座礁するシテンズ

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梗 概

座礁するシテンズ

シテン1
 黒田俊太はサンダルを履いていた。信号待ちをしている彼の足元にミンミンがやってきた。やってきて即座に糞をした。黒田の小指と薬指の間に軟便がにゅるりと落ちた。ミンミンの足が接地しているのは赤いタイルだ。タイルを置いたのは村上忠である。村上忠のことを嫌っていたのは今田咲である。


 コンビニで出会わせればいい!アトキンソン正美は今田咲がレジを待っている時に村上忠が外国人店員に文句を言っている場面から始めればいいと気づき自らの才能に酔いしれたがそれからまもなくその構想を忘れた。シテン1はアトキンソン正美によって産まれたが存在していたことすら意識されることなく放り出された。

シテン2
 その惑星は表面から浮遊した位置に莫大な数の野菜スティックを繋ぎ留めていた。星外から凄い速度で暗闇の中のティッシュペーパーの箱が飛んでくる。その箱はスコッティで現在販売中のスコッティの箱は津田村遥がデザインしたものである。津田村遥はいま晴れ渡る入野海岸にいた。遠くに


 シテン2は横移動し続けてきた。どこに視線を集中すべきか教えてくれる主人がある日突然いなくなったからだ!だからシテン2は主人が構想した世界のなかでさまよい、視線が向いた先にあるモノにただ関連あるモノ’へと目移りし続ける運動体と化した。主人の重みづけつまりこだわりによるリードなしには視線を集中すべき対象を判断できない!


 高知県入野海岸には夥しい数のシテンが流れ着いていた。放り出され孤立したシテンたちは横移動をつづけ、主人によって構想されたどんな世界にいたシテンであっても移動の末この海岸にフラフラと座礁する。海岸にはいま梅山加代が立っていて梅山加代通称バイザンはコロラド州ボルダー出身の帰国子女だった。


 鯨は破裂した。
 シテンたちが——その瞬間その巨体をゴロリと回転させて打ち上げられた——一頭の鯨へと一斉に視線を向けた。そのあまりに一斉すぎる視線の一斉は鯨を破裂させた。穴があいた。穴が視線を引っぱりシテンの奥にあるものを引き込み逆流させるような結果になった。何が起きたか。吐瀉ボミット吐瀉ボミット


 高知県はコラージュボミットゼリーだ。入野海岸で嘔吐された対象群——シテンたちが入野に着くまでに視線を向け続けてきたあらゆるあらゆる被視対象たち——がぐちゃぐちゃのミックス体となり高知全域を天から地まで覆ったというそのニュースをスタロピシュミンスクで見ていたヴェロニカは昨晩の


 性行為を思い返していた。セミョーンの体は筋肉質なのにお腹が出ているのが可愛セミョはゴーシャのタンクトップを着用ゴーシャは最近スケートに興味をもっスケータのマイクとよくマイクは日本マニアで高知県のニュー 入野海岸の空を見上げる。バイザンの巨大な顔が場所を争うように複数空から生えていた。

シテンx
 あなたは座礁するシテンズを読みおえた。あなたはなぜシテンたちは入野海岸に流れ着くのか?疑問をもつ。入野は坂本龍馬が好んだ地である。入野海岸の空はそれなりに晴れていた。

文字数:1257

内容に関するアピール

シテンが偶発的に移動しつづける話です。

ぼくは物語を読んでいると、物語の時間の流れというよりもそこに配置された物など関連する事物に興味が集中してしまうことが多くあります。それを主題になにか書けないかと考えこの話を書きました。

文字数:111

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シテンたち横漂流

シテン181498は横漂流よこすべりしていた。レールを失った電車のように半ば暴走した勢いで横漂流よこすべりをつづけていた。

1ー1 シテン181498
 埼玉中央郵便局前交差点。小野将吾は信号待ちをしている。信号を待っている。小野将吾は信号が青に変わるのを待っているのとは別に気になることを発見する。向かいにある建物(東京電力)壁面から飛び出すアナログ時計の時間がズレている。ミンミンちゃんが小野将吾の足元で糞をした。それは軟便でレザーサンダル履きの小野将吾の裸足の小指薬指間ににゅるりと落ちた。
 ミンミンちゃんが右後ろ足で踏んでいたのは赤いタイルであった。隣にはグレーのタイルが嵌まっている。波型だ。タイルをそこに嵌めたのは岡田忠。岡田忠のことを嫌っていたのは服部由紀子である。服部由紀子が大久保駅前のファミリーマートで——フリスクとプリンを持って——レジ待ちの列に並んでいるときレジで店員に暴言を吐いていたのが岡田忠であった。「お前これからもこの日本で住んでたいだろ? それならもっとちゃんとしろよ おれきらいなんだよ外国人だからわかりませんみたいなやつそれ理由になんないかんね?ほら、はやく!はやく!」と岡田忠は言いつらねている。服部由紀子は眉を顰めた。ウクライナ出身のアブロルは岡田忠店頭受取荷物をさがしにバックヤードへ行き岡田忠荷物を手に取ると、床に叩きつける寸前まで行ったが思い留まった。アブロルは出勤前家の近くにある小学校の休日開放された校庭で国旗を掲げる柱を支える石台の上に座っていた。紫色のポルシェから谷秀明が校庭を眺めると、ポツリと座っている他国出身者らしき人物を目にした。谷秀明はその人物を校庭のまわりに生えている樹々とおなじように自分の人生とはまるで関係のないものとして見下げた。谷秀明は大阪に向かっていた。ポルシェは走る。昨日谷秀明は失恋していた。バターが滑るようにポルシェは走る。サービスエリアには目もくれず谷秀明はポルシェに背中を押され関西へ高速移動する。
 足柄サービスエリアを越えたころ谷秀明は空を見上げる。空は青く。雲は幾つかあった。雲のひとつが女性の横顔に見えた。谷秀明には女性の横顔に見えたその雲は磐田市からは少しも女性の横顔には見えなかった。雲を見たのは東山陽子と橋田弓菜だった。橋田弓奈は別居中で磐田市にある実家に帰って来ていた。パートナーの橋田ささぐは高知県幡多郡黒潮町の自宅に残っていて、大きなコンサルタント案件が終わった休みに海に潜っている最中だ。「どうして人間は陸に上がってしまったのか。こんなに美しい場所なのに」橋田献はそう思っていた。ダイビングスーツを伝って橋田献の吐き出した息が浮上した。そこは高知県入野海岸である。

1ー2 アトキンソン正美
 コンビニで出会っていたことにすればいいのか! 岡田忠と服部由紀子の2人が近づくきっかけをどうつくるかで脚本に悩んでいたアトキンソン正美はどうしてそれを今まで思いつかなかったのかなんて間抜けなんだと思いながら結果的には解決アイデアをパッと閃いた自分を誇らしく感じていた。しかし誇らしさはなんの力にもならなかった。まもなくアトキンソン正美は日々のYoutubeやLINE、白米や洗濯洗剤の補充に流されるように脚本を書いていたことを忘れ、その流れでいつものように頼まれ仕事の波にのまれた。アトキンソン正美は万事OKというような感覚を会った人に抱かせる。それが人を惹きつけアトキンソン正美への仕事依頼は止むことがない。仕事に追われた。それが楽だった。仕事に没頭し仕事に成るのだ。脚本のことをアトキンソン正美はもうすっかり忘れていた。

アトキンソン正美が構想していた脚本世界——それを担っていたシテン181498はアトキンソン正美の忘却によって脚本世界に取り残された。! それが分からない! 当然だ。何にこだわり何に注目すべきか指示する主人を失ったのだから——
 そうしてシテン181498は——アトキンソン正美が(意識的無意識的に)仮組みしていた(まだ浮ついた)脚本世界のなかで——横漂流よこすべりをはじめた。漂流すべる他なかった。シテン181498は目に付いたモノにただ近い関係にあるモノ’へと目移りし続ける運動体と化した。

シテン3220935は長大な時間をかけて横漂流してきた。そしてその真っ只中だった。
 非常につよい推進力で未完世界を漂流すべっていた。

2ー1 シテン3220935
 その惑星は夥しい数の野菜スティックを惑星表面からすこし離れた位置に繋ぎとめていた。物凄い速度で惑星外から〈暗闇の中のティッシュペーパーの箱〉が飛び込んでくる! それは当然のように野菜スティックの1本に激突した。〈暗闇の中のティッシュペーパーの箱〉を射出したのは隣星のポポニム人フフィイである。フフィイはその8割以上がティッシュペーパーの箱の採掘で一生を終えるポポニム人のなかで数少ない射出士であった。
 フフィイをポポニム星衛星圏ギリギリのところから観察し続けていたのが地球から打ち上げられた探査衛星『タウエレト』。タウエレトの機体後部倉庫内壁パーツを大型車に積み込んで運んだのはドニ=シロタだった。そのパーツは金属にもかかわらず想像以上に軽量で——その前日の晩学生の頃から1日も欠かしたことのない酒を飲まずに気合を入れた——ドニ=シロタは拍子抜けしたとテレビの前で語った。運搬を終えたその日の夜ドニ=シロタは酒を飲み、本棚に飾った写真に移る女性を見つめてから眠りに就いた。写真の女性は小松村遥。小松村遥は今歩いていた。裸足で歩いていた。砂浜の砂を足の裏で感じ、水平線からその反対側まで広がる入野海岸の美しい夕空に見とれながら歩いていた。

2ー2 坂口英美香えみか
 坂口英美香は屋上で黄昏たそがれていた。上空で2羽のカラスが体を空中で衝突させ続けている。坂口英美香はそれを見てはいない。坂口英美香はなにを見ているというわけでもなかった。ただ坂口英美香は黄昏ていた。青森県三沢市大字下吉田。坂口英美香の立っているビルの隣のビル——その窓で何かが光った。カメラのフラッシュのようだった。坂口英美香は隣のビルの窓を見ていた。黄昏るのをやめていた。黄昏状態は脆いのだ。「地味なものは派手なものに常に壊される運命にあるのか」坂口英美香は屋上の階段を下りながらそのようなことを考えた。
 坂口英美香は屋上で異世界小説を構想していた。——ある天使の暇つぶしについての物語。百億年前に消失した地球という星。天使はその星の文明を考古学者のように発掘調査する。そしてその星の日本という国にかつて生きた早乙女美華という人物に届かない手紙を書く。手紙の内容は地球から遠い惑星の生態について。天使は言葉を尽くしそれを伝えようと遊んだ——という内容。
 それが実を結ぶことはなかった。風邪をひいたことを書けない理由のようにして坂口英美香は書くのをやめた。

シテン3220935はこうして忘れられた。シテン3220935はいまだ深まっておらず意味不明なところが多々残る小説世界のなかで横漂流よこすべりをはじめる。主人の重みづけつまりこだわりによるリードが失われてしまったからだ。主人のリードなしに注目すべき対象なんて決められない!
 シテン3220935が切り取ったセカイを気にする者はもう無い。失われている。それなのにシテン3220935は〈シテン〉という存在であることから逃れることはできない。そうしてシテン3220935は——坂口英美香が構想した小説世界のなかで——視線が向いた先にあるモノにただ関連あるモノ’へと目移りし続ける運動体と化した。

 

3ー1 シテン634
 オプツは内臓を1つ奪う呪文をブルラジア大王に向かって唱えた。オプツは魚呪族村出身者でその中でも強力な魚呪術使いとして知られていた。ブルラジア大王は祭事後、体調の悪化を家臣に訴える。早急にエイアグ医師が診断したところブルラジア大王は膵臓を失っていた。エイアグ医師の父親サラスは酷い酒飲みだった。サラスは朝から晩までベグマルラグラスの街外れにあるボロボロのバラックのなかで、妻ポウラが稼いだ金で買った酒とつまみのザヌメウンを飲み食いしていた。
 「父の右手に盃がない時間はあったか?」エイアグは思い返す。その盃はサラスが酒場からかっぱらったもので、その店の主はムボボと言う大男だった。ムボボは以前巨大船団の料理長を勤めておりメーグスイー海やヴァヲスト海など遥か遠くの海まで行った経験がある。ヴァヲスト海という名前は陽いずる海という意味のベグマルラグラス語に由来する。陽いずる海と最も関係の深いダイムという島にはまだ国はあらず、後にあの有名な呪術大戦が巻き起こることになるイリノ海岸にはしずかな潮の満ち引きがあるばかりだった。

3ー2 トレヴァー・プルエット
 「キリストのことをどう思う?」トレヴァーは日本人留学生の白石百合乃に尋ねた。もちろん出身国のことや食事のことなどを話したあとだ。「わからない。でも聖書のなかの人だよね?」白石百合乃は躊躇いながらそう答えた。トレヴァーはいつもこの断絶に落胆する——キリストはかつて実在したし必ずまた実在するのに——トレヴァーは毎回そう思うのだった。
 トレヴァーは大学3年生のとき、真実を直接に伝えることは続けながら、現代に合わせた物語の中でそれを鮮烈に暗示することで実在を否定する人々の内側に芽吹きが生じるのではないかと考えた。そしてトレヴァーはベグマルラグラスという国家とその辺境に住む人々の物語を構想したが、それらが記された紙の束はキャビネットの奥で忘れられ引越時に捨てられた。シテン634は主人(トレヴァー・プルエット)を失い——主人によって構想された作品世界で——視線が向いたモノにただ近縁なモノ‘へ目移りし続ける運動体と化した。

 

4 シテン718
 アオジュリサムヅエェシヲイエダン。
 ダクオリンダダサンフェシヲヴォヴィヴェヴヌゲヌバヌヅヅヅハラロユイ。
 コクユイコクフヂィヂィヅデムラタンスウオジ。
 ェン。ブシムア。
 イリノカイガン。

5 シテン97840
 「これはホウネンエビと言ってね。東アジアに住むエビなんだ。海岸に自然にできた水溜りでよく見つけられる。」ハビエル・ビラルドの父は答えた。フエゴ島ウシュアイア市。ハビエル・ビラルドの父が甲殻類たちを飼育しているのはビーグル鉄道が見える港近くの小振りな倉庫だった。倉庫の壁には水槽がずらっと並べられ、奥には餌が詰められたケースや清掃用具が置かれている。水槽用マグネット付スポンジが詰められたダンボールには中国浙江省金華市義烏イーウーに一度卸されたことを示すQRコードが貼り付けられている。貼り付けたのはジュリウス・カンバラゲ・ニエレレというタンザニア出身の若者だ。ジュリウス・カンバラゲ・ニエレレは昨晩飲み屋で撮った写真をスマートフォンで眺めている。写真には日本人女性が映っていた。日本人なんて珍しい。サキ(田中紗希子)という女性だった。田中紗希子は陸伝いに世界を一周したいという想いで山形県鶴岡市を出発し、四国の高知県入野にある「とまり木」というゲストハウスで2ヶ月ほど滞在したあと大阪港から中国フェリーに乗った。冬の入野海岸に今人の姿はない。

 

6ー1 入野海岸
 高知県入野海岸はシテンでまみれていた。蟲でびっしり覆われているようだった。数えてみるとシテンはなんと砂浜の砂粒の数よりも多い! シテンたちは延々と横漂流よこすべりを重ねた結果必ずこの入野海岸へ流れ着く。
 >どのような主人に産み出されたか?
 >どのような未完世界で横漂流していたか?
 そのようなことは終着点と関係がなかった。あらゆるシテンは高知県入野海岸に打ち上げられるのだった。——呪文のセカイを人から人へ目移りし続けたシテン634も——アトキンソン正美によって産まれたが2010年代の日本というセカイでただモノからモノ‘へ視線を変える運動体と化したシテン181498も——雪山でクマと狼とその獲物たちを無法則に転視し続けたシテン4488522025も、永遠のような横漂着よこすべりによって、象から象から象から象へ、星の数ほど移動したすえに高知県入野海岸に行き当たった。

シテンたちは動かない。それぞれの地点から空や海や砂や街を切り取った状態で停止していた。

東アジアの河川や船から海へ出たゴミが南米大陸西海岸で発見される。米国近海から出たであろうゴミがロシア連邦ウスチ=カムチャツク海岸で発見される。これらはもはや地球の日常風景だ。海流。海流によって流されたゴミはあらぬところに、何一つ因果の繋がりを持たぬ土地まで移動してそこに居座る。
 シテンは人には見えないしそれにシテンは——数学が想定する点のように——存在しながらそこに存在しないのでその眺めはまったく漂着ゴミが作る眺めと異なるのだが、捨てたということすら意識されず捨てられ/流れつき/動けなくなった、というその顛末は似ていなくもなかった。梅山加代通称バイザンはいま入野海岸に立っていた。バイザンはトルコはアンカラ出身の帰国子女である。仕事の後輩にはバイザンさんとよばれている。

6ー2 被視
 鯨は破裂した。なにも飛び散ることのない破裂だった。
 (一般的に)鯨は自然に破裂することのある生き物だ。海岸にうちあがった鯨が死体となって腐りゆくプロセスで、内臓やそのなかみがメタンガスなどの気体をポウポウ発生させ、そのガスがお腹いっぱいをオーバーにオーバーしたらバーストするにきまってる——鯨は空気を入れすぎた風船のように破裂。そのとき何も飛び散らないなんてことは。そもそも腐った結果なのだから異臭ガスは吹き出るし、鯨という哺乳類はそのなかに内蔵をたんまり畳み込んでいる。それらの肉肉肉(主に腸)がビロビロ飛び出る。

しかしながらこのたびの鯨の破裂では何一粒なにひとつぶも飛び散らなかった。

その1頭の鯨はまるでスローモーションのようにゆっくりその巨躯をゴロリと回転するようにして砂浜に横たえた。湧いた虫のように夥しく座礁していた(ずっと動かなかった)シテンたちが、その一頭の鯨へと一斉に視線を向けた。そのあまりに一斉すぎる視線の一斉は鯨を破裂させた。穴があいた。穴が視線を引っぱりシテンの奥にあるものを引き込み逆流させるような結果になった。何が起きたか。吐瀉ボミット吐瀉ボミットオ
 シテン181498は埼玉中央郵便局を吐いたし、小指と薬指のあいだに落ちた軟便、紫色のポルシェ、橋田献が潜っていた海、を吐いた。シテン3220935は野菜スティックとティッシュと衛星を吐いたし、シテン97840はエビとカニと海の上を走る列車と中国行きフェリーを吐いた。
 いや、それは正確じゃない。正確には、シテン634が視線を向けたブルラジア大王であれば、ブルラジア大王の耳の一部とその後ろに建っていたクリーム色の柱が一体になったものだったり、大久保駅前のファミリーマートのガラスと店内にいた岩渕宏の濃いヒゲ面が一体となったものだったりした。シテンにフレーミングされた被視対象という被視対象がさらに——パズルのピースのように——切り刻まれた断片が吐瀉されたのだ。それらはかつてシテンとのあいだを結んだ視線を——時間を遡るように——逆流してそこにあらわれでた。

 

7 スイカ
 カラフルに色づいた肉か内臓のような何かが——チューブからブルリと押し出されるように——四方八方から出現するのを梅山加代バイザン(冬の海岸に立っていた唯一の人間)は見た——直後バイザンの視界は被視対象吐瀉物ボミットで埋め尽くされ——バイザンが息を吸うくらいの一瞬視界がひらけ(入野海岸が見え)たかとおもうと——直後被視対象吐瀉物ボミットが(無限の触手が穴から手を出すみたいに)爆発的にとびでて——そして四方八方彼方まで放物線を描いてとんだ。バイザンの視神経はねじ切れていた。

被視対象吐瀉物ボミットは地球全体にとびちった。

長崎県諫早いさはや市立諫早北中に通う山崎万里子はバスケ部の練習を終えて自室の扉を開けるともともと大きい瞳をいっそう大きく開いた。部屋の扉の向こうにナガズジムカデが何十匹も浮いていたのだ。山崎万里子は竦み上がっていた。廊下の壁に背をつけて自室を見ると奥の壁に貼ってあるキスマイフィットのポスターからハゲ頭のおやじの顔が飛び出しているのが見えた。「万里子!」母が帰ってきて大きな声で言う。「塾の角におお~きな丸い、えっと、円盤があったのよ。みんな集まって見てたわ。」山崎万里子は叫んだ。「うるさい!どうでもいいから早く来て!」2人はそれから手袋やゴーグルを装着しムカデをゴミ袋に閉じ込める作戦を決行。——しかし山崎万里子部屋に浮くナガズジムカデにはトングでもバケツでも触れることができなかった。殺虫スプレー噴霧もただ空を切った。「これ見て!」山崎万里子は母にtwitterを見せる。「不審な像が各地に発生しています。こわいですがいまのところ動くことはないようです。触れることもできないようですが万一のためできるだけ離れていたほうがよいと思われます。」「なんなのこれえ!」「いろんなとこにあるってこと?」「ムリ!わたし寝れない!」
 長崎県の大部分は第6ボミットラインに重なっていた。ボミットラインとは被視対象吐瀉物による被災が集中したラインであり、それは〈高知県入野〉とその対蹠地である〈ブラジルリオグランデ州沖合〉を結んでいた。14本のボミットラインと14本の非ボミットラインはスイカの縞模様そっくりに地球を交互に塗り分けていた。
 第6ボミットライン上、中国上海宛平南路のど真ん中にはすやすやと眠る生まれたての赤ん坊56名の虚像が現れた(もちろんボミットなので轢くことはないが…)。そのまま第6ボミットライン上を見てみよう。ミャンマー連邦共和国メイッティーラー市を代表するナガヨンパゴダ仏塔上空1万mには男性用便器がずらっと並び、モルディブ沖アラビア海中にはキリンに似た緑生物と樹木が一体となった虚像があらわれ、ボツワナ共和国オツェ山には大きな赤い山脈がレイヤードした。さらには南極の氷の中に、そして地下を掘ったときでさえ、ボミットはどこにでも重なっていた。
 日本の交通インフラは運良く線路上にボミットレイヤードのなかった大阪環状線/山口県小野田線/北海道学園都市線を除く各線で無期限運転見合わせか徐行を発表した。ボミットには触れないので衝突することはないが先を見通すことができなくなるからだ。寝室で、会議室で、手術室で、映画館で、机の下で、些細な日々のなかでボミットと出くわすのだから、多少の慣れはあるにしても、人々の意識的無意識的不快は相当なものだった。

コウチボミットクライスから3ヶ月も経つとそれは新鮮な話題でなくなり、それをネタにしたテレビ番組だけがそれを面白がるようになっていた。現地人が撮影したボミットの動画を流してそれにコメントするだけの2次情報紹介番組だった。
 それから人はゆっくりと——かつて川のそばに家をつくったように——非ボミットライン(スイカの緑のところ)上へ建物を移動し始めた。都市部から始まった人類の計画的大移動であった。そして先進国は低い壁を建設する。ボミットが目に触れないよう、ボミットラインとの境界面を塞ぐ壁だった。
 この隙にロシアがアメリカと中国にミサイルを打ち込んだ。空にへばりついたボミット群は各国上空に数多の盲点をつくっていたのだ! そんなことどの国も知っていた——しかし全人類がボミット被災者だった——だからそれを利用して攻撃を加える者がいるなんて誰も考えなかった! ロシアがそのような全人類でわかちあおう的空気を蹂躙。米中による反撃も虚しくアメリカと中国の大部分はロシアになった。

 

8 壁
 インドネシア共和国コンゴコフ市立公園のジャングルジムにのぼってドローンを飛ばしていたブレイマは視界がゆがんだような気がした。公園の景色が見えていたはずの視界が突然何かにハックされたのだ。痛みはなかったのでブレイマは落ち着いていた。目を瞑って音を頼りにドローンを着地させてから手探りでジャングルジムを降りた。あるところで公園の景色が視界に戻った。「ああ良かった」と振り返ると、ジャングルジムがあった場所に宮殿のものらしきベッドルームがあり、豪華絢爛なベッドの上には裸で交わい接吻を交わす男女がいた。ボミットだった。ボミットが新たに発生したらしいのだ。
 スコットランドのビクトリーロードを自転車で駆け抜けながらスマートフォンでコンゴコフジャングルジムボミットKJBのニュースを見たネイサン・ウェザリントンは度肝を抜かれ転倒寸前だった。ハイスクール時代に温めていた恋愛小説の一場面にそっくりだったのだ。ハイスクール時代ネイサンは王族と貧民のあいだの実らない恋物語にベタだと思いながらハマっていた。ネイサンはいま28歳で訪問看護の仕事をしているのだが、実はいまでもよくそのような設定の妄想をしていた。それでネイサンはネット上に、昔書いた詳細な設定ノート(ベッドの飾りや男女の衣装や宮殿の壁紙など)をアップし、その設定を膨らませて小説を書き上げることを宣言した。(彼女が貼り付けた昔のノートとKJBを見比べてこれは売れると確信した)編集者がめざとく喰いついて指針を示しそれは無事書き上げられることになる。——するとコンゴコフ市立公園内に設置されたジャングルジムは姿が見えるようになっていた。ボミットがはじめて消えたのだ。

「ボミットは遺産です! ボミットを汚物のように蔑んではならない!」
 ボミットは未完成におわった作品構想たちだったのだ、と知った人々のなかからそのような声が小さく上がりはじめた。「ボミットを隔離するな!ボミットにラブを! 名作の影には捨てられた多くの構想があったのです! あなたたちが『雨に唄えば』や『ゴッドファーザー』や『ショーシャンクの空に』を休みの日に観れるのはボミットあってのこと! これはわたしたちが見つめるべきものであり、決して忌避すべきものではない! これらを汚物とするならわたしたちにはあらゆる娯楽を享受する権利はないでしょう。ボミットに敬意を!ボミットを解放せよ!」
 そのような声は20年以上かけて大きくなり、そして重大な日を迎えた。20xx年6月21日。
 「スカンディナヴィア三国はここに宣言します。第1ボミットラインと第1非ボミットライン間、そして第1非ボミットラインと第2ボミットライン間にある壁を撤廃します。これからボミットをひとつずつ点検記録し誰でもオンライン上で閲覧可能な状態を整備します。わたしたちはボミットとの共生を一歩ずつ実現していきます。そのことが、弱い立場のものに目を向ける態度をあらわすことになるでしょう。そして、どのようなものたちの上に現在享受しているあらゆる娯楽があるかについて、我々が考え直すための契機となるでしょう」。観衆から大歓声が上がった。というニュースをスタロピシュミンスクで見ていたヴェロニカは

9 シテン
 昨晩の性行為を思い返していた。セミョーンの体は筋肉質なのにお腹が出ているのが可愛セミョはゴーシャのタンクトップを着用ゴーシャは最近スケートに興味をもっスケータのマイクとよくマイクは日本マニアで高知県のニュー 高知県入野海岸に鯨の姿はなく穴だけが残っていた。穴は空き缶くらいの大きさでそれはボミット同様人が触れることはできなかった。入野海岸の空はそこそこ晴れている。最後に見たのは、数々のシテンが前方にむかってマシンガンのように打ち出吐瀉されていく光景だった。

E シテンX
 よくここまで読んでくださいました。あなたは文字と目が合う。文字を見ている。穴は開かない(開くかもしれない)があなたはなにかを吐き出す。それはさっき食べた食事かもしれないし、最近感じた不満かもしれない。その年齢まで生き延びたことで蓄積された記憶の一部かもしれない。それで、どうしてシテンたちは入野海岸に打ち上がるのか、と疑問に思う。そう口に出すかもしれない。あなたの呼気は風に吹かれ、その一部が太田学の肺に吸い込まれた。太田学はパートナー(村上萌)が浮気しているのを知っているがそれをどうすることもできなかった。萌の前でその話を持ち出そうとすると萌は機嫌が悪くなるからだ! 萌の機嫌を悪くしたくない。それに機嫌が悪くなると太田学には手のつけようがなかった。でも太田学は萌に浮気をやめてほしかったし、萌との関係をうまく運べるよう話し合いをしたかった。しかしそれは無理だった。なぜなら、太田学が萌にマジメな話を持ち出そうとすると萌の機嫌は悪くなるからだ! 萌はまるで人が変わったように静かな殺気を放つようになり、かと思えば沸騰したやかんのように言葉を投げつけてくる! 宝塚好きの村上萌は4ヶ月前に引っ越したときから家の中に同じ一匹の蜘蛛がいることに気づいていない。富山県富山市羽根3丁目のその家が村上萌入居直前クリーニングの際に業者としてやってきた宮本治重によって換気されたタイミングで開け放たれたトイレの引き窓から蜘蛛は侵入していた。蜘蛛はアマチュア無線撤去業を営む酒井康之の背中に付いて富山までやって来て富山市羽根で暮らしていた。酒井康之が宮崎県の海沿いでキャンピングカーのなかで寝ていると、大声で歌いながら砂浜で酒盛りする青年たちの姿が見えた。1人が空き缶を海に投げはじめると他の青年たちも空き缶を海に投げた。ゲラゲラ笑っている。酒井康之は自然を汚すものを許さない。そして青年の一人吉野大吾を殴った。空き缶のひとつが波に呑まれ海流に乗った。空き缶を包んだ海水の1粒は宮崎県沖に発生した渦のなかでさらに散り散りの1粒になった。その微粒をいまあなたは吸った。そして振り返る。——視線がシテンXのなかに飛び込んだ。

文字数:10682

課題提出者一覧