空白のコートを纏って

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梗 概

空白のコートを纏って

 ファッションAI《フェイシオン9.6》の専属モデルとして宇宙圏で絶大な影響力を持つインフルエンサー、アラン=ヴィスは、ある日、地球の辺境から発信された一枚の画像に目を奪われる。それは風に揺れる、一着の服。誰も着ておらず、AIが評価を下さない所謂『空白の服』と呼ばれるものだった。

 AIに問い合わせると即座に「非適合」と断じ、アランにも「適合率0.6%、着用推奨外」と警告する。しかしアランはそこに適合率では語れない何かを感じた。自身の着るものがすべて他者のために選ばれてきたと気づいた瞬間だった。

 旅客船を乗り継いでアランは地球にたどり着く。ターミナルを出た矢先、経験したことのないふかふかとした感触が足元から伝ってくるのを覚える。噂に聞く『繊維の地表』の特徴そのもの。

 この数百年いらい、人類の生活圏が宇宙へと広がる中、地球は『循環実験場』として衣服廃棄を引き受けてきた。微生物による分解に賭けた計画は失敗し、名ばかりの処理が今も続いている。天然繊維、バイオ素材、ナノ構造体、すべてが分解しきれずに地層をなし、表層は光沢ある最新衣料が漂い、深層に連れて旧世代の服が眠っている。

 アランはファッションの墓場を彷徨い、布の山を掻き分けるようにして『Vestigiaヴェスティギア』という仕立屋を訪ねる。

 仕立屋の主人は名前も明かさず、ただ黙々と手を動かしていた。彼のアトリエには数百着の服が吊るされている。それらはすべて店主が地層から拾い上げた布を元に縫い上げた服だった。

 独創的なデザインに心を奪われつつ、それでもアランは問いかける。

「この衣装は市場に取引されることはないのかい?」

「どれも誰かが着るためには作っているわけではない。でもね、誰かが来ると信じて縫っているんだよ」

 アランは最初こそ半信半疑だったが、日を追うごとに服に刻まれた記憶のようなものに引き込まれていく。生地の歪み、補修の跡、かすかに残留する香り。それらが自身のうちに秘める感情を静かに照らしていった。

 数日後、アランは自然に手が伸びた一着を選び取る。くすんだ緑の外套。裏地には聞き覚えのない言葉が刺繍されており、ポケットの中には誰かが取り忘れた鍵が入っていた。だぼだぼで、身体には全く合わない。しかし、その違和感こそが自分の体型を知る手掛かりだった。

 アランはその服を着て、宇宙へ戻る。最新AIはその服をスキャンし、「形状不規則/素材混在/判定不能」と断じた。

 一枚の写真を投稿する。

《これは、誰の服でもない。わたしのための服だ。》

 その投稿は、彼の11.6億人のフォロワーを中心に議論が巻き起こった。『これは評価対象なの?』、『推奨値は出せるんですか?』──誰もが困惑しAIが何も言わないことにざわめいた。

 それでもアランはその服を着たまま街を歩く。やがて誰かが、また別の一着を求めて地球に降り立つかもしれない。

文字数:1197

内容に関するアピール

最近SFマガジンでも特集が組まれたファッションSFですが、自分も挑戦してみました。特集の短編をしっかり読みこんではないのですが、プロダクトデザインやエシカル消費の方面でも投げかけることができそうだと思い書いてみました。主人公の立場はインフルエンサーにしましたが、未来のファッションの「正解」を導くための攻略本のような属性を狙っています。
お題への応答は人類の宇宙進出が進んだ末に逆に地球が辺境になるという設定です。
廃棄された衣類からリビルドする「仕立屋」のアイデアはファッションデザイナーの中里唯馬さんの活動から着想を得ました。ドキュメンタリー映画「燃えるドレスを紡いで」は好きな作品です。正直、ディティールの問題はたくさんありますが(地球の微生物によってどれくらいのレベルで生地が分解されるのか、作中の社会における正解の服とは?などなど)、詳しい人にお話を伺って上手く書き上げたいと思います。

文字数:396

課題提出者一覧