった。
あの射精のあとに、彼女と自分の間にあった何かが死んでしまったのだと気づいた。彼女が特別変わってしまったわけでも、自分が特別変わってしまったわけでもなく、ただ二人がそれぞれに変わる中で何かが死んだ。例えば、関係というものはそもそも相手の前で演じるべき役のようなものが少しずつ出来上がっていく過程なのだとすれば、かつて自分が彼女のために演じた役がもう死んでしまい、彼女が今自分に求める役が演じられないことがわかった。あるいは全くその逆に彼が彼女に投影していた役を彼女はもう演じることはなく、彼が彼女に新しく投影した役を彼女が拒んだ。その日、二人の分身が死んだのだ。
「パーソナルデータ?」
書雨はきっと鈴鹿にそういう話を尋ねたかった。誰かと一緒にいるときに、自分は相手とコミュニケーションをとるために専用のモードを持っているようなときって、ないかって。
「女の人もそういうことすることない?」という言葉の選択はあまり適切ではなかった。4月の彼は自分がどういう状況におかれつつあり、「将来」置かれるかほとんど知らなかった。4月にわかっていた彼の語彙では言いたいことは伝わらない。だから、
「そっかそっか。女の人にもよるからね」と、鈴鹿は肩透かしな返事をして、すでに日本酒を3合飲んでいて、もうあまり話をまともに聞いていない。自分のことで手いっぱいで、他人のことには首を突っ込みたくないし、あなたやあなたの彼女の話を聞きたいわけじゃなくて話を振ったのは挨拶の代わりだったというふうに手を振った。去年、ワインの飲み過ぎで急性アルコール中毒で大学病院に二度運ばれたという彼女が酔っ払うといつもする同じ話をまたしていて、書雨はもうその話を聞くのは5回目だった。
「歩けなくなる前に帰ろうか」と彼から切り出して店を出ると、駅までの夜道に居酒屋とコンビニと24時間やっているファストフードの店の明かりが目立つ狭い道を歩きながら、
「就活すり減るよねー」と気持ちよさそうに鈴鹿が口にした。書雨は皐月と同じことを言うなと思って口に出さない。酔っ払って、感情が解放されて、もうあんまりこの人は話も聞いていないなと思うと、彼女がこのまま一人で帰ることができるかのほうが不安になった。駅の改札に降りる階段の前で鈴鹿を見送るつもりでいたが彼女は研究室で借りたスーラの画集をお守りみたいにきつく抱きしめていて、一度「じゃあね」と言ってから、帰らずまた戻って彼の薄いチェック柄の入った紺のジャケットの折られた袖を掴み、ちょっと歩かない? と言うのでコンビニでまた缶ビールを買って河川敷に降りた。会話はなく、まだ4月の寒い鴨川だった。ところどころにカップルがいて、表情が見えないくらいの暗闇で、本当にここまで付き合わせて申し訳ないと思っているけれど別に今彼氏が欲しいとか寂しいとかそういうのじゃないので、そこだけは勘違いしないでほしいと鈴鹿が独り言のように誰かへの言い訳を始めた。10分も座っていなかったと思うが、鈴鹿がほとんど一人で話していることが嫌になって書雨は帰ろうと言って立ち上がって再び駅まで連れていった。
中洲のところでどこかのサークルの歓迎会をやっていて、水辺から誰かが上がって、歩いて行くときにそれが全裸だと気がついた。数メートル離れた場所に人が集まっているので近くに寄ってみると、酔っ払いがオオサンショウウオが釣れたと叫んでいて、見てみるとそれはオオサンショウウオではなく私たちだった。
村崎悟は私たちを指差して、説明を始めた。
「猫ではない。どちらかというとバグのようなものだ」
彼はアメリカ人で、もう何年も前、あるいは何年も先に意識不明になっているがさっきから末海子の話の中には何度も登場しているし、今は話の中から悟の目の前に出てきてやっと私たちについての説明を開始してくれる。話の中から現実の人が出てくるという話は書雨も聞いたことがないので、そこで考えられる仮説というのは、彼が出てくるここもまた別の話の中であるということだ。
「それがなにかということをについて話すためには、あなたにも自分がなんなのか知ってもらう必要がある」
それより今は、なんでこんなことが可能なんだということのほうが知りたい。
「前に書雨くん言ってたじゃん、私が、他の人と違う時間の流れの中で生きてるみたいだよね」
「どういうことですか?」
「半分冗談だけど、半分本気だよ。時間って相対的なものだから」
最後には彼女は彼女と書雨がそうして別々の時間の中を時計の長針と短針のように時間を飛び超えるように歩いているのは、村崎悟に会うためだと教えてくれる。
「時計の針の喩えってまだ通じるよね」と言うが、それはいかにも未来から来た人間を気取る話し方だ。本当はこの異変について気づき、尋ねる機会が4月にもあった。君はそれを逃して、6月に再びそのチャンスを掴んだ。これが人生なら2回もチャンスがやってくるなんていうことは滅多にない。と言った。誰が? 言ったのは村崎悟だった。じゃあ、これは人生じゃないの? 人生じゃないとは言い難いが現実空間とも言い難い。ただ君たちと会うためにはこうするより他なかったんだ、と村崎悟は本を飛ばし読みして、ページをぱらぱらめくるみたいに二人を自分の居場所まで連れて行く。場所は全然変わっていないのに、ぱらぱら時間を飛び超える。村崎悟は6月のニュースを報告するために今まで6月で待っていた。合衆国の政府機関で派遣社員として働くエドワード・スノーデンという元CIAの20代の男性が仮病を使って仕事を休み、イギリスのガーディアン紙の記者二人とドキュメンタリー映画作家の女性を暗号で内容を隠したメールで香港のホテルに呼び出し、アメリカ国家安全保障局(NSA)による世界規模のハッキング事件についてリークした事件が世界中に報道されたのはその年の6月だった。ニュースでは合衆国政府機関がGoogle、アップル、マイクロソフト、AOL、アマゾンといった大手の通信会社に通信記録のデータの提供を強制し、「プリズム」と通信傍受ソフトを使って携帯電話やラップトップのあらゆるカメラを通じて市民の生活をハッキングし、中国やヨーロッパの政府関係者の通信を傍受しているという衝撃の事実が語られた。日本でも、発電所やガス、水道をはじめとした生活インフラの制御機構は軒並みこのハッキングの被害を日本政府の許可なしに受けており、米国政府がその気になればいつでも一方的に社会機能を停止できる状態にあるという。
法律で禁止されたはずの個人情報の特定は、法律を作るはずの政府組織によって秘密裏に行われていた。どれが誰だかわからない無数の幾何学模様の束だったデータたちにちゃんと名前をつけて呼んでいる人たちがいたのだ。通信機器とクレジットカードとラップトップやスマートフォンのカメラを通して、全てではなくとも人間の生活のいくらかの部分は管理させるようになりテクノロジーの発展と、社会インフラの更新がそのいくらかをほとんどにし、ほとんどはしばらく全てに近づいた。IT企業に集積され、政府によって統合可能にされたデータは、犯罪の起きやすい時刻や場所、環境を特定するAIの開発や、金融危機の予測に割り当てられるようになった。データによって全てが決まるわけでも、必ず予測が当たるわけでもなかったが科学に対する信頼に投資する企業はあとを絶たず、人類の次の一手を技術的に予測することに多大な投資をし続けた。
2015年にGoogle系列のイギリスの企業が開発したコンピュータ囲碁プログラムが囲碁の世界チャンピオンに勝利した。このプログラムはAIですらなかったが、大量のプロの棋士の手を真似ること、与えられた盤面からどの位置に次の石を置くべきか評価すること、他の展開の可能性を計算して次の展開を見極めることの三つの機能に基づき、ニューラルネットワークを通じて自らシミュレーションを繰り返し、事実上人間にはいまだかつて到達できなかったゲームの作法に到達した。
「多世界スケール(Muitiverse Time Scale)計画」と呼ばれるものの噂が囁かれ始めたの2025年ごろのことだ。複数の国家と複数の大企業が匿名かつ共同で2017年ごろに始めたとされるそのプロジェクトでは、監視カメラと通信、決済の記録から集めたデータをニューラルネットワークに読み込ませ、人間たちの社会生活そっくりで、少しずつ異なるシミュレーションを自動生成し、そのプログラムの計算に基づいて世界を設計するものだった。それは無数の可能世界を無限に創造し続けるプロジェクトと言えるかもしれない。しかし別に化学式から宇宙をつくっているわけでも、塩基配列から生物を作り出しているわけでもない。そこにあるのはお金と情報のやりとりだ。遺伝子も物理法則も関係ない。あるのは写真のような表層と写ったものたちの関係だけだった。
そんなことが本当に可能なんだろうか。多くの人がそんなものを信じなかった。技術的にも倫理的にも馬鹿げている。世界はボードゲームではないのだ。しかし、それを実現するのに全ての情報が必要なわけではない。自動的に足りない部分を補って生成できる情報の分量であれば、それは補われる。できあがる無数のシミュレーションはコピーではなく、現実世界をモデルにした少しずつばらばらの別の世界なのだ。
「ここが、そのシミュレーションの一つなのだ」と悟が言った。
話の中から現実の人が出てくるという話は聞いたことがないので、そこで考えられるのは、彼が出てくるここもまた別の話の中であるという結論だ。つまり彼は同じ情報空間の中のあるレベルから別のレベルに移動しただけなのだ。まるでファイルをフォルダから取り出すだけの作業のように。
「あなたにとって一番わかりやすい言い方をすれば、あなたがずっと現実空間だと思ってきたこれは、実は情報空間であり、それを例えばスーツを身につけているような違和感なしにこうして今体感しているというその事実が、あなたもまた情報の一つであるという証拠なんだ。言ってもわからないと思うので、それを体感してもらうために彼女に時間をスキップしながらここまできてもらった」
「では、なぜ僕はそれを知らなくてあなたたちはそれを知っているのか。どうしてそんな判断ができるのか」と書雨が尋ねた。悟は、自分と末海子がどうやってここまでたどりついたのか説明をはじめた。
末海子はここで言うところの現実世界の住人だった。母親と天満橋の実家で二人暮らしをしていた彼女は2015年に、父方の祖父の勧めで遠戚の10歳年長の男で見合い結婚した。遠戚ではあったが、彼女はこの笑島という男のことを子どものころから見知っていて、気のおける兄のように思っていた。笑島は元々省庁の役人をしていたが、最初に結婚した学生時代の同級生を病気で亡くしてからころっと気性が変わり、上司に願い出て実家に近い関西の本来は左遷部署である地方への配置換えを志願した。末海子との結婚を最初は喜んだ笑島も、なにを考えているかつかみどころのない彼女の振る舞いに次第に不安を覚えるようになり、彼女の交友関係に嫉妬した。笑島は、彼女と村崎悟が親しげに連絡を取り合うのが耐えられなくなった。
「それで笑島は末海子と無理心中しようとした」と言うと、彼女がすかさず、
「事故だよ」と遮った。いずれにしろそのせいで彼女が右腕の肘から先と右脚の足首から先と、顔面の右半分を失ったことは確かだった。彼女は昏睡状態に陥り、まるで棺桶のような生命維持装置に収容された。死んではいない。今でも笑島が高級な家政婦を何人か雇って手厚く看病している。じゃあ、今っていつ?
「彼女の事故の知らせを聞いて、緊急帰国した私こと村崎悟は彼女の崩れかけた鼻に改良した特製の『TUBER』を装着して、彼女の意識を情報空間へと導き、そこであの潜水艦の猫たちのデータをから改良に改良を重ねてつくった装置、つまり情報空間が身体を認識するための容れ物、情報空間の中でばらばらの数値がばらばらにならずに情報になった彼女が自分を自分だと認識できるようにするための発明品に乗せて送り出した。
それを「バステト」と名付けたのは、一つには猫たちが由来であり、もう一つには古代エジプトのミイラにちなんで彼女をこの世とは別の世界に送り出したのだ」という村崎悟の説明は大まかに起きたことについては正しいが、それは必ずしもすべて彼の手柄ではなく、「TUBER」の発明にも、「バステト」の発明にも一人の人間がやったことにしては無理があるし、意識のない人間に一方的にそんなうまくいくかもわからない装置を一方的に装着することはほとんど犯罪的である。それにそのときには彼自身のほうがすでにこの世にはいなかった可能性も高い。何人かの、彼かもしくは彼でない人たちによるものだったと見た方が
正しいはずだ。しかし、誰かが確かにそれをやった。
VRインターネットというものは存在しないが、末海子をのせた「バステト」は行き着く先を探し、いつかのそれが実現された未来で、実現されたときにはそのような名前ではなかったかもしれないが、その時代の「多世界スケール計画」にたどり着く。単なる都市伝説かも知れないと思われていたことが幸か不幸か、もしかしたら誰も知らない場所で実現している。情報空間とは言っても、彼女が彼女の同一性を保ったまま発言できる身体は彼女のそれしかなく、まるでグーグルマップのストリートビューに写り込んだ人影の中に、顔の隠された自分にしか自分だとわからない自分の写真を見つけるように、彼女はプログラムが自動生成する多層の情報世界の中に少しずつ違う自分を見つけ出す。それが最初の転生のシミュレーションで、それから彼女は少しずつ異なる世界で、何度も同じ年の日に事故に遭って昏睡し、何度も転生する。情報としてばらばらに散らばらない代わりに彼女は彼女にしかなれない。彼女が何度事故に遭ってもまた無事に転生できるようにアテンド用のプログラムとして村崎悟はそこにいる。彼は本物の村崎悟の意識ではないかもしれないが、本物の彼を元に作られたなにかしらのプログラムであることは確かだ。そして、彼と末海子の天性を可能にする「TUBER」と「バステト」こそが二人の見知らぬ協力者たちの結晶だった。
ずっと黙っている書雨に悟が「自分がデータだったことがそんなにショックか」と尋ねた。悟の言葉に不服そうに反応して末海子が、「悟さん、そろそろこの子がなんで『猫』が見えるのか教えてくれませんか」と話題を変える。悟は、「そんなことわかるわけないだろ」と答えた。なんで見えるかはわからない。しかし、彼が何かの役目を持ってここに送り込まれてきていて、その役目が何であるかを悟はなんとなく知っていた。
「その事故はいつ、どこで起きるんですか」と、久しぶりに口を開いた書雨の口は単なる情報だとしても乾いて声が枯れていた。
「え?」と村崎が言って、
「2019年4月1日東山五条の交差点」と末海子が答えた。
書雨がこうして自分が生身の人間ではないことを自覚すると、2013年の6月の元の生活にもどり7月と8月を皐月と別れたことのショックに浸って飲まず食わずで過ごし、そのうちに食事も、排泄も、睡眠も取らなくなり、そうして2019年4月1日を迎え、彼は末海子を乗せた笑島の車に何かの乗り物で体当たりして、予定通り事故が起きることを阻止するだろうと悟は知っていた。その世界では末海子は昏睡することなく生き残る。ただもし書雨がそういう役割を担っていると末海子が知れば、彼女はそれを阻止しようとする。彼女は新しい人生も、変化も、未来も、終わりも、始まりも望んでいない。書雨が彼女に未来を与えれば彼女は絶望するだろう。そのことについて何を答えようか迷う悟が私たちのほうに目を向けた。
お前もプログラムだとは思っていたが所詮人の子だな。私たちがただのこのプログラムの無害なバグだとお前が一番よく知っているはずなのに、がっかりだ。いつから神か悪魔かにすがるような目でこっちを見るようになった。私たちには正体も、意味も、役割もないということにどうしてお前らはこうも耐えられない。
「インターネットは自由を奪う ー<無料>というおとし穴」アンドリュー・キーン、2017年、早川書房
「WTF経済 絶望または驚異の未来と我々の選択」ティム・オライリー、2019年、オライリージャパン
「ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか」ピーター・ティール、2014年、NHK出版
「言語学入門」斎藤純男、2010年、三省堂
「どもる体」伊藤亜紗、2018年、医学書院
「私的なものへの配慮 No.3」笠井康平、2018年、いぬのせなか座
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