梗 概
天架ける星
舞台は銀河と銀河の間にある孤独な惑星。人々は豊かな土地と農産物を糧に不自由なく暮らしている。太陽の他に星は無く夜の世界は暗黒に包まれる。
主人公の少女と少年は科学学校に通う幼馴染み。少女は探究心が強く科学者に憧れ少年は安定を望み農家を継ごうとしている。少女は無鉄砲な性格で幼い頃命を落としかけたが少年に助けられたことで少年に恋心を抱いている。
二人は学校で世界の仕組みを学ぶ。この世界は球体で太陽はその周りを公転しておりその輝きは水素の核融合であることが知られていた。
夜空を望遠鏡で覗くと微かに光る渦巻きがあった。それは古代の壁画に描かれた神の住む世界にそっくりだった。伝説によればかつて神の世界から箱船が救済に来たというが少女は非科学的だとして信じなかった。少年は神のおかげでこの世界があるといい箱船の再来を信じていた。
あるとき少女は太陽が暗くなっているという噂を聞く。太陽が輝きを失っていけば世界は寒冷化し農作物が育たなくなってしまう。少年は太陽は永遠に世界を照らすと信じて疑わない。少女はそんなことはありえないと言って少年と言い争う。
少女が科学学校を主席で卒業するころ、世界初の太陽探査機が打ち上げられる。初めて太陽の裏側を見た科学者はそこに輝く球面ではなく平坦な機械の地面を発見する。太陽は何者かが作った世界を照らす照明装置だった。
少女は太陽の有人探査に名乗り出てその探求心の高さから飛行士に選ばれる。少年は太陽探査は神への冒涜であり辞めるように諭すが少女は考えを変えない。夕日に染まる浜辺で少年は少女の身が心配だと本心を伝え諦めてくれという。少女も少年への恋心を告白し感謝を伝える。だがこの世界の秘密を知りたいから行かせて欲しいと頼む。
探査船で太陽の裏側に着陸した少女が見たのは伝説の神の世界、すなわち彼方の銀河とそこから来る宇宙船の映像だった。
この惑星の正体は高度文明が発明した空間跳躍航法の中継地点であった。空間跳躍航法の座標には生命が宿る惑星の低エントロピー場が必要である。この世界は銀河間を移動するために意図的に生命を宿された惑星だった。太陽は惑星の生命を維持するための人工衛星でその水素は定期的に補給船が補充していたが、高度文明の滅亡により枯渇しようとしていた。映像は探査船を作れるほどに発達した文明が惑星上で誕生した場合に高度文明の存在を伝えるために用意されていたものだった。示された補給の周期はとうに過ぎていることがわかり皆が絶望する中、少女は離脱ぎりぎりまで諦めず救難信号ボタンを発見し押す。はたして遙かな銀河から無人の補給船が現れて水素が補充され太陽は輝きを取り戻す。高度文明は滅びたが補給船の人工知能が信号に応答したのだった。
補給船の人工知能は惑星での文明誕生を喜び現地人に銀河への旅の同行を認める。少女は立候補し少年に必ず帰ると約束して銀河へ旅立つ。
文字数:1199
内容に関するアピール
本作では究極の辺境の暮らしとして銀河間空間にある惑星を思い描きました。
周囲に何もない銀河間空間にある孤立した惑星と太陽。そこに暮らす主人公が世界の謎を解く物語です。
銀河の高度文明が発明した空間を瞬時に移動する跳躍航法には始点と終点の座標が必要で、その座標には生命を宿す惑星の低エントロピー場が必要という設定です。この理由により銀河中の生命がいる惑星同士は空間跳躍航法によって結ばれています。しかし銀河間を跳躍するには距離が遠すぎるため、その中継地点として高度文明がはるか昔に人工的に設置したのが本作の舞台となる惑星です。高度文明は銀河間空間を漂う浮遊惑星を銀河同士の中点に停止させ、人工太陽を付設し惑星を生命を宿す環境に改造しました。
実作では補給が止まり静かに死にゆく世界の保守性(少年)と、科学の力で死に抗おうとする世界の希望(少女)を宇宙の辺境を舞台に描きたいと思います。
文字数:392
天架ける星
太陽がこの星を完全な円軌道で公転していることは今や明らかでありそれが宇宙の全てである。ただ神々の世界を除いては。
[1680年 セリオス・ファレン 天文学者]
近代科学史年表(中等課程教本より抜粋)
1680年 | 天動説の観測的実証 |
1722年 | 万有引力の発見 |
1955年 | 蒸気機関の実用化 |
2015年 | 電灯・電信の実用化 |
2080年 | 原子核の発見 |
2084年 | 核融合の発見 |
2108年 | 初の人工衛星打ち上げ |
「さて今年も収穫の時期が近づいてきました。みなさん、収穫は1年にちょうど1回行われますがこれはどうしてでしょう?」
良く晴れた日、快晴の空に太陽が南中し広場の木々に短い影を作っている。ここは中央修学所の初等課程の教室で生徒40人が社会の授業を聞いていた。先生の質問に真っ先にノクトが答える。
「はい、先生。それは1回の収穫サイクルを1年と決めたからです!」
「はいノクト、そのとおりです。約300日の収穫周期にあわせて昔の人が1年という暦を決めました。最初は実際の収穫時期に年を更新していましたが年によって数日多かったり少なかったりするので今ではぴったり300日を1年としています」
ノクトが満足そうにうなずく。
「では暦について問題です。今年は天舟暦2109年ですが天舟暦元年には何があったでしょう」
すかさずまたノクトが答える。
「はい、先生。神様の箱舟がこの世界にやってきました」
そこへリナスが横やりをいれた。
「ばかばかしい。ただの神話でしょ」
「ちゃんと証拠があるんだよ!」
「古文書でね。2000年以上も前に書かれたことなんてだいたい空想よ。それに神様が本当に来たとしてわざわざ何をしに来たのかわからないでしょ」
「それは……」
そう言われてノクトは言葉に詰まった。たしかに古文書には天から神が世界の救済にやってきたと書かれていたが具体的に何をしたという記述はなかった。箱舟は彼方からやってきてただ太陽の裏側を通り過ぎ、立ち去ったとされていた。
「はい、二人ともやめなさい。ノクトの言うとおり神様が箱舟にやってきた年を元年としたのが天舟暦の始まりです。リナス、箱舟の降臨は空想ではありませんよ。先生は神様が来てくれたと信じています。そのとき神様がどのように世界を救済したかは神学の分野でたくさん研究がされていますからぜひ中等課程で勉強してくださいね。さて今日はここまでにしましょう。宿題を出しますから忘れずにやってきてください」
最後の言葉に生徒たちから悲鳴があがった。
リナスはこういう大人の態度が気にくわなかった。神の盲信と懐疑心の欠如。ただ無理もない……この世界はあまりにも完全で平穏だ。豊かな海と緑、肥沃な土地、安定した気候のおかげでこの星の住民たちは太古の時代から不自由なく暮らしてきた。神様の加護の元に。リナスはまだ少女であったが世界に対するそういう大人の割り切りがあることを理解はしていた。でも勉強すればするほど神の存在への疑いとこの世界への探究心は増すばかりであった。
授業が終わりノクトとリナスは中央区画から電動列車に乗り帰路についた。
「ねぇ、来年は中等課程だね。ノクトはコースはどうするの?」
「僕は神学を勉強したいけど、親は農学コースにいけってさ」
「えー、絶対やりたいことをやったほうがいいよ。親の言うことなんて聞かないでさ」
「でも中等課程を卒業したら家の農業を継ぐから農学を勉強しておいたほうがいいんだ」
「親の言いなりなんてつまらないじゃない。ノクトはまじめすぎるのよ」
ノクトは今日二回目のいらだちを覚えた。
「別に言いなりじゃないよ。農家になるのは嫌じゃない。リナスはどうしてそうやって何でも突っかかるの?」
「私は別に……」
「それでリナスはコースは決めたの?」
「私は絶対科学コース! 高等課程で天文学を研究したいから」
「そっか。リナスは科学の成績いいもんね。よい天文学者になれると思うよ」
「ありがとう」
ノクトは何だって否定しないいいやつだ。天文学には二つしか研究対象がなく新規性がない学問と言われてしまっている。それは太陽か《神々の世界》のどちらかだった。太陽が沈むと夜空は暗闇に包まれるが望遠鏡を暗黒の彼方に向けると微かに光を放つその天体、《神々の世界》が見えた。伝説で神々が住むと言われる渦巻き状の雲。確かに神秘だけどそこから神様が来たっていう証拠はない。リナスはその正体を知りたかった。
ノクトも科学コースにいけばいいのに……リナスは幼い頃からずっと一緒だったノクトと離れると思うと心が穏やかではなかった。リナスが次の言葉を探して黙っているとノクトが話題を変えた。
「そういえば、再来年だっけ、太陽探査機の打ち上げ」
「え、うん。そうだね。」
「それは太陽の何を調べるの?」
「まだ誰も見たことがない太陽の裏側を観測するのが目的ね」
「リナスは天文学者になって太陽の研究をするの?」
「私が興味があるのは《神々の世界》よ。ノクトも聞いたことがあるでしょう。《神々の世界》の光は無数の太陽の集まりなんじゃないかって仮説」
「壮大な話だね。リナスらしい」
「そうでしょ」
「でもさ、《神々の世界》はすごくすごく遠いよ。太陽のように探査機は飛ばせないでしょう。どうやって調べるの?」
「そうね。だから今よりもっと大きな望遠鏡を作るのよ」
「そっか。神様が見えたら教えて欲しいな」
「うん。そうする」
リナスはノクトのほうを見た。
「ね、今後の休みにノクトの農場で望遠鏡で夜空を見ようよ」
「いいよ! 《神々の世界》」を見るのは久しぶりだなぁ」
「うん、今は携帯用の望遠鏡でも結構綺麗に見えるよ」
リナスは小躍りした。ノクトと遊びに行くのは久しぶりだった。
3年後。
世界初の太陽探査機は太陽の軌道半径を超えてその裏側の撮影に成功した。太陽が水素ガス(水を構成する第一番元素)の核融合で光を放つ天体であることはその波長分析により知られていたが常に同じ面をこの星に向けているように見えた。つまりその公転周期と自転周期が一致していることになるがその理由が不明であった。その密度分布に偏りがあるというのが科学者たちの仮説であったが均一なはずのガス天体でなぜそうなるのかを調べるのが探査の主な目的であった。
ところが科学者たちが探査機から送られた画像に見たものは、輝く太陽球面ではなく冷たい平坦な地表だった。その表面は規則的な網目模様の巨大な金属質のパネルに覆われていて、まるで巨人が作った広場のようだった。太陽のまぶしく輝く球面の表側と平坦な裏側の境界は複雑な機械構造のリングがその全周を被っていて、姿勢制御に用いられると思われる無数の推進装置が円周に並んでいた。太陽は球体ではなく、平たい皿の上に丸く膨らんだパンのような形でそれはまるで……この星を回転しながら照らし続ける天井灯だった。それも大きさが一つの大陸ほどもある巨大な照明設備である。
一変したこの世界の描像は科学者と神学者を大いに困惑させた。この星は球体でその形状は重力によって形成、安定していることは明らかであり、太陽も同様だと思われていたのだから。それは明らかに自然物ではなく、意図をもってこの星を照らす人工衛星であった。
誰が太陽を作ったのか。神学者にとってそれは神以外に考えられなかった。その裏の地表を調べれば神々の痕跡があるに違いない。科学者たちは有人太陽着陸計画を立案したが神学者たちはもはや神聖な領域となった太陽の大地を犯す事に断固として反対した。
リナスは子供のころノクトと家族同士でキャンプに出かけた。見晴らしの良い草原に川が流れていてその近くに家族は天幕を張り食事の準備をした。
リナスは好奇心に駆られ荷物を降ろすなり川辺へと駆け出した。風は穏やかで太陽の光が水面にきらきらと反射している。川の中に小さな中洲がありリナスはそこまで渡ってみようとした。
「やめときなよ、滑って危ないよ」とノクトが言ったがリナスは聞かなかった。
「平気だよ、見てて!」
リナスは川の中に入り冷たさに声を上げながら笑った。それを見たノクトも笑う。しかし中州まで数歩というところまで進んだときリナスは滑って体勢を崩し、水に引き込まれた。
「リナス!」
ノクトは叫びながら川へ飛び込んだ。中州付近の水の流れは思ったより速くリナスは簡単に流されていた。ノクトは泳いで彼女の手を掴んだ。何とか岸に這い上がった二人は草の上に倒れ込む。
「リナス、大丈夫?」
「あ、ありがとうノクト」
寝転んで雲の合間の太陽を見つめる二人。その日からリナスの中でノクトが少しだけ特別になったのだった。
リナスは久しぶりにノクトを尋ねた。中等科の最後の農業実習を終えたノクトは休暇中に休む間もなく郊外にある実家の農業を手伝っていた。
「やあリナス。聞いたよ! 主席で高等科に進学するんだってね。おめでとう」
「うん、どうもありがとう。ノクトはすっかり農家って感じね」
「はは。親はまだまだだって言ってるけどね。中等科を卒業したらまず一区画を任せてもらう予定だよ」
リナスはたくましく成長したノクトが眩しく、ともに望遠鏡を覗き合ったあのころが遠い昔のように感じた。
「いまは太陽観測探査機の話でもちきりだね。まさか太陽そのものが神様に作られたものだったなんて」
「そうね。神様かどうかわからないけど誰かが作ったのは間違いない。いま私が教わっている先生は最近の《神々の世界》の観測結果から太陽が誰かに作られたものではないかと提唱していたの。さすがにそんなことはありえないと思っていたけどまさかそのとおりだったわ」
「え、どういうこと?」
「太陽は水素からできているでしょう。あ、今は太陽の表側は、というべきね。《神々の世界》から届く微かな光も分光分析という手法を使うとその化学組成がわかるようになってきたの。新しい望遠鏡でね」
「へぇー。すごいなぁ」
「それで、《神々の世界》も水素から構成される光る天体の集まりだってことがわかったんだけど、水素よりもっと重い元素がいくつも観測されたの。長い時間をかけて核融合が連鎖していくとどんどん重い元素が合成される、ということが実証されたわ」
「どれくらい長い時間?」
「少なくとも数億年。私の先生は《神々の世界》の天体はそれよりもっと古いと考えている」
「神様の世界は永遠の昔からあるからね」
「……逆に言えば核融合連鎖による重い元素が存在しない私たちの太陽は、意図的に最近になって水素だけで核融合するように作られたものではないかということ。太陽の大きさから考えても数億年以上もの長い時間核融合する水素はなさそうだった。それがまさに太陽探査機によって証明されたわけ」
「意図的に最近になって……」
リナスはノクトが自分の話をちゃんと理解しているかその表情を伺った。
「でもさ、そんなはずはないよ。太陽はずっとこの星を照らしてきたんだから」
「ずっと、ってどれくらい?」
「えっとずっと昔だよ、少なくとも《神々の世界》と同じぐらいだよ」
「そうねぇ。そこは神学と科学の間に見解の相違があると思うけど……この星の地質学的見地からして数億年以上前から世界は存在するのは間違いない」
「だとすると太陽が最近作られたというのはおかしいね」
「そういうことになる」
「それについてリナスは何か考えてそうだね」
「そうよ」
リナスは太陽を見上げていった。
「太陽はずっと昔からあるはずなのに最近作られたように見える。それがおかしいのよ」
その後、リナスは順調に高等科を卒業し天文学の研究職についた。科学界は引き続き太陽探査を推進しようとしたが神学界に加えて産業界、農業界も反対して計画は遅々として進まなかった。太陽を調べることは神への冒涜であるというだけでなく、そもそも必要が無い、というのがこの星の文化的な見識の主流だった。太陽は今日も東の空から上り、世界を明るく照らし、我々に豊かな人生を提供してくれている。わざわざ何を調べる必要があろうか。リナスは太陽を有人探査することの神学上の意義を訴える論文を書いたが世論は変わらなかった。しかしこの世界に初めて不穏なニュースが流れると世間の空気は変わった。
太陽が暗くなっていた。
太陽の明るさ変化はわずかであったが大騒ぎになった。観測以来今まで太陽の明るさは変わらなかったからだ。もしも太陽が暗くなり続ければ収穫に影響が出て、世界は寒冷化してしまう。科学界は今こそ太陽探査をすべきとして有人太陽着陸計画を復活させた。神学界はこの必要をしぶしぶ認めた。ただし神聖な神の領域を不必要に侵さぬべしと物言いがついた。
有人探査の宇宙飛行士が公募されるとリナスは迷わず応募した。リナスは採用試験で信仰心のなさが問題視されたが天文学者としての能力を評価され、なによりその探求心を買われて合格となった。
「ねぇ、リナス、太陽に行くのはやめなよ」
祝福されると思っていたリナスはノクトにそう言われてびっくりした。
「どうして?」
「僕はやっぱり神聖な領域に足を踏み入れるべきじゃないと思う。どんなことが起きるかわからないし神様を冒涜することになるよ」
「冒涜なんかにはならないわ。どうしてそんなふうにいうの? ノクト、太陽が暗くなってるの。何か問題が起きているのよ。何ができるかわからないけど行ってみないといけないのよ」
「……リナス」
この日は珍しくノクトのほうからリナスを誘い、中央区画を挟んでノクトの農場と反対側にある海辺の食堂に来ていた。太陽が水平線に沈みかけ空を夕焼けに染めていた。
「宇宙船に乗って太陽に行くなんて危険だから……。リナスが行くことはないよ。リナスは天文学者だ。他の誰かに任せればいいじゃないか」
「いいえ、ノクト。私は行きたい。この世界の秘密がそこにあるんだもの」
「リナス、僕は君のことが心配なんだよ」
「ノクト……」
リナスは夕焼けに染まる海を背にしてノクトの前に立った。ノクトの顔に迷いと不安がいっぱいに広がっているのがわかる。
「太陽に行くのは私も怖い。それでも行きたい。人生でたった一度しかないチャンスだから……ノクトに応援してほしい」
ノクトは黙ってリナスと太陽を見つめている。
「ノクト、私あなたのことが好き。ノクトが待っていてくれるなら私はきっと帰って来られる」
ノクトは小さく頷いた。太陽が水平線に沈み街のほうから冷たい風が吹き始めた。
太陽遷移軌道投入二日目。太陽着陸船は太陽の裏側に降下していた。軌道上に残した通信船が無線中継して地上管制と連絡を取る。太陽の裏側では、強烈な表側の閃光が漏れ出た水素ガスに散乱し周囲を淡い光で包んでいた。太陽の地表を間近で見たリナスは息をのむ。つい昨日舗装されたと言われても不思議ではない金属パネルが表面に整然と敷き詰められて永い間来訪者を待っていたのだ。リナスは感嘆した。こんな巨大な構造物を作るなんてなんて技術力なんだろう。
着陸目標地点は太陽地表の中心地点でそこには構造物があり、太陽に関する情報が得られるのではないかと期待されていた。太陽着陸船は微小重力下の太陽表面に着陸した。乗員たちは船外活動を開始する。軌道上からは小さな建物に見えた構造物は巨大なタワーであり、入口と思われる開口部が四方に設置されていた。
「こちら太陽探査隊。これより中央構造物に入る」
探査隊隊長がそう宣言し、一行はタワーに入った。開口部は巨大で天井は高かった。まるでここを訪れるのは巨人だとあらかじめ決まっているようだった。
「太陽を本当に神様が設計したのだとしたら……神様の体形に合わせたのかな。神様が小人だったらこうして調べられなかったのかも」
リナスは一人考えながら一行と歩いていた。タワー状の外見に反して構造物の内部は上ではなく下につながっていた。巨大な階段を慎重に降りていく太陽探査隊。建物内部の壁面は微かに光っているようで照明が無くても周囲をある程度見渡すことができた。階段を降り切るとそこは広場になっていて中央に円形の台座がせりあがっていた。周囲の壁面には別の部屋への複数の入り口があるようだった。
探査隊が円形台座を取り囲むとその中心から光があふれた。
「なんだ」
「周囲を警戒しろ」隊長が後ろを振り向きながら台座に近づいた。
「三次元映像じゃないかしら」
リナスは台座の上にせりあがってくる光る球体を見つめた。それは空間上に投影された自分たちの星だった。よく見ると大陸や海、雲が映っている。川や緑地帯、入江なども見えたが見慣れた中央市街地は見当たらなかった。どうやって何もない空間に映像を映しているのだろう。リナスがさらに近づいたとき、星が小さくなりそしてその周りに太陽、今自分たちが立っている人工衛星が回っている姿が映った。カメラがズームアウトしたようだった。そこに遠くから小さい水滴のような粒が近づいてきた。粒は星に近づくにつれて大きくなり、太陽の直径の半分ぐらいになった。やがてその粒は太陽裏側のタワーにドッキングしたように見えた。
「神様の箱舟……」
同行した神学者が恍惚として呟いた。リナスも同じことを思った。これはまさに古文書に書かれたとおりの出来事ではないだろうか。しばらく見ていると箱舟、水滴型の宇宙船は太陽を離れて飛び去って行った。その後三次元映像は箱舟の来訪を繰り返し映し出した。
別の部屋にもそれぞれ映像を投影する台座があることがわかり探査隊は順次確認と記録を取っていった。ある部屋でリナスは高速で星を公転する太陽と繰り返し太陽を訪れる宇宙船の映像を見た。宇宙船が太陽を訪れる周期は一定していて、表示された数字と思われる文字を解析するとそれは1943年周期だった。
複数の映像を確認した太陽探査隊はこれは神様の箱舟が太陽を訪れる記録であること、箱舟は太陽に水素を補給しているようであること、その来訪周期は一定していて1943年周期であることを特定した。
「しかし分かりやすい映像だ。まるで教材だな」隊長がつぶやいた。
「実際、教材なんじゃあないですかね」副隊長が中央の台座を触りながら答える。
「誰に向けただ」
「私たちに」リナスが答える。
そう、これはこの星に住む住人が太陽を訪れることを期待した教材映像ではないのか。だが何のために……。
「残念ながらそろそろ着陸船に戻る時間だ」隊長が探査隊の皆に無線で伝えた。
「記録を終えて戻ってくれ。映像や文字の解析は後ほど行う」
地下室を出ようとしたとき、リナスはハッとして神学者のほうを見た。
「今年は天舟暦2115年よ」
神学者はリナスを見つめ返す。
「そうだ。前回神様の箱舟が来たときに暦が作られたからね」
「うん、だから……。どうして天舟歴1943年に次の箱舟が来ていないの?」
神学者は黙ってリナスを見た。隊長が無線で呼びかけてきた。
「どうした、リナス」
箱舟が水素の補給船だとすれば、次の周期に来るべき補給が来ていないのだ。リナスは探査隊に伝えた。
「太陽が暗くなっているのは、補給がされずに水素が枯渇してきているからではないでしょうか……」
これまで見た記録映像を踏まえるともっともな解釈に聞こえた。
「そんなことありえない」
神学者が言った。
「神様が作った世界だぞ。ありえない」
リナスは言った。
「神様がもういないとしたら……?」
「リナス、もう行くぞ! 分析は着陸船に戻って話そう」
「まだよ。隊長。何か、あるはずです。この映像たちは我々へのメッセージ。何か現状を伝える方法が」
そういうとリナスは引き返し、中央台座の周りを探った。
「リナス、時間切れだ。空気がもう持たない」
隊長がリナスの手をつかんだとき、リナスはもう片方の手で三次元映像の星をつかんだ。映像が消え台座中央付近に半透明のプレートが出現していた。すかさずリナスはそのプレートに手を置き叫んでいた。
「助けて! 私たちの太陽が消えてしまう!」
そのときプレートが赤く明滅するのを一同は見た。
中央構造物を出た探査隊は着陸船の頭上を覆う巨大な物体を目にした。それは淡い光を散乱する水素ガスに取り囲まれて巨大な海鯨のようだった。
「それで、隊長が腰を抜かしたのよ」
リナスが笑いながら説明をしている。
「そりゃあ太陽の半分の大きさの宇宙船だもんね、腰を抜かすよ」
ノクトがリナスの話を聞いている。ここは子どものころ二人で望遠鏡を見た農場の一画にある見晴らし台だった。
「みんなで隊長を抱えて着陸船に押し込んだわ」
この話を聞くのは3回目だがノクトも笑って聞いていた。
「リナスが最後に着陸船に戻ったんだよね」
「そう。そうしたら」
突然現れた宇宙船から小さい水滴の形をした機械が下りてきて太陽探査隊に無線で話しかけてきた。水滴はこの宇宙船に搭載された人工知能でリナスたちの言語を理解していた。水滴の説明によればこの星の正体は高度文明が発明した空間跳躍航法の中継地点であった。空間跳躍航法の座標には生命が宿る星の低エントロピー場が必要である。この世界は《神々の世界》間を移動するために意図的に生命を宿された星だった。太陽は星の生命を維持するための人工衛星でその水素は定期的に補給船が補充していたが、高度文明の滅亡により枯渇しようとしていた。リナスたちが見た三次元映像は探査船を作れるほどに発達した文明が星で誕生した場合に高度文明の存在を伝えるために用意されていたものだった。
「リナスが触れたのが救難信号の発信機だったんだね」
「そう。本当は普通に話しかければ発信機は出たらしいんだけど、真空中の部屋で話しかけようとは思わないよねぇ」
リナスの救難により遙かな《神々の世界》から無人の補給船が数百万光年の空間を跳躍して出現した。水素が補充されると太陽は輝きを取り戻した。高度文明は滅びたが補給船の人工知能が信号に応答したのだった。補給船の人工知能はこの星での文明誕生を喜び数人の住民に《神々の世界》への帰路に同行を認めた。
「じゃあ、そろそろ。行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
「必ず戻ってくるから、待っててねノクト」
リナスはそういうとノクトを抱きしめた。
ノクトはその温もりを胸に刻みながら小さくうなずいた。
「神様を見たら必ず教えてね」
文字数:9035