梗 概
天長地久の舟に乗る
ある日、宇航の元に姉から荷物が届いた。
『しばらく預かってほしい、ただし決して中を見るな』
注意書きがあったにも関わらず、彼はそこから香る桃の匂いに惹かれつい箱を開けてしまう。
中には『三歳ほどの男の子』が実った植木鉢がひとつ。それは枝を離れ、男の手中に落ちた。
「僕は《桃人果》。あなたが僕を食べる人?」
それは喰えば不老不死となる天の果実を示す名だ。
宇航は慌てて姉に連絡を取る。
桃人果は姉が異国で手に入れた。製薬会社の研究員である彼女は挿し木でそれを増やし、果汁を用いたサプリを作った。それは社会現象になるほど売れた。宇航の恋人もまたそれの熱烈な愛好家だ。
桃人果は一木にひとつ実る。それは世代が進むごとに知能や性能は低くなるが、病の治癒や若返りの効果は依然あった。
そのため製薬会社は生の桃人果を出資者に融通しており、そのせいで人型の果実の噂が世間に出回っていた。いずれ原木の存在や、自身に追究がいくことを姉は恐れた。
決してそれを人目にさらさぬよう、食べぬよう。巻き込んですまない、と姉は言った。
「食べないの?」「食べられるか」「永遠が欲しくない?」
「人を殺して独りぼっち、永遠を生きて楽しいか?」
「……わかんないよ、僕は桃人果だもの。でも宇航が嫌なら待つ」
甘い匂いは抗いがたいほど食欲をそそり、けれど食人のようだと思えば理性がまだ勝る。僕の方がおいしいと食事のたびにぶすくれることに辟易するほかは、共同生活はそれから一年うまくいった。
発端は宇航の恋人だ。
家の出入りを拒まれるようになった彼女は宇航の浮気を疑い、乗り込んできた。そして甘い濃厚な桃の香りを持つ子どもを見つける。彼女はその正体に気づいた。酔ったように彼女はキッチンへ向かい、取ってきた包丁を子どもに向けた。
「食べたいの? でも僕は宇航の桃だから、あなたは嫌だな……」
宇航は恋人を止めようとし、狂ったように暴れる彼女に腹を刺されて意識を失う。
目を覚ました宇航は刺された腹部に傷がないことに気づく。
「食わせたのか」「うん」「彼女は」「逃げちゃった……」「……そうか」
男は落ちた包丁を取り、おもむろに腹部を刺す。しかし抜けば傷は癒える。「……なるほど」
男の凶行に呆然とする子どもの顔に、食べてとねだった楽しげな面影は微塵もないけれど。
「俺に喰われて満足か?」
子どもの欠けた指、口にしたのはそれだけだ。けれど間違いなく彼は人でなくなったのだ。
「生きててほしかっただけなの」「うん、助けてくれて、ありがとうな」
彼はこれから失うものの数を考える。そして最後に残るものを。
「もう食べてなんて言わないから。宇航を一人にしないから」
これは元凶、だが恨んだとてもうどうにもできない。男は子どもを口にした。香しい桃の味は、まだ舌に残っている。一度知れば餓えはもう増すばかり。
天上の美味を忘れなければ彼はこの子どもを食い尽くし、悠久を共に行く唯一さえ失うのだ。
文字数:1225
内容に関するアピール
モチーフは中国神話や西遊記で見られる蟠桃/人参果です。
もしこれが生きている(意思の疎通ができる)とするならば、自ら食われることを望むのだとしたら、という想像から出発した物語です。
人間そっくりの見た目をした心ある、匂いも味も極上の生き物がいたとして、それが不老不死の効能を持っていたら人は食べたいと望むのでしょうか。
そしてその永遠を望まずして与えられたなら。
宇航や、姉、宇航の恋人、その中心にいる桃人果の子ども、彼らの生への考え方の違いも描ければと思っています。
文字数:230