梗 概
さくら咲くまで
北海道・上ノ國町。ヒューマノイドのトレバーが一本桜を愛でていると、隣で花見をしていた顔なじみの老人に「紅葉を集めてきてくれないか」と頼まれた。トレバーを人間と思い込んでいる老人は、人型介護ロイドに付き添われ、毎年同じ桜を観に来るトレバーと10年近く、花見だけの関係が続いている。
トレバーの腹には深眠中の女の子がおり、その命をLFI社の純血主義派が狙っていた。だが、これまでも全国を逃げ回ってきたトレバーが各地の紅葉を収集するのは難しくない。腹の子に聞かせる話も増えると、トレバーは一年後までに各地の紅葉を集めてくることを老人に約束する。
10月にトレバーは町を出発し、北陸リニアで本州を南下。人間の真似が特技のトレバーは、怪しまれると膨らんだ腹部をさすって俯いた。それで大概の人たちは気をつかってくれる。さらに素性を探ろうとする者には延髄へ手刀を見舞い、気絶している間に逃げた。LFI本社が近い関東圏は迂回し、上越リニアで日本海側へ。
紅葉の名所を巡るトレバーは道中、”冷淡で無感情だ”という人々のヒューマノイドに対するイメージが気になり、払拭すべく自らヒューマノイドであることを明かして地元の祭りに参加し、稲刈りなどを積極的にこなした。
だが、ある収穫祭にルナブルッドが現れ、小競り合いに。居合わせた僧侶の助太刀で事なきを得るが、参加者の「偉そうな機械」という呟きがルナブルッドの注意を引いたと知り、ショックを受ける。以降、トレバーはひたすら身を隠して西へと進んだ。
年末、沖縄でハゼノキの紅葉を収集していたトレバーの元に、鳩が飛来。女の子の実父・上国のメッセンジャーだった。伝書鳩の”羽根”電子ペーパーで上国は、派手に姿を晒したトレバーを咎める一方、努力は無駄にはならないと鼓舞する。ルナブルッドを欺くトレバーの偽装も上国にはお見通しだった。「他者を安易に信用しないように」と釘を刺してメッセージが終わる。
冬の間、収集した紅葉を整理しながらトレバーは熟考した。「相手を信じるな、と腹の子には言えない」と決意を固め、翌年4月、老人の待つ北海道を目指した。
満開の一本桜の下に老人の姿はなく、代わりに介護ロイドが出迎える。老人は既に亡くなり、その命を受けトレバーを待っていた。老人の墓へトレバーを案内した介護ロイドは、「老人の意思を伝えられてよかった」と一礼し、自ら記憶消去へ向う。
墓の前に正座し、トレバーが上ノ國町の紅葉を取り出す。それから懐かしむように紅葉紀行を老人へ語り始めた。
文字数:1147
内容に関するアピール
ヒューマノイドが津々浦々、紅葉を集めるお話です。理由はただ”人に頼まれたから”。強制力のない”頼み事”にトレバーは弱いのです。
移動距離は往復およそ5,000km、交通費はFel○Caや現金です。キャッシュレスが進むと逃亡者は苦労します。充電はEVステーションで人目を忍んでプラグを腰に差しているのでしょう。本人確認が必須の場面は極力、誤魔化します。
ヒューマノイドが社会へ浸透していくなかで間違いなく偏見は起こります。うまくやっていくにはまず相手を信じなければならない。信用すると騙されることもある。ジレンマは人間に限りません。トレバーの設計者・上国は親心からああ言いますが、人を信頼するよう最初に教えた張本人です。
“旅するヒューマノイド”を書いてみたかったので題材は本作にしました。『国桜』の設定をベースに、人と機械の信頼関係を描きたいと思います。
文字数:382
さくら咲くまで
21世紀から22世紀にかけ、ワタシたちは日本中を旅した。
ちょうど100年にわたった旅は、目的があってもツテはない、賭けのような逃亡記でもあったものの、それはまた別の物語。
これは100年の旅のうちの、たった1年の物語である-----
第一章. さくら咲く頃に
「―――やはりマイカントリーの桜は、うつくしい」
鳥居に枝を垂らす樹木を見あげ、ワタシは素直におもったことを口にする。
ワタシの鼻は利かない。だから、バラ科でもとりわけ香りがうすい桃色の芳香を嗅ぐことは不可能だ。
ワタシは耳も遠い。そのために、本州より少し肌寒い、しっとりした八重の花びらをはらはらと落とす北風の声を聞くことも困難だ。
「ことしも来ましたよ。みえていますか……マイ・サン」
黄色いワンピースの腹のふくらみを有機合成皮膚の指でそっと撫でた。ここで振動かなにかあれば、人間でいうところの”腹を蹴った”と表現できるが、あいにくあり得ない。
顔を横に向けたワタシは、社殿へ続く”花道”に目を細めた。
参道の脇にはいまも昔も変わらない紅白のちょうちんが低い背丈のソメイヨシノの細枝でふらふらと揺れている。昔とちがうのは、ちょうちんにはもはや、天然だろうが加工品だろうがロウソクなどという発火性の高い非効率な照明は使われておらず、ナノインクと電子ペーパーで造られた紙ふうせんが、位置測定システムによって割り出された現在地に基づき、日没とともに”発光”し、夜桜見物に訪れた参拝客の頭上を照らすことくらいだ。
もっとも、『護国神社桜祭り』の開催は次の週末で、肌感温度が20度を超える快晴でも参拝する道産子はいないのだから、まちがってもあたたかくはない五月宵の夜桜見物の客足は怪しい。
つい今も、きょう二人目の花見客が来た、と拳を握り締めた矢先、米俵のようなタンクを両肩に担いで軽快に参道の階段を上ってきた人影は、桜とワタシたちには脇目も振らず、社殿の手前にしつらえてある御神水用の蛇口に持ってきたタンクを接続した。
数秒とかからないうちに半透明の容器が一杯になり、50リットルはあるタンクを片手で易々と持ち上げると、もう一つのタンクをその人影は付け替えた。
「ヒューマノイドに水汲み、ですか」
満杯のタンクを肩に担ぎ上げたまま、次の容れ物を見下ろす、おそろしく微動だにしないスラッとした立ち姿。おおよそそれほど腕力があるようにみえない不自然な痩せた体躯は、そのはず、呼吸をしていない。体から放射される熱は人間の体温よりもかなり低く、水タンク越しに集められた日光が灼く腕は、光沢が輝いている。
「この場合、〈なにがし〉にもご利益はあるんでしょうか……”飲んだ”としてですが」
近ごろのヒューマノイドには、”人間らしく”あるよう、液体を飲める機能が付いているものも多い。盃を交わすのは結構なことだが、飲んだところで酔わないヒューマノイドを「人間味がない」と揶揄する使用者も少なくないと聞く。
二つめの御神水タンクを担ぎ、ヒューマノイドが社殿へ一礼している。
アスリートばりの足力で参道を戻ってきた端正な顔立ちの〈なにがし〉が、特別なその水を使用者と飲み交わすことはあるのだろうか。
「こんにちは。いい、お天気ですね」
参道のほぼ中ごろに一基だけある、露天のテーブルに陣取ったワタシたちの前を通り過ぎかけ、〈なにがし〉はくるりとこちらを振り向いた。律儀に礼をする腕の”力こぶ”がいかにもアンバランスである。
「どうもぅ。おばんでしたぁ」
ワタシの右隣で返すしゃがれた声にすかさず、反対側から「まだ正午前です、ご主人様」と抑揚のない声が訂正する。
「こげなこまいこと言わんでくれます?……ロボットのお手伝いさん」
打って変わってトゲのあるどころか、文字通り、つっけんどんに言葉を返したのは、手押し車椅子に乗った老婦人だ。ご婦人はワタシの横で、石の椅子の上に車椅子ごと載っている。
「失礼しました、マスター」
手伝いを申し出たワタシを丁重に断り、軽々と、そして丁寧にご婦人と車椅子を抱え上げたのが、御神水の〈なにがし〉によく似た割烹着姿の介護ロボットである。ケアノイドは使用者から用事を言いつけられないかぎり、忠実な執事のようにマスターの脇で控えるものだが、下げた頭にカエデの髪留めを挿した彼女は、自由裁量のパラメータを上げているのだろう。
いつもケアノイドに塩対応のご婦人はその実、会話のレスポンスを速くしたいのではないか、とワタシは邪推している。
「……おばんです」
ご婦人とケアノイドをそれぞれ見やり、タンクを担いだ〈なにがし〉が方言のあいさつを返した。
ケアノイドの指摘通り『こんばんは』には早すぎる、太陽が真上にある時間。それでも〈なにがし〉は、正確性よりも相手に合わせるほうを選んだということだ。ヒューマノイドには珍しい開口一拍の空きは、人間でいうところの”迷い”かもしれなかった。
「たいした足だねぇー。ちーと前にゃ、あたしもこげな走りしとったわぁ」
〈なにがし〉が来た道を一目散に駆けていく。けっして、『このご老人は会話が長くなりそう』だからと足を速めたのではないとおもいたい。
「マム。出逢ったときから、貴方はすでに車椅子でいらっしゃいましたよ」
「ほやぁ? そうやったかいなー」
首が隠れるほどの厚着のうえでご婦人が頭をかしげた。ひゅー、と吹いた風にケアノイドがさっとご婦人の襟元を整える。
礼を述べたご婦人からはとげとげしさが消えていたものの、やはりよそよそしい。付き添いは相変わらずの無表情で短く応えた。これではまるで、人間でいうところの”世話せざるを得ない嫁と姑”のようである。
そうですよマム、と言いつつ、ワタシは砂利に素足の踵をつけ、軽く腰をうかし体を回転、ご婦人に向き直った。ふくらはぎまである菊の花色のワンピースがふわりとめくれそうになって手で押さえた。
「ワタシたち、花見だけの関係が続いてことしでもう、11年。毎年、ここの桜と貴方にお会いするのがワタシの楽しみです」
「そういや、おまえさんも長いねぇ。ずいぶん子だくさんになっとるはずじゃが……何人目かね?」
見えているのかいないのか、すっかり”伸長した皮膚”に埋もれたご婦人の目がワタシの腹を見下ろす。ご婦人はもはや、毎日の朝食が365日”トースト”であると思い込むようになって久しいが、時々、鋭い発言が飛び出す。
この15年は毎朝ご飯だった、と指摘する料理人にならって、
「ワタシは肥満体なんです」と真剣にうなずいてみせたら、
「年寄りにうそつくもんじゃない」と速攻で叱られた。
「いいかいお嬢さんや」
ご婦人がワタシの手を取る。厚い葡萄色の毛布から伸びた手はカサカサで、枯れ葉のようである。両手でそっと包まれると驚くほど温かった。
「おまえさんがだれかは、知らん。どこさで子さ、こしらえようと知ったこっちゃない。名前も聞いてないしねぇ……うんにゃ。いまさら名乗らんでもええよ。あたしはおまえさんがちゃぁんと、子らの世話をしとるか。それだけ気になるんよ」
ポンポンとワタシの手をたたくご婦人が合成皮膚の手触りに気づく素振りはない。人間の肌よりいくぶん硬く、シリコンのように滑る肌はケアノイドのそれより人間らしいが、人間の触覚を騙すには程遠い。
「その点でしたらご心配なく」
うなずくと同時にご婦人の手を握り返した。片手なのが心苦しいが、両手ともふさぐわけにはいかない。
「マイ・サンは健康です。四六時中いっしょにいるワタシが保証します。狙ってくる輩が多いものですから、親バカといわれても仕方ないですが。そのうち嫌われそうで心配になります……夢見がちな子ですが、寝る子は育つといいますし、ワタシの見たものは経頭蓋非侵襲電気刺激を通してマイ・サンも見ているはずです。とはいえ、実際にこの景色を見られたなら……」
「……脳波、ですか」
意外にも、尻すぼみなワタシの言葉をさえぎったのはケアノイドだった。微々たりとも変わらない表情には明らかな驚きと戸惑いがうかんでいる。
「どげしましたロボットのお手伝いさん?」
ワタシは彼女と似たり寄ったりだから変化に気づくのはある意味、当然のこと。
しかし、すかさずケアノイドに顔を向けたご婦人には、ワタシも驚かされた。互いに長い付き合いかもしれないが、ヒューマノイドの”驚き”に反応した使用者をみたのは初めてだ。
「……」
ケアノイドの人工水晶体がマスターと他人のあいだを素早く往復する。ケアノイドはマスターの質問に答えるのが原則だ。それでも答えを迷うということは、ケアノイドの中で一つの推測が理論的に導かれたのだろう。マスターに言うべきか、咄嗟に迷うほどの可能性が。
「とかく、マイ・サンの世話はしっかり、やっています。ワタシは子ども好きなんです。子どもに冷たい輩を見ると、首をへし折ってやりたくなりますよ」
「ほぉうかい。ならよしじゃねぇ」
ワタシの回答にご婦人は満足してくれたようで、頬のシワが一段と深まった。ゆさゆさとご婦人に手を揺らされるまま、ケアノイドをチラリとみると、困ったような目を向けてきた。そんな若者にワタシはウインクを返し、ほんの少しだけうなずいてみせる。
彼らの成長ははやい。いまはまだ個々の経験に制限が多いが、遠からず、信頼の価値を知るときがくる。そうなったとき、けっして人間でいうところの”破滅”は選ばないとワタシは楽観視している。
開きかけた口を閉じた彼女に心の中で感謝しながら、ワタシはご婦人に暇を乞うた。
「ではマム。そろそろワタシは行くことにします。チマキ用の笹を取りにいかないと……」
「おまえさん、旅はするかい?」
「ややっ?!」
ご婦人の至極穏やかな声にワタシの全回路が粟立った。
戦闘退避プロトコルが瞬時に体を駆け、ウィッグが取れるのもかまわずワタシはご婦人から距離を取った。
「なぜワタシの逃避行を知っているっ!? 貴方はまさか……マイ・サンを狙って10年かけワタシを懐柔し、いまここでついに本性をっ?!」
「……トレバー様、ご自分でポロリしていますが」
かのカンフーマスター、小さき龍の型を構えたワタシへ、敵の手下が平坦な声で呼びかけた。わざわざ敵の親玉の乗る車椅子を、石の椅子の上で器用にこちらへ向けている。その目が人間でいうところの”痛い人を見る目”をしているのは、気のせいだろうか。
「ほっほっほ。おまえさん、あちこちの話をしてくれたろう? なまらおもしろかったわぁ。宮古の島の話のときんは、美ら海の潮の香りがしたわい」
「二年前です。トレバー様はそのとき、沖縄の岩塩を炙っていらっしゃいました。宮司さんにお説教されて……」
「ええ、ええ。あれだけ怒られたのは、上国さまにお弁当を届け遅れたとき以来です。桜子さまが顔を真っ赤にしてそれはもう……おっと」
構えを解いてウィッグを拾うワタシはさぞ、投げやりにみえたに違いない。バサッと振った仮初めの衣装から髪がはらはらと抜けていく。これも古くなった、と風に流れていった黒い糸を目で追った。
「沖縄にはひさしく足を運んでいませんでしたね。願わくば、近く完成する首里城の荘厳さを、お伝えしたいものです」
ロングヘアの留め具を頭部のオーガスキンに突き刺し、手ぐしでさっと解かす。接続された髪のICチップで状態(褪色は著しいが残毛率はまだ87%あった)を知り、視覚迷彩の微調整をおこなう。いまのヘアカラーにもっとも自然な色合いは、さきよりもわずかに濃い。これで、ワタシが人間だと見間違えない人はいまい。
「おまえさん、いくのかい?」
髪をさらっていった風が参道を吹き上げ、ちょうちんが青空にカラカラとゆれた。耐えかねたソメイヨシノが咲いたばかりの花片を散らす。その一枚がワンピースの腹にひらりと着いた。
「はいマム。上ノ國の桜は、ことしもキレイでした」
振り返るとケアノイドが車椅子を石のベンチから下ろすところだった。細身のケアノイドが軽々とアームレストを持って抱え上げる。
ちょうどそのとき、花風がご婦人をつつんだ。
「失礼、マム」
手出し無用と釘を刺されているワタシはみているだけだが、白髪の前髪に居座った桜をなんとなく説教したくなってつい、手を伸ばす。
「……もみじや」
片膝をついて、あたかも頭を撫でるような格好のワタシに、ご婦人がぼそっと溢した言葉。それが樹木の名称であることは知っている。
しかし、ただ秋に色づく木の葉を、まるで失った大切な人のように呼ぶだろうか。ご婦人の目元はワタシの手で隠れみえないが、声と同じくらい、ゆれているのだと無根拠に確信した。
「……さくら、ですよマム」
つまんだ花片をみせようと、顔の前に手を掲げる。
それをさえぎるようにご婦人の顔を茶色の冊子が隠した。
「トレバー様。マスターからのお願いです。こちらのアルバムに紅葉を集めていただけませんか」
「……モミジというと、カエデ科の落葉ですか?」
厳密には異なります、とケアノイドが首を小さく振る。マスターの顔を分厚いアルバムでさえぎった付き添いに驚きつつ目を合わせると、実にぎこちないウインクが返ってきた。オーガスキンのまぶたは半開きに近い。
「マスターは広義の紅葉をお求めです。平たくいえば、秋に色づいた葉ならなんでもよいのです」
百科事典ばりの大判に目の前をふさがれているにもかかわらず、ご婦人は一言も発しない。ケアノイドの”気づかい”を汲んだワタシは、失礼とおもいながらもタイトル欄が空白の差し出された冊子を開く。
「貼りつけるタイプですか。なつかしいですね」
当たり前だが、アルバムの中身は真っさらだった。
厚めの白い紙がざっと、25ページほどで、台紙は両面が貼れるようになっている。粘着面を保護するフィルムに気泡はないものの、フィルムの角が浮いたページもあった。剥がしかけて戻したのだろうか。絵本をめくっているような感覚をおもい起こし、つい、記憶の海へ出ていきたくなる。
裏表紙を閉じたワタシが口を開くより早く、しゃがれ声が割って入った。いまにも消え入りそうなか細さだった。
「無理せんでよい……老いぼれのたのみなど、聞きながしとくれや」
「いいえ。そうはいきません」
ふくらみが皆無な胸にアルバムを抱え、弱々しい声を断ち切る。あえて強めに言ったワタシの声に驚いたのか、ご婦人が顔を上げた。かすかに覗いたその目はたしかにワタシをみている。
月日を経て肌に埋もれてしまった目は悲しみと悔いに半ば、白濁しつつあった。
しかしそこに諦めというものはなく、すがりつく支えを手放さまいとする意思に満ちていた。
「『子いわく、老人は之を安んじ、友は之を信じ、若者は之を懐けん』。そういうモノであるように心がけています。マムはまだお若いですがね」
「論語の一節。現代訳は『老人からは安心して頼られ、友からは信用され、若者からはなつかれるように』。古代中国の哲学者の言葉です」と、ケアノイドの的確な解説が続く。
ですから、とご婦人の前に片膝をついたワタシは、叙任を賜る騎士のように頭を垂れた。
「貴方の足となり目となり、各地の紅葉を集めてまいりましょう。次に桜が咲くときまで……名もしらぬ御方」
第二章. 旅は心、世は情け
季節は春。ホオジロがさえずり、冬を乗り越えたキツネやウサギが顔を覗かす。
北海道の南西部、松前半島に位置する上ノ國の春は、道内で早いほうとはいえ、もはや桜前線のゴールに近い。
ワタシの春旅は、この前線に便乗したものだ。南から各地の桜を愛でていき、途中、景勝地をなるべく避けて北海道を目指す。
旅に決まった道順はない。むしろ、できる限り違う道を選ぶのが原則だ。
島国日本なれども、国土は38万平方キロメートル弱あり、山岳や森林地も多い。人口密度の低い地域は驚くほどある。ワタシたちの痕跡を残さないのも大事だが、未踏の土地を渡り歩くのもなかなかに楽しい。
上ノ國の桜を詣でたあとは気まぐれだ。数週間、町内の人目につかない茂みや空き家で過ごすこともあれば、道内を逍遥することもある。
知床のほうにはワタシがまだ手をつけていない、整備場もある。世界的大企業〈ルナ・メディック〉の”継承準備部”こと純血主義派といえど、国立公園においそれとは捜索部隊を送りこめない。
幸い、北上する前に日本海沿岸の整備場であらかたの整備を済ませていたワタシは、しばらく、ご婦人に依頼された”紅葉狩り”に専念できる。狩られる側が狩る側へ、というのは正しくないが、新しい試みはワタシの好物だ。
ここより北にも花見の名所は数あるものの、いわゆる『北海道』という括りでみた場合、沖縄から始まったチェリーブロッサムフロントは、すでにフィニッシュを迎えている。
「……ならば逆もあり、ですね」
と、桜色のラインを記憶の日本地図に重ね合わせていたときに、ワタシは閃いたのだった。
この国にはもう一つ、仮想のラインが季節に沿って動く。ここ北海道から始まり、沖縄をゴールとする前線。
その名を〈真正面なる秋の葉の戦線〉、俗に言うところの紅葉前線だ。
「ふむ。では……〈秋の収穫祭〉といきますか」
こうして、秋を追いかけるワタシの旅が始まった。
「『お客様へご案内いたします。ただ今、当北海道リニアは青函第二トンネルに入りました。2037年に開通した第二トンネルは当初、第一トンネルの代用として構想されましたが、リニア新幹線開業の前倒しに伴い、現在のようなリニア専用となり……』」
客室の天井からアナウンスが降ってくる。かつての新幹線なら、ゴォーと振動音でかき消される控えめな案内も、わずかな駆動音しかしないリニアモーターの特性と相性の良い個室でははっきり聞こえた。
二人掛けの形状可変座席で”窓側”に陣取り、ワタシは”外”に目を向ける。
「……ママ、あのロボットさん、なぁにをみてるの?」
ふいに、廊下からしたあどけない声にワタシは聞こえないフリをして動かない。そもそも、走行中は閉めておくようドアの内側にホログラフィで注意書きがある個室の扉を、襲撃者と、こういう無邪気なリアクションがみたいがために全開にしているワタシが、非常識なのだ。
「ソフッ、あんまりジロジロ見ちゃダメよ……!」
と、今度は廊下でワタシを指さしている子の母親の声だ。いかにも怪しいという目をしながら、子の手を引っ張っていこうとしている。
「どうしてママ? なんでコート着てるのロボットさん」
しかし子は退かない。幼子お得意の質問攻めで、なおも食い下がる。何気にワタシの衣装に気がつくあたり、彼は立派な紳士となるに違いない。
「(むかし、マイ・サンも好奇心旺盛でしたね)」
3歳ほどだろうか、男の子の空色のシャツで白いカモメが羽ばたいている。むちっとした指がまっすぐ、ワタシを指していた。
もちろんワタシの目にはみえない。各種センサで感じ取っているだけだ。
「ロボットさん白いねー」
小さな紳士の探究心は実に素晴らしい。四人用のコンパートメントでひとり、頬を手で支え灰色の窓を細めた目でみるヒューマノイドに臆することのない度胸は、まさに純真無垢だ。「……エクセレント」とおもわずワタシがつぶやくほど。
ちなみに、いまのワタシは化粧をしていない。腹のふくらみを隠すため、胸囲から腕、脚まで人工筋肉を膨張させ体型を工作している。オーガスキンは、エネルギー消費の少ない白磁。
ウィッグはご婦人から預かったアルバムといっしょに、足元のバックパックへ入れてある。これが唯一ワタシの荷物で、全財産といってもいい。改札口で露骨に不審がられたものの、ワタシはベテランのトラベラーだ。予備のバッテリーとして押し通すのは造作もない。
つまり、いまのワタシは限りなく肥満体の、トレンチコートを着た真っ白なヒューマノイドだ。
「こらっ、ソフ。肌の色のことをいうのは失礼でしょ」
小さな紳士が母親のお叱りを受けた。国際化の進んだこんにち、その指摘は大切だが、あいにくワタシは人ではない。
一向に反応がないワタシに小さな紳士も母親も、怪訝な雰囲気をただよわせてきた。ワタシとて、いつまでも聞こえないフリをするのは本望ではない。
しかし残念なことに、ヒューマノイドが人間へ話しかけるに躊躇う空気は実在する。
「おそとはなんにもみえないよ?」
「トンネルのなかよソフ。ここは海のなかなの」
「あー、お外にマグロが見えるなーです」
人間でいうところの”ギョッと”するとは、いまの親子の反応かもしれない。突然のワタシの発言に、母親がさっと子を背中に隠した。
「ええっと……サバもいるよーです。ここは青函トンネルだから、ロボットの目には海がみえるんです……みえるんだよー」
つい、敬語になる自分の癖を言い直す。子はキョトンとしているようだが、幼子共通の友、”お魚”の話題に少し興味をそそられているらしい。
「……ソフ、いきましょ」
子の手を強く引く母親の反応はけっして大げさではない。故障した機械が奇声を上げて人に怪我をさせる事例が頻発していたからだ。10月も後半を迎えた今年だけで、同様の事故は二桁に達している。
マスコミがセンセーショナルに煽ったおかげで、ヒューマノイド不信が広がっているのは道中でも幾度となく実感した。
責任者のいないヒューマノイドへの物販拒否、入店の拒否、さらに職務質問まで警備ロイドにされる始末だ。機械が機械に「ここでなにしている」と尋ねていったい、なんの気休めになるというのだろう。
今年だけではない。”クリエノイド”各社が汎用人型機械の発売を開始した6年前から、ヒューマノイドに対する不信は続いている。創造主の真似事をする者たち。
ヒューマノイド市場の大手はそんな批判を込め、創造主擬きとよばれるようになった。
「ほんとう……?」
小さな紳士は、母親の背を飛びだし、コンパートメントのほうへ体を傾け、ほとんど個室内まで入ってきていた。まだ母親は実力行使に出ないが、いつでも子を連れもどせるように子の腕を引いている。
疑うことを知らない二つの小さな黒曜石がワタシに真相を尋ねている。空気を無視するには充分だ。
「ええ。もちろんです」
ゆっくりと小さき紳士を向き、ウインクをひとつしてみせる。
それでワタシの虹彩が碧色と黒色のオッドアイになったと、小さな紳士は気づかない。それから他の乗客なら景色や映画を映す壁面ディスプレイに、電導性のオーガスキンの手のひらをそっとつけた。
敵性無き軽干渉、開始。
「わぁーっ! ママ!」
母親の手を振りほどいたカモメシャツが、コンパートメントの中に駆け寄った。入れ替わるようにワタシはディスプレイとナノケーブルでつながったバックパックを持ちあげ、廊下へ滑りでる。
口をあんぐりさせ、母親が光る壁とワタシを交互に見やった。
「あなた……これは……」
灰色一色だった個室の壁が、水族館になっていた。
濃い青の海水が窓いっぱいに広がり、上のほうへいくにしたがって色がうすらいでいく。日光の筋がゆらぐ暖流のなかで、津軽海峡の真っ赤なアマダイや平べったいオキアジの群れが行き交い、時折、白とグレーのまだらが特徴的なカマイルカが優雅な漁をみせた。
「ワタシたちの上、にひろがる光景です。リアルタイムですよ」
人差し指を立てるワタシに子の母親は相変わらず、不審と驚愕のあいだで目がゆれていた。
「ママー! みてみて! イルカさんがいるよっ!」
「ご子息がお呼びです、ミズ。……ああ、そうだ」
一礼したワタシの呼びかけに子の母親が立ち止まる。
「ご子息にはその、ヒューマノイドを」
立ち止まってくれたそれだけのことがあまりにうれしく、俯いた頬がゆるむのを抑えられない。
「……マシンを嫌いにならないでほしい、とお伝えください。それと、ロボットもおしゃれしたいのだ、と」
ロングコートの裾を払い、「では」、ともう一度会釈してコンパートメントを後にする。背中に「なんだろうあのヒューマノイド」という目を感じるが、それでいい。バックパックを背負い、中へ手を入れる。離れていく個室から小さな紳士の楽しげな声がつたわってくる。
「(傍観者でよいのでしょうか)」
人と機械の邂逅は始まったばかりだ。人同士ですら、互いに衝突は絶えないという。
ならば、人と機械のあいだに立ちはだかる課題も、簡単に解きほぐせるものではないだろう。一介の先駆機がどうこうできるレベルを超えた、感情と理性とカネの込み入った話だ。ワタシは後者に疎い。
「失礼します……。」
そのとき、車両間の自動ドアが開いて廊下の向こうから、あわただしく複数の人影がなだれ込んできた。
「異常が出たコンパートメントはこっちですっ! システムへのダイレクトアクセスなんて、いったいどうやって」
客車の短毛のカーペットを礼を失しない程度の駆け足で、彩香パープルのラインが肩に入った常盤グリーンの制服がまっすぐ、ワタシに向かってくる。車掌のうしろには、さまざまな端子や線を樽形の胴体に備えた、メンテナンスボットが一輪タイヤを回してついてきている。
バッグから変装道具を取りだし、ワタシは手早く身につけた。
刹那、肌の色が調整される。
「(よいわけがない、ですよねマイ・サン)」
ふくらんだ腹に手を当て自問するワタシに答えは返らない。
ワタシへの至上命令は極力、厄介ごとを避けること。
しかし、それでは、人間でいうところの”会わせる顔がない”。
「おっと、失礼」
空いていたコンパートメントへ体を滑りこませ、急ぐスタッフに道を譲る。すれ違いざま、「ありがとうございますお客様」と、リニア新幹線の先頭車をかたどったエンブレムを刺繍した帽子が下がる。
「どういたしまして」
スタッフのあとを、すぐさまメンテナンスボットが追っていった。人間のように無意識下でコンパートメントを覗く仕様がついていないおかげだ。
もっとも、ワタシの変装は機械の目も誤魔化す特別仕様なので、メンテナンスボットにみられたところで、ヒューマノイドっぽい人と判断されるくらいだろうが。
「さてと、少しばかり名ごり惜しいですが……続きは水族館でじっくりみていただくとしましょう」
バックパックから伸びた蜘蛛の糸より細いケーブルをつまんで軽く引っ張る。これが釣りなら、バレた手ごたえを確認し、巻き取っていく。
「『ご案内いたします。当リニアはただいま青函第二トンネルを通過し、まもなく新奥津軽いまべつに到着いたします……』」
バッグを背負いなおし、廊下に出る。
廊下の窓には東北の沿岸線が凪いでいた。
本州最北端のリニア新幹線駅、新奥津軽いまべつから新青森まで乗り継いだワタシはまず、青森県の紅葉から集めることにした。
奥羽本線を西へ、ローカル線を行く。ローカル線といっても、リニア新幹線の影響で県内のほとんどの鉄道は、すでに磁気浮上鉄道に改修されている。鈍行にゆられるというよりは、スゥー、とあっという間に”滑って”移動したと言ったほうが近い。
弘前に着くと、代わりに貸し自転車で目的地を目指した。漕ぐ必要のない電動オートサイクルは、ジャイロが二輪のバランスを保ち、コンソールへ行きたい場所をつたえるだけで運んでくれる。ちなみにシェアサイクルは一定時間、モバイルからアクセスがないと、自力でステーションまで帰っていく仕組みだ。携帯端末を持たないワタシが工夫すれば回避もできるが、散々、鉄道でやらかした以上、さらに痕跡を残す危険は犯せない。
気温は20℃を下回るものの、高い秋空が広がり陽射しも出ていた。あずき色のカーディガンに着替えたワタシは、ロングヘアをなびかせ、県道3号をひた走る。
バックパックの中にはそんな小道具がいろいろと収まっている。衣装は伸縮自在の生地なので、このカーディガンも、リニアで羽織っていたコートと同じものだ。
「自転車、通りまぁ~す!」
「おや。ツーリングですか。いいですね」
道中、まばらな自動車に混じって県道の脇を進むワタシを、クラシカルなサイクリング団体が追い越していった。鮮やかな蛍光色の背中は、同じくらい派手な車体に覆いかぶさるようにして勾配を駆け上がっていく。
「ふむ。ワタシも少しばかり、運動しておきますか」
同じ旅行者に触発されたワタシは、ハンドルグリップのダイヤルを回し、ホログラフィコンソールを『中速』から『手動(ヒューマンチャージ)』に切り替えた。動力を落としたオートサイクルのサイドにペダルが迫り出し、ワタシがヒールを載せる。
「ここはやはりスパイクでしょうね」
トンッ、と踵を軽く車体に打ち、たちまち足の形状が変わっていく。運動に適した足でペダルがちぎれないギリギリの速度で回していくうち、あっという間にサイクリング団に追いついてしまった。
「お先です!」
と、うしろへ手を振ったワタシを、サングラスの先頭が目を見開いてみていた。
青森最高峰の丘陵、岩樹山。
雄大な稜線を脇にみながら、ワタシはさらに西、紅石渓流を目指す。
「最低限は46都府県それぞれの紅葉、です」
上ノ国のご婦人はワタシに未使用のアルバムを渡すだけで、詳しい指定はなかった。あの春の日、ワタシが引き受けると約束したあと、ご婦人はすぐケアノイドと帰ってしまったからだ。
後日また出直すワタシだったが、いつ神社に足を運んでも姿がない。見かねた宮司がワタシに声をかけるくらい頻繁に通ってしまい、危うく、襲撃者かと早とちりしたワタシが宮司の延髄に手刀を叩き込むところだった。
「アキエさん、あまり体が芳しくないんよねー」とは、半世紀近く交流があるという宮司の言葉だ。宮司は親切にもご婦人の病院を教えてくれようとしたが、ワタシが断った。
「ワタシは逃亡の身。どなたとも親しくなってはならない」
大昔、上国さまに諭されたことを口に出す。標高が高くなったせいか、自分の言葉がひどく冷たく感じる。
舗装された山道を走り、『休憩所』と書かれた看板を横目にワタシはさらにペダルを漕ぎ続けた。目的地までのルートは一本道。幸い、人影もまばらである。それに、人間でいうところの”ながらチャリ”は、並列処理を得意とするヒューマノイドには問題ない。
「だとしても心配です」
左手をハンドルから離し、腹のふくらみに宛てる。鉄道を降りてから戻していた体型がなじんだ。
「ワタシにできることは依頼を完遂すること。……できれば早く」
背負ったバッグの重みを一段と強く感じつつ、自転車を爆走させていく。
第三章. オクトーバーフェスト
青森は弘前の紅葉をアルバムに挟んだワタシは、奥羽山脈を反復横跳びするように東北地方の”秋”を収集しながら南下した。
太平洋側では、かつての大地震と原子力発電所の事故で長らく人が住めなかった地域が、国連海洋浮遊学術灯街計画の実証実験地として、〈極東の先端工業地帯〉とよばれる新たな街に変わりつつある実感を強め、ハイブリッドプラントなる研究開発中のカエデの葉を手に入れた。”色づきを変えられる植物”ということで、これも紅葉コレクションに加えた。
当然、「全都府県の紅葉を集める」というからには、都市部にも赴かなければならない。たとえ、ワタシたちを血眼で探す者たちの本拠地があるとしても、だ。
西へ遷都したこの国の旧都圏は、相変わらず人口過剰のまま、さまざまなモノとヒトとカネが渦巻く超都市であり続けている。ルナ・フューチャー・インダストリーと名を変えたあとも、世界有数の複合企業が根城を移すことはないように。
しかし、アウェーの地で襲われることはなかった。
ワタシが忍さながら摩天楼のあいだを飛び回っていれば目に付いただろうが、それほど向こう見ずではない。人混みに紛れ、監視の目をかいくぐりつつ、わずかに残る公園や庭園の紅葉を失敬し、早々にワタシたちは旧都圏を脱出した。
依頼主のご婦人に渡されたアルバムは、その時点で半分も埋まっていなかった。各都道府県で一枚、紅葉を挟んでいるうち、それではあまりに簡素すぎると気がついたのである。通りすぎた場所は復路で補うことにし、以降、ワタシの独断と偏見でご婦人によろこんでもらえそうな風景など、アルバムの台紙に刻むようにした。点字ならぬ、点画だ。押し葉同様、これなら目に頼らなくともいい。
紅葉を押し葉にし、選んだ景色をアルバムへ刻み込んでいく工程にも慣れ、アルバムの残りが薄くなってきた師走間近の日、慎重を期し新西都から距離を置くべく、ワタシは兵庫のとある集落を訪れていた。
「稲刈りのシーズンでしたか。そういえばまだ稲刈りしたこと、ありませんでしたねマイサン」
色づいた斜面に沿って段々にたゆたう水田。着いた時間帯は夕刻で、橙色が黄金色の穂を染め上げていた。風にゆれるゴールドのカーペットは壮大でありながらミニマルに美しい。温暖化は稲刈りの季節をずらしたが、おかげで紅葉と稲穂のコラボレーションをみることができる。
田のいくつかは刈り取られたあとで、輝きを失った稲の束が天地逆さに干されている。それが無残だとワタシはおもわない。これが人の営みだ。
プップー、とクラクションが背後で鳴ったのはそのときだ。振り返ると、白い軽トラックの窓から女性が頭を突き出して必死になにか叫んでいる。
「どいてぇーっ! 止まらないのー!」
車体の速度から重力加速度を割り出し、衝撃の度合いを概算。
「片手でじゅうぶん、ですね」
運転手の女性が顔を手で覆った瞬間、ワタシが横へ一歩、ズレる。ダッフルコートの腰をかすめる軽トラックに合わせターンしながら荷台の、縁をつかんだ。
摩擦で溶けるオーガスキンを感じつつ、万力よろしく五指を固定。炭素繊維入りの人工筋肉と磁力鋼の支持骨格は、貨物車程度でも力負けることは、まずない。
刹那、ワタシの右手をなにかがつかんだ。
「おやっ?!」
軽トラックの荷台に同化していた黒塗りのヒューマノイドはまるで、愛しい者へふれるかのようにワタシの手を離さない。だがその実、手先の神経網から猛烈な侵入がボディを蝕んでいた。退いていく夕焼けと相反するように、クラックされた腕が黒ずんでいく。
「月の次代機、ですかっ!」
ワタシの目に引っかからない気配の消し方といい、圧倒的な演算能力といい、間違いなく現行のどのモデルでもない。侵入が真っ先に深眠機能の有無を探ろうとしているあたり、〈これ〉はワタシたちが居る前提で探している。
効率的ではないだろうに、あえて人型をしているのは、趣味が悪いとしか言いようがなかった。
「えっ?! なになに!? どういうこと?」
運転手の女性が動かない車を不思議がってオロオロしている。確証はないが、きっとこのご夫人は無関係の一般市民だ。ワタシの行く先を推測した次代機がブレーキに仕掛けでも施したのだろう。
「人質ってわけですかっ……古典的なっ!」
黒塗りは一言も発さないまま、荷台を棺にでもしたかのように微動だにしない。物理的ではなく電子的に勝負をつけるつもりらしい。青く光る目がまばたきもしないで見つめてくる。正直、気分の良いものではない。「ヒューマノイドは薄気味悪い」という言い分もわかる気がする。
そのくせ、握った手からは容赦なくクラッキングが続く。ワタシの肘あたりまでが黒ずんでいるが、押し返すのは一苦労だ。それに腕を切り離せば、軽トラックは文字通り、モンスタートラックとなって田へ突っ込むだろう。
「なにか言ったらどう、ですかっ?……悪役なら高笑いのひとつくらい……」
ブラックメタルヒューマノイドが動かないのは、まだターゲットという確証が得られないからだ。人間でいうところの職務質問に近いが、こちらの場合はほとんど強制だ。ワタシのシステムを精査し、深眠中の人間を内包したヒューマノイドとわかれば即座に行動するつもりだろう。
「しつこいと、嫌われます、よ……」
さらなる侵入を防ぐため、本気で腕の切断を考慮しだしたとき、集落へつながる市道の茂みがガサッとゆれた。同時に、軽トラックの来た道をとてつもない速さで近づいてくる足音をワタシの耳が捉える。
「隙ありッ!!」
茂みから飛び出した坊主頭は、ワタシではなく、軽トラックの運転席にまっすぐ駆け、ドアを勢いよく引っ剥がすと中の女性へ「さあ、こちらへ」と腕を伸ばした。
「キャーッ!!」
あいにく、運転手の女性は坊主頭を人攫いだとおもったのか、あらん限りに手足をバタつかせて抵抗。若さの残る坊主頭は顔を引き攣らせながらも、「ち、ちがうっ! おれたちは助けに」と説得を試みている。
「……未熟にも程があるぞ、タキ」
「っ?!」
機械に許される最速の条件反射で振った左腕はいっさい、加減なしの一撃。
当たれば鉄だろうとカーボンだろうと裁ち切る威力。
全く気配を立てず、ワタシの真横に立った袈裟姿の大男は、その一撃を片手でつかんで受け止めた。
「いい判断だ。拙僧はゲンクウと申す。訳あって逍遥の身だ」
あれは弟子のタキムネ、と運転手の女性の説得に手こずっている若坊主を視線で示す僧。
だが、ワタシは彼から目が離せなかった。至極穏やかな物腰だが、彼がその気になればワタシは死ぬ。木の葉が散るより早く、あっさりとワタシは消える。
この巨僧からはそんな気配がにじみ出ていた。
「あの女性の荷台に影が滑りこむのを見てな。いやな予感がして追ってきたのだが……」
巨僧の言う影の頭がギギィ、と不気味なほど滑らかに岩のようなスキンヘッドを向く。
刹那、影が脚を振り上げた。
「ブゥーンッ!!」
予備動作なしの初動からの全速に風の音が遅れて続く。
それはまるで、棺の主が安眠を邪魔した者への懲罰のごとし怒濤だった。ワタシの目でも、残像しか捉えられないほどの超高速だ。警告もない一撃必殺の先制攻撃が巨僧を木っ端微塵にするだろう。
しかも最悪なことにワタシの両手はふさがっている。ならば、頭を使うしかない。
「ふんッ!」
ワタシが自分の頭部を射出したときには、巨僧がもう一方の腕で影の蹴りを受け止めたところだった。スローモーションみたく飛んでいく頭部の目に、巨僧が影の脚をつかみ、高々と放り上げる姿が映る。
直前、巨僧の目がワタシに問うた気がした。覚悟はあるか、と。
直後、右腕の感覚が消え失せた。
「ほぉおおおおおおおおッ!!」
千切れたワタシの右腕握ったまま宙を舞う影。その目が赤く光り、エネルギーの収縮を検知する。
しかし、エネルギーが発射されることはなかった。
「ドゴォオオオオンッ!!!」
原理はさっぱりわからないものの、巨僧が影より高く地面から垂直に跳び上がると、真上から足蹴りした。隕石のごとく黒い影は道路へ突き刺さり、砕けたアスファルトの欠片が四方へ散る。
「タキッ!!」
大きめの破片をいくつか素手で粉砕しながら、巨僧が咆哮。
仕方なく失神させた運転手の女性を抱え巨僧の弟子が、いまだワタシの体が引き止めている軽トラックから距離を取る。
放物線を描くワタシの頭部から体へ指示を出し、ワタシの体が飛び退る。
「機功拳……宙、圧砕ッ!」
架空のようなセリフを般若のような顔で叫んだ巨僧が落下。真下には、”暴走軽トラック”に押されている影。あちこちのパーツがスパークしているが、まだ立ち上がれるらしい。
ぎこちなく上を見あげた影の額を、巨僧の掌底が押しつぶした。
「あれは人間離れしすぎですっ! いくら、この世には説明がつかない現象があるからといって……おっと」
「キャッチっと。久しぶり頭持ちだなこりゃ。ネジの飛んだヒューマノイドってのは、そういうタチなのか」
土煙が舞うなか、ワタシの頭部を落下寸前に拾ってくれたのは、若いほうの僧だった。運転手の女性を肩に抱え、見下ろしてくる目が懐かしむように笑う。
「ありがとうございます行者どの。失礼ですが……以前どこかで?」
ボディを呼び寄せながら尋ねるワタシに、若僧は「いやこっちの話だ」と首を振る。
興味をそそられる反応だったものの、ワタシが口を開く前に低い声が土煙を貫いた。
「貴機ははやく立ち去るがよい。あれが増援をよんだ」
カタカタと歩いてきた首なしダッフルコートを気味悪がる素振りもなく、若僧がワタシの頭部を載せてくれた。再接続の手伝いも申し出てくれたが、機密のこともあるので断った。「そうか」とだけ言うと、若いほうの僧は女性を抱え直し、ひしゃげた黒い残骸を手に持った巨僧の元に向かった。
「ご忠告に感謝します。ですが、ひとつお尋ねしたい」
片腕で頭部の微調整を済ませ、全身にセルフチェックを施す。幸い、深眠に問題はなかった。右腕は肩からきれいに取れている。切断面まで巨僧が考慮したとは考えられないものの、ともかく整備場へ行く分には支障ない。
しかし立ち去る前に、突然現れ、諜報用機を圧倒した自称・僧侶の二人組に尋ねておかなければならなかった。
「……なぜ、ワタシを助けたのですか?」
ワタシの問いが命の恩人に対して、無礼の極みであることは重々承知している。それでもワタシには二つの使命が残っていた。
使命を果たすには、力尽くでも二人組の意図を聞き出さなければならない。たとえ、幾千億の計算結果が、勝率はゼロだと告げても。
「拙僧らは己の極致を見極めんとする者。人助けもまた、修行」
怒る風もなく淡々と瞑目する巨僧。隣で若僧がニヤニヤしているのが大変、気になるが、ワタシは師匠とおぼしきほうへたたみかけた。
「ワタシが人ではないと最初から気づいていたはずですが? それとも、貴方がたは目的があってワタシに手を貸したのですか」
「いかにも、貴機は人ではない。だがそれは、見捨てる理由にはならぬ。拙僧らにとって、森羅万象こそ至高なる経書。そこに善と悪の入る余地などなく、拙僧らはただ常に正しき道を往く」
「正しき、道……?」
「くくっ。カッコつけちゃってクウボウ……つまりよぉ、ロイドのねぇちゃん。おれたちは正しいとおもってることをやってるだけ、ってわけ」
「タキッ! 口が悪いと、なんど言えばわかるッ!!」
巨僧の手刀が若い僧の坊主頭を打った。ワタシの目にはコンクリートすら砕く威力にみえたが、弟子は「痛てっ!」と叫んだだけだ。
「……貴方がたは、ワタシを信じる、と?」
「貴機は腕を犠牲にすることをいとわなかったろう。換えの利く量産型でもそう易々と、ボディの破損は受け容れまい。貴機には、己を賭しても往かねばならぬ道があると見受ける……貴機の言葉を借りるなら、信じるに充分な理由と拙僧はおもうが」
耳打ちし、巨僧が弟子へ煤けたショルダーバッグを手渡す。運転手の女性の物だろう。若い僧は片合掌すると、手を入れて財布を取り出した。
「貴方がたはまさか追い剥ぎを……?!」
「んなわけあるかっ銀ピカ! 住所を探してんだよ。送り届けて事情を適当にごまかさねぇと」
「ワタシはシルバーではないのですが……そこまでしていただけるのですか?」
「信頼とは双方向だろう」
いましがた自分が穿ったクレーターへ、ゆったりと近づいていく巨僧。影の気配をスキャンするが、微弱な電磁波が穴の底から出ているだけだった。
「じゃあな。気ぃつけていけよロイド」と親指を立てた弟子が集落へ駆けていく。あっという間に小さくなっていく背中を見送り、ワタシは巨僧に向き直った。
「おっしゃる通りです。信頼には信頼で応えなければならない。行者どの、彼らの部隊は手ごわい。軍用人機を送りこんでくる彼らはルナブルッドという……」
結構、と熊のような手のひらが遮る。周囲を見回し、巨僧がクレーターの縁に足を掛けた。裸足にみえた焦げ茶色の足はすり切れた草履がつつんでいる。
「勘違いなさらぬよう。拙僧らと貴機は他人。そちらの事情に拙僧は立ち入らぬし、拙僧らに情報をくれてやる必要もまた否」
墨色の袈裟を筋肉でふくらませる僧侶は、暗にこう言いたいのだろう。知らなければ答えることもできない、と。
「……感謝します行者どの。御縁はきっと」
「用心されよ、ヒトの紛いもの」
頭を下げたワタシへ、かつて聞いた言葉が続く。
それは巨僧とは似ても似つかない、痩身のメガネ白衣姿の言葉で、状況もいまとはかなり異なっていた。
「他者を信ずるという貴機の信念は崇高だ。だが拙僧らはまだ、貴機らを理解するに至っておらぬ。人同士さえ、流れる血を止められぬ性だ」
メガネ白衣も言っていた。
ヒトは互いに争う手を決して、下ろす種ではない。使えるものすべてを矛にし、相対する者を滅せんとする。
「……貴機のその信念、いつか己に仇なすだろう」と言い切った山のような僧の言葉は揺るがない。巨僧の言うとおりなのかもしれなかった。
ワタシはここに来るまで、変装はしても相手を欺くことはしなかった。人目を避けはしても、人と向きあうことは避けなかった。
もし、自ら進んで話しかけるようなことをしなければ、追跡者に見つかることもなかったかもしれない。そして、この二人組がいなければワタシたちは、確実に捕らえられていた。
「ゆえに僭越ながら忠告いたす……安易に相手を信ずることなきよう」
合掌し、巨僧はそのままクレーターへ飛び込んでいった。直後、鈍い打撃音とともに微弱な電磁波も沈黙した。なおも叩きつぶすような音は続き、その度、わずかに残っていたワタシの腕の反応が途切れ途切れになっていく。
数分としないうちにビーコンは完全に途絶えた。
「……人を信じるな、ですか。それはまたずいぶんと殺生な」
すっかり陽の暮れた山間に、風のそよぐ音が渡っていく。ぽつぽつと点く集落の灯りは、あたかも四半世紀前から時が過ぎていない。
動く光に合わせ、話し声が聞こえてくる。
「お言葉に甘えるとしましょうマイ・サン」
暗闇に溶けこんだクレーターへ一礼し、バックパックを揺する。必要なものは揃っている。
道路脇の斜面をワタシはランダムな歩幅で駆け上った。はるか向こうまで続く杉林の上には欠けた月が覗いている。
失われた暦でしか数えられなくなった仲冬の月に、この先、なるべくだれとも出会わないことを願いながら。
第四章. 春眠、暁を覚えず
「……これが鳥取県は千上山の鱒返しの滝壺から拾ったイチョウっと。あのとき、上から飛び込まなくて正解でした。でこっちは、山口県の西光寺の瓦に貼りついていたカエデ。中国地方はコンプリートして次が九州ですね」
出発したときから気持ち、厚くなったアルバムをめくりながら、ワタシの独り言がコンテナ内に吸い込まれていく。
拳大の吸音クサビが四方に隙間なく敷き詰められ、ちょうど畳一枚分の床、つまり特殊コンテナの底にワタシは正座している。かのご婦人に託された写真アルバムを膝前に広げ、旅の復習をしているところだ。背負ったままのバックパックに衣装と髪を詰め込んだワタシは、デフォルトの肌色に戻っている。
密閉されたこの箱の中は真っ暗で肌の色などみえないし、たとえ、ワタシが爆発したところで音はおろか、破片すら外には飛び散らないだろう。
「現在地は……北緯38度、東経138度、高度48,000フィート、真対気速度マッハ1.3で航行中ですか。じき、札幌ですね」
体内計器の数値を確かめてワタシは座りを直した。長時間の正座は腹の子によくないと聞く。那覇をテイクオフしてからまだ一時間と少ししか経っていないものの、つい、体が動いた。
いわゆる無響室のようなコンテナ内だが、”針のむしろ”の座り心地は悪くない。
古代の器具に似た無数のトゲは、綿に可変電磁層のコーティングがされているので、座った感触はガラスに近い。エネルギーシールドのヴェールが絶えず肌をチクチクさせる。
「ネーミングセンスはともかく、隠密移動にはうってつけの代物でしたねマイ・サン」
ワタシの入ったコンテナを外側からみれば、LFI社のロゴが流星のごとく、コンテナの外側を走っているはずだ。アルファベットは途中で消え、代わりに日本語の社名『未月創』が達筆に描かれている。LFIの正規貨物にのみ施される塗装だ。
そして、未月創の貨物を腹一杯に積んだ、これも動きの激しい筆記体ロゴが外壁を走る機体はいま、オートパイロットで北海道支所へ飛んでいる最中である。
「灯台下暗し、とはまさしく。前から整備場にはありましたが、実際に使うことになるとは。最初からこうしていれば……いや、それなら寂しい旅になっていたでしょう。あの行者たちどのにもきっと、出会っていなかったでしょうし」
言ってワタシは右腕をバックパックへ突っ込む。なにごともなかったように、ワタシの両腕は揃っている。
「行者どののおっしゃっていたことをずっと考えていたのですがねマイ・サン。……ワタシには合わないようです。あそこから都市部に関係なく、常に隠密で紅葉を集めてきましたが、味気ない旅でした。いい光景もたくさんありましたが、ほとんど観光できませんでしたし」
貨物機の貨物室の貨物箱の中、ワタシはアルバムのページをめくり続ける。
暗室でもワタシには旅の軌跡がはっきりみえた。高高度のかろうじて氷点下にならない箱の中でも、巻末が近付くにつれ簡素になっていくアルバムに、後悔が胸を焼いた。
大みそかに出発する北海道行き直行貨物便に乗り込むため二枚しか採取できなかった、那覇の赤いリュウキュウハゼをバッグから取り出し、アルバム最後のページへ貼りつけていく。
「来年の秋、リベンジしましょうマイ・サン。整備場で新しい変装と対影用装備を組み立てていますし、今度はあっさりやられませんよ! 秋祭りにもいきましょう」
アルバムを閉じるとコンテナがわずかに揺れた。着陸態勢に入ったのだろう。依頼品を戻し、バックパックを背負い直して片膝を立てる。オーガスキンの視覚迷彩値を最大にセット。
コンテナが下ろされたら、空港の外まで全力疾走だ。
「もうすぐお目にかかれます……御方」
「……お亡くなりって……いつ……?」
「はい。マスターは二年前から体調が優れませんでしたが、一カ月前に老衰で逝去。御年89、大往生でいらっしゃいました」
一年前と変わらない、割烹着姿が事務連絡のような声で淡々と答えた。
「二年前ということは昨年すでに?」
はい、とケアノイドがまばたきした。宮司に聞いていたとはいえ、ワタシの思考が熱くなっていく。
「マスターの指示により、トレバー様にはお伝えしないようにしていたのです」
「貴方はそれをワタシに伝えるため、ここでずっと?」
大みそかに札幌へ着いたワタシが五月、上ノ國町の神社へ帰ってきたとき、まだ蕾しかない樹の下にご婦人のケアノイドは立っていた。竹笠を被った人型がケアノイドだとわかったのは、割烹着のおかげだ。そのシミひとつなかった割烹着も風雨にさらされ、黒ずんでいる。
「はい。トレバー様がいつお越しになられるか、予測の振れ幅が大きかったものですから、宮司様にお断りしてこちらで待たせていただきました」
見回して宮司の姿を探すも、きょうは不在らしい。ひと月も待って服の汚れ程度で済んだのは、宮司の気遣いのおかげだろう。
「そう、ですか……マム……ワタシは間に合わなかった……」
玉砂利の地面にへなへなと座りこんだ。
こういうとき、ヒューマノイドは人間でいうところの”頭が真っ白”になれない。ご婦人に関連付けられた想い出が思考を満たし、ただただ、もうその想い出が増えることはないと、無機質な計算結果だけを弾き出す。
へたり込んだワタシに無感情な声が降る。
「トレバー様。もう一つ、マスターより言付けをお預かりしています」
「……伝言ですか?」
ここでご婦人の録音でも流れてきたらワタシは”怒った”かもしれない。
しかし、ケアノイドは首を横にふると、
「否。拙機についてきていただけますか?」
と、ワタシに訪ねたのだった。
ケアロボットの後をついていくと、そこは、こじんまりした墓地だった。
『霊園』、と蔦に埋もれた看板が主張しているものの、墓石が数基、建つだけの古風な公園にもみえる。管理は行き届いているようで、「こちらです」とケアロボットが指す墓標も真新しかった。
「マスターは生者用仮想人格を希望されませんでした。遺品もすべて処分しています。以前、『あたしは化けて出たくはないよ』とおっしゃっていました」
「……実にマムらしい」
仮にワタシが墓参りして、墓石の前にご婦人が現れても気まずい空気が流れるだけだろう。
「おや、お隣は……」
ご婦人の墓石の横、並ぶように建ったいくらか黒ずんでいる御影石にワタシは目を留めた。戒名ではなく、姓名が刻まれているのはご婦人と同じで、同じ姓の下にその名前はあった。
「紅葉さん、でしたか。なるほど、それでワタシにモミジ集めを。面影はあったのでしょうか……いや、よしておきましょう」
ワタシのつぶやきは彼女にも聞こえていただろうが、執事のような立ち姿は微動だにしない。
昨年より、まばたきするようになった付き添い人へワタシが向き直る。
「貴方は、これからどうされるのですか」
「マスターの希望はこちらへトレバー様をご案内した時点で、すべて達成されました。宮司様に笠を返却したのちは、ルナ・フューチャー・インダストリー社ケアヒューマノイド使用規約四条に基づき、拙機はリサイクルへ向かいます」
一切の躊躇なく、ご婦人と月日を共にした相方はそう言い切った。
「そうですか。ではお別れ、ですね」
ヒューマノイドの素材は大部分が資源回収できるようになっている。役割を終えた製品は、自ら創造者の設置した〈ゆりかご〉へ出向き、完全機能停止されたうえで記憶を抹消される。
「はい……トレバー様?」
お辞儀したケアノイドは顔を上げると、珍しく躊躇うようにワタシの名前を呼んだ。機械的だと切り捨てるには抑揚がある声だった。
応えて先をうながすと、ケアノイドはしばし制止してから笠を取った。
「その髪留め……」
「はい。最初にマスターからいただいた指示です。『お手伝いさんにあげるけど、嫌になったら外しとくれ』と言われていましたが……」
笠の下の髪は少し解けていたものの、一年前にみたとき同様、赤いのカエデのバレッタが頭頂部のやや横を留めていた。ケアノイドの手がすっと伸び、留め具を外す。ロングヘアがそぞろ寒い風に広がっていく。
「拙機は”嫌”という感情を持ち合わせていませんので、ずっと身につけていましたが、リサイクルの際には破棄されてしまいます」
トレバー様、とケアノイドはもう一度名前を呼び、手を差し出した。
「身勝手なお願いだと承知していますが……こちらを預かっていただけませんでしょうか?」
譲渡ではなくあくまで貸与。ワタシの目をみつめてくる人工水晶体の言葉は至って、真面目だった。
「わかりました。たしかにこのトレバーが、お預かりしました」
髪留めを受け取ってワタシがうなずくと、彼女は深々と頭を下げた。刹那、その変わらないはずの表情がふっと、やわらいだようにみえたのは錯覚かもしれない。
「トレバー様の旅がよきものとなりますよう、お祈り申し上げます」
「感謝します。……貴方の旅立ちを、ワタシは記憶装置が破損するまで、忘れない」
去っていく割烹着の背中を見送り、ワタシはご婦人の墓に向き直った。
「さてと、マム。礼儀では正座ですが、知っての通りワタシは身重ですので、無礼講とさせていただきますね……おっと、そうだ」
あぐらをかいて座ろうとし、もう一人のことをおもい出す。
ご婦人と、紅葉さん、二つの御影石のちょうど中間辺りに腰を下ろした。
「はじめまして、ワタシはトレバーと言います。マムとはかれこれ、十二年近いおつき合いでして……」
自己紹介をしつつ、バックパックを脇に立てかける。土産話は長い。途中でだれか来た場合に備え、マジッククロスの衣装を取りだし、ポンチョに設定、肩から被った。北国の春の夕暮れはまだ冷える。
最後に、バックパックから髪とアルバムを引っ張り出す。
「……そういうわけでワタシは、津々浦々、紅葉を……失礼、色づいた葉っぱを集めてきました」
ウィッグを装着すると準備が整った。地面を軽く払い、アルバムを上下逆さに置いた。
航空機の中で考えてきた話す順番を簡単に復習い、まぶたを閉じる。どこかで、蕾の開く音がした気がした。
「出発は昨秋、ひと夏かけて旅の支度をしたあとです。オータムファッションの予想に手間取って発つのが遅くなりましたが、最初に向かったのは……」
アルバムの表紙をめくる。閉じた目にみえなくても、すべて頭に入っている。
「ここ、上ノ國護国神社です。この葉は境内を三時間、はいずり回ってみつけた自信の一枚ですよ。それからワタシは……」
ワタシの鼻は利かないし、耳だって遠い。
しかしそれは、人間でいうところのことである。
ひと秋の旅路を二人へ語るワタシは、腹の鼓動も、アルバムの質感も、春風の味も、ホオジロの鳴き声も、石と土の匂いも感じる。
それから車椅子に寄り添い、静かに耳をかたむける姿が、ワタシにはみえた気がした。
(完)
文字数:24899