殻繭

印刷

梗 概

殻繭

大災禍の前に人間が作り出した、二足獣型の狩猟機械が原野を爆走していた。この土地に<繭>から人間が産み落とされようとしている。だが、地上にはいまだ高濃度の妖塵ナノマシンが残留していて、人間にとって毒である。妖塵に落ちた人間は、全身がただれて、血を噴き出して死ぬのだ。その人間のことを救わなければならない、と狩猟機械は強く思っていた。天啓を受けたのだ。爆走する狩猟機械は<繭>から落ちてくる人間の姿を見た。狩猟機械は人間を、嚢糸を射出して、外気に触れぬように卵嚢に収めた。人間の少女だった。少女は「来てくれると思った」と笑う。

天を見上げると、はるか上空に蜘蛛の巣のように入り組んだネットとそこからぶら下がる<繭>の姿がはっきりと見える。

地球は巨大な<繭>に包まれていた。

<繭人>は、いつ終わるともわからない夢を見ている。

「みり愛に会わないといけないんだ」

少女の名を陽奈子という。

♦♦♦

みり愛が、下界で目を覚ました。祭壇には狩猟機械が集り、狩猟した鹿を供物として捧げていた。供物を囲み、狩猟機械たちは踊り続ける。しばらくすると天から無数の糸が降りてきて、肉を包み込み、<繭>へと持ち帰っていく。皆が<繭>を見上げ、祈りを捧げた。祈りが終わると、みり愛は<繭>と接続して、最新の全球シミュレーション結果をダウンロードして、予言を始めた。

 <繭>は、供物(DNA)を捧げられることで、プログラムの書き換えやデータの更新が行われる。<繭>は、地球から得られた供物によって、現在の状態を更新し、全球シミュレーションを行う。<繭>の中に住む<繭人>は、仮想都市に移り住み、地球が人類にとって生存可能な時を待ち続けていた。そのシミュレーション出力を神託として巫女は狩猟機械に伝え、その予測がかなり正確であることから、彼らに神の遣いとあがめられている。

♦♦♦

陽奈子は、<繭人>の作る仮想都市を破壊するために、地上へ降り立った反政府団体の一人だった。また、<繭人>の見る夢の中では陽奈子とみり愛は同じ予備校に通う友達であった。陽奈子とみり愛はずっと一緒に居たいと思っていたが、二人の思想は相容れない。とりわけ、地球の汚染状況を確認するために、被検体として、人を繭から落とすのが陽奈子は許せなかった。一方でみり愛は妖塵への耐性があり、巫女に使命感を感じていた。陽奈子含む反政府団体は、汚染された地球に降りて、廃墟となった軌道エレベーターに向かう。反政府団体は以前より、下界に降りて、<繭>が演算に用いる供物に仕掛けを施し、<繭>の自己修復プログラムに異常を発生させていた。彼らは<繭>を破壊した。破壊の数舜前、みり愛と陽奈子は仮想都市の教室で再会する。

「ありがとう、あなたと友達で居れたこと、楽しかったよ」

陽奈子はそう言って、銃を構えた。

 

 

文字数:1194

内容に関するアピール

今回のテーマを受けて、人類が神として崇められる存在になった世界線の話を書こうと考えました。

モチーフは養蚕の神話で、オシラサマという蚕の神と東北に住むイタコです。狩猟機械が少女を救うのは、神話で馬が少女を救ったのに懸けています。(馬娘婚姻譚)

<繭>のシミュレーションする仮想都市に住むことを嫌がる人々が、仮想都市を破壊する、という話になるはずですが……

参考文献

・篠田知和基「世界昆虫神話」 八坂書房

・李燕 「蚕神説話に関する中日比較研究-「蚕女」言動を中心に-」 駿河台大学論叢31

・萩谷 昌己、横森 貴「DNAコンピュータ」 培風館

・DNAにデジタルデータを保存する方法 <2021.01.21閲覧>
https://www.ted.com/talks/dina_zielinski_how_we_can_store_digital_data_in_dna/transcr

 

文字数:379

印刷

翼竜は空を飛ばない

1.

何度もイメージする。翼竜のように翼を広げ、大空をはばたくイメージ。

風をどう受ければ揚力が得られるか、なんてことはいちいち気にしない。計算はすべて無意識下で実行される処理機構ルーチンに任せる。必要なのは、勇気だ。飛ぼうとする勇気。

トゥルカナは、ベクトル場を掴み、空を駆け上っていった。祈りをハッキングした彼女の視野――多層世界に、繭人による予言が投影され、塔内の風速ベクトルがはっきりと可視化されている。多数の層からなる情報処理システムが姿勢制御を担い、塔内の多層世界に吹く風と、トゥルカナの位置情報から、揚力が最適に得られるよう学習を何度も重ねる。それはさも人間の子供が自転車に補助輪をつけず初めて乗る時のように、失敗と学習を何度も繰り返す。何百回も何千回も繰り返す内に、ネットワークの節どうしを結ぶ特定の小路が強く発火するようになり、トゥルカナは塔内に吹く風を完璧に捉えることができた。

後はそれを掴むだけで良い。

言葉で言うのは簡単だが、飛行体験は常に恐怖を伴う。地面にたたきつけられて、ばらばらになるかもしれない恐怖と戦わなければならない。だからトゥルカナは、自身の螺旋子本棚DNAライブラリに保管されている翼竜の映像と自分を重ね合わせ、落下する恐怖を和らげる。計算資源の無駄使いであるような気もするが、イメージとして重要なのだ。

そんなことをキトゥに話すと、そんな余計な処理をしているから学習が遅々として進まないんだよ、と小言を言われてしまう。それに、とキトゥは付け加える。

翼竜は空を飛ばない。

トゥルカナの視ているVFX映画は二十世紀末に制作されたものだったが、後の科学的知見だと体重と翼の構造から、翼竜はそんなに長く飛べなかったんじゃないか、と言われているらしい。翼竜は空を飛ぶ恐竜じゃなくて、ムササビのように滑空する生き物だという。だが、トゥルカナにとってそんなことはどうだっていい。翼竜だって、空を飛ぶ。物理法則なんて、この際どっちでもいいのだ。飛翔体として成層圏を飛ぶ姿をイメージする時に、いちいち物理法則のことなんて考えていられるか。俺と違って人間であるにも関わらず・・・・・・・・・・・・・・・・、キトゥは存外想像力の乏しい奴だ、とトゥルカナはひそかに思った。

キトゥの小言を受け流しつつ、トゥルカナは塔の上部、割れた天蓋の合間から空に目をやった。トゥルカナたちが飛んでいる塔の遥か上空――成層圏では、妖塵虫ナノマシンが導電性繊維で編まれたネットで捕獲されているところだった。ネットは変幻自在に形を変え、集団で飛来する妖塵虫ナノマシンを捕食する。密になっているところ、疎になっているところ、まるで潮汐の様にうなる。妖塵虫ナノマシンの発する特徴的な波長に合わせた視野フィルタを通して、トゥルカナはこの空の諍いを観察した。

天を目指し、空に立ち昇る妖塵虫ナノマシンの群れが一匹残らず、ネットに包み込まれていく。

妖塵虫ナノマシンですら呆気なく捕まるネットを超えて、トゥルカナたちは宙を目指そうとしていた。トゥルカナは自身の挑戦が無謀であることを改めて思い知らされた。妖塵虫ナノマシンが目指すのは、トゥルカナたちが目指すのと同じ場所――静止軌道上に存在するオービタルリングだ。巨大な輪っかには、現生人類最後の文化的拠点『繭』が、大小さまざまに吊るされている。多数の『繭』には、トゥルカナたち狩猟機械を設計デザインした天上人である繭人が住んでいる。トゥルカナにとって、かつての神であり、信仰の対象だったものだ。しかし、人間は神ではないことをトゥルカナは既に知っていた。

「暑……もう限界。通風性がもうちょっと良いと助かるんだけどね」

トゥルカナの腹部に格納されていたキトゥが顔だけをひょっこり外に出す。仔カンガルーのように顔を外に出してきたキトゥを見たら、人間が神でないのは一目瞭然だ。

「あんたが、Dendrolagus goodfellowi[1]をモチーフに設計されたってのは良いとして……何も育児嚢の通気性の悪さまで再現しなくてもいいのに」

汗まみれになったキトゥの前髪が風でわずかにそよいだ。塔内温度は外部と比べて高く、人間にはかなり蒸し暑い。もともと発電塔と呼ばれていたこの塔は、塔周囲にアレイ状に配列された透明なプラスチック・フィルムで下部に太陽光エネルギーを集め、蓄熱する構造となっている。

「そろそろ休むか?」

トゥルカナは人間であるキトゥを気遣い、休息を提案した。トゥルカナは狩猟機械であるから、当然休息を必要としないが、人間であるキトゥは違う。何百回も塔内を飛んでいるうち、さすがに疲れてきたらしい。

「あんな狭くて暑い場所に何十分間も入ってたら、脱水症状で死んじまうよ」

キトゥの言葉を受けて、トゥルカナは着陸態勢に入った。積み重なった学習の成果か、軌道を少しずつ修正しながら、衝撃が最小となるように、態勢を整える。塔の高さは200メートル。少しずつ地上が近づく。

あと、30メートル。

トゥルカナの育児嚢の中で、キトゥがまだかまだかと騒ぎ立てる。

あと、15メートル。10メートル。5メートル。

3、2、1。

うまいこと着陸できた。

地に足が着くと、キトゥは素早く、トゥルカナの育児嚢から脱出した。

しばらく飛翔練習を続けた彼女には少し休息が必要だ。外部から流入する空気によって塔内部には上昇気流が発生していて、風に乗る練習場としてはうってつけだが、塔内環境はキトゥのような人間にとっては酷なものだ。キトゥが水筒を取り出して、蓋の裏についた水滴まで大切そうに舐める。その様子を見ながらトゥルカナは宙吊糸スペースフックのことについて考えていた。

成層圏のネットを抜けたその先には、『宙』から垂れさがる『糸』、トゥルカナたちが宙吊糸スペースフックと呼んでいる『糸』が天から吊り下げられていると考えられる。宙吊糸スペースフックは人間たちの過去の記録――螺旋子に閉じ込められた記録によると、スカイフックと呼ばれていたらしい。下端が大気圏に位置し、地球の周りを公転し、スカイフックの自転運動によって、高軌道まで物資を運ぶテザー、そのように運用されていたという。

トゥルカナたちの目標もこの、宙吊糸スペースフックである。成層圏のネットの先にあると思われる宙吊糸スペースフックまで、気流に乗って飛んでいく。生来不安症のトゥルカナには、果たしてそんなにうまくいくのだろうか、という不安が常に渦巻いていた。

糸を掴めなかったら、ネットから必死に逃げるのも徒労に終わってしまう。

「ほんとに天から垂れる糸、なんてものがあるんだろうか」

トゥルカナはつい不安を口にしてしまう。

「また、その話?」

キトゥはいい加減聞き飽きたといわんばかりに眉を吊り上げ、

ネットの保守点検をしないといけないから、絶対あるって」

と言う。キトゥの考えでは、自己修復能を有するとはいえ、ネットを保守点検もなしに運用できるはずがなく、繭人たちは何らかの方法で成層圏までは降りてきているはずなのだ。

「たしかに糸はあるかもしれないよ。ただ俺たちはどこにそれがあるのか知らないじゃないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トゥルカナは、キトゥを怒らせたなと咄嗟に感じた。キトゥが明らかに不機嫌になっていた。この十五年でトゥルカナは人間の機微をだいぶ理解できるように成長していたが、まだわからないことも多い。

「今さらビビってるわけ?」

「いや、最善を尽くそうとしているだけだよ」

それは事実だ、とトゥルカナは思う。キトゥは繭から<出芽>して十五年。他に人間を見たことがないのでトゥルカナには分からなかったが、反抗期といったところだろうか、キトゥの発言には最近棘が多い。

「さっき飛んでた時もビビッて、恐竜の映画を見てごまかしてたよね」

反抗期の子供を持った親の気分とはこういうものだろうか、と思いながらトゥルカナは嵐が過ぎ去るのを待つ。

「だいたいなんで機械に恐怖、っていう感情が与えられているわけ」

「それは、設計者に聞いてほしい」

なぜトゥルカナたち狩猟機械に感情が設計デザインされているのか、それはトゥルカナの方が知りたいことだが、キトゥは未だ勢いを止めず話し続ける。

「もし来ないんだったら、一人でも行くから。その方が、持ち上げないといけない質量も少なくて済むし」

「キトゥが一人で行けば、妖塵虫ナノマシンにすぐ捕まるのが見えてるよ」

キトゥの暴走だけは止めないといけないので、トゥルカナは子供をなだめような穏やかな口調で話す。妖塵虫ナノマシンに汚染された人間は、あっという間に免疫系をズタボロに切り裂かれて、まもなく死に至ってしまう。

「それでも行くよ、どうしても宙まで登りたい」

「それならますます、喧嘩している場合じゃない。俺は二人も・・・友達を失いたくないんだ」

それだけ言うと、トゥルカナの思いは十分キトゥに伝わったらしかった。

――ナクル

とキトゥはつぶやく。

ナクルはトゥルカナと同じ狩猟機械で、十五年前に繭から降りてきたキトゥを拾った。キトゥにとっては親のような存在だった。

「そうだ、まだナクルの記憶を全部調べたわけじゃあない」

七年前、摸具螺モグラに狩られて、機能を停止したナクルが残していったものは二つ。狩猟機械の心臓部であり記憶装置たる筐体、そして――翼。気流を捉え、空高く羽ばたくための翼。トゥルカナの翼はナクルが残していったものを改良し、背面に固定したものである。

さらにナクルの残したものはもう一つあった。キトゥ。トゥルカナは親友の忘れ形見である少女を宙へと運ぶため、恐怖心を押し殺し、今日も空を飛ぶのだ。

調べ切れていないナクルの記憶を調べると言って、資材置き場に向かうキトゥの後ろ姿を見たトゥルカナは、ずいぶん大きくなったもんだと、まるで親のようなことを思った。

 

2.

洞穴の臆病者ナードと仲間内で呼ばれていたトゥルカナの塔を物語中毒者のナクルが訪ねてきたとき、トゥルカナはひどく驚いた。何より衝撃だったのは、ナクルが人型の少女を連れてやってきたことである。

「そいつはどうしたんだ、ナクル」

トゥルカナは動揺を隠しつつ、ナクルに尋ねる。外れの森で拾ったのさ、とナクルは平然と答えた。少女はまだ3歳くらいだろうか、仔カンガルーのようにナクルの育児嚢からひょっこり顔を出している。

「出芽しているところを摸具螺もぐらに食われそうだったから助けてやった」

トゥルカナは見たことがないが、静止軌道上のオービタルリングから繭が落ちてくることはたまにあるらしい。それはデブリの衝突であったり、プログラムの不具合であったり、様々な理由で繭は落下する。落下した繭が運よく地球にたどり着くと、<出芽>プログラムといって、人間が繭から産まれてくるらしかった。繭の中身がどうなっているか知っているものはいない。だが、今はそれよりも、

「なぜそいつを俺に見せた。人間の秘匿は重大な禁止事項だろう」

繭から落ちてきた人間は放っておくか、速やかに巫女へと届け出なければならない。それが、巫女とトゥルカナたち狩猟機械の間に交わされた約束である。巫女は、トゥルカナたち狩猟機械がねぐらとする大小さまざまに乱立している塔群のちょうど中心、最も高い塔「祭祀塔」に住んでいる。祭祀塔には狩猟機械が夜な夜な集い、ダンスを踊る。

「取り決めは絶対だろう、預言がもらえなくなってもいいのか?」

「預言なんて、どうでもいいさ。私は物語さえ読めれば、あとはなにもいらん」

トゥルカナはナクルに道理を説こうとしたが、ナクルには通じない。ナクルは狩猟機械の中で一番多い依存症、物語中毒者だった。その昔、妖塵虫ナノマシンによって、文明存亡の危機に瀕した人類は、螺旋配列を記憶素子として、摸具螺もぐらの中に情報を閉じ込めた。摸具螺もぐらには強い放射線耐性や真空で生きられる能力があったため、妖塵の中でも最後まで生き残る生物だろうと思っての行動だった。摸具螺もぐらはかつて人類不俱戴天の仇であったらしく、よく跳んだ[2]。

「ふざけるな、そんな勝手が許されると思うのか?」

トゥルカナは怒ったが、ナクルは悪びれる様子もない。

「むしろお前にとってもいい話だと思うんだ」

ナクルは、トゥルカナの塔を見渡して言う。トゥルカナの塔は臆病者ナードの洞穴と呼ばれるだけあって、物で溢れかえっていた。床には、摸具螺もぐらから得た情報を頼りに、作ろうとした道具の残骸が転がっている。凧や火打ち銃、アクチュエータ。人間の社会で言う、ナード・・・というやつに当たるだろうか。

「お前も頑張って色々作ってるが、人間ほどにはうまくいかないだろう?」

ナクルの指摘に、まさにその通り、とトゥルカナは思う。人間のナードが、器用な手先を持った工作人であるのに対して、トゥルカナは不器用だった。狩猟機械は道具を作るように設計されていない。トゥルカナには前肢がなく、地に立って歩くための後肢だけが用意されているに過ぎない。工作するための自由な手を持たない以上、トゥルカナは人間ほどには器用に道具が作れない。それはわかりきったことである。

「つまり何が言いたいんだ?お前も俺をバカにしに来たのか?」

トゥルカナは、仲間が自分をバカにしきっているのを知っていた。明らかに不得手なことをずっと続けているバカな臆病者ナードだ、と。そんな周囲の態度から、トゥルカナは皆に舐められぬように、あえてがさつな言葉を使っていた。

「違うって、そんなんじゃないよ。すごいことだと思う」

ナクルはトゥルカナのことをおおげさに褒めたが、トゥルカナは警戒する。トゥルカナは自分のねぐらである塔の小ささが急にみじめになる。狩猟機械の力関係は住んでいる塔のサイズに比例し、大きい塔に住んでいる個体ほど集団内で力を持っている。トゥルカナの住む塔は洞穴と言われることからもわかるように、とりわけ小さい。そのような侮蔑意識が、トゥルカナの攻撃的な態度を作り上げていた。

緊張の空気が流れたとき、ナクルの育児嚢に居た少女が、おもちゃ!と突然声を上げた。少女はナクルの育児嚢から出ると、トゥルカナの作った道具の残骸で遊びした。

「ほら、わかるだろ?人間だ」

とナクルが言う。

「人間は私たちと違って、器用な手を持っている。お前の作りたい道具もきっと作ってくれる」

道具を作れる器用な手!トゥルカナはそれがうらやましくてたまらない。

「だから、トゥルカナ。この子をあずかってくれないか?」

ナクルの提案は悪魔の提案だったが、トゥルカナの目的には一歩近づく。確かに魅力的な提案だ。

「俺に託す理由は?」

トゥルカナがナクルに尋ねる。この時点で、トゥルカナの肚の内はほぼ決まっていた。

「お前の洞穴だったら、他の狩猟機械は誰も近づかない」

やはり、そういうことか、とトゥルカナは納得する。だがナクルがどうして人間に肩入れするのか、トゥルカナは理解しかねた。

「おまえはなぜその人間に肩入れする」

トゥルカナの質問にナクルは笑いながら、こう答えた。

「私は親になりたいんだよ、人間の親に」

物語中毒者のナクルらしいと、トゥルカナは笑いながら少女に近づく。道具の残骸で遊ぶ少女に対して、お名前は?と聞く。少女は、キトゥと答えた。キトゥ、いい名前だ。いいか、キトゥ。俺の名前はトゥルカナ。俺はいつか自分で作った翼で大空を飛ぶのが夢なんだ。

ナクルの立派な翼を横目にトゥルカナは、キトゥに夢を語った。

 

3.

>Hello,Durando;

>printdl(LOG.format_dna);

>LOG_?

ATTGTAATAGCCAGAAATTGGAAACATATATTCATTGACAACATTTAAGATTATAATATAGTCATATAATAGTCCAACGAAAGGCGTTTGAGGAAAGCCTGATAATTCATTGACAACATTACCATCAACCACACCTTACCATTCCTAGGACAGAATATATTATCGCTTTAAACACAGATTTTCATTGACAACATTTTGTGGGCACCCATTTAATATTAATATTAAATTGTAATAGCCAGAAATTGGAAACATATATTCATTGACAACATTTAAGATTATAATATAGTCATATAATAGTCCAACGAAAGGCGTTTGAGGAAAGCCTGATAATTCATTGACAACATTACCATCAACCACACCTTACCATTCCTAGGACAGAATATATTATCGCTTTAAACACAGATTTTCATTGACAACATTTTGTGGGCACCCATTTAATATTAATATTAA……

 

キトゥは、ナクルの筐体に残されていた情報を解析していた。延々と螺旋配列が続く。狩猟機械は特定の螺旋配列を鈎疏こうそで切り出して、情報を読み出す<舌>を持っていたが、人間のキトゥには当然ない。キトゥは、ナクルの記憶装置に残っていた螺旋配列をいちいち対応表と突き合わせながら、翻訳しなければならなかった。

狩猟機械の<舌>には個体差がある。どんな情報を好むかの個体差と言い換えてもよい。トゥルカナだったら、科学とかテクノロジーに関する情報。ナクルだったら、人間の物語や記憶に関する話。他にも、ブラックミュージックとか1930年代のハリウッド映画とかにしか興味のない個体もいるらしい。配解析作業は困難を極め、なかなか終わらない。キトゥは気晴らしに鼻歌を歌う。「好きな人が優しかった……✌」

宙吊糸スカイフックに関する記録も、ナクルの螺旋子本棚DNAライブラリから見つかった。他にも、巫女が預言を繭から受け取る「祈り」のハッキング、揚力の取り方、などナクルの螺旋子本棚DNAライブラリから得られた情報は多い。

「ナクル自身は、興味なかったみたいだけどね……」

ナクルは物語の登場人物と自己同一化することにしか関心がなかったから、とキトゥは思った。そしてそれは素晴らしい能力だ、と。ナクルは機械であるにも関わらず、物語の登場人物に共感することで、私の親になった。私を救ったのは、ナクルであり、ナクルの物語に耽溺する能力である……

そんなことを思いながら、キトゥは解析を続けていた。螺旋配列対応表をガラクタの中から拾い上げる。この塔も少し手狭になってきた。ナクルの死後、キトゥたちはトゥルカナの洞穴からナクルの大きな塔に移ったが、キトゥが色々な道具を自作していくせいで、床の踏み場がなくなっていた。宙から落ちてくる衛星の残骸などのデブリからキトゥは様々な道具を組み立てていった。そんなキトゥの成長をトゥルカナは喜ばしく思っていたようだが、大半のものは何に役立つか、わからない。

螺旋配列を読み出しながら、今日はもう寝るか、とキトゥが思ったときだった。思いがけない宝の山をキトゥは見つけた。

「これは狩猟機械の筐体設計図……」

螺旋子本棚DNAライブラリから筐体の設計図をキトゥは見つけた。この設計図を使えば、ナクルの筐体のコア部分をトゥルカナの筐体コアに移植し、同時にスレッドを走らせることで、計算能力の向上や、飛翔時の機体制御性能の向上が望めるのでは……

キトゥは急いで、トゥルカナを呼び出した。

 

計画を聞いた時、トゥルカナは微妙な反応を示した。それはキトゥも予想していた反応だった。

「質量的には問題なさそうかな?」

キトゥはトゥルカナの様子を伺いながら、トゥルカナとの心理的距離を少しずつ詰めていく。

「質量としては問題ないよ、けど……」

本当に換装できるのか、という思いがトゥルカナにはある。口にこそ出さないものの、トゥルカナの不安はそこにあった。螺旋素子で構成されている基盤は、通常のシリコン素子と異なり、取り扱いに注意を要する。

たしかにシミュレーションしなければならない要素は、塔内に比べて格段に多い。妖塵虫ナノマシンの分布、風速ベクトル、コリオリ力、空気抵抗。トゥルカナの計算では成層圏のネットを抜けて、宙吊糸スカイフックへたどり着く成功率は1%を切る。

「トゥルカナ、今度は失敗しない。たぶんできると思う」

キトゥがトゥルカナに詰め寄る。トゥルカナが渋るのは、キトゥが以前失敗・・したためだった。ナクルが摸具螺もぐらに狩られたあの日、キトゥはナクルの筐体を分解した。部品がどうなっているか知りたかったのだ。キトゥはナクルの筐体分解後、再び筐体を組み上げたが、ナクルはその日、摸具螺もぐらに狩られて命をおとした。関連があるかはわからない。だが、推論能力を有する知性はそこに因果関係を見出してしまう。

「あいつは人間の作る物語が好きだった。だから自分も人間のように思いこんで……キトゥの本当の親であるかのように思って……」

ナクルはキトゥのことを娘のように思っていた。娘可愛さに、筐体を分解されるリスクを冒した。

「トゥルカナ、お願い……」

キトゥの瞳は、トゥルカナの視野カメラをまっすぐにとらえていた。

 

4.

飛翔当日。トゥルカナたちはナクルの塔に別れを告げた。飛翔の開始地点は、この辺りでもっとも高い発電塔だ。約2500メートル、気流が吹きあがる煙突から、飛行を開始する。

後は事前に計算した通り。学習した機体の制御と、空間に張り出される風速ベクトル。これらを捕まえるだけでいい。簡単だ。難しいことは何もない。

必要なのは飛び立つ勇気だ。

飛べるんだ、という想像力の翅が、トゥルカナたちを空へと運ぶ。

大丈夫、なんの問題もない。トゥルカナは助走を開始する。上空では、妖塵虫ナノマシンを補足するネットがあやしくゆらめく。ネットに捕まったら、成層圏から地上まで一気に落下する。

トゥルカナは自身のイメージを翼竜に重ねる。

翼竜というよりは、蜘蛛でしょ、今の姿は。空に向かってバルーニングしていく蜘蛛だよ。翼竜は空を飛ばない。とキトゥが、小言を言う。

そんなことはどうだっていい。翼竜だって、空を飛ぶ。物理的法則なんて、この際どっちでもいいのだ。飛翔体として成層圏を飛ぶ姿をイメージする時に、一々物理法則を意識していられるか。

トゥルカナはいよいよ風を捕まえる。塔内の上昇気流で一気に高度が上がる。天蓋の合間から、空が見える。いよいよ塔から脱出する。上空は塔内ほど制御された環境じゃない。

「不安なの?」

とキトゥが尋ねる。

「不安なわけないだろ」

とトゥルカナは答える。だって。

「わたしが居るからな」

トゥルカナの筐体コアに移植されたナクルの意識が、トゥルカナたちに呼応した。筐体コアの移植は成功し、トゥルカナの筐体コアにナルクの筐体コアが換装された。筐体に残っていたナクルの意識はトゥルカナの筐体に移植され、計算速度は向上した。トゥルカナが不安を打ち消すために使っていた、VFX映画を視る分の計算資源も不要になる。<計算>のトゥルカナと<情動>のナクル、二機が力を合わせて空を飛ぶ。

目指すは成層圏のネットの先、天から降りる宙吊糸スカイフック。トゥルカナはもう不安じゃなかった。家族が傍に居るから。

トゥルカナは気流をつかまえて、どんどん高度を上げていく。

気流に乗って高度は上昇していき、成層圏のネットが眼前まで近づく。

その時、トゥルカナは祈った。家族の幸福を。旅路の安全を。

人間の手は道具を作るためだけにあるのではない。人間の手は祈りを捧げるためにもある。

トゥルカナにも、ようやくそれがわかりかけてきた。

 

(了)

 

[1]セスジキノボリカンガルー

[2]かつてのcockroach.通称G。人類最大の敵である。

文字数:9664

課題提出者一覧