マスティクスにもう一度

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梗 概

マスティクスにもう一度

美少女機躰ガイノイドがなぜ太った?」
 十五歳のベクターが彼女と出会ったのは三年前で、今の『手紙屋』の仕事を始めたときだった。
 停車中のキャンピング・カーの運転席に座ったガイノイドのトーコは質問に対し、両手にそれぞれ持ったバーガーとコークへ交互に目をやり、はにかみながら掲げて見せた。Tシャツの袖がわずかに食い込むようになった二の腕も。体重82㎏。手紙屋は『60㎏』以上のものを運ばない。その規定が保険料の値上がりと奇妙に一致した。
「ガイノイド運用時の保険は躯体の質量でも破損のリスクを計算し保険料に反映する。肥満社会の生命保険と同じだ」
 モニターに映る保険屋のジョセフはそう言って、大胸筋の詰まったスーツ姿と笑顔を見せた。
 助手席に座ったベクターの手元の契約書の計算式によると保険料は約三倍になる、一ヶ月後の再測定までにトーコの体重を60㎏以下にしなければ。
 ベクターは決然と言った。手紙屋稼業の相棒であり、肉親と絶縁した自分の唯一の家族である彼女に。
「ダイエットだ、トーコ」

 全ての原因は労働者不足だった。製造業は各家庭の3Dプリンターに、介護や保育やセックスワークはガイノイドに、労働は12歳からに、変更された。そして、3Dプリンターで複製できないものを運ぶために手紙屋という職が生まれた。
 その手紙屋であるベクターは、スポーツウェアを着てランニングしながら配達していた。共に走るトーコが訊く。なぜ、私を捨てて家に戻らないのかと。
 肉親との絶縁は理由も忘れた些細な喧嘩からだった。社会はそれを歓迎し、些細な喧嘩からベクターの権利を強弁し、親元から引きはがして『労働力』に変えてしまった。そういう子共達は沢山いた。だからなんとなく、家に帰りづらい。権利や法はともかく、ベクターの心情はそうだった。悲しい顔をしたトーコに、ベクターは問い返す。
「だからなぜ太ったか訊いた。それがお前の欲求なら保険料を払うつもりでいた。でもこれはハッキングだろう?」
 本来、ガイノイドに太る機能はない。だが生成されてしまった身体の余剰リソースは消費せねばならない。ゆえにトーコは走り、配達先の『巡回セールスマン問題』も延々計算し熱量を消費していた。
 一ヶ月、色々な街をめぐり法務局から一般家庭まで配達を重ねた。最後は再測定のためジョセフの住む街だ。配達すべき手紙もあった。
 公園で実際に会うジョセフは映像よりも若く、筋肉質だった。契約書の入ったビジネスバッグも、体重計も、一人で持ってきた。そこでベクターは、試しにとジョセフにトーコとのアームレスリングの勝負を持ち掛ける。快諾したジョセフは、公園のテーブルでトーコと組み合い、勝負が始まる。ジョセフが勝利し、ベクターは彼に手紙を渡す。法務局で入手したトーコへのハッキングについての訴状だ。保険の契約書に仕込まれたガイノイドのセンサーにだけ読み取れるハッキング文字列が解析され、その契約書に残った掌紋をトーコがアームレスリングの際に照合し一致した。
「そいつを捨てて一人で生きろ。君も男だろ」
「その孤独は理解できる。けれど押し付けは、もううんざりだ」
 ベクターは疲弊したトーコに肩を貸し、体重計に乗せた。59.7㎏。保険料は上がらない。そこでトーコは、自身をベクターの両親のもとに運んでほしいと依頼する。『60㎏』以下の荷物を断る理由はない。両親との再会のきっかけだった。
「受けるよ。ただ一人では抱えきれないから、一緒に歩いてくれないか」

文字数:1435

内容に関するアピール

肥満について。社会的でもあり、生物学的でもあるこの現象を捕らえたかった。そしてそれが、他者の肉体へのまなざしで語られるとき、何を根拠に肥満を罰するのか。こういう言葉があるらしい『最初に神が人間の姿を思い描いたとき、その人間の下腹には、余計なぜい肉はぶら下がっていなかった』。なるほど、自然主義的である。ならばこそ、それに歯向かうことも考えられる。自分の肉体を、自分がどうしようとかってではないか、と。しかし、社会はそれを許さないだろう。労働と貧困と肥満は密接に結びついているから。さてさて、そこで労働と肥満が分離されたら? なのに、代替された労働手段が肥満と結びついてしまったら? たぶんそういうことをこの短編で書きたかったのだろう。(大枠が『デス・ストランディング』と被ってるとは知らなかった……)

参考文献
グレッグ・グライツァー『デブの帝国』バジリコ出版,2003年.

文字数:385

課題提出者一覧