灯の沈むとき

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梗 概

灯の沈むとき

消して日の沈まない国があった。
大詩人アポロンの詩にあるように、この国は三百年にわたり日が灯っている。
上天には十の灯が絶え間なく王国を照らしている。国の名を”煌”といった。
王国の中心には、ひときわ目を引く塔がある。
上天を貫くかのようにそびえる塔は陽光を戴く冠のようであることから、光冠の塔と呼ばれている。
塔は、王国の要である光の教えを導く教会でもある。
アオイはここで、灯学者として勤めている。煌国には朝と夜の境がない。そのため、灯学者が灯をみる。
今日は壱の灯アグニが一年で最も輝く日であった。アグニはもうじき北の空に現れるのだ、そこから祭日が始まる。
 
アオイの師であるヒナタは、教会の首席灯学者として、今後十年の灯の動きを記す仕事を受けた。
助手として、アオイもヒナタとともにその仕事を請け負った。
煌国で最も高い土地である蓬莱山は、灯に最も近い場所として聖域とされる。
限られた王族、神職に就くもの。そして、灯学者のみが訪れることを許されている。
ヒナタとともに観測台にたどり着いてまず最初に行うのが清掃になる。
教会の要所は常に巫女が管理しているが、灯学者の観測台はこれに該当しない。
そのため、年に何度か訪れるたび、廃墟同然と化していた。
 
ヒナタはアオイに掃除を任せ、さっそく観測の整備を始める。
観測台は天井がくりぬかれたドームになっており、極薄に磨かれた黒曜の天蓋が覆っている。
これを用いて直接人の目では見ることのかなわない灯の動きを観測する。
観測を続ける中、ヒナタとアオイは灯が奇妙な動きをしていることに気が付く。
普段とは異なる軌道を灯が描いているのだった。過去の文献を遡ると三百年ほど昔に、同様の出来事があった。
そののち、参の灯ヘファイストスが姿を隠すという事件が発生していた。
そして、今回は、すべての灯が同時に姿を隠すことになるという観測結果がもたらされた。
 
アオイはこれをすぐにでも教会に報告すべきだとヒナタに告げる。
しかし、ヒナタは首を縦には振らなかった。
「確かに、灯が姿を隠すことは予測できた。しかし、教会はこれをどう判断するか」
「神が姿を隠すことには理由があるのでしょう。けれど——」
「そう。神が姿を隠すことには理由がある。その理由を私たちは突き止めねばならない」
持ち込んだ食糧が底をつくまで理由探しをしたが、結局、その理由を見つけることはかなわなかった。
十年後、一時的に日の光が弱まる恐れがある。報告はそのような形になった。
 
アオイは教会の導師の一人にこのことを話した。
導師はにわかには信じがたいとしながらも、そうであればなおさら、このことは口外するべきでないとした。
 
十年後、灯はすべてこの国から去った。
まず初めに壱の灯アグニが、ついで弐の灯スヴァローグが。半年の内にすべての灯が、王国を去っていった。
その後、灯の失われた土地に人が住むことはなくなった。
蓬莱山にのみ、煌国の遺跡が今も残されている。

文字数:1205

内容に関するアピール

神話は世界に数多くあり、そして神話の多くには共通する要素があります。

太陽にまつわる話も沢山あります。

ところで、かつては朝と夜があり、太陽と月があり、そういったことがらが世界を構成していましたが、今となっては、あらゆるところに光があり、月をみることは少なくなりました。あるいは、太陽すら意識して見上げることは減っているかもしれません。

という思いから、10個太陽のある世界からある日太陽がなくなったら…というアイデアに至りました。

なくなったら…のところまではいいかなと思ったのですが、オチまでの道のりに、もう一つあったほうがいいようなと悩んでいるうちに締切となりました。

文字数:283

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灯の沈むとき

煌国の中心、空まで届きそうな白磁の塔の最上階、そこには人が数人はすっぽりと入れそうな半球状のドームがあり、白い布がかぶせされている。布地の留め金を外すと、現れたのは漆黒の球体だ。布地の隙間から潜り込んだ砂利が、球体にぴったりと張り付いている。持ってきたバケツから濡れ雑巾を取り出し、砂をきれいに剥がし取るようにふき取っていった。
「アオイ君、ありがとう、もう大丈夫だ」
漆黒のドームの中からくぐもった声がする。
アオイは掃除用具一式を片付けると、塔の中へと下る。屋上に通じる階段のすぐ下に小さな扉があった。扉の横には木札がかけられており、『天照灯台』と彫られている。その扉をアオイは力任せに押す。扉を開くと小さな間があり、その先にもう一つ扉がある。外から光が差し込むことを防ぐための2重構造となっている。入ってきた扉を閉め、奥の扉を開く。
部屋には香が焚かれているが、それでもよどんだ空気のにおいがする。
部屋の天井はすっぽりとぬけ、代わりに漆黒の半球が覆いかぶさっている。
黒曜と呼ばれる特殊な鉱石から加工されたこの天蓋は、灯の光をほとんど通さない性質を持っていた。
そのため、上天に輝く九つの灯の光だけが、ぽつりぽつりと部屋の床を照らしている。
 
部屋の中にはアオイのほかに一人、さきほど声をかけてきた人物がいる。
アオイは消して背の低いほうではなかったが、そんな彼が背伸びをしても、そこにいる女の肩ほどではないだろうか。
彼女はその高い視点から九つの灯を見下ろしている。
「さすが、アオイ君ははやいね。今日はアグニの祭日だから早めに来て準備をしておこうと思ったのだけど」
「ヒナタ先生は昨日も遅くまで会議だったでしょ? どうせ早くは起きてこれないと思ったので、代わりに僕が早起きしてきました」
「気が利くね。おかげで、壱の灯アグニが蓬莱山の頂から昇るのを見届けることができそうだ」
ちょうど、部屋の南方に十個目の灯が浮かび上がる。ほかの9つの灯と比較して最も輝いている光だった。
煌国では上天に輝く灯にはそれぞれ壱から拾の数字がつけられているが、そのなかでも壱の名を冠するアグニは最も大きく、そして輝きを放っている。
今日はそのアグニが十年に一度、霊山である蓬莱山の頂から昇る日であり、煌国の祭日となっていた。
この日ばかりは、教会のお偉いさんたちも椅子から腰を上げて街をぶらりとする。そういう日だ。
だが、灯の運航を見定める灯学者にとっては、この日ほど忙しい日はない。
「予測どおり、十曜の参の日に祭日を迎えたことを猊下にお伝えしてきてください。これを」
ヒナタはアオイに書状を手渡す。封蝋がされたそれは、あらかじめ用意しておいたものなのだろう。
アオイは書状を受け取ると塔の螺旋階段を駆け足で降りていく。都市中心部の観測台としての役割を持つこの建物は、抜きんでて高い。
酷暑に備えて氷を届けに来た業者が荷を運び終えると、氷が解け切っていたという話もあるほどだ。
 
塔の低階層は十個の灯になぞらえて、十区画に区切られている。
それぞれ灯になぞらえて区画は名づけられおり、アオイの向かっている区画は薄い青色の壁面が印象的になっている。
拾の灯ネルガルは唯一、青白く輝く灯だ。他の灯が天を廻るにも関わらず、ネルガルのみは常に一点に留まっている。
そのことから見守り灯とも呼ばれ、内務を司る次席枢機卿の区画は青色を基調としている。
行事の統括も天の巡りの管理も次席枢機卿の業務の一つとなっている。執務室の前まで到着すると、アオイは馴染みの顔に声をかけた。
「久しぶりです、スズラン先輩。シリウス卿に、灯台からの連絡になります」
「元気そうでなにより、アオイ。シリウス卿は直接お受け取りになると言われていたから、執務室にどうぞ、学者先生」
「ありがとございます。アグニの祭日なのに、ここは忙しそうですね」
「ほーんと、灯台にこもりっきりのあんたに代わってほしいわ」
祭事の取り仕切りを行っているスズランはアオイが学徒の頃に寮の監督生として世話になっていた女性だった。
彼女は今では枢機卿付きの司祭として、処務をこなしている。机上には書類の山が出来上がり、それを機械的に処理していた。
執務室に入ると、祭服を纏った壮年の男が窓から空を眺めていた。祭服は藍を基調とした染め物で、金糸で縫い留められそれが調和した彩を見せている。待っていたというようにシリウスはアオイに目を向ける。
「ようこそ、ヒナタ博士の遣いだろう。たしか、アオイ・スウバル君だったか。北方の名家の出だったかな。大学でも優秀だったとスズラン君から聞いているよ。私がシリウス・ノウデンス、以後よろしく。書状をもらえるかな」
アオイから書状受け取ると、封蝋を剥がし書類に目を通す。
「アオイ君はこの中を見たかね?」
「渡すように頼まれただけですので」
「北方は山が多いと聞くが、登山の経験はあるかね。私は隣国の天竺へ向かう際に山越えというものを経験したが、二度とごめんだと思ったね。帰りは船にして正解だった」
「そういった技術は学びました。灯学者をする以上は、高所暮らしも多くなりますから」
「そうだね。それにしても、出不精の彼女がこんなことを言うとは、私としても真摯に受け止めたほうが良いのだろう。頼みごとをしてもよいかな?」
シリウスは祭服の裾から書状を取り出す。
「これを博士に」
 
 
祭日が明けると、正装をしたヒナタがアオイに告げた。
教皇直々の命として、蓬莱山の灯台で今後十年の灯の動きを記述するお役目を賜ったとのことだ。その際、1名だけ助手を連れていくことが許された。
蓬莱山は煌国では神聖な土地とされている。国王が代替わりするたびに、天照から蓬莱山への行程が組まれ、一大行事として執り行われるほどだ。
神殿を管理する教会の巫女とそこに食料品を運送する業者しか通ることが許されていない。
 
そのため、アオイは二人分の荷を背負い、通行証を警邏に見せることとなっていた。
煌国での登山は常に命取りになる。常に十の灯が交互に照らし続ける煌国の気候は、山嶺に雪を積もらせることはない。
常に光を浴びているため、体力の消費は著しい。どれだけの時間が経過しているかも分かりづらく、判断が困難となる。
高度が上がるほどに息苦しくなり、時には強すぎる日差しが照り付けてくる。
「蓬莱山は灯に一番近い土地として、この国では重要な場所なのはアオイ君も知っているね。」
苦しさを紛らわすためか、ヒナタは蓬莱山について語る。
「天照灯台も、最初はこの山にあったんだ。空を見渡す灯台として山頂よりいいところはないからね。けれど、30年ほど前かな。神聖な土地に灯学者がいるなんて、教会をないがしろにしていると反発があってね。当時の次席枢機卿も同調して、白磁の塔の最上階を建設することとなったのさ。アオイ君くらいのころは、ここが私の家だった」
体力は衰えていたものの、彼女の足取りはよくよく見れば慣れた感じであるのがアオイにも分かった。山頂を見据える彼女の瞳に曇りはない。
「だから、シリウス卿に頼んだんですか?」
「それもある。が、それだけじゃない。祭日はもともと灯の動きを確認するための儀式の日だったが、転じて今はそのまま祝辞だけが残っている。もとはね、アグニの祭日は十年に一度、規則的にすべての灯が上天に位置する珍しい現象が起きる日で、これを克明に記録することが重要とされていた。今後十年の動きを占うためにね」
「白磁の塔でも灯の動きは観測されているじゃないですか。拾の灯ネルガルを中心として、すべての灯が観測できました」
「塔の観測では確証とまでは言えないが、ネルガルがわずかに動いた。正確には、10年前も20年前もそういった動向はあったんだ。その時は残念ながら、私はいち灯学者だったからね」
ネルガルが動くというのは凶兆と呼ばれている。見守り灯が揺れるときは決まって悪いことが起きると、幼い子供は皆両親に聞かされていた。
干ばつに疫病、戦争、そういった出来事の前触れとされている。
「私が大学にいたころ、昔の灯台が蓬莱山にあるなんて教えてもらえませんでした」
「誰も言わないさ。蓬莱山にも灯台はあるが、今では誰も使っていない。神聖な場所ゆえに立ち入り禁止とね。そういうことになったんだ」
「シリウス卿もこのことは知っているのですか?」
「猊下も灯学には熱心だったからね。よく知っているはずだよ」
 
山の中腹までくると、景色が変わってくる。
荷運びの業者が許されるのは4合目まで、そこまでの道は馬車に踏みならされて歩きやすいが、ここから先はより険しい山道となっている。
そのため、水食糧の管理保管、首都との連絡の必要もあり、この場所には大きな社が建っている。
朱色に塗られた石造りの門が威圧感を与える。この地には神がいる訴えかけてくるかのようであった。
「せっかくだから、挨拶していきましょう。そして休憩も、ここから先はもっと大変ですからね」
「そうさせてください。ところで、元気なようでしたら、ご自分の荷物はご自分で持たれたらどうですか?」
 
 
門をくぐった先には、同じく朱塗りの建物が並ぶ。
ここが山の中腹でなければ、一つの町だと言われても信じてしまうだろう。
「ここが教会のもう一つの都というわけさ。私は知り合いに会いに行くが、ついてくるかい」
アオイは頷いて、ヒナタの後についていく。
教会の管理地ということもあり市井の賑わいはなく、子供の姿も見受けられない。
かわりに、司祭服を纏った人影の往来は塔の中にいるかのようだった。
山岳用に身なりを整えてきたヒナタとアオイは彼らから奇異の目で見られるには十分であった。
「そこの、見かけない顔だな?」
司祭服の男は二人に声をかける。それを待っていたといわんばかりに、ヒナタは切り返す。
「シリウス卿の遣いです。アルデバラン卿に会いに来ました」
教皇の押印のある書状は男の顔を引きつらせるには十分だった。
途端に顔色を変えて、その後は何も言わず案内をしてくれた。
ひときわ豪奢な造りの建造物は、神殿そのものといっていいだろう。
ただ、建物の中に入ると、とたんにアオイは懐かしさを憶えてる。
「ここ、塔の中みたいです」
ヒナタはなれた足取りで奥へと歩を進める。塔でいうところの枢機卿執務室にあたる場所だ。
教皇印の書状はあらゆる検問をパスして、二人を執務室へと導いた。待ち受けていた初老の女性は、二人を目にするとひどく驚いた顔し、ついでほころんだ笑みを浮かべる。
「まさか、生きているうちにまた会えるとはね。元気にしていたかい、ヒナタ」
「まあね。うまくやってる。弟子だっている。大丈夫だよ、母さん」
目の前で抱き合う二人に、今すぐこの場を走り去りたくなったアオイだったが、その気持ちをぐっとこらえ、一歩下がって踏みとどまる。
ひとしきり抱き合った後、ヒナタはアルデバラン卿に書状を見せる。
「教皇からの書状です。短い時間ですが、山頂の灯台を使わせてもらいます。ご支援をいただけると、助かります」
「もちろん。なんでも言ってちょうだい。やれるだけのことはしましょう」
「ありがとう。昇降機はまだ使えそう?」
「大社の管理もあるから、昇降機も手入れしているよ。ただ、灯台はあれ以来手付かずだからね」
その後も、ひとしきり話し込んだ後、一晩休息をとっていくこととなった。
思えば、女性の身でありながら30歳半ばで首席灯学者になり、内政にも詳しい彼女の言動にはこういった出自があったのかと、アオイは悶々とする思いであり、それを伝えたい衝動にも駆られたが結局機を逃し伝えることはできなかった。
 
 
滑車式の昇降機は多少錆び付いてはいたものの、手入れが行き届いているのがわかるとアオイは少し安心した。
聞けば、山頂には灯台とは別にもう一つ社があり、そここそが蓬莱山でもっとも神聖な土地だという。そのため、灯台がなくなった後も昇降機は現役であった。
詰められるだけの食料品で大袋をぱんぱんにして、一気に山頂へと向かうことになった。
がくんと一度大きく揺れると一気に速度をあげて、足場が昇り始める。恐怖にかられるとともに、なぜこれが塔にもないのかとアオイは恨めしく思う。
何度か昇降機を乗り継いで、二人は山頂付近まで到達した。
吹きすさぶ風はすさまじく、先に刃を仕込んである杖を地面にがんとたたきつけ、なんとか体を支えることができた。
「ここからはすぐ近くだから!」
ヒナタの声も、風に消え入りそうになる。
けれど、彼女の指さした先にある建築物を目にして、アオイは思わず飛び上がりそうになった。
目の前が少しばかり暗く感じたのは気のせいではなく、目の前には漆黒の覆いが行く手をふさいでいた。
「ここから地下に行くから! 足元に気を付けて!」
ヒナタのあとについていく形で、アオイは一歩ずつ階段を下る。その先に、木製の扉があった。事前に受け取っていたカギを鍵穴にさすと、かちりと音がして外れる。
数十年ぶりに開かれるせいだろう。扉が開かれると同時に埃が舞い上がる。この建物がそのまま、一つの灯台なのだ。
高高度であっても十の日差しが降り注ぐ蓬莱山は暖かい。けれど、大岩をくりぬいたかのようなこの灯台の中はひんやりとした空気であった。
幽霊を信じるアオイではなかったが、奇妙な肌寒さを感じた。
「さあ、観測を始めるよ、アオイ君」
しかし、古巣に帰ったきたヒナタはむしろは普段からは想像できない、火がついたかのように溌溂としていた。
「ここは天蓋の掃除も必要ないからね。私は観測記録の準備を整えるから、アオイ君は床の埃を掃いてくれるかな。それと、資料棚から過去の観測記録を持ってこれるだけ持ってきて」
建物の天井は黒曜の山をそのまま切り抜いたかのようで、この灯台そのものが天然の神殿となっている。
その床掃除一人でともなると、これはもう白磁の塔を一人で掃除しろと言っているようなものである。
試しに、床を箒で掃いてみると、その下に紋様が見える。巨大な陣形はこの床面すべてが、灯台の観測機として機能していることを示していた。
「昔は、こんなところで観測を?」
思わず、高揚して上ずった声が出てしまう。
「そう。私たちで取り戻すよ」
ヒナタの言葉に突き動かされるように、アオイは灯台の機能回復を図る。
巨大な灯台であることが分かれば、あとは塔の天照灯台とそう変わりはない。違うのはスケールだけだ。
床をきれいに掃き、灯が床に照らし出されることを確認する。それを眺めるための観測台を設置し、記録のための机を置く。
比較検証するための資料を裏に山積みする。仕掛け時計も設置できればと思ったが、残念なことに撤収時に持っていかれ、今はないようであった。
ネルガルの青白い光とほかの九つの赤い光が交互に二人を照らし、気づけば数日が経過していた。
 
 
灯台の観測は心が躍るものだったが、それ以上にアオイにとって興味深かったのは残されていた観測結果の数々であった。
数百年分の記録がそこには記されていた。煌国史以前のものすらあるのではないかというほどに、ここには多くの記録が残されているように思えた。
十年周期で訪れるアグニの祭日の描画は100枚をゆうに超える。
また、それぞれの灯の動きについても鮮明に記録に残されていた。
周期は何年か。何か月か。黒点の数はどのくらいか。そういった宝のような情報がここには眠っていた。
知れば知るほど、アオイの心には疑問符が浮かぶ。
「なぜ、こんなところを閉鎖しようと思ったのでしょうか」
素直な問いに、ヒナタは悲しそうな声で返す。
「みな、灯が当然のもののように感じてしまうようになったからかもしれない。アオイは国の外には行っていないだろうから、実感はないだろうけど。この国の外には夜がある。だけど、この国には夜はない。戦争をして領土を拡大していくうちはこういったことはみんな知っていたんだけどね。夜のない土地を守護することにした煌国は、もう長いこと戦争をしてない。いつの間にか、これが自然となってしまった。そして、灯をみることの意味を忘れてしまったんだよ」
ヒナタの夜という言葉に、アオイは思いを馳せる。大学にいたとき、留学生からその話を聞いたが最初はにわかには信じられなかった。
この国の外には、灯が完全に沈み、夜が訪れ、星空が見えると。灯学者はいるのかと尋ねると、天文学者ならいると答えた。
「灯はいつでも僕たちを見守ってくれていますから。けれど、だからこそ灯学者が必要ではないですか」
「彼らは私たち以上に信心深いのさ。見守ってくれているのだから、私たちから見る必要などないと言っていたよ。とはいえ、仕掛け時計も完ぺきではないし、行事を執り行う必要はあるから、形だけは灯学者が必要になる。だからこそ、塔の上に閉じ込めたというわけ」
 
 
観測を続けることで、ヒナタの予測が的中していたことが明白となってくる。
拾の灯ネルガルは一点に留まってはいなかった。それどころか、少しずつ光量が低下し、まるで、遠ざかっているかのような挙動を取っていた。
そして、ほかの灯の動きも、ネルガルに連動してわずかにずれが生じていることもわかり始めていた。
「拾の灯ネルガルの光が遠くなり、これに連動してほかの灯も動きを変えている。ということか」
灯台の図面は簡素な造りとも言えなくはない。拾の灯ネルガルを中心点にし、九つの灯の軌道を描くことで、関係性をみることができている。
仮に、ネルガルの灯が消えたとしたら。という言葉がヒナタの脳裏をよぎる。
「ネルガルが隠れたら、どうなりますか?」
アオイもまた、同様の可能性に至っていた。
「ネルガルは一見小さな灯ですが、その力は非常に大きく、すべての灯を取りまとめています。そのため、ネルガルの力がなくなれば——」
ヒナタはネルガルの位置にバツ印をつけ、それに伴うほかの灯の放物線を描いていく。
すべての灯が、煌国から離れていく結果になると、そう示していた。
 
 
蓬莱山を下り、一目散に塔へと戻る間もアオイとヒナタは互いに口を閉ざしたままだった。
この結果をどのように報告するべきか、その答えは出ないままだった。
シリウス卿であればと、二人は執務室に訪れる。
無事帰還したことにシリウス卿も最初は喜んだが、二人の顔色をみると途端に人払いをし、話を聞くこととした。
「結論としては、すべての灯が十年後には消えてなくなると。これはアルデバラン卿からの悪ふざけではなく、事実だというのか」
シリウス卿は、思案を巡らせ数刻目を閉じる。
「よろしくないな。伏せるとしよう」
ためらいなく、シリウス卿は口にした。
「即刻、灯台は廃止とする。どうせ、塔の枢機卿どもは厄介者払いができたと喜ぶだろうから、心配はいらない」
アオイとヒナタを一瞥し、ため息を一つつく。
「二人は国外へ。二度と戻ることは私が許さない。私が死ぬまではな」
そこから先、シリウス卿の動きは迅速だった。
有無を言わさずアオイとヒナタは無断で聖地の土を踏んだとして国外追放となった。
主を失った灯台は、次席枢機卿の資料室として利用されることとなった。
 
 
十年後、灯はすべてこの国から去った。
まず初めに壱の灯アグニが、ついで弐の灯スヴァローグが。半年の内に九つの灯が消え去っていった。
最後に、拾の灯ネルガルは、灯とは呼べなくなるほど小さくなり、星空に瞬く星々の一つとなった。
灯を失った煌国は、主犯とも呼ぶべき枢機卿を吊し上げた。
だが、それでなにが変わるわけでもなく、夜の王国となった煌国での教会の力は著しく衰退し、領地は他国に吸収され、最後にはだれひとりとして住むものはいなくなった。
 
時折、星空を見に観光客が来るという。
蓬莱山にのみ、煌国の遺跡が今も残されているというのが、ガイドの話草となっている。

文字数:7983

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