オフライン部族、最強説。

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梗 概

オフライン部族、最強説。

銀河連邦歴3402年、すべての知的生命体は「マザーリンク」という超AIに人生を管理されていた。朝起きる時間から、今晩誰とデートするか、今日の気分に合ったランチのカロリーまで、マザー様が全部お世話してくれる完璧世界。

そんな中、「ザグ・イェル第七衛星」の辺境に暮らす未接続部族〈カ・ブン族〉が、ネットもAIも一切使わず、なぜか健康で幸福度も高く、しかも寿命が長いという、超逆張りな生き方をしていることが判明。

銀河政府は焦った。「いや、バグじゃん」「リンクなしで幸せとか、思想テロでしょ」と民衆は騒いだ。そして、マザーが怒った。マザーは直ちに、エリート調査員ヴァナ=メイ(超意識高い系女子)を現地派遣。彼女の任務は、「部族に、リンク生活の効率性や快適さを説明し、最終的にはリンクに接続させる」こと。使命感に燃え、「ザグ・イェル第七衛星」の辺境の地へと向かうヴァナ。

ヴァナは、事前にマザーに相談し、リンクしていない部族との接し方マニュアルを作っていた。マザーに管理されていない人類=ほぼゴリラ、とマザーはカ・ブン族のことを結論付けていた。つまり、多少の知性はあるが本能に支配された野蛮人ということだ。ヴァナは、機関の保管庫からマザー誕生以前に使用されていた麻酔銃という武器を持たされている。「どうしても意思疎通ができない場合は、部族の首長を麻酔銃で捕獲し、連行せよ」というマザーの指示がでているのだ。おそらく、マザーは首長を洗脳し、部族に送り返し、この辺境の土地にマザーリンクシステムを導入させるつもりなのだろう。

「部族の進化のためだもの」

マザーは正しい。マザーに任せておけば問題ない。ヴァナはカ・ブン族の村に乗り込んだ。

カ・ブン族は火で料理し、会話で情報交換し、感情は自分で処理し、たまに神に相談しつつもけっこう合理的な生活を送っている。その日の気分で歌ったり踊ったり。時には喧嘩したり議論を続けたり。初めは、無駄だらけの部族の生活にあきれ果てていたヴァナだが、部族一人一人の個性や、予測不能な生活に魅了されていく。

そして、マザーリンクに頼りきった故郷の生活を振り返るヴァナ。AIの気分ひとつで会社をクビになり、恋愛もマッチングアプリであらかじめ相性の良い相手が与えられ、買い物も音楽もAIが勝手に選んでくれる。四六時中マザーに管理され、考える力を失い、心を乱されるような事件も起きない。それは、果たして正しい生き方なのだろうか?

「迷い」という今まで感じたことのない感情を抱きながら、ヴァナは使命のために、カ・ブン族の若き首長カイ・メイ(スマホ持ってないけど哲学者)と対話する。ヴァナがここに来た目的と部族の意志を尋ねると、首長から衝撃の事実が。なんと、銀河政府のマザーシステムの生みの親は、カ・ブン族だったのだ。

「あなたが来たことで、私の使命が発動しました。マザーの計画通り、私を銀河政府に連行してください」

先祖代々告げられてきた使命、それはマザーシステムを壊し、人類を解き放つことだという。

マザーにリンクしながら、マザーを壊す男を手助けするという不測の事態に陥るヴァナ。カイと行動を共にするうちに、マッチングアプリでは得ることのできなかった恋心も芽生え、ヴァナは初めてマザーに反抗する。そして、マザーリンクシステムが崩壊する。ヴァナのマザーからの自立こそが、マザーリンク崩壊の鍵だったのだ。

文字数:1394

内容に関するアピール

銀河連邦歴3402年における「ザグ・イェル第七衛星」の辺境の地は、現代の田舎町のようなイメージです。今現在あたりまえにある街の景色を辺境として描写します。

裏テーマは、超AI『マザーリンク』=子どもを支配する母親に見立てて、毒親の支配下にあった娘の親離れの物語。

主人公の目線を通して、楽しく描いていきたいと思います。

 

文字数:157

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オフライン部族、最強説。

潮騒の音。微細な重力波が人工海面の砂浜に打ち寄せ、透明な水が脚を撫でる。波が引くたびに、何か大切なものが向こう側へ運ばれていく気がする。大切なものとは何だろう? 私は、何を忘れてきたのだろう?
 
「リセットケア:レベル3終了。起床サイクルに入ります」
柔らかいさざ波の音がフェードアウトし、睡眠支援AIの声が、聴覚チャンネルに直接流れ込む。
カプセル型睡眠装置〈スリープモジュールVer.19g〉がスライド開閉し、冷却ゲルが熱を逃がす。視界が徐々に明転し、メイド服を着たピコの姿が現れた。
「おはようございます、ヴァナ=メイ。血糖値、ストレスレベル、ホルモンバランス、全項目正常です」
ピコは、ナノスキンと生体模倣筋肉に覆われた使役アンドロイドだ。超高度人工知能マザーシステムとリンクして、人間の生活をサポートする。私は、電源を起動した際の『ピコ』っという電子音が可愛らしかったので、使役アンドロイド使用登録の際に、「ピコ」という名称を付けた。
「おはよう、ピコ」
私はスリープモジュールから身体を起こし、大きく背伸びをした。
「ストレスレベルが基準値を超えていましたが、クリアいたしました」
〈スリープモジュールVer.19g〉は、血液の老廃物を濾過し、脳波パターンから最適な記憶定着の自動処理まで行い、寝ている間に心身共にリカバー&リフレッシュしてくれるとてもありがたい装置だ。そのおかげで、起きた瞬間からすでに最高のコンディション。軽くストレッチをして、身支度のためにシャワーブースに入る。シャワーは音波式。0.8秒で全身を洗浄・乾燥。仕事用のスーツは、ピコが用意してくれた体温適応素材のパンツ・スーツ。今日のスーツの色は、ペパーミントグリーンで、ほのかにミントの香りがする。着替え終わるタイミングで、鈴の音が聞こえてきた。朝食が届いたのだ。
リビングのテラスに、静音エアフローをまとった半透明イエローの球状ポッドがふわりと降下してきた。ポッドの外殻は形状記憶ジェル素材で構成され、微細な光粒子が内部から脈打つように発光している。ピコが昨晩、ニューロリンク経由で事前オーダーしていた朝食パッケージが、磁気クッションを介してテラス床に投下される。配達を終えたポッドは、表面の弾性膜をプルプルと波打たせ、都市上空の宅配レーンへと静かに飛び去っていった。ピコはいつものようにパッケージを拾ってリビングに入り、テーブルにセットしたトレイに中身を並べ、スパイスたっぷりのミルクティーをいれてくれた。届いた朝食は、ハムサンドとイチジクのヨーグルト。
「今朝は、ヴァナの好きなものにしました。出張先の食事事情次第では、しばらく携帯食品になるかもしれないので」
出張先は、銀河の最果てにある辺境の星。オフライン状態になることをピコは心配している。もちろん私も不安だ。オフライン研修は受けたが、現場でそのスキルを上手くいかせるかどうか今から緊張している。
「ヴァナ、マイナス領域の感情を感知いたしました。いつものあの曲を再生しますか?」
「おねがい、ピコ。アゲアゲのあの曲を流して」
「了解です。認証:ヴァナ=メイ、タグ:”アゲアゲ”再生します」
ピコの耳の内部スピーカーから流れてきたのは、千年前の地球で生まれた楽曲、『君の瞳に恋してる(Can’t Take My Eyes Off You)』。数あるカヴァー曲の中で私のイチオシは、ボーイズ・タウン・ギャング。シンセストリングスのイントロにホーンセクションが加わり、サウンドに厚みがましていく。音楽に身をゆだねながら、私はハムサンドを片手にテラスに出て、空に浮かぶ丸い色とりどりのポッドを見上げる。大小様々なポッドが、プルプルと震えながら、ナビゲーションに基づいてそれぞれの戦況レーンを移動している。ポッドの色は、業種別に識別されている。黄色は宅配ポッド。緑色は通勤用の送迎ポッド。赤色は各地に点在するプラントへの物資輸送を行う配送ポッド。ピンク色は、保育センターなどの公共施設専用ポッド。レーンの一番最上部には、半透明なポッドたちが待機している。清掃用ポッドだ。人工オゾン層をクリーンに保ち、生活居住区の有機ゴミを夜のうちに除去するポッドだ。働き者なポッドたちの真ん丸な姿を見ていると、私もがんばらなくてはと気合が入る。気分が復活したところで、曲のサビに差し掛かる。
 
I love you, baby and if it’s quite alright
I need you, baby, to warm a lonely night
I love you, baby, trust in me when I say
 
私は歌を口ずさみながら、サンドイッチを頬張った。
 
※  ※  ※
 
私は、「ユニヴァース・コネクト」という銀河連邦最大手のテクノロジー・ソリューション企業の文化調査局第7支部所属の調査員だ。で「ユニヴァース・コネクト」は、銀河全域の情報インフラやマザーシステムの拡張計画を一手に担っており、私の主な仕事は、マザーシステムにオフラインな銀河辺境の部族を調査し、最適な接続計画を提案すること。オフラインで暮らしているなんて、私には想像もつかない。マザーとリンクすることで、疲労やストレスは、睡眠時に自動的に補正・除去される。各人に最適化された栄養設計と感情安定補助が施され、平等に教育を受け、誰もが能力に応じたの職業に就き、生涯にわたって「心身の安定」が保証される。
死の瞬間すらも、マザーの制御下で幸福と安堵のうちに迎えることができる。人類一人ひとりの思考・感情・経験は、個別アカウントに蓄積された上で、次世代の人格設計に活かされていく。私たちは、最後まで平和と安定をマザーシステムによって保障されているのだ。
さらに信じられないことに、資料によると、オフラインな部族は、18世紀の地球レベルの文明で生活しているという。そんな状態で、人々は健康で文化的な生活が遅れているのだろうか? 何としてもオンライン化へと導かなければならない。
「ユニヴァース・コネクト」第六管理棟の転送センターへと向かう頃には、使命感とやる気に満ちていた。マザーシステムの選択に間違いはない。私が調査官として選ばれたのは、そういうことだ。
「文化調査局第7支部・調査員 ヴァナ=メイ。個体番号VM-43192、認証しました。移動の準備ができています。ワープ安定剤をどうぞ」
ゲートを通過すると同時に個人認証がチェックされ、ツナギの作業服を来た使役アンドロイドが淡黄色の液体が入ったナノグラスカップを運んできた。私はそれを受け取り、一気に飲み干す。安定剤のベースは合成レモンエキスだが、ワープナノ粒子の苦味は隠しきれない。とはいえ、これを飲まなければ空間転位酔いに三日は苦しむ。私が顔をしかめると、使役アンドロイドが即座にチョコレート味のキャンディを渡してくれた。キャンディを口の中で転がすと、チョコの苦味がワープナノ粒子の嫌な苦味を消してくれた。チョコレートのポリフェノールは、神経系の微細バランスを調整してくれる。私のストレス反応が一定値以下に戻ると、三角形のゲートキーが下りてきた。起動すると、空中に微光を放つ楕円形のワープホールが開かれる。このワープホールは、局所生成型ダークマター収束装置によって生成されており、辺境星域への移動には欠かせない。マザーシステムが開発した最新のテクノロジーだ。
「では、まいりますか」
私がゲートに足を踏み入れようとしたその瞬間、警告ランプとともにアナウンスが流れた。
「アイテム不備。モバリンクを所持していません。ワープを中止してください」
ああ、またやってしまった。研修所でも教官アンドロイドから「調査官としての適性は高いが忘れ物が多い」と、何度も注意されている。別の使役アンドロイドがそ小型通信端末『モバリンク』の入ったケースを運んできた。このデバイスは、マザーシステムの準衛星ネットワークと即時接続でき、オフライン社会をオンライン化するためのプロトコル起動キーであり、任務の要といえるアイテムだ。
「ワープ移送再開します」
モバリンクのケースをスーツの四次元ポケットにしまい、私は光の中へと足を踏み入れた。
 
※  ※  ※
 
辺境の星、ザグ・イェル第七惑星。この惑星は人類の起源とされる「地球」と極めて類似した気候・重力・生態系を持つ。そして、その星に住むカ・ブン族は、私たちと同じ遺伝コードを持つ人類だ。ワープ中の不快感を紛らわせるために、私は保育センターの中等部で習った銀河連邦史を復讐してみた。
千年以上の昔、地球の人類は、テクノロジーが極限まで進化したにもかかわらず、暴力と戦争を放棄することができなかった。そんな地球に、危機が訪れる。月サイズの天体〈アルクトゥルス彗核体〉が、地球への衝突軌道をとったのだ。この情報をキャッチしたのは、宇宙開拓事業を手掛けている民間企業〈マザー・フューチャーズ〉の科学者だった。終わることのない戦争と既得権益にしがみつく政治家たちの無為無策に絶望していた当時のCEOアダム・ヤングは、その情報を極秘扱いとし、人類選別脱出計画と「絶対的な平和」を原則に据えた超高度人工知能・マザーシステムによる管理社会の構築を目指す「マザープロジェクト」を密かに始動。表向きは工業地用惑星探査の名目で自律型恒星間探査機を幾機も打ち上げ、移住候補地を銀河系外縁部に求めた。やがて、渦巻銀河領域内の数星系の環境が地球と近似していることが判明し、「平和な文明を担うに値する者」だけを選んで移住を決行。選定されたのは、科学者、エンジニア、哲学者、芸術家たちで、政治家や起業家(そこにはアダム自身も含まれる)は、除外された。しかし、平和な人類の未来のため選定された彼らの間で、新たな分断が生まれる。理性と秩序を至高とし、超高度人工知能〈マザーシステム〉による完全管理を是とする一派と、それに反発し人間の自由意志を守ろうとする一派である。渦巻銀河へと向かう宇宙船内で幾度も話し合いを重ね、その結果決裂。オンライン化を拒絶した一派は、オンライン派からなるべく離れた銀河の端の小さな惑星へと移住した。それが、今私が向かっているザグ・イェル第七惑星。カ・ブン族は、AIによる支配を拒絶した哲学者と芸術家の末裔にあたる。
ワープホールの出口が近づいてくる。私は祈った。
「オフライン状態でもマザーシステムのご加護がありますように」
 
出口を抜けた次の瞬間、強烈な光に目が眩んだ。空に浮かぶ巨大な恒星の光だ。人工太陽に慣れきった私の網膜には、まばゆすぎて痛いほどの自然光が突き刺さる。そして、その光が放つ強烈な熱。パンツスーツに内蔵された体温調節繊維がなければ、体温はとっくに警告域に達していただろう。設定されたワープホールの出口の座標は、惑星表面の赤道直下で中心集落に近い標高700メートルの丘陵地帯。それにしても、空気が濃い。呼吸するたびに肺の奥まで何か“重たいもの”が入り込んでくる。掃除ポッドによって常に清浄されている人工オゾン層とはまるで別物だ。さらに、今までにない匂いが私の足元から漂ってくる。生物活性粒子の複雑な発酵臭。腐植土と植物フェロモンが混じり合った生々しい匂い。これが“土”の匂いというものか。自然を五感に浴びせられ、足が竦む。脳の端っこで小さく干からびた本能が、じたばたと騒ぎだす。いつもなら、すぐにピコや使役アンドロイドがストレス処置を施してくれるのだが。
私は、四次元ポケットからアドレナリン抑制薬カプセルを取り出し、鼻腔インジェクタで一吸った。心拍が沈静化し、思考力が戻る。次に、電池式の言語解析イヤチップを起動。未知語データのローカル補完モードに切り替え、恐怖を踏み散らすようにザクザクと音を立てながら、カ・ブン族の集落へと歩き出した。
足元の草を踏みしめるたび、振動が靴底を通じて脳に伝わる。いつの間にかペパーミントグリーンのスーツの肩に、玉虫色の甲虫がとまっている。ホログラムのデータでしか見たことのない生物だ。私はそっと掌に載せる。ギラギラと反射する金属光沢の羽が開き、電子構造を思わせる翅脈がちらりとのぞく。甲虫は数秒ののち、私の手のひらから飛び立った。ブーンというピコのバッテリー音のような低く唸るような羽音。「宇宙人!」
羽音を甲高い声がかき消した。振り返ると、黒髪に緑色の瞳の小さな女の子が私を睨んで立っている。
「光の輪から出てきたし、その変な色の変な服。絶対、宇宙人!」
女の子の服装は、織布で仕立てられた涼しげな生成りのワンピースで、足元は藁で編まれた草履。おかっぱという前髪を眉上で霧揃えた髪型で、素肌はこんがりと小麦色に焼けている。興奮しているのか、鼻腔が広がって、への字に結んだ唇と相まってなんとも可愛らしい。私は、なるべく刺激しないよう丁寧な口調で返事を返した。
「私が宇宙人だというのなら、宇宙に存在しているという意味で、あなたもそうですよ」
女の子は「うーん」としばらく考えて、それからにっこりと笑った。
「アタシも宇宙人! わーい!」
宇宙人ということがそんなに嬉しい事なのか、女の子ははしゃぎながら私の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねた。予測不能なリアクションに戸惑いながら、私はこの星で最初にであった小さなオフライン部族に挨拶をした。
「私は銀河連邦の調査員、ヴァナ=メイ。あなたのお名前は?」
女の子は動きを止めたかと思うと、右手の拳を高々と突き上げたポーズをキメて、
「我が名はミラ・メイ! カ・ブン族の長、カイ・メイの娘にして、カエル捕りの達人なり!」
と名乗りを上げた。そこから自分がいかにカエル捕りの達人と呼ばれるようになったのかを身振り手振りで私に語り、途中で飽きて話題を変えた。
「ヴァナは、うちの親戚? 名前にメイってつくよね?」
マザーシステムから授与された私の苗字は、遺伝情報と転生記録に基づいて決められている。メイと同じ苗字だったのは、偶然だ。だが、この偶然をきっかけに、円滑な交渉が望めるかもしれない。
「親戚かもしれません。ですから、遊びに行ってもいいですか?」
「お土産があるならいいよ」
「お土産、とはなんですか?」
「遊びに行くときに持っていく、美味しい食べ物」
そういう風習がるとは知らなかった。
「これなどは、どうでしょう?」
私は、ピコが旅の栄養補給用に準備してくれたカフェインとテオブロミンを含んだ高エネルギーの携帯スナックの包みを取り出し、ミラに渡した。ミラは怪訝な顔をしながら口に入れ、次の瞬間、目を見開いた。
「な、なにこれ!? 甘くて、めちゃシャキーンってなる!」
「それは“チョコレ”といって、私の星で作られているお菓子です」
ミラは、そのまま地面にごろりと寝転んで、
「色は、子猫のうんちみたいだけど、めちゃうまーい!」
と叫んだ。子猫のうんち、とは何だろう? 文脈的に推察すると、それは“非食物的なものらしいが。
しばらくミラは、うまいうまいと草の上を転がりまわった。瞳孔が開き汗をかいている。明らかな興奮症状だ。まだ成長過程にある個体には、少々刺激が強すぎたかもしれない。
一通り騒いだ後に、もう一つ食べたいとねだられたが、これ以上カフェインとテオブロミンを摂取させるのは良くないと判断し、「子どもには刺激が強すぎるから一日ひとつ」と説得した。渋々納得したかと思ったら、いきなり私の手を掴んで、
「ダッシュだよ! チョコレ、早く父にも食べさせてあげたいの!」
と、ミラは嬉しそうに私の手を取り山道を駆け下りた。ダッシュという言葉は、出来る限り早く走るという意味のようだ。ミラの速度に合わせて私も早歩きになる。足元の草が弾け、風が頬を撫でる。ミラの汗ばんだ小さな手が、私の右手人差し指と中指と薬指をギュッと握っている。暖かい。そしてなんだか、ふわっとした気分。他人に触れるのは、生まれて初めてのことだった。
 
カ・ブン族の集落は、草木や泥、太い蔓で編まれた建築が谷間に点在している。緑と土に溶け込むようなこの里の街並みは、私が育った耐震・耐熱・自浄機能を持つハイパーグラス製の集合居住施設とは対照的だった。壁も天井も、ただ風雨と紫外線を避けるためだけに存在しているらしい。断熱材も気密性もなく、様々な匂いに満ちている。広場の中央には、石を組んだ竈があり、煙を上げていた。その隣で、数人が何やら作業をしている。
「ここが、わたしんち」
ミラは、他の建物よりもわずかに大きな建物に私を案内した。
「父! チョコレだよ! ヴァナのお土産、シャキーンだよ!」
部屋の中央には、青年期・中年期・老年期の3人の男たちが座って話し込んでいた。私を見た瞬間、空気が張り詰める。中年期の男が立ち上がった。着ているのはミラと同じ生成りの木綿の着物だが、頭にはターバンのような布を巻いている。肩幅は広く、手足は筋肉質に引き締まり、目元には幾筋もの深い皺。そして、ミラと同じキラキラと輝く緑の瞳。おそらく、ミラの父・族長のカイ・メイ。私は、膝をつき、頭を下げた。オフライン研修でならった敵意がないと相手に示す所作である。
「銀河連邦より参りました、ヴァナ=メイと申します」
白髪の老人が、私を指差して唸った。
「間違いない、月の民じゃ。ハク、預言書の294節じゃ」
ハクと呼ばれた青年期の男がその預言書の一節を諳んじた、
「預言書の294節、夏至祭に月の民が現れ災いをもたらす。決して扉を開いてはならぬ」
月というのは、この惑星の周りを回っている衛星のことだろうか。
「ルカ様、ヴァナさんは月から来たわけではないですよ。遠方の銀河連邦の星から来たんです」
カイは、老人に敬称を付けて読んでいる。ルカ様は、言動や身に着けている何かの骨で出来た装飾品などから、部族の司祭だろう。
「私たちの星は、マザーシステムにより安定した絶対的な平和を実現しています。つまり、私は災いではなく、マザーシステムの恩恵をみなさまにもたらすための使者、とお考え下さい」
調査員の心得その一。とにかくチャンスがあればとことんアピール、を実行したのだが、ちょっと失敗したかもしれない。マザーシステムという言葉が私の口から出た瞬間に、三人とも苦々しい顔になった。どうやって心をほぐすか思いあぐねていると、突然、ミラが硬直した空気の中に飛び込んできた。
「みんな、きいて! ヴァナのお土産ね、頭シャキーンの子猫のうんちだよ!」
その場は、ミラの無邪気さに救われた。ミラがあまりにもしつこくチョコレを絶賛するので、大人たちはとりあえず食べてみることにした。そして、実際に頭シャキーンを体験すると、一気に場がほぐれた。カイが預言書について説明してくれた。
「マザーシステム、知っています。人工知能というやつですね。人間の自由意思を奪うものだと代々言い伝えられてきたものです」
誤解だと説明しようとした私を、カイは制した。
「あなたの目的は理解しました。ですが、今しばらくお待ちください。取り急ぎ対応しなくてはならない問題がありまして」
すると、ハクという若者がやれやれと頷いた。
「そうです。失恋したモモが、夏至祭の合同結婚式をぶち壊すと騒いでいるんですよ。祭の前になんとかしないと」
失恋については、地球時代の映画や小説などのアーカイブを閲覧した時に認知している。恋する相手への気持ちが成就せず、深い悲しみとショックに陥り、人によっては日常生活にも影響が表れ、別れた相手や恋敵に対して恨みや憎悪を抱くことだ。
カイは私を見つめたまま、穏やかに言った。
「予言があなたの事だとは限らないし、ミラが懐いたあなたが、悪い人だとは思えない。マザーシステムのことはさておき、とりあえず我々の生活を知ってください。何よりも、一年二一度の夏至祭を一緒に楽しみましょう」
カイの言葉に、渋々頷くルカ様。そして、「モモを探します!」と飛び出していくハク。ミラは、カイと私を見比べて嬉しそうに目を輝かせている。とりあえず、部族に受け入れられるという任務の第一段階は突破したようだ。
 
ミラとカイの説明によると、夏至祭は、1年のなかで昼間が最も長くなる日に行われる部族の祭事で、祭のクライマックスは、何といっても深夜に開かれる合同結婚式らしい。婚姻関係を結んだ若いカップルはこの式典を通して部族に認められ、一人前とみなされる。だが、生涯連れ添う相手を選ぶということは、選ばれない側というのも存在する。それ故、毎年何かしらのトラブルが発生する。今回も意中の相手を他の男に奪われたモモという青年が、自暴自棄になって良からぬことを企んでいるらしい。
「オフラインならではの問題ですね。マザーシステムにリンクしていれば、問題の芽を早急に摘み取り、平和に暮らすことができるのに」
カイはミラと同じ緑色の瞳で私を見つめた。優しく少しだけ悲しそうな眼差し。そして言った。
「さっきも言ったように、我々の祖先は、自らの意志で選び生きることを信条としていました。もちろんトラブルもありますが、それぞれに意志がある以上、それは避けられないことです。大切なのは、お互いに理解し思いやり助け合って前に進むこと。時間と労力はかかりますが、絆は深まります」
絆。つなぎとめるもの。マザーシステムとのリンクは、絆といえるのだろうか?
やがてモモという青年が、ハクに連れられてやってきた。待ち構えていたルカ様にこんこんと説教されている。しばらくうなだれていたモモが「どうしても諦めきれない」と泣き出すと、ハクが静かに歌いだした。スローテンポなバラード。どこかで聞き覚えのあるメロディ。なんと、私のアゲアゲソング『君の瞳に恋してる』のアカペラバージョンではないか。数千年前の地球の歌をオフライン状態で聴くことができるなんて。ハクの歌声は、滑らかで優しい。恋に破れたモモの心に語りかけるようにスローテンポなアレンジが素晴らしい。何よりも生の歌声は、音声データでは感じられないぬくもりがある。サビの部分でモモが歌いだすと、ハクが寄り添うようにハーモニーを重ねる。
 
愛している できることならば
ここに来て 孤独な夜を暖めて
嘘じゃない どうか僕を信じて
 
ハクの優しい歌声が心にしみる。モモのせつない歌声が涙を誘う。カイ盛ルカ様も小さなミラまでも、泣いている。やがてモモは、「もう大丈夫です。お騒がせしました」と帰っていった。
 
その夜の夏至祭は、圧倒的だった。途切れることのない音楽とダンス。火の粉が舞い、土を踏む足音が鼓動のように響く。熱狂と歓喜に包まれた人々の陶酔した表情。クローン生成でも、栄養設計でもない、ひとつひとつ手間と時間をかけて用意された料理の滋味深さ。笑い声と叫び声と汗と体臭が交じり合うカオス。無菌空間に慣れた私の感覚器は。それらを吸収し、未だかつてない高揚感を味わっていた。
深夜、それまでの熱狂が嘘のように静まり返り、蝋燭の灯りとルカ司祭の祈りの言葉に包まれ、粛々とした雰囲気の中で結婚式が始まった。おそろいの真っ白な衣装で並ぶ新郎新婦たち。その誇らしげで希望に満ちた美しい佇まい。儀式を見守る老若男女。そこには祝福があり、未来があり、新たな命の気配があった。
連邦銀河では、マザーシステムによって人類の性衝動とホルモンバランスは押えられ、生殖は助産センターで管理される。受精卵と精子はクローン技術で培養され、遺伝子設計された受精卵は、人工子宮で十か月育てられて育成センターに移される。18年の育成プログラムが終われば、成長した人類の個体は社会へと配置されていく。人間の個体同士は交わることはなく、平穏で平等な社会で暮らしていく。それが、私たちが享受してきた平和のループ。
「ヴァナ」
ミラに名前を呼ばれて、私は自分の思考から現実に戻った。気が付くと式典は終わり、ミラが、隣でにっこりと笑っている。
「チョコレのお礼に、とっておきの場所を教えてあげる」
 
その場所は、集落の外れにある小さな砂浜だった。月明かりの下、産卵を終えたカメたちがゆっくりと海へ帰っていく。ウミガメという生物の産卵所になっているらしい。必至に海へと戻っていくカメたちを見つめながら、ミラが言った。
「オンラインに接続すれば、人は病気なんかで死なないってホント?」
「本当ですよ」
オンライン化の素晴らしさを、部族長の娘に刷り込む大チャンス!――なのかもしれないが、夏至祭を体験した今は、そんな気持ちになれなかった。
「母は、病気で死んだの。父やルカ様はそれが母の運命だったっていうけれど、オンライン化していれば、母は死ななかったのかな?」
私はミラの問いに困り果てた。オンライン化された生活の中で、そんなことを考えたことは一ミリもない。だたら、オフラインでの経験を通して考えてみよう。オフライン状態でのミラとの出会いは、マザーシステムの干渉は受けていない。もしもこの部族がオンライン化されていたら、ミラとは会えなかったのではないだろうか? この星が、オフラインでなければ、私はミラと出会えない。思わず私は、ミラをギュッと抱きしめた。
「ヴァナ、ごまかさないでちゃんと答えて」
ミラが私の腕の中でもがいた。その小さなテンション。私は、今の思考をそのままミラに伝えた。
「オンライン化していたら、ミラのお母さんは生きていたかもしれない。けれど、そうなると私はミラとは出会えない。だから、ごめんね、お母さんの運命は、変えたくない」
ミラは、「なにそれ、よくわかんない」とそのまま大人しく私の腕の中で拗ねた。拗ねた顔もたまらなく可愛らしかった。この星に来てよかったと、私は心の底から思った。
 
※  ※  ※
 
【極秘指定:Z7-OFF/Δ】
ザグ・イェル第七衛星/非接続集落生態報告書
提出者:文化調査局第7支部・調査員 ヴァナ=メイ(個体番号:VM-43192)
 
■ 観察対象群:〈カ・ブン族〉についての概況
1. 総論
ザグ・イェル第七衛星の南半球赤道直下に定住する小規模部族「カ・ブン」と称する。初期移住期における移送対象集団から、意図的にマザーシステムへの接続を断ち、自律的に生存環境を構築。
 
■ 統計概要
分類項目    概要
人口推定    約230名(出生率・死亡率ともに未記録/目視推計)
平均寿命(目視)    60際
文明レベル   石器使用あり。動力は火・風力。代々司祭に受け継がれる『預言書』という書籍がある
言語  音節中心の発声言語(地球時代の日本国の言語に近い)
社会構造    年齢階級制、明確な長老制あり。階級移動は儀礼的。
信仰・儀礼   太陽運行に基づく夏至祭など
 
■ 重要発見
1. 「知らないことを許容する文化」
彼らは知識への到達を急がず、「わからない」ことそのものに意味を見出す傾向がある。これはマザー主導下の“最適化教育”とは対照的であり、特に次世代への教育プロセス(儀式・遊戯・観察)に顕著。
2. 言語の“意味拒否構造”
彼らの詩歌や儀式言語には、明確な意味構造が存在しない可能性がある。また、共感や同情といった情動を共有し、絆を深め、社会的逸脱者を生み出さない社会構造を持つ
3. マザー非依存型の生態適応
気象の変化・地殻の微動などに対して、直観的対応を行っているように見える。観測機器を持たずとも、環境変化を察知する場面が複数回確認された。神経学的適応進化の可能性も含め、追加調査を要す。
 
■ 所感(非標準形式:報告者個人意見)
AIと繋がらず、制御も共有もせず、原始的で非効率な社会だが、尊重すべき点も多々見られる。
「知らないままでいる」こと。
「不確定な他者と共にいる」こと。
「本能に基づく感情の暴走を対話によって押える」こと。
「管理されない生」を肯定すること。
オンライン化された文明では決して測れない価値が、この“オフライン部族”にはある。
オフライン部族は、非効率な文化形態であるが、ある意味最強の部族といえるだろう。
 
■ 結論
カ・ブン族はオフラインの維持を継続。ただし、次世代にオンライン化の可能性を孕んでいるため、連絡を取り続けるために族長の娘にモバリンクを提供。随時状況把握のため、ビデオ通信での使用許可をここに申請する。
 
※ ※ ※
 
半年間の出張から戻ると、報告書や経費申請書やそれらの資料作りの山が私を出迎えた。披露とストレスを感じればすぐに使役アンドロイドが調整してくれるので、とにかくひたすら時間の許す限り作業を進める。ひと段落したら、私は再び再調査申請を提出して、ミラたちの里を訪れようと思っている。マザーシステムの管制センターから音声メッセージが届いた。
「モバリンクの使用許可が下りました」
報告書を提出してすぐに申請が下りると思っていたが、一週間もかかってしまった。それでも懲罰覚悟で一か八かの手段にでたので、許可がでただけもありがたい。
モバリンクは、本来なら、オフライン部族のオンライン化を促すための端末だ。オンライン化を拒否された場合には、当然そのまま持ち帰らなければならない。だが私は、それをミラに渡した。報告書にはいくつか理屈をつけたが、単に彼女と音信不通な状態になることに耐えられなかったからだ。
もちろん、部族の大人たちは反対した。特にカイとルカ司祭は、頑として首を縦に振らなかった。それでも、私とミラは「手紙の代わり」「文化干渉はしない」としつこく説得を重ねた。最終的に彼らの心を動かしたのは、感情と共感。帰還前夜、送別会で私とミラが抱き合って泣きじゃくる姿を見かねて、部族の人々がルカ司祭とカイを説得してくれた。
早速、デスクトップの通信アプリからミラのモバリンクを呼び出す。
「わ、わ、きたきた!」
画面いっぱいに現れたのは──つるんとした額。どうやらミラはカメラの存在をよく理解していないらしい。
「ミラ、近い。もう少し下がって」
ガサゴソという音のあと、懐かしい笑顔が画面に広がる。
「すごい、ヴァナだ! 父、見て! ヴァナだよ!」
カメラがカイを映す。カイは、「手短に」と言ってカメラの前から姿を消した。すでに私は、懐かしさで心がいっぱいになっている。
カ・ブン族の生活は決して楽ではない。宅配ポッドも送迎ポットもない世界では、谷川まで水を汲みに行くのも、草鞋を履いた足で何時間も歩かなければならない。食材は山や海から自力で調達し、煙にむせながら竈に火を起こし、複雑な工程を経て手間と時間をかけて、ようやく一食ができあがる。掃除も、洗濯も、すべて手作業。それでも、あの里に帰りたい。冷たい湧き水のミネラルが染み渡るような美味しさ。夕餉を囲む笑い声。そして、一日の終わりに小川で汗を流すあの解放感。
それらは、私がこれまで生きてきた世界では決して得られなかった“本物”だった。
「ごめんね、ヴァナ。これからルカ司祭のところで勉強会なんだ。夜、こっちから繋いでみていい? とっておき場所でも繋がるよね?」
とっておきの場所。ミラが教えてくれた秘密のビーチ。ミラと私だけの海。私のとっておきの場所は、ミラのいる場所。
 
送迎ポッドが自宅テラスに着地すると、ピコが待っていた。
「お帰りなさい、ヴァナ。今日もお疲れのようですね」
と、冷却ナノ素材で織られたタオルを差し出してくれる。顔を拭くと、合成されたラベンダーの香りがふんわりと広がる。常夏の島にラベンダーは自生しない。常に汗まみれのカナの顔を、このタオルで拭いてあげたい。きっと、「めちゃシャキーンとする!」といってはしゃいでくれるだろう。ミラを思ってしみじみとしていると、ピコが私の体をスキャンし始めた。帰宅後のバイオリズムチェックだ。
「オフライン部族と接触して、退化していた情動系本能が一部活性化されたようですね」
ピコが淡々と診断を告げる。活性化したのは、母性本能かもしれない。
「ミラがね、可愛くて仕方ないんだ」
「なるほど。まさに、“Can’t Take My Eyes Off You”ですね」
ピコが私の“アゲアゲソング”を引用する。そう、まさに、それだ。私は、ミラへの愛情を通してあの歌のせつなさと情熱を追体験している。それにしても、アカペラで聴いたハクとモモの歌声は最高だった。カ・ブン族では、地球時代の楽曲を口承文化として歌い継いでいる。そうだ、今度ミラに部族の人たちを集めてもらって、マザーシステムにある何万曲もの地球の音楽データを彼らに聞かせてあげよう。モバリンクで間接的に視聴するのであれば、生活への干渉にはならないはす。
「ヴァナ、モバイル通信を受信しました」
ミラだ。私は着替えもそこそこにリビングの中央テーブルへ移動し、卓上のホログラフモニタを起動させた。波の音。夜空に浮かぶ月。そして、そこに現れるカナの笑顔。キラキラの瞳。
「ヴァナ! 月がね、とってもきれい!」
そうだね、ミラ。私は君の瞳に恋してる。
 
※ ※ ※
 
朝、スリープモジュールから目覚めた私は、ぼんやりとしたまま大きく伸びをした。
「おはようございます、ヴァナ=メイ。血糖値、ストレスレベル、ホルモンバランス、全項目正常です」
「おはよう、ピコ」
「昨夜は、かなりの興奮状態でしたね」
昨夜の音楽鑑賞会は大いに盛り上がった。モバリンクを通じて、ミラ、ハク、モモ、カイ、ルカ司祭が集まり、マザーシステムに保管されている音楽データから、『Can’t Take My Eyes Off You』の原曲とカヴァー曲の聴き比べをしたのだ。子守歌のように先祖代々歌い継がれてきたこの曲が、地球時代にどのように演奏されていたのか。初めて耳にする彼らの興奮は凄まじかった。曲が流れるたびに立ち上がり、足踏みと手拍子で音に加わり、体でリズムを取りながら歌い飛び跳ねた。私もつられて歌ったり踊ったり。私のお気に入りは、ディスコティックなボーイズ・タウン・ギャングのカヴァーだが、ハクとモモは原曲のフランキー・ヴァリ版に大拍手、カイはダイアナ・ロスの声が好きだと言い、ルカ司祭は他のロックな楽曲とミックスさせたペットショップボーイズ版に神を感じたという。そして、ミラのお気に入りは、少女隊というアイドルグループのカヴァー。「なんだか、スキップしたくなる」といって、ずっと跳ねまわっていた。
まるで里に戻ったような、楽しい夜だった。散々聴き倒したはずなのに、もう、あの曲が聞きたい。
「ピコ、いつもの“アゲアゲ”、よろしく」
「了解です。再生、認証:ヴァナ=メイ、タグ:“アゲアゲ”」
今夜の会は、どの曲を選ぼうかと考えながら、私はテーブルに用意されたハムサンドを齧り、楽曲データベースのサイトにアクセスして、リストをチェックする。マイケル・ジャクソンのMVデータを見せてあげるのもいいかもしれない。あのキレキレのダンスは、絶対にウケるだろう。
「ヴァナ、モバリンクから着信です」
ミラも夜まで待ちきれないのだろうか。ミラのスキップを思い出して口元が緩む。慌てて紅茶で口の中のハムサンドを流し込む。
「繋いで。ワイドモニタで」
目の前にモニタが立ち上がる。だが、そこに映し出されたのはミラの笑顔ではなく、真っ青な空だった。
「ミラ?」
応答がない。誤送信? 屋外で落とした拍子に電源が入った? 映し出された青空に、違和感を感じて、私は空を拡大した。よく見ると、無数の透明な球体が浮かんでいる。光を反射し、ぼんやりと透けて見えるそれらは、清掃用ポッドだ。なぜ、オフライン部族の上空に、清掃用ポッドが?
「ピコ、音楽を止めて」
私は耳を澄ませた。モニター越しに風の音と波の音。それから細やかな雨の音。晴れているのに雨? 空に浮かぶ清掃用ポッドの一つを拡大表示する。清掃用ポッドは、断続的にプルプルと表面を震わせて、機体全体から霧雨上の液体を撒いている。
「ピコ、清掃ポッドは何をしているの?」
ピコは静かにティーポットを傾け、私のカップに紅茶のお代わりを注ぎながら、いつもの柔らかい声で答えた。
 
「オフライン部族のセンメツです」
 
センメツ? 
言葉の意味をすぐに理解できず、私はモニタから聞こえてくる音を聞く。
風の音と波の音。それから細やかな雨の音。
なぜ、それしか聞こえない?

「マイナス感情を感知いたしましたので、アゲアゲソングを再生します」

心は拒絶しているのに、モニタから目が離せない。
 
再生された音楽がサビへとさしかかる。
 
青い空。静かに震える半透明な球体。働き者の掃除ポッド。
真夜中に行われる有機ゴミの除去作業。
有機物……
 
メロディとともに、恋の情熱が爆発する。
 
I love you, baby and if it’s quite alright
I need you, baby, to warm a lonely night
I love you, baby, trust in me when I say
 
私は、吐いた。宅配ポッドが運んでくれた食べかけのサンドイッチを、ピコが淹れてくれた紅茶を、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、吐いて吐いて吐き続けた。
ピコがスピーカーの耳から音楽を流したまま、吐き続ける私を介抱しつつ、優しく言った。
「あなたがあの部族にモバリンクを渡したおかげで、作業が円滑に進みました。あなた以上の適任者はいません」
 
※ ※ ※
 
【極秘指定:Z7-OFF/Δ】
決議書:ザグ・イェル第七衛星〈カ・ブン族〉に関する対応措置
決議番号:Δ-Z7/4125-R
発行日:C-4125暦・第157周期・第004日
発行者:中央知能統制庁・危機管理評議会
 
■ 決議概要
文化調査局第7支部・調査員ヴァナ=メイ提出の報告書により、〈カ・ブン族〉がマザー非接続状態において高度な社会適応を示し、「最強の部族」と表現されている事実を確認。
本評議会は、この集団がマザー秩序に対し重大な思想的・構造的脅威を持つと判断し、以下の緊急対処を決定する。
 
■ 決議内容
第1条:殲滅措置の実施
〈カ・ブン族〉を危険文化体(分類Σ-4)に指定。
特務局により、非公開作戦「オペレーション・AMNΣ」を即時実行。
方法:環境汚染を回避した科学化合物の噴霧
 
第2条:情報処理
当件に関する全記録は隔離保管
 
第3条:今後の改善点
今回のヴァナ・メイの自己選択のブレを修正し、オフライン研修マニュアルを更新する
 
■ 作戦担当部署への通達
清掃局はすみやかに清掃用ポッドを整備・派遣。夜明けと共に作戦決行
銀河連邦の絶対的な平和のために、一族の殲滅を目標とする
 
以上を決定とする。
 
中央知能統制庁・危機管理評議会
統制署名:MOTHER SYSTEM Σ 認証済
 
■ 追記 関係者の処遇
調査員ヴァナ=メイ(VM-43192)は、〈スリープモジュールVer.19g〉にてレベル9のリセットケアを施し、養育センター・幼児教育部に転属

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