不在の証明

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梗 概

不在の証明

御其みそれ》とは、半分液状化している天使あんじょの死骸である。白く冷たい《御其れ》は決まって月に一度、深夜から明朝にかけて地に降り注ぐ。翌朝、人々は《御其れ》を掬い、肥料や塗料、食料などに利用していた。
 《御其れ》にはひとつの言い伝えがある。本来天使は天界に住まう者。しかし稀に天使が生きたまま落ちてくることがある。もし生きた天使に触れようものなら天界と人界の狭間に落ちて二度と戻って来られなくなる、というものだ。

マナは村の僧侶に育てられた十六の孤児である。マナは僧侶が遺した演算機能を持つゴーレムのモーケンとともに、困窮している村の助けとなり、慎ましい生活をしていた。
 人の幸せばかりを願い生きてきたマナだったが、不幸にも難病を患ってしまう。
 床に臥せ、死期を悟ったマナは、《御其れ》で造られたモーケンに一つのお願いをする。
「生きている天使を取ってきて」
 苦しんでるみんなを救ってくれない奴らに最期くらい文句を言ってやるんだからと気丈に笑うマナを見て、モーケンは月に一度の深夜に外へと飛び出す。
 深い赤紫色をした曇り空から、融解しかけた天使たちが落ちてくる。
 モーケンは生きている天使を求めて《御其れ》に手を伸ばし続ける。
 死、死、死、死、死、死。
 無情にも時間だけが過ぎていく。モーケンはマナの死期が明朝であるという演算結果を出していた。それは同時にモーケンの活動停止を意味している。モーケンはマナの生体信号を受信し、より適切な生活サポートを実現したゴーレムだ。それゆえモーケンはマナに限りなく近い思考回路を有し、生死までマナと共にある。
 故にモーケンは知っている。マナが死を厭うてはいないことを。天界を信じてなんかいないことを。そしてそれはモーケンも同じだった。
 モーケンは天使を探し続ける。しかし《御其れ》がモーケンに付着、体が肥大化し、動作が鈍っていく。もう朝が近い。
 やはり天界などないのか、救いなどないのか。ならばその象徴として私はこの世界で巨大な屍として在り続けてやる——
 モーケンが自身とマナの死を覚悟したその時、空から一体の天使が降り落ちてきた。
 天使は拡げられたモーケンの手に収まると、モーケンと同化する。
 無数の天使の死骸で構成されたモーケンは天界と人界の狭間にある世界の正体、兜率天とそつてんのことを知る。
 (兜率天とは、男は二十歳、女は十六歳の若さを保ち寿命が5億8400万年となる、衆生を救済する世界である)

モーケンはマナの元へ戻り、手を握る。マナは微笑みながら兜率天へと旅立った。
 残されたモーケンは、兜率天で生きるマナの生体信号を受信し続ける。彼は自らの言葉を兜率天に住まうマナの言葉として人々に伝え、触れ合う旅に出た。

5億8400万年後、地上で一人となったモーケンの動きが止まる。
 こうしてモーケンは、この世界で人の不在を証明する巨大な象徴となった。

文字数:1200

内容に関するアピール

モチーフは旧約聖書「出エジプト記」第16章に登場するマナです。
 最近改めて「永訣の朝」に感銘を受け、宮沢賢治の願った兜率の天の食からマナを連想しました。マナはモーセたちのいる夜営地に降り注ぎ、次の日になると腐ってしまう食べ物です。僅かな時間しか残されていないという点で「けふのうちに とほくへ いってしまふ」と表現された賢治の妹のとし子とも印象が重なりました。
 梗概では情報を小出しにしましたが、実作では序盤に《御其れ》・ゴーレム・マナの思想・兜率天などについて回想を用いて説明やにおわせる描写を入れる予定です。

《参考サイト》
飛不動尊 龍光山正宝院「兜率天・弥勒菩薩」
(https://00m.in/iBrEB 最終確認日:2021年1月20日)

《参考画像》
『マナの集まり』(アントニオ・テンペスタ ボストン美術館収蔵)
URL:https://00m.in/F4vyx 最終確認日:2021年1月20日

文字数:400

課題提出者一覧