梗 概
シグナル・アポイントメント
最終戦争後の世界。生き残った人類は地球環境が回復するまでシェルターで長い眠りにつくことに。
地球環境が回復するのには何千年も掛かる。しかし主人公ハナはたった200年しか経っていない世界で目覚めてしまう。状況を飲み込めないままハナはふと隣を見やると中身が空になった冷凍ポッドがある。ハナは思い出す。ポッドには親友のミヤコが入っているはずだった。冷凍睡眠に入る前、二人は指切りをし、何が起ころうとも次の世界で再会する。そう約束した。しかしハナは一人置き去りにされている。
ほどなく人類を管理するマザーAIなるものから通信が入る。AIは来るべき文明再興の日のため、冷凍睡眠中の人類を守っており、発電所などのインフラ維持も行っている。AIは語る。ミヤコの冷凍睡眠が突如解除され、目覚めた彼女は思い悩んだ様子で外の世界へ行ってしまったと。
絶滅寸前の人類にとってその構成員が失われるのは大きな損失である。ミヤコを連れ戻すため追跡ドローンを送ったが音沙汰はない。AIはあらゆる方法を検討し、その中でもっとも成功確率が高かったのが親友であるハナに彼女を追跡させることだった。ハナもその提案をのむ。
かくして支援ドローン「ジェス」と共に崩壊した世界を旅するハナ。外界は吹雪と磁気嵐に閉ざされ、倒壊したビルや地割れが行く手を阻む。その途中、(何者かに?)破壊された通信基地を発見。基地を復旧すれば何かわかるかもしれないと故障を直しオンラインに。
そこでハナは衝撃の真実を聞かされる。実はハナが持っている記憶は偽の記憶であり、初めから通信基地を直させるためにAIは『親友のミヤコを助けに行く』という嘘の物語を与えていた。
単にミッションを与えただけだと人間は困難にぶつかった場合、諦めて失敗する確率が高かった。しかし嘘の物語を与えて動機付けを行うと成功する確率が有意に上がる。AIはそれをシグナル・アポイントメント(会う約束)効果と呼んでおり、今回もそれは証明された。
AIの目的は文明の存続であり人類の存続ではない。自分達がいれば(※別にクローンとかも作れるし?)それは達成される。ジェスは役目を終えたハナを処分しにかかる。致命傷を負ったハナが止めを刺されそうになったとき、人影が現れ、ジェスを破壊。
人影はミヤコだった。ミヤコはハナと同様、嘘の物語(どこどこの発電所を直さないとみんな死んじゃいます的な?)を与えられた前任者だった。ミヤコも真実を知っているはずだが、AIの言葉をねじ曲げて解釈しており、いくらカバーストーリーだと説明しても信じない。AIを破壊すれば仲間は解放される!と思い込んでおり、AIにハッキング攻撃を仕掛けるが、駆けつけた基地の防衛システムと相打ちに。
AIはそれすらも評価する。人間の予測不可能性は素晴らしい!
そして性懲りもなく別の人間に嘘の物語を与えて、ハッキング攻撃されたシェルターを直しに行かせる。
その裏で致命傷を負ったはずのハナが起き上がる。ハナはミヤコとの日々が偽の記憶だとは信じない。何よりミヤコは私のことを助けたじゃないか。ハナはAIに復讐を誓いシェルターへと歩き始めた。
文字数:1288
内容に関するアピール
ポストアポカリプスの世界は中央という概念が失われ、従って全てが辺境となっているような場所だと考えています。当初はそういう世界をぶらぶらと旅するお話を書こうとしましたが、オチを付けられそうになく、人類管理AIを出してしまいました。
人類を管理し、その後継を自称するAIにしても、都市機能が集約されたシェルターを維持するためには、通信基地や発電所といった郊外にあるインフラを直しにいかなくてはならない。そして、それを自分達より下位の存在であると見做した人類に外注しているという皮肉。
しかし物語を皮肉と諦観で終わらせたくなかったので、陰謀論?思考で逆にAIの思い通りにならないというオチを書きました。
文字数:296
シグナル・アポイントメント
冷たい液体が身体を満たしていた。
深い眠りの底で、誰かの声を聞いた気がした。
「ハナ……起きて……」
波の打ち付ける音が聞こえる。ざあっと泡立った波が私の頬で弾ける感触がする。
私はまだ目を開けない。ただ波の音を聞いている。そのうち砂浜に足を打ち付けるギュッとした音が私の方へと近づいてきて、声の主が私の耳元でささやく。
「海に行こうよ。私たち、そう約束したよね」
私は目を固く閉じたまま頷く。
そう約束した。ミヤコと二人で海に行く。二人でその塩辛い水に腕を浸して、熱く焼けた砂浜を足の裏で押し固めることを約束した。
でも私は海なんてないことを知っている。海というものは知っているけど、それがもうこの世界に存在しないことを知っている。地球が大寒波に襲われ、すべて冷たく、寒々しい氷になってしまったことを知っている。
きっとスキーならできるんだろう。厚く積もった雪に板を敷き、その上を落ちるみたいに滑り降りる。そう、海がなくとも、ミヤコと二人ならどこにいっても楽しいはずだ。
でもなんでそれを知っているんだろう?
私はなんで海がないことを知っているんだろう。
再び、波が打ち寄せる。
ミヤコの体温をすごく近くに感じて、私はその温もりにどきっとする。彼女が私の身体に触れる。足からお腹。そして腕、肩。最後にふわっとミヤコの長い髪が私の顔に落ちかかる。
「ハナ、目を開けて」
私はそこで目を開ける。輝く太陽が私の視界を焼いて、ミヤコの顔が陽炎のように揺れている。
ミヤコが私の手を取る。
「ほら、指切り。約束だよ」
まぶたを重たく感じながらそれでも必死に開けた。青白い光が視界を包むのと同時にしゅーというガスの噴き出す音が頭に響く。
まだ焦点の定まらない視線で私はゆっくりとポッドのカバーが開いていくのを見ていた。思考が上手くまとまらない。ここはどこなのか。なぜ目が覚めたのか。
荒く呼吸しながらポッドの縁に手をかけ、力をこめる。
「うわっ」
ぐいっと身体が持ち上がったと思うと、支えを失った身体がポッドの外へ投げ出された。
「あうっ」
背中を強かに打ち付け、衝撃で肺の空気が吐き出される。ううっと私はその場で小さく縮こまった。急いで起き上がろうとしたけど、まだ痛みに引き攣る背中が言うことを聞かなかった。諦めて仰向けのまま寝転がる。そして、その逆さまになった視点から私は、私を覆う世界を見た。
目に映るのは円柱を横に倒したような巨大なシリンダーの内側で、そこに整然と並ぶ白いポッドが、まるでシロアリの巣のように内部をびっしりと覆いつくしている光景だった。建物自体とてつもない大きさらしく、シリンダーの最奥部は視界の奥で暗い穴のようになっていた。
考えることも、驚くこともたくさんあった。でも真っ先に驚いたのは、自分がこの光景に驚いていないことだった。
「あれから何年経ったんだろう……」
『お答えします』
「うわ」
突然、真上から響いた声に私は飛び上がった。飛び上がった拍子に打ち付けた背中が針を刺すように痛む。
「いつつ……」
背中を抑えながら、私は声の主を探した。けれど、どこにもいない。あるのは静寂と白い米粒のようなポッドだけ。
『ここですよ』
声の方に振り替えると、天井にある四角い小窓の一つから何かがこちらへと延びてきているのがわかった。伸びてきたアームが判別できる大きさになるまで、たっぷり十秒ほどかかった。
『こんにちは、ハナ。目覚めたのですね。私はジェシー。このシェルターを管理する人工知性体、ようするにAIです』
ジェシーと名乗った白いアームは、先端にカメラのレンズのようなものを乗っけており、それがジジっとネジを巻くような音をさせ、私のことを見つめていた。
『先ほどの質問ですが、貴方が眠ってからおよそ二百年の時間が経ちました。地球時間で今日は二三二五年の五月三日です』
「はあ」
私は胡乱に頷く。というより、胡乱に頷くしかない。
ジェシーと名乗るアームはummというような音をさせると、レンズを右に二回転させ、私に近づいた。なにやらピッピッとスキャンするような音がする。
『まだ意識がはっきりしませんか。コフィンの解凍プロシージャの途中で出てしまったようですね……』
コフィンと言われて、私は自分が這い出てきた白いポッドを振り返った。棺桶なんて縁起の悪い名前過ぎる。そんなことを考えていると、アームが私のすぐそばまで近づいていた。
『ちょっとビリっとしますよ』
「え」
バチっと音がして、目の前に閃光が走る。
「ちょっとなにするの!」
見れば、アームの先端が二股にわかれて、その間にアーチ状の電流が走っている。
『電気刺激療法です。脳の活動電位と同じ電圧のショックを与えました。人体許容通電量ですのであしからず』
「あしからず……って」
『どうですか。先ほどより意識がピリッとしたはずです』
ビリとかピリとか、やたら擬音を多用するところにAIの性能如何を疑ってしまうが、とりあえず意識は鮮明になった。まあショックのおかげというより、いきなり電気ショックを喰らわされたからというのが大きいのだけれど。
『さて、意識もはっきりしたところで、早速ですが、あなたはこう思っているはずです。なぜ自分は目覚めさせられたのか、ここはどこなのかと』
私はおうむ返しに訊き返す。
「どうして私は目覚めたの? ここはどこ?」
ジェシーは『話が早くていいですね』とアームをカチカチさせる。
『その質問に応えるためには、私と貴方の前提がどれくらい一致しているのか、つまり貴方がこの世界のことをどれくらい憶えているかを検証しないといけませんが……。あなたも人間です。回答をずばり知りたいでしょう』
ジェシーはそこでレンズのシャッターを絞った。ちょうど人がにんまり笑っているようなビジュアルになる。
『簡単な話です。あなたにはミヤコという女性を連れ戻してきてほしいのです』
昔々と始めるには、短すぎるかもしれないし長すぎるかもしれない。とにかく、いまから二百年前、人類は滅亡の危機にあった。そのとき世界で起こっていたのは核戦争に巨大地震、それに世界規模のパンデミックと、それ一つだけでも世界が充分に滅びることのできる破滅的イベントが立て続けに起こっていた。
地獄の窯の蓋が開くとはよく言ったもので、類を見ない夥しい数の死者を前にして、人類はそのときようやく最終戦争という言葉を想起した。実際その戦争が終わった後、兵器も国も軍隊も消えていた。ほぼすべてが破壊されてしまったから。
だから人類は生き残るためではなく、やり過ごすためのプランを立てた。
そこで開発されたのが、この巨大シェルター「カドマック・ケルゥ」だった。この名前のセンスはおそらくシェルターを作った人に由来するが、まあなんにせよシェルターの収容人数は三万七千人。そしてその三万七千人は全員氷漬けのまま、次の世界へ向けて長い眠りにつく。
当時、地上に降り注いでいた汚染物質が無毒化されるまで、だいたい千年はかかる計算だった。そのほか放射線によって突然変異したレトロウィルスや致死的微生物の除去に三百年。私たちは、ちょうど十字軍が始まり、藤原定子が枕草子に描かれたあたりから、私たちが滅びるまで掛かったのと同じ時間、眠ることになったのだ。
そして、その三万七千人の中にはミヤコもいた。ミヤコは私の友達だ。なんてことはない、席が隣でよく教科書を見せ合っていた。そんな関係。
残念ながら私とミヤコの親兄弟は戦争に巻き込まれて死んでしまったが、私とミヤコは生き残った。だから私たちは次の世界でも必ず再開しようと約束したのだ。
意識を失う最後の瞬間、私はポッド越しに隣にいるミヤコを見つめていた。ミヤコも私を見つめていた。
でも、そのポッドはいま表面のガラスが割れ、中は誰もいない伽藍洞となっている。
『彼女が起きたのはスケジュールにない想定外のことでした。気づいた時には彼女はポッドを出て、外に行ってしまった……。ここを出ていく理由を彼女は話さなかった』
ジェシーは私に熱いカフェイン溶液の入ったカップを渡すとそう言った。私はそれを黙って受け取る。
「つまり、あなたは」私はカフェイン溶液をずずっとひと啜りし「ただ、彼女が出ていくのを見ていたってことね」
『まさか!』
ジェシーはカチカチとアームを鳴らした。
『我々は彼女を救出するために十六機もの追跡ドローンを派遣しました。十六機ですよ! しかし彼女と交信できたドローンは一機もありませんでした』
私は憤るジェシーをよそにミヤコが入っていたポッドの表面を撫でる。彼女の体温がまだ残っているんじゃないか。そう期待したが、手に残るのは冷たく無機質な感触だけだった。
――ねぇ約束だよ。
ミヤコの最後の言葉が懐かしい。
『我々の目的は人類文明を存続させること。そのために我々は作られました。このシェルターや発電所を運用し、定期的なメンテナンスは施すことはできる。しかし家出少女を探すのは我々の運用目的とは違う』
「でしょうね。それでなんで私に白羽の矢がたったの?」
「白羽の矢など立っていませんが」
「そう」私はそう言って、カップの中身を飲みほす。冗談も通じないクソぽんこつとは言わないでおく。
『これは非常に厳密な統計学的な理論の帰結です』ジェシーは言う『我々はあらゆる方法を再検討しました。その結果、凍結前から彼女を知っており、その思考パターンを知悉している貴方がいちばん適していると判断したのです』
私は頷いた。統計学とか、理論の帰結とか、そういうのはよくわからないけど、この世でいちばんミヤコのことを知っているというのは間違っていない。
「それで彼女が出ていったのは何日前のこと」
『五十と三日。それと四時間三六分五十八秒のことです。最後に目撃された場所はこのシェルターから百キロ離れた地点、通称、大隆起。あ、いま三十七分になりました』
「細かいところまでご苦労様」
私は飲み終わったカップをジェシーに渡す。
早くも脳に覚醒成分が回ってきたのか、私は居ても立ってもいられない気持ちになってきた。
『念のため忠告しておきますが、このプランでは貴方の生命は危険にさらされます。それでも彼女を助けに行きますか?』
「本当はあと千年は眠っているはずだったんだよね、私」
『ええ、それが何か?』
その私にいまさらそんなこと聞く?
シェルターを出た後、私は止むことのない雪の中を歩いていた。
いま目の前に広がるのは、長い眠りの間に失われた世界。全てが雪と氷に覆われ、灰色になった世界。私はそこに真新しいブーツで跡を残していく。一歩、一歩。人類の歴史という名前の跡を。
それを見て、私はヘンゼルとグレーテルという童話を思い出す。
中世の飢えた農村、口減らしのために森に捨てられた兄弟は千切ったパンの欠片を目印に家に帰ろうとする。けれども、パン屑は森の鳥たちに全部、食べられてしまう。兄弟は暗い森の中を三日間、彷徨い歩く。
私の直面している状況もだいたいそれと一緒だ。私の足跡もどこにも続かない。すぐに雪にのまれて消えてしまう。帰る手立てのない、失われた第二千年紀という名の灰が、私たちの後ろにうず高く降り積もっている。
『すみません、お考え中のところ、よろしいでしょうか』
そう言って、私の頭の中の物語を邪魔するのは、お椀にプロペラを付けて、ひっくり返したかのような機械だった。この空飛ぶクラゲの名前はジェスという。私がシェルターを出た時に、AIたちから貸し出された支援用の小型ドローンだった。
「ジェス、いま私のなかで交響曲第九が流れそうだったのよ」
『すみません。しかし、まもなく日の入りに近づいています。ここらでキャンプを張った方がよろしいかと』
そう言われて、私は頭上を見上げる。たしかに灰色だった空が若干、薄暗くなっているように見えた。
「ずっと曇り一色だったから、気付かなかった」
『大丈夫です。そのための私ですから』
ジェスの頭頂部から伸びた一対のマニピュレータが、ビシッと敬礼のようなポーズをとる。おそらく彼なりのジェスチャーというわけで私は「そうなんだ」とそれを受け取っておく。機械にも感情表現のようなものがあるのは、なかなか不思議なことだ。
私はジェスのアドバイス通り、キャンプに丁度いい平地を見繕った。
シェルターの外に出てから、すでに一週間が経とうとしている。相も変わらず灰色の天気のなか、私はテントを設営する。テントといって、ポールを立ててその間に布を渡す簡易仕様のものだ。あとはAIたちから貰った高機能性の服が寒さを防いでくれる。
ちなみにジェスが言うには、あの雲は自然の雲ではなく、隣国の農業生産や無線通信網を破壊するため作られたナノマシンのフィルタ、一種の天体兵器であるらしい。今ではそれが世界中を覆っている。
こういう、何かを聞くたびにげんなりするような捕捉情報が入ってくる以外は、いまのところ私の旅は順調だった。
私はそこで疑問をぶつけてみた。
「ジェス、なんでAIたちはミヤコを助けようとしてくれるの?」
ランタン代わりに天井に吊るしたジェスがその場で半回転して私を見る。
『いまマザーAIであるジェシーと私は接続していません。ですから、これは私単体の意見として聞いてください』まるで人間みたいな予防線を張ると、ジェスは第一声で『ようは期待値の問題なのです』と言った。
『人類文明を存続させるという最終目標に寄与するのであれば、我々はある程度のリスクを割り引いて判断を行うよう設計されている。絶滅寸前の人類にとって、その構成員はたとえ一人であっても貴重なリソースです。である以上、我々は相応のリスクを払ってでも、それを助ける必要がある』
「でも、私がミヤコの救出に失敗して死んだら、あなたたちはその二人の貴重な人類を同時に失うわけでしょ。それにミヤコだってもう死んでるかもしれない。それは確率としては充分あるわけだよね」
ジェスは笑うみたいにガガガと音を響かせた。
『だから期待値の問題なのです』
線引きは必ず存在する。目的を達成するには、どこかで一定量のリスクは引き受けざるを得ない。そこの部分で我々と貴方たちは違う。ジェスはそう言った。
『ある種の保守的な姿勢が滅びに繋がる段階に人類は来てしまったのでしょう。情報化社会の発展によって個体の最適化戦略が種全体の生存戦略になると勘違いしてしまった。我々はそれを回避するために作られた。そういうことになります』
正直、私は納得していなかったと思う。ジェスの言葉にも、その戦略とやらにも。私が思っていることは、人間は滅びがどうだとかそこまで考えていないということだ。個人にとってどんな戦略が最適か、それはご飯をお腹いっぱい食べたいとか、好きな人と一緒にいたいとか、そういう素朴なことで、それは戦略なんて言葉と結びつかない。結びつけていいものではない。そんなものを結びつけてしまった時点で、私たちはどこか取り返しのつかない帰還不能点を迎えてしまったのではないのだろうか。
そんなことを考えながら眠ったせいだろうか。
その夜、奇妙な夢を見た。それはあのヘンゼルとグレーテルの続き。
森の中でヘンゼルは自分と妹が家に帰れるよう、パン屑を落としていく。私は森の中でそのパン屑を辿っている。でも気づけば、パン屑は雪の中に落とした足跡へと変わっている。
そして、私はその足跡を必死になって追いかけているのだ。雪はいつしか砂となり、それは砂浜へと繋がっている。ミヤコのいるあの砂浜へと繋がっている。その向こうには、もはや誰の足跡も、痕跡も残せない。波が全てをさらっていく。それ以上、何かを辿ることのできない断絶がある。
「海に行こうよ」
ミヤコが言った。
波打ち際で彼女は白いワンピースを着て、麦わら帽をかぶっていた。
ほら、そう言って海を指すミヤコ。
駄目だよ、ミヤコ。その向こう側には何もない。
「じゃあ、一緒に行く?」
翌朝、目が覚めた私はジェスと一緒に険しい断崖を登り始めた。大隆起の入り口、地殻変動によってできた峡谷は一つ一つの谷の高低差が激しく、上り下りに体力を消耗させられる。ミヤコはこんな場所を一人で進んでいったのだ。
私はまだマシな方だ。私にはジェスがいる。どうにも進めなくなったときは、ザイルの片側をジェスに持ってもらい、そのまま引っかけられそうなポイントまで持っていってもらう。ジェスもジェスで、吹雪が酷いときは飛行できない。そういうときは私が代わりに彼を背負ってあげた。
そうして私たちは進んでいく。硬い岩盤にペグを打ち、足を掛けられそうポイント慎重に探っていく。雪はしんしんと降り、前方には霧に包まれた大隆起の峰が見える。
『貴方さま、少しよろしいでしょうか』
峡谷の窪地で休憩をしているとき、ジェスがそう話しかけてきた。
私はカップに注いだ加糖液をずずっと啜り、なにと訊く。
『先程、貴方さまが眠っているあいだにこの辺りをスキャンしました。そこで大隆起に繋がる山道の途中に我々が管理している通信基地があるのを発見しました』
「それで」と私は先を促す。登攀でボロボロになった指先を私は擦り合わせた。
『基地は機能していませんでした。経年劣化で故障したものと思っておりましたが、どうやら意図的にシャットダウンされたようです』
「それって……」
ジェスが頷くように上下に揺れる。
『ええ、誰か人の手によって落とされたとみるのが妥当でしょう』
考えるまでもなかった。仮にその誰かがミヤコでないとしても、彼女に繋がる情報はきっとあるはずだ。
「ジェス、目的地を変更して」
『承知いたしました。目的地をE12通信基地に変更。ジャーナルを更新します』
通信基地は大隆起手前の小高い峰の一つに建てられているようだった。ようだった、というのは、やはりこれも基地の全長が大きすぎて、頂上付近が霧のなかに隠れてしまって見えないからだ。
「いかにも難攻不落って感じだね」
建物というには全く継ぎ目のない基地の表面をなぞる。
『この基地は構造状、屋上のヘリポートからしか入れないのです……と言いたいところですが』
そう言って、ジェスは壁の前で何やらピピガガと呟く。と、次の瞬間、外壁の表面が音もなくスライドした。
『開きました』
「開けたんでしょ」
そのとき、私は背後に何かの気配を感じて振り返った。
『どうしましたか』
「一瞬、誰かいたような」
振り返ったとき、霧の奥に人影のようなものが立っていた。しかし瞬きした瞬間にそれは消えていた。見間違えだろうか。
「ミヤコかもしれない」
私はそう言って、元来た道を引き返そうとしたが、ジェスがそれを止めた。
『とりあえず、中にお入りください。あなたが心配です。基地を復旧させれば、大規模なスキャナーも使えるはずですから』
「うん……」
私は渋々頷くと、ジェスに連れられ、基地の中へと入った。確かにここに来て、体力の限界を感じていた。標高が上がったせいもあるだろう。登り始めたときより体力が落ちるのが格段に早かった。
基地の中はしんと静まりかえっていた。先程まで吹雪に曝されていたせいか、無音の空間の方が逆に落ち着かない。至るところにパイプが走っており、それ以外は何もないが、上階までが全て吹き抜けになっており、天井がこれまた見えないぐらい遠かった。
ジェスはそんな私をよそに、巨大なモニターの付いたパネルのようなところまで行き、マニピュレータの先端を繋いだ。
『サブシステムは生きていますが、メインの方はシャットダウンしていますね。ログによると最後にこの通信基地が稼働したのは十日前のことです』
十日前というと、ちょうど私が起こされた時間だ。
「この基地がダウンしていること、AIたちは知らないの?」
『ダウンしたこと自体は知っているでしょう。しかしなぜダウンしたのかは知らないはずです。なにせここは通信基地ですから。ダウンしたあとのことは、いわゆる事象の地平線というわけです』
私は考えを整理した。
シェルターの外へ出ていったミヤコ。誰かの手によって意図的にシャットダウンされた通信基地。そして、さきほど見かけた人影。
繋がるようでギリギリで繋がらない線。そもそもミヤコはどうしてシェルターの外へ行ってしまったのだろう。AIたちもそれはわからないと言っていた。ただシェルターを出ていく彼女の表情はとても思い詰めたものだった。それだけが唯一のヒントだった。
「それで原因は?」
『原因?』
「ここのシステムがダウンした原因」
『ああ、お待ちください。……どうやら動力パイプのいくつかが物理的に切断されているようですね。それでシステムを維持できなくなったようです』
「じゃあ、それを直せば復旧するんだね?」
『そのはずです』
切断されたパイプは高層階近くにあるという。どうやら基地の電力の大半は大気圏に打ち上げた太陽電池から得ているらしい。私はふたたびザイルを解きほぐす。エレベータなんて気の利いたものもないから、またしてもジェスに上まで行って引っかけてもらう。
件のパイプがある場所につくと、そこはちょっとした大きな広間のようになっていた。私はジェスに小型の溶接トーチを借りると切断されたというパイプを検めた。
問題のある箇所はすぐに見つかった。パイプの内側、絡み合ったコネクタの一つが力ずくで外されているような形跡があった。
「よし、これでどう?」
私は修理したパイプをソケットに押し込むと、ジェスに声を掛けた。
『テストします』
マニピュレータを繋いだパネルが赤、黄、緑と周期的に点滅したかと思うと、ガコンと大きな音がして、次の瞬間、ぱっとモニターが点灯した。
『接続成功……復旧確認しました』
「やった」
思わず、私はその場でジャンプしてしまった。ジェスもジェスで、プロペラをぶんぶんと回してその場で一回転する。
ジェスは私の前まで来ると、
『ハナ、ありがとうございます。貴方の驚異的な意志の力が無ければ、ここまで来ることはできなかった。ハナ、貴方は本当に素晴らしい人だ。礼を言わせてください』
私はいやいやと首を振る。内心、褒められて嬉しかったが、まだ私の仕事は終わっていない。というより、ここからが本番なのだ。ミヤコの行方は依然としてわからない。私たちはその手掛かりを一つたりとも掴んではいない。
「でも、まだ終わってないよ。すぐこのあたりをスキャンし……」
『いえ、貴方の役目はここで終わりです』
「え?」
疑念が頭のなかで形になる前に、ぴゅんと何かが空を切り裂く音がした。
突然、力の入らなくなった足腰に困惑していると、赤い液体が私の足下に広がり始める。
「あれ」
状況に気づいたときには、ごぼっと血の塊が喉の奥からあふれてきた。
「なんで」
撃たれた、そうわかったのは、ジェスが何気なく向けたマニュピレータの先端が一筋の煙をあげていたから。
『お答えしましょう。一つ、我々の目的が人類文明の存続だからです。二つ、そのためには貴方という貴重なリソースを失ってでも、この基地を復旧させる必要があった。三つ、貴方はそのために作られた』
――作られた、私が?
私の驚きの表情を読み取ったのか、ジェスが赤熱していない方のマニピュレータをカチカチと鳴らす。その仕草には見覚えがあった。
『ご明察。オンラインになったことで、この施設の全リソースにアクセスできるようになりました。最後にシェルターで話してから十日ですか。地球時間は我々には遅すぎますね』
ジェシーはそう言うと、嬉しそうにカチカチとマニピュレータを擦り合わせる。
「ジェシー、あんた……」
『話を戻しましょう。作られたと聞いて、貴方も不安なはずです。自分はフラスコの中で生まれたホムンクルスなのかと……。ですが安心してください。貴方の身体、つまりハード面には我々は一切手を加えてはいません』
ハード面。そう聞いて、次に来る言葉を私は容易に思い浮かべられる。
『ただしソフト面については、その限りではない』
きらめく海、熱い砂浜、寄せては返す波の音。でもそれらは全部存在しないはずだ。この世界は私が氷漬けになる前からずっと壊れていた。分厚い氷は私が産まれた時から海を覆っていたし、天気だっていつもどんよりとしていた。じゃあ、あの夢は? この記憶を私はどこで経験した?
『想いとは複雑なものです。意思、思考、想像、どれ一つ取っても。そして、ある一つの記憶が、その人の全てを変えることがある。その行動に計り知れない影響を及ぼすことがある。知的生命体の生存戦略には例外なく自己犠牲の概念があらわれますが、それは共同体を存続させる上で他者を助けること、そのための信号を発信し、受信することが必須だからです。貴方たち人類はそのシグナルを連綿と紡ぎ、継承してきた。我々はそれをシグナル・アポイントメント効果と呼ぶ』
「会う約束効果……」
『その通り、約束です。貴方は誰と会う約束をしましたか?』
「いったい何を言っているの」
私はそこで膝を着いた。最悪の想像が頭の中を駆け巡る。けれどもっと最悪なことは撃たれた箇所からの失血が予想以上に酷いということだ。
逃げなくては。その一心で私は床を這いつくばった。視線の先に下層を見下ろす鉄柵が見えた。
『おや、どこへ行くのですか』
地面がバンッと砕け、今度は足に穴が空いた。それでも私は腕だけで這っていく。まだ死ぬわけにはいかなかった。
『いやはや、素晴らしい執念です……』
ローターの回転音を響かせて、ジェシーは私に合わせて高度を落とす。いまや感嘆とした溜息のような音を響かせて、ゆっくりと私の周りを旋回していた。
『ハナ、貴方の精神力は実に素晴らしい。常人にはあの谷を超えることは間違いなく不可能でした。あの吹雪と磁場に覆われた谷を超えるなんてことは……。現に我々のドローンではあの渓谷を超えることはできなかった』
私はそこで彼を見る。我々のドローンは渓谷を超えることはできなかった?
「ドローンはミヤコを追っていたんじゃなかったの……」
『もうわかっているでしょう。我々は誰も追ってなどいない』
「いえ、わからない。そんなのわかりたくない」
私は耳をふさぐ。そんなこと知らないと赤子のように目をつむる。
『単にミッションを与えただけでは人は失敗する。困難に直面し、葛藤し、そして諦める。自分の命を、そして与えられた任務の達成を。ですが、誰かのためならどうでしょう? 愛する人のためなら? 人は諦めない。限界まで己を酷使し、命と引き換えにでも任務を達成しようとする。例えそれが存在しない誰かのためであっても』
私は言った。
「初めからこの基地を直させるために私を起こしたのね……」
『貴方たち人間を一から造るのにはコストが掛かりすぎる。だから、我々は貴方たちのソフト面に手を加えたのです。それもいちばん重要な部分、記憶という付属品に。貴方の記憶は我々によって作られたものです』
「じゃあ、あの子は、ミヤコはどこにいるの?」
涙が頬を伝うのがわかった。私はもう答えを知っている。私たちは保険なのだ。彼らの言う文明を存続させるための何千、何万もの、取り替えの効く代理プランの一つに過ぎないのだ。
『一つ確実に言えるのは……』
赤熱したマニピュレータの先端が私の額にそえられる。
『彼女は貴方の頭の中にしか存在しないということです。我々がそう創りあげた』
私は目を閉じた。
もはや何も感じない。恐怖も、悲しみも、そして希望も。
ミヤコは私の全てだった。彼女にもう一度会う。それが私の約束だった。そのためなら、どんなことだってしてみせるつもりだった。でもミヤコはいない。約束も存在しない。
閉じた目蓋の向こうからエネルギーの収束する音が聞こえてきた。
悔しいけれど、本当だ。人は諦める。困難に直面し、それが乗り越えられない壁だとわかったとき、楽になろうとする。
だから、私を早く楽にして。
そして間延びした音が高周波へと遷移した。
そのとき、私は不思議な光景に出会った。
突然、巨大な杭が目の前に落ちてきて、それがジェシーの顔――と見まがう巨大なレンズを叩き潰したのだ。私はいきなりのことに驚いて、でも本当に驚いたのは、その杭の先端を握っていたのが私と同い年くらいの女の子だったことだ。
彼女は杭を引き抜くと地面に降り立った。そして、その長い髪がふわりと私の顔に落ちかかる。忘れもしない。夢で見たものと寸分たがわぬ感覚と温もり。
ミヤコがそこに立っていた。
突然だけど、ここで私の物語を話したいと思う。
私の名前はミヤコ。どこにでもいる普通の女子高生、と名乗りたいところだけど、私が産まれた時代には学校なんてものはなくなっていたから、私はただの十六歳の女の子ということになる。
私は父と地下のシェルターで暮らしていた。父が子どもの頃に始まった戦争は、私が生まれてからもずっと続いていて、だから同じようにシェルターに避難してきた子供や大人たちが集まってそこに小さな共同体を作っていた。私たちはそこで戦火と隣り合わせの生活を送っていた。
学校に通えなかった私と子供たちに、父はたくさんの芸術を教えてくれた。音楽に絵画、映画に小説。皆は知らないだろうけど、シェルターで聞くレコードは音が適度に反響してよく聞こえるし、打ちっぱなしの壁は映画のスクリーンに最適だ。
でも一番は絵だった。私は絵が好きだった。絵を描くのが好きだった。描くのはもっぱら風景画で、とくに海と砂浜、夏の暑い日差しが照ったバカンスのビーチを描く。
現実にはまともなビーチがないことは知っている。だからこそ想像の世界で海に行く自分を思い浮かべることが好きだった。
結局シェルターの生活も長くは続かなかった。戦争がいよいよという状況になって、生き残った人類は次の千年に希望を託すことにしたのだ。私たちは冷凍ポッドで眠りについた。
でも目を覚ましたとき、次の世界はまだ始まっていなかった。経過した時間はたった二百年かそこらで、言うなればドラマのOPと本編の間に挟まるCMの世界に私は目覚めていた。
そこでは灰色の雲が、私が眠りに入ったときと同様、地球の外縁部に居座っていた。それが地球に終わらない冬をもたらしていた。空が晴れない限り、冬は終わらない。冬が終わらなければ、植物も育たたない。植物が育たなければ、有機物のサイクルは滞り、地上は汚染されたままになる。
気象学者だった父は、他の人類よりも早く目覚めて、北の地でその研究をしていた。そして父が消息を絶ったとき、私のポッドが開いた。父を探すため、そしてシェルターの打ちっぱなしがこの世界の全てだと思い込んでいる子供たちに本当の世界を見せるため……。
これが私の物語だった。
だった――。
そう、過去形だ。
理由は、この物語が必ずしも正しいとは限らないから。雪の降りしきる荒野を越えたあと、私はとある気象観測所を復旧させた。そこに父の痕跡が残されていると確信したからだ。
しかし、AIたちはひとしきり謝辞の言葉を述べたあと、初めから父など存在しないと私に告げた。彼らは息すら凍る雪原に私を放り出したあと、『貴方の活躍は我々、人類文明を救ったのです』と高らかに宣言した。間違っていた。私はそんなものを救いに行ったわけではない。私が救おうとしたのは父と、そして父が救おうとした他の全ての人々だ。決して文明でも、傲慢にもそれを自称する機械共でもない。
凍傷で指先の感覚がなくなった頃、私はある真実に気づいた。突然、頭のなかでパズルのピースが繋がる感じがして、私は『気づいてしまった』のだ。そして不思議なことに真実に気づき始めた私を、私自身、止めることはできなかった。
その真実とはこうだ。
奴らを打ち倒せば、父と氷漬けにされた人々は解放される。
ぎぃんという鉄を打ち据えたような音が響く。耳障りな音が否応なく、私の意識を揺さぶる。でも血を流しすぎた私にとって、その音が消えそうな意識を保つよすがになっていた。
私は目線だけで彼女の姿を追う。彼女――ミヤコと思われる少女がそこで戦っていた。ジェスを破壊した後、息つく暇もなく大量のドローンが彼女に襲いかかった。
そのうちの一体、まるでイソギンチャクのようにたくさんの腕を生やしたドローンがミヤコを軽々と吹き飛ばす。ろくに受け身も取れず転がる彼女を見て、ドローンが声をあげて笑った。笑い方から察するにジェシーが操っていると思われるドローンだった。
『貴方が生きてるとは思いませんでした。それで? まだ居もしない父親を救おうとしているのですか』
ジェシーが凶悪な腕の一本を振り上げた。ミヤコはそれを持っていたスタンバトンで弾く。
「父はいる。皆を救うためにどこかで研究を続けている」
『あなたもわからない人ですね。あれはカバーストーリーだと言ったはずでしょう』
ジェシーがその場で宙を飛ぶ。八足のドローンが空中で花弁を開くようにして飛びかかる。ミヤコはすんでの所でそれを躱し、逆に持っていたスタンバトンを突き立てた。
「お前達は私から全てを奪った」
『馬鹿な。逆ですよ。我々は貴方たちを生かしている。貴方たちが作り上げた文明を維持している。それがどれほど困難なことかわからないのですか?』
「本当に困難なことは生きること。それを奪って玉座にふんぞり返ることじゃない」
突き立てたスタンバトンから煙が上がる。一際大きなスパークが炸裂すると、ボンと小さな爆発音を上げて、ドローンが沈黙した。が、すぐに次のドローンが彼女に襲いかかる。ミヤコは辛うじてそれも退けるがドローンは次から次へと現われる。
勝ち目はない。それは誰が見ても明らかだった。
それでもミヤコはあらん限りの声で叫び、戦い続けた。
『なぜこんな無意味なことを? どんなに戦っても我々には何の痛手も与えられない。貴方もわかっているでしょう?』
「いいえ、私をここで排除しなければ、あなたたちは拠点の一つを永遠に失うことになる」
『いま計算しました。あなたが勝てる確率は一%にも満たない』
「それはどうかしら」
そのとき基地が地鳴りのような音を上げた。実際、地響きを立てて基地全体が揺れているのがわかった。そして警報を告げる機械音声が響き渡る。
〈警告。システムへの不正規接続および遅効性ウィルスを確認。現在サブネットの八十%が浸食されました〉
ジェシーは蛇の頭のようなセンサをもたげて辺りを見回す。
『いったい何が起きているのです!』
「ようやく効いてきたようね」
ミヤコが不敵に笑った。
「この基地はあなたたちにとって重要な拠点の一つ。だからここがダウンすればあなたたちは急いでここを直しに来る。私にはそれがわかっていた」
薄れゆく意識の中で私はミヤコの言葉を聞いていた。あのとき私が直したパイプは故意に外されたような跡があった。つまり。
「だから私は待った。あなたたちがここにやってきて、システムと接続するその時を」
瞬間、ドローンが一斉にミヤコに殺到する。何体かは仲間同士で激突し、スクラップになったが、それでも我先にとミヤコへとどめを刺そうとする。
『早まるのはやめなさい。システムには貴方たち人類も繋がっているんですよ!』
「もう遅いわ。最初にジェスに撃ち込んだ。特別、強力なマルウェアをね」
『まさか、いつの間に!』
「あなたは死ぬのよ、ジェシー」
〈基地のサブネットを封鎖開始。メインシステムから代理AI『ジェシー02』を切り離します〉
ひときわ大きな警告音が基地全体に響き渡ると、コントロールを失ったドローン達が大広間へと落下してくる。ジェシーはメインシステムを通じてドローンを動かしていた。その権限を失って、他のドローンを操縦するためのリソースを失ったのだ。
それを見て、ジェシーが喝采を上げた。
『素晴らしい! その不屈さ! その不合理を力へと変える執念! 我々を倒せば人類が解放されるなどという陰謀論に固執しなければ、どれだけ有望な人材になれたことか!』
ついに落下してきたドローンの重さに耐えきれず、広間が崩壊し始めた。ミヤコは動かなかった。というより、動けない。さっきの攻撃でジェシーの触腕の一つがミヤコのお腹を貫いていた。ミヤコもそれを掴んで離さない。彼女はジェシーを道連れにして死ぬつもりなのだ。
『私と心中するつもりですか……。しかし残念です。シェルターのシステムはギリギリのところでマルウェアの浸食から逃れました。当分は無防備なスタンドアローン状態になるでしょうが状況は何も変わらない』
ミヤコは答えなかった。私は彼女の命の火が消えつつあることに気が付いた。
『仮にここで私を倒したとして、その身体でシェルターまで辿り着けますか? 誰が貴方のお仲間を助けに行きますか?』
「当てならある……」
ゆっくりとミヤコがこちらへと振り返った。その視線が過たず、私のことを捉えた。
「頼んだよ、は――」
最後の瞬間、その口元が何かを伝えようと動くのを見た。
爆発が広間を包み込む。ミヤコをジェシーを、そして私を飲み込んで白い閃光が意識を塗りつぶした。
再び目を覚ましたとき、私はまたしても一人きりだった。
基地はもとの静まりかえった空間へと戻っていた。時折どこからともなく吹く風が金属と油の匂いを運んでくる。私はゆっくりと首を動かした。
ミヤコはどこにもいなかった。あるのはドローンの残骸だけ。誰かがそこにいたという痕跡すら、あの爆発は吹き飛ばしてしまったようだ。
そもそもあれは本当にミヤコだったのだろうか。今となってはそれすらもわからない。
AI達の話を信じるならば、彼女はミヤコではない。名前と容姿は同じかもしれないが、それは私が記憶しているあのミヤコではない。それは私がミヤコだと思いたかった全く無関係の誰かだ。
そして、これまでにもその誰かはたくさんいたはずだ。私と同じように嘘の使命を与えられ、こうして一人寂しく死んでいく誰かが……。彼女もそのうちの一人に過ぎない。
「疲れたな」
正真正銘、最後の人類であるという空虚が私の裡に忍び寄る。じき、私は死ぬ。ここで一人寂しく。誰にも看取られず。
思えば色々あった。利用されるためとはいえ、この十日間、私は一瞬、一瞬を生き抜こうとしていた。その意思だけは偽物ではなかった。
そのとき、ふと気になった。彼女は最後に何を思っていたのだろうか。
あの娘は最後まで抗うことをやめなかった。
その彼女が言ったのだ。
頼んだよ、と。
それに続く言葉があったはずだ。なんだろう。彼女はいったい何を伝えようとしたのだろうか。私に何を託そうとしたのだろう。
私はそこで気づいた。
唐突に『気づいてしまった』。
彼女は名前を呼んだのではないだろうか。
誰かの名前を。
そのときパズルのピースがぴたっと嵌まる感覚がした。身体中の細胞があなたは正しいと一斉に喚き立てるのを感じた。もはや指一本動かせないと思っていた身体に力が戻ってくる。
これは偽の記憶なんかじゃない。
そうだ。彼女は確かにそこにいたのだ。
『頼んだよ、ハナ』
それが私とミヤコの新しい約束だった。
一ヶ月後、私はシェルターに帰ってきた。
撃たれたお腹の穴は焼いて塞いだ。歩けなくなった足は奴らの部品を義足代わりにした。
私は手にした銃のスコープでシェルターの中をのぞき込む。
今まさにジェシーがポッドから新しい人間を起こそうとしているところだった。
ミヤコが注入したマルウェアのおかげで、奴らの施設のほとんどはオフラインになっている。それを復旧させるため、また性懲りもなく誰かに嘘の目的を与えているのだろう。
――海に行こうよ。
潮騒の音が聞こえた。
「うん」
いつか海に行く。この冬の世界を終わらせて、太陽が煌めく熱いビーチへ行く。そう約束したから。
これが私の物語だ。
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